| 湯檜曽川流域Top . 湿雪の上越.笠ヶ岳大倉尾根 生暖かい山稜のラッセルと最後は本降り 重い雪質に苦戦すること15時間半 ![]() 朝日岳と笠ヶ岳大倉尾根.西黒尾根より |
| 谷川岳.湿雪に挑む笠ヶ岳大倉尾根.s44年(1969年)12月06〜08日 L松村進(43年卒)m沼津久美子.桧垣いく子(3)中沢康.中西久美子(2) 土合―笠ヶ岳大倉尾根―白毛門―土合 谷川岳の国境稜線を分水嶺にして魚野川と利根川とを隔てる朝日岳から南方に延びる尾根上に笠ヶ岳.白毛門が聳えている。 この尾根は又利根川源流の支流宝川と湯檜曽川を隔て.西面支尾根は湯檜曽川に1000m以上の高度差を持ち没している。 尾根の距離は3〜4Km程と短く.湯檜曽川左岸の高度差も急激に落ち込む。その中.笠ヶ岳大倉尾根に目を向けてみた。 この時期になると過去に何度も.対岸の谷川岳西黒尾根から振り返り望いていた岳になる。 笠ヶ岳から西側に派生する尾根が大倉尾根で真っ直ぐ湯檜曽川に落ち込んでいる。尾根の背には谷川主壁が聳え.望みつつ登ることになる。 資料はない。上部は雪稜の尾根が続くが尾根末端取り付きの状況が解らず。費やす時間は雪被る藪に掛かっていた。 12月06日.上野22:12=2:47土合 湯檜曽川.取り付きへ 土合付近より茂倉岳 大倉尾根取付き地点より湯檜曽川上流12月07日曇後雨 土合一2:55山ノ家4:55一5:45マチガ沢:52一6:40幽ノ沢出合6:55一7:35芝倉沢出合先8:00一8:15湯檜曽川渡渉 華やかなロープウェイ広場はライトの光々とした照明に照らされ.初スキーを志すスキーヤーで満ち溢れていた。 生暖かい風が頬をなぜ.どんより霞む明け方の広場はまだ星が1つ2つ認められちる。 新道 「通行止め」と書かれた標識を越え.旧道から新道に入る。 凍り付いたジャリ道はランタンに照らされ.目立つガードレールの照り返しは冷たい感触の白光を放し反射させていた。 まだ明け方早く闇道に幻想じみた奇形を抱かせる影。ランタンはそのそれぞれの奇形な影を追ってもいる。 マチガ沢出合付近には幾つもテント,ツェルトが張られていた。テントのどれもが灯りを点け.アタックの準備をしているようだった。 東尾根を巻くと出会う人も疎らになり,更に一ノ倉への新道に出てからは数えるほどしかテントもなくなっている。 幾らか積雪も増し.ジープのタイヤらしい潰されたわだちの跡が.半ば積雪に埋もれて見留められている。 一ノ倉沢出合は夜明けを迎えようとしていた。白みだした台地はすっきりした明け方の兆候を示すのではなく, 不気味に感じるどんよりとした不安定な何時までも薄暗い重みを漂わしていた。天候は荒れるかも? 又周りは沢と云うより手前に屏風のような岩壁が扇状に広がり.薄暗さが顎の出るような岩壁が天を仰ぐが 如く圧倒させているよう聳えている。何故か鳥肌が立っている。 出合より堅炭岩幽ノ沢は一ノ沢に比べ.幾らか緩やかになると明け方の明るさを取り戻してきた。 そも顕著な岩稜が扇状に左右に落ち.幽ノ沢は隣りの一ノ倉沢とは又別の深みを持ち望まれる。 積雪が30〜40cmと増してきた。ジープにしては可笑しい.雪上車かと考え深げに.旧道に降りる。 出た所が虹芝寮.明るくなった空に堅炭岩の奇峰が聳え.足元は芝倉沢の広い出合へと続いている。 私達が目指すルートは笠ヶ岳大倉ルート.淡雪のラッセルを期待するも重い雪質が待ち構えていた。 湿気を十分に吸った雪粒が湯檜曽川の河原を埋め尽くしている。 |
![]() 大倉尾根.枝尾根より |
| 8:15湯檜曽川渡渉.ワッパ8:35一9:35河原より180m地点:55一10:27大休止11:00一11:54大倉尾根合流点12:00 一13:00小:20一14:50ツエルト15:25一15:55笠ヶ岳. 大倉尾根へ オーバーシューズを履き.浮石伝いに湯檜曽川を渡渉.対岸でワッパを付ける。 膝を楽々越す積雪はワッパを付けても20cm程潜る。登り易すそうな尾根末端の適当な枝尾根を目指し,窪地を遡る。 中沢が石油が漏れいると言い出した。中西嬢は重たそうに足を上げている。 桧垣嬢は初めてのワッパに好奇心に浸っていた。そして沼津嬢のさわやかなハッスル振り。 何時ものことだが3人の女性群の登山狂には感心させられている。 もう私とは行くまいと思いながら付いてくる彼女達。今回も現役の誘いが発端になっている。 笠ヶ岳へ直登 |
, 枝尾根上にでて |
| 湿雪と藪 100mほど辿って右の枝尾根に取付く。場所が悪かった。急な上.浮き枝に15cmばかりの積雪が埋もり.その下が判らなかった。 突き出た枝木を利用するも足場が安定せず大変だった。初めから腕力のみの登行が始まった。 雪面に胸が付くような所を二度.三度ずり落ちては登っている。 沼津はピッケルのシャフトを折った。雪で見えざる木の根本に刺し込んだらしい。 更に猛烈なブッシュの尾根が続く。一本で200mと訳もわからぬ取り付き.高度も稼げぬ登行が続いていた。 森林限界 |
霞む谷川.一ノ倉岳 ,対岸の幽ノ沢 七ッ小屋沢岳 , |
大倉尾根より武能岳枝尾根 10時半枝尾根に乗り.左へトラバース気味の所で昼食を摂る。温かさのない冷めた湯に塩けのない飯.食欲はありそうでない。 白樺の枝越えに対岸に聳える鋭い岳の斜面を覗き込みつつ食う。 谷間から一気に駆け上がる幽ノ沢.一ノ沢.マチガ沢の稜線が.岩稜が.そして雪稜が。谷川岳の双耳峰も望まれた。 反面.右側によれば柔らかい曲線を描く笹平の雪原や武能岳の眺めもここからは整い見応えがある。 尾根にでる 大倉尾根に乗ったのが正午.土合を出てから7時間の勘定だ。もう焦る気もなくなっている。 右側に雪庇を付けた夏径はやはり歩き易い。1500m左の尾根沿いに回り込む所まできた。 ここからは利根川下流の板東方面に冬晴れの切れ目が遠望できる。180度.頭を返せば武能岳にも陽が差しだしていた。 谷川東面の雪壁は時折.煌めき輝やいて望まれるも.生温い風が気に掛る。まずは頂まで行かねば。 頂.直下 高度1650m森林限界.這松帯に入る。クラストした雪面にツメが利きだすも束の間.頂を前にしてワッパは潜り始めている。 バランスを崩せば這松に足を取られ膝まで潜る。抜くのに一苦労し体力の消耗が甚だしい。 風が強くなってきた。頂まで後60mが如何にもならなず.万事休す一本取りツェルトを被る。 笠.頂稜へ |
![]() 這松潜る笠.頂へ.這松の落とし穴に時間を食う |
| 15:55笠ヶ岳一17:30森林限界上.アイゼン着一18:50小:55一20:25車道一20:35土合山ノ家. ヤッケを付け差し入れのケーキを食べ.一息入れてツエルトの外にでる。風速20mを越す烈風の南風が吹き付け.風に飛ばされつつ登る。 食いしばり続け.そして16時笠ヶ岳の頂に立つ。頂通過・・3等三角点標石あり.標高は2057.47m.基準点は「笠ヶ岳」. 10時間ものアルバイト.その報酬は握手さえできずにいる。上越特有の重い湿雪に馬鹿みたいな時間を費やしていた。 頬を打つ烈風がフードをばばたかせ.目と目を会わせるのが精一杯だった。風の息は全くなくなった。 もう崩れるのが分かり切っていた。雨雲に覆われ大気が大地に下りてくる。休むことなく頂を通過した。 笠ヶ岳より白毛門帳が降りる前に樹林帯に入ってしまわなければ.ビバークが待っている。 早い黄昏が早くも頂稜に迫り被いだしている。視界も途切れてきた。ガスの湧く中.焦らず止らず頑張らす。 そして幾つもの起伏を越え白毛門に立つ。 帳 時は乳白色のガスが包まれ.もう闇になっている。視界は完全に閉ざされた。 三度目に訪れた白毛門. 何時もガスか.闇に包まれていた。今回も周りは全て闇で閉ざされている。 樹林限界を目の前にワッパをアイゼンに変え.身を引き締めて.ランタンを頼りに雪稜を下る。 ビバークの不安は消えつつあるが現金にもので.今度は明日の仕事が気になりだした。 焦らぬよう焦らぬよう.スローなペースで緊張が緩まぬよう気を使い森林帯に向っている。 素手でも寒くない暖かさが最後まで続き.土合の灯を見出しホッとするも雨が降りだした。それからが長かった。 雪上で降雨に合うとは仕末が悪い。本降りになり雨に叩かれ.真下の土合はなかなか近づかなかった。 糠ずんだ雪層に雨が溜まり.滑る下りに傾斜は増している。闇は土合の灯をも包んで見られなくなった。 中西嬢の疲労は惨々たるもので.「もう否やだ!否やだ!」と独り言を言いながらカメのよう.這うよう降りて行く。 土合 土合橋に着いたのが20時25分。実に明け方から15時間半の行動になった。 久し振りの靴ズレに身を屈めながら「土合山ノ家」の湯舟に浸かる。 薄暗い風呂場と白い湯気.体の芯を暖める。トタンを叩く雨の音が.この湯殿まで激しく響いていた。 8日土合.最終夜行鈍行列車=上野 白毛門より笠ヶ岳と朝日岳疲労と根性で登った笠ヶ岳 中西嬢には慰労賞.パーテイーには功労賞を与えたい。 そして最後に誰もが疲れて切っている中.我々の乗る列車の為.寝ずに起きていてくれた沼津嬢に感謝の念を表したい。 その後笠ヶ岳山頂直下北側に笠ヶ岳避難小屋が建設された。高さ1.8m程の金属製,シングルウォールの小さな小屋. 木床で窓は4つで暗過ぎることはない。ただ換気口が付いているものの結露は激しいらしい。快適に宿泊するのは2名. 谷川山頂より朝日.笠ヶ岳大倉尾根 |
![]() s46年12月.武能岳東面でザイルワーク訓練の折.対岸を撮る。笠ヶ岳と白毛門山 |
冬期.湯檜曽川周辺 湯檜曽川周辺拡大図.山行表 上越国境周辺全体地形図笠ヶ岳大倉尾根 |