| 想い出す学生時代の滝島先輩と残雪の鳳凰三山 ・・鳳凰三山Top 南アルプス北部地図 裾野は新緑.梅雨を待つ鳳凰三山Uと対岸に豊かな残雪を抱く白根三山. 学生時代.5月の連休に西村.竹永先輩に誘われ鳳凰山から駒ケ岳黒戸尾根を縦走している。雪被る山小屋を点々と移動し.ラッセルを抱いての山行だった。 今回も百名山の一部として同行することになる。先輩にしては降りてからの登り返しが百名山の大菩薩嶺登りになる。私は本命は事態する。 青木鉱泉からドンドコ沢を経て鳳凰三山―中道コースを下る。 2010年06月12〜13日.L滝島m見城.竹永.鈴木.松村 6.12.新緑のドンドコ沢を遡り鳳凰小屋・・裏沢に残雪あり 6.13.鳳凰三山の絶景と中道コース 2週間前に越後谷川岳へ一緒に出向いたばかりの滝島先輩から再び山の誘いが入る。鳳凰三山に登ろうと。 百名山を目指す竹永先輩が広島から上京.一昨年の苗場山々行と同一メンバーで鳳凰三山と大菩薩嶺を目指す。 ただ病う妻の手術日と重なってしまった為. 妻に添うため鳳凰三山に参加してから大菩薩嶺は辞退し.途中下山する形を取ることにした。 鳳凰三山は地蔵岳.観音岳.薬師岳の3つの山で構成され最高地点は観音岳.の2841m。山全体は花崗岩でできてをり. 山頂部は白い砂地に大岩が点在する。そして蒼い這松ヤ岳樺との対比ハ美しく「白砂青松の山」と云われている。 梅雨前線が北上し太平洋沿岸は次第に雨雲に覆われる。それでも山中は如何にか留まるような陽光で持ち続けている。 ただ早い前線の北上が梅雨入りを早め.本土は迫る勢いで接近していた。又残雪はドンドコ沢コースでの残雪は殆どなくなり.稜線は幾らか見られる程度。 jr韮崎駅舎南口で竹永先輩と再会.8:446月12日曇薄日射す.甲府最高30℃ jr新宿.スーパーあずさ1号.¥5.040. 7:00=8:37韮崎,全員合流=9:40青木鉱泉P.¥750×2日. 始発7時の特急「あずさ」で新宿を発ち.韮崎駅に全員が合流する。切符を手配してくれた見城先輩と同列車に乗っていた竹永先輩。 何時ものことだが滝島先輩.同期鈴木はマイカーで出向き感謝している。韮崎駅の改札口で迎えられた。 滝さんとは学生時代.1966年の春の連休に. L西村.SL滝島.m和田.三浦.松村の構成で夜叉神峠から鳳凰三山を越え.早川尾根を綴り. 甲斐駒ケ岳に立つ。そして黒戸尾根を縦走し白須に下りている。幕営は全て積雪に埋まる山小屋の中だった。 風強い北岳を仰ぎ.小屋の窓から夕陽に照り付けた焼けた岳を眺め.強い印象を持たされいた。 又黄蓮谷右俣の烏帽子沢の最後のツメで滑落し.ツアッケの先で如何にか留まるものの足先は氷る足場が取り切れず.苦労したことも想い出していた。 その時のサブリーダーが滝さん。今回は55年振りにリーダーとして.コース及び段どりをお願いした。 今回の山行はその時の前半のよい所だけを抜き取り.青木鉱泉からドンドコ沢を詰め.鳳凰三山を踏み中道を下るコースを選んでいた。 「合流日の朝.韮崎駅に早めに着き,強い陽射しを背に駅前のベンチでモーニングコーヒーを飲み新聞に目を通している。 余裕の時間から始まった今回の旅はその後間もなく思い出を胸に刻む大切な時に・・・」と後の手紙の滝さん談話。 何にか気障過ぎる言葉に頷く人は要るまい。博学には如何にも思えぬところがある。それでも皆「う〜ん」と長い間でずいていた。要はほっとけと 青木鉱泉 明治の建物を復元した母屋.縁側とガラス.障子がよい.9:59小武川林道 韮崎駅から甲州街道を下り.穴山橋渡って釜無川右岸にでると車の車窓から直ぐ青木鉱泉の看板を見付けている。 上円林の交差点を抜けずして手前の丘を登りる。近道して小武川第四発電所を通らず.街角から送電線甲信幹線を潜り.里道から小武川林道へ。 甲信幹線 10年前までは甲信幹線は竜島発電所から橋本変電所まで鉄塔約800基で結ばれていた。 ただ東山梨変電所の完成に従い.新山梨変電所止まり変わっている。先の甲信幹線は御坂線と都留線に分断された。・・御坂線と都留線 市営小武川林道.24.6kmに入ると2車線弱の道幅を持ち.所々で道路工事が行われていた。 道路両端にU字のコンクリート抗を備えようとしているところを見ると舗装工事を兼ねてと思われる。 道中.春蝉が忙しく鳴き.路肩の左下には広い100mほどの河原が見渡せられ.夏には河原遊びで渋滞する所らしい。 今は閑散としているが夏を知らぬ私には工事自体が不思議な光景に思えた。周りは静けさをかもちだし何もないような所だった。 幾つもの林道が走っている。ダートと舗装道路が暫し入れ変わり.やや幅広い道路にでると下来沢川(しもくりさわ)林道を右手に分けている。 この脇上に小武川第三発電所があった。 その先は右手に御座石林道が延び.御座石鉱泉を抜ける先は精進ヶ滝林道へと繋がれていた。 青木鉱泉は小武川支線の入口右にあった。そこから1.6km程で青木鉱泉にでる。 その間々登り詰めれば右手に小字沢林道との三叉路にでる。ゴア沢沿いに鳥居峠経由で県道に昇格した完全舗装の甘利山公園線に至る。 終点のゲートが甘利山登山口。そして更に進むと御庵沢小武川林道へと分けている。複雑に細かく分かれる林道を走っている。 小武川の発電所 枝沢の小武川(こむかわ)にでる手前に東電の小武川第四発電所があった。s02年に運用開始した1100KW.水車1基の発電所。 水路は同じ小武川上流の小武川第三発電所からの流れ込む放水を利用し.同発電所は青木鉱泉へ向う小武川左岸沿いにある。 第三発電所はs02年11月に運用開始,水車1基で2200KWを発電。水源は同小武川を更に上流から枝沢の上来沢川(かみくりさわ)を経て. 上来沢川ダムより落ちている。取水小武川で放流小武川. 上来沢川ダムは石張りのコンクリートダム.堰高19m.堰頂長49.6m.926/1927.東電発電用で湖名は上来沢調整池。 土木学会では「日本近代の土木遺産.現存する重要な土木構造物2000選」に選定されている。 ダムは苔むした堰体が時代を物語っていた。ダム湖側はコンクリートは真新しく.無許可での排砂管の付け替えが発覚している。 ダムのテーター改ざんもあり.h18年11月の東電.北電.関電の現地調査団は提体が技術基準に適合されなかった。 国へ提出された結果.停止命令が下され今に至っている。 ドンドコ沢出合付近 新緑に染まる.10:20青木鉱泉―鳳凰小屋 青木鉱泉.小武川ドンドコ沢10:00一10:50小:55一11:30南精進ノ滝分岐一11:40小:50一12:00小沢一12:40白糸ノ滝手前.大13:20 一13:45五色ノ滝分岐:55一14:40(腿痛)一14:55水場.残雪一15:00河原ツメ.本流を左に分ける一15:20鳳凰小屋h. 青木鉱泉からドンドコ沢沿いを遡る。「その昔は子宝を授かるまで一体のお地蔵様を山からお借りし.子宝に恵まれるとお借りしたお地蔵様と お礼のお地蔵様の二体を持って.御礼参り登山をしたそうだ」。その際太鼓をドンドコ叩きながら登ったことからドンドコ沢と言われている。 目に沁みる若葉満ちる谷.10:40ドンドコ沢は鳳凰小屋まで高度差1.500m.勾配は平均すると34度と以外と急で登り続けることになる。 数字で見るほど急とは思えぬが沢は滝のよう落ちていた。南精進ノ滝.鳳凰ノ滝.白糸ノ滝.五色ノ滝と名瀑を持っている。 そこを左岸から見ながら遡る。U字に削られた沢の枝沢も又急だった。 脆い岩肌は一度雨が降れば何処からでも滝が出現する要素を持っている。 鳳凰小屋の主人によるとドンドコ沢登山道は北アルプスの笠新道と似ていると言う。 その斜面に生える草木は又多い。その原生林が展望を閉ざしている。そして足は常に高く上げ登ることになった。 10:51 シダ類が現われだし小滝を越える.11:23 南精進ノ滝分岐.11:34見詰めているのは東洋大WCの遭難に遭遇したことを記した道標を 静かさに満ちた登りに恵まれる。喘ぐ登りに汗が滴り息ずかいが激しくなるも.周りは小鳥のさえずりと若葉に溢れている。 一歩一歩の前進が高度を稼いでいた。ペースは落ちるようで落ちないでいる。中高年集団? は皆元気に頑張っている。 千頭星山 この山裏左手に甘利山がある.13:20明日下山する薬師岳からの中道の尾根が小武川に向かい一直線に落ちている。 五色ノ滝 13:26膝痛クリニック Ty氏は睡眠不足から膝痛を引き起こす。K氏は街で同期Tm氏に勧められた漢方「芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)」ツムラを持参していた。 まずは安心感にと一服する。焦ることはない登りだが広島からの気苦労が足に現われたのだろう。 この漢方薬は即効性があるとして知られていが実証.虚証といったタイプを問わず用いられ.就寝中の足のつり.こむらがえりに効くとある。 塗り薬や湿布薬などの外用薬には皮膚がバリアとなり.有効成分が行動中の場合は体内に浸透しにくい弱点があるらしい。 山で膝痛がある時は内服薬の方が簡単で効果が表れるのも早い。内服薬に含まれているアスピリン.イププロフィン.エテンサミドなどは 頭痛や発熱時に用いる鎮痛.解熱薬としても知られている。効能.効果の欄を見ると関節痛とも書かれていた。最近は漢方薬やサブリメントもある。 起き易すい人は常用がよく.即行性は人により様々で過信は禁物とのこと。当日.私は旭川ニッカ液を持参していなかった。 酷い場合は幹部を安静にし水で冷やし.包帯などで圧迫し心臓より低くする。炎症は押さえられ幹部の腫れを防ぐことに繋がる。 ダブルストック.コンディショナータイツ.膝サホーター.インソールなどの組み合わせも間接的ながら防御になる。 私の場合は単独の時が多く.ジッと数分立ち止まり動くことなく我慢し.やや膝が落ち着いたところで.足幅をできるだけ狭く取り. 後足に負担が来ないよう気を付ける。膝.腿を慣らしてから行動した。後側の足を深く曲げず.筋肉のダメージを減らすのがポイント。 漢方内服薬「コムレケア」(第2類医薬品)を小林製薬が今年の3月10日より新発売。「こむらがえり」など筋肉の急激な痙攣を伴う痛み. 腹痛.腰痛に効果を発揮。「芍薬甘草湯」エキスを満量処方した錠剤.24錠入¥1.050・・今回効果はでている。 ズーと先だが還暦を過ぎてからは同愛病院の勧めでで営業用の漢方「芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)」ツムラを持参.服用している。 北御室小屋跡 ドンドコ沢本流との別れ道.15:06高度を稼いでいるにも拘らず.周りの風景は広い河原状になっている。×がドンドコ沢の本流で.右手にも入口の広い枝沢が入り込んでいた。 ここで最後の1本を取り.鳳凰小屋を目指したが何を勘違いしたのか? 残雪を踏むようなると呆気なく鳳凰小屋にでた。 今年もこの時期が来ると短パンを穿く。道中小さなアブが以外と多くまとわり付く。 余り気にせず痒みもなかったが下山して2日目に刺された跡は小さく腫れ幾つも赤く跡が残されている。そして痒くなっている。 云われてみれば.どのアブも同じではないのは確か。その場.その土地により.異なるのも確か。 暫くウナクールが離せなくなった。飯豊山天狗ノ庭で遭遇したメジロアブの群と同種なのだろうか? 小さくとも強いアブ。 余りにも多い越後北部では発生時期の入山を避けると云う話も聞いている。 鳳凰小屋 夕食の仕度をする小屋番と背を向き? 整理体操をするK氏.6月23日15:52 昼でも薄暗い2階の寝床.19:27鳳凰小屋 オレンジペンキの外壁は陽射しを受けると如何にもカラフルな近代風な装いの山小屋に見られるが.内側から臨むと古風と云うか,古い建物になる。 古い構造にきしむ小屋。東西に長い四角い建物で南向きの玄関から入ると右側に受付がある。その奥に6畳ほどの掘り炬燵の居間。 管理人室を挟む中央に階段があり.L字に登ると突き当りが押入れ。コの字に寝床が造られ.その上に中3階があった。 何処も寝床は気を付けないと天井は低く頭を打つ。仲間の鈍い音が聞こえた。窓は押し上げ式ガラス窓だが曇天の時は昼間でも薄暗い。 布団は寝袋.余り干したことのないような堅い敷布と毛布.枕が備えられていた。 夜半はやや寒かった。 イビキを掻く仲間達がいた。肌寒く雨具を足した。すると今度は暑く剥ぐようなる。機敏なのか周りとの調和がズレ始めているのか.変な感じを抱いている。 歳で片付けられれば簡単だが.我慢する気力が欠けてきたのだろうか? 青木鉱泉までの路線バスは5月の連休と7月の梅雨明けから運行され.6月はマイカーかタクシーになる。JR韮崎からタクシー¥6.000強 バスは運行されたとしても始発は7時10分.東京始発では間に合わず9時45分発になる。山梨中央バス.¥1.500+荷物料@200 良いと言えばまだ宿が空いていたことにある。宿泊16名. 素泊りから2食付に¥7.500.夕食はカレーで朝食は納豆.生卵.海苔.味噌汁のフルコース. ビール@500 小屋の玄関前広場で.15:53小屋前広場 玄関前の広場には長テーブルと椅子が狭い空間に何列も据え造られていた。半分はコールターを塗ったばかりで使用禁止になっている。 ただズボンにそれが付いてしまったのは如何にしたものか。指定された場所は最近塗られたらしい。 その席に座り.まずビールから呑む。竹永氏の差し入れのビールは又格別の味がした。ビールの苦味を一気に喉を潤す。 今回は又角ビンをその間々ビンごと持参した。紙パックに入れ替えせぬウィスキーは見ているだけでも旨そう。 残雪は汚れているが清水は冷たい。明日の宿泊は大菩薩の麓の山ノ湯になり.私は途中下山で帰宅する。 「酒はあるので形だけにして.明日宿で呑もう。」と見城氏から小言を頂いた。明日は私は別行動になるが無視されている。 その先に水場兼炊事用具の洗い場がある。冷たい旨い水だった。 私の汲んだ1.000ccの水は最後まで使用しなかった。帰宅してから水割り用にしてみたが.運んできた分旨かった。 トイレは凄い。少し下流側に建てられているが昔の便所.その間々の落しトイレ。柵で見えぬよう囲われているが原始的なスタイル。 その下は雪渓が続いていた。テッシュどころか何もなく.又4ケ所の内.2ケ所しか使用できず。 穴山の街から近い場所で.これほど名山でありながらトイレの改善はなされていなかった。17時15分小屋15℃.19時50分就寝. 6.12.新緑のドンドコ沢を遡り鳳凰小屋 6.13.鳳凰三山の絶景と中道コース |