| 難渋し諦めた権現山稜の尾名手峠道 ・・桂川鶴川流域周辺Top 腰掛集落から尾名手川左岸道を綴り.古い石積み家屋を求める沢沿いでルートを失う。尾名手尾根1098mコブ辺りから阿寺沢集落へ中退する 2014年06月02日.松村 初戸bs.腰掛林道から藪ルートの左岸道.尾名手峠道・・地形図と廃屋 尾名手尾根.1098m圏コブ南尾根から平野田へ中退・・下山して阿寺沢入口bs前の側壁工事現場.3 続.丹沢の峠道に出掛ける予定でいたが山ビルが以外と多いと聞き.嫌って山行2日前に鶴川の尾名手峠越えに変更した。 その上.土曜日毎に御祭礼のなおらいが続いている。安易な下調べで出向き.尾名手沢左岸道の中退を余儀なくさせられている。 甘い考えは根本的に取付きからルートを間違え.最終的には暑さで気力も衰え.峠越えを諦め尾名手尾根に逃れ戻っている。 上野原駅北口広場.8:246月02日(月)快晴後曇 jr御徒町6:21=6:24神田特快.¥970. :36=7:32高尾:47=8:05上野原.富士急山梨バス¥710. :35=9:05初戸bs. 昨日6月1日から路線バスは夏ダイヤに変更された。jr上野原駅.飯尾行始発バスは8時30分発。 それに合わせ自宅でゆっくり朝食を摂り.6時に自宅をでている。 このところ季節外れの猛暑が続いている。北極と赤道の温度差が強く.偏西風が激しく蛇行し.気象の流れをゆっくり進ませていた。 一度猛暑になると治まるりをみせるものの鈍くなっている。朝方からの強い陽射しは背けるほど路面の照り返しは強い。 初戸バス停から左岸本流沿いの腰掛林道へ.9:09踏み跡から尾名手峠道へ 9:05初戸bs一9:55鶴川白い橋一10:01踏み跡分岐一11:10峠道直前:20一11:39初めて見る石垣 一12:04第2廃屋跡一12:23第3廃屋跡一12:37竹林. ほぼ満席に埋めた路線バスは初戸バス停で.私を含め4人が下車した。彼等は玄房尾根を登るようだ。独り2度目になる腰掛林道を歩む。 路線バスの通う西原道を右に分け.左手の鶴川本流沿いの腰掛林道は数年前に権現山北尾根に取付いた折.歩んでいる。 平野田.腰掛の集落の生活道で舗装され.鶴川の左岸に沿いを緩やかに登ってゆく。 快晴の蒼空が山々を覆い.6月になったばかりで清々しい大空に包まれた林道は.まだ何処も青葉に満ち.清々しい気分をもたらしていた。 少し赤めの林道山腹道からは見下ろす鶴川南面の谷間まで..山裾から延びる山肌をも.緑一色の風景で優しく周りを映し出している。 ただカーブ毎に直接照り付ける陽射しは強い。 昨日は猛暑日が27地点で観測され.真夏日400地点を超していた。全国的に最高気温は平年を大幅に上回り. 東京でも7月上並の気温になっている。林道に入って直ぐ.額から汗が垂れ.体中から留めなく汗が流れだしている。 直射日光を避けた木陰に入る都度.ホッとさせられていた。 鶴川菜久保沢.大久保沢流域 雨降山玄房尾根とナベワリ沢ノ嶺北尾根.権現山北尾根 鶴川大久保沢と菜久保沢流域.9:32左前方は玄房尾根の747m圏コブと992m圏コブ.見えぬその奥が雨降山. 中央はナベワリ沢ノ嶺(大室沢ノ嶺)1245m北尾根. 頂稜は権現山北尾根. 権現山北尾根末端 腰掛集落と鶴川に落ちる尾名手沢出合.9:41尾名手川出合 林道より腰掛の集落左側が権現山北尾根で右側が尾名手尾根末端 中央の白い部分が尾名手川出合の巨大堰堤. 下側に流れる鶴川は右から左方向に横断している。中央から入るのが尾名手川. 権現山北尾根西面.尾名手川右岸寄り 腰掛集落下降地点より.9:531084m圏コブと826m圏小コブ 既に尾名手峠道の山道に入り振り返る.10:01直ぐ右手に踏み跡径が合わさるのが尾名手尾根からの山道 腰掛 腰掛の集落を過ぎ.5分を歩むと林道が大きく右にカーブする所にでる。そこから簡易舗装の小道を鶴川に向かい入る。 途中で前回と同様に同じ犬に吠えられ.Uターンするよう下り.白いパイプの橋を渡る。鶴川右岸に渡ると最奥の民家にでた。 その手前の小径の分岐を直進すれば以前に登った権現山北尾根への径。民家前を抜け尾名手沢にある巨大堰堤下にでる。 今回は分岐で畑道を右上に入る。数年振りだが畑にはパイプ組立てた四角いハウスが建てられていた。その脇を抜けた。 確りした小径は左下に巨大堰堤がチラリと見下ろされ.右後方からの小径を分けている。この山径が尾名手尾根末端上の二股に登る径。 この径を見落としたことから先が思いやられた。今踏み込んでいる山道が本来の確りした尾名手峠道だった。 この見落とした地点から勘違いを起こしていた。本道はその間々.沢沿いから一時離れ.右に大きく巻き込み水平歩道に入っている。 右へ直角にカーブする地点から10mほど先で.左に山腹を巻く踏み跡があった。 直進すればよいものの.先程の右後方の径がこの確りした径と思い込んで.旧作業道か? に入り込んでしまっていた。 尾名手峠道下の踏み跡 尾名手峠道と並行する下流側の踏み跡.10:10本道を右に分け.少し下り薄い踏み跡の水平道に入る。薄く暗く落葉多く積もる山腹のトラバースが綴られていた。 ただ見るからに歩むハイカーは殆どいないようだった。枝木の張り出しもあり.歩み難くなる。それでもよく見ると薄い踏み跡は先へ延びていた。 尾名手沢山腹としては最初で最後の赤帽黒柱の標柱を見る。 踏み跡径.10:16又時には確りした踏み跡に入る。踏み跡径であることは確かだった。本道から少し高度を落とし.水平に綴られている。 昔の植林作業道かも知れない。木漏れに映る青葉の色彩が鮮やかで清々しい。 10:23日の陰る所に入ると枝折れしたり.径を塞ぐ障害物が多くなる。ただまだ難渋するまでには至らなかった。 ただ本道とは違うと違和感を持ち始めている。 10:43時が経つにつれ.踏み跡は荒れ.更に薄れだしている。両手で枝木に覆われているのを漕ぎ進む。 歩むロスが多くなった。ここは本道でないと確信する。この間々進めたとしても桁違いの時間を浪費すると思われた。 ペースは落ち.踏み跡を探るに時間が掛かり過ぎている。 如何にか見付ける浅い踏み跡.10:53傾斜が増し.次第に沢底からの山腹は高くなる。そして前方を塞ぐ小さな起伏の凹凸を幾つも横切るようなった。 1本取る。直上すれば本道に突き当たるだろう。 11:10小:20歩みを停め先を探索することが多くなった。茹だる暑さも重なり.前方へ細かいリッジ状の起伏が横切り.進むのを拒んでいた。 この踏み跡を諦めている。そしてやや膨らむ大地筋に乗り.頭上真っ至ぐらに攀じ上がる。 踏ん張る足元に腕力を使い.ズリ落ちそうになれば強引に高度を取っている。 尾名手峠道 横切る尾名手峠道に乗る 左岸道の上流側.11:26そして10分ほど喘ぐ登りが続き.尾名手峠道にぶち当たる。上流側も下流側も綺麗な確りした峠道が綴られていた。 下流側.11:26 峠道で初めて現れた石積み.11:39 確りした峠道.11:42本道に石積みが築かれており.直ぐ植林帯に入る。やや薄暗くなるが樹林に光が通り抜け.明るい斜光を受けている。 藪ルートとは全く異なる登山道のような優しい山径が綴ら解放感に満ちていた。 分岐.11:46再び植林帯を抜け.小石混ざりの本道になり.自然林の若葉に被われる。光の重なり合う樹葉を透し. 柔らかい陽射しに変え映されている。本道が上下に2つに分かれている所にでた。右脇に赤テープのマーキングがあり.右上への径を取る。 尾名手沢左岸道は本来上へ上へと選ぶのが常道らしい。間もなくして左下にコンクリートの枡が見え. 廃屋跡らしき小平地が見下ろされた。1/2万5千地形図の「猪丸」に記された尾名手川の「尾」の付近になる。 第一廃屋跡地にでる。先程の分岐.左下の道は廃屋跡地に結ばれているかも知れない。 12:00確りした踏み跡径が続いている。左手前方の狭い樹林の隙間からは尾名手川右岸の山並が枝尾根を延ばし重なり合い望まれた。 磁石を覗き込むと南西方向になる。権現山稜の山並だろう。再び短い植林帯に入った。 第2の廃屋敷跡.12:04緩やかな傾斜のほぼ水平道の植林帯を抜けた。左手に石垣が連なるのを見て.回り込むと第二の廃屋跡の小平地にでる。 広場の奥には蘆の跡が望められ生活用品のの破片らしきものも見受けられた。地形図「猪丸」では「尾」の250mほど上流側. 破線の本道東側に.この地点が「黒点大」1つで記されていた。 現存する廃屋 第3の廃屋敷跡800m.12:23 現存する廃屋 石積みを過ぎると急なジグザグ径になり.見上げるとこれ又現存する大きな廃屋が臨まれた。地形図「猪丸」では813m点東横にあり. ここもまた「黒点大」1つで記されていた。場所柄余りにも立派過ぎる家屋が君臨するが如くある。 下から覗き込むと狭い台地状の平地に建てられ.右手前には御神木のような巨樹がある。近ずくと土台は崩れ. 如何にか柱石に乗る状態で維持されていた。今ではちょっとした切っ掛けで崩れそうだ。家屋の崩壊も甚だしく. 廃屋の中は石薄や農具が転がり.壁らしき姿はない。よく今まで倒れず保たれていたか不思議なほど崩壊していた。 僻地にこれほど立派な家屋が建てられ残されていた。つい100年ほど前.明治時代には生活していたとも云われている。 尾名手峠越えの由来は分からぬものの.下山時.阿寺沢の鶴川沿いに立派な馬頭観音が幾つも連なり祀られていた。深い因縁があるのだろう。 竹林.12:37峠道・・廃屋の裏側に竹林がある。当然昔植林されたものだろうが.この古道は尾名手峠とどんな因果関係あるのだろうか? 左岸の日当たりの良い場所だった。廃屋となり.素晴らしいと云う言葉は不謹慎だが深く惹かれる何かを持っている。 峠越えのルートは尾名手峠から麻生沢の源流を巻き.長尾尾根を下って葛野川沿いの駒宮に至る古道ができている。 又尾名手尾根を隔てた阿寺沢川右岸道は西原峠(佐野峠)越えをして.アシ沢を下り葛野川沿いの中風呂に至る古道になる。 この古道は甲州街道大月へと結ばれ.更に西原峠は五日市に繋がる三頭山笹尾根の幾つもの峠道とも結ばれていた。 権現山稜のこの2つの峠道は又腰掛と阿寺沢の集落を起点として.鶴川左岸の丘陵から笹尾根越えの古道でもある。 それだけではなく尾名手峠道は日当たりのよい左岸にあり.点々と4ケ所に住んでいた形跡が地形図にも示され現存されていた。 その因果関係を知ることができるだろうか? 初戸.腰掛林道から藪ルートの左岸道.尾名手峠道・・地形図と廃屋 尾名手尾根.1098m圏コブ南尾根から平野田へ中退 |