大丹波川本流氷川国際マス釣場 s60年(1985年)06月16日曇後晴. 真佐子.隆史.博史. 新宿=青梅線氷川一氷川駅北側ニジマス釣り.@2500. 奥多摩.奥秩父東部概念図.山行表 成木街道と小曾木山稜周辺絵図 高水三山と成木の山々 高水三山・・惣岳山南面の略図と送電線鉄塔 1987年10月. 子供達とjr軍畑駅から高水山.岩茸石山.惣岳山を経て御嶽駅・・ドングリの山 2007年11月. jr軍畑駅から高水三山を経て御嶽駅・・晩秋.池田先輩の下見山行と田中先輩の体慣らし・・御嶽「五州館」 2010年11月. jr軍畑から高水三山を経て送電線鉄塔を綴り御嶽駅へ・・玉川蕎麦屋と立川の居酒屋・OB会親睦ハイク 2010年04月. さわらび湯bs.名栗湖から棒ノ嶺―名坂峠越えをし岩茸山から惣岳山神塚尾根。多摩川左岸旧々道は撤退・・jr御嶽 2019年10月. 清東橋bsから槙ノ尾沢左俣右岸尾根を経て都県尾根を綴り棒ノ嶺・黒山―常磐尾根から岩茸石山・馬仏山沼沢尾根・・jr川井 平溝みち・林道・・上成木 2019年06月. 高水山と上成木周辺・・バラクボ沢右岸尾根とカヤノ沢左岸尾根―旧伏木峠・松ノ木峠・伏木峠と廻りjr軍畑駅から周遊 2020年02月. 高水山与津ノ沢右岸尾根から高水山東尾根永栗ノ峰)―旧伏木峠・松ノ木峠を越えノボリオイゾネを下降・・成木街道.旧道 黒山 2010年04月. 春雪残る名栗ダムから棒ノ嶺―都界尾根を南下し黒岳を経て岩茸石山から惣岳山神塚尾根・・御嶽駅 2019年10月. 清東橋bsから槙ノ尾沢左俣右岸尾根を経て都県尾根の棒ノ嶺・黒山―常磐尾根から岩茸石山・馬仏山沼沢尾根・・jr川井 常磐尾根 2019年11月. 逆川ノ丸南西尾根から逆川ノ丸東尾根―常磐林道から境界尾根にでて長久保山北東尾根を下降・下名栗諏訪神社 2024年04月. 川井駅―岩茸石西尾根―名坂峠―成木川二俣―常盤林道―長久保山南尾根―北尾根―和泉入―諏訪神社―名栗川右岸道.黒指 2019年05月. 馬仏山周辺・・jr川井駅から輪光院ツガ尾根・岩茸石ノ沢長ソネ窪中間尾・玉指左岸尾根・平溝尾根を経てjr軍畑駅 2020年06月. 馬沢林道から馬仏峠熊沢栗ノ沢中間尾根―惣岳山青渭神社の参道から沢井尾根・jr軍畑駅 2019年11月,.逆川ノ丸南西尾根から逆川ノ丸東尾根―常磐林道から境界尾根にでて長久保山北東尾根を下降・下名栗諏訪神社・・峯bs 2024年04月. 岩茸石西尾根―名坂峠―成木川二俣―常盤林道―長久保山南尾根―北尾根―和泉入―下名栗諏訪神社―名栗川右岸道.黒指bs 大仁田山・・間野黒指 2019年07月. 小山bsから黒山逆川右岸尾根・黒山都県界尾根から大仁田山―成木尾根・堂平沢左岸尾根・細田林道・間野黒指bs 2020年02月. 間野黒指bsから山上集落を探索し,愛宕山から成木・都県界尾根を東進・・切れる尾根は正木入に下り回り込む・・上畑bs ・・奥武蔵南部都県界尾根・・名栗と上成木 高水三山 高水三山は奥多摩山域の都心側の東部にあり.高水山.岩茸石山,惣岳山の標高700m代の三山で構成されている。 又青梅市と奥多摩町の市界線で結ばれ.青梅丘陵と接続されている。又北側は都県界尾根をなし.飯能市との都境をなすのが成木地区。 交通の便ではjr青梅線軍畑・川井・御岳駅が近い。軍畑の地名は永禄年間(1560年代).青梅付近には約250年間.領としていた三田氏と 当時八王子付近を領としていた北条氏がこの地で「辛垣合戦」を繰り広げ.軍畑の地名はこの合戦に由来すると云われている。 秋の奥多摩高水三山Ⅰ.末っ子を連れ子供達とどんぐりの山径へ s62年(1987年)10月18日快晴. m私.隆史.博史.俊雄 |
棒ノ折山.山頂付近の立木 |
| 高水山―岩茸石山―惣岳山 三筋6:20=新宿.大.往\1700.7:47=立川青梅線=青梅線軍畑(イクサバタ)8:50一高源寺一常福寺一11:20高水山 一11:50岩茸石山13:35一惣岳山一15:42御岳駅16:29=立川=御徒町一18:53三筋. |
岩茸石山から黒岳.棒ノ折山へと続く |
| 棒ノ折山の左奥.都県尾根の長尾ノ丸に霞む乗るのが奥武蔵の仁田山とタタラノ頭。黒山境界尾根に乗るのが武甲山に藤棚山。 秋の風景 岩茸石山の山頂で昼食.霞みの強い中で食事を摂りながら,壮大な展望を愉しむ。 頂から右寄りの北東側を綴る先に奥多摩から奥武蔵へ連なる山並の更なる右に里山が広く見下ろされた。 新所沢変電所の送電線が絡む裾野の丘陵にはミニチヤに描かれた街並が望まれ.更に.広大に開かれた関東平野がある。 殆どが樹林に閉ざされた高水三山.そこから奥多摩方面の街道を綴るのも美しい。 惣岳山から御嶽へ下る南側の尾根.その1ヶ所に.視界の開けた所にでた。 送電線の基部から多摩川にへばり付くよう町並みが続き.清々しい空気に紅葉し始めた樹葉が色とりどりに冴え渡っていた。 雑木林に囲まれた多摩川沿いの街道に向かい広がる丘稜の紅葉美。 昼下がりの柔らかい陽差しを浴び.秋の温もりを感じさせる色鮮やかに広がっていた。 澄んだ聡明な空気が繊細な積み木の如く.景色はミニチアの地図の如く映し出している。 紅葉美だけではなく私を包む蒼空も.澄んだ空気の匂いまでが秋の色合いを映し出していた。 深呼吸して再び御岳駅へと再び歩みだす。 山を越えてきた子供達の足も軽やかだった。ここからは長閑な起伏の山波が続いていた。 山全体を包む植林帯を抜けると山道は雑木林になり.足元はどんぐりに満ちていた。歩む先に現れるどんぐり。 末っ子俊雄ははしゃぎ回っている。・・記録博史.歩数は俊雄40.650歩 惣岳山南面地形図 岩茸石山ウォッ地図雲取山の日原川北面に位置する長沢背稜は東へ酉谷山.蕎麦粒山.川苔山.棒ノ折山と連なり. その頂稜は黒岳から岩茸石山.高水三山へと続く。 そして青梅丘陵から続く高水三山は奥多摩の山々への入口に構え.三山を囲む河川は全て多摩川に注いでいた。 としお.5歳 どんぐりをひろったこと あとあそびたかったこと たながおしてあそびたかったこと。 山からみたら下にまちがみえてきました。 みたところでみかんをたべました。 博史.9歳 10月18日に高水三山へ行くました。 JR線にのって青梅駅へついた。そこでのりかえ軍畑についた。 そこからずーと行き高水山へいって.また岩茸石山へいって.また馬伝山.惣岳山と登って御岳駅へいって帰った。 いちばんつかれたのは.山へ上るとき。 上がったのは山登り,昼食.景色が良かった。 下りのとき,きつかったのでつかれた。でもたのしかったです。 隆史.9歳 10月18日に高水三山に行きました。 電車で軍畑駅まで行って,岩水山を登りました。 さいしょは楽にのぼれたけど,だんだん苦しくなってきました。 山にはどんぐりがあって.それをとしおとひろっていました。 岩茸石山でラーメンを食べました。おいしかったです。 惣岳山は頂上まで行きました。ぼくは一回こけました。 み岳山で電車にのってかえりました。 とてもつかれた。 大丹波渓谷.家族キャンプ 1990年07月21~22日.晴. 青梅線川井で車と合流,井川=大丹波川清東橋.中茶屋キャンプ場. 薪を拾いに行った子供達3人は大きな倒木探しキャンプ場に引きずるよう運び込む。ナタと鋸がよく働いた。これ1本で3日はもつ代物である。 本物のナタと鋸を小学生が両手で支え.器用に用いている。 末っ子はまだ1年生で使わせぬが.焚き火の番は欠かさず勤め.下山まで火の途切れることはなかった。 暇をもて余し釣りをするも.見える虹鱒は釣れず.許可を得た我が子達はそのトロの中をヤマメと共に泳ぎ回る。 高水三山Top 奥多摩.奥秩父東部周辺略図.山行表 秋たけなわの日差しを受け.jr軍畑駅から木漏れ日に閉ざされた高水三山へ・御嶽「五州館」 池田先輩の下見山行と田中先輩のリハビリ山行を兼ねての山行に誘われる。2007年11月08日.高曇 L池田m田中.松村 茅野に住む池田先輩の誘いからツァーガイドの下見山行に同行する。奥多摩沿線は今年に入り3度目になる。 田中さんとの山行も八ヶ岳清掃ハイク以来久し振り。再び山に入る喜びを教えて頂いた先輩だった。 登山靴を新たに新調し.東京近郊の山々を歩き始めている。低山だが少しずつ昔を想い.山行に導きだされていた。 高尾山から陣馬への笹尾根の縦走を勧められ.更にハイカーとの擦れ違いが多い山から逃れるよう.次第に旧道に目を向けるようなる。 そして低山の作業道・巡視路から藪山に興味を持ち始めていた。 特に現役時代の越後.藪山山行がその足添えとなっているのは確かだった。その矢先になったのが今回の田中さんとの会話だった。 2人の先輩を前にゆっくりした旅立ちで里山を歩む。 常福院不動堂.青渭神社奥ノ院,真名井天神などの寺社が建立されており,登山道は古くから往来があり確りし.又低山でも眺望の楽しめるのが高水三山。 前2日の快晴に続き.帯状高気圧が通過. 高曇の薄日に包まれた山々は.却って霞みを創りだし.山はモヤを沸き立ていた。 高水山―岩茸石山―惣岳山 jr御徒町=神田.快速¥1000. 8:22=9:10立川青梅線:15=青梅=10:07jr軍畑:20一11:20枝尾根.6合目:30 一12:00高水山:30一12:55岩茸石山一13:30惣岳山:40一14:40jr御岳17:05. jr軍畑駅南口広場前より.10:17jr神田駅で中央快速に乗り換えるも時刻表の間違いか? 道中遅刻するのではと焦らされていた。立川駅着の時刻が全く違っていた。 パソコンで調べたのに何故こうなるのか? 分からぬが10分遅れで立川駅に着く。 同じ列車だった田中先輩も.私と同じことを考えていたらしい。共に青梅線に乗り込む。 平日で座席は取れたものの登山者はかなり多い。中年女性が多く.車中は軽やかに賑やかな会話で満ちている。 jr軍畑駅で降りるも.ここからの入山は少なかった。 自己申告の切符箱.乗り越したか如何かが分からず.その間々¥1000切符を投げ込み.朝陽の射すを狭い駅前広場にでる。 永栗ノ峰南東尾根と平溝川沿い.10:44駅前の小さな広場で池田先輩と落ち合い,踏み切りを渡り歩みだす。高雲の空.綺麗に舗装されたばかりの車道を平溝川沿いに遡る。 右手に鉄道鉄橋を臨み.離れると麓の車道が丘へ登る。朝の眩い日差しに平溝川の澄んだ流れ.沢には小ハヤが群がり走り回っている。 平溝川林道を左手に分け.高源寺の脇を抜けると向いの谷間から高水山が望まれた。道は昔.子供と歩んだ時は裸土だったと思う。 小沢沿いに綴られた道.ミカンの木に混ざり.ユズの木が多く大きな実を付けていた。 田中さんが道路脇の縁側に置いてあった3個¥200のユズを買い.大事そうにザックに納める。 大堰を越え三山ハイキングコースへ・・植林帯の山径に入る.11:39先月八ヶ岳へ一緒に登る筈だったのを膝の痛みで諦めた田中さんはトレーニング疲労でまだモモとフクラハギの筋が張っている。 トップの池田さんにピッタリ付く.私はその後ろを5.6歩離れた歩調をキープする。 狭い谷間の沢幅は歩むのつれ更に狭ばり.建物に例えれば3階以上に達する大きな砂防ダム脇の階段を右岸から越えている。 このダムは下流に住む平溝川沿いの人々を土石流から守る為,都が1992年から6年の歳月を掛け設置されていた。 とんでもなく巨大な堰堤が造られていた。木蔭を綴る小沢沿いの小径に入る。 1本取ってで明るい枝尾根に乗ると石碑は6合目を示していた。 落葉径になり左手.平溝川側は杉の植林帯.右の北側の斜面は雑木林に被れ.幾らか樹葉の色合いも濃くなり始めていた。 そこを横切ると林道伏木線から直ぐ「なちゃぎり林道」を樹間越えに見下ろし.高水山直下にでている。 高水不動常福院山門.11:56不憫 常福寺の参道を辿れば右上に丘のような広い平頂が現れた。頂に辿り着いたのはジャスト12時.昼食の時間帯。 最近私は昼食をサンドイッチにすることが多くなっている。Iさんにコーヒーを頼むと手際よくコンロで湯を沸かして下さった。 ただコーヒーを忘れたらしい。前の山行で残っていた筈とと慌しくザックの中を探るが点検して入山していないようだ。 無いものはない。卵スープが1袋あるのみ。それをTさんと同期2人で分け.私には何故か湯のみが回ってきた。 「飲物とコンロは持参するので.何も携帯する必要はない。」とわざわざ事前に連絡があったのだが如何したことか? 何も云わなければ 私が持参したのに。2人は無言で平然と飲んでいる。無言で渡された湯.田中さんも無言だった。2人に誘われたが何かが可笑しい。 穏やかな登り下りが続く岩茸への径.12:42棒ノ折山と黒山 岩茸石山々頂より.12:55長沢背稜.棒ノ折山へ続く常盤尾根と黒岳境界尾根 再びなだらかな尾根の落葉径を潜ると間を空けずして植林の急登となり岩茸石山にでる。 ここからは飯能の丘陵に黒山から続く都境の棒ノ折山が一段高く望まれた。今日初めての眺望だった。 春のよう霞む展望がここだけはある。黄葉が始まり.その裏側には名栗湖.名栗川がある。越えて名栗に出るのも面白いかも。 バラクボ沢右岸尾根と高水山 ![]() 岩茸石ノ沢流域と周ってきた頂稜の杉林 バラクボ沢右岸尾根と右奥が永栗ノ峰.13:19 晩秋らしき黄葉の渦の中.13:24惣岳山へは30分程の距離. 今まで登ってきた尾根を巻き込むよう南に向きを変えると木漏れ日の乏しい暗い杉の植林帯を綴る。 急登をジグザグに登った頂には大国主命を祀った青渭神社奥院が祀られていた。何故か社殿全体が檻のよう網で囲み込まれている。 誰もが中に入り参拝することはできなかった。獣除けのようだ。埃の被った社殿はよく見ると贅沢な彫刻が刻み込まれている。 多摩川 惣岳山の頂周辺には平溝尾根と神塚尾根と2つの尾根が合わさり.西側には沼沢尾根と神塚尾根が延びている。 頂に集まる各々の尾根には登山道とは別に素朴な経路.巡視路が綴られていた。 又御岳へと「関東ふれあい道」を下ると南面に向かい.初めて多摩川沿いの集落が見下ろせる台地にでる。 ここはエレベーター付きの超高圧送電線.新秩父線31号鉄塔の基部。 本曇の笠被る空の下.霞む裾野の眺望を見て.昔子供達と眺めていた場所だと想い出だしていた。 20年も前だが舗装は高源寺までで.その先は裸土の里道を歩んでいる。山径も全体的に今より狭かったと思う。大きな堰堤もなかった。 幅広い尾根筋に小径が綴られていたことを思いだす。三山の展望が利かず.初めて里を見下ろした最後の眺望がここからだった。 5歳の末っ子を含む子供達と腰を下ろし,秋深まる多摩川の集落を絵地図の如く見下ろしていた。 涼やかな秋空の下.積木細工のような家並と道路.車の動きが面白く.何時までも眺めていた記憶が蘇る。 最後に望んだ場所.ここを下れば小鉄塔の多摩川線を潜り.慈恩寺の境内を抜け御岳の集落に入る。 jr御岳駅には沢井寄りの踏み切りを横切り.奥多摩の谷間側から改札口にでた。 送電線群 初めて鉄塔はjr古里線29号鉄塔.分岐を過ぎ10分程で更に新秩父線31号鉄塔にでる。 枝尾根に入ってからのは多摩川3線5号鉄塔と3本の送電線を潜っている。 新秩父線沿いはその後.2009年の暮れから正月に掛け真名井北稜.仙元尾根を綴る送電線巡視路を歩み秩父へ抜けていた。 TとI氏.この杉林を抜けると御岳本町へ降りる.13:2414:40jr御岳¥1050. 17:05=青海.直通東京行=19:00神田. 旅館「五洲館」 jr御岳駅より青梅街道を200m程川井方面に進むと沢沿いに旅館「五洲館」があった。 駅員に日帰り風呂を尋ねるも奥多摩へ行かなければないと言われ.粘って泊り客が居なければ入浴できるかも知れないと聞きだした宿。 諦め顔の田中さんと池田さんを強引に引き攣れ街道を歩み.見付けた宿。玄関に大きく「日帰り風呂¥500」と張り紙が掲かげてあった。 女将は何度も駅や観光協会に日帰り風呂の宣伝を陳情していたと云う。 風呂は地下に降り.更に外階段を降りた奥多摩川沿いの中段にあった。先日の台風でまだ白く濁る流れの多摩川川畔にある。 溢れる湯殿に飛び込む。沸し湯ではあるが下山後の湯は常に快い。ここで小さな問題が生じた。 シャンプーとボデイシャンプーの違いが分からず.記してはあるものの薄れて読めないでいた。 三人でじっくり見,臭いを嗅ぎ.Iさんが適当に使いだす。私は二人の仕草を見て.自分なりに使ったのが正しかった。 湯後.ビールを持ってきた女将に正すと.直ぐ書き直すと笑って答えていた。 その後は酒三昧となる。地酒「沢の井」の選択にある。生か.燗か.冷酒か。各々の我が張り.もめて1本ずつ注文する始末。 このメンバーは如何も小さな問題でも.起きると騒がし過ぎる。各々呑んで私の生酒に追加は統一されたのは当然だが。 奴と柚子の生コンニャク.女将からは「ムカゴ」と言うジュネンジョの茎のコブ.小さな小さな芋の差し入れがでる。 この味は何処かで過ってご馳走になったが.記憶は定かでない。地鳥,鴨の煮っころがしもでて.列車を遅らせ酒を呑み続ける。 山より宴会に出席した感があり。風呂含み全¥10000.(ツァー参加者は¥5000予定×人数) 山の経歴.経過Top |