安達太良山ルート略図 朝日磐梯国立公園Top
             安達太良山

        1970年04月.岳温泉から勢至平廻り安達太良山スキーツァー・・セツナ機遭難捜査隊に遭遇
        2010年10月.五葉松尾根より安達太良山・・同期会
奥羽山地.安達太良山春スキー

晩春の強い陽差しを浴びる


贅沢な宿
セスナ機遭難騒ぎで最後まで救助隊に挟まれる
   五葉松尾根より安達太良山と矢筈森

            春雪の騒々し過ぎた安達太良山・・岳温泉より勢至平経由
               s45年(1970年)04月04〜05日. L松村進(43卒)m富山貞男(38卒)

   今年の正月は同期.後輩と共に富山先輩と常念の雪白き餓鬼岳に登り.落ち付く間もなく上越国境へスキーツァーに出向いている。
     そこで私は大失敗ならぬ.バッケンが壊れるという大失態を起こし.ツァーそのものを現地で損なわしてしまっている。
     それにも係わらず.再び声を掛けてくれたのが富山先輩だった。トラブルには万全を期し焼津から訪れた先輩と東北.安達太良山に出向く。

      もう一冊のガイドブックから
   1月のトラブル後は5月まで雪山ならぬツァーに変わり.野沢や上越国境の越後湯沢を囲む山並をスキーを持ち歩んでいる。
     それが昭和43年発行の「スキー旅行案内」山と渓谷社の安達太良山の欄を読み.ツァー場所を東北に移すことにした。

   「安達太良山は東北の代表的な山で.一度でもこの山の懐に抱かれるともうすっかり山のトリコになってしまう。安達太良山は主峰が1700mで
     南に和尚山,前岳が連なり.北の方には鉄山.箕輪山を従え.2000mに満たない山とは思えないほど立派である。」とある。それに期待した。

      安達太良山
   安達太良連保は「智恵子抄」の山として一躍その名を知られるようなった。
     山そのものは
那須火山帯に属し,北海道南西部から東北地方中央部.奥羽山脈に含まれる火山群で.関東南西部にかけての火山群にあたる。
     安達太良山は福島.山形.新潟の3県に跨る広い磐梯朝日国立公園に含まれ.福島県の中央部に属している。

   出羽三山・朝日地区,飯豊地区.磐梯吾妻・猪苗代地区の3地区に分けられた最も南端に位置した山域で
     北側の吾妻連峰とは土湯峠で隔てられ.北から箕輪山.鉄山.安達太良山.輪尚山と続き.南北9kmに及び,
     鉄山と船明神山とに囲まれた旧火山口.沼平を抱いている。西側には丘稜の先に磐梯山が聳え.その南には猪苗代湖が広がっている。

   なだらかな山容の主峰.安達太良山は山頂部に高さ10m程の岩峰があり,遠望すると乳頭が飛び出しているように望まれる。
     地元では「乳首山」と呼ばれる標高1700mの休火山。

   沼ノ平には1900(明治33年)の大爆発でできた直径500mの噴火口があり.荒々しい山肌がそそり立っている。
     そこは残雪に覆われるも不気味な様相を呈している。僕等はオーソドックに二本松から晩春の山を味わってみた。

        岳温泉h⇔安達太良山・・再び富山先輩と山スキーへ.セスナ機遭難事故
      岳の湯
   夜9時半.「西山荘水戸屋」の門を潜る。
     黄門風呂と称する豪華な旅館は私には何か身が1つ合わぬものがある。偶にはと昨夜.二本松駅からハイヤーを飛ばしてきた。

   運ちゃんは東北訛の強い方言で営業所と連絡を取り.奥岳の状況を尋ねてくれている。
     それによると不意の客は奥岳の宿「くろがね小屋」は泊めてもらえないとのこと。車は岳温泉.その「水戸屋」前に停車した。

      水戸屋
   「水戸屋」は西山温泉の山の上にあり.鉄筋コンクリート造りの純和風の明るい回廊式の旅館で.まだ建ててから真新しい。
     壁.柱.板塀と人の触れ合わぬ新築特有の臭いが鼻に付く。

   僕等は長い廊下を案内され.静まり返った宿の奥へ々と導かれていた。
     そして朝知ったことだが引き戸を開けると.手入れの行き届った庭園に雪が積もり中庭を占めていた。

   広い露天風呂は少し塩味をもつ優しい湯だった。
     遅い来客に絞った灯りが湯面を揺らがせ.学生時代とは違った山の湯の感触を味わされている。ナトリュウム・カルシュウム硫酸塩泉

   昨夜.奥岳に泊まりたいと希望したことでよい客に思われたらしい。岳温泉でもかなり上等な宿と思われる。
     山登りには不似合いな宿。ゆっくりしたのも山々だが朝早々に出掛けることにした。

 安達太良山略図

   最近,岳温泉〜くろがね小屋に電話が開設され電柱が風雪の時の目印になっている。それほど広い雪原が開かれていた。
     図の紅色線は後に造られた「あだたらエクスプレス」奥岳=薬師岳間のゴンドラが五葉松尾根コース.

   岳温泉はメーンストリートの坂を挟むよう旅館が並び.幅広い坂道の中央には湯溝が流れている。
     鉄山の火口.沼ノ平から湧く源泉はくろがね小屋経由で岳温泉まで敷かれていた。
     又T字路の下り切った道路脇に乗合バスの待合室があった。僕等は暖かい陽差しの下.奥岳に向かい歩きだす。

    富山先輩

      牧場道
   春の陽差しを真ともに受ける牧場への道は日陰では慎ましいほどの斑な雪塊りが妙な格好で残されていた。
     残っていると云っても一握りの雪。スキーを持って来るには心細い程の小さな残り雪がある。

   それでも泥沼混ざりのつづら道は次第にその雪量を増さしている。
     奥岳への林道を幾度となく横切って.真直ぐ裸道の泥混ざりの径を登り詰める。

   覆いかぶさってきた雪表面にアラレのような雪粒を乗せ,次第に白さを増し僕等に期待をもたらしていた。
     今や一面の雪原に変わった大地に.体を燃え立てさせるような力を掻きだしてた。

   のどかな誰もいない高原にスキーを背負い.ぽつぽつ歩くのも乙なもの。
     牧草帯に被う積雪は次第に白さを増し.街を離れた快い山気が林を抜けている。
     牧場に入るとその雪白さにを覆われるようなり.安達太良の山麓から続く頂稜は深い空を紺碧に澄み渡らしていた。

安達太良山から鉄山                    .
           薬師森の台地より
     セスナ墜落捜査隊
   雪融けの始末の悪い道を車が何台も私の脇を泥塵を巻き上げ通り過ぎて行く。
     ぬかるむ道は日陰になると凍り付き,車の跳ねる泥でグジャグジャ状態の泥道。背負うスキー板が肩から滑らぬよう足元に気を配る。
     又車が何台も続き,途切れない追い越しに.共に歩きだすこともしている。

   自衛隊のトラックとジープが列をなし何台も過ぎると今度は地元の自警団か? トラックやバンがそれに続く。
     私達はそれらの部隊に前後して奥岳へ向かっていた。

    勢至平
  
    安達太良連峰.和尚山.安達太良山1700m.矢筈森1673m.鉄山1709m

      渋滞の列
   警察の車もあれば営林署・消防団に役場の公民車と。
     それにテレビ.新聞などの報道人も.先の車を追うようエンジンを轟かせ登って行く。
     桁違いの車の数が雪山へと向っていた。誰も居ない筈の季節外れの山麓で.僕等はその後をスキーを背負い追うようなった。

   一昨日.安達太良山の山中でセスナが墜落した。
     地元の人が発見し写真まで撮ったものの濃霧で場所の確認が取れず,捜査を続けているそうだ。
     遭難場所は安達太良山の南面と云うこと。と云うことは私たちが登り滑る斜面になる。


          勢至平より鉄山
     右肩の鉄山遠望
   鉄山,古来は鉄城と呼ばれていた

     左肩の安達太良山と矢筈森
   春雪に灌木混ざりの勢至平

      ワンデング
   地蔵のゲレンデは岳温泉スキー場の一番下側に当たる。
     リフトはもうロープのみが掛けられているが椅子も外され.スキー場全体が閑散とした静けさに戻されている。

   それにしてもスキー場は一面の残雪で被われている。スキーするには申し分ない量だった。
     スキーシーズン終ったばかりの広大な斜面が強い陽差しを受けている。これから私達だけの春のダイナミックなスキーが始まる。

   スキーをX字に結び.ザックと背に挟み込むよう背負い.ザラ目の雪径を踏みだしている。
     緩やかな窪地の柔らかに積もる裾野. 開ける雪原に長さ1000mは越すリフトが延びている。地蔵のスキー場を過ぎ奥岳温泉にでた。

      捜査隊と
   先程.僕等を追い越して来た車たちもここまでで.後は歩かねばならない。
     ヒュッテの前には捜査隊が報道人と別々に集い.捜査前の最後の打ち合わせをしていた。その数は総勢100名は超しそうだった。
     ここから2つのゲレンデが広がり.薬師岳のゲレンデへと続いている。僕等は積雪の多い無難な右寄りの烏川右俣に入り山径を抜けて行く。

   鳥川を埋めるなおやかな雪原, 割れ目より覗く雪融けの音色は高らかに響き.雪の庇に垂れ込んだツララも雫になりだしている。
     山懐は春を迎えてだしていた。これから刻一刻と口を広げ,新芽を膨らました台地は地肌をあらわすことだろう。
     その日はもう遠くあるまい。

   捜査隊に挟まれ,右へ巻き気味に夏径を歩む。僕の前後してトランシーバーが唸り続けている。
     けたたましい雑音と共に捜査隊の状況を問う声が.トランシーバーから跳ね返ってきた。
     それに応える捜査関係者。そして記事を送る記者達はあっち.こっちに身を潜め本文を送っている。

   この集団に混ざって何人かの登山者も登っているが.スキーを背負っているのは僕等二人でけだった。
     下りの滑降を思うと変な優越感が浮かぶ。その時は彼等が気の毒に思われた。


     籠山1548m
    鞍部より

      勢至平
   巻き終えると広々した雪原.勢至平にでる。鳥川の源頭は白一色の大斜面に変わっていた。
     北側に広がる高原のようなのどかな起伏の台地は揺るかな山襞を現わしていた。
     それに比べ鉄山の火口を埋める岩壁が印象的に強く望まれた。頂はガスが切れ蒼空が更に広がりだしていた。

    安達太良山.東面を望む

       山へ
   ここで捜査隊と別れ.龍山の鞍部へと左へ回り込む。
     開けた勢至平から籠山の前衛は樹林帯に被われ.鞍部の.窪地のみが左右を隔てるよう広がっていた。

   漸く二人だけの山を迎えている。ザラ目の湿った雪面にシールはよく馴染み,富山先輩もハッスルする。
     暑くだれ気味の登行に新鮮味が加わった。一歩毎に高度を上げれば天空は限りなく開けだす。

   鞍部まで這い上がると伸び伸びとした緩斜面の雪面が沢を埋め尾根を埋め尽くしている。
     雲が流れ行く頂を見詰め.眩く煌く前衛の籠山に立つ。

       籠山より望む

 
   這松にはエビノシッポを付け厳冬の厳しさから今は春の陽差しに輝く光が放されている。
     山々を被っていたガスが蒼空に追われ.全ての岳が踊り始めていた。この遠望はここでしか見らねる眺めだった。
     絞り16,シャッター速度1/1000.思わずファイダーに納め.山々に目を向けている。鞍部で大休止したのが12:00


       安達太良山頂
      安達太良山
   12時45分.北側から巻き込むよう頂に立つ。
     今登って来た東側の展望の良さに比べ.頂の先の西面は相変わらず濃霧がさ迷っている。
     灰色に強く染まった雲行に.湧きあがる1つの境からスカイランの眺望は途切れ見ることはできなかった。

      まだ続く捜査隊
   蟻のような捜査隊が一列になって登ってくる。居ること.居ること.黙々とツメに向かって登ってくる。
     重装備のスノーボートを引っ張る自衛隊員の勇ましい掛け声が霧風に乗り僕の所へ伝わってきた。
     スノーボートに引き降ろされぬよう.4つん張りにならんばかりに這うよう引き上げている。

   静かな山波に伝わる捜査隊の掛け声は何かユーモアじみ.それでいてジッと見詰めていると.きつい緊張感が含まれていた。
     それにしても頂の岩片に腰を降ろし.捜査隊の奮闘振りを眺めているのは何か罰の悪さと長閑さがを混同しているようにも思えた。
     雪山の故,墜落場所の分からぬ捜査隊の列は.気を張っているばかりでは務まらず.僕等には如何しても,のどかな風景に見える。

    大斜面を蟻の如

      滑降
   鞍部までは相変わらず大きな雲陰を落としているが雪質はベタ状に変わっている。
     やはり春だ。スキーに十分ワックスを塗り.大きな斜面にトップ向け滑りだす。

   スキーに追い付かぬ体。足を取られステン.ステンと転んだ。
     増して僕なんぞは龍山の肩で足が吊り.まだ両足のバランスが取れていなかった。それでもスキーは素晴らしい。

   術抜きの大滑降の楽しさがある。跳ねては飛び.スキーのトップを回し.転がるよう滑って行く。
     雪原では直進し藪に入っては小回りを利かせ雪と戯れ.もうルールなどはない。

   岳から巧く降りさえすればよいのだ。枝木を潜り.藪を目指し目茶々にスキーは回転する。
     雪質では少し欠ける点はあるがスキーの醍醐味は又格別だった。山は何時も何か満喫するものを持たしてくれている。

   新たにコースを取るとしたら鳥川を横切らず.龍山から直下し.スキー場に滑り込んだ方がよい。
     右裏のふりこ沢の大斜面を奇声を上げ滑れば「くろがね」小屋にでる。

   又もう少し雪が欲しいが土湯へ抜ける方も東北らしい山波で広く快い筈だ。
     箕輪山の左から一気に滑り.旧土湯峠から野地温泉・土湯温泉を目指す。
     僕等は列車に遅れぬよう早めに山を降りている。・・奥岳スキー場14:30

   遭難機は翌日も捜査は続き3日目に対岸の裾で発見された。朝日新聞によると和尚山の南斜面に当たる。

   沼ノ平火口は1997年9月の火山性ガスにより4名が死亡する事故が起きた。
     ここは過去にも1900年の噴火で硫黄鉱山の採掘所が直撃を受け.火砕流の熱風により72名死亡の大惨事を起こしていた。
     現在も沼ノ平コースと馬ノ背コースは通行禁止。2007.09

           岳温泉.福島交通バス=東北本線二本松「臨時急行」=21:15上野
      日没の那須連峰
   安達太良山の開放的な明るさと東北本線の右車窓から眺める夕日の那須山が素晴らしい。
     真赤に染まった夕暮れの西空. 山陰を黒く投げ掛けた那須の峰々がはっきりしたレッドラインを描き,何時までも車窓から目を離せなかった。

     回想の安達太良
   場所は少し北側に離れるが吾妻山との鞍部に土湯峠と呼ばれる所がある。
     昔我が家の隣人.岡村氏は歳は私より一回り半近く離れているものの,私が生まれたこの町の国民学校で土湯に疎開した。

   その当時に早稲田大のスキー部が学徒出陣を前に合宿している。最後の日.幼い彼らにスキーを教え出陣したとのこと。
     初めてのスキーに幼い子供達は歓喜を上げ喜んだという。最後の言葉が「大きくなるんだぞ!」と言葉を受けたらしい。

   彼はスキー部には入部はしなかったものの.その後早稲田大を目指し入学している。その子供達も同校を卒業した。
     私も還暦を迎え酒席で聞いた話である。私にはそこまで誇りというか.気の支えを持つことはなかった。

   40年も前になるが焼津の先輩と登った安達太良山。セスナ機の墜落事故で騒々しい春山だった。
     だが改めて昔を顧み.土湯という名に昔の哀愁を感じ取っていた。この安達太良でクラブの同期会が2010年4月に催されている。