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初めての浅間尾根と失いつつある尾根末端の「バケモノ山」・・秋川流域周辺案内図・・奥多摩概念図.山行表 2018年02月. 藤倉分岐尾根を詰め雪原を踏み.一本松・浅間嶺・松生山。払沢ノ頭からはバケモノ山へ。東尾根の南方枝尾根下降.笹野・本宿 2019年09月. 払沢ノ峰北東尾根を詰め出野沢左岸尾根―檜原街道から嫁取坂を経て旧醍醐峠え・・古道を綴り醍醐の集落へ 2023年10月. 一本松北東尾根から浅間尾根上半・数馬峠から御林山.周遊道浅間尾根Pへ。ハンビコ平東尾根から白岩林道.末端二俣―藤倉bs 2024年05月. 本宿役所前bsから旧ベケモノ山東尾根の北方枝尾根から払沢ノ頭.松生山にでて.出野沢右岸尾根から南郷神社.南郷bs 2024年10月. 藤倉bs.陣馬尾根で小河内峠にでて.町村界尾根.風張尾根と風張峠.浅間尾根からは森ノ沢右岸尾根を下る。数馬から数馬下bs 浅間尾根道 「武蔵通志」によると浅間尾根は平坦で茅が茂っていたことから.平茅尾根(たいらがや)の別称があったらしく. 「武蔵国郡村誌」.「奥多摩」.「山麓滞在」もそれに習い伝えられていた。 昔の桧原谷の交通を考えると木村から谷沿いの道は南谷の出野までで.北谷は大沢まで通じているだけで.その頃の時代が長く続いている。 「奥多摩」では数馬や人里が経済的関係を檜原中部に仰ぐようなった頃は.決して南秋川の道ではなかったようだ。 桧原谷はV字の両端を強くしばりあげた形で.谷奥からよりは浅間尾根道の方が両側の谷道よりも近道で.桧原は尾根交通の時代が. 古くから続き.笛吹から数馬までの谷沿いの檜原街道は.近年になってからの街道で.昔は笛吹峠の枝尾根から取り付いている。 そこから数馬まで下り.江戸と甲州を結ぶ「古甲州道」。或いは「中甲州道」の一部でもあった模様。 浅間尾根と「ばけもの山」 浅間尾根の西側の中端.北秋川の陣馬尾根の取付き地点.藤倉から青梅街道沿いの下端に消えた山・・バケモノ山を越え下山する。 初めての浅間尾根. 藤倉bs(藤原.倉掛の地名を合わせて藤倉)と呼ばれている。そこから雪原の稜にでて.929m点コブをピストン。 雪稜を踏みしめ浅間嶺を越えで.松生山南東尾根からバケモノ山へ。一本松・浅間嶺・松生山とトレースする。払沢ノ頭の東端にあるのがバケモノ山。 その東尾根二又で南側の里.笹野地区にでて.街道を下り本宿役所前まで回り込む。 2018年02月14日.松村 藤倉分岐尾根から929m点コブをピストンし浅間尾根を東進して人里峠 ・・点線都道・残雪覆う台地 浅間嶺から小岩.松生山分岐.松生山・840m圏小コブ 払沢ノ峰からバケモノ山とに立ち.支尾根の540m圏南尾根から笹平 古来から浅間尾根は小河内と五日市を結ぶ交易路(旧甲州街道)として.本宿・時坂を経て浅間尾根に通じて折. 戦前までは五日市と檜原.数馬の間には.薪炭の牛馬が往来する生活道として通い.今でも路傍に石仏や石畳とその面影が残されている。 浅間尾根は地形的には風張峠から笹野に至る長大な尾根を指し.今回は雪原が消えぬ内に藤倉から取り付き.浅間嶺からの展望を楽しむ。 下山は松生山の東南尾根に乗り.尾根伝いに探索しながら浅間尾根の東側半分を回り込み.バケモン山の里山へと抜け笹野に下ることにした。 又まとめたメモ地図を忘れ.反省すべき山行にもなっている。 浅間尾根と小岩の集落 大岳山より南面の展望・・2015.12.18/11:14 大岳山から足元に横切るのが馬頭刈尾根. 右下が湯久保尾根。6年前の1月.シゲクラ沢右岸尾根から御前山を横切り.尾根通しから小岩へ下りている。 小岩の集落を背負うのが浅間尾根・・松生山に麓は小岩.浅間嶺.ムケシノ頭.人里峠.三本松と連なり.今回は浅間尾根を右手から左.東方へ縦走した。 浅間尾根に並ぶ背の山並は三頭山から延びる笹尾根で. 更にその右上の山並は権現山稜.大菩薩峠越えの牛ノ寝通りへと続くいている。 左奥は道志山地越えの北丹沢の大室山. 甲相国境尾根から三国山に続く駿甲尾根が富嶽に向かい長く延びる尾根。 中央は聳えるのは丹沢山塊と隔てる西道志川越えの御正体山で.御坂山地の東端になる鹿留山へと延びる。 678m点コブ 浅間尾根.藤倉分岐尾根・北尾根の末端.8:332月14日快晴 jr御徒町5:54=6:00東京.中央特快:14=6:52立川.直通:43=7:36武蔵五日市.西東京バス¥750. :43=8:32藤倉bs1.480m. バスの時刻に合わせ,東京駅発,始発の中央特快に乗車した。新宿の高層ビルを見ながら日の出を迎えている。6時32分. 鮮やかなオレンジ色の朝焼けが東空を背に冬空の高層ビル群に陽光を反射させている。遠めには淡くピンク色に染まる姿が眺められた。 濃い色合いは天候の不安定な兆しを示していた。夕方には南岸低気圧の影響を受け.関東地方は荒れる予報がだされていた。 武蔵五日市駅発の藤倉行路線バスは7分待ち。車内は通勤バスらしく.ハイカーは4パーティほど。 殆どの乗客は五日市警察前で下車.急に車内は疎らになった。一昨年は盆掘川.醍醐川流域に通い続けている。 そのアプローチとなった沢戸橋から路線バスは街道に戻り.荷田子バス停を過ぎている。畔荷田から檜原へとあきる野市の境界線を越えると 今度は小・中学生の通学バスに早変わりした。バス停毎に3人.4人と乗り込む子供達。 それも北秋川沿いの水根本宿線に入り.払沢ノ滝バス停で全員が下車。乗客は2人だけになり.神戸岩(かのと)入口バス停を過ぎると. 私1人だけになった。最初に考えたルートはここで降り.大ダワへの大鋸山林道に入り.残雪のある内にクロノ尾山中尾根を狙うことだった。 運転手に「終点で下ります!」と告げる。バス停毎に告げていた車内放送も途切れている。数年前には御前山湯久保尾根.尾根通しから 小岩に下りている。路面は残雪に覆われていた。その時より残雪は少ないが路肩には十分な積雪があった。 車窓から見上げると狭まった谷間に雪白さを増し.狭まった谷間の前方には煌く蒼空が深く仰いている。 藤倉バス停斜め前の「賽の河原」にある碑群.8:36路線バスは北秋川二俣の終点まで遡り.終点「藤倉」バス停に着く。バス停名は字名の藤原と倉掛を一字づつを取り名付けられている。 バス停前は又「賽の河原」と呼ばれている昔の寒沢寺の墓地跡で.そこには一群の石塔が祭られていた。 その中.鉄骨枠で保護されているのが「子すがり地蔵」.文政6年(1823年)で.幼い子供の守り仏。又「除毛」(よけ)の地名も. この地蔵仏による災難除け.疫病除けに由来しているとのこと。又ここは小河内峠に至る陣馬尾根の登山道口。 バス停脇の絵図又登ってきたバス路線は本宿を終点とする都道205号線。起点は国道411号.甲州街道の水根で.間に奥多摩湖が描かれている。 県道はここ藤倉で車両は行き止まり.ここから先は小河内ダムの対岸まで点線都道.所謂登山道は東京都の管轄歩道になる。 この尾根末端の藤倉から点線都道を小河内峠へと陣馬尾根を登り.大平尾根から湖畔に下り.小河内ダム南詰までが点線都道。 ダムサイドを渡っている。そして北詰の甲州街道.水根の交点の起点と結ばれていた。 藤倉分岐尾根の北尾根末端 バス停から上徐毛(かみよけ)の集落.8:37手前が惣岳沢に架かる徐毛橋. 右奥手が白岩川(しろいわかわ)に架かる上徐毛橋. 左手は下流側の北秋川。左手は日向ムコウ沢越えの一本松北尾根。 右手の上徐毛橋南の詰から車道は倉掛尾根伝いに登る風張林道の起点があり.境界尾根の風張峠(白岩峠)にでて. 奥多摩周遊道路と結ばれている。更に沢沿いに進めば二俣になり右俣はムジナ沢.左俣はオハヤシ沢で.両側の下流には白岩林道で繋がれ. 先は浅間尾根を越え.檜原街道にでる。私は浅間尾根へと上徐毛橋を渡り.写真正面の北尾根(藤倉分岐尾根)を選んでいる。 北秋川二俣 左俣長尾沢寄りに架かる上徐毛橋(かみよけばし).8:58青い杭は「北秋川 上流端」とあり.秋川合流点まで12kmとある。 北秋川二俣(手前.右俣が惣岳沢.左俣が長尾沢・白岩沢)の向かいが浅間尾根.929m点コブの東側肩に突き上げている 北尾根の末端になる。浅間尾根.藤倉分岐への登山道口. 北尾根の左側が日向ムコウ沢側で崩壊地改修工事と共に 新たに藤倉分岐北尾根の正面には手摺階段が造られていた。尾根の右側が右俣のシンナソ沢. 藤倉分岐尾根 積雪で鎖で厳しく厳しく閉鎖され.告知された登山口の階段.9:04左手の日向ムコウ沢沿いに綴られていた破線路は広く擁壁が綺麗に改修された以前のコースで.新たに藤倉分岐尾根に登山道が造られた。 左側の日向ムコウ沢は2013年2月から15年度まで土砂災害防止の為の改修工事で径路は通行止。その為迂回路として 小岩林道から浅間嶺へのルートが取られていた。尚人里峠までは17年7月に通行可とのこと。右側のシンナソーとを隔てている。 藤倉から人里峠 藤倉9:00一10:11「←藤倉バス停.浅間尾根→」一101:30(929m点コブ)一10:55一本松一11:52人里峠. 閉鎖階段 崩壊した法面の大改修が終了し.それに伴い左側にあった山道は閉鎖され.新たに右手の尾根沿いのに.上徐毛橋を渡り右脇に登山道が造られた。 それが再び寒波の襲来で積雪による通行止に出くわした。トラロープが階段口に何重にも交わり.これでもかとばかり張りめぐさている。 そこを失礼して抜けてている。北斜面は一面.雪面で覆われるも,それでも疎らに溶ける日当たり.そこだけは抜かるんでいた。 長い階段の中程に立てられた道標「中22」は早くも抜け崩れ落ちている。 日向平 階段上のフェンスから上徐毛の集落を見下ろす.9:09足元の真下が崩壊した方面になり.左端が北秋川の二俣で.右側の下流への流れが北秋川。 右上がりの尾根は浅間尾根の一本松929mから延びる北尾根の3本の支尾根の一番北側の尾根。 御前山南西尾根と870m圏峰尾根通 仰ぐ頭上の眺めるは御前山.9:15足元は上徐毛の集落. 手前の山裏側に隠れている奥は以前下った尾根通りが延び.末端は小岩に下りている。 左奥の山並は町界尾根(奥多摩町・檜原村)に乗る御前山.更にる奥は川苔山。 湯久保山南西尾根末端は途中の手前が897m点コブ.又中組の山上集落。南西尾根を下って上徐毛の集落にでる。 並行する背は929m点北尾根(シンナソー左岸尾根).9:21北尾根筋はツメの手前までは殆ど自然林に覆われるも.崩壊地を越えると展望は閉ざされた。 この支尾根と並行して右側に延びる浅間尾根929m圏コブからの大らかに延びる北尾根は登る道中.殆ど見ることはできなかった。 階段から尾根筋の斜面を直上すると木材運搬用のロープ起点が2ケ所にあった。あるかないかの薄いトレースが綴られている。 北尾根の登山道を詰める.9:27左手から確りした仕事道が合わさる。この道は恐らく改修工事前の崩壊地を巻いてきた尾根筋の旧道だろう。 幅広い山道が678m点コブの東側を巻き痩せ尾根になると傾斜は増し.日当たり雪径も疎らになるが地表はまだ硬く凍り付いている。 少し登っただけで地面を叩けば跳ね返ってくるほど硬く氷っていた。時折尾根筋の右の谷間側が抉られている所があり.滑り易く注意を要した。 鹿の足跡が右手から登り尾根を横切る。又810mで左側から杉の植林帯が近づくと傾斜が落ち.2種類の獣の踏み跡を見付けている。 兎は分るが狸は分らない。何だろう? 植林帯の背稜分岐(藤倉分岐).10:11管理番号「中22」の道標865mの分岐にでる。腕木の指す「浅間尾根」は雪面に埋まり.トレースは全く刻まれていなかった。 道標には示されていない確りした山道が左斜面の植林帯に入り込んでいる。恐らく929m点コブの東肩.藤倉分岐にでる近道の巻道だろう。 私は道標に従い大げさながら処女雪を踏む感じで.湧き上がる気を抑えながら踏み込み直進した。本筋に一歩一歩浅いトレースを築いてゆく。 浅間尾根に乗る 929m点コブの東肩(藤倉分岐).に乗りピストン.10:17裸林の被う929m点コブ 背は大沢ノ頭と三頭山.10:30(藤倉分岐)から登るにつれ蒼空が広がり.雪面を踏む感触が心地よい。膝下の浅いトレースだが目指す頂の眩く煌く斜面が 目の前に広がり.喘ぎ吐く息に.汗がジワーと出るも.立ち止れば風を感じ肌寒かった。それが又心地よいく.何かワクワクさせている。 標高点929m辺りの雪原のような緩やかな頂に立ち.初めて見る西方方面に三頭山から続く笹尾根が望まれる。 裸林の細木の樹冠から覗く蒼空も清々しく.気分は爽快に。 929m点コブ 今回の浅間尾根の頂点から林相の境.10:37藤倉分岐まで戻り.浅間尾根を東進し浅間嶺へ。 頂の北西寄りに延びる平坦な尾根は少し下ると二又になる。左支尾根はマタド沢左岸尾根.右支尾根はシンナソー左岸尾根。 登ってきた藤倉分岐尾根と並行し.延命山寒澤寺の裏側墓地にでる。表の参道を下れば白岩沢に架かる愛宕橋にでる。 929m点コブから更に浅間尾根を直進すれば数馬分岐にでる。そこを凝らね戻っている。 浅間尾根の北面は山陰に入り.尾根末端近くまでは雪白き残雪に占めらホッとしていた。ただ南面は雪覆うも下るにつれ以外と早い. 融雪を迎えていた。小岩浅間付近まで植林帯で覆われている。その先の展望を楽しみながら.末端のバケモノ山を目指し歩む。 日向平・藤倉への植林帯コース分岐.10:42浅間尾根の縦走路.藤倉分岐にでて.道標「←風張峠.浅間峠→」を見ている。 左奥側の山径は残雪に埋まり.トラロープが張られ封鎖されてた。ロープを潜れば樹林帯をトラバースして.藤倉へ下る分岐尾根の下山口にでる。 先ほどの道標を直登せず.左に迂回すればこの分岐にでたのだろう。 一望する御前山湯久保尾根 頂の左脇のコブが奥多摩湖側の惣岳山.10:44御前山惣岳沢流域と湯久保山南面 尾根分岐の直ぐ先で.樹林の切れ目から御前山が大きな山容を構え望まれた。惣岳沢の源流を囲むよう湯久保尾根に 乗る可愛い丸いコブはモーテ山.1044m点コブと連なり.右上が湯久保山で仏石ノ頭から宮ケ谷戸へ下りている。 湯久保山の頂と重なるのが手前の897mコブになろう。その下部の尾根が小岩に没する尾根通し。 藤倉の取付き崩壊地上から見上げていた岳を.ここ浅間尾根からも望むようなった。 朝方の氷雪.10:45登山道は尾根筋の中央とやや南秋川側沿いの南面の植林帯を綴る。まだ踏み占める雪道はガリガリと音が出る硬く滑り易い。 軟雪になっていず.踏み締められた凸凹の雪形は靴底に硬い感触を感じさせていた。一度溶け凍った雪片の残骸は 更にテカテカの飴状に氷付き.見た目の透明さとは別によく滑る。 透明度を増し土肌を見せる氷った融雪は更に始末が悪い。足を乗せれば悠著なく足を取られ転ばさせられた。目が離せぬ下りが続いていた。 地面に目を放し手を抜くと間違いなく転がされた。早足で足元をジッと見詰め探るしか.進む方法はなかった。 一本松(大沢山) 一本松(大沢山).南寄りの地点.10:51登り詰めると登山道の左脇の樹幹に寄り掛かるよう安永2年(1773年)の馬頭観音が祭られた場所にでて.「一本杉(一本松)」の木柱を見る。 この北側に3等三角点石標のある峰.「一本杉」930.2m.基準点名は「石宮)。ただ登山道の脇にあり.便宜上区別しているのを忘れていた。 頂からはその北秋川側に地図に記された破線路が北東の尾根に延び.634m点を経て.山王坂下と笹久保との間に没している。 常時はどちらかでも入山できるとのこと。 石宮ノ頭911.0m 11:15一本杉の先.鞍部の渕間石宮を下り返し.870m圏の小コブを越えた先に道標があった。その先で石宮ノ頭の北側を回り込む旧道を分けている。 ここコブと北側の登山道は二重山稜となっている。崩落の為トラロープで封鎖されていた。尾根伝いに石宮ノ頭を越えると尾根筋は2つに分かれていた。 北側を下るのが人里峠への縦走路. 滑る足元ばかり見詰めていて.周りを見るのが疎かになり,南側の尾根に入り込んでしまっている。 確りした山径で.下れば峠から人里地区と結ぶ峠道と合わさるのだろう。尾根筋が南側に向き下りだし.慌てて856mで戻っていた。11:25. 11:44890m圏コブ 北尾根を撮る.11:46人里峠手前の890m圏コブからの下りは間伐された倒木がゴロゴロ転がっていた。ここもトレースなり踏み跡がなければ南側の尾根に誘われ易い場所。 来る途中で東方へ下る雪原斜面を横切る1本のトレースを見ている。単独行者が踏み込んだ綺麗なトレース.脇側をトレースしていると気にしていなかった。 私は浅間尾根に出てからは地図を見ず.ただ尾根伝いを東進していた。このコブも登山道は北側を回り込んでいる。 890m圏コブの北東斜面.11:47雪道は左の斜面を直接.峠へと下っている。 人里峠 11:52人里峠(へんぽり) 人里は辺境開墾地を表す「辺.へ」と「墾.ほり」に由来し.山焼きの延焼を防ぐための「火追堀」を掘ったことに由来している。 享保十年(1725年)の石地蔵があり.向かいに「ひだり へんぼり.みぎ かずま」と彫られていた。 影武者伝説もあり.檜原村に残る121基の板牌のうち.人里には41基がある。玉傳寺は永正元年(1504年)に開山し.文保年間に創建されている。 平成14年には本殿が新しく落成.本尊は十一面観音である。大幸林道を辿り.道標に従って730mから北東の斜面を巻けば人里峠にでる。 浅間尾根道 桧原谷はV字の両端を強くしばりあげた形で谷奥からで両側の谷道より.浅間尾根道を通る方が近道だった。 桧原は尾根交通の時代が古く.笛吹から数馬までの谷沿いの檜原街道は近年のもので.昔は笛吹峠の枝尾根に取り付いていた。 そこから数馬まで下っていた。 数馬から人里(へんぽり)へ行くには山越えをして.まず笛吹(うずしき)へ。そしてそこの谷底に下って人里まで登るより. 一気に浅間尾根に取り付いて.人里へ下ったほうが楽だった。(古甲州道)又北秋川沿いの古い集落に当たる小岩とは人里峠で結ばれている。 現在は小岩林道が浅間嶺まで結ばれてをり.峠上部は崩壊で改修工事が行われていた。 藤倉分岐尾根から929m点コブをピストンし浅間尾根を東進して人里峠 ・・点線都道・残雪覆う台地 浅間嶺から松生山と840m圏小コブ 払沢ノ峰からバケモノ山に立ち.支尾根の540m圏南尾根から笹平 |