| 浅間尾根東端の失われつつある山.バケモノ山 ・・旧バケモノ山TOP 迷ルートを繰り返し本番へ.松生山南東尾根を分け裸坊主に変形したバケモノ山―東尾根540m圏峰南尾根から笹野に下り.帳の落ちた街道を歩む 藤倉分岐尾根から929m点コブををピストンし.背稜を東進し人里峠 浅間嶺から松生山・840m圏小コブの北尾根を探索 払沢ノ峰・バケモノ山と支尾根の540m圏南尾根.笹原―本宿役所前bs・・失われた山と野鼠 払沢ノ頭 頂に立つ道標と山名標(別名.馬道沢峰.拂沢ノ峰.858m).15:18国土地理院1/50000地図の標高858mPは払沢の頭. 馬道沢峰は杉ノ木沢(スンノ沢)の南東側の源頭に当たり.古くから馬道林道が綴られていたとか馬道沢? その名残か? 道標の裏側には北東に延び払沢ノ滝に没する尾根と北尾根を合わせ.払沢ノ頭のツメで東尾根合わせ頂にでている。 北北西のセド沢には払沢の滝がある。 払沢ノ頭(ほっさわ)から本宿役所前 15:18払沢ノ頭一15:29笹平への分岐一15:53(780m圏コブ)一16:10バケモノ山:24一17:00笹野bs一17:40本宿役所前bs. 浅間尾根の尾根筋が東方から南側に回り込むと更に「南郷共益地」の看板が目立つようなり.独断場になった払沢ノ頭858mに立つ。 頂の樹林被う根元からはどっしりした2つの支尾根を北東側と東側に分けている。 北尾根の右寄りの尾根末端は東京都唯一の日本の滝百選「払沢ノ滝」の壺脇が取付けられ.道なき尾根を詰めれば払沢ノ頭にでる。 滝の左側の石碑から詰め.丁度中程に小屋跡の残骸があり.頂の道標の左奥にでられる。2時間15分. 痩せ尾根で尾根筋はうねり急登が連続し.眺望は望めず.又頂からの展望は冬季のみに限られている。 東尾根は短い。それに代わるのが東尾根の南側の肩から延び.低く見下ろされるゲモノ山へ至る長い支尾根。 払沢ノ頭の南肩まで下ると取付きがある。ここからの風景が下の写真。松生山南東尾根との分岐には黄色いプラ抗があった。 又松生山南東尾根を末端まで下ると檜原街道の笹平バス停にでられる。南秋川と小坂志川の出合でもあり.遡れば八王子市への嫁取坂がある。 杉ノ木沢(スンノ沢)流域 左手前が払沢ノ頭東尾根.15:19バケモノ山に繋がる尾根は写真の右端から中央に延びている。780m圏コブが聳え.その裏側の陰にバケモノ山を擁していた。 ここからは更に二俣に分かれ笹野に没している。右上は戸倉山域の臼杵山から元郷に下る北西尾根。 その裾野の先.遥か彼方に下山後に戻る五日市の市街地が望まれる。 振り返る松生山 笹平への分岐より出野沢の源流を隔て.15:25松生山の裏側.浅間嶺から越えてきた。右手に連なる松生山南東尾根はバテイケィーに回り込み. この840m圏の小コブにでている。もう少し下ると支尾根の分岐にでた。バケモノ山取付きは払沢ノ頭の東尾根. その1つ南側に延びる低い尾根が「バケモノ山」へ続く境界尾根で.安易な入山で反省をしなければと考えていた矢先に.分岐にでた。 浅間尾根の主尾根をそのまま直進して下れば770m圏の内蔵ノ助山を越え.3つの小コブを過ぎれば檜原街道に降りられる。 そして街道を100mも下ると笹平バス停にでる。市道山ヨメトリ坂への登山口でもあり.以前万六ノ頭北東尾根から下山した折に利用していた。 取付き地点の唯一の道標.15:25バケモノ山604m圏は南秋川の笹野から浅間尾根に突き上げる杉ノ木沢(スンノ沢)と同じ南秋川の本宿から入る 山ノ神沢とに挟まれたセリにある。浅間尾根から東支尾根への取付きは浅間尾根の尾根筋中央にある770m圏の小コブ。 黄色いプラ抗と脇に「財団法人.南郷共益会所有地」の立木看板が目印になる。 その上.取り付きの立木には念を押すよう「←バケモノ山」の印が示されていた。そこを目指し.緩やかに北側に湾曲する東尾根に入る。 斜陽した夕日を浴び東尾根のツメを下る.15:27植林帯を潜ると直ぐ自然林へ 灌木林へ.15:28最初は急斜面とは云えストックを束ねて持ち.歩ける程度で下っている。取付きからの植林帯は直ぐ抜け. 自然林の隙間を透す日差しも途切れがち。途中で迷路を選び.探索に偵察へと大分時間的なロスを作ってしまっていた。 ただここまで来れば日没前に尾根末端から里に降りれる筈。まだ焦る気は起らなかった。 15:33下り返しての780m圏コブはのっぺらしき頂だった。一昨年だったと思う軍刀利山長尾尾根を下った折. ツメの伐採帯跡の草付きから払沢ノ頭の隣り.山陰に隠れ「バケモノ山」の頭だけを出す780m圏コブを遠望していた。 その当時はまだ里山として末端に「バケモノ山」があること自体を知らなかった。 780m圏コブの肩・・吉祥寺尾根 杉ノ木沢側の植林帯を急下降で突入.15:53植林帯へ 780m圏コブの頭からはっきりと右に折れ肩を越えた所. 下る場合はこの地点が今日一番の判断しかねぬポイントになる。 頂から確りした尾根筋が北東から左側に回り込んでいる。その先は尾根自体が扇状に開かれた巨大な鉱山の崩壊地に変わり塞がれている。 その下部は本宿の採石場に落ちて通行は不可の吉祥寺尾根。そして檜原城址449m先の檜原城山までで尾根は没している。 ルートは林相の境から右手の植林帯の幾らか浅い起伏線の斜面の中を目指す。下りは一辺倒の斜面で均等化され.林床は植林に変わっている。 密ち育った樹林に囲まれ先を見下ろせず。地形図を読み.暫くその中の雰囲気を感じながら南東に下っていた。 すると不安が募る中.正面に尾根が起きてくるた。コブの頭を越えた右斜面の肩にでて.点々とピンクのテープが枝に結ばれていた。 ここが下る目印だった。列を示すテープではなく.下る地点を示している。覚悟を決め.L字直角に折れ南東方向に斜下する。 踏み跡はない。何処も同じような傾斜の斜面で.戻り気味に下ると.何となく不安を感じていた。植林の斜面の樹間を縫い.下り進む。 すると樹間正面に尾根が起きるのが判る。その尾根がバケモノ山へ繋がる尾根だった。 バケモノ山西側鞍部付近で南側へ回り込む.15:58650m付近まで伐採されている 樹間を下る先に現れたのがカール状の伐採地。薄暗かっただけに急に明るい光景が差し込み.突然現れた空間に驚かされた。 そして伐採地に出れば周りは密る樹林に囲まれていたことになる。これも不思議な光景だった。 見上げれば真近すぎるほどに戸倉の山々が聳えている。 戸倉山地・・臼杵山と市道山 植林が途切れた伐採帯から南秋川越え戸倉三山市道山左尾根がヨメトリ坂・古道.16:00 更に前進するのだろうか? 杉ノ木沢右岸高度633m付近.索道の最前線の終点.16:02樹林に囲まれた伐採地の吐出しとも云うべき林道は贅沢なほど幅広く.山懐深い出口はこの広い山道だけになっていた。 上空から見れば膨らました風船の口元になろう。この直ぐ先で驚くべき光景が望まれた。林道ではなく.本宿から続く砕石場の索道のようだった。 ここはまだ中途半端な索道に思えた。前線の基地かも知れない。ここからはバケモノ山への索道が続き.展望も開かれる。 小坂志川左岸流域・・左岸の連行山万六尾根 右景.バケモン山の山頂付近より.16:10武相尾根の醍醐丸から湯場ノ頭北東尾根の裏側に聳えるのは望めぬのが連行山になる。 並行に並ぶのが万六ノ頭北東尾根. 真近に横切る斜面は払沢ノ峰から檜原街道の笹平へ下る尾根。 小坂志川右岸の山並・・臼杵山・市道山吊尾根と醍醐丸 中景.戸倉地区の山々.16:05手前の索道から続く左の低地台地がバケモノ山 左手は禿げ整地化されたバケモノ山。寂峰のバケモノ山は何処へ? バケモノ山は昔.炭焼きを営んでいた男が旅人から 金品を奪った後で殺めて.炭焼釜で燃やすという悪行を重ねていた。 その後もここで不吉な祟りが続いた為.村人が怖れて. 近づかなくなり.バケモノ山という不吉な名が付いたという由来があるそうだ。(池田氏解説). 背は臼杵山・・南峰グミ尾根と830m圏峰 左景.南秋川南面の山並.16:11下る予定のバケモン山越えの540m圏二俣の分岐尾根・・右側(南)の尾根を末端まで下ると尾根裏側の檜原街道笹野地区に下りられる。 異形な山容に変わり失われたバケモノ山 幾らかまだ残されている禿山の樹林.16:08標高点は604mが設定されている。 バケモン山604.0mに乗る形に南東方面から望む。右上は臼杵山の北峰と南峰。 バケモン山の右裏側にはこれから下るバケモン山東尾根が延びている。その先で本宿と笹野の境界分ける尾根に乗り.南方の笹野へ降りる。 南西方面から望むバケモン山の遠望背はスギノキ沢を隔てる松生山(まつばえやま)南東尾根。バケモン山の左下側が本宿と笹野の境界尾根。 katsudon氏のヤマレコ・2019年5月16日の山行を使用させて頂きました。 「鶴脚山の少し手前からほぼ南方面(やや西より)を望む。砕石場は浅間尾根の東端辺り。 同アップは採石場の左側の平たく削られたところはバケモン山の変わり果てた姿か。」とある。ありがとうございます。 バケモノ山604m? バケモノ山は驚くほどに丸坊主の禿山に変わっていた。後日調べたところ紀行文から一昨年の5月までは雑木.植林に 頂周辺は覆われていた。そして10月にはバケモノ山から見下ろすと直下まで.採石場用の作業道工事が見下ろされたらしい。西北面だろう。 それが今は根株1本残らぬ禿山に替えられていた。自然林から植林の為の伐採ではなく.更地にされ. 砕石場として生まれ変わるのだろう。標高は604mあったが今は? バケモノ山の北面の山ノ神沢沿いの谷間を覗き込むと.その正体が更に解りだしてきた。 広大な段違いの台地が砕石のため掘り起こされている。周りを探ると索道は北方へ綴られている。 ここは新たに造られた最前線の高台.砕石場になる。此のところ低山々行が多いせいか.盆掘や美山町の砕石場を巡り歩いてもいた。 位牌山 位牌山とはバケモン山の異称.別名である。広辞苑によると「不吉なことを生じるといって所有することを忌む山」。 日本国語大辞典によると「山の地境の形が位牌に似ているといって持つことを嫌う山。 九州にも関東にも類例が多く.所有したり伐木すると死人が出るなどという俗信がある」となっています。 ただ一つの特定の山をいうのではなく.檜原村では知らぬ人はないほどよく知られた話で.他にも少なくとも10ヶ所の位牌山があるという。 地図には位牌山と書かれている山が一つも無い。逆にそれがまた恐ろしく地元の人は位牌山を買わないらしい。 俗信とか迷信の一言じゃ片付けられない何かがあるのだろう。・・HP「晴れのち山・・時々妄想」氏より. 砕石場の先が檜原城址 足元のバケモン山北側を覗き込む.16:06背は中里沢と千足沢流域の稜。馬頭刈尾根の大怒田山と高黒山.つづら岩を隔てた小屋ノ沢山 ![]() 「登山詳細図」改定2版吉備人出版から記載 「奥多摩」宮内敏雄著 失われた吉祥寺尾根 「日本砕石工業によって削られる前には.620m付近にピークがあったようですが.550m圏峰は閉塞圏で描かれておりません。 これより前の1967年の地形図だと崖マークがないので.550m圏峰南の崖マークは.日本砕石工業によって初期の頃に削られていたことがわかります。 550m圏峰南側斜面の灌木は30年かけて荒地で育ったと思われます。 今となっては幻の尾根というわけです。同様の理由でナトリ沢も.地形が変わり.谷筋が確認できないために記載が見送られました。 山ノ神沢はなんとか記載させてもらえましたが.これもいつ消える運命にあるかわかりません。 550m圏峰は、麓の本宿から見上げると笠山とでも名付けたくなるような名峰ですが、1967年の地形図に閉塞圏が描かれていません。 きっと砕石によって吉祥寺尾根が削られて削り残された尾根の残骸が550m圏峰となったのでしょう。そう考えると. 550m圏峰に山名がないのも頷けます。著名なピークなら山名があって然るべきですから。その理由が今とけました。」 ・・「晴れのち山・・時々妄想」氏のHPから大切な資料「地図と本文」を記載させて頂きました。 砕石業 昔は檜原村は林業や製材業が盛んに行われていたが.近年では昔ほどではなく採石業が潤いをみせている。 バケモノ山の北側.山ノ神沢沿いを覗き込むと足元から瀬戸沢(払沢ノ滝)南側の尾根末端の檜原城址に至る間の枝尾根なり. 山腹は広大な砕石場に変わり.何処もが抉り取られ.日本砕石工業や第一石産運輸の砕石場が連なり設けられています。 驚嘆する姿が見下ろされている。 河川丘陵堆積物は地形が急なことから立坑方式を採用し.採石プラント.採砂プラントは5.6種類の大きさに分け.コンクリート用等の生産工程を進めている。 可採掘量は100年分以上と推測されている。砕石終了後は一時植栽して.将来は重ダンプによる源石運搬に切り替える計画だそうだ。 最上部に造られた砕石場。ここだけで終わるとは言えぬようだ。山から下ってきた索道は更にバケモノ山の西奥に入っている。 わざわざ奥にも索道が造られたのはそれだけではなさそうた。 バケモノ山の山蔭 バケモノ山裏側(北東)の東支尾根を下る.16:13もうバケモノ山と呼ばれなくなるだろう。山自体が無くなりつつある。その裏側に回り込み一本取り.バケモノ山の山蔭に向かい. 笹野へ下る踏み跡のルートを探る。西日の山蔭に休むも寒くはなかった。紫煙の昇る先に夕日を浴びる臼杵山グミ尾根が見上げられた。 2014年2月の甲信地方を襲った豪雪は中央東線沿線にも大きな交通麻痺を起こさせていた。高速道は沈痛し JRは新宿から辰野まで不通になる。車両が動き始めると同時にワッパを持ち高尾山に入り.膝上のラッセルを1人味わっていた。 その2週間後は醍醐丸を越え.臼杵山グミ尾根にトレースを築いていた。 時期も今回と同じ頃.下山して荷田子バス停でバスを待っている。当時は初めて戸倉山地に入山した。 その後.通り尾根周辺を盆堀川と醍醐沢を経て入山。石津窪山に登った時は入山尾根に入り.美山の砕石場に下りている。 今回は寂峰と思い綴ってきたがバケモノ山の原形はは失われ.砕石場に変わりつつある。1本取り.改めて本宿の強大な砕石場を見下ろしていた。 振り返る左がバケモノ山.16:25倒木に枝打ちされた木材が積み重ねられた荒地が細尾根が開かれていた。東尾根の裏側の540m圏で南北に支尾根を分けている。 中央左の細い立木下に黄色いプラ抗が倒木の中から見付けられた。それも既に過去の遺物になっていた。地形図「五日市」を読むと 北東に向かい尾根伝いに東方へ.痩せ尾根を過ぎれば540m圏の尾根二俣にでる。その枝尾根を下れば本宿か笹野を下る。 北東は檜原街道の吉祥滝バス停へ.先に進み小ノ神沢の直ぐ先の小さな涸沢右岸から取付く。 植林の山腹を水平道から絞られて.T字に笹野」からの枝尾根を合わせ.東支尾根に乗りバケモノ山に立つ。 南南東側の支尾根は私が選んだ尾根。単純に近い尾根で野鼠に合ってから赤い小さな鳥居を潜り笹野の集落に降りている。 バスの時間待ちの間に吉祥滝バス停に街道を降りていた。 バケモノ山東尾根 以外と思える痩せ尾根斜陽した日も落ち.その上山蔭の薮ルート。黄昏時に入り.先に枝木が飛び出すも立体感を失い.樹林の色合いは薄れ. 灰色気味の地味な薮ルートになる。尾根伝いに右手に回り込むと足元の両脇は抉り落ちる痩せ尾根になっていた。 ほぼ平坦になり.大きな猿の腰掛を見付けると尾根二俣にでる。 両側は抉り落ちた痩せ尾根.16:32東尾根二又540m圏 支尾根の突き当り.先は植林斜面が抉り落ちる.16:34540m圏で深い植林帯にぶち当たり.南北に分かれる枝尾根の二又にでる。正面は土壁から杉の植林帯に覆われる台地で. 足元には黄色いプラ抗と北側の立木には褪せた青.赤.ピンクのテープが巻かれていた。 左手.北東に延びる枝尾根(北尾根)を下れば本宿へ。吉祥滝バス停に下車.尾根末端は擁壁が高く小さな沢を挟んだ採石場まで戻り.゙ 山神ノ沢のバックミラーがある所から入山する。2024年05月. 旧ベケモノ山東尾根の北方枝尾根から浅間尾根にでて.出野沢右岸尾根から南郷神社へ下りている。 作業道から少し上がると広場にでる。ただ藪酷く芝が悪いので谷側(西)に移動。水平に付いている獣道から短い沢の最上部へ。 バケモノ山の尾根に乗り.急斜面から笹野から登ってきた尾根と合流する。・・YAMAPに記載されたhayakun氏の記録より。 私は右手へ南南東へと稲荷神社を経て.笹野へ下る尾根を選んでいた。 ケモノ山東尾根の540m圏の尾根二又.南側の枝尾根 枝尾根の二俣分岐より笹野地区方面に下る.16:35程よいステップで下りだすと右の足元から左前方に小さな動物が横切った。リスとしては大き過ぎ走り方も違っていた。 ウリボウはチョコチョコ歩きが遅い。小さいことでヤマネ? そこまでは小さくない。すると野ネズミが当てはまる。ただ丸々していたと思う。 もっとしっかり見ておけばよかったが。結局見たものの分からずじまい。最近山で動物との触れ合いも鹿を含め遠のいていた。 南枝尾根末端近く 下端間近な尾根中央に建つ稲荷神社.16:50稲荷神社と明神社 右へ南尾根に折れると林相の境の落葉尾根を下ることになる。傾斜が増し植林帯に尾根全体が覆われるも. 1本径の薄い踏み跡を下るのみ。緩やかに傾斜を切りジグザグに下ると突然.尾根を塞ぐよう中央に赤い鳥居を見る。 正面に向かうと立派な木祠が祭られ.右脇にも斜めに傾く小祠を見ている。 木祠は裏側から方向を見定めると左手の集落ではなく.尾根末端にでて杉ノ木沢(スンノ沢)の辺に祀られた明神社に向いているよう思えた。 飽く迄も尾根末端まで下れば一寸きつい藪から杉ノ木沢の沢底に降りられる。明神社は笹野地区の鎮守として祭られていた。 明神社への奉納舞として知られ.創建年は1561年.寛文7年(1667年)には徐地の記録ある。 境内にはご神木として樅の大樹があったが平成8年枯死。その裏側には馬道林道が主尾根の498m点コブ綴られ. 薄い踏み跡は701m点コブにでている。起点は直ぐ下の笹野になる。 笹野地区 赤い屋根の民家下に降りている.16:52私は確りした小径に誘われ.ここからは左側に回り込む。笹野の集落上部を横切り.集落の北側端に回り込む。笹野の集落に降りる。 集落最上部の民家の裏手で山径は2つの分かれていた。左手の方が確りしていたが.右手は幾つもの白っぽい布に導かれ人家の裏庭から下りている。 脇に抜けると思うも庭先に回り込んでいた。不在で敷地内を通らして頂いている。集落の一番北側の民家から旧道に降りる。その左側の道路は通行止め。 南枝尾根の東側. 擁壁の崩落現場 檜原街道の短い旧道間は既に通年.閉鎖されているようだ.16:57旧道の左向かいは法面の崩壊による通行止の柵が設けられていた。その左脇に不動明王像がある。左脇から尾根に登れるようだった。 先程の裏庭の分岐にでるのだろう。この迂回路も私有地になり.又先の尾根中央にある稲荷神社も私有地内にあるらしい。メモ図を忘れ. 又それに頼り切り入山したことには強く反省し感じている。難しい所はない山行だったが探る喜びに浸たりながら楽しく下山した。 540m圏.南枝尾根の東側南端 右端は南秋川に架かる平成年夏竣工した笹野大橋.17:01馬道橋を渡り笹野バス停へ下ってきた540m圏からの南支尾根を見上げている。橋の左側が旧道で.帳が降りると同時.真っ暗闇になった。 街路灯は民家が連なる中.1つもなく.ただ街道と旧道の境に.それを示す黄色い明かりが点されていた。 檜原街道から分かれる左手が旧道で笹野地区の端.「橋本屋」食品雑貨店があり.隣りは降りてきた民家.向かいが木材店。 その脇先の旧道は崖崩れで通行止。日没を迎えると本当に暗闇になった。右手の檜原街道は笹野大橋. 先は長い砕石場の縁を綴り本宿に至る。 .バケモノ山南東尾根・・笹野バス停から街道を先へ1分ほど歩き右手の馬道林道に入る。コンクリート橋を渡ると南東尾根の下端へは厳しく. 地形図の林道終点は先まで延びているが.遠のくので諦めると別の荒れた林道にでる。離れ相な処で崖を斜めに登る踏み跡が綴られ.南東尾根の横腹に取り付く。 今.早い夕暮れと共に降りてきたバケモノ山東尾根の540m圏二又南枝尾根の西隣りに並行する短い尾根。私には気をそそられるが1:15. 秋川の二俣.本宿役所前バス停.に着く.17:4317:23本宿役所前bs.¥420. :55=18:20jr武蔵五日市.¥910 :24=19:01立川:05=19:57お茶ノ水=御徒町. 檜原街道.笹原に下りたのが17時.まだ薄明るい黄昏時. 路線バスの到着まで1時間近くある。 ジッとして待つのも寒く.街道を歩くことにした。笹大橋を渡って直ぐ.右手に自動車修理工場を見付け洗顔をお願いしている。 冷水が却って気持ちをシャキッとさせて心地良さが残さていた。まだ温い紅茶は残っているものの旨い水で.ポリを替え満たした。 南秋川の歩道は右脇の谷間沿いを綴っている。街道は又都民の森への道.今までは路線バスの往来で気にもせず 通過していた砕石場が山側に続き.中腹は段を描くよう掘りを構え望まれている。長いコンベァーを横切れば工場棟も多い。 日没を迎え真っ暗闇になった街道は工場の灯だけが.時たまスポットライトの如く目立ち.周りを明るく照り付けていた。 街道のこの付近は長いバス停の間隔があり.暫くして細長い大きな吉祥滝バス停の小屋を右手に見出した。 細長い小屋にはポスターが多く張られているが暗く霞みよく判らなかった。 又このバス停は先ほどバケモノ山の東尾根から南北に分かれる枝尾根の北側の枝尾根から本宿側の山の神沢へ下り. 吉祥寺滝バス停にでる直線コース。採石所側に下るのに今日何故か反発て.逆側のやや遠いい笹野へ降りていた。 秋川二俣手前の交差点.吉祥寺前の交差点.標高626m点をを右折すれば南秋川に架かる橋を渡り本宿役場前バス停にでる。 バス停が分からず尋ねると斜め前がバス停だった。待つこと10分.払沢ノ滝回りの路線バスが五日市駅へと迎いにきた。 今回の地形図 テルモス+水500cc.サンドイッチ.バナナ.アミノサン3500.寒天ミルク.小豆.饅頭 1/31日23時. スーパーブルームーン・・赤銅色に染まる皆既日食.(1ケ月に2度の満月).2/22日には春一番20℃ 2/20日未明. ペコ(チチワ)死亡14歳 藤倉分岐尾根から929m点コブをピストンし.背稜を東進して人里峠 浅間嶺から松生山・840m圏小コブの北尾根を探索 払沢ノ峰からバケモノ山に立ち.支尾根の540m圏南尾根から笹原―本宿役所前bs・・失われた山と野鼠 |