小仏峠から奥高尾の吉野矢ノ音とイタドリ沢ノ頭・・武田氏陣営の御前山TOP 裏高尾.陣馬山周辺TOP

   景信山西側の大間伐中の水平西径路を抜け.白沢峠から陣馬高尾縦走路に入り奥高尾へ。
     堂所山.底沢峠.明王峠から初めて明王峠南尾根を綴る。―吉野矢ノ音.イタドリ沢ノ頭.大沢ノ頭南尾根から奈良本林道を下り相模湖.吉野へ
                                                 2019年01月11日.松村
    景信山西側水平古道から白沢峠・・小仏のカゴノキと砥石沢上流の間伐大作業現場
    堂所山分岐から明王峠南尾根と矢ノ音越えの鞍部
    奈良本尾根のイタドリ沢ノ頭.大沢ノ頭東尾根から甲州古道.吉野

     今年最初の山行は松浦本を参考に景信山の西側作業道を抜け.裏高尾縦走路から奥高尾南部の中央東線沿線の北側の里山を歩む。
   この数年で藤野駅南面の旧秋山村低山の山並を歩み.上野原からは高柄山・四方津方面から鳥沢にかけての御前山を歩んでいる。
   猿橋城山にかけての大桑山周辺や更に大月からは菊花山・むすび山。向かいに花咲山・岩殿山と対峙する中央東線沿線を辿っている。

     今回は武田氏と北条氏との接線とも云える景信山の水平古道を綴り.奥高尾の明王峠にでて吉野矢ノ音へと南地区からjr藤野駅にでる。
   暖かい日差しに恵まれると聞き.急遽決めた山行。西丹沢の西.或いは奥多摩の小川谷へはもう暫く待つことになる。

    城山南東尾根の下端
   宝殊寺の参道脇に「小仏のカゴノキ」が聳える.7:40

    小仏峠越えの点線都道.県道
     小仏峠越えの甲州道中(旧甲州街道)は駒木野宿から小仏峠越えで.切通しの様な深い堀底道から底沢にでて.小原宿と結ばれていた。
   現在の都県道516号浅川相模湖線の車道終点の柵の先には「ヤゴ沢作業道」を分け.ここから小仏峠越えの点線都道・県道に入る。
   明治21年(1880)に現在の国道20号が南側の大垂水峠を経由するコースに切り替えられるまでは武蔵と相州を結ぶ幹線の古道だった。

     キロポスト「188」は神奈川県道の整理番号に合わせ.今は都道も「516」に変更されている。
   相模原市側の車道終点端は県道ではなく底沢バス停とし国道20号と結ばれている。東海自然歩道・甲州古道に指定されているためなのだろうか?
   回れば県道からも入れるものの.相模原市側のコースとしては道路標識の皆無な旧街道になり.底沢で国道20号.現東海道と結ばれていた。

    jr御徒町5:31=東京5:43=7:01高尾北口:12=7:33小仏bs・・特快6:06=7:10高尾.日出6:48.

     直接小仏峠に入る。ハイカー2人が途中で日影バス停に下車.日影沢林道から城山北東尾根に入るのだろう。
   尾根伝いには送電線jr高尾分岐線と新多摩線が横切り.高尾分岐線はバス停「小仏」脇のjr高尾変電所と結ばれ.中央東線を動かしている。
   又白沢峠付近では新多摩線の巨大鉄塔を真近から見ることになる。バスの終点小仏には私を含め中高年4人の単独行者が下車した。女性は1人

     バス停の直ぐ先.南浅川に架かる小橋の脇に.大分古くなった警告板「イノシシの箱監あり注意!」があり.対岸に仕掛けの檻を前回も見ている。
   イノシシは敏感な動物で学習能力が強いと聞いている。固定してその都度捕獲できるほど.この辺は繁殖力が旺盛なのだろうか?

     浅間神社の100m先が宝殊寺前で通学の中学生と出会ってから都指定天然記念物の「小仏のカゴノキ」を見定めようと寄っている。
   朝方は山蔭で朧げな逆光の姿.少々迫力は欠けている。参道の左脇に聳えるカゴノキの主幹は枯れ.その周囲を枝幹に取り囲まれていた。
   幹周.7m.高さ3m.南北に22m.東西に17mの老樹。

     参道から本堂.奥の墓地(武田家の墓地あり)を抜け.その奥の510m点・宝殊ノ頭を擁する宝殊寺尾根を詰めれば城山北側の巻道から
   日影林道の起点にでる。尚浅川神社の本殿.左から浅川尾根を詰めれば日影乗鞍北尾根に乗り.城山北東尾根からも城山にでられた。

    宝殊寺の開基は行基.開山は道明上人
     行基と云えば師走.2週間ほど前に山仲間達に秩父音霊場札所巡りに誘われ.そういう歳なったかと考えさせられてもいた。
   荒川左岸の31番.観音院本堂に行基の聖観音像がご本尊として祀られていた。又数年前に南大菩薩嶺の勝沼尾根を下った折.
   行基が創建した大善寺に寄っていた。数えたら切りがないほど開基を知る機会が多い。

    旧甲州街道
   ヤゴ沢作業道を分け小仏峠への道.8:10

    小仏の道
     登山口右脇には以前と変わらず雰囲気のよいヤゴ沢作業道の起点があり.気になる取付きになっている。延長439m.幅2m.
   景信山は尾根筋からだけでなく「ヤゴ沢愁流のこみち」からの沢沿いに登山コースがあり.雪風景とは異にする情緒ある取付きだった。

     小仏峠の道. 明治19年に甲州街道が大垂水峠を越えるようなる以前の甲州古道は八王子方面.駒木野宿から小仏峠を越え.
   底沢川の南部にでて小原宿本陣に通じている。この旧街道からの入山は大雪の時を含め今回で2度目になる。

     以前訪れてから既に5年が経ち.「平成26年豪雪」は高尾山に稀な1mを超す積雪をもたらした。
   中央東線は数日間.塩尻まで全面不通になっている。1時間で信州と同じような雪山を踏むことができると交通機関が動き出すと同時.
   カンジキを独り持ち.ここ小仏峠から南高尾山稜を大戸へ抜けていた。

     小仏からは何処もが深い新雪に埋まり.大きな雪窪道を歩む感じだった。又バス停からの道路はブラックアイスで舐め蝋の如く滑る路面。
   山道に入れば峠まで膝深いトレースを綴っている。小仏峠にでるも地蔵さまにテーブル類は完全に埋まり.道標の頭だけが顔をチョこんと出していた。

     峠の茶屋の主人が付けたトレース。ここからはカンジキを付け膝強の歩き。見えぬ踏み跡を脇に外れると股まで潜っている。
   起き上がるのが大変だった。小屋番がこの時間しか見えぬ富嶽を見せると案内して下さった。

     今日は君だけだろうとお茶を勧めれたが出始めて丁寧に断っている。誰も居ぬ大雪原に1人.快晴の強い陽射しと雪粒に戯れ.
   疲れれば雪面に大の字を描き休んでもいる。2度目のコース.その違いを痛感させられてもいた。

     一面の雪どころか残り雪もないこの時期.奥多摩の山々は冬型の気象配置より.春の二つ玉低気圧の方が降雪になる確率は高い。
   峠路は常緑樹の植林に囲まれ.枯葉の少ない大地の足元は硬く凍り付き.寒さだけが刺す小径を黙々歩み.日が差せば〆たもの。

    小仏峠
   小仏城山と景信山を隔て戦国領地の境峠.8:21 
    小仏峠の「小仏」とは崖の古語の「ホッケ」なので小ボッケからの転訛→小仏.

    戦国時代
     小仏城山には北条氏の居城である八王子城の出城が築かれ.武田軍との戦略の拠点とされていた。過っては「富士見の関」という
   関所が設けられ.江戸時代になると小仏峠に移り.更に駒木野に移されている。又景信山には北条氏側の烽火台があった。

     堂所山には鐘音で情報を知らせる武田側の鐘撞堂があり.堂所山・景信山の西側は底沢川の流域で.互に睨みを利かせていた。
   武田側は堂所山から陣馬山の烽火台を経て.小渕丘陵の鷹取山.四方津・鶴島・寺山・斧窪御前山.猿橋城山から岩殿山の出城へ伝達されていた。

    景信山西側の水平歩道(縦走路西側の作業道)
   小仏峠から景信山西側の作業道を綴る.8:34

     水平古道は「あの道は明治からある仕事道で特に名前は無い.藪をこいで進むと明王峠の手前の白沢峠に出るんだ。
   もう一つ上にも捲道があってな.上下二つあるんだ。」とHP「晴れのち山・・時々妄想」氏の体験談から知ることになる。

     景信山の西作業道は最後に左下に新多摩線71号鉄塔をが聳え.300m進むと陣馬高尾縦走路にでて水平歩道は終わる。
   出口が白沢峠であり.「登山道」ではありませんとの表示を見る。「白沢峠は堂所山と景信山との間にある峠.今は廃道となった。
   西多摩地方の人々が底沢半僧坊に参詣した道という」とある。特に八王子小津町.鳥切場.関場.底沢のルートは半僧坊への主要参詣路になった古道。

     この会話の相手は高尾山の豪雪の折に富嶽が見えると案内して頂いた峠小屋の主人。
   かって「富士見の関」と云う関所が設けられていたが.江戸時代になると小仏峠に移り.さらに駒木野へと移っている。

     小仏峠から景信山へと尾根筋に乗る陣馬山への裏高尾縦走路を右に分け.身支度を整えて.底沢側を巻く水平径路に入り込む。
   ロープで封鎖され「登山道ではありません。水源林管理の径路」とある。50mも進むと峠手前で壊れた簡易トイレが2つ転がり放置されていた。

   最初の支尾根を横切る.8:37

     暫くは標高540m前後を維持しながら西山腹を綴り.最初の支尾根を越えている。
   西南西に延びる小さな枝尾根で踏み跡があり.下端は中央高速道の小仏トンネル西詰口付近に至っている。
   この取付きには赤プラ杭があるが赤帽白柱はなかった。これから古道沿いに数多くの赤帽白柱を見ることになる。

   一時.薄暗い静かな森林帯を抜けて.8:39

    水平歩道671m点南西尾根(68号鉄塔尾根)
   経路に入り初めての赤帽白柱「水源森林157番」.8:51

     山腹を大きく回り込み.次の支尾根を乗り越えると幾らか日差しが差し込んでいた。それも直ぐ山蔭で閉ざされた。
   枝尾根には踏み跡あり.この先671m点コブ北側の370m圏コブ尾根までは間隔で間伐の作業が集中的に行われていた。

     山腹道は長い水平歩道だが.厄介なのは藪枝に足場の急斜面。多くの木こり達が入り.間伐と重機による倒木の運搬作業とを
   併用して行われている。鳴り響く電動の切る音があっちこっちから聞こえてきた。

    広く伐採中と重機
   左上のアイアンクロー車と丸太運搬車.8:54

    伐採地
     経路の100〜200mほど下には幅4mは超す林道が並行して走り.大きなアイアンクロー車が林道を塞いでいる。共に経路は地形図には記されず。
   木材運搬専用車は目一杯の木材を積み終えたばかりだった。幾つもの切り株を残し.キャタピラ車は超スローで山を降りてゆく。

     経路の上部では電動ノコが狭い谷間に途切れず.うなり響き渡っている。右上から聞こえたと思うと上前方からも聞こえ.径路上部では
   面をなし間伐が行われていた。1ケ所で電動が途切れれば一瞬の間を開け.「ドーン!」と立木が倒れる倒木音が谷間一杯に響く。
   以外と鈍い低い音ではなく.大地が凍り硬いのか? 硬い音色混ざりで聞こえてきた。

   真新しい根株と経路に並行する林道を見下ろす

     歩む作業道の小径には点々と作業員の小荷物や飲物.時には鉈のような7つ道具も一人一人が伐採する立木の近い所に置かれていた。
   私が通った径路の脇だけでも数にして6.7ケ所ある。20mほど先では改めて伐採が行われるようだ。暫く見物させて頂いた。

     ここでは間伐する40年ほどの太めの立木が4本ほどまとまってあり.その中から切る立木を選んでいる。
   真近な立木の各々をハンマーのようなもので叩き.倒す木を決めたようだ。電動に持ち替え.スイッチを入れると共に「ギーィン.ギーィン!」と唸りだす。

    ヤゴ沢ノ頭671mから派生し北久保ノ山492mを擁する西尾根・・南側
   支尾根に立つ赤帽白柱26番.9:02

     切り落とした真新しい切り株が凄い数を示している。間伐された中木林の中の太い立木は30年ほどだろう。
   以前.三国山の山麓で木こりに教えて頂いたことがある。最近の幹は年数が立つ割には細いらしい。

    尾根北側
   水平歩道560m圏.赤帽白柱26番・・9:08

    伐採作業
     径路に変わった古道の谷側には赤帽白柱26番が立ち.脇に新たに赤帽白柱7か立てられている。
   又新赤帽白柱28番があり.脇の枝木には赤テープに「丸写.径路新設(Aコース)05」と書かれ.径路も新たに改修され木留めされていた。
   赤帽白柱26を背に支尾根の370m圏コブ尾根にも点々と赤帽白柱が立てられ延びていた。

     この先の径路にも赤帽白柱が3本立ち.谷側には50番があり.山側には49番が訂正され40番と書き換えられている。
   山に入ると時々並ぶ標柱番号の違いを見ることがある。ただここまで乱立するのは.それなりの理由があるのだろう。
   如何でもよく知りたい気もするが。

     徐々に高度を上げた次の小尾根には赤帽白柱45が立ち.向かいに赤帽白柱49番が訂正され44番とあった。
   ここは伐採中の西側端になり.見え隠れしながら何人もの木こりを見ている。

     以外とあっちこっちで離れた感じで電動の轟く音を聞く。その都度聞こえる方向に目を向けては昔を思い出していた。
   学生時代,吾妻山家形ヒュッテの管理を福島高湯の温泉組合からRHCに委託され.共同管理をしていたことがある。

     秋になると営林署から許可された立木の中から自分達で適当に選び.当時は鉈と鋸で倒していた。
   最後の一瞬は声をかけ押した倒している。その後北軽での薪作りは毎年秋に電動を使っていた。小型から中に変えてもいた。

     ここから40mほど先まで径路は谷側に新たに木留めされ.土埋めの改修が行われていた。
   やはり歩き易く気を使わず歩める径路。ただ砥石沢側に入ると大分古い径路に戻されている。

   砥石沢の中俣右沢ツメ.9:21

     研石沢の右俣.中俣の右沢,左沢は共に確かではないが殆どが沢沿いに下れるようだった。赤テープのマーキングが付けられていた。
   徐々に高度を上げ次の小尾根に赤帽白柱45番が立ち.砥石沢中俣右俣のツメを越すとひと時の雑木帯に入り.不思議な感じを抱かさせている。
   ここだけは針葉樹の植林は排除され.照葉樹に覆われていた。

   一時雑木帯に入り.9:25
    明るくなって如何にか見える砥石沢対岸の白沢川左岸尾根。尾根に乗るのは送電線新多摩線69号から71号鉄塔。

   小さな植林帯を抜けると中俣左俣ツメに入る.9:32

   再び灌木帯に入る.9:33

   砥石沢左俣のツメ.9:35

   左俣.9:39

     砥石沢中俣から左俣を越えた先までが水平径路で.ここが一番の古道の悪路になっている。
   この間だけは何故か大きな赤帽コンクリート杭が幾もあった。少々藪絡みの自然林.細い踏み跡を綴ると左後方から確りした径路が合わさる。
   どころか上がってきたのだろうか? 探せば右後方にも踏み跡が延びている。新しい水平歩道を見て.手前の赤帽白柱157番を見る。

    白沢川左俣左岸尾根
   赤帽白柱107番630m.9:45
    植林帯の中の谷間に入る

     白沢川から分かれ右の砥石沢へ.白沢第一林道に入り200m進むと砥石沢は左俣.中俣.右俣に分岐する。
   直ぐ左俣左岸の踏み跡を追うと.高度を上げ530mで左に水平道を分けている。この分岐を南方に進むと支尾根にぶつかった。
   赤帽白柱35番.道形は明瞭で西北西に向きを変えれば670mで白沢川左岸尾根に乗り.水平径路の赤帽白柱15番にでている。

     又直進すれば赤帽白柱5番にでた。左俣左俣ツメを過ぎ.再び日当たりのよい支尾根にでると赤帽白柱107番が立つ。
   ここからは対岸寄りに先ほど通過した谷間の間伐地から電動の力強い響きの音色が聞こえてきた。
   1ケ所だがロープが設置されていたが気にすることはない。

   696m点コブを擁する69号・70号鉄塔尾根の合流点
   赤帽の抜けた白柱57・37番標柱.9:59

     砥石沢の出合からの696m点コブを擁する69号・70号鉄塔尾根(白沢川左岸尾根)との合流点. その上部に71号鉄塔が建つ。
   尾根上部に赤帽白柱15番が立つ。この尾根が奥ノ沢・ヌタノ沢と砥石沢との分水尾根になっている。
   林道も白沢第二林道と第一林道が砥石沢で分けられていた。

    陣馬高尾縦走路直前の新多摩線71号鉄塔
   水平径路の赤帽白柱44番脇より.10:04
    新多摩線は新秦野変電所から新多摩変電所まで鉄塔91基で結ぶ500KVの超高圧送電線.

    鉄塔巡視路標柱
     尾根を気持ち下り赤帽の除かれた白柱57.37番にでて.右に山腹を回り込むと左手に新多摩線71号鉄塔が見下ろされる。
   すると平坦な整った経路は今までの中で.一番歩き易くなった硬く幅広い山道に変わっていた。地形的には崩れるような場所はなく.
   古道がそのまま使われているのだろう。300m進むと水平古道の下段をを終えると裏高尾の縦走路に飛び出した。

     途中には古い浅灼けた背丈ほどの大きな黄色い四角いプラ柱「71号⇔. →70号」巡視路標柱が立ち.脇には赤帽白柱が足すようある。
   この経路の左下には71号・70号鉄塔尾根に至る巡視路を分けていた。この古い標柱の型は3年前だったかOB親睦ハイクで.
   御岳山市界尾根を下りた吉野梅郷の分岐手前で同型の古い新所沢線の巡視路標柱を見ている。

     更に先の白沢峠手前には新しい黄色いL字強プラ標柱「↓×. 新多摩線71→相模原支社」を見ている。
   旧柱の立った当時は70号鉄塔までは巡視路をピストンしていたようだ。今は下流からの巡視路ができ.「×」の印に変わっている。
   ここを過ぎれば境界尾根の白沢峠の少し手前の縦走路にでた。

    陣馬高尾縦走路
   右の赤帽白柱脇が水平径路口で振り返る.10:15
    戻り気味に縦走路を少し戻ると左脇に72号鉄塔が建ち.73号.74号鉄塔へと続く。私の背側の直ぐ先は白沢峠。

    白沢峠・・新多摩線
     白沢峠は堂所山と景信山との間にある峠。陣馬高尾縦走路で.向かい30分ほど先に景信山727.3mが聳え.高尾山へ至るコース。
   登山道で戻れば直ぐ右前方に景信山を巻く道標「巻道」がある。ここが上段の古道らしい。越えれば朝方の取付いた小仏峠にでるようだ。
   写真の背は陣馬山への奥高尾縦走路.直ぐ先が堂所山。戦国時代には両山に武田氏と北条氏が陣を構え睨み合っていたのだろう。

     小仏峠口にあった「登山道ではありません」の古道.景信山を巻く中腹道の出口の道標は取り外され.脇に赤帽白柱が立てられていた。
   又縦走路の向かい側の路肩には「境界見出標30支12.林野庁」と小さな杭が立てられている。
   上恩方町高留と相模湖.底沢とを通う峠路で明治中期には「底沢の桂林寺半僧方」への賑やかな参詣道だったが今は廃道化していた。

     西多摩地方の人々.特に八丈子小津町.鳥切場.関場.底沢のルートは主要な参詣路だった。白沢峠のルートは今綴ってきた69号・70号鉄塔尾根や
   研石沢からの今は作業道になり.祭日には芝居小屋.露店商.茶屋が軒を並べ賑わっていたという。

     又廃道化した峠路の東側の枝尾根には巡視路が綴られ小下沢へ下りられる。巡視路標柱「←72号」を見て下り73号で尾根と外れ.
   右の水平道から涸沢を下り小下沢林道(こげさわ沢)にでる。林道を下れば直ぐ脇に逆川林道を分け.小仏川沿いの大下・日影にでられる。

     左岸の上流側へ250mほどで鉄製階段を登れば北高尾山稜の74号鉄塔にでて.三本松への分岐から下って北土沢林道へ。
   途中には75号鉄塔が建ち.更に下れば陣馬街道.夕焼小焼に至る。

    水平古道
     水平径路の藪絡みは殆どが短い距離で.そこにも迂回するルートがあった。赤帽白柱は点々とあり過ぎるほど多い。更にダブリもある。
   平凡と云えば平凡な山腹道.巻き道だが擦れ違うハイカーとも会わず静けさは絶品。今回は木こりの伐採風景も一つの絵になっていた。

     景信山西側水平古道から白沢峠・・小仏のカゴノキと砥石沢上流の間伐作業現場
     堂所山分岐から明王峠南尾根とを矢ノ音越えの分岐
     奈良本尾根のイタドリ沢ノ頭.大沢ノ頭東尾から甲州古道.吉野