| 涸沢BCその2. 北穂高岳滝谷と北穂沢 涸沢bc1.涸沢への径.前穂岳北尾根 涸沢bc2.北穂高岳滝谷.北穂沢 北穂高岳滝谷第二尾根を登攀し.北穂沢下降 黄昏迫る滝谷, 滝谷第二尾根 7月11日快晴後曇 起床6:00 涸沢Bc3, 10:25一11:15鎖場:30一12:15北穂高岳南峰一12:25鞍部:45一13:40(P4直下.大)14:15一15:00(PA) 一15:40(P2直下)一16:10(P2):25一17:00水野クラック終了一17:15北穂高コル. 衣類などを乾かしてから出たので.今日も北穂への出発は10時を回ってしまった。 珍しく晴れ渡った涸沢は汗ばむ程の登行になる。 前穂北尾根 北穂南稜からは振り返ると涸沢を囲む穂高岳のバァテーケーに築かれた屏風の岩壁は北尾根の華麗なまでの岩峰を連ね扇状に開かれている。 昨日の山行が嘘のよう晴れ渡り.前穂から雷鳴の中下ったルートが目に取るよう望まれた。 技術的面より精神的に負い込まれ.逃げるよう降りた涸沢が真下にすり鉢の底を見せ覗まれる。北穂高岳南稜1/25.000地形図. キレットからの北穂高岳滝谷北面 2007.09.01. RCCU.ルート図集より. 北穂高岳東面ウィッ地形図 |
滝谷第二尾根基部 向いは笠ヶ岳 ![]() 基部より槍ヶ岳 吊り尾根の長谷川ピーク.滝谷側の壁 |
第二尾根上部より第一とクラック尾根 |
2007.09.01.キレットより第一.第二尾根 南峰より滝谷側を巻きながら松波岩の下.第二尾根基部に立つ。 登攀 P4を越え北山稜へトラバース北山稜 ![]() 北山稜.B沢側フェース気味の所をPcはフリーで滝谷 基部より尾根上を下ったため時間をロス.C沢左俣を下ってP1.P2を大きく巻き. P3上峰より小さく左俣側を巻きながら下峰を過ぎる。そしてP4で北山稜側を通って大休止.昼食にした。 今日は昨日の事もあり食糧は十分ある。その上.天候も安定していた。 焦りはないが先が判らず.程ほど下り.第二尾根に取り付く。 尾根自体は少し脆いが技術的なもの必要とせず.P4から北山稜にトラバースする。 尾根上は面白みがない。壁にぶつかり登りだした為.PAでP2支稜へ少し入り込む。 ここはハーケンの連打でフランケに入りそうになり.時間を少しロスした。 |
, P2.和田 |
B沢寄りフェース気味をフリークライム. 次いてPBのB沢よりはアンザイレンで登攀する。 水俣川が足元に落ち込み高度感はある。岩は硬く快い登攀で滝谷らしくなった。 , 北山稜上部PCはその間々通過してコンテでP2手前の岩峰を。 更にP2はアンザイレンで直上する。清々しい登攀が続いた。高度感もありザイルがよく伸びる。 そしてコンテの後.ナイフエッジを数m跨ぎP1の直下にでた。 水野クラック |
P1.中央の溝斜め.水野クラック |
![]() ![]() P2.北山稜の水野クラック 水野クラック 水野クラックはガスが涌き出た為.なかなか概念を把握できなかった。 残置ハーケン3本を利用し1本をスタンスにして肘をフルに利用.残りのハーケンはジッヘル用に使用した。 長塩に云われていたが息の休まぬ登攀だった。 残置ハーケン4本使用.1本はジッヘル用.別1本はホールドとして使用した。 最後の詰め ガスに掛かる水野クラック頂稜 南岳から望む北穂滝谷・・2007.09.嵐の南岳〜奥穂高岳涸沢Bcへ 17:15北穂高コル一17:30南稜上部.(三浦.田沼に会う)18:20一19:50(北穂ゴルジュ)一20:30Bc4. 友との再会 頂稜に出るとガスも切れ東.涸沢寄りに陽光が漏れだした。 涸沢への下りる道中.南稜でツエルトを被った田沼.三浦に出会う。会えるかもと思いもしたが偶然のチャンス。 北鎌尾根はずっと雨の中だったと。 北鎌の末端から登った彼等はやつれた顔でシゲをぼうぼうに生やし.笑っている。 粉末コーラを見付け.雪のロックでコークハィ.互いの無事を祝した。 そして今までの状況を報告し合い.午後の楽しい一時を過す。彼等は明日滝谷へ.我々は山を下りる。 北鎌尾根末端より穂高岳. m田沼.三浦. 09日. 北鎌尾根.P5のコルで強雨のため停滞. (涸沢停滞). 10日. 雨が激しく風に樹々が鳴り.天丈沢の音がゴンゴンと不気味だ。小休みになったので撤収.雨でズッシリ重くなったザックを背負い出発。 状況悪いこと想像以上.岩はすべて浮き.土はグズグズで踏むそばから壊れる。 冷たい雨に全身濡れ苦闘して独標を越す。ガス濃く視界5mもきかず。ルートを失い.ハーケンが連打してあるスラブにつきあたる。 重いザックを気にしながら雨の流れるスラブを.かろうじて突破。北鎌平で1本取る。 大槍を攀じっているうち雷がくる。ヒョウが降り雨一段と激しく音をたてて降りしきる。全身ずぶ濡れ。 ルートわからず.視界殆ど利かず雷が鳴り稲妻が光る。クラックを強引に攀じるとピークだった。(前穂北尾根). 11日. 初めての快晴の朝。のんびり槍.穂の縦走を楽しむ。誰もいない。北穂の南峰の近くにツエルトを張り.濡れたものを乾かす。 田沼,三浦と再会。(滝谷第二尾根) 12日. 朝.雨の降る中滝谷へ向かう。(下山) 北穂沢 北穂東稜と北穂沢.Bcより北穂沢下降 三浦.田沼と別れ北穂沢をグリセードでゴルジュ帯まで滑る。 顔を真赤に染めた和田のグリは酔いが回ったらしく.よたよた下る。 何度も何度も息を整え停まっては下って行く。 酒に弱い彼は会ってよほど楽しかったのだろう。 カップ半分のコークハイ.ウィスキーを少々垂らしただけなのに。鬼のように赤面しふら付き下って行く。 大きなクレパス 北穂沢のゴルジュ帯は上半分はガレで.下半分は滝の連続と雪渓が口を開けていた。 滝上より左岸に移り.濡れたフェース気味の側壁をブッシュを頼りに降りた。 そして最後の2mハングは岩が濡れ扱けているだけに.動きが取れず飛び降りる。 後は涸沢Bcまで雪渓が続いていた。 涸沢ベースキャンプ.7月12日晴 下山 下山日.梅雨明け強い陽差しを浴びる 下山の朝.涸沢のテントサイド脇天幕を張って5日目.降雨による雪の減少は激しく入山時より40cmも減った。 涸沢のモーレンは頭を出し始め.長い雨の後は強い陽差しが訪れている。 見る見る地肌を現す涸沢Bc下山 7月12日. 涸沢Bc4, 13:15一14:30横尾:55一15:45徳沢16:20一17:14百沢:20一17:50上高地18:30.H= 20:40新島々21:04=松本.急行「穂高」.23:45. 13日. =5:30新宿. 涸沢Ts 完全に梅雨が明けのような中休みになる。持ち物を全部乾かし時間を掛け撤収した。 モーレンの乾いた岩上に寝転び,天を仰ぐ。既に岩肌は陽の暖かみを受け.僕の身にも温篭りが伝わってきた。 心地よい陽差しに空は濃く眩い。 上高地 遅い出発が下山最終日の今日も慣例になってしまっていた。 ペースは間々よいものの徳沢へでて.何時もの長閑な散策路を楽み上高地へ。 適当な湿気を含んだ裸土の径が梓川左岸沿いに続き.その径は常に陽差しを閉ざす樹林にも被われていた。 先を急ぐでもなく.同じペースで焦る事もなく.木漏れの陽が踊る梓川沿いの径を歩む。 ただ時刻の勘違いが上高地発.最終バスに乗り遅れる。 便乗し.梓川の河原を下る タクシー談判は運賃を吊り上げている。最終バスが出たことで.話せば話す程.吊り上げる。頭にくる運転手。 まだ正規料金で乗った事がない僕に.更にそれに輪を掛け運賃を要求する運転手。憤慨し一晩待とうかとも考えていた。 時よく駐車場.15mほど先で石井スポーツ店の自家用車を見付けだした。 運が良かった。奇声を上げザックを詰めている彼等に.笑い顔で強引に便乗させて頂いた。 唸る車 5人乗りバンに7人.更に重いザックを乗せ.底を擦りながら梓川を下って行く。 よくも全員乗れたものである。その上.荷は量もあればかさもあり皆重い。 僕は説く.現代車は凄いと。積め込めれば車は走ると。強引な解釈で走りだした。 車は悲鳴を上げ.無理な唸りを吐き続けている。 乗った以上,道中降ろされる事は,あるまいが超スローで走るも暫し底を着く。 「バーン!」「ギィー!」と鈍い音が出る都度,言葉もだせず気が気でなかった。 あまり重いので跳ねる反動は殆どない。車は悲鳴を上げ続け.僕は返す言葉を失っていた。それにしても道は悪い。 それが延々と続く為.次第に言葉に遠慮がなくなってくるも不思議だった。 仲間意識となり僕も道が悪過ぎると怒りだす。 帳が落ち闇は更に視界を狭めた。 ヘッドライトが凸凹道を照らし.車のバンドが闇の影をも踊り映していた。 梓川.ダム工事 釜トンネルを過ぎR158に出て知らずして.梓川の河原に降ろされた。もうこの道も数年でダム底に埋まってしまうだろう。 車のフロントガラスから明かりに浮き出されたダムサイドが正面に覗まれる。 見上げるとアゴの出る巨大な壁ができていた。要塞の如く築かれたダムが目の前を塞いでいる。 ただ仮の道は更に悲惨極めていた。闇の凸凹にウネるダンプ道がダム下.川中央を走っている。 荒れた河底の道を進む。屋根に頭を突き.異様な化け物に奇声を発するも..運転手はよそ見する暇さえない。 ゆっくり走るも横揺れと上下.踊る車内に定員オーバーの奇声が走る。 梓川を跨ぎ右岸へ抜ける道. ダム工事のサーチライトが幾つも闇の河原を.その仮の道だけを明るく照らしていた。 平湯への道と合わさり左岸の国道を走る。凸凹のアスファルトだが乗り心地は至極良くなった。 スピードは幾らか増すものの.それでもバウンドは暫しある。 新島々へのウネる道.この右下の河原にも平行するかのよう水殿タダムの工事現場が続いている。 新島々の駅に着いたのが8時半.実に上高地から2時間を費やした。 その間.石井スポーツの人達から愚痴1つ聞かされなかった。優しい親切な友になっていた。 駅で別れ.開放された体がボロボロになるも,和田と共に感謝の念に耐えない。 長い間,「道が悪い!」.「ダムが悪い!」と愚痴を言い怒鳴り合っていた仲間達。丁寧に礼を述べる。 それにしても遅いせいか.逆に松本電鉄の車両はガラガラだった。登山者は1車両に僕等だけだった。 2007年08月.槍沢から岳沢へ抜け同期で穂高を満喫した折.梓川の新国道を通る。 釜トンネルも広い別ルートとなり.全行程が舗装され大型バスの通行も可能に。今は時期により.車規制がなされている。 その後の梓川三ダム 急行「穂高」にて |
後書き 今度の山行は昨年の剣周辺に続き二度目の定着山行になる。 内容的には天候に恵まれず.あまり稼げぬ山だった。 北尾根は思ったより登攀技術を必要とせず.コンティニアンスさえせず終わってしまった。 滝谷,第二尾根も遣ったと云う感がなく.フェンスができなかった事が.最大の失敗のよう思われる。 しかし.その反面.山そのものを知るには,無尽蔵の自然を含め.よい経験をさせて頂いた念をもたされていた。 ザイル2本.明大山岳部より借用. 涸沢bc1.涸沢への径.前穂岳北尾根 涸沢bc2.北穂高岳滝谷.北穂沢 旧hp.PhotoHighwayJapan,涸沢bc 出発 ここはもはや、感情や理論からは、遠い世界。 白い砦の扉を開き、彼だけの頂(或いは心)をめざし、 エントランゼは狐り静かに乱入していった。 風と霧のうたは、彼の高みへの序曲。 彼の不安は、自然の待ち伏せよりもむしろ、彼自身の心の 思いかけない裏切りかもしれない。 そして、 存在を確かめる苦渋の踏跡だけが、彼を追った。 田沼栄一 その後の梓川三ダム 奈川渡ダム.最下部の窓が発電所.手前右岸に揚水式発電所がある。 その下にある水殿ダム 安曇三ダム
昭和36年着工.44年完成。現在は観光ブームに乗り上高地へは通年.マイカー規制で沢渡止りとなる。 |