| 日光周辺Top 技術山行To . 荒廃とした渡良瀬川松木沢ジャンダルム 荒れすさんだ.木一本育たない渓谷と岩登り 足尾銅山と渡良瀬遊水池 闇の足尾.巨大な砂防ダムを越え砂防ダム上で三俣になる , 右.左岸に入る久蔵川.中央が松木沢.右岸からは仁田之川 . |
| 松木沢トレーニングs42年(1967年)11月24〜26日 L松村進(3)sL竹永靖正(4).m工藤具明(2).大塚栄.斎藤吉男.関根利章(1) 荒れた山肌.後方は赤倉山 荒地の続く松木沢の河原 間籐⇔ダム―渡良瀬川本流.松木沢bc 11月24日.上野14:40=16:08小山.両毛線:26=17:52桐生.足尾線(jr足尾線→わたらせ渓谷鐵道)=20:42間藤:5 一21:43ダム:53一22:50松木沢.河原テ. 松木沢 日光白根山と赤城山を繋ぐ背稜のほぼ中間にある皇海山の東懐に松木沢がある。 足尾銅山の長い間の精錬が鉱山周辺の緑を失い.不毛の地は砂漠化させ荒廃とした大地に変えていた。 河原からは草木1本育たぬ荒涼とした山肌を覗かしている。 足尾 桐生より渡良瀬川沿いに遡った列車は,夕方には目的地,足尾に着くと思われたが, 交通機関の乗り継ぎが余りにも不便で.足尾線の旅客駅.終点間藤に着いたのは21時を過ぎていた。 闇のテントサイド 早速,エレキを取り出し,静まり返った銅山横丁を横切り,松木沢に向かう。 右岸に広がる鉱山は夜の静けさを破り.慌々しく機材の音が響き.精錬所は光々と灯に照りれ浮き出されていた。 それ程,予備知識を持たなかった闇道に.どの辺に目的の河原があるか? 場所はどころか距離さえ分からないでいた。 人里を離れダムを渡り沢沿いに入る。闇夜の行動は本道が分からず左岸沿いを詰めた為,吊り橋あり.ヘズリありで注意を要した。 径が荒れている? 遅い月夜に少し明るさを取り戻すも.左岸の壁は深く不気味にヘチを塞いでいる。 漸く広い河原に飛び出る。闇が全てを包み.広過ぎる空間が却って目標を失わせていた。ただ目的の場所,岩壁が分からない。 渡良瀬川が分岐する右手に久蔵川.左手に仁田元川を迎え.明日は改めて見定めればと中央の松木沢に入り.23時.河原の砂地に天張る。 松木沢Bcより右岸.右壁全景 |
840m付近の河原から , |
| 11月25日.晴 朝起きて驚く。眩い陽差しの中,松木沢は荒れ果て.原野に居るよう思われた。 見渡す限り谷間や丘陵は木1本見当たらぬ.「西部劇の荒野,その一画面」を映し出し.河原から岩肌のみが頂稜まで綴られている。 初冬の涸れた広い河原.その真中に幕営し今立っている。 荒涼とした山並みが続いている。どちらを向いても荒れた果てた光景が松木沢に広がっていた。 目的の岩壁を求め偵察する。松木沢を更に20分程遡った右岸にジャンダルムがあった。 庚申山1892mから中倉山1530mに繋がる東尾根の北側。中倉山から北北西側の右岸河原に沿い等圧線が詰った地点。 河原から岩壁が聳え立ち.直ぐ分かった。岩壁直下の台地まで天幕を移動する。 右壁大チムニー・左ルンゼ. T松村.M工.L竹永 取付き点よりザイルを結びルンゼに入る。ルンゼ内.巾8m内外.3p(40mザイル)で大バンド状の台地にで.左コルより正面壁に出られるが.その間々直上する。 4p目でチムニー通過.中間ハング気味で残置ハーケン4本が連打されていた。 ハーケンは有効.だが打ち直し4本をザイルに通す。そして小ハングは吊り上げ.チムニーより左に抜け,上にでた。 5p.左.正面壁にトラバースしコンテで岩壁上にでる。 懸垂岩上から右へガラ場の中に入り.トラバースしてガラガラのルンゼを下降。このルンゼ中間はコルジュ,.の浮石に落石注意。 ゴルジュは雨が降れば沢らしくなるだろう。 Bc10:50一3P一チムニー一4P.12:00一コンテ12:40一13:00Ts 松木沢ジャンダルム 河原の幕営地より 右壁ルート図右壁大チムニー・左ルンゼ 右壁.正面ルンゼより左正面壁側稜 右壁.三段チムニーより右ルンゼ下降 チョウクストーン 懸垂訓練 右壁,正面ルンゼより左正面壁側稜. T松村.L関根 取付よりアンザイレンしてガリー状のルンゼを通過.3pで大バンドに立つ。 そこより左へ折れ1p(4p目)で洞穴に入った。洞穴からはチムニー状ガリーを間を1pで乗り越す。 6p目,右にトラバースし側稜にでた。高度は若干あり.ジッヘルの為縦ハーケン1本使用 更に2pを費やし天狗岩に立ち.正面ルンゼを登攀パーティ(T竹永.L大塚.)と合流 天狗岩左裏より下降.天狗と洞穴の中を抜け.正面ルンゼからcsに戻る。 40mダブル8p.実際は洞穴までアンザイレンする必要はないが.練習の為 Bc14:00一:10取付一15:07天狗岩上一16:05cs |
![]() Tsより右壁.松木沢Bc対岸(左岸) |
| T松村.M斎藤.L工藤 正面ルンゼより2pで左のスラブをトラバースし.ホールド大きく豊かなガリーに入る。 4p.チムニー状ガリーは左のカンテ状.ジッヘル・ポイントから取付く。 4p終わりで夕闇迫り下降に移る。登攀断念。 5p.ガラガラのバンドを左へトラバースし岩をピンとして急なガレ状のフェースを下降.ルンゼに入りベースに戻る。 ザイル40m1本.ここまでのルートは登攀と言うより登行であり.懸垂も岩が脆いので必要しただけに留まる。 全体が階段状の緩斜面. 取付16:25一2P.スラブトラバース一3P.ガリー一4P.チムニー状ガリー一5P.左トラバース(バンド状)一懸垂20m一17:25Ts 三段チムニー |
左3Pテラスと右ルンゼから |
| 11月26日曇 右壁.三段チムニーより右ルンゼ下降. T松村.L工藤 取付よりザイルを結び.2pで楽に大テラスにでる。中段チムニーは下段チムニーを右からは入り込み, チムニー内の残置ハーケン4本は打ち直し.右から左寄りに体を動かしテラス上へ。岩質は硬く肌ざわりはよい。快適な登攀だった。 4p目.左上はホールドとなる溝に乏しく微妙なバランスを要求される。その為.右へ抜けチムニー登攀を終了した。 5p目は左へ大きくトラバース気味にガレの多い所を登りリッジにでる。 後はコンテで右ルンゼを下降.途中1本取って三段チムニーを撮影しベースに戻る。 Bc8:10一右ルンゼ出合7m上取付点8:20一2P.大テラス一3P.テラス9:05一4P一5P.9:20終了.コンテ一9:40Ts |
, チョーク・ストーン.ルート壁に囲まれ後輩には安心感がある , |
| チョクストーン. T松村.M関根.L工藤 スラブを横切る溝は取付より始まる。1p終了後.体の入るチムニーになった。 2pはザイルの関係でチムニー内.更に3pは大体ブッシュを利用し押し上がる。 2段チムニーはチョクストン・ルートと平行して大バンドで合さり.洞穴のバンドへと続いていた。 洞穴を出て.途中3m程.腕力登攀になってしまったが.松木沢では初級の上に位置する。 チョクストーンを終え小休止後.洞穴よりハーケン1本使用.大バンドまで下る。 又.二段チムニー上段取付のジッヘル・ピンを利用,更に1本加えてチョクストーンと二段チムニーの中間バンドにでた。 又,バンドから3mばかり左へトラバースし二段チムニーに入り.ジッヘルで下降してベースに降りた。ザイル40m1本 取付10:25一1P一2P.チュムニー内一3P.大バンド一4P洞穴.終了. 懸垂1P.大バンド一2P.二段チムニー.下段中間一12:00Ts 懸垂訓練 |
懸垂訓練の為.ピンを作る |
| 懸垂 午後より2時間程.松木沢登攀ベースキャンプの高台.対岸(左岸)から50m程下った所で懸垂訓練をした。 T松村.L大塚のペァーで懸垂壁左溝の大きなガリーに取り付き偵察。 最初,沢底を詰め左手へ移り残置ハーケン1本を利用して18m.80度の壁の左上に立つ。 そこよりガラ場を巻きバンド状の所を右手へ。そして壁上15m程のガレた岩壁上のテラスに立った。 アップザイレンはここをピンに取り.河原までザイル40m2本ダブル.ジッヘルザイル1本.40mを使用して行う。 固定ハーケン4本使用 広い河原と硬い岩盤.ザイルは快くスルスル伸びる。2日目のことで.ザイルの扱いにも全員大分慣れてきた。 距離の割り河原なので高度感はない。ただ確保する者が大変だった。 ただ.じっと次から次へ変わる懸垂者を確保せねばならなかった。 ゆとりが現れ誰もが満足感に浸っている。硬い岩壁がなお更,心を動かしたのかも知れない。 40mの懸垂はメンバー全員が初めての経験と思われた。 ![]() |
![]() 河原より懸垂の壁 上手くなってきた . |
計ハーケン7本・捨縄.10m(6mm)4回使用 松木沢は銅山の関係で.沢沿い両峰々には草木1本生えていず.左岸の峰を越えた日光の山々とは丸っきり対照的な面を持っていた。 残雪期.白根山より皇海山を越え.松木沢へ下るのは,変化に富み.面白いコースに思われる。 帰路は昨日見付けた車道に沿い下る。一昨日は狐に包まれたような右岸の険しい径を通っている。 |
懸垂中に仲間を |
| 下山.Bc16:55一17:35ダム:45一18:10間藤:52=20:31桐生:52=23:40北千住=仲御徒町 又と思うも東京からの往復するには余りにも時間のロスが多く.不便な場所だった。 再度の場合.時刻表を更に睨み考慮の必要がる。 足尾線 足尾線はまず足尾=足尾本山駅間が貨物船として914年に開業。その後桐生=間藤駅まで旅客化された。 1989年3月に東JRは足尾線を廃線とし.第3セクターとして「わたらせ渓谷鉄道」が承継し.6月には間藤=本山駅間は免許失効。 最盛期は日本国内の銅産出量が4割を占めたが枯渇により1973年閉山する。 その後輸入鉱石の製錬が継続されたものの1989年に鉄道輸送は廃止された。又それに伴い本山駅は廃駅になる。 松木沢概略図 幕営地は岩場前の河原840m付近・・HP「山ノ中ニ有リ」さんよりc1が2日目の朝.松木沢ジャンダルム下に天張った地点 松木沢→渡良瀬川→渡良瀬遊水池→利根川足尾銅山 足尾銅山は1610年(慶長15年)の発見から昭和48年まで400年近く続いた銅山である。 採堀された銅は東照宮や江戸城などの建造のさいに使用されたり輸出されてた。明治10年に古河市兵衛に経営が移って. 富鉱脈の発見や生産技術の近代化により銅の生産量が急速に伸び日本最大の銅山になる。 その反面.明治23年頃から鉱滓が洪水で渡良瀬川にたびたび流出し.農地を汚染など農業などに大きな被害を及ぼすようになった。 足尾鉱毒事件は谷中村を廃村化させ.跡地は渡良瀬遊水池になった。 又鉱山周辺は銅の精錬による亜硫酸ガスで緑を失い.裸となった岩土は見渡す限り荒廃し.死の山地を生んでいる。 戦後より育ちやすい草木を移植させるなどの緑化され.緑を取り戻す取り組みが進められ,足尾の山にも.少しずつあるべき姿に戻りつつある。 銅山閉山後.日足トンネルが開通し.日光と両毛とを結ぶ幹線道路として復活。 足尾町では活力のある地域として再生への試みが企てられている。 変わる環境 足尾の山の緑化は徐々に緑の深さが増してきた。春の植樹,夏の草刈り.秋にはドングリを拾い里親制度を設け苗木として.再び植林の形もでき, 冬には鹿除けのネット作業もできるまで樹木は生長している。 渡良瀬遊水池にはネズミやヘビなど生態系の底辺にあたる動物が数多く生息し.ピラミットの頂点には鷲や鷹類が。 草原や湿原を好むチョウヒの飛来が世間でも知られるようなる。遊水池周辺は自然界に溶け込み.ヨシズの産業も一時盛んになったが今は衰退している。 ヨシの原は人の手が掛からなければ保全できない。人との係わり合いの中.遊水池は本来の姿を見せ始めていた。 過去の悲惨な歴史,公害の原点は見失われそうな程,湿原は再生され.更なる成長が望まれていた。 鉱毒を沈殿させ無公害にする渡良瀬川流域の利用に.違った感覚の整備も行われようとしている。 レジャー公園化構想は自然保護団体の反対運動で見直されているが。 遊水池のヨシは堆肥腐葉土や植林の為の地滑り防止等.足尾の山々に活用され.ヨシ焼きは風物詩になってきた。 遊水池での昆虫の固有種や絶滅寄惧種も多く発見され.最近ではラササール条約を求める声もでてきている。 2008.4月号「岳人」編集部.環境ルネサンス最前線より 2012年.渡良瀬遊水池は湿原の条約.「ラムサーム条約」に登録される。湿原の中には田んぼや溜池.珊瑚礁も含まれる。 国内ではこの百年で6割が開発の轍の下に消えたという。又今回,富山県立山町の弥陀ケ原.大日平も登録された。 2012.05.毎日新聞社説より. 「治水と環境・・両立苦心」 調節池のヨシが生い茂るぬかるんだ土地は失われつつある。治水対策で上流側の河川を掘削した結果.遊水池の地下水位が下がったのが原因。 湿原の乾燥化で治水機能が落ちるわけではないが貴重な在来種の植生が失われている。 又外来種も増えている。そして福島第一原発事故は線量が上がり.2年続けて野火ができず環境は更に悪化していた。 2012.06.毎日新聞より. |