裏高尾.相模湖北岸の尾根・・大沢ノ頭.イタドリ沢ノ頭から矢ノ音・孫山

  陣馬高尾縦走路から相模湖北岸の奥高尾へ―景信山の水平作業道から白沢峠・堂所山へと綴り.底沢峠から明王峠南尾根に回り.
     都県界尾根を分け明王峠南尾根から石投げ地蔵.栃谷坂沢林道と綴り.吉野矢ノ音を越え.鞍部分岐にでる。

   景信山西側水平古道から白沢峠
   堂所山分岐から明王峠南尾根から矢ノ音を越え分岐・・古道の長閑な低山丘陵
   奈良本尾根のイタドリ沢ノ頭.大沢ノ頭東尾根から甲州古道.吉野

    堂所山731mの「中央の分岐」
   奥高尾縦走路の堂所山分岐.10:29

     2008年2月以来の小仏城山への縦走路・・以前は冬至に訪れ疎らに春雪が残されていた。
   脇の分岐から右の北高尾山稜を少し齧り.「中央の分岐」のでて左方の奥高尾山稜に回り込む。気分だけの迂回コースで再び縦走路へ。

   初めて堂所山の巻道に入る.10:35

   2つ目の分岐から堂所山への尾根筋へ.10:45
    右上へ北高尾山稜の尾根筋に入り下っている

    赤岩山
   底沢峠手前のコブ付近で刈り払い作業中.10:54
    底沢峠の手前の721m峰・・左上は新多摩線70号〜69号間

     消火用水のある広場にでる。この先奥高尾に入っても程よい間隔で同じような広場にでる。
   ドラム缶に似た独自製の缶が幾つもあり.蓋付きのものもがあった。

     覗き込むとカチカチに凍り浮くバケツは斜めに口を開けて.叩いても氷りつきビクとも動かなかった。満杯にあるところから雨水ではないようだ。
   如何から水を運んだのか.ポンプで枝沢から上げたのか? 想像できないでいる。この後も何ケ所か通過した。
   続く尾根南面は緩やかな斜面を抱き.枯枝を刈払いしている人々とも出会っている。

    底沢峠
   大らかな檜林に覆われた峠.10:57

    底沢峠
     底沢峠は底沢と上案下(かみあんげ)とを結ぶ旧峠路があり.案下峠とも呼ばれていた。
   峠には石柱の道標があり.「右標柱には「西・与野.吉野.上野原」.「南・底沢.千木良.小原」.「向左・八王子方面」・・平和記念.大正年とある。
   又写真の道標の裏.左奥に下ると又直ぐ分岐にでる。左下に南東尾根を下れば相模湖・底沢へ。直下すれば南尾根から栃谷底沢林道にでられる。

    旧美女谷温泉
     34年前の4月連休に子供達3人と陣馬高原から底沢峠にでて.奥ノ沢左俣右岸尾根を下り.白沢第二林道から美女谷温泉へ降りている。
   京王新宿駅から宿に昼食を予約した。子供料理でも手を抜かぬ料理が食膳に並び.風呂は総檜で古い木の香りと温もりを味わっていた。

     当時の日記には小学校2.3年生の子供達と山越をし.宿に寄り「木造2階建ての割に階段を幾つも持ち.奥の部屋に通されて
   一つのことを成し遂げた喜びに浸かっていた。子供達ははしゃぎ.食後は小さな幾つもの部屋を廊下を抜け探検しだしていた。」とある。
   帰路は相模湖駅まで歩んでいる。まだ国鉄の時代だった。道標の「相模湖・底沢」はその1つの下るコース。

     その後.美女谷温泉にマイカーで妻と訪れていた。風呂場は改修されていたが中途半端な宿に変わっていた。今は閉鎖されたとか?
   底沢峠の北面は案下川オキナツルシ沢沿いに登山道がある。陣馬高原キャンプ場を経てと沢沿いと左岸尾根コースがあり.案下川の陣馬高原下bsへ下りていた。

    次の峠が明王峠(みょうおうとうげ)
     陣馬山への奥高尾縦走路を底沢峠から歩み小高い丘でもなく.鞍部でもない.奈良子峠の手前の尾根の一角に明王峠がある。
   東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区との境界にある標高738.9mの峠。茶屋「明王峠屋」があり.南東側の展望に優れている。

     本来の明王峠は現在底沢峠(案下峠)と呼ばれている場所の峠名だった。昭和11年(1936年)に.この地に明王不動が祀られてから明王峠と
   呼ばれるようになる。旧の正しい名称は「藤野丸」. 石碑に刻まれた「明王峠」と石に書かれた「藤野丸」が置かれている。
   又脇の道標には「至相模湖・武田 姫街道」とあり.大平小屋跡から孫山南尾根を下ると相模湖の与瀬神社に繋がる古道がある。

    明王峠の富嶽
   左景・・峠の茶屋「明王峠屋」前より
    丹沢大室山と加入道山. 重なる下は道志主稜の御牧戸山
    手前中央の3つのコブは道志主稜の今倉山稜. その右下は表道志の倉岳山.高畑山方面

   右景・・鶴島・栃穴御前山周辺?

    明王峠(藤野町十五名山.標高738.9m.
     峠の茶屋は閉められていた。小屋前の卓外台を囲み昼食を摂る。炊事は簡素におでんを暖め.サンドイッチと共にした。日は差すもやや風があり肌寒い。
   東海沿岸は冬晴れが続き.乾燥注意報がでている。広場を囲む樹林を透し展望は得られるものの富嶽を見る限り冠雪は少ないようだ。
   富嶽の見える範囲が丁度雪線になっていた。最近暖冬のせいか? 裾野までの雪富士を見る機会は失われている。

    明王峠南尾根
   茶屋横の階段から.昼食11:17〜47
   奥高尾・・相模湖北岸の甲州古道と脇道. 奥高尾南部の相模湖北岸へ繋がる尾根道

     日本橋と下諏訪を結ぶ旧甲州街道のうち.山梨県とその周辺の街道を「甲州古道」として整備されていた。
   食後.県界尾根と分かれ.真南に続く結構長い擬木留めさた急階段を下ると整備された奥高尾の丘陵に入る。

     尾根幅も広く.裾野は里山風景が開かれ,堂所山の巻道からぬくむ陽差しを受ける。
   ここからは逆光の眩い日を浴びながら奥高尾の台地へ。そして西陽に変わる斜陽した日まで浴び続けることになった。

   木洩れ日になれば眩い日を浴びる.11:56

    枝道
     左後方からの小道を合わせている。明王峠南東の作業道で旧峠道脇の立木に白いプラ板に赤テープで「近道・高尾山へ→」と打ち付けられていた。
   底沢峠は昔の明王峠だった。不動明王がある現在の明王峠は単なる「峰」だったが茶屋が建ち.新たな峠名として「明王峠」が付けられる。

     石投げ地蔵の少し手前の枝道は直接.底沢峠へと繋がる山道で.恐らく昔の古道だったのだろう。今は通う人も少ない寂しい小道になっている。
   底沢峠の明王峠寄りの左.2つの立木に赤テープが巻かれ.小さな木片に「→相模湖駅」とある。気が付かなかったが作業道になり斜めに下りた。

   丘陵に変わった起伏の雑木林.11:59

    嬢ケ塚・石投げ地蔵
   白百合姫伝説→沢久井三姫物語.12:02

     解説書には佐竹家へ嫁いだ武田家の姫が離縁されて出戻りとなった母を追って.娘が明王峠まで来ましたがこの地で疲労のため息絶えたという。
   村人たちは姫を哀れに思い.地蔵尊を建て.小石を供えて石上げ地蔵とも呼び冥福を祈っていると云われている。
   ここに葬られたとの伝説は.旅人が線香代わりに石を積み上げたのかも? とも思え.古道の深みを更に知ることになる。

    栃谷坂沢林道
   林道を横切り振り返る.12:10

    栃谷坂沢林道
     栃谷川吉野川と底沢西入沢タキノ入沢のツメに跨る峠路・窪地に栃谷坂沢林道が横切っていた。
   沢井川沿いの県道522号線.陣馬山登山口附近の陣谷温泉からこの峠越えをし.西入沢沿いに進み美女谷温泉付近から甲州街道と結ばれている。
   林道の向かいには「協定林」の看板があり.手前には「林道」の看板とカーブミラーが備え.左手には赤帽白柱71番と古い「火の用心」の丸い看板があった。

     林道を横切り更に木段から更に南側に下りると落葉樹に整地されたような.人工的にも思える古来からよく踏み固められた山道に変わっている。
   緩やかになった山道は明るい日差しを浴びる心休まるところだった。

     明王峠から降り.相模湖側に向かえば甲州中道の与瀬宿.或いは吉野宿に至る古道として綴られ.そのまま作業道・登山道として兼ねていた。
   里山とはいえ丘陵の中.この不思議なほど確り慣らされた山道を抜けると再び見慣れた山道に戻っている。

   矢ノ音峠への分岐.12:17

     矢ノ音手前の分岐には道標に「←与瀬神社・相模湖駅. ↑奈良本.吉野バス停. 手前は明王峠・陣馬山→」とある。800m.
   旧道は明王峠―相模湖間のハイキングコースで.左はショウノ塚(大平小屋跡)を経て孫山ノ頭.子孫山ノ頭に立ち与野神社登山口に下りている。
   そこからjr相模湖駅まで道中の展望はない。

     又赤帽白柱右脇の道標には「虎枝沢・藤野駅→」とあり.右は矢ノ音峠(やのおと)への作業道で.その先に吉野川に下る分岐がある。
   そこも又同じ「虎枝沢・藤野駅→」の道標が立ち山道を分けている。それも後に知ったこと。「矢ノ音」の山名は何処にも書かれていなかった。

     右手に入ると山腹を巻き一方的に下り始めている。矢ノ音北側の作業道らしく.可笑しいと思い580m附近まで進み戻っている。
   左手の旧道に入ると直ぐ先で「矢ノ音」の道標を見て.細道を分けていた。ホッとして幾らか藪絡み踏み跡を綴る。

    矢ノ音北面の中腹・作業道
   矢ノ音の西側鞍部に至る山腹道・戻った地点より.12:21
    明るい陽差しを浴びる長閑に矢ノ音北面を大きく巻く道から戻っている

    奈良本尾根
   矢ノ音への山径分岐.12:32

     分岐に戻り.左に折れると直40mほど先で右に「矢ノ音山頂300m」の道標があった。
   奈良本尾根もどきから急に踏み跡らしい感触に変わっている。

    笹尾根と熊倉山南西尾根
   前方の頂稜.右先が陣馬山.12:35
    手前一段低く並行するのが三国山字福尾根

     もう10年近く前に幼馴染と岩井から熊倉山南西尾根を登っている。ツメが近くなり右手は明るみを膨らませた大地が明るく広がると.
   その先は林相の境が詰めていた。陽光が透る風に春先の兆しを受け熊倉山にでている。

     遠く伐採された斜面を望み.何故か当時の記憶が想いだされていた。確か頂で互いにウィスキーを呑み過ぎ.ほろ酔い加減で北面の残雪を
   踏みながらトヤド浅間から下りている。そして「瀬音の湯」の風呂に飛び込んでいた。

   矢ノ音へ
   何とも嬉しさが募る細道から矢ノ音に入る.12:36
   左は孫山南尾根から相模湖川畔の与瀬神社に至る。


    吉野矢ノ音
   2019年01月. 小仏bsから景信山水平古道を経て白沢峠―明王峠を経て奥高尾へ。矢ノ音・イタドリ沢ノ頭を越え奈良本林道と吉野・・jr藤野
   2020年10月. jr相模湖から小原宿を経て孫山東尾根・矢ノ音―イタドリ沢ノ頭から竹ノ沢右岸尾根を下り.中里の大日野原・小渕丘陵を越えjr藤野
   2025年09月. 椚沢橋bsから高茶山東尾根.醍醐林道から陣馬山東側巻道と奥高尾.明王峠南尾根.矢ノ音南尾根から甲州古道.与瀬神社・・jr相模湖

    素朴な波打つ平頂.矢ノ音
   右側は明王峠への小径.12:40〜50

    矢ノ音633m
     矢ノ音は相模湖北岸の中央部に位置し.向かって右に孫山・子孫山ノ頭. 左にイタドリ沢ノ頭・大沢ノ頭を構え.ほぼ対象形な位置にある。
   矢ノ音北側は広く陣馬山栃谷尾根から明王峠・底沢峠・白沢峠に広く景信山・小仏山へと連なる山域になる。
   今回は国境尾根の明王峠から尾根伝いに南下し.奥高尾南部の奈良本尾根に乗り矢ノ音に立つ。

     矢ノ音は戦国時代の武田氏と北条氏がここで一戦を交え.その時の矢の音が凄まじかったことから,この名が付いたと言われている。
   それに合うような小広い平頂の台地. 取り囲む雑木の明るさが更なる広がりを見せていた。山名標がなければ何処が頂だか分らぬ頂に立つ。

     過って語形の似た「土ノ音」(つなのおと)と呼ばれる小さなコブを越えたことがある。南大菩薩連嶺の破魔射場(ハマイバ)南西尾根の末端にある
   切目峠から大久保山に至る間にある小コブ群にある。石標482のある890m圏のコブ。残念だが「土ノ音」と呼ばれる意味は分からなかった。

   矢ノ音の台地

     西側先から矢ノ音の頂を振り返っている。南北に植林との林相の境があり広く開けた台地は。
   里山と云うより裏山のような雰囲気を持っている。中央に位置するロープの囲いは2気象観測装置があり.「藤野町15名山」の道標木柱がある。

     立木には手製の「矢の音」とあり.南側にある「←大平小屋400m」の看板は平坦で畑もあったので小字名は「大平」。
   付近に昭和初期.鉄鉱泉の湧水で「大平温泉」があったとの記録もある。

     矢ノ音の南面コースは矢ノ音に孫山.子孫ノ頭を源として相模湖に注ぐ貝沢川が関りをもち.その右岸尾根は矢ノ音南尾根に旧道がある。
   大平小屋からは3つのコースに分かれ.2つは貝沢右岸の中腹道と貝沢から林道に入るコース。貝沢を渡る前後の区間は古道の復活路となり.
   又左岸尾根沿いの子孫ノ頭からは与野神社のコースを分けていた。

    イタドリ沢ノ頭方面を望む
   矢ノ音西側端から更なる遠方は表道志

    矢ノ音峠
   矢ノ音北面の巻道で分岐を振り返る.12:57

     道標に「←奈良本・吉野バス手停.明王峠・陣馬山」とあり.左へ入る登山道は先ほど歩んできた明王峠南尾根からの山腹道の巻道が示されていた。
   中央にも赤杭の前に小さな手製の道標「明王峠・陣馬山」があった。右上は今.下ってきた矢ノ音からの山道。
   矢ノ音へ100mほど戻ると山道の向かい合わせに赤帽白柱が2本.223番と243番が立ち.ジグザグ道を下り峠にでている。

     景信山西側水平古道から白沢峠
     堂所山分岐から明王峠南尾根を経て矢ノ音越えの分岐・・長閑な古道の低山丘陵
     奈良本尾根のイタドリ沢ノ頭.大沢ノ頭東尾根から甲府古道.吉野