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谷川武能岳東面の技術山行

旧道出合から武能沢の岩稜を連呼

満月の月光を浴び.雪山でザイルと戯れる
          
武能岳東面全容
                      対岸笠ヶ岳大倉尾根より.s44年12月

   雪深い谷川岳.芝倉沢左岸                                                   .
        s46年(1971年)12月04〜05日. m松村進.田沼栄一(43卒)山下輝一郎(法1)和泉政幸(文1)       
  
                                旧道より陽の照り出した芝倉沢
   一昨年.対岸の大倉尾根から眺めた武能岳はガスの切れ目より残雪を振り落とす黒々とした岩壁で被われていた。
     その印象が強く残されていた。後輩を連れ芝倉沢で遊び.芝倉沢から蓬峠へ抜けようと思っていた。

      12月04日晴. 上野22:13=
           05日晴. 2:42土合⇔6:30芝倉沢出合.一16:20土合:38.臨急=19: 上野. 
      月明かり
   土合駅の明るさから離れ.堅いアイスバーンに被われた新道を転ばぬよう注意深く遡る。目は次第に闇に慣れてきた。
     夜空から見上げても素晴らしい晴天だ。黒々した山陰が谷間を囲み.夜空との境をはっきり描き出している。
     雲1つないと分かるほど.紺碧な空が星屑を散りばめ大空いっぱいに広がっていた。  

   夜行の上り列車が澄んだ響きを立て通り過ぎた。
     新道に導きかれエレキに頼る心配もなく.満月の月明かりが新雪を浮び上がらせ.足元を照らしている。
     踏み固められた昼間のトレースを外さぬよう.月明かりに助けられ河原沿いを遡る。

芝倉沢左岸.第二基部   ・

                        武能第五.六尾根を背に懸垂するマタ
   マタと会話中
     私もマタも武能登攀より遊ぼうと考えていた。それで彼等の雪山トレーニングになればと。

   芝倉沢出合では夜明けにはまだ闇深く.ツエルトを被り仮眠を取ることにした。
     温かみを取ろうとコンロに火が点ると早くも和泉君が軽いイビキを掻きだしていた。
     暖かさと夜行疲れに誘われる間々.私もマタに起こさせるまで少実1時間の眠ったようだ。

    岩を攀じる
   旧道へでる。右岸の小径を知らなかった為ため芝倉沢を旧道へと遡る。
     ワッパを付けボクボク潜る河原.望める旧道は距離の割り馬鹿に長く感じられた。

   その前方は堅炭岩.右手にピラミッド型の美しい鋭峰.武能岳も見上がられていた。
     武能岳と茂倉岳を結ぶ頂稜の東面.芝倉沢左岸には6つの尾根があり.積雪期には雪稜として生まれ変わっている。

      旧道出合
   紺碧の空に峰々は輝き.挑む筈だった武能岳の岩稜が連呼して眺められている。
     背後になった東尾根の頂点から第一・第三と続き.正面の岩肌は明け方の柔らかい陽射しを受ける。
     頂稜は朝焼けから変わり純白の輝きに変わるが谷間はまだ陰りどす黒い岩壁を現している。

   第四・第五の岩壁が望まれた。谷底から見上げて一層眩き輝いているのが第三尾根だ。
     歩む足が知らずして岩峰に向いている。河原から疎らな裸林を抜け稜直下にでる。

      トレーニング
   トレーニングの基点は旧道芝倉沢出合.第一尾根末端の岩陰にした。
     朝方は日が当たっていたものの見る見る陰り.狙っていた岩壁も等々陰って行く。

   漸く見付けたトレーニング場は岩壁一段高い台地で積雪多く.リスを探せない為.7m程の岩で懸垂下降する。
     初め恐々しくしていた和泉君が張り切りだし.攀じっては懸垂を繰り返す。

   寒い々とベースに戻った山下君も,ハッスルし始める。2人が交互にザイルを握り.私が指導した。
     マタはぼやき出し,じっと確保している手に体が凍り固まっているようだ。

   落ちても泡雪の急斜面で怪我せぬものの両君は止めようと言っても,もう一度を繰り返す。
     それ故.下山は15時を過ぎていた。11:00〜15:30ザイルワーク

     マタ.私.和泉.山下君

   芝倉沢を抜けるこのルートは昔叔父が上越線が水上まで開通した折.積雪期の横断している。後の写真家.岡田紅陽先生の一番弟子として
     白旗史郎氏と叔父の松村芳雄氏が選ばれたが.その後叔父は体を壊し.富嶽周辺の風景に専念していた。

   今年のこの後の正月.山行では岩小屋沢岳でピッケルを紛失し再び購入。
     エバニュー製グレッチャー.66L19.ニッケルクローム2鋼材使用.火造特殊焼入焼戻し加工
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     武能岳東面の尾根
    湯檜曽川周辺地形図.山行表

       ナイロンザイル切断事件
   昭和30年1月2日.岩稜会の三人パーティが前穂高岳東壁を登攀中にザイルが切れ.若山五郎が墜落.死亡した。岩稜会は実験により
     ナイロンザイルは岩角に掛かると切れやすいことを突き止める。ただ公開実験では細工をし.作家の井上靖氏が「氷壁」を発表。
     そのうちザイルが切断し死亡する事故が数件発生。ナイロンザイルをめぐる記事が次々に記載された。

   岩角にきわけて弱きことは今や承知となりつつあるが日本山岳協会はザイル切断の超高速カメラに収め大々的に報道した。
     48年6月には消費生活用製品安全法が制定され.50年3月に審議を終了し,6月10日には法律により規制が世界で初めて制定される。
     ここにおいて基準に合格しないものは輸入ザイルも販売できなくなる。22年目の決着をみることになった。