| 穂高岳周辺地形図 北アルプス南部地形図.山行表 飛騨山脈Top 穂高岳周辺 1967年07月. 初夏の前穂北尾根・滝谷第二尾根・・夏嵐と雷雨・涸沢Bc・梓川ダム工事現場 1968年06月. 残雪の燕岳〜前穂北尾根X.Yノコル・・夜行登山・蝶槍.上黒沢尻セード 1970年07月. 雨の明神主稜から前穂高岳・・梅雨末期・穴ケ谷.錫杖を諦め山越え 1970年10月. 嵐の横尾本谷右俣から槍ケ岳千丈沢・・秋嵐・猿の軍団・高瀬川ダム工事現場 1972年06月. 涸沢散策・・荒天で諦めた屏風岩と横尾生活・・涸沢生活 2007年08月. 嵐の天狗池から大切戸を抜け奥穂高岳・・嵐・涸沢集中登山中止 |
2007.09.01/5:29秋霖前の真っただ中.穂高岳横尾本谷右俣のカールに幕営し.晩夏の嵐と濃霧.展望のない頂稜に荒れ狂う岳・・2007年08月30〜9月02日 その隙間を縫い越えた槍沢から大キレットを越え.穂高連峰を綴り岳沢から上高地に降りる. L松村.m大川.鈴木 降雨から豪雨へ.槍沢から槍沢ロッジ―天狗池と南岳小屋・・晩秋の嵐 キレットを越えの濃霧に覆われた穂高岳山群から岳沢 先月苗場山々行の帰に誘われた涸沢での定着山行に改めて田中.見城先輩から誘いを受け.そして同期大川.鈴木.松村の3名が別行動で参加し. 穂高岳の頂で出会う計画で落ち着く。ただ山行前日までの猛暑は秋霖前線の南下に押され.山は大荒れとなり定着隊は中止。 誘われた我々だけが決行することになる。 山は秋霖前線をまともに受け荒れた。そして入山初日の槍沢ロッジでは夕方には槍ケ岳の登行をを諦めて.南岳から直接穂高を目指した。 暴風雨は小さな南小屋を襲い.我々以外訪れるハイカーも居ず.前日から宿っていたのは夫婦ハイカー一組だけだった。 翌朝はひと時の擬似好天に恵まれた。そして夜明けと共に運よく大切戸を越え.降る雨は治まる烈風のなか奥穂高に立ち.山行は成し遂げている。 アルプスの頂稜を歩み.展望に恵まれたのは大切戸と穂高山荘から見下ろされた涸沢だけだった。 扇沢の下山でも雨雫に見舞われていた。そして上高地にでて晴れ渡る。後から思えば懐かしい遣りがえのあった山行になっている。 上高地―槍沢―天狗池―南岳―キレット―奥穂高岳―岳沢―上高地
上高地バス停.雨具の完全装備.6:308月29日雨. 新宿22:00「さわやか」信州号グリーンバス.@8500= 秋霖前線が日本海側からゆっくり南下し関東南岸に停滞.信州では崩れるものの行動可能な予報がでている。 槍ケ岳から奥穂高岳への縦走はキレットに絞り.残念ながら槍ヶ岳の頂は諦めて天狗池経由に計画を変更している。 jr夜行列車は8月下旬より不定期に変わり.夜行バスを利用する。今回は少し贅沢に3列の大型バス.居心地と毛布のサービスが嬉しい。 高井戸から高速道に入.一度国道に出て諏訪サービスエリアで休憩。雨は本降りとなり.先への不安を募らせていた。 梓川沿いに入り更に雨足は激しさを増している。予報は完全に打ち下されてしまっていた。乗客はガラガラ14名の貸切りバス 梓川国道 夜行バスが梓川右岸沿いを遡る。昔は新島々から左岸の国道をその間々辿った記憶を持っている。 夜明けを迎える。何度も通う中.最後の上高地を降りた時は水殿ダムは工事中だった。 そのダムを右下に見下ろすと立派なに改修された国道の梓川右岸道を走り.奈川渡ダムの堤頂から対岸の左岸に渡っていた。 昔からの国道は道幅も広くなり.舗装もよくなっていた。沢渡でバスを乗り換えるも雨が止むことは既に諦めている。 この先.平湯への阿房トンネルを含め上高地の釜トンネルは2車線の新道を走り.アプローチは凄くよくなっていた。 昔は峠越えができず.交通手段としては東海道本線.豊橋廻りで.高山本線に乗り換えていた。 深い山懐へ入ると言う哀愁漂う車窓を眺め旅路から漸くアルプスの懐.新穂高に入っている。 各ダムは竣工と共に観光化し梓川沿いは便利になった反面.何か少し残念さが残されていた。・・梓川ダム工事と梓川3ダム 8月30日雨の一日 上高地―槍沢ロッジ 須玉IC.R20=諏訪PA=塩尻鍋割穂高線=5:30沢渡.貸切バス=6:10上高地:35一7:30白沢出合一8:30徳沢 一9:20横尾大:50一10:45一ノ谷出合一11:20槍沢ロッジh1.
小雨から始まった梓川左岸の散策路.8:07徳沢園 2本目は徳沢園で雨宿り.8:27梓沢の径 上下カッパを被らなくてばならない雨が降っている。Oがバス停前の売店でカッパを購入する? 雨具を忘れるとは全く気が付かなかった。開店し始めた売店を点々と歩き回っている。云いずらく無言で探す姿。 慌てて少しでも確りした厚めの上下カッパを探し購入した。ビニール製.やや弱いが我慢してもらうしなかった。 上高地から梓川左岸沿いの落葉松林を抜けると昔ながらの横尾への径を綴ると懐かしさが込み上げてくる。 コブシ.ケショウヤナギのしっとりした梓川々畔。梓川は連日降雨に叩かれ.濁流の流れはヘチまで呑み込まれていた。 茶褐色の泡湧く流心が水位を上げ.上流の風雨の強さを今更ながら感じさせられていた。 大木の樹葉に被われた森に建つ明神館にでる。雨粒が舞い.しっそりした漂いが少し肌寒さを感じさせられている。 徳本峠への白沢出合.森に包まれた徳沢の芝生の庭も懐かしい。 大川が雨宿りにコーヒーでもと問うがまだ2本目で早過ぎる。先の横尾避難小屋まで出向き雨宿りした。 アイスコーヒーとサンドイッチ。共に持参した妻の手造りの弁当は購入するのとは別の味があり.O.Sの好尚はよかった。 槍沢左岸沿いに入ると槍沢ロッジへの小径に変わる。槍見沢では当然のことながら槍ヶ岳は望めなかった。 ガスと雨雫に体は打たれ一ノ俣谷出合にでる。ここは昔一ノ俣小屋が昔あった場所で.一ノ俣から常念小屋に至る径の分岐がある。 9月ともなるとやはり体を休めると寒い。二ノ俣谷を渡るとロッジは直ぐだった。距離は短いが冷雨に叩かれ着いてホッとした。 このロッジ(槍沢の小屋)は大正6年と創設は古く.槍ヶ岳山荘(肩の小屋)大正15年と共に槍への登山基地として今尚その支えを担っていた。 ただ槍沢には何度か訪れているも素通りするだけで.私の記憶からは全く忘れ去られていた。 雨に宿る槍沢ロッジ 小屋に着けばまず酒.14:13槍沢ロッジ 天候は明日が一番荒れると思われたが明後日のキレット越えが難題になる。 ビールを呑み焼酎を呑んでは外を見詰めるも嘆く雨。天候回復は予報に反しまだまだ雨滴を多く落としている。 小屋のサービス 下山して思ったことだが初日から基本的な言葉から始まり.サービスは山行中一番悪かった。特に食事は一番里に近いながら手抜きが多い。 弁当も割高の上.ベチャベチャの押し寿司は口に合わなかった。始末にはOから投書しろと呑みながら怒鳴られた。 弁当の翌日は南小屋で食べたがそれほど疲れがあるわけではないが確かに口に合わず.3人が共に1口か.2口で諦めている。 場所柄敷地が狭く.そこに大勢の人が集まるせいだろうか? 酢飯で食をそそる筈が手抜きが多い。又山では食べ物の因縁は恐ろしい。 吐け口が私にきた。 小屋泊りでの弁当は小屋間の間隔が短い場合はフランスパンなど持参し.軽食を摂るのが望ましい。 昼食は着いてから小屋で温かい食事を摂ることをお薦めする。以後昼食の弁当は購入を諦め.小屋に着いてから昼食は考えることにした。 風呂 ただ風呂はよかった。3時オープンの一番風呂を待って.ましたと飛び込む。着替え棚の並ぶ廊下を抜けると湯殿に突き当たる。 3人が入ると冥一杯に湯船の湯が勿体ない程溢れた。湯舟は狭く.中で体は動かせないが浸かるだけで贅沢な気分になる。 やや温いのは沸き始めの為だろう。風呂待ち.せっかちな3人が飛び込むも.カッパの行水になった。 それでも上高地からの程よい運動が.全てを我慢させ.又満足されていた。その後のビールの旨いこと。 先代の北アルプスでは槍沢の小屋は白馬岳の組立小屋に次ぐ2軒目の登山小屋。現代は大きな箱型ヒュッテ3階建て収容150名 ¥8500+¥ちらし弁当1300.NTTドコム衛星公衆電話有り.又電力には小屋近くの湧水を利用した小型水力発電設備がある。 島根県からの小母さん部隊18名のツァー客が現れる。8時間掛けて上高地入り.蝶ヶ岳での展望が望めない為.槍へと変更入山した。 続々現れるハイカー達.私達はその姿を見守り.酒を注ぐ。 Oのザックポケットに雨水が溜っていたらしい。カメラ.携帯電話は使用不能に。 寝床は清潔に溢れていたが狭く人気で暑かった。荷物は廊下へ.3階はもっと蒸すとのこと。 窓から臨めるロッジ前.シラビソの林 雨上がりいい顔の2人 ![]() 雨も一時の小休止で.小屋の外にでる.14:57 8月31日霧雨から風雨強く暴風雨へ 槍沢ロッジ―南岳小屋. 槍沢ロッジh1 6:40一7:20五郎沢出合:30一8:20天狗原分岐一9:00天狗池一10:00横尾尾根稜線一10:30ハシゴ 一11:00南岳一11:30南岳小屋h2. 槍沢ババ平 槍沢とキャンプ場.6:52霧雨は出発前から本降りになっていた。幾らか明るさを取り戻すも,中腹は重く垂れ込む雨雲に被われる。 左岸沿いに少し登るとシラビソの針葉樹が目立つ槍沢キャンプ場.ババ平にでる。槍沢小屋の崩壊で土台だけが今だ残されていた。 幕営していた人は登らず下山するとのこと。又今朝は突風強く,槍の穂に登れなかったとハイカーが槍沢から下りてきた。 ここから槍沢の広い河原沿いが続き.霧雨になったのを切っ掛けに距離を稼ぐ。槍ケ岳を諦め.天狗ノ池から南岳小屋に向かうことにした。 径脇にはトリカブトの紫濃い花が濡れ鮮やかに群をなし咲き誇っている。・・1965年07月. 初夏の表銀.天狗平ウォッ地図 |
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横尾尾根末端北面側 . |
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| 天狗平へ 五郎沢出合で1本。対岸.横尾尾根末端の側壁が幾つもの溝窪を小滝に変え.雨の滴る緑葉と競合し,岳を大きく現わしている。 水俣乗越への分岐を過ぎると河原は更に広がった。見える筈の槍の穂はガスが抱懐し望めないでいる。 樹陰もない広い河原の径が続く。通常7月下旬ならば.この付近から雪渓が現れている筈のようだ。 対岸に移り分岐より槍への径を分け.根曲多い小径に入る。視界は望めぬが高度は稼げている。そこを抜けるとゴーロ帯を横断するようなった。 槍沢と同じような氷河地形特有のゴロゴロ岩の堆積する広い河原にでる。 大岩を絡ますゴーロの岩下は滝の如く水音を立て.流水の駆け落ちる音色を足元に轟かしていた。 渇水期には聞こえぬ沢の音。その上を大股で跨ぎつつ天狗ノ庭にでた。 霞む天狗ノ池.8:59天狗池 流れ落ちる水は池が満杯であることことを示していた。その脇に残雪が臨まれる。 8月中旬を過ぎると融雪の水を湛え.逆さ槍ヶ岳が望める筈が.今は直接の槍さえ眺められず。 バテ始めた時の1本.今日も水羊羹とアミノサンバイタルを摂る。それと間食のレモンがこれからの口直しのメーンになる。 氷河公園はゴーロ帯で構成されていた。そして避ける場ものがなく風は強くなる。 谷間からの追い風に乗り.気持は少し休まるが.横尾尾根に出て突風にあおられた。 この尾根は昔,反対側の横尾谷右股からSと詰めたことことがある。カールで一晩中秋の嵐に遭い.悲惨な状態から抜けだし尾根に出て晴れた。 その晴天を惜しむも今はない。歯を食いしばる登りが続く。このルートの今日の下山者は2pと単独者2.登りは我々を含め2pのみ。 尾根に乗ると更に荒れ狂う。空身では飛ばされ歩めぬ風が吹き抜けた。昔.横尾谷右俣を詰めた折.梯子・鎖場はなかったと思ふ。 この付近から更に風雨に叩かれた。「頂稜まで後10分」と古ぼけた板ペラの道標を見付けている。 稜にでて又強く煽られた。風に息がなくなり.頂稜にでて烈風に襲われる。向かい風を受け.頭をもたげなければ息もできぬ風。 バランスを崩すと完全に飛ばされる。手がかじかみだした。素手の両手を動かしては手を庇うも寒さが沁みている。 南岳と横尾尾根キレット側 屏風ノ頭より.横尾本谷右俣と仙丈沢1970.10.南岳小屋 13:25土間と小屋番自慢の天気予報板 1日一時陽射すも高曇.昼前よりガス濃くなる。2日強風でガス流され下山して晴間が見えた。 南岳小屋 飛び込んだ小屋は南岳南寄りにあり.北に向けT字型で南側に玄関がある。土間に入ると入口が2重に広くなっている。 雨具を脱ぎ.土間に入り込むと床はコブシ半分程の小石で敷き占められていた。 中央にストーブがあり.ベンチはそれを囲むよう置かれていた。今日の宿泊者は少ない。 小屋番が宿泊票を持ってきた。書けなければ後でと問う。かじかむ手でぎこちなく書いた字。 十分読めますからの言葉から会話が始まった。まだ正午前である。 荒れる外を隔て.土間でストーブを囲む団欒に落ち着きをもたらしている。斑な客に薄暗い室内.懐かし雰囲気が偲び込む。 小屋で40代の夫婦に出会う。南岳小屋に惹かれ.年に何度か関西から訪れると云う。 2時間でも3時間でもキレットをジッと見詰めているのが好きで.暫し入山するらしい。 彼女の解説によると360度.望むべき岳々が繋がり.シーズン中はここがカメラマニアのポイントとなっている。 それ故登山者で賑わうそうだ。その時期は布団1枚に3人が寝ると云う。テント以上の狭さか? 如何寝られるか想像も付かぬ言葉になる。 今年から先着順に寝床を用意.遅れた者だけが詰めてもらう主旨に考えを変えたらしい。合理的である。 他のパーティ2名の中年男性達も逞しい。2週間前に裏銀から南岳まで縦走したそうだ。 翌日北穂高で別れたがそこで生ビールを呑み.涸沢経由で嘉門次小屋に16時半には下山している。再び上高地でお会いし聞いた話である。 今日の宿泊者はこれで全員だった。客が変わっても動かぬのが私達.玄関との間でコンロをだし.熱い焼酎割りをチビリチビリ呑む。 有料の水を多めに頂き.払ったと再び水を分けて頂いた。そして又酒を呑む。なくなれば.まだあると酒を開けた。 摘みの槍沢ロッジ特性の押し寿司弁当はベタつき食べられるものではなかった。3人とも1口で飽き.料金を払い荷を重くするだけだった。 山小屋の弁当は諦め.行動中は間食だけにして.小屋に着いてから注文するに限る。今回はコンロで軽くラーメンを作っている。 このことは思い続けていただけに.明日より即実行することにした。反対意見は0.誰もが賛成した。 小屋は真新しく80名収容,昨日の宿泊者5名. 雨水のろ過使用,宿泊者専用のパソコンを設置. @8500.500ccミナラルウォーター付.水1000cc@100.他@200.茶@200. 途中下山? 昔立山から後立に抜けた夏合宿の終わりに.中岳で大嵐に遇っている。張り綱が何本も切れ.天幕を抱くよう支え朝を迎えた。 後キレットを越えれば新穂高.集中地に入る。朝方は烈風だけで治まっていた。普段ならバテても歩かしていた。 ただ食糧不足で前日に続く空腹感に加え.1年生の消耗が激しく.キレットの横断を諦めていた。それから何十年経ち.同じキレットで.今難渋している。 荒れ狂う暴風雨で明日を考える。烈風でキレット越えができなければ.戻り槍へ縦走するか? 南岳新道から新穂高に抜けるかになる。 ただ続く降雨で南沢は増水しまず渡れないとのこと。ただ入山路は無視している。正午8℃.外は唸り風強く.空身では立てぬ風。 真上に居座っていた前線が中央から途切れ.薄い気圧の山に差し掛かる。15時.小屋番は完全たる晴れを予想するが? キレットを抜け穂高岳へ繋がる小径が細く見えてきた。外はまだ小雨混じりで飛騨側の風強し。 1967年08月.夏嵐.槍からの頂稜 9月01日.風霧後一時晴れ間 南岳小屋前の岳と谷 昨日の宿泊者は我々を含め7名だった。大の字に何処でも寝られた。 寝床は2階の一角を指定されるも何処も空いている。各パーティが各々1ブロックを独占し.自由に寝ることができた。 又昨夜は以外に暑かった。小屋の密閉さがよいのもあるだろうが.上布団を掛ければ素足でジャンバーも脱ぐようなる。 切れた前線 山は一時の好天に向かっていた。冬の擬似好天とは云わぬものの,風は治まり高曇となる。 見えぬ層雲を分け陽が昇り.常念岳の北肩から雲海を切り一光が放された。 思わぬ日の出に穂高東面の山肌が谷間の暗闇を消し.爽白味を帯びた山肌が日の出と共に赤味を増している。 淡いピンクの山肌を更に深くオレンジ色に染め.朝焼けを岳に刻み付けている。その色彩は天候が崩れる兆しをも示していた。 小屋からは360度.展望が開かれる。霞が幾らかずつ融けるよう薄れだしていた。 ただ蒼空を探すも.雲の切れ目は一瞬の切れ目としてか覗めなられなかった。 赤みに染まりだす常念岳の山波生暖かい日の出を待つ。天候が落ち着いた朝の一時. 高曇の空が更に明るさを増し.日の出と共に薄れる空。前線の雨堤が切れ.線を描き.その溝は幅を持ち広がりだしている。 そして徐々に割れた層雲の帯から仄かな蒼みが生まれだしていた。 キレットは越える朝方.蝶ケ岳を背に.5:26 待つ身にほころぶ横尾谷と背は雲海の常念岳山脈 何十年振りか常念からのご来光を仰ぐ 雲海の常念岳肩より陽光が昇る.5:22日の出直前の北側の滝谷の壁岳 キレットと北穂高滝谷.5:21黄光と煌く北穂小屋のランタンが望める 焼けた旭の岳 高曇の紅染まる朝陽を浴び始める前穂北尾根.北穂高.奥穂高.涸沢岳 流れ行く陽は淡桃色へ 一瞬に霞み.振り返ると朝の陽射しを受け.5:22 低くなった屏風ノ頭.横尾谷右俣南岳東南稜頭より陽が昇るにつれ.赤味は薄れ昼間の光に近ずき立体感を生み出す。 西面.山陰の谷と稜 蒲田川右俣.左下は滝谷.5:29朝食前の錫杖岳と笠ヶ岳 ![]() 2009.08.この谷蒲田川左俣を遡り.弓折岳より読売新道を下る 中崎尾根.奥丸山を隔て笠ヶ岳.抜戸岳からの大ノマ乗越と弓折岳の嶺 6:31右奥は黒部五郎岳と三俣蓮華岳 朝陽を浴びだした中岳と大槍 南岳小屋と槍ケ岳への稜槍ヶ岳と遠く雲ノ平 双六岳.三俣蓮華.遠く薬師と鷲羽岳と水晶岳.5:29降雨から豪雨へ.槍沢から槍沢ロッジ―天狗池と南岳小屋 キレットを越え濃霧覆われた穂高岳山群から岳沢 |