| 鳥ノ尾根・・大鳥山.大鳥沢ノ頭.馬止馬場.1705mコブ.西御殿.東御殿へ 驚くなかれ大久保山と東御殿の頂を錯覚し間違える。地図で探るも分からぬ筈.結局1123m点南尾根から東沢下降.杣口林道から柳平塩山線 大弛小屋から国師岳.鶏塚山林道から余沢林道を合わさせ石楠花尾根 ゴトメキから遠見山を経て大丸戸尾根の林道を横切り大鳥山.大鳥沢ノ頭へ・鳥ノ尾根に乗る 鳥ノ尾根から大久保山を勘違いし.東御殿南尾根から東沢を下降 ・・ヒッチハイク・タクシー 鳥ノ尾根 馬止馬場の登りで.12:56大鳥山鳥ノ尾根から滝沢を下降 12:52大鳥沢ノ頭―13:16馬止馬場―13:56(1705mコブ)―15:10東御殿―15:35露岩尾根―16:45東沢底―16:50右岸道 ―17:05杣口林道支線露岩―17:23支線の起点―17:35あおやま橋―17:50県道倉科付近.ヒッチハイク. 馬止馬場 駒止根場・馬止馬場・鍋割.とも呼ばれていた.13:16大鳥沢ノ頭から次にもう一度メイクボノタワの鞍部を下り返すと「休猟区」のプレードがあるようだが分からなかった。露岩もある急登の樹林帯へ。 馬止馬場(うまどめこんば)にでると古い木杭に「山名と標高1772.7m」が記され三等三角点標石があり.山の包容力から比べ頂は極て狭い。 植林に覆われ薄暗い北側の一角にある小さな頂はただの小高い角縁と云った感じを持ち.幾つもの大石が三角点標石を守るよう囲んでいる。 又頂の裏側は崖縁で台地を支えているようにも思えた。そこだけが日が差し込む小さな頂だった。 先屋ノ頭1720m南側の肩台地.13:49馬止馬場をピストンする形で戻り気味に南方へ山腹を斜下した。途中で踏み跡を外すと薄暗い樹林で大地の起伏も激しく歩き難し。 踏み跡が分からなくなっている。「戻り気味に下る!」を意識し過ぎたのかも知れない。 地形図を読み馬止馬場の南東側へ1720m圏までは適当に斜めに下り.後は尾根の山腹を水平に移動し踏み跡に戻っている。 東側に顕著な台形の平坦地が尾根上にあり.地図にも顕著に現わされ.下る目安になり助かっていた。 1680m付近の明るい台地から1705mコブへ.13:5617055mコブまで下り返すと落葉松の美林に出合う。程よい木洩れ日に浅いスズタケが絨毯のように敷き占められ. 若葉を透す青空の疎ら模様が心地よい。ここは知らずして歩を緩めてもいた。 14:071700mを切るとその後も同じような起伏が繰り返され.急に周りは色とりどりの山ツツジに迎えられた。 赤ツツジに紫色はトウゴクミツバツツジだろう。ここからは尾根筋も林相を変え.植林された落葉松林から自然林に変わっている。 1705mコブ,平頂 恩賜石標.14:09何処でもスズタケの衰退はすざましい。離れてみると芝のよう思えるもスズタケを踏むと斑から禿が多くなる。その尾根を少し左に回り込む。 1705mコブでは初めて大きな赤い恩賜石標が大地から盛り上がるよう立てられていた。境界尾根の印でもある。 コブの東方に派生する支尾根にテープを見るが更に尾根筋を進む。スズタケに深みは見られず.程よい踏み跡に導かれていた。 1610m付近に石標(159号)があり.その直ぐ先が小鳥山から下る尾根の分岐にでる。 スズタケの中の微かな踏み跡が南西に追って下りている。小鳥山を経て南南東へ延びる尾根を下ると西沢橋付近に下りられる。 小コブを過ぎると赤杭があり.最後まで南南東へ下ると杣口林道にでられる。後は金桜神社から山梨市営バスで窪平へ。 本尾根は気持ち登り1620m圏分岐を過ぎると痩せ尾根に変わり.急斜面の下降が始まっている。 越えると頭だけを赤く塗られた恩賜林のコンクリート杭が点々と続き.境界尾根を示すよう赤頭黒杭も現れだした。 14:511600m付近で尾根筋が左に曲がると西御殿は気が付かず通り過ぎてた。そして小鳥山分岐からは急に赤テープを多く見るようなる。 その後は赤頭黒杭に赤コンクリート杭も多く見られる。急に人工物が増えたにも係わらず.私のメモには.この先を 「東御殿」を「大久保山」と間違えて記している。帰宅後に気が付き.ここから尾根後半の難渋が始まったようだ。 赤帽コンクリート柱.15:01カラス信仰に係わる鳥ノ尾根はこの先で更に西御殿・東御殿を擁し.「神仏の宿る岩場」を表す頂がある。 大鳥山の雛岩とはカラスのヒナ(子)のこと.鳥は神聖な場所(金峰山の金桜神社奥宮)への道案内をつかさどるとされている。 鳥ノ尾根はその金峰山への参拝路の1つとみなされていた。右手の琴川沿いには杣口の金桜神社.里宮が祭られている。 東御殿 大久保山と勘違いし迷い探り続けるが.15:21東御殿? 1705mコブから1つのコブを越え.1510mで東側の尾根筋に折れるのを確認して東御殿にでる。ここでとんでもない間違いを起こした。 東御殿には馬止根場と同様に木杭に山名が記されてをり.それも確認せず頂に立った途端.大久保山と勘違いをしてしまった。 直ぐ空腹感を補うため即席の結飯に水を足し.1時間もすれば林道の途中で食べられると考えていた。東御殿に着いて直ぐ行動した その動作が更に.大久保山と確信させ混乱させていた。ただ今は大久保山までの距離.1.4kmを抹消させている。下山近くで焦ることもなかったが。 それなのに地図を広げ.大久保山から大久保山峠までの地形が読み切れず.先に進むのに難渋した。 ほぼ南東に向かい下りさえすればよかった。それを大久保山の東側に合わせ.訂正されることのない不運を呼んでいる。 南東へ尾根を下り迷う。この尾根の先が行きずまり地形図と合わず。戻っては北面に古い径路があるのを思い出し.探ると踏み跡はあった。 ただ下りは不明瞭。東御殿の北側の巻き道も知ってはいたものの.最後までここを大久保山と思い込んでいる。 確認し南東尾根を下るも又同じ場所にでて戻っている。メモを確信し間違いに気が付かずにいる。 15:37東御殿を大久保山と思い,現地点を失ってしまっていた。覚悟を決め.一度進んだ南東から南尾根を地形図と異なるが下ることにした。 丁度1時間近いロス。まだ同じ頂にいた。東御殿東側の鞍部.南東から西北西に尾根を跨ぐよう道が取っている。ここには菱型の「休猟区」標柱が立ち. 90度曲がって先へ進めば大久保山にでられた。それが思う山名の違いから判断ができず.先を諦めここから南方に派生する尾根に下る。 分岐から尾根を塞ぐよう突然現れた露岩帯.15:39・・最初のコースタイム1510m付近から東方へ尾根伝いに進まず.間違ったとはいえ.東御殿からは東沢の下降に移っている。 結果的には想像とはちがった変化に富み.好奇心にそそられたが.いいのか悪いのか? 確りした登山道の踏み跡のような山道が途切れると尾根筋は南側を向き.2度見て留まっていた同じ露岩帯の痩せ尾根を下っていた。 大石の転がる露岩帯のある1123m点尾根に入る。急斜面を終えると尾根幅は広がり緩やかな植林帯に入る。 1230m付近だろう。そして更に急斜面を下り.大きく抉られた窪地を下流側に斜下しながら横切っていた。 檜の植林帯.16:25右手の沢筋を見下ろすと薄日の差す谷底が明るい一線を引き描かれている。距離はかなりある。・・本来の東沢. やや窪状の急斜面が眼前に広がりを見せ.東方へ進みながら更に斜下した。まだ東側の樹間から眺められた大きな尾根は大久保山の支尾根だと 分かっていなかった。左に回り込めば何処かで杣口林道にでられると思い進んでいる。 東沢の中流帯 沢底の植林帯を下る.16:31谷間が近づくにつれ草付きの伏流する大らかなカールにでる。緩やかに蛇行し下る谷間は何処までも草付きが茂り. 足先に当たる小石も小さく助かっている。そして下るにつれ.谷底の中心に一筋の流心が沢底が描かれた。 踏み跡ではないが下るに従い次第に濃さを増していた。 沢縁に入り.16:32 再び沢底へ.16:42 ほぼ平坦に伏流する緩やかなU状の渓谷が続く.16:45 谷筋を右側に回り込む.16:49幾らか右手(南)に大きく回り込む。この辺で後日思うと林道栃な代線の南側に延びる支線との交差か.途切れた所だったらしい。 分らぬ間々.その先で沢沿いは薄暗くなると流水が現れ.狭く渓谷らしくなる。そして右岸に歩道が現れた。 荒れた踏み跡だが沢筋から少し高台を巻いている。流水が伏流し.再び流心が現れると右岸脇に. 「昭和55年度.公社分収造林地」の個人所有の標柱が折れ.転がるよう落ちていた。 右岸の沢縁の踏み跡.右岸歩道を綴る.16:56 最後の荒れ道.17:00と17:03 東沢の右岸に林道終点が現れる.17:05右岸の山道は流心へと細く谷筋縁を綴るようなる。そして更に右に回り込むようなると一線を引き道幅広い林道終点が現れた。 丁度5時.切り開かれた林道に明るさが幾らか戻ってきた。林道伝いに20分ほど歩くと漸く獣柵にでて杣口本線にぶち当たる。 下山 馬止馬場と東御殿には山名標があり.尾根筋は小鳥山の分岐まで時折テープ類があり.南下すると「休猟区」2にコンクリート杭と 赤帽黒杭の境界標石が埋められていた。滝沢沿いは林道手前の右岸道に当り.「公社分収造成林」の標柱を見ている。 地形図には林道の支線は記されていなかった。 人にも閉ざされた鹿柵ゲート 柵の正面を横切るのが杣口林道の東沢の支線口.17:23杣口林道の東沢支線口.琴川で隔てる対岸は杣口の金桜神社辺りにあり.背には小楢山1721.5mから小倉山に至る南西尾根が下りている。 クリスタルラインは右手(上流側)に150mほど進めば交差している模様。 閉ざされたゲート.ゲートには2ケ所に錠が掛けられていた。上部は直ぐ外れるが下部は連動され上手く開けられず。 暫く悪戦苦闘するも効果はなかった。一度.誰もいないことは分っていたが「誰かいるか?」と大声を出し発散している。 ![]() 周りを探るとゲート左脇を流れる東沢は沢幅が狭まり.もう少し狭ければ跨げるほど.水深はある。 更に念を押し水面に接する形で柵網が掛けられていた。対岸には人だけが通れる柵扉が見えるも渡れず.先を諦め一度戻っている。 右の高みにも柵扉があり.ここは如何にか抜けられた。 この柵内の小道は1つ上流側の支線口から下って.この支線口を経て.下流の支線口に至る細かく上下を繰り返す踏み跡が綴られていた。 林道沿いに東方へ進めば林道栃な代線に並行するよう上部山腹を横切り.東御殿から大久保山の南山腹・東沢流域へと広範囲に横切っている模様。 杣口林道にでる。「杣口」とは木材をとる山.あるいはキコリのこと。「杣口」は金峰山への入口を意味している。 そして神体山とする金桜神社はその1つが杣口の里に祭られていた。 大久保山南面 杣口林道より.17:35林道とクリスタルライン 柵扉を潜り琴川左岸沿いの杣口林道を下流に下ると直ぐ左前方から林道の支線が合わさる。ここも同じように鹿柵で閉ざされゲートがあった。 又クリスタルラインに入り下ると直ぐ急カーブで字を描き.大久保山の北西肩まで林道が延びる林道栃な代線を分けている。 東沢(杣口林道)の琴川の上流側は直ぐクリスタルラインに入り.小鳥山に繋がる尾根の末端が西沢橋.その又奥が大鳥山と繋がる杣口3号橋にでる。 私が下りた杣口林道の下流側の支線は短いが東沢右岸道が若干綴れられ.その先は源流に向かう沢底を歩み.伏流した流域が長く続いていた。 クリスタルラインに入り下れると,顕著なカーブ地点. バックミラーに「こ・ 琴川ダム8.5km・標高966m」の標識あり.又西群馬幹線の標柱に 「右170号鉄塔に至る」とある。見上げると標高900mで左側から支尾根が緩やかに下りている。 ここは大久保山南西尾根の取付き地点。950mで道形を失う。右にトラバースして170号にでて鉄塔手前には2本の標柱があり. 「左171号に至る」とある。尾根中腹には昔の山道らしきものが残され.1250mで大久保山北側の鞍部から峠への巻き道がぶつかっている。 ここに馬頭観音の石仏があり.直上すれば大久保山へ。右に尾根を巻けば大久保峠にでられる。 クリスタルラインを急カーブして送電線沿いに西北西に進み.鳥ノ口橋から右岸にでれば県道は杣口林道から琴川右岸道に入り.窪平へ。 少し下れば金桜神社にでる。県道柳平窪平線はクリスタルラインの一部。昨日の朝方はここをデマンドタクシ-で柳平へと抜けている。 私は更に左岸道を歩み地形図にない里道を綴っている。 県道にでる前の葡萄畑にある石仏群.17:38送電線沿いに急カーブして琴川.鳥ノ口橋を渡り.右岸道の標高点928m点にる。 杣口林道 2度ばかり枝尾根の末端を回り込み.その都度.下流に広がる街並みが尾根陰を半減させ眺められていた。右岸には大きな浄水場がある。 そこを眺めつつ過ぎると杣口林道は大久保山南西尾根の末端附近(杣口東工区)で大久保峠へ登っているが途切れている。 杣口林道は延長12.4km.幅員4.0mは金黒山徳和線の一部で完成されれば.鳥ノ尾根の大久保峠から徳和林道に入り.終点は南乾徳山林道へ。 杣口林道と繋がる金桜神社奥宮付近を抜けてきた林道塩平徳和線は今だ予定線として途切れ.下流にでて再び林道は復活している。 ここが林道の取付き地点だろう。乙ケ妻集落と大久保峠に分線し綴られ.大久保峠を越えれば以前下りた林道徳和線に入る。 林道口に標識類はない。里道は自然と右に回り込み.青山橋から県道・杣口に導きされていた。 県道への横断道から遠望.17:38滑沢山・扇山から南に延びる3つのコブと末端の752mの小コブ。正面の笛吹川辺りが窪平. 杣口林道に入り500mほどで途切れた所から青山橋を渡り.琴川の河原を回り込んで対岸の県道と結ばれた。 橋前後は渓流釣りのよいポイントとのこと。途中の葡萄畑では纏められ石仏群が丁寧に祀られている。 県道にでて上流側の県道を振り返り.見えた赤い鳥居は白幡神社だったのだろうか? その奥.上流側にあるのが金桜神社里宮. 金峰山の東口の本路は窪平から琴川沿いを遡り.杣口の金桜神社を参り.更に琴川を遡って柳平から荒川側へ越している。 水晶峠手前の刈合平で.御岳の金桜神社からの本路(南口登拝路)と合わさっていた。 御室に宿舎があり殆どの人はここに宿り.過っては金峰山の五丈岩基部.山宮(奥宮)詣でをしていた。 恐らく平安時代と考えられるが頂上西方の五丈岩基部に大和国吉野の金峰山から金剛蔵王権現を勧請したことに由来する。 近代では琴川の右岸に森林軌道が通り.大弛峠からは林道を長々と歩き続けば軌道に入り.杣口から窪平へと路線バスが利用できる。 その後杣口林道と云う立派な車道が建設され.焼山峠まで歩く者はいなくなっている。 又小楢山.乾徳山と並んで国師岳.北奥千丈岳の尾根続きの大鳥山の真下まで林道の支線が越えてしまっていた。 杣口林道は2000m以下で比較的容易に車道建設が可能な場所が多く.この40年ほどの間に幾つもの支線が敷かれ.大きく変容させていた。 そしてこの計画線は中断されているところも多く.開発は更に続くだろう。 琴川を隔て大久保山南西尾根と大久保峠 徒歩で柳平塩山線にでて.17:53右手の川畔よりが乙ケ妻集落 街道へ 昨日朝方.塩山から杣口を経て大弛峠へ登った柳平塩山線を歩む。県道に入り400m先が杣口バス停.ここは見逃し通り過ぎている。 里に下りたのが5時半.日は長く日没までまだ1時間半あるが大分黄昏だし陰に入れば薄暗い。 この県道はバス路線だがバス停の間隔が長く.初めて歩む私にはよく分からず.車を停めては居場所を二度尋ね.その都度スマホで調べて頂いている。 ただ地元の人でなく要領を得なかった。タクシーを呼ぶこともできず。左手に大久保山を過ぎ.大久保峠に至る乙ケ妻集落が対岸に現れるも. 地図にはこの辺だと指せるが.言葉では表せなかった。 地名の範囲が広すぎ.目立つ沢なり神社もなく.黙々歩くのみ。雁坂みちまではまだかなりの距離がある。 右手にあった道路沿いの長い駐車場を過ぎ.漸くして地元の軽トラを停められられた。バスに乗るなり.タクシーを拾える場所を尋ね聞くしかなかった。 同年配の運転手は一言. 「乗るように!」。国道の分岐.窪平バス停まで送って頂く。広い営業所のバス停にはおばさんが1人ベンチに座っているのみ。 塩山駅行バスは出たばかり.杣口行の乗合バスが時間待ちで停車している。その前が牧丘タクシー事務所。 先ほど無言で「乗るよう!」云った言葉の意味を知る。自分でjr塩山駅へ出る乗物を選ぶようにと。着替えをしてからタクシーを頼む。 塩山盆地を目指す 同線の千野々宮付近より.17:54塩山盆地へと窪平に向かい下る県道219号. 左の街並みに浮かぶのが塩ノ山。丁度真裏がjr中央東線の塩山駅に位置している。 盆地の背は大菩薩連稜. 右方向に重なる御坂山地と三つ峠山。朧に富嶽が乗り映し出されている。 県道杣口ヒッチハイク17:50=窪平bs.タクシー17:15=18:25jr塩山:28=19:38高尾.快速:44=20:51お茶ノ水. タクシーも呼べず.三度目で漸く解決できたものの,雁坂みちの窪平まではヒッチハイク。 後の調べでP先の千野々宮付近まで歩んだことになる。塩山駅行.バスは数分前にでたとここと。バス停前の牧丘タクシーに頼る。¥1720 帰宅だけは運よく塩山駅に着いた3分後にボックス型の高尾行鈍行が入線した。 車窓から黄昏深まる流れゆく風景を眺めていると鳥沢駅構内にトイレが新設されたのが偶然目に入る。悪評にJRも耐えられなかったのだろう。 昨年正月に中央線沿いの2つの御前山を越えた折.真新しく変わった鳥沢駅に下りていた。掲示板にはトイレはありません小学校へと謳っていた。 大弛小屋の手ぬぐい今回の地形図 地形図「金峰山」「川浦」.山と高原2012「金峰山・甲武信」.zzz167石楠花新道.鳥ノ尾根紛失・・スカパ登山靴.38938歩.24.9km 3日.昼食・・シャケ弁当と リンゴ.夕食・・豚肉鍋とオデン.小サバの干物.ビール.ウィスキー 4日.麦茶.紅茶.水500cc×3. 朝食・・即席クリーミー・クラムチャイダー(こんがりパン)ポッカサッポロ.バナナ. 昼食・・塩パン(レタス・キューリ.コンビーフ).豆乳 オーチャーゴバー.パイナップル.小豆.アミノバイ5000.リンゴ.海苔センベイ 6/5日.気象庁は四国地方に梅雨入りし.翌6日には・中国から東海・関東甲信越地方が「梅雨入りしたとみられる」と発表。 大弛小屋から国師岳.鶏塚山林道から余沢林道を合わさせ石楠花尾根 ゴトメキから遠見山を経て大丸戸尾根の林道を横切り大鳥山.大鳥沢ノ頭へ・鳥ノ尾根に乗る 鳥ノ尾根から大久保山を勘違いし.東御殿南尾根から東沢を下降 ・・ヒッチハイク・タクシー |