| 倉沢谷流域概念図 奥多摩.奥秩父東部概念図 日原川倉沢谷 2015年09月05日. 横篶尾根を周回・・見通尾根から倉沢谷右岸歩道から幕岩南東支尾根―ハンギョウ尾根中腹道を経て小川谷左岸水平歩道 2018年12月08日. 小川林道クラミクボを遡り支尾根から板形尾根―三ケドッケ山腹道から横篶尾根を下り見通尾根 2015年04月27日. 倉沢谷林道から右俣長尾谷左岸歩道を経て左又窪右岸尾根―棒杭尾根から左俣塩地谷に回り込む 2016年04月16日. 棒杭ノ頭南尾根から蕎麦粒山鳥屋戸尾根を周回―松岩ノ頭松岩尾根から山伏沢を経て川苔山登山口 2016年12月03日. シオジ窪右岸尾根から鳥屋戸尾根を経て神庭尾根を南下―諦めた里の白妙橋右岸歩道と平石橋左岸歩道 2021年11月06日. 倉沢bsから倉沢谷右俣.長尾谷右岸歩道を経て浅間前窪右岸尾根―仙元峠仙元尾根を下り秩父浦山大日堂 参考として・・倉沢谷右俣の長尾谷の各支流の沢名はHP「樵路巡游」氏の古地図を利用させて頂きました。 奥多摩明細図(東編)とは「左又窪」が異なり沢が1本ずれて名付けられています。棒杭尾根の1360m圏に突き上げる尾根の出合は 970m圏の作業終点付近の二俣980m圏から延びる尾根で.又窪右岸尾根は浅間前ノ窪との出合からの棒杭ノ頭南尾根。2021.10訂正. 新緑の倉沢谷右俣から背稜の長沢脊稜の棒杭ノ頭に立ち.棒杭尾根から左俣へ回り込み.魚留橋に戻り周回する。 倉沢谷林道から右俣長尾谷左岸歩道を経て左又窪右岸尾根―棒杭尾根を下り左俣塩地谷から二俣に戻りよう周回する 2015年04月27日.松村 倉沢林道起点から右俣長尾谷の右岸歩道・・ICカートの差額 左又窪右岸尾根から長沢脊稜へ 棒杭尾根を下り左俣塩地谷を下り二俣へ 久し振りの奥多摩. 初めて日原川左岸の支流倉沢谷流域に入る。林道に入るも登山道はない。 常に日原へ出向くバスの車窓から見詰めるも.降りるハイカーの少ない谷間だった。鳥屋戸尾根と横篶尾根とに隔てられ.源頭は都県界尾根に接している。 V字状に狭まれた中流の倉沢谷には中間尾根の棒杭尾根が延び.長尾谷と塩地谷と2つの流域を隔て. 尾根伝いには.過って秩父に抜けている。古道が綴られていた。今は水源林巡視路になっている。 右俣の長尾谷は石灰岩質の沢で構成されていた。直登可能な小滝が多く.奥多摩の沢としては珍しく山葵田が皆無で.それでいて両岸は明るく開かれている。 又仕事道は山腹の崩壊が甚だしく脆い。源頭部は崩れ荒れ果てた間々の自然の姿が望まれ.蕎麦粒山に突き上げている。 左俣のツメは三ツドッケの一杯水沿いに延びるのが塩地谷。゙ッルジュ帯から始まる中流から広く開かれ.シオジの川畔林の緩やかな台地が中流にある。 今回は初めての入渓で.倉沢林道沿いに右俣へ入り込み.長尾谷右岸歩道を最後まで綴り.左俣窪右岸尾根を詰め.棒杭尾根にでて棒杭ノ頭に立つ。 この尾根は林道に繋がる左岸歩道終点の「奥多摩区分11/10」班界標から更に.左又窪出合まで荒れた大地が続き.面白いアプローチになっていた。 支尾根筋自体は踏み跡は薄いが危険なガラ場もなく.ツメ近くの棒杭尾根に乗り.長沢脊稜にでている。 復路は棒杭尾根を下り.途中から水源巡視路を使い.棒杭尾根から分かれて塩地谷に入り.林道の魚留橋に戻っている。 実行前までは後半はカロー谷中腹歩道を取り.左岸歩道から日原に下ることを考えていた。 だが倉沢谷左俣に入ればシオジの森が開かれ.若葉溢れる谷間が広がりと1つの谷間で二俣と2つの異なる春先の渓相を味わうことができる。 その好奇心にくすぐれられながら左俣に入っている。初めての流域で調べれば調べるほど歩む先に.悩む未知の世界が開かれていた。 以前は蕎麦粒山南山腹道分岐下から広く扇状に開かれた川乗谷源流の蕎麦粒山寄りに下り.狭く切り立つ桂谷に入渓している。 奥までモノレールが走り.急峻の狭い谷間は驚くことに山葵田の段丘で埋め尽くされていた。石灰岩でも硬い地層を思わすが脆い地形だった。 愛宕山と鞘口山に突き上げる九竜山江戸小屋尾根 jr奥多摩駅前広場のバス停より.7:37駅前のバス停車場と懐かしい食堂「丸花」.電柱には「柳小路」とある 道のルーツを探る旅 長沢脊稜へのアプローチとして日原街道から倉沢林道.長尾谷右岸歩道を歩み.薄い踏み跡から今だ入ったことのない尾根へ期待を膨らませる。 標杭もなく.全てが手探りで踏み跡の薄い尾根を詰め.棒杭ノ頭を目指し.下山は昔の参詣古道から今は猟師の道.棒杭尾根を下り. 棒杭尾根からは左俣の水源巡視路に入り.塩地谷に回り込み幕岩尾根の末端にでて.往路の倉谷林道に戻る形を取ることにした。 下調べで如何にか出向ける目星が付き.周辺を調べる内に谷越をするより.倉沢谷を周回する方がよかろうと云う考えに変わっている。 時間を歩むのではなく.時間の流れを刻み歩む。その方が私に合っているのかも知れない。まずは現地に入り. 長尾谷右岸歩の道終点まで辿り着けるかが問題だった。それから先はその場で考えることにする。 日原街道桜平付近.8:27右手の岩壁が広く扇状に広がる神庭(かにわ)尾根末端の側壁 4月27日(月)快晴 jr御徒町5:00=5:14神田:16=6:08立川:10=7:28奥多摩343m.西関東バス.日原鍾乳洞口行8:10=8:30倉沢bs. 平日の神田駅,7時12分発の中央線と次の電車との間には乗り換えを含め.奥多摩駅の到着は26分ほどの違いがでている。 早めに奥多摩駅に着き駅舎前にでると広場前は小学生の通学時間帯と重なっていた。多摩工業に向かうダンプやトラックの往来が激しい。 交通安全週間に入り.駅前の横断歩道には若い親達が黄色い旗を持ち.通学の子供達を見守っている。 バスの時刻塔の下段に川苔山登山口から川乗谷コースの迂回路のチラシが張られていた。 細倉橋から分岐への1/3程入ったウスバ尾根北側で橋が流され.林道へ大きく迂回する処置が示されていた。2014年7月18日とある。 更に遡ること2年前の5月に秩父大平山に登った折も.前日の豪雨で橋が流され.川苔谷からの登山は通行できぬと告げている。 月日が経ち別の災害と思われるが同じ地点の難所だと読み取れる。好天ならば流心は細くなるがそれでも渡渉できない所なのだろうか? スイカのマイナス料金 次の電車を待って発つ鍾乳洞行路線バスは到着と共に急に座席が埋まり.立席が多いなか発車した。川乗橋で2/3が下車. その後バスは神庭尾根(かにわ)の末端を回り込み.倉沢橋を渡り.日原トンネル手前の倉沢バス停に.私一人を降ろしている。 日原への道中で.このバス停は降りても常に1人か.2人。それ以上は過って見たことはなかった。山と高原地図には赤線で引かれる登山道はない。 今回は新車の路線バスに変わり.料金表は現金とICと両方が示され別々に提示されていた。 日原鍾乳洞路線ではICと現金は倉沢だけが同額で.他のバス停は全て現金より1円.マイナスに表示されている。 切符は消費税計算後の金額を10円単位で四捨五入している。ICカードは1円単位で四捨五入していた。 ICカードの端数が4円以下なら切符の方が安くなり.5円以上ならICカードの方が安くなる計算になっている。 この法則はまだ幹線と地方交通線だけだが.大都市近郊区間と山手線は両者とも切り上げなのでICカードの方が安くなっていた。 倉沢橋と倉沢のヒノキ 倉沢谷出合に架かる倉沢橋は橋桁下61mあり.都内に2000強の橋数のうちで.最も高い位置にある橋だそうだ。 何度も通っているが初めて知ることになる。見下ろす谷底は首がくびれるほどの深い。 谷底の樹冠は溢れるばかりの若葉に満ち.朝日を透し.春先らしき淡き色合いを谷間一杯に現わしている。 倉沢バス停前は倉沢林道の起点でもあり.その左脇が滝入ノ峰見通し尾根の末端になるっている。その擁壁に「倉沢の大ヒノキ」の 小さな案内板が付けられていた。25分ほどで尾根末端に立つ大ヒノキに出会える。自生としては都内最大のヒノキ. 地元では伝承1000年.「千年の大ヒノキ」と呼ばれ.実際は600年ほど。胸高6.3m.樹高34m. 地上5mのところで9本の巨枝が支幹として分枝している。1987年東京都の天然記念物として指定され.避雷針が設置された。 倉沢谷右俣長尾谷から長沢脊稜へ 林道倉沢線の起点 バス停から魚留橋まで倉沢右岸道を綴る.8:31倉沢林道,長尾谷右岸歩道 8:30倉沢bs一8:39宮下橋一8:51八幡橋(はちまん)一8:57鳴瀬橋一8:22魚留橋一地蔵橋 一9:41棒杭尾根末端分岐一9:50シオジ窪出合:55一10:17朽れた橋一10:54左岸歩道終点. 倉沢谷は一杯水.蕎麦粒山の水を集めた塩地谷.長尾谷が合流し.日原川に南下する沢で.中流部は水量も豊富で楽しい沢歩き。 本流の出合付近は過って奥多摩最難の悪場と云われた「マイボーズの悪場」を見てからになる。 流れに研かれたゴルジュの中を下っていくとS字状の豪快なナメ滝に出合う。引き返しで上流へ。 バス停から倉沢谷右岸沿いの林道に入り.直ぐ2つ目の林道標識を見ると簡易舗装からダードの道に変わる。 ゲードは構えていなかった。珍しく「野鳥の密猟禁止」の看板を見ると直ぐコンクリートの宮下橋を渡っている。 ここから電灯線は途切れ.左上の高台へと旧倉沢の廃集落に上っていた。この架線下の林道山側は長い露壁が続いている。 倉沢林道 都営林道倉沢線の起点は都道204号.日原街道の倉沢橋上流西詰で.終点はシオジ窪出合に至るダートのピストン林道。一部舗装あり. その先には長尾右岸歩道が続いている。林道の途中には倉沢鍾乳洞がある。今は閉鎖されてをり.林道の道中にも建物類はなくなっていた。 林道には6つの橋が架かり.車両は路面の崩れる4つ目の魚留橋で通行止。その先は崩壊し落石多く荒廃している。 鳴瀬沢鳴瀬橋.8:56鳴瀬橋 支流八幡沢八幡橋を渡ると6分ほどで鳴瀬橋にでる。渡った左正面が横篶山幕岩尾根の南東支尾根の取付き地点。 踏み跡が尾根を登っている。橋を渡った右角には小広く.車が1台悠々と停められる平坦な空地があった。 脇に「氷川漁業入渓券・・」と「たきび禁止」の警告板と標柱が立てられ.河原が近ずくと谷底への高度差は次第に落ちている。 この辺から釣人は入渓し.楽に谷底へ下りられる。「奥多摩西編.登山詳細図」2014年11月30日発行の「鳴瀬橋」は橋名が間違い. 右岸の支流.大幡沢に架かる「大幡橋」が正しい。 鳴瀬橋を渡った左手が南東支尾根の末端旧倉沢谷の集落から続く左岸の作業道を綴ると藪絡みの踏み跡続きに南東支尾根に乗り.横篶山幕岩尾根と合わさる。 右岸を綴る林道.9:12暫くして林道は整然とした杉の美林の中を縫う。ここだけは簡易舗装され.陽射しが斜めに陰を創り. 人工的なものでも見ていて癒される所。やや傾斜が増し山側に露岩が現れると路肩に1〜2mの石積みに変わり. 右前方の若葉茂る渓谷には5mほどの源五郎滝が見下ろされた。 源五郎がこの滝に落ち命を亡くしたことから名付けられたとか。大きな1本の流れが青々した滝壷に落ち. 倉沢では一番.大きな淵をもっている。続く流心を見ると小陣まりしているが見飽きぬ風景で.更に奥へ小滝を連続させていた。 谷間は奥へと廊下を築いている。 倉沢鍾乳洞 9:14細い中流の廊下上の壁穴 対岸の露頭岩壁.岩の中に鍾乳洞がある 倉沢鍾乳洞 程よく進むと対岸に切り立った石灰岩の露頭岩壁がそそり立つ。洞口があり.総延長は約1400m.三層構造で無数の枝支洞があるらしい。 洞内は松明に導かれ,焚からた護摩のため洞内は煤け.壁面は焼け黒ずみ.観光地としてはJRがまだ「氷川駅」と名乗った時代に遡っている。 洞口に橋と東屋があったようだ。今は「洞内事故発生時の補償問題」のため入洞は禁止にされていた。 今日現在,奥多摩の鍾乳洞観光としては日原.大増.大岳.三ッ合の鍾乳洞があり.大増は先程バスで通過した小菅の集落前の街道脇にあった。 2013年7月,タワ尾根篶坂ノ丸を周回した折.日原鍾乳洞と倉沢鍾乳洞について供述しているが共に上野の寛永寺の支配下にあったとのこと。 江戸時代の頃には倉沢鍾乳洞の倉沢大権現を祀り.山岳信仰のメッカとして.参詣者が多く見られたという。上野山の下に住む私の散歩道. 秩父方面から仙元尾根を越え.棒杭尾根や横篶尾根にある見通し尾根を綴る古道を綴ると旧倉沢の集落に入っている。集落分岐の少し先. 尾根伝いに「両替場のブナ」と呼ばれるブナがあり.参拝のため小銭に替える便宜を払う所があったと言われるほど賑やかだった。 幕岩 左側の岩壁は幕岩尾根の末端.9:16「奥多摩」宮内敏雄著では幕岩尾根の幕岩について「横篶山から南東に続く小尾根はその先端に見事な山骨を露えわし. 遠くから眺めれば幕を張ったように見えるので幕岩という」と紹介されている。 地形図「武蔵日原」では幕張尾根と南東支尾根の挟まれた尾根の間に東西に連なり. 岩記号があるのが幕岩になる。東側に突き出した末端が河原沿いの林道の擁壁にもなっていた。 露頭岩壁真下の倒木に覆われた谷底露頭岩壁下の谷底は崩れ落ちた倒木帯. 降雪や降雨により風化され.沢沿い自体が崩壊地化したと思われる。 左上は上部神留橋からターンする倉沢林道の山腹道が横切っている。石積み堰堤へ戻りよう進み.更に更なるヘヤピンカーブで上流の地蔵橋へ。 倉沢の谷底を埋める倒木の山 右手に魚留橋を見て手前の広場.9:22右に折れる倉沢林道はここで行き止まる。右脇に魚留橋で左岸に渡るが路肩が崩れ,沢底を覗かせる穴を持つ崩壊の凄まじさ。 足元の路面は沢底へ深く抉り落ちている。荒れ狂った林道は更に八丁沢付近で崩れ.先は更に道形を失い変貌している。 又魚留橋手前にある広場の左端には左俣塩地谷に入渓する水源林経路へ続く木段があった。 新緑の愛でる深い斜面から高台を上げた山腹台地にでると横篶山幕岩尾根へ取付ける地点にでている。 周りは青葉の美しい樹葉で埋め尽くされている。このまま山腹を右岸沿いに巻き込めば桟橋を3つほど渡り. 塩地谷支流の茅尻沢(シオジクボ)に遡る。私はこの先.長沢脊稜にでて秩父側の細久保谷流域を見下ろしてから 下山は棒杭尾根から茅知り沢を渡り.この広場に戻る。 倉沢谷の苔むしる魚留橋魚留橋の対岸は山陰の薄暗い樹林に被われ.橋上は覆い被さる樹冠の隙間から抜け出た日射しのシャワーを浴びている。 見上げると眩いばかりの逆光に飛び散り.まつわりつく陽光が1つの光線を描き.淡い色彩に交じりに.神々しいまでの光が放されていた。 この先は二輪車も通れぬほど荒れに荒れた林道は道形を失っていた。 通行止めの印は魚留橋にあった赤いコーン1つのみ。左側橋手前の道床は川底まで抉り落ちていた。 二段の魚留ノ滝 左脇の魚留橋上より.9:25豊かに流れ落ちる筈の水量は4月の下旬とは言え.初夏を思わす暑さが連日続き.流心を更に細めているようだった。 塩地谷の遡行は林道の高みへと回り込み.地蔵橋手前のこの滝上からの二俣から始まっている。 又左俣に入る木段からは右岸の茅尻沢出合へ綴られる。 八丁沢出合 ヘアピンカーブを過ぎ荒廃した林道から始まる右俣長尾谷は日原川水系の特長的な石灰岩質の沢で.直登可能な小滝が多い。 奥多摩の沢では珍しくワサビ田が皆無で.両岸は明るく開け景色もよい。源頭部が崩壊して荒れている他は.すっきりまとまった小渓である。 蕎麦粒山への静かな登路としてもっつと歩かれてもよいのでは。 塩地ノ頭北西尾根の末端 尾根の末端のトラバースは点々と落石の跡露頭岩壁脇でヘアピンカーブで曲り込むと倒木に枝絡む茂みが林道を塞ぎ.又落石に塞がれていた。 標柱には「落石注意」ではなく.「路肩弱し」とあった。右上の木段は鳥屋戸尾根に乗る塩地ノ頭北西尾根の取り付きだろう。 又林道終点前とシオジ窪出合にも二又に分かれた取付きがある。 長尾谷地蔵橋・・橋の左下が二俣750m林道の手前の路面に橋桁が崩壊した林道。地蔵橋前で路面の2/3ほどが没落していた。橋桁下.左手が倉沢谷の二俣になる。 左俣が塩地谷で倉沢出一番大きな落差を持つ地蔵滝があり.橋を渡った右岸がから長尾谷に入る。 右俣の長尾谷右岸道 下流を振り返り.正面が倉沢谷二俣正面が地蔵橋.その先の明るい谷底が二俣。長尾谷に入り両側は岩壁で隔てられる。 振り返る左手が鳥屋戸尾根.塩地ノ頭北西尾根末端でになり.右手が脊稜からの棒杭尾根の末端になる。 この背後から谷間は河原状に広がり.林道は左に大きくカーブしている。 上流側左にカーブする林道筋の右角に小平地があり.壊れたトタンが残されていた。番小屋でもあったのだろうか? 棒杭尾根の末端 右に分かれる高みは県境に登る.棒杭尾根の取付き分岐.9:41棒杭尾根の山径を左に分け.右手の崩壊し狭まる林道伝いに長尾谷の谷間に下る。 棒杭尾根は仙元尾根を通り.富士講や一石山参拝に.交易にと栄えた古道でもあり.今は水源巡視路と兼ねている。 棒杭尾根はほぼ真北に長沢脊稜に向かい延び.棒杭ノ頭1449mの1つ西側の1440m圏コブに突き上げている。 棒杭ノ頭に突き上げているのは棒杭ノ頭南尾根で地形的には左岸歩道終点付近の二俣から登る左又窪左岸尾根。 今回はこの尾根を詰め.脊稜に出てから棒杭尾根を下り水源巡視路から倉沢谷の左俣に回り込んでいる。 林道ツメの廃道化 林道痕跡が残る倉沢林道分岐先は道形が更に崩れ.広く緩やかな起伏に埋められれ帯状に綴られていた。林道は崩れ道形は全く失われている。 右手に長尾谷右岸沿いに入ると「山火事注意」の看板があり.林道を進むと「カモシカ保護地域」の標柱が倒れ地面に置いてある。 この先が50mほどで渡渉して塩地ノ頭北西尾根の取付きがあり.西側末端に出ると倉沢林道の終点に突き当たる。向かいがシオジ窪. シオジ窪 シオジ窪から上流側を望む林道と繋がる長尾谷右岸歩道の起点.古い桟橋が転がり真新しくなった桟橋が目立つ。 林道終点 林道が終わる左手のやや高みに.四角い柱で作られた古い林班界標が朽き倒されていた。確りした太い柱を利用しているものの. 上から下から自然と崩れ落ちた形で3つに裂け.放置されていた。上下の部分は見付からなかった。 読むと「日原都有林 十一林班5 ろり班 」.「昭和二十五年度 植栽 面」とあり.映像を修正して如何にか読み取れたている。 ここは林道の終点で.長尾谷右岸歩道の起点になり.本谷右岸に並ぶ木抗が長尾谷を遡る右岸径路になっている。 中央の木段を下れば倉沢谷に降りてシオジ窪の出合に入る。更に本流の左岸道に入れば鳥屋戸尾根に乗るシオジ窪右岸尾根とも繋がれていた。 又シオジ窪を二俣まで入り.右俣から脆い中間尾根を詰めれば塩地ノ頭に直接立つことができる。上部に石垣らしき跡が見られるらしい。 シオジ窪出合 出合中央に林班界標「11/10」が立つシオジ窪出合 木橋を渡った右側の尾根は末端から鳥屋戸尾根にでて.塩地ノ頭に至る塩地ノ頭北西尾根(シオジ窪右岸尾根)に乗る取付き。 見た目より柔らかく優しい陽光にシオジの谷間は映しだされている。 仰げば緑濃い樹林は高木のせいか谷底の明るさが何とも云えぬ空間を創っている。日が経つにつれ樹葉は谷間を埋め尽くし陰満ちるだろう。 そして若葉が密れば時と共に盛夏が訪れ.シオジの深い樹林に谷全体が覆われ.春とは異にする風通しのよい高木のクーラー帯が創られる。 シオジ林の青葉 シオジ窪出合長尾谷右岸歩道 林道から木杭伝いに左岸歩道へこの先は下調べではよく分からなかった。シオジ窪の沢底に下りず.右岸歩道が途切れるまで進んでみることにした。 何処まで続くか分からぬ作業道が右岸山腹に確り刻まれ綴られていた。先は所々で改修もされている。 それ程間を開けず.右岸の山腹道で結構な高巻きは谷間との高度差を生み次第に谷間は狭まりを見せている。 谷底の大石に一人の男性が坐っているのが見下ろされた。以外と高度感はがある。トイレか? 何をしているのか仕草は分からなかった。偶然目と目が会い笑っていたがその後.出会うことはなかった。 長尾谷核心・右岸の岩場 右岸は屏風壁.隔てる右手は大きな露岩の岩場右岸が屏風状で横切れず.一度谷底に降り.左岸に回り込む 木杭,石積みに守られた渓谷は岩場へと移り.谷間が狭まると正面右岸の側壁は垂直に滑り落ちる岩石群に突き当たる。 屏風を連なれた側壁で完全にルートは失われ.前方が切れ落ち望むべき岩壁はハングしている。踏み跡どころか窪溝を造る隙間さえ得られず。 右俣長尾谷の左岸移動地点 木橋があったが流されている高巻きは相当手前まで戻らなければ無理. 先を閉ざす正面岩壁の右手のザレ場から容易に長倉谷の沢底に降りられた。 ここには以前木橋が架けられていたと云う。その残骸は何1つも見当らなかった。大雨の時に流されたのだろう。 長尾谷左岸の岩場 右手の窪地が小沢口から高巻く 小沢口からの高巻き地点水量が乏しく飛び石伝いに左岸へ。斜め上流側対岸には小沢が入り込んでいる。左岸も大きなスラブが壁をつくり. 横切るのは難しい。小沢の沢底を詰め.そのスラブを高巻きして.難場を抜けることにした。ここは遠回りに赤テープのマーキングがあった。 朽れた桟橋 ![]() 難場の岩場を高巻きし回り込むと今度は古い今にも落ちそうな木橋が架けられている。 橋桁の土台は岩盤の上に乗り.コンクリートで両側は堅く固められているが.橋床は半ばは抜け.踏み込めば見るからに抜け落ちる。 手前の橋端には枝木3本が並び「通行止め」を示していた。 ただ橋床はどうしようもない。橋の形だけを残した残骸があるのみ。見るからに渡ることはできなかった。 サンダルが何故か? 両岸に1足ずつ転がっていたのも不思議だった。ただ左岸のヘチの大巻きはこの先.土砂の崩れか? 楽に右岸に渡れている。 右岸作業道の改修された桟橋この後の右岸道は次第に確りした踏み跡になり.沢沿いからは少々離れ.高巻きで高度を上げるようなる。 割れ埋まる一升ビンを見て.急斜面の確りしたジグザグの径路を詰め.更に高度を稼ぐと真新しい短い桟橋にでて渡っている。 更に再び古い林班界標を見ている。そして左手から流れ込む支流の930m圏出合にでた。 ここでは棒杭尾根からの確りした作業道を合わせている。 左又窪左岸尾根末端.南側端正面の岩場から巻き道が続く.戻り谷底を歩む この支流の左岸沿いの作業道を綴れば棒杭尾根の半ばにでて.「奥多摩区分12/11」林班界標柱の立つ所にでられる。 午後は長沢脊稜の棒杭ノ頭の頂に立ち.引き返して棒杭尾根を途中まで下る積りでいる。その時.出合うのは同じ表示の標柱だった。 又この作業道は左又窪左岸尾根の末端南側にある伐採地跡まで続いているものと考えられる。定かでなが確りした径路に なっていのだろう。ここは又左又窪左岸尾根の扇状に広がる末端の930m圏出合でもあり.南側の出合に当たってもいた。 尾根の取付きは北側を回っていた。北側が取付きに出るには大きく沢沿いに回り込むか. 或いは高巻きして末端の植林平坦地を横切るルートがある。林班界標柱の手前で合わさっていた。 支沢に綴る確りした作業道に対して.本流の右岸経路は薄い踏み跡は間を空けずして.再び踏み跡らしくなった。 更に進み上写真正面の岩場を越す。すると巻き道は素晴らしいブナの森を潜ることになる。 ここは2度目の入渓で知ることになった。今回は本流側の谷底を進んでいる。 左又窪左岸尾根末端落ち口 巻き道手前の長尾谷やや高みの真横の巻き道から分れ沢底に下っている 一ヶ所あった立派な堰堤 後(次回)に巻き道に入り臨めたられた堰堤最終の「奥多摩区分11/10」林班界標 長尾谷右岸道終点970m.10:54日原街道,倉沢橋バス停で降り.倉沢谷右岸沿いの倉沢林道を繋ぎ.魚留橋からは半ば崩れた廃林道をシオジ窪にでている。 難路を含む右岸歩道に入り.右岸歩道の終点にでる。ここにはシオジ窪と同じ番号の林班界標「奥多摩区分11/10」が河原に立てられていた。 この直ぐ先が左又窪右岸尾根末端の二俣980mの狭ばった河原にでる。棒杭ノ頭1360m圏への左又窪右岸尾根の取付きはもう直ぐだった。 左岸歩道から左岸・右岸と踏み跡が続き.左又窪の出合にでて.左又窪左岸尾根の北方から取り付く。 倉沢林道起点から右俣長尾谷の右岸歩道 左又窪右岸尾根から長沢脊稜へ 棒杭尾根から左俣塩地谷を下り二俣へ |