| 滝川流域の送電線田代幹線の旧巡視路から分かれ.南斜面を下る 西ノ尾.高松山南西尾根―田代幹線356号鉄塔の旧巡視路から南西尾根を分け.滝沢林道・・藪の旧ルートの北枝尾根を探索 日没を迎えた滝川林道から滝集落に尺里・堂山を経て闇ふけるjr御殿場線山北駅 玄倉から日影山北西尾根を詰め゙プッシュ峠・886m点コブから幡野峠分岐 林道秦野峠から高松山北尾根に立ち.新秦野線29号鉄塔から西ノ尾 ヒゴネ沢乗越から高松山南西尾根からビリ堂.南西の経路から田代幹線357号鉄塔.旧巡視路を抜け滝沢林道へ・・jr山北駅 ヒネゴノ乗越から高松山を越えて南尾根のビリ堂下から南西尾根に入り.直接山北駅に降りず.滝沢の源頭手前で引き返している。 送電線田代幹線356号鉄塔の旧巡視路を選び.谷沿いの右側に回り込みながら尾根状を南下.複雑に蛇行を見せる滝沢林道に降りることにした。 旧巡視路の起点を過ぎ林道終点前で日没を迎え.夜道を探りながら林道から里道.街道を歩む。 ヒゴネ沢乗越 花女郎道の中間峠(八町峠).14:07ヒゴネ沢乗越から高松山南東尾根を経て旧巡視路の藪を漕ぎ.滝川林道を下る。 13:59西ノ尾一14:25ビリ堂分岐:40⇔高松山. 一15:07ビリ堂一15:25分里バス停分岐一15:39車道にでる 一16:06田代幹線巡視路分岐一16:38滝川林道一16:50滝集落.尺里一17:00県道一17:25jr御殿場線山北駅. 乗越 ヒゴネ沢乗越には古来から古道としての「花女郎道」が跨っていた。県道725号.玄倉山北線.八丁から尾根を詰めヒゴネ沢乗越にでて. 下りはヒネゴ沢沿いに虫沢・宮地にでて中津川対岸の田代向バス停に至る「花女郎道」。 その後登山道として.昭和30年代から登山ブームに乗り.今は改めて衰退の兆しをみせていた。 ヒゴネ沢乗越には四方に方向を示す立派な道票が立てられ.これから向かう「←高松山,尺里峠(第六天)」に「↓虫沢田代向バス停」。 歩んできた方向には「今野峠.シダンゴ山.ダルマ山→」。道標の裏側へは「↑はなじょどう道.八丁」とあり.又標柱には「ヒゴネ沢乗越.虫沢古道を守る会」とある。 頭には対の兎とその下にWEICOMと木彫りがあり.又峠の虫沢側には2羽の兎にリスが乗る。 その上には鳥が道標と同様に木彫りのオブジェがあった。白板には「標高720m.←高松山801.4m.西ノ尾805.1m→」とあった。 又峠中央には古い熊の糞を2盛り見付けている。 花女郎道の東側は虫沢ダルマ沢ヒネゴ沢沿いに虫沢,宮地.寄へと下るコース。 又西コースは尾根沿いに八丁にでて県道725号(玄倉山北線)から人遠.皆瀬川沿いにjr山北駅にでられる。 県道沿いの八丁.人遠の地名は「足柄乃文化」31号には「沢を上流に詰めて行き止まりになる所をハッチと呼ぶことがあり。 「新潟,秋田,岩手などでは山の稜線から分岐する支脈と支脈との間に生じた山中の窪地をヒド(肥土.比土など)と呼び. 人遠もそれが転訛したものと思われる。」との説明がある。 近年は「虫沢古道を守る会」がこの古道に手を加え.昭和21年から間伐材を利用し.花女郎道として復活する。 ヒネゴノ頭 シダンゴ分岐.14;17高松山西峰.ここから必そり陰る茂みの中を綴る。直接「花女郎道」へ下る道があり.又高松山西尾根の取付き地点でもある。 道標に従い密つる樹林をコの字に左へ回り込むと.鹿棚沿いの薄暗い植林帯に高松山とビリ堂とを分ける分岐があった。 その奥に聳えるのが高松山. その暗闇の反動か? 空身になり高松山をピストンすれば想像を超えた広大な明るい台地の草原が現れる。 高松山 広大な草原と展望の頂.14:34高松山(山北).二等三角点標石801.4m.基準点は「皆瀬川村」. 人影のいない.極寒の旋風が巻き上がる頂とその展望幾つもの球場が取れそうな草原にベンチが点々とあるが,座るのは私ただ独り。足元から又テーブルを這うよう隙間を見付けるよう 冷風が吹き付けている。今回の山行の欠点と云えば風にある。風の息があれば日向ぼっこに都合のよい所だった。昼寝に炊事もできる。 ただ写真で見る限り長閑に見える風景も異にしている。頬を刺す鋭い冷風に襲われ.ジッと我慢するも後が続かず。留まれば震えが起きている。 如何に寒波が強くとも.風さえ弱く抑えられればこの時期.陽の恵みを受けられる筈だった。何処に居ても諦めざるえなく.空腹感はない。 南面に裾野が広がり.別天地のような頂台地を造っている。展望も楽しめる筈が長居は出来ず.名残り欲しいく後にしている。 草原を横切った反対側.右端には尺里峠へ下る登山道と道標があり.尺里峠.第六天から尺里へ.又は最明寺史跡公園を経て小田急松田駅にでられる。 「松田駅」の道標は魅力ある言葉で誘われるが.今日は御殿場線の山北駅に直接でる予定がある。 高松山西南の展望 酒匂川の扇状河口駿河平野 御殿場方面から鮎沢川が流れ.西丹沢から流れる河内川が山北谷峨で合流し酒匂川となり.jr御殿場線沿いを下り.駿河灘に抜けている。 河口には広大な駿河平野を創り.関東四大平野の1つとして.扇状に広大に開かれた河川丘陵に.河川が流れる街並みが見下ろされている。 駿河灘は1時間も沖合へ行かずして水深2500mを越す深海になる。この海で2000年前後にはワカシ.イナダ.ワラサにカツオ.イカと沖釣りを楽しんでいた。 バブル期を終え.10年間ほど鵜原から漁船に乗り大陸棚と駿河湾を交互に訪れていた。 贅沢にも.太公望とばかり大海原に竿をだしている。その先に大島三原山がおぼろに望められ.正面に真鶴岬を見ている。 丸山252mと浅間山 丸山の先が酒匂川.手前に御殿場線が走る丸山の左端下がjr御殿場線の東山北駅があり.右上の浅間山の下.当たりが山北駅になる。右下は東名高速道の滝沢川橋. 山はその架橋下を潜り.県道から駅前通りを進み山北駅にでている。丸山の縁沿いを回る白線が国道246号. 箱根連山北部の展望 右上は愛宕山・・位牌岳.御前岳手前は高松山西尾根(人遠尾根)の465m圏峰 箱根と富士の展望に優れている大野山.三等三角点標石.723m.基準点は「大野山」. 富嶽の下裾に鷹落場819mが立ち.富嶽の右肩に乗るのが三境の三国山1343m。その右手.中央が甲相尾根に乗る2つのコブ. 左が鉄砲木ノ頭1291m。更に右を見ると重なる駿相尾根に乗る湯船山.続く先は不老山928m。 高松山の頂を隔てるオオタ沢の先は高松山西尾根。その裏側に隠れる大きな低山は大野山723m.乳牛育成牧場がある。 高松山.ビリ堂.ヒゴネ沢乗越との分岐.14:48高松山の西峰と東峰を結ぶ尾根中間の分岐 高松山から戻り.分岐からはビリ堂へ左に折れ.尾根上に窪む掘り径を下る。 溝沿いには落葉が重なり合う樹林帯を抜け.右手の山腹を大きくジグザグに切り下り始めるとチェンソーの音が真近に近ずいてきた。 前方真下に2人の木こり.若さから見て営林署署員だろう。登山道の右脇で中木林の間伐をしていた。言葉を交わすには少々離れていた。 南尾根に乗り擬木の階段を下る。足元は一歩一歩溜り気味の下りになる。足が疲れ.できるだけ脇の足場を取るが 以外と長く感じる下りが続く。これだけ整備されていながらも.その後が悪い。林床は荒れ.落葉でぬかるみ.登山道は途切れ. 木の根の露岩した場所に突き当たっている。ただ短く,尾根筋を進めば登山道も落ち付き.ビリ堂にでた。 ビリ堂 2体の馬頭観音が安置されている.15:07ビリ堂 下り着いた所が638m圏コブの北東側小コブの北側にある窪地。大木を神木にとなえ.2つの馬頭観音が安置されていた。 右側の観音さまは文化10年(1813年)に尺里の人々が近村の人と協力し.村内安全.五穀豊穣を祈り建立した12体の8番目の観音像。 左側に添うよう並ぶ観音さまは明治期になり.改めて一体が祀られたものになる。 花女郎道 ビリ堂の現地案内板には「ビリ堂は東方面の観音沢と西方面の太田沢の尾根筋に位置している。このハイキングコースは 「昔から花女郎路といわれ.山北.ビリ堂.高松山.ヒネゴの頭. 遠近沢と割沢の尾根筋を通り八丁集落に通じる路であった。」とある。 後半の尾根は高松山西尾根になる。 「花女郎路」は嫁取りの道として山間地と平地との往来が過ってあったといわれている。 「・・西丹沢に入る昔の道も例外なく尾根につくられていた。 ・・山北から神縄.玄倉.中川の各村への道は山北から共和村を通り.大野山のイヌクビリ峠を越え神縄村に至っている。 ・・玄倉から山北への道は尾根伝いに共和村にでている。地続きの縁で嫁に行ったり貰ったりして.今でも親戚が多く花女郎道ともいわれたそうだ。」 直接人遠に出るのは富士見台から高松山西尾根(人見遠尾根)ルートがある。 又ビリ堂を経ての道とは道筋が異なるようですが何本かの花女郎道があり.山間地へ花嫁を向かい入れる道の総称かもしれません。 観音さまの左手にジャグチがあり.ヒネルと水がでた。「消毒していません!」の注意書が添えてある。 ビリ堂の「ビリ」とは「どんづまり」.「最奥」を意味する。 南尾根との分岐 左.が南尾根の登山道と右手.南西尾根との分岐.15:25径路への分岐 ビリ堂からの下りは南尾根の左山腹(東側)を綴る道。樹林の茂みで見ずらいが左前方の山腹に林道尺里線の支線が見下ろされた。 その先でに「尺里1時間10分.ビリ10分.高松山40分」の道標が立つ。638m点峰の南側分岐.標識の裏に638m圏コブに繋がる踏み跡が残されていた。 そこから僅かに南尾根を下ると道は2つに分かれ.直進する南尾根は尺里地区へ.右手の一段高い横道は西側山腹道を進み山北地区へ至る。 私は先程の説明通り.「花女郎道」の道の1つとして.登山道を分け.右の山径(旧登山道)を踏んでいる。道標類はなかった。 斜陽を浴びる.15:27日陰の登山道分岐から638m圏コブの南側を巻く南西尾根の南面山腹道に入いる。 暫く自然林を進むと杉の植林地の境の中に入り.急に明るくなった。西日はオレンジ色の斜陽した陽光を所かまわず照らしだした。 今3時半.眩い陽射しは日没の時間を考えるともう少しの勢いだった。 下草が現れる.15:37落葉に埋まる斜面は下草の茂る緑の山腹に変わり.木洩れ日との調和が歩む私の心に豊かさを感じさせている。 作業径路は気持ち下り気味の緩やかな平坦さで山腹を巻いていた。根這いがあるものの歩き易い。 この径路沿いは「大.中.小」等の木の屋号が点々と幹に白ペンキで記されている。私有地の山林のようだ。 山懐に浸りつつ下っていると間もなく.人が住むのか? 最奥の人家の建つ平坦地にでた。 民家のある420〜440mの巨大な平坦地にでる.15:39杉の植林帯を抜けると古くひび割れが目立つ簡易舗装の車道にでている。右手全体が広場の平地を創り. 資材置場に数件の民家が建ち並んでいた。人は住んでいるらしくもある。ポストを覗くも地名は分からなかった。 夕日を浴びる水源林管理道.15:42 古い簡易舗装と土道の分岐を振り返るジグザグに急斜面を下り.緩んだ所.430m付近で右後方から水平な林道と合わさった。 振り返えると「不法投棄取締中」の看板がある分岐と合わさり.左前方に下る土道の林道はオオダの沢へ下っている。 この先からは全く平坦な台地になり.尾根幅も広がりを見せ.道幅3mほどの管理道が綴れてていた。 右側は樹林のジャングルだが左脇は開かれている。突然茶畑が現れたが手入れされぬボウボウさ。背丈に迫る勢いで絡み合っている。 又他にはこれ又.背丈を越すススキの原が続いていた。 滝川林道終点手前で水源林管理用径路 一度は鉄塔巡視路の取付き地点が左から合わさるのを見て.直進した。路面は新しく敷き直されている。 途中でこの道路の用途を示す看板が路肩脇にあり.「水源林管理用径路」とあり.関係者以外立入禁止を謳っていた。 淡々と管理道を歩んでいるうち.2つの考えが頭に浮かぶ。1つは道路が4mにも広がった立派な舗装道路。 この間々.山北へ下ってよいのか?もう1つは滝川源流のツメを目の前にして戻るべきではなかと。 日没が迫り.食事にまだあり付けぬものの.巡視路口まで戻る気持ちが湧き始めている。 如何したらよいか.歩きながら考えるもよく分からなかった。何時ものことだが歩む足が先を決めている。 尾根末端まで予定していたが諦め.滝沢源流手前から引き返している。田代幹線の356号鉄塔へと戻っていた。 戻った田代幹線鉄塔巡視路分岐点 ![]() 戻り右折すれば広い巡視路へ.16:06 南西尾根の鞍部.尾根上の3mの破線と滝川林道の終点とが合流する地点。地勢図にない北側の踏み跡が交わる十字路。 その手前カーブを終える地点から平凡な舗装道路を逃れ.再び鉄塔巡視路の取付き地点まで引き返している。 戻ったT字路の右道路脇にあった四角い巡視路標板には「sc代,367とあり.追加して366」とある。 道幅3mを越す田代幹線鉄塔の巡視路取付に入ると直ぐ視界が広がり.田代幹線357号鉄塔と356号鉄塔を私の両脇に見上げるようなった。 田代幹線357号鉄塔 左脇・・広い車道の巡視路の356号鉄塔との二俣で.16:08まず二俣左手に夕陽を浴びる357号鉄塔を見上げている 右脇に望んだ356号鉄塔.16:10現在の田代幹線は早川第3発電所から新秦野変電所を結ぶ年代の入った古い154KVの送電線。約420基.昭和02年完成. 山間部は不老山や大野山の裾野を通っている。新秦野変電所から電線路を引き継ぎているのは 東秦野線→秦浜線→北浜線→島崎線→川崎変電所まで接続されている。 明神山と長い裾野 2つの鉄塔間より北西方面.16:09右上に延びる尾根は地蔵堂コースの乗る尾根.尾根上の小さな鉄塔が田代幹線361号鉄塔。中央の小コブは浅間山. 左下の国道246号線の楠口橋に大野山の登山口がある。更に左へ15分ほど歩くと御殿場線の山北駅にでた。 これから日没を過ぎた山北駅に下山することになる。 巡視路二俣 戻って右手に折れ幅3mほどの巡視路に入ると直ぐ二俣になった。左肩の高台に367号鉄塔を見上げ.右手の366号鉄塔の間に広く視界が開かれる。 酒匂川と支流皆瀬川河口の丘陵を隔て.中央に鳥手山の大きな裾野が広がりを見せ望まれた。 足元のカヤトは洛陽の最後の陽光を浴び.玉金色に輝き棚引いている。足元下の滝川の谷間は帳を迎えていた。 手前の左岸にチラッと見える枝尾根の手前に延びる斜面に旧巡視路が延びている。そこを下ることにした。 時計の針は既に16時09分を指していた。右手の旧巡視路は既に木蔭に落ち.影の造形を周りに映し出している。 旧巡視路を下る 巡視路を右手に取り.直ぐ左脇の266号鉄塔を過ぎ.その間々旧巡視路を下ることにした。意を決し軽トラでも通れる3mほどの 簡易舗装の路面を下る。直ぐ背丈を越すススキが継ぎ目から茂り.その数は一歩下る毎に殖え.先を閉ざすようなった。 猛烈なカヤトの路になる。足元は舗装され硬く.安心感はあるが足元しか見定められなくなり.道筋のうねりは細かくカーブする下坂が続いている。 5.6回のカーブの後.右後方から同じ幅の道が合わさるも.先が見定められず下るのみ。視界は全面に被うカヤトのみ。 舗装された道は失われ.3mほどの道幅も失う。小径は直ぐ踏み跡をも失うことになる。陽はとっぷり暮れた。 まだ尾根幅は扇状に広がりを見せ.自然林から植林帯に入る。所々に左右に踏み跡があるものの平行し過ぎ.下る急斜面の足場は悪い。 早く尾根が狭まればと先々を見詰め下るのみ。やや尾根らしくなり.右寄りに尾根の起伏が起きるのを見付け下って行く。 旧巡視路の起点.滝川林道へ 巡視路→旧巡視路→ススキ藪→藪→間伐地.16:16 更に尾根末端へ.16:23植林と雑木の交互 枝打ちの放置された上に.杉の間伐材が丸太に切られ.重なるよう組まれている所にでる。そこを抜けると急斜面の岩屑混ざりを下っていた。 能率よく足場のよい所を探し探し.四っ這いで下り続けると次第に傾斜を緩み.尾根も狭まりだした。時間は刻々と過ぎ. それに合わせるよう荒れた尾根筋も延びている。私にとっては探索というより.ただ先へのルートの探究心がそれが又面白い。 樹林帯の急斜面に再び幾らか明るさが戻り.谷間が近いことを知る。扇状に尾根が開かれると下草が背丈を伸ばし絡み下ることを拒んでいた。 そして漸く抜けると林道の側壁に突き当たる。沢沿いの縁にでた。ここは植林帯で点としての植林の途切れを探る薄い踏み跡を見付けている。 高さ4mは超す壁が屏風のよう帯をなしているのが見下ろされた。裸土の林道が現れるも,如何見ても降りられない。 少しカーブ気味に下流側へ下り.再び見下ろすも連なる側壁が覗き込めるのみ。上流側に登り返し.ヘチを下る方が無難に思われた。 もう時間がなく大切だった。1分が尊く時計の針も闇に閉ざされている。ここではエレキでの行動はできぬと林道を見下ろし焦りがで始めていた。 今回は皮登山靴を履いてきた。確りした皮靴は強引な下りに安心感をもたらしていた。先々を見詰めると綺麗に間伐された 杉の立木林を見付け.そこを目指しヘチにでる。そこで赤テープを1つ見付けている。ホッとすると同時.土手を転げるよう滝川林道に降りた。 そこは複雑に蛇行する林道の高度250m付近。時計は16時38分を指していた。日は落ちた。 古い巡視路標柱 林道に下りた地点から程なく下流で見付けた「田代幹線」のポール出た林道から80mも下ると左手に赤錆びた本当に珍しく古い巡視路標柱を見付けている。「↑.田代幹線第 ・・」とあるが後は読めぬ。 林道の標柱から見ると側壁の上流側を進まず.下流側の切れ目まで進めば古い巡視路口にでた筈である。ただ踏み跡は分からないだろう。 獣道があったかも知れない。巡視路の取付きがあったことだけは林道の標柱で認められている。 地図から読む高松山南西尾根 先程から述べたように高松山周辺には昔から花女郎道として幾つもの道が開かれ.南西尾根も昭和40年代にはハイキングコースとして綴られていた。 国土地理院,昭和54年修正測量版地勢図.1/2万5千「山北」の幅図には638m圏コブ付近は破線路として途切れず.登山道としてなしていた。 道幅3mの作業道は大分昔から築かれている。638m平地からの山腹道も道標がないだけの確りした道だった。 先週購入した平成13年修正測量版の「山北」.標準地図ではこの3mの径路はまだ破線路として現されている。 そして638m圏コブ東山腹を綴る山道は破線どころか.そのまま途切れ失われていた。 現在の電子国土Webシステムを利用すると更に修正測量され.破線は実線になり.430mの北側の林道はオオダの沢(柏山沢)の沢近くまで延びている。 更にその上の平地はリアルニに描かれるも.ただまだ奥の平地からの山道は記載されていなかった。 新たに366号鉄塔巡視路が実線で記入されるようなった。ただ実線は大分南下し延びているが鉄塔を過ぎれば直ぐ藪又藪に変わり. 現実的には通行不能の路.描かれていないに等しかった。滝川林道からの巡視路は当然ない。 又林道末端の滝川林道と尺里林道を繋ぐ作業道も記入されていなかった。 滝川林道 ダートの林道(左岸道)にでる.16:38滝川林道 漸く林道にでる。後は緩い傾斜で細かくカーブ多い林道を左岸の谷間を縫い早足で下るのみ。 裸土の右岸の道は沢底も見えず.周りは陰り.平坦し過ぎて.一度Uターンするも方向が見定められなかった。再び鋭くUターンし南に下りホッとする。 谷間が狭まり始め薄暗い。時計を覗くと丁度日没を迎え.黄昏は闇の帳へと向かっている。速足で歩くのみ。 里が近くなりエレキを出さねばと案じた時.最後に大きく右にカーブるす地点の左で.枝沢にガッチリしたゲートに出偶した。 滝川林道の支線が入り込んでいる。閉ざされているが高松山南尾根上の農道終点に繋がれ.尺里(ひさり)沢沿いの尺里林道と結ばれている。 尺里林道は高松へ.又尺里峠を越えている。支流の高松沢沿いの支線は先程の高松山の下りで. ビリ堂付近で左に林道を見下ろしていた。高松山直下まで続いていると思われる。 舗装に変わり.送電線酒匂線が架かり.この先で右岸に渡ると漸く林道沿いに家屋が並び.直ぐ途切れれ滝集落を過ぎている。 送電線酒匂線は峰発電所から駒沢変電所を結ぶ66KVの送電線。大正02年と古く.長距離送電が始まった当初の送電線。 西丹沢に入る嵐発電所からも受電している。 右脇の鉄塔は送電線田代幹線からの分線駅へのアプローチ 日没を過ぎ左岸沿いの里道にでて.人家には灯りが点りホッとする。尺里西集会所前で蜜柑を積んだ軽トラに出偶わし. 先の道を尋ねた。jr東山北駅と山北駅とのほぼ中間地点で東山北駅の方が距離的には少し近いらしい。 谷間が広がりを見せ.帳が迫る中にも明るみを見せると東名高速道の橋桁高い滝沢川橋が集落を跨ぐよう見上げらた。 高架を潜ると尺里地区西側の街並に入る。そして山北中学校前を過ぎる。 勝沢橋からは左岸沿いに変わり進むと県道76号線にでる。朝方の路線バス路. 左折すれば真横に尺里川.尺里橋があり.渡ればバス停「高松山入口」と登山口の道標が立つ。 入山すれば農道終点から尾根を登れば先程分岐したビリ堂の尾根を詰めて高松山のカヤトの頂に立っている。 又尺里林道に入り.尺里峠(第六天)越えて虫沢地区から虫沢林道へと繋げれば林道秦野峠にもでられた。 十字路を直進すれば国道246号線にでるとjr御殿場線が横切っていた。地図を読むと正面が丸山252mだろう。 ここで再び運よく若いランナーと出会い.駅への道を尋ねている。彼は少々長くとも山北駅の方が.この夜道では分かり易いと勧められている。 右折して県道に入り滝沢橋を渡り直進すれば.そう掛からずして.遠くに見える灯りがガソリンスタンドの灯りで.道路の二又だった。 左に折れれば駅前通り。この辺は街路灯が乏しく.人家がなければ真っ暗闇になる所が多い。ただひたむら歩む。 そして明らんだ所が御殿場線の山北駅だった。西丹沢へ進む路線バスが朝方何時も寄る駅前広場だった。 又駅手前の県道沿いの交差点を渡れば.南西尾根の末端の造成地が広がっている。 17:25jr御殿場線山北駅=17:42小田急新松田:47=19:10jr新宿 jr山北駅 jr山北駅に着くと同時.小田急新松田行路線バスが広場に入ってきた。まだ改札口の時刻表を見る間もなく現れたバス。 数分前に上りか.下りか分からぬが列車が通過する轟音を聞いている。上りだと更にこの無人駅で30分待つことになろう。 地元の夫人と共に一人も乗車していないバスに乗り込む。ちょっと名残欲しい御殿場線を諦め.バスは闇の街道を新松田に向い走る。 バス停前のポスターによるとjr御殿場線は今月12月1日を持って80周年を迎える。その為jr東海では記念として各種のイベントやお知らせがあった。 私が初めて冬富士に入山したのが昭和40年12月. その時国鉄御殿場線を利用意している。それ以来で.乗車すれば48年振りになる。 地形図「山北」.山と高原08「丹沢」. 玄倉から日影山北西尾根を詰め゙プッシュ峠・886m点コブから幡野峠分岐 林道秦野峠から高松山北尾根に立ち.新秦野線29号鉄塔から西ノ尾 ヒゴネ沢乗越から高松山南西尾根からビリ堂.南西の経路から田代幹線357号鉄塔.旧巡視路を抜け滝沢林道へ・・jr山北駅 |