尾瀬国立公園と日光国立公園
尾瀬国立公園
尾瀬国立公園は群馬.福島.新潟.栃木の4県にまたがる山岳地帯に位置する国立公園。
2007年(h14年)8月に日光国立公園から尾瀬地域25.203haを(現尾瀬国立公園の67.75%を分割)し.会津駒ヶ岳.田代山.帝釈山など
周辺地域を編入する形で指定されている。釧路湿原国立公園以来20年振りに新設された29番目の国立公園。
日光国立公園→独立し尾瀬国立公園
尾瀬地域
1967年10月. 藪山,尾瀬口から平ヶ岳〜至仏山.尾瀬沼・・藪山山行(一年秋合宿)
1969年09月. 富士見峠―鳩待峠―尾瀬ヶ原―燧裏林道.御池・・遠いい下山
1973年05月. 大清水から燧ヶ岳と会津駒ヶ岳ツァー・・湖畔を横断
1973年05月. ビールを呑みに至仏山スキー
1974年05月. 暇つぶしの至仏1886m峰
2006年07月. 妻と梅雨の尾瀬ヶ原・・妻と共に
2009年07月. 同期会.会津駒ケ岳と盛夏の尾瀬沼周遊
桧枝岐川流域
1973年05月. 燧ヶ岳と会津駒ヶ岳ツァー・・迎い車(T先輩と合流)
1975年05月. 田子倉湖より大杉岳スキーと荒れる安森林道
2005年10月. 湯の花温泉から帝釈山と田代山林道・・再び山へ
2009年07月. 滝沢橋から会津駒ヶ岳と中門岳.大津岐峠からキリンテ・・尾瀬沼周遊(同期会山行)
鬼怒川流域
1971年10月. 馬坂沢本谷サル沢遡行.田代山・・豪雨の湯西川温泉
2007年10月. 奥鬼怒林道より奥鬼怒山.下山は大清水
尾瀬ヶ原地形図
平ヶ岳〜至仏山,拡大地形 南会津周辺の山々
s37.09.30.発行
至坤六峠 鬼怒沼山周辺・・下図
至仏山東面.至仏山一山ノ鼻間の登山道は周辺の植生が荒廃し裸地化が進んだ為.1989年〜96年まで8年間閉鎖された。
現在も残雪期は6月頃まで登山道閉鎖.(鳩待峠〜至仏山〜山ノ鼻間).無雪期の至仏山東面は登り専用に。
又し尿による植物.水質の被害か深刻化している。その為各方面を通じ.尿袋の持参実地を呼びかけている。2008.06
大杉岳. 燧ヶ岳. 尾瀬ヶ原. 至仏山ウォッ地図
燧裏林道概念図 奥鬼怒地形図
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河川水系表
尾瀬沼.面.東面
尾瀬沼南東面
景鶴山北面
尾瀬ヶ原南面
尾瀬ヶ原西面 |
桧枝岐川→伊南川→只見川→阿賀川→阿賀野川
鬼怒川
只見川
片品川→利根川
奥利根湖.洞元湖→利根川 |
利根沼田ロマンチック街道.裏街道
南会津への鉄道.街道経緯
1967年10月. 藪山.平ヶ岳〜尾瀬沼
1969年09月. 富士見峠―鳩待峠―尾瀬ヶ原―燧裏林道
1973年05月. 燧ヶ岳と会津駒ヶ岳ツァー
1973年05月. ビールを呑みに至仏山スキー
1974年05月. 暇つぶしの至仏1886m峰
1975年05月. 荒れる裾.大杉岳スキー
2006年07月. 梅雨の尾瀬ヶ原
2009年07月. 同期会.駒ケ岳と盛夏の尾瀬沼周遊
奥鬼怒林道. 中枝沢より鬼怒沼山北方.小杉田代下を奥鬼怒トンネルで潜り鬼怒川.八丁ノ湯へ抜けている。始終通行止.
鬼怒沼山ウォッ地図
栗山村. 1971年(s46年)10月. 田代山馬坂沢本谷サル沢と豪雨に打たれ湯西川温泉へ
. 1975年(s50年)05月. 田子倉湖より大杉岳ツァーと難渋した安森林道
. 2004年10月. 山王林道より日光横断の旅
2005年10月. 湯ノ花温泉から帝釈山と田代山.林道を横断
2007年10月. 奥鬼怒林道より日光澤温泉泊り.奥鬼怒山から清水
尾瀬に始まるの山岳地自然保護と破壊
日本における自然保護の原点といわれる尾瀬。1903年に尾瀬は電源開発の対象にされる。
ちなみに日本山岳会が創設されたのは1905年の事だった。
22年には尾瀬一帯の水利権を関東水電(現東京電力)が獲得し.尾瀬ヶ原ダム・尾瀬沼分水計画が発表される。
31年.国立公園法が制定された。土地所有の有無に係らず公園指定するという地域性公園が生み出された。
34年,尾瀬は日光国立公園の一部として指定される。35年には東京電灯(現東電)による尾瀬ヶ原ダム計画が再び発表された。
その後38年.44年と敗戦までの尾瀬は電源開発の最大の標的にされていた。
戦後復興のため経済再建に不可欠なエネルギー源として尾瀬以外にも黒部川第四発電所.熊野川水系北山川本流発電所など
国立公園内の建設計画が会い続いて発表された。
日本の国有林は戦前から農商務省山林局,宮内庁帝室林野局,内務省北海道庁によって管理されてきたが.
47年の林政統一で国有林は農林水産省の林野庁が企業特別会計の元で一元管理する事になる。58年,林野庁は戦後復興の
需要に答えるため.生産増強計画を計り各地で原生林を皆伐し.スギ.ヒノキを植林して人工林に変える拡大造林が勧められた。
64年.木材輸入自由化以後,国有林野の赤字は増加の一途をたどり,98年には赤字の大半を一般会計に引継ぎ,
生産性重視から国土保全など公益的機能重視へ転換する事になる。
60年には尾瀬が特別天然記念物に指定されるが.61年安保後.池田内閣は所得倍増計画を打ち出し高度経済成長政策が始まる。
蔵王エコーライン.富士スバルラインなど山岳観光道路事業が続出し国立公園の核心部を切り裂いている。それはレジャーブームに乗り.
登山の大衆化と山岳でのゴミ問題の深刻化をもたらしていた。
60年代後半から山岳奥地の林道開発が自然破壊の大きな問題として持ち上がる。
56年設立の森林開発公団は紀伊半島の熊野川流域.四国の剣山周辺の森林開発用の林道建設である。
そして更に森林公団法を改正し奥地山岳地帯の開発を新たな目的にしたスーパー林道,大規模峰越林道の建設を勧め出していた。
南アルプス.白山.奥鬼怒.朝日など全国23路線のスーパー林道が建設された。工事は原生的な環境の破壊の他.完成後は原生林の
大伐採という自然破壊も生み出し.山岳地のため移管された自治体の維持管理費が膨大となる。
立山黒部アルペンルートが開通。高度経済成長のなか70年代.住民が公害訴訟を起こし企業責任を問うようになる。
行政の抜本的対策を求め.この情勢の中.71年環境庁が設立された。尾瀬自動車道路工事は中止。
ただ林野庁の保安林行政は移管されず二元化行政が残されていた。
71年代を境に国立公園をはじめ自然保護行政は景観保護から生態系重視へ変わってきた。
沼山峠と三平峠間を結ぶ林道は建設直後に平野長靖が環境庁長官に建設中止を直訴.共に視察して中止された。
竣工した林道の一部も1998年までに廃道となる。
現在も沼田街道で.この部分だけは国の特別保護地区に指定され車の通らぬ山径となっている。
72年尾瀬で初のゴミ持ち帰り運動が行われたが.浸透していくのは80年代には入ってからである。
国内最大のブナ林を持つ白神山地では青秋林道建設が国民的な反対運動で工事中止.93年には屋久島と供に世界自然遺産に登録された。
知床半島では86年から10年間で知床国立公園内の原生林伐採が計画されたが.知床ナショナルトラスト運動等の影響を受け.
伐採強行を中断させられている。90年に森林生態系保護地域に指定され.その後世界自然遺産に登録された。
里山や丘陵地などでは膨大な赤字を抱える林野庁は.87年リゾート法が制定されるとゴルフ場.スキー場などに貸付を加速させた。
しかしバブルが弾けと自然破壊の跡が空しく残る結果となった。
90年代に入り高齢化社会を向かえ.中高年の登山ブームとオーバーユースが問題となり.利用と保護のバランスが重要となってきた。
2001年環境省設置,03年自然保護法が改正される。従来の景観重視から生態系保護の視点が明確にされた。
そして04年には三位一体の改革で.国立公園については国が全て責任を持つ事が明確に示された
山と渓谷2008年11号.「自然保護と破壊」.金子博文氏参照.
99年には尾瀬での自然保護を理由に乗合自動車以外の自動車は一部禁止され.規制は数年にかけて徐々に強化されている。
2008年現在.鳩待峠口では5月中旬〜7月末.10月上旬〜中旬の全日. 8.9月の週末が禁止に。沼山峠口は通年通行禁止。
尾瀬の木道
尾瀬に最初の木道が設置されたのは1950年代と言われている。当初.木道の目的は登山者を湿原のぬかるみから守るため
のものであった。しかし60年代には尾瀬で唯一直ぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた。
尾瀬地域で最も標高の高い湿原のひとつであるアヤメ平が.単線の木道しか設置されていなかった為.行き違いが出来ずに湿原に
降りた多くの登山者に踏み荒らされた。それを契機に1966年から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようなる。
最近では樹脂が多いカラマツ材が使われることが多く.10年前後での更新が必要とされている。木道の設置・更新工事は焼印され.
2009年(h21年)設置のものは.現在は福島県域では福島県(福H21)によって.群馬県域では群馬県(群H21)と東京電力
(社用マークH21)によって.新潟県域では東京電力によって行われている。
尾瀬国立公園案
日光国立公園(10万ヘクタール)は栃木.群馬.福島.新潟県に跨る。このうち尾瀬地域は栃木を除く3県の約2万5000ヘクタールを占める。
環境省の南川自然環境局長は前向きな姿勢を示し環境相の諮問機関・中央環境審議会に諮るなどの手続きを取っている。
環境省は来年夏までに尾瀬の分離独立案を作成。
国の審議会を経て2008年春までに「尾瀬国立公園」が誕生する見通しで.28ある国立公園で分離独立は初ケースとなる。
尾瀬約2万5000ヘクタールに福島県の会津駒ヶ岳(2133m).帝釈山(2060m)一帯の約1万ヘクタールを編入。2006年.
尾瀬独立をめぐっては地域振興の起爆剤としたい福島県檜枝岐村などの自治体と環境団体の間には思惑の違いがある。
原生林の保護運動を進める日本野鳥の会南会津支部では.貴重なブナを中心とした奥会津地方の原生林が破壊されるのではないか。
利用のされ方によっては反対運動も辞さない」と語った。 2007年06月.
尾瀬国立公園
2007年8月31日に正式に尾瀬国立公園として分離新設される。
釧路湿原国立公園以来20年振りに新設された29番目の国立公園。総面積は37.200ha.
日光国立公園
日光国立公園は栃木県北部.日光市を中心とする栃木県に隣接する群馬県.福島県の3県に跨り那須火山帯に属する国立公園。
日光地域.鬼怒川・栗山地域.那須甲子・塩原地域の三地域に分けられる。2007年(平成19年)に尾瀬国立公園から分離した。
日光地域
前日光・・1990年10月. 親子で霧降高原. リフト.高原ハウス―丸山―猫平―霧降ノ滝.親子
奥白根山周辺・・1965年05月. 豪雪の白根山.中ッ曽根尾根退却
1985年11月〜97年06月. 元浅草から街道を歩み.イロハ坂から日光白根山へ・・子供達と日光への歩き旅
2008年06月. 菅沼から五里霧中の奥白根山周回・・御徒町から奥白根山まで結ばれる
足尾周辺・・1967年11月. 荒廃とした渡良瀬川松木沢.右岸の岩場トレーイング
鬼怒川・栗山地域
1989年07月. 台東区青少年栗山キャンプ
1971年10月. 馬坂沢本谷サル沢遡行から田代山・・豪雨の湯西川温泉泊り
1975年05月. 大杉山スキー・・帰路.春雪に崩壊した安ヶ森林道に苦戦
2004年10月. 杉並木街道=日塩もみじライン=会津西街道=奥鬼怒林道=山王林道.戦場ケ原=沼田街道=沼田.大間々線=渡良瀬川下降.マイカー
2005年10月. 湯の花温泉から霧中の会津田代山.帝釈山・・田代山林道を横断
2007年10月. 奥鬼怒林道から日光澤温泉で1泊・・奥鬼怒山―大清水
塩原.那須甲子地域
那須連峰と甲子連山Top
奥白根山地形図 奥鬼怒山周辺略図・・上図

戦場ケ原周辺地形図・・下図
金精川.五色川.白根川→湯ノ湖
菅沼→丸沼→大尻沼→大滝川→片品川→利根川 奥白根,前白根山ウォッ地図
1965年(s40年)05月. 豪雪の白根山.中ッ曽根尾根退却
1967年(s42年)11月. 荒廃とした渡良瀬川松木沢・・右岸の岩場トレーイング
1985年11月〜1985年11月間. 日光歩き旅T〜]・・上野より家族で前白根山
2004年10月. 日光杉並木本街道=日塩もみじライン=会津より山王林道を越え日光縦断の旅
2008年06月. 菅沼より五里霧中の奥白根山・・東京からの挑に立つ
中禅寺湖→湯元
奥白根山地形図・・上図
至イロハ坂
戦場ヶ原×はキャンプ地 中禅寺湖〜細尾入口地図
s61年当時.橋と云っても丸太が2本.倒されていた。現在の戦場ヶ原ウォッ地図
湯ノ湖→湯川→中禅寺湖→大尻川→華厳渓谷→大谷川→鬼怒川
1965年(s40年)05月. 豪雪の白根山.中ッ曽根尾根中退
1986年(s61年)11月. 日光歩き旅\.中禅寺湖一湯ノ湖.湯元
1987年(s62年)06月. 日光歩き旅].湯ノ湖⇔前白根山
2004年10月. 杉並木街道=日塩もみじライン=会津西街道=奥鬼怒林道=沼田街道=沼田.大間々線=渡良瀬川下降
1990年10月. 親子で霧降高原. リフト.高原ハウス―丸山―猫平―霧降ノ滝
2007年10月. 奥鬼怒林道より奥鬼怒山
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