| 常念山脈Top 餓鬼岳へのアプローチ・・中央東線 正月の雪白き餓鬼岳南尾根 アプローチは鈍行.中央東線 正月.初めてのアルプス.山麓で正月風情を味わう 弁当箱と魔法の防寒具 山麓より餓鬼岳.南尾根と東稜 |
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| 乳川を遡り雪白き餓鬼の山へ s44年(1969年)12月30〜01月04日 L松村進.sL田沼栄一(s43卒)m冨山貞男(s38卒)沼津久美子(3)中沢康(2) ここ3年間の正月山行は北八ケ岳の森を挟み冬富士に2度訪れている。そして今年は北アルプスを模索する。 昨年秋に偵察した後立連峰に入るか.或いはその前に前衛の山に登るかを考えている。 そんな折.赤レンガの会合が催され.焼津の富山氏先輩から参加希望を受けたことで.前衛になる餓鬼岳に山行を決めている。 餓鬼岳は小糸線安雲沓掛駅から直接登れる山であり.現地集合で合流するには都合のよい山だった。 餓鬼岳は高瀬川を隔てる常念山脈の北端にあって.燕岳に並ぶ北側の標高2647mの山。縦走路はなく岳人からは忘れられつつある山だった。 後立連峰の麓に入る手前の小糸線が安曇野に至ると直ぐ.左の車窓から餓鬼岳の雄峰が望まれる。 今までも大糸線に乗る度に何度も車窓から見上げている筈だが忘れ去られた山だった。 今までの山行とは少し違っている。何時もは夜行で東京を発っている。それが久し振り.中央東線の山並を見ながらの朝発ちにした。 集合場所は小糸線安雲沓掛駅に決め.地元で1泊し岳に挑むことにした。 私は早朝に新宿を発ち.鈍行で甲府.松本と乗り継いて.松本平にでている。そのお陰で安雲の里で.正月の風情をも味わっている。 安雲沓掛⇔乳川―餓鬼岳南尾根
安雲沓掛 早朝.新宿を発った車窓の旅も漸く松本平を抜け安雲平に差し掛かる。 松本駅ホームで偶然後輩達と出逢い.共に小糸線に乗り継ぎ松本郊外にでる。 畦道に残された雪駁さや雑木に囲まれた農家が点在する姿が車窓から眺められ.夕日を浴びる田園風景を造りだしていた。 西陽が僕等の顔を照らしだし.夕陽を浴びた山里が朧に霞み黄昏だしている。陽が山陰に落ち,変わりゆく姿が眺められている。 又軍艦のような有明山の彼方に燕岳望め.これから望む餓鬼ケ岳の白銀の峰々も.赤味を帯び望まれた。 列車はバスの待合室のような小さな小屋とホームだけの安雲沓掛駅(あずみくつかけ)に滑りり込む。 駅員も居なければ屋根もない,吹きさらしの無人駅の駅ホームだった。 車掌が列車の扉を押し開げ,僕等の切符を取りにきた。そして手馴れた動作で発車を告げ,駅を抜けて行く。 地図を広げ,今日の泊り場を探していると乳川の近くに寺と神社を見付けている。 駅前の本道らしき西山地区の軒を並べる村道を歩む。走ってきた小さな男の子に尋ねると県道を突っ切きれば西山の神社があると教えてくれた。 里には夕暮れが訪れ,長く陰が伸び次第に弱まってきた。人影は疎らで通りすがりの農家の庭先から餅を突く臼の音が響いている。 そして家々に灯が点き始める頃,原村の集落を抜け,県道脇の森に囲まれた西山の八王子五社神社を見出した。 安雲沓掛駅より餓鬼岳 ![]() 乳川本谷→マムシ平→乳川谷→乳川→高瀬川→犀川→千曲川→信濃川 市街地の境,×点地点が西山神社c1
かなり立派な神社だった。境内の松林の森は以外と広く,神社の構えも堂々たるもので鳥居もかなり大きい。 能舞台が細長い社務所脇中央を占め,奥の本殿には灯がともされている。 そして境内には薄ら積もった粉雪が周りを一層薄白く浮き上げださせていた。 メンバーは相変わらずの顔ぶれだ。マタに沼津.中沢.そして富山先輩が加わった。 中沢は早速.酒を仕入れに出掛けた。 氷付いた松林の林床にペグは入いらぬ硬さ。僕は沼津と神楽堂の脇や床下から見つけ出した梯子を使わせて頂きテントを立てる。 樹冠を透し星の輝く森の下に。 焼津から参加される先輩を迎えに行ったマタも,中沢も寒い寒いと言いながら11時過ぎに戻ってきた。 總全5名.積雪は例年なみと思われる。人気のない愉快な山行になろう。 西山神社―1660m付近Bc 松林から漏ゆる朝日を浴びる境内,パッキング |
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雲1つない乳川林道 |
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| 12月31日快晴 西山神社c1. 9:20一10:00橋の先:15一11:05小:30一12:25小沢:45一乳川谷渡渉13:20一13:35尾根取付14:031 一14:40アイゼン使用15:00一15:40小16:00一16:50,bc(1660m付近テ1.2.3) 乳川林道 駅舎から歩く入山も珍しい,ましてアルプスで。目覚めのよい朝だった。今日は大晦日.早々にバッキングを済ませ境内を後にする。 西山の高木に被われた鎮守の森を抜けると朝の眩い陽差しに照らされた。 寒さが今日の好天を知らせ,ゆっくり乳川谷沿いに遡る。 歩くに従い林道の踏み固められた雪氷も気にせず,山へ入る喜びに変わっている。 前方遠く蓮華の頂稜が,前山の尾根を越えに白稜となって望まれる。何処までも蒼い冬晴れを切っていた。 畑を突っ切ると乳川林道はゆっくりうねり,一段と雪多き世界へ導いて行く。 粉雪が小枝に乗り,樹林を被い,林道を埋め尽くし河原を埋めている。 今朝.先行パーティが入ったようだ。まだ真新しい踏み跡が林道に薄っすら続いていた。 |
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, 食い地を撮られる |
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| 雪白き岳へ 大洞山の裾を巻き,乳川谷の崖淵を巻くと河原から離れる。 台地状の雑木林は知らずして赤松林に変り,規則正しく植林された松林へ,その林を縫うも快い。 弁当箱 昼食は弁当にした。何時もビスばかりだが今回は入山,下山を飯に拘ってみた。 弁当箱を開けると山ゴボウにソーセージ.佃煮が入っている。枝を折って箸を作り高校時代を想い,弁当を口に運ぶ。 昨夜の冷え切ったカレーも美味かった。朝食の食い過ぎか? 弁当には上品に軽くよそった飯が入っている。 ザックに揺さぶられ運ばれた弁当は飯の半分ほどが揺さぶられ塊り,見た目は物足りぬ気を起こさせている。 そでもこれからの行動を考え,更に半分の1/4しか食べられなかった。盗み食いをしているような気を起こさせた。 晴天が続けばこれから何日か御数を詰める楽しみがある。 凍らせぬ工夫も必要だった。再びセイターで丁寧に包み,タッシュに詰め込む。 取付きで同輩マタと望む餓鬼岳 松川からの径と合わさり一層雪は深さを増し,早朝入山した真新しいトレースが雪径を造っている。 釣魚沢出合で目指す餓鬼の頂稜が姿を現わした。周りより一層高く,より白い岳が蒼空に君臨し,雪稜となり僕等を待っている。 急登 尾根の取付は予想通りきついものになる。積雪はそれ程でもないが凍土に足を取られ,雪が足元から流れ落ちた。 アイゼンを履くと先のトレースは程よい積雪のラッセルに。汗を掻き喘ぎ我慢の登りが続く。 痩せてきた尾根を登ると背負子の身,喬木が邪魔になってきた。脇に伸びる枝木がわずわらしい。 考えるに天幕と背負子のペァーは常に私の持分になっていた。背負子が好きであり,ついでに天幕も担ぐことになる。 食糧は冬山としては多い。荷が重いせいもあるが早い陽は午後にもなると急に西へ傾くよう落ち始めている。 上の台地で先行パーティーに出会った。テントの中から関西勢らしい笑い声が聞こえてきた。 Bc2.3.4 ベースキャンプ.1660m地点ローソクで設営 僕等のベースキャンプは予定地点より500m程下.1765m地点手前の痩せた窪地になる。 大町.常盤と高瀬川沿いに灯が入り,帳が降りた。風もなく闇が秘のび寄ってくる。そして星が1つ.2つと輝きだした。 動くヘットランプがわずわれしく,ローソクを点ける。ローソクを雪面に立てのテント設営。 雪表に照らし出された灯かりが炎から映り,幻しじみた灯を照らしだしている。 明日は元旦停滞日.気のゆとりもあり設営も捗った。 山稜の小平地に明かりに浮き出させられている。ローソクの炎は見ているだけでも寒さを感じさせない魅力が快い。 テントに灯が点き,黄色み掛かったおぼろな天幕の原型が雪の台地を浮き上がさせていた。 1月01日停滞bc2.晴 紅白歌合戦が終わり除夜の鐘がラジオを通して,僕等のテントに伝わってきた。 今年も山の懐でコンロを囲み,一升ビンを片手に酒を交わせている。 雪に包まれた大自然,その中で新しい年を迎えた。ベンチレターから覗む星が煌いている。 決めておいた停滞日 登頂は二日目に預け,何もすることなくゴロゴロ,テント生活を楽しんでいる。 この先はトレースもなく,明日は明日としてこの小さなテントに6人がうずくまっている。 外は今日も晴れ渡っていた。紺碧の空に雪稜を覗かせ,山は早く来いと僕等を誘っている。 下にテントを張った関西勢も,登って来ない。同じことを考えているようだ。 テントから紅茶ができたと声が掛かる。 朝から雑談に花を咲かせ,飲み食いばかりしている。僕はウィスキーを垂らすよう伝え,中へ飛び込んだ。 Bc⇔餓鬼岳 ![]() Bc.アタック前1月02日.Bc3曇一時晴 8;50⇔9:35(1800m)一10:35(2120m):50一11:05尾根分岐12:20一13:55(2260m鞍部)14:20一14:55餓鬼岳 登攀 先行パーティーのラッセルを踏み込んで頂を目指す。 痩せ尾根を越え1965m地点へとラッセルは強いワッパの跡を残し,延々と雪の起伏を乗り越える。 2000m付近で北沢よりトラバース, 雪の重みが増し倒木.笹藪に雪多し。 分岐で先行パーティーに追い着く。一礼して今までのラッセルに感謝した。 ヤッケ.オーバーズボンの完全装備に身を固め,アイゼンの姿で先行し彼等とラッセルを交代する。 分岐より東南尾根 餓鬼,肩より東大天井岳ラッセル 最後の急斜面に取付く。膝前後のラッセルは傾斜が増すにつれ腰,胸へと雪面と近ずき這い上がる。 そしてがむしゃらに突進してはトップを交代,「気持ちいい!」.「まだまだ!」と奇声を上げ,はしゃぎまわる。 シャフトを深く刺し,膝を折り胸を踊らせながら両手で一歩一歩,足を上げ,ステップを切って行く。 一歩上がって半歩落ちるラッセルに息が上がった。 久し振りのラッセルは苦しいながら何とも云えぬ感動をもたらしている。 見る踏む感触からファイトの体の感触がラッセルへと繋がっている。 そして最後のツメ,高度差1400mを一気に餓鬼の肩まで走らせた。小さな雪庇の向こうに稜がある。 風を受け展望が開けた。 餓鬼岳山頂 |
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天と仲間達 ![]() 餓鬼山頂.仲間達 沼津嬢.田沼.富山先輩と若き中沢君 ![]() 山頂肩より唐沢岳と後立山連峰南部.船窪山群 五色岳と立山連峰 東沢乗越から燕岳群望む 翌年の正月を狙い岳を見る。ボケているが目は真面目雪稜 後立山の頂嶺に蓮華の長い尾根 そして船窪岳は針ノ木岳の交差した白峯が。その左より広い大きな山容は立山に連なっている。 大きく一ノ越のくびれが望まれ,柔らかく純白をめとった浄土岳,更に鬼ヶ岳へと延びている。 剣御殿が神座なら手近な所に唐沢岳の側壁がきわだって我を振るっていた。 頂へ500m.彼等に先行を譲り,左に大きく張り出した雪庇を横目に,広く開けた眺望を楽しむ。 風で雪質は締り足元から葛雪が滝沢へ転がり落ちて行く。 槍ヶ岳は日本に存在する限り,やはり北アルプスを象徴するよう聳えている。頂に立ってまず鋭い穂先の槍が眼に入る。 はっきり右裾に小槍を構え素晴らしい山容を誇っていた。 下山,安雲平へ |
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![]() 遠方は四阿山,浅間山 雪稜と北安雲 |
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綺麗な雪庇と雪線14:55餓鬼岳山頂15:10一16:00(2240m):20一17:30小:40一18:15bc 下界へ 日暮れの迫った安雲平.雪稜の肩に雪煙が舞い上がり下界への境を築いている。 大きな庇の雪稜が東面へ急激に落とし,裾とを区切っている。僕等は惜しみなく満足げに雪庇を降りる。 安雲平.雲下の鹿島川と餓鬼岳東尾根 |
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ジャンクションへの雪稜 |
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| 登り苦労したラッセルも下りとなれば早い。 尻セードは思いのほか,鈍い淡雪の流れを伴って下って行く。 もう早い帳りとの競争が始まっている。分岐前で遅い弁当を空けてもいた。 夕暮れから次第に闇の世界へと変わりつつある,雪稜をいいリズムで降りて行く。 街には灯りが点り一番星が現われた。今日も晴天が恵まれた。 ランタンに照らされたトレースは良き道案内を示し,歌まで出てきそうだった。そして,とうとう気間々に歌がでた。 Bc撤収風景 ![]() 1月03日小雪後曇 Bc4, 11:00一尾根取付11:50一11:50乳川谷12:30一13:30唐沢山分岐14:00一15:00西山神社:15 一15:25安曇沓掛=松本=辰野h5 霧氷 入山以来,暖かい夜が続いたが僕等の下山を祝すよう,ベースキャンプの周りは霧氷に被われた。 細かく細工された屑氷が枝木を透し煌いている。 山中.恵まれた天候が今,崩れだした。テントの外は誰もが驚嘆する美しく霧氷で飾り立てられ変わっている。 撤収が捗れば天気の変化も早く激しい。雪が舞い気を良くした僕等,樹林を縫い走るよう尻セードで滑り下りる。 重荷の尻セードはスリルがある。氷付いた雪面は又よく滑った。荷の重みにスピードが更に増すのも確かだが。 林間を抜い立木に抱き付き,時には誰もが前面衝突をしている。 停められぬ加速に奇声を上げ河原に降り立った。 河原にでてからは最後に山より危なかしい凍り付く林道がある。 下山 裾野に下る, 乳川.河原に出て1本西山の境内 河原には三日前のトレースが続いている。そして氷付いた林道は里まで続いていた。 新春を迎えた西山の神社には米や麦が奉えられ,社殿から神楽の唄えが境内に伝わっていた。 神前の洗水を受け顔を洗う,冷たい水が喉をうるおす。 僕等以外誰も居ない,この広い境内に田舎歌舞伎じみた曲だけが流れている。 そして境内は高い松林を抜って小雪が舞い降りた。 1月04日雪. 辰野h5=新宿 湯に浸かろうと辰野の宿で一夜を明かす。 朝.起きようかためらっていると一面の雪の世界に驚かされた。 寝床に潜る耳からタイヤチェンのガチャガチャいう音が響いてくる。又聞きながら寝込ろむ心地良さ。 漸く冬の気圧配置になった。事実.辰野では今冬.積雪量か最も多く,それから3日間降り続いている。 雪に埋もれる辰野の町.再び雪景色に見惚れながら中央東線の人となった。 エベレストの防寒具 明大.植村直己氏がエベレストに登頂する前に,偵察で着用していたキルデングを借りてきた。 見栄えは汚い。襟とは云わず袖も汗で黒光している。 正月.私が北アに入ると聞き,良いものがあると明大の同輩が持ってきた。 町では気が引けるキルデングも,山では凄い威力を発揮した。羽毛は軽く暖か過ぎる。下は薄いセイターでも汗を掻いた。 私は魔法のキルヂングを着ている。誰もがセーターを重ね着する中,肌着だけでも良さそうだった。 これだけ上等品を着ている者は今.アルプスで何人も居ないだろう。羽毛がこんなに暖かいとは。 入山二日目.もう仲間に分かってしまった。妬みより貸せ々と皆がうるさい。 皆が感心する素晴らしさがある。如何にも高価で手が出ない代物だった。 そして15年後.私は結婚し家族でキャンプの折,シュラフを3組新たに揃えた。 妻には羽毛のシュラフを子供達には化繊のものを。 当時でも羽毛のキルデングは市場に出たとは云え高価過ぎす一品だった。 今年の5月11日.植村氏は南東稜より日本人としてエベレストを初登頂した。日本山岳会 愉快な何時もの仲間達 焼津の富山先輩 マタの愛称を持つ田沼 頑張りやの沼津嬢 貪欲な後輩.中沢君 Bcにて正月の餓鬼岳 安雲野は、春を思わせる柔らかい陽差しの中に枯れていた。 暗緑色の樹林をまだらに見せた前山、真っ白い主稜、そこから伝わってくる大気はさすがに冷えびえとして、冬山であることを感じさせる。 そんな枯野の白く長いアプローチを,、きらきらと照り返す冬の光に目をしょぼかせながら黙々と足を運ぶ。 久し振りに背負う重荷が肩にくいこみ、たまらなく痛い。 しかし、以前からの憧れ、元旦に雪の山の中で迎えたいという,たわいのない憧れが、 一歩一歩現実になりつつあることの興奮のためか、自然と歩みが早くなることを禁じ得ない。 華やかな北アルプスの隅っこに追いやられ、ひっそりとそびえる人間の臭いの薄い静かな山。 そんなガイドブックの文章に、僕自信を見つけ出し、以前から一度は登らなければいかんと思っていた餓鬼岳。 11月も終わりの頃、ObのMさんから誘われると何のためらいも無く、行くことを決めてしまった。 頂上アタック。その日は一日中,重苦しい灰色の空であった。 起床が大分予定とり遅れてしまったので、雑煮をかき込み、早々にテントを出発する。 前にパーティが入って入るらしくトレースがあったので、これを利用。分岐までは楽々と行くことが出来た。 そので前のパーティに追いつき、ラッセルを変るべく完全装備。 やはり冬山に来たからにはラッセルしなくては。 「雪のついていない山なんて・・・・」とにかく雪の好きな連中が,深々と胸までもあるかと思われる急登を雪まみれになりながら登り続ける。 その時のObの生き生きとした表情といったら、昔のあの山この山が心の中にめぐっているのだろう。 しまいには、「少し吹雪かないかな。」なんと言い出すしまつ。こちらとしては付合いきれない。 ピーク、そこは北アルプス以外のどこでもなかった。 剣、立山、鹿島槍、槍、穂高、そして,それらをつなぐ山々が、夕暮れが迫り、更にその色を濃くした灰色の空の下 なんとも云えず感動的に、その白い姿を我々の目の前に繰り広げてくれた。 中沢 康 |