| 山中湖を取り囲む東南側の尾根・・明け方の湖畔・山上から望む富嶽の大展望 ・・丹沢の山々Top 湖畔平野からパノラマ台を経てカヤトの原.鉄砲木ノ頭へ―甲相尾根から三国峠を経てブナ林の三国山稜・・籠坂峠から山中湖朝日平 へ 12.29.御正体山ヤラ尾根から山伏峠 12.30.カヤトのパノラマ台から三国山稜.籠坂峠・・朝日平 洛陽と明け方の逆さ富士 17:24平野「わかさぎ屋」2F.部屋の大窓から 民宿「わかさぎ屋」 山中湖の東湖畔にはテニス.サッカー等のグランドとして適した平野の街並が続き.民宿は合宿等の宿としてり収容100名を超す大きな館が多い。 「わかさぎ屋」は宿泊50名と規模は小さく.3年前に新築された明るく開放的な宿。 富士全景が部屋の窓一面に望められる和室8畳が2人のために用意されていた。 今日は3組6人がここに宿り.皆富士の写真を撮影するために来ていた。予約を申し込んだ時.女将の最初の声は「撮影ですか? 」だった。 私は「御正体山を越えて来ますので入館は夕方になります。」とお願いした。 富嶽 カメラマニアの彼は早速室内に三脚を立てカメラを構える。 窓越しにオレンジ色に焼ける夕日を浴びた富士が聳え.傘雲の消え掛かる富士の左肩に洛陽し.影絵と変わりつつある風景。その姿が湖水にも映る。 湯殿は大きい。 一番のメーンとなる富士の見える西側面は冥一杯のガラス窓。隙間がないほど大きな1枚ガラスで敷き占められていた。 ここから望む富士はやはりデカ過ぎる。湯船に浸かるも暫し立ち上がり望むほどだった。 洛陽に焼けた残り火が闇の中に富嶽の輪郭を描き.焼け終えた濃いオレンジの漆黒として現す尊厳たる富嶽の姿を現わしている。 彼は早々と部屋に戻った。この一瞬をカメラに収めたいと部屋に走る。私が戻った時,彼は再び三脚を立て何枚も迫力ある富士を撮っている。 もう直ぐ墨汁が沁みこむような闇の世界に変わる。夏山の提灯行列とも異なり富士の姿は見えなくなった。 女将が云うように確かにここから見る夏の風物詩は.須走や吉田ルートに小屋灯や登山者のエレキに綴られる登山道.その姿が夜空に浮き上がり連想されていた。 22:34二人酒 山のグループが異なっていても.私の山仲間は誰もが酒を好んだ。風呂に入れば酒を呑む。 彼とは常道となっている炬燵を部屋の隅に移し.壁に寄り掛かり呑む。最初は部屋中央だったが何度か繰り返すうち隅の方が落ち着いている。 夕飯は1泊¥6.800(¥16.180)と安い割に食膳は豪華だった。牛肉のシャブシャブに野菜鍋.ご飯が食べられぬほど量は多い。 美味かったサバの刺身.天婦羅に大晦日で蕎麦も付いている。それに添えて呑む酒。 その後はウィスキー角に薩摩焼酎もある。ここでも酒は空になるまで呑む。 昔学校は異なるが共の卒業式を抜けだし爺岳へ酔いドレの卒業山行をしている。あの時は社会人になると呑んだ。理屈を付けよく呑む友である。 2人で呑む酒.他人から見れば馬鹿の骨頂だ。私もそう思っている。深酒で酔う2人だが.朝はスッキリしているのが不思議だった。 酔い醒ましに玄関の外にでると頭上は満天の星。山間でひとき輝きを増した星たちが明日の好天をもを示している。 オリオン座にスバル.北斗七星.離れて淡く北極星を望む。ただシリウスやM24? 大三角形は位置を忘れ判らなかった。 彼の希望は明け方5時に起き.湖畔にでて朝焼けの赤富士を撮ること。 湖畔の富士撮影 6:47「わかさぎ屋」裏側の湖畔から富嶽も左下は山中湖南岸の大同山と畑尾山・・Nのカメラマンスタイル2景 逆富士 5時半,滋賀から来た親子連れがカメラを持ち車で宿をでる。我々は気温−5℃の中.歩いて外にでる。湖畔までは直ぐだった。 宿脇の駐車場を抜けると湖畔になる。−5℃としては暖かいがジッとしているとやはり寒い。昔のキーンとした冷たい空気を感じた。 待ちわびた光が富士の天辺から刻一刻と山肌を伝わるよう舞い降りた。その陽光を受け富士全容が淡い艶やかなピンクに燃え上がる。 彼は富士を見詰めてはシャッターを押し続けている。レンズを替えピントを絞り又撮る。今彼はカメラマンである。 私は彼のその撮る姿を撮る。風もなく微光だけが遠い富士を染めだしていた。逆富士に白鳥が横切り.鴨の群を見る。 天候 山上湖の日の出は遅く,富士は紅に染まり,空は蒼空に満ちだすも,日の出の陽光はこれから登る東の甲相尾根を越ずにいる。 明るくなるもまだ太陽の光を直接受けないでいた。山上の窪んだ湖畔.日の出はまだ見られずにいる。 天気予報では地元の若い女子アナがもう崩れてもよいが雨は降らないだろう。何故か? と濁した言葉で昨夜.テレビで天気解説をしていた。 昨日の朝は「晴後曇」.昨晩は「晴」に変り.今日の予報は「曇後雨」。何の解説もなく不可思議な言葉を繰り返すアナンサーがテレビの中にいた。 冬型が崩れ低気圧が思いのほか離れて遠くの太平洋沖合を通過する。今日も快晴が続くだろう。 先を読み今回は雨具も傘も持参せず.替わりに軽アイゼンを持参していた。この特権は冬の表日本にある。他の季節は常に雨具を持参している。 この2週間に2度.降雨の予報がでていた。ただ共に騙されている。私達に取ってはよいに越したことはない。 今年は又冬富士の雪線が上がり過ぎていた。優美に満ちる裾野の広大さに比べ,雪量が少なく迫力を少し欠けさせている。 富士吉田口八合目付近は雪崩れで.大きな地肌を現していた。もう一度降ればちゃんとした冬富士になる。 昔と比べると考えられぬ積雪の少なさだった。女将に聞くともう何年も積雪は少ないとのこと。 私が冬富士に通っていた頃は上部は雪の厚みがあり.麓も大分雪で覆われていた。やはり異常気象のせいだろうか? 山中湖 大昔.度重なる富士山噴火で溶岩流は凄ましく,富士五湖はその影響を多分に受けていた。山中湖は三国山,石割山などから流れ出た水が 行き場を失った堰止湖だった。それが猿橋溶岩流によって新たに桂川が生まれたため.富士五湖の中で.排水路を有する雄一の湖になっている。 「宇津湖」(うづのみ)は三日月形に変わり.湖名も「山中湖」と改められ一千年前に現在の姿になったようだ。 子供達と幼い頃.夏に2度ほどキャンプしている。我が家のポインターが湖畔で遊ぶ子供達と戯れ.初泳ぎしたのもここだった。沖合にボートをだせば湖面スレスレまで 藻柱の如く猛烈に繁殖し.藻の中泳げば足にも絡み.変な威圧感を覚えていた。又子供の小さな手でも.越す大シジミを幾らでも採れている。 ただ淡水で味は不味かった。鯉を釣り上げ.泥を吐かせて.鯉コクにしたのは美味かった気がする。 宿では「わかさぎ屋」の商号通りボートハウスも営業している。昨夜は天婦羅が食卓に乗ったがワカサギは含まれていなかった。 その替わりエビが乗る。最近はワカサギ釣りは1月中旬過ぎの産卵を迎えなければ獲れないとのこと。「釣れだせば必ず食膳を飾ります」と女将は云う。 このことも暖冬と関係があるのだろうか? 日の出に湖畔ワイドでワカサギ釣りをするボートを何艘か見ている。 見ていて釣れぬと聞き哀れにも思えた。間々の釣果が出ればよいが。太公望は何処にも居るようだ。 ワカサギは「ままの森」から桂川吐出しの直線上.湖北が昔の深場ポイント。山中湖は何年も放流されることなく自然繁殖に任せられていたる。 11月上旬ワカサギ5〜11cm,100〜1.050? 底釣り水深11m.仕掛け2〜2.5.赤虫.紅サシ.10〜2月間.前売り遊漁券¥520,山中湖漁協 現在オオクチバスを平均的に年5〜6回.各約1000kgを山中.平野.旭ケ丘地区に放流。今月中旬にも放流しているのは河口湖と競ってのことか? ワカサギ釣り解禁と並行して獰猛なバスを放流するとは。漁協の発想は判らぬが一方でワカサギが餌にされているのは当然の成り行きだろう。 幼い頃.義兄の仲間達に連れられ.河口湖の氷結でスケートとワカサギの穴釣りを楽しんだことがある。小学校年少期の頃だった。 その頃は赤城沼と同様に一種の風物詩だった。それが年毎に減少し.今ではブラックバスを放流し.大会を催す湖に変わっている。 唯一と思っていたが山中湖も同様だと聞き.驚く気持ちのほう方が大きかった。 2007年06月より特定外来生物被害防止法が施行され.生きたまま持ち帰る事が禁止され.リリースを勧めている。 別種として昨年はヘラブナ500kg.一昨年は鯉200kg.ウナギ250kgを放流したと聞く。時代が変わりつつあるにか? 12月30日月曜快晴 富士の大展望とブナの三国山稜 山中湖―鉄砲木ノ頭―三国山 「わかさぎ屋」8:50一9:45パノラマ台10:05一10:40明神山:55一11:10三国峠一11:30三国山:45. 甲駿国境尾根の三国山稜 これから縦走する畑尾山と湖畔旭日平方面.7:17三国山から西へヅナ坂.大洞山.畑尾山.書取山.最も低い鞍部が籠坂峠 再び三国山稜へ 山中湖南岸を東西に連なる三国山稜は富嶽の噴火により.西風に乗って運ばれた火山灰や火山礫が堆積された地表を覆っている。 この山稜は丹沢山塊の最西端に位置し.特に三国山から立山に至る三国山稜はブナ.ミズナラなど豊かな自然に恵まれ 自然環境保全地域に指定されている。 湖畔から街を横切ると高指山(たかざす)から鉄砲木ノ頭に掛けては西の斜面にカヤトの原が斜面が広大な広がりを見せている。 昨日.山伏峠から平野へ下山する折.西陽に照らされた黄金に煌めくカヤトの原を遠目ながら見惚れていた。 今日はその頂に向かい雄大に開かれた富嶽の裾野を背に受けながら明け方湖畔から望んだ籠坂峠へと三国山稜を綴る積りでいる。 パノラマ台への道.最短の登り口を女将から教わり.まずは国道を歩むことを勧められた。 昨日来た国道を少し戻りコンビニ前のT字路にある道標「三国峠ハイキングコース入口」から右に折れ.直ぐ又分岐にでて集落を縫うように綴る。 分かりずらいが細い村道を抜けていた。 そして立派な2車線の巾広い三国峠への県道.山中湖小山線にでる。県道はこの先でU字状に大きくカーブを繰り返し.三国峠を越えていた。 県道を真横に横切る山道に入ると覆い被さるカヤトは背丈2mを超し,閉ざされた足場はぬかるむ所が多くなり.道は悪かった。 雨水で深くえぐられ溝のぬかるむカヤトの道になる。その上枝道の横道が多く.わずわしい。朝の一歩を喘ぎながら直登すればパノラマ台にでる。 県道の北側を急U字にカーブする地点がパノラマ台. ここは富嶽の眺めがよく一息付いている。 パノラマ台からは湖畔を囲むよう大展望が広がり.朝早くからマイカーで眺望を楽しむ人達で賑わっていた。 足元に山中湖が広く開け横たわっている。その湖畔ワイド一角には昨夜お世話になった民宿「わかさぎ屋」の屋根が小さく小さく見下ろされた。 その脇には明け方富士を撮影した湖畔があった。 山中湖北岸に連ねる山々 山中湖平野ワイドと宿.10:03湖畔越しにの石割尾根の上に 杓子山.鹿溜山を望み.重なる三ッ峠府戸尾根が富士山の裾野まで続いている。 昨年同じ時期に彼と河口湖へ下山した府戸尾根。その奥に横たわるのが御坂山地。 富士と御坂山地との裾野越しには南アルプスの主峰群が揃い.白峰三山.塩見岳.荒川三山.赤石岳と遠く白銀を煌めかせ悠然と構えていた。 頭上の空はデカい。無の濃紺のキャンパスが壁に塗り込まれたよう.冬の天空を誇張し広がっていた。 カヤトと鉄砲木ノ頭 甲相国境尾根から三国山稜へカヤトの原 蒼々とする空とカヤトの原. 西の斜面にも陽溜りの陽射しを体一杯に受けるようなる。雲量0.今日も快晴で風がないのが又よい。 パノラマ台の観光客とも別れ.2人だけの山径でカヤトを切る。火山砂礫の原に茂るカヤトの丘。背には富嶽の大スペクタルが開かれている。 カヤトに刻まれたぬかるむ山径を取る。途中で雨水にえぐられている所を避けてはススキの黄金色と蒼い空.その境の稜を歩む。 山中湖側入江との富士の裾野 鉄砲木ノ頭から広がる火山灰土の三国山稜.10:54右奥が南アルプス.赤石岳〜北岳.右端が鬼ケ岳. 白い大きな建物は石割尾根末端のマウント富士.その右上は雪頭ケ岳 数ある展望地の中でここも指折りの展望スポットになっていた。 天上に続く大地から更に高く聳え立っ石割山.杓子山.御正体山の山並に歴然と聳える秀麗たる富士がデンと大きな裾野を従えていた。 長い柔らかな曲線を描く富嶽の裾野が足元まで広がりを見せ.山中湖を呑み込むよう抱きかかえている。その富嶽に向かい歩む。 道志山塊西端と山伏峠.甲相尾根 同山頂より.10:16山伏峠を隔て大きな山容の御正体山と大棚ノ頭 大らかに緩やかに延びる山伏峠には今倉山稜の北面を覗かしている。その手前の鞍部から昨日.御正体山ヤラ尾根を詰め平野の湖畔に下りている。 山伏峠両脇に建つのが西群馬幹線の鉄塔群.右端には佐久間東幹線鉄塔が連なり.新富士変電所から道志川沿いに下っている。 山伏峠から道志みち沿いの裾野には2つの紅白鉄塔が望まれた。ここに架かる鉄塔が昨日潜った天竜南線146号と147号鉄塔 天竜南線は高指山の肩には48号鉄塔が建ち.尾根を越えて西群馬幹線261号鉄塔と共用され.駿相尾根越えで新富士変電所と結ばれていた。 鉄砲木ノ頭(明神山) ここ丹沢大室山から続く甲相国境尾根の駿河川の端から東海自然歩道が綴られ.低山の長閑な尾根径が築かれている。 ただ対岸はまだまだハイカーは少ないようだ。 広い更地の鉄砲木ノ頭はオワンを逆さまにしたような広い平頂の中央には石造りの立派な山中諏訪神社奥宮が祀られていた。 鉄砲木ノ頭の由来は小田原市が一望できるため1569年.武田信玄が小田原城を攻める為偵察し.その合図に鉄砲を使用したことかららしい。 別名「明神山」は同名の山が三国山の東尾根.明神峠と峰坂峠の間にもあり.先は西丹沢不老山へと綴られている。 湖畔の眺めとは対照的に丹沢川の流域は西丹沢の西端に辺り.登山地図では空白地帯をなしていた。林道が幾つもの支線を作るものの登山道は少ない。 台風等で崩壊した台地は更に登山道も通さず.探るような古道に古い踏み跡の作業道が如何にか伺え地帯になる。 三国峠に突き上げるのが世附川の上流土川の一ノ沢。当然道もなく.あって林道だがそこも途切れ通行止めの処置でなされていた。 鉄砲木ノ頭からは西丹沢南端の山並から駿相の境をなす山波の彼方に.小山を越えた足利方面の穏やかな駿河の山並が広く望められる。 それらの山々は箱根の山に続く山並になる。 世附川上流周辺と送電線 国土地理院の1/2.5万地形図「御正体山」.「駿河小山」を広げると山伏峠や世附川上流.明神峠付近に送電線西群馬幹線・佐久間東幹線が, 写真の右端には送電線西群馬幹線の稜線上を綴る259号と258号鉄塔と。佐久間東幹線は東側の世附川源流を綴り道志川沿いに降りている。 又送電線鉄塔の不明瞭な表示が幾つか地図に記されていた。 新富士変電所の大改造で送電線の新設や移設があったとは言え.送電線ルート.鉄塔等の間違いも多く.未記入や古いものの記載も伺えた。 三国峠へ 鉄砲木ノ頭からは尾根歩きとなり静かなカヤトの中を下っている。ただ山道は雨水で深く抉られ歩きずらかった。 歩き易そうな所を皆選び歩くせいか,土留めの丸太等が設けられているにも係わらず.崩れ掛かっている所も多い。 急な下りに滑り易い土壌.黒い砂礫に霜柱を踏みザクザク下っている。 下り切った所が舗装された県道で再び山中湖駿河小山線を乗越すと三国峠にでる。三国山は山名の如く甲州.相州.駿河の境をなす。 平野から駿東郡小山町に至る古道。現在は県道が平野から三国峠.明神峠を経て小川町に通じている。 この峠を境にして南側はK砂.北側は赤土の表土が目立ち.向いの登山口には立派な道標を立てられている。 「三国山まで大人25分.子供30分」と記している。今まで殆ど見られなかった道標に比べ.ここからは丁寧過ぎる道標が立ち続いている。 尚三国峠と道標は「鉄砲木ノ頭」ではなく「明神山」と表示されていた。山頂の道標も同様だった。県境の管理の違いからだとう。 富嶽と三国山稜 不老ノ活路の田代幹線340号鉄塔基部より小富士へと繋がる三国山稜の立山・畑尾山・大洞山・檜木山・三国山・・2017.12.23/11:12 三国山―籠坂峠 11:30三国山:45一12:40大洞山一12:45大13:15一14:10籠坂峠.国道一14:40山中湖旭平bs. 三国山までの甲相国境尾根東側の各沢は全てが西丹沢丹沢湖に流れ込み酒匂川に流入している。・・丹沢山塊概念図 鉄砲木ノ頭東側が世附川本流にあたり,三国峠はその支流土川一ノ沢のツメになる。 三国山の頂でT字に交わる登山道は左へ折れれば明神峠から不老山へ。右手は真っ直ぐ富士の嶽に向かい.裾野の籠坂峠に至る。 三国山 甲斐,相模.駿河の三国にまたがる山頂はブナに囲まれ.極端なほど多くの道標に山名標.告知板.案内板が立てられていた。 「丹沢緑線の回路」と神奈川県の立派な木造の案内板があると思うと読めぬ古い道標がある。 その脇には山中湖村の「道標」があり.静岡県の「鳥獣禁猟区」の告知板。「ブナの巨木帯」の案内板等もある。 頂には行政三国がその領分を示すかのように.取り止めもなく乱立するかのよう立てられていた。 そうなると営林署の「植物を大切に!」も煩く見える。その上樹林に囲まれ展望は期待できない頂だった。 三国山稜に入る 小ブナの森を真西へ富士へブナとズツ坂峠 ブナの森に囲まれ薄暗い三国山の山頂は大ブナに覆われている。左に折れれ甲相尾根から駿相尾根に乗れば明神峠から世附不老山に至る。 更にに駿相尾根筋の南面に下れば小川町へ。そのまま県境を分け直進すれば不老山に立ち.丹沢湖付近に下りられる。 今回は右手の駿相尾根の西方へ.三国山稜に乗り.籠坂峠へ。富嶽を真向いに向かえ山中湖南岸を東西に連ねる山並に入っている。 まずは小コブを乗り越えた最初の鞍部.ズナ坂峠(ヅナ坂.ヅナ坂)にでている。この附近の取付きは既に踏み跡が消失し分からなくなっていた。 籠坂峠が富士熔岩に埋められる以前は.ズナ坂峠は籠坂峠の間道として利用され.甲斐から駿河に抜ける唯一の峠路だった。 籠坂峠の深い谷間が熔岩で埋まると道路が通じるようになるとズナ坂峠は暫時廃道化が進み10年ほど前から通行止めになっている。 郷村への急山腹は山中湖に下降する緩やかな斜面と比べると対照的だった。 山中湖東岸の平野からズナ坂峠を越え駿東郡日向村に通じる破線が地形図「駿河小山」には今も確り記されていた。 今は古道探索の踏み跡に変わり.1343m点の緩やかなコブを越えると「鳥獣保護区」の看板が立ち.1320m圏には北側に1250m点尾根が延びている。 北面はミズナラの防火帯と繋ぎ.右寄りの旧ハイキングコースを辿れば裾で山中湖写真ギャラリーにでて.国道の撫岳荘前にでられる。 昨夜泊った「わかさぎ屋」の隣りの敷地にたどり着く。入口がやや分かりずらいかも。 富士スピードウェー方面は「崩壊のため通行禁止」とあり.山中湖湖畔への破線も道形が定かでなく分からなくなり通行止め。近くに角取神社がある, 角取神社奥社ルートは大洞山の南東尾根からガラン沢沿いの破線路の作業道から角取林道に入り.麓に富士霊園・角取神社が祭られている。 暖かい陽差しに包まれ腕を捲くる.12:21この先.小木林に覆われた楢木山1353mまでの三国山稜は大きな起伏もなく緩やかでブナ.ミズナラの自然林に囲まれる中木林帯の尾根が続く。 快適な尾根歩きで鹿のヌタ場を幾つか見付けている。 1組の男女パーティが我々の前後を常に歩くようなった。語り歩くのは構わぬが静寂に満ちた尾根。 休みのタイミングを計り遅れて出るも直ぐ追い付き.ゆっくり歩めば先も停まりだす。追い越せばと早足になると付いてくる。 時間的に見ると今日の登山者は私達と彼等だけだったようだ。 周りを鑑賞していると言えば厚かましいが静かに歩きたいだけ。各々が気に掛けて離れて歩めばよいと思うのだが。擦れ違えば会釈するし. 何かを言うタイミングも失っていた。如何にせんか。暫くして漸く離れられ.枯葉を蹴る音だけを聞く.贅沢な尾根径になった。 一見判らぬが克明に読まれたユニークな道標,12:27道しるべ この道標は地元静岡県小山に暮す岩田澗泉(いわたたにいずみ)氏作の道標で2009年12月号「山と渓谷」に記載された。 花鳥風月の趣で摩訶不思議な「道しるべ」。 丹沢山稜を西へ.不老山から湯殿山.更に三国山稜を越え籠坂峠に至る県境に彩なるアートな道標として立てられている。 珍しいので読むでもなく写真を撮った私だがシンプルが一番よいようだ。 喜ぶ人も多いと聞く.全国的に広まることはないだろうが度を超す道標に思えた。 低山でもこの時期になると落葉樹の枯葉は落葉となり.一葉も梢に留まっていなかった。 枯れ落ちた黄茶けた葉々が行く先々を被い.冬走りの装いをこらしている。ブナの枯葉がバサバサ音を立て.時折彼の声だけを聞く。 里山裏山の丘を上り下りしているように綴られた径. 雑木林とは又違う綺麗な林相の尾根は心の癒された場をも創っていた。 ブナ坂峠を抜けるも起伏は殆ど見受けられず.知らずして通り過ぎてしまう場所を抜けている。 年の暮れ.後2日で年が明ける。温かい小春日和に恵まれ.あらぐ汗もなくシャツ姿で歩んでいる。長い贅沢なブナ林に径が綴られている。 静かな木洩れ日の径.12:36再び大きなブナを見るようなると大洞山(角取山・タカノス山)1383.5mに至り大休止した。 頭上高く或いは枝木の幹の間から広い蒼空が望められるものの.天高い空に絹雲が湧きだすでもない。左手の小山谷からガスが流れ込む。 箱根方面は視界が閉ざされ.やや風も出てきた。まだ昼下がりなのに西陽のような弱い木洩れ日に変わった。 彼も私も昼食は似たようなものを持参していた。アンパンにチョコレートパン.私はドラ焼きに小豆の水羊。甘過ぎると言うも同じようなもの。 フード替わりにザックを置き紅茶を沸かし体を温める。風はややあるも防寒具を着るほどの必要はなかった。 痛み易い彼のパンから口に運ぶ。最後に齧った大きなリンゴも美味かった。 樹間を縫い畑尾山へ 陽が傾きだした冬木の乱立する尾根から臨む「日本山岳案内(第一集)」昭和15年ものによると大洞山の別名を「鷹巣山」としている。 1366m点で右手に折れると植生が変わり.左右は植物保護のためロープが張られていた。アザミ平分岐にでて畑尾山を目指す。 富士に立山.アサミ平を隔て畑尾山 冷たい陽差しを浴び.何処までも富士を目指す.13:41窪みがアザミ平から畑尾山を越して立山. 直進すれば立山越えをして.須走紅富台上にでる。 畑尾山の南東20分程の所にある立山(たちやま)は角取山とも呼ばれていた。 駿相尾根の中でも須走り方面へと南方へ延びる尾根道は荒れ果て.更なる低山が続くも余り歩む人もいないようだった。 立山 アザミ平分岐から右折し北側の籠坂峠へ侵食に荒れた土地 明るく開けたアザミ平. フジアザミやマツムシソウの群生地. 今は枯れ果て黒い火山砂礫の堆積した原が続く。視界は霞みだしありそうでない。 ここからは藪の畑尾山を避け北側を巻くようになった。「続丹沢夜話」には畑尾山のことを「天狗の隠れ山とも云われている。 野生の豊かな自然が脈打つ小陣まりした楽園」とある。 奇形を思わすほどU字状に深く抉られた窪底を進む。侵食によって荒れ果てた登山道。両側は土手のように高く湿った土壌のヘチになっていた。 溝縁からの窪溝は黒々した火山砂礫のザラ場を歩むようになる。径幅は広がるも周りは低い灌木が樹海の如く被われていた。 そして突然開けた所に出たと思うと山中湖村公園墓地に突き当たる。その真ん中に道が造られていた。抜けると街道が横切る籠坂峠にでた。 籠坂峠 籠坂峠は「加古の近くにある坂」が転じたが加古とは山中湖西岸の今の旭日丘付近の旧地名。 昔は深い谷であったが,富士噴火によって谷が埋められ.今の広大な原野ができ.その時の溶岩堆積の最低鞍部がこの峠になる。 分水嶺を成し.南は酒匂川の源となり.北は山中湖から桂川を経て相模川に入水している。 小富士へと綴られる眺望のない峠には山中湖と須走.御殿場方面を結ぶ国道138号が横切っている。 幅白くなった峠路は丁度富士吉田と御殿場のほぼ真ん中に位置し.峠上が丁度.富士吉田との分岐で道を分けていた。 中世までは都から甲斐の国に入る玄関口だった。東海道本路から分かれ.甲駿国境の加古坂を越え甲斐の国に入っている。 左にこの鎌倉往還の峠を分け,右に折れれば甲府に至る国道を左に分けている。我々は峠から逆側の山中湖旭日平へ降りる。 籠坂峠を通る路線バスは時刻表を見ると1時間待ち。山中湖々畔まで歩むことにした。 平野から三国峠を越えて.籠坂峠へ山中湖東南の尾根を回り込み.昨日を含めると道坂峠から一目で分かるような長い旅になった。 広い敷地を持つ別荘地を縫い.アスファルトの狭い路肩線の道を下っている。車の往来が激しく.木枝の飛び出しも多い。少し恐わい道 近くには「山中湖文学の森公園」ができ.中に徳富蘇峰館.三島由紀夫館.俳句の館がある。「朝日丘」と云う地名は蘇峰が命名していた。 坂道止めを下るとT字路になり,正面に湖畔が現われた。出た左角が偶然にも山中湖旭日丘の旭日平バスターミナル 今回は最後まで歩みも軽やかにまだ歩ける気分で下山している。一週間前の牛寝通りトレーニングの素晴らしさを改めて痛感させられた。 新宿行4時5分発の高速バスを予約し.「三国山ハイキングコース」を終えている。高速道バスは河口湖回りで中央高速道を抜け新宿へ。 この高速バス路線の経路に並行しているのが昨日朝方.タクシーで通った国道の「御坂みち」又旧鎌倉往還になる。 鎌倉往還 古道の名称。かつては鎌倉道などと呼ばれ.幕府の所在地.鎌倉から放射状に複数のルートが延びていた。 廃道になり正確なルートが判明しない箇所も多いが旧鎌倉街道.鎌倉街道跡などと呼ばれる道路が現在も各地に残されている。 鎌倉時代に幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道である。 鎌倉から北関東に向かい主に三本の道が官道として整備されていた。 現在では鎌倉街道には上道(かみつみち).下野に向い.中道を経て奥州に向かう奥大道.上州に向かう下道がある。 又下道から信濃,越後に向かう北陸道。これら以外にも枝道などがあり.そうした支道も一括して鎌倉街道と称されている。 それらは東海.京にも存在するとされている。 道幅はせいぜい一間程度で特徴としては山々では谷間を避け尾根へ昇り.尾根伝いに.深さ三尺位の堀道にしていたらしい。 甲斐の国は東海道に属し中世から鎌倉往還と呼ばれていた。戦国武将の国盗りの道であり,生活必需品を運ぶ商人で賑わう道でもある。 甲斐路は御殿場から籠坂峠.御坂峠を越えて甲府に至る道.ここも旧鎌倉往還と呼ばれている。 2014年09月・・観光バスの車窓から旧鎌倉往還と甲州街道 山中湖々畔.旭日丘 山中湖々畔.の国道413号線から右奥が石割尾根.14:5214:40山中湖旭日平.富士急バスターミナル16:05.¥2000=18:25新宿西口. 食堂「山一」 時間まで交差点を右手に渡り.並びの食堂に入る。今の時期.午後ともなると閉鎖されている食堂が多い。 Nが「美味すぎるラーメン」と看板のある食堂を見付け.早速試食に。自作の麺に素朴な支那そばもう少し熱ければ美味い筈だった。 竹箸の袋にメニーが印刷されていた。一言特長が述べられ.細かく定食類が記されている。 ビールを頼むと壁に「うまい豆腐」.「激辛キューリ」と張り紙があり.注られ注文した。 「無農薬有機栽培の忍野八海湧水とうふ.食べればうまさが判る」と添え書きが付けられている。素材の味の美味い豆腐だった。 激辛キューリはキューリ1本を細かくブツ切りにし味噌が添えられていた。鰹味噌に辛子の南蛮漬.後から辛味がくる。 それだけで摘みになるほど激辛と言えぬが? 計\2.800 山行を終え この2ヶ月間の山行を終えて丹沢山塊が凄く身近になったよう思える。東丹沢の一部分しか知らぬ私には新しみのある山域だった。 丹沢主脈.主稜.甲相尾根を踏み.丹沢の概念が少し判り始めてきたところだった。 もう沢登りは無理だろう。今度は畦ヶ丸から菰釣山周辺のカヤトの寂の利いた山径を踏もう。新たな願望が生まれ始めている。 願望 今年念願だった3つの願いを叶えることができた。飯豊山石転び沢・大菩薩牛寝通りと山伏峠越え。 何の繋がりもないよう思えるが石転び沢は40年前に.二年強化合宿を自分で企画しながら行けなくなり代行して貰っている。 大菩薩牛寝通りは高校時代の春.小金沢連嶺を南下して.次に思い立った未踏の尾根だった。 山伏峠は最近再び登山を始め.最初に奥多摩川苔山に登り,帰宅して初めて購入した山と高原08「高尾,陣馬」の地図下にある峠だった。 地図を見て何故か.心が惹かれた。先週は大菩薩牛寝通りを下り.今は山伏峠越えを幼馴染のNと成し遂げている。 共に山径は確りしているものの藪ぽい尾根。冬場の低山,尾根歩きとしてはよい山登りになった。 ・・翌12月31日22時記. これから妻と地元の下谷神社へ初詣 コンロと小ヤカン.食器2.水500cc×2. 12.29.御正体山ヤラ尾根から山伏峠 12.30.カヤトのパノラマ台から三国山稜.籠坂峠・・朝日平bs |