| 三頭山を南北に横断2. 三頭山境ノ尾根(シンナシ尾根)から牛飼尾根を下る ・・三頭山笹尾根Top 小菅川流域Top 小菅川玉川橋から境ノ尾根を詰め三頭山西峰―西尾根から牛飼尾根を下り.鶴川長作から阿寺沢入口bs 2011年02月02日.松村 玉川から入小沢ノ峰北西尾根(入小沢ノ峰シンナシ尾根).三頭山糖指尾根・・雄鹿 三頭山牛飼尾根から阿寺沢入口bs 三頭山 先月.鶴川の支流尾名手川を取り囲む尾根を歩み.権現山の頂や道中からは奈良倉山や鶴川を挟み対峙する三頭山西尾根の南面は広大な 側壁の如く望まれた。奈良倉山の真向いから見たイメージがあるせいか.やや遠くからも三頭山側壁に何本もの深い溝が刻まれ南尾根眺められていた。 権現山々行から2週間経ち改めて.その尾根群の中から1つの牛飼尾根を選び.3年振りに三頭山を南北に連なる尾根を横断する。 大寒を迎え朝方は陽溜りの南尾根を求めたかったが.バス路線の出発が遅すぎ.取付きの時間の関係から逆入山を試みる。 奥多摩湖の上流.小菅川の支流玉川右岸の三頭山の北尾根.境ノ尾根を詰めることにした。 前回は雪被る三頭山だった。田中先輩に勧められ.高尾から陣馬コースを歩む積りがだったが.三頭山笹尾根を末端の高尾山まで繋ぎ縦走した。 今回は頂でゆっくり展望を楽しみながら炊事を摂り.日向で寛ぎ.午後は牛飼尾根から鶴川の里へ下る積りでいる。 ただ里にでてから大羽根峠越えを忘れ.代わりに2週間前に訪れた西原の東端.阿寺沢入口バス停まで県道小菅上野原線を歩んでいた。 アプローチとしてはjr上野原駅発の富士急山梨バスの始発飯尾行に8時28分に乗車すると.山懐の取付きに入るには9時半と遅くなる。 その為北側の青梅線周りで入山した。jr奥多摩駅発7時38分発の小菅行.西東京バスを利用すれば.8時過ぎには境ノ尾根に取付けた。 三頭山の北面に延びる入小沢ノ峰尾根は幾つもの支尾根を派生させ.奥多摩湖.麦山浮橋から小菅川玉川まで広い裾野を扇状に持ち. 入小沢ノ峰尾根は中半で2つの大きな支尾根を分け.入小沢ノ峰から北へ派生する尾根と北西に派生する都界尾根のシンナシ尾根(境ノ尾根)とに分けていた。 小菅川出合からの渡渉は今は一面の氷が張り.見るも寒々しく出来ないでいる。。変わって新玉川橋からシンナシ尾根に取付いた。 又北へ延びる尾根は更にヌカザス山でムロクボ尾根とヌカザス尾根と2方に分け.共に奥多摩湖に没している。 又ヌカザス山1176mの1070m点肩からは西北西側に派生させ.境ノ尾根と並行するのが三頭沢ショウ沢中間尾根。藪径として小菅川右岸道に没している。 「晴れのち山・・時毒妄想」さんの記録 2014年1月に三頭沢ショウ沢中間尾根を下った記録によると540m圏で東の枝尾根に入り右岸道に入るが三頭沢出合の2つの堰堤の間を 抜けるのが厳しいようだ。立派な金風呂橋が架かっているが「通行止」になっている。又南岸に集落跡が残されていた。 又三頭橋を渡るとムロクボ尾根の登山道口があり.石段の上の道標がある。更に進むと奥多摩周遊道路の料金所跡地にゲートがあり. 右から苔蒸した階段を登り山道を右に進めば三頭山口駅跡にでられる。右奥に観光遊歩道が続いている。570m 595mでは休憩小屋の残骸を見て.北北東に延びる小尾根と谷筋の間を行ったり来たりして.610mで主尾根に乗り登山道にでられる。 遊歩道は左へ折れ続き.小さくジグザグに切り尾根につかず離れず小尾根を越えれば650mで終点になり.登山道に再びでられる。 50年以上前の1962年(昭和37年)1月に小河内観光開発によって営業運転を開始したロープウェー駅。川野駅と奥多摩湖対岸の三頭山口駅を わずか621.45mの長さで結び.66年12月に「冬季休業」という名目でそのまま運行を一時停止。営業不振により. 75年(昭和50年)3月に正式に運行休止申請が出されたとある。 何処を登るか悩んだ末.登路に選んだのはオートドックスな北西尾根で.880m圏で北側からの都県境界尾根と合わさせ三頭山まで詰めている。 又小尾根の境界尾根は小菅川右岸に没し大寺山を越えている。踏み跡はないようだった。小菅川右岸に至れば金風呂橋を渡るようなる。 玉川出合まで路線バスで辿り.シンナシ尾根の末端より詰めることにした。 初めは大沢山大茅尾根から直接.栃尾下ることを考えていたが「静かなる尾根歩き」松浦隆康著を読み. 牛飼尾根は「冬ざれの小風景や断片が印象的な尾根である。冬の姿の雑木こそ.冬の静かな力を宿っているようだった。」と 最後の結び言葉に惹かれ出向いている。一昨年.秋たけなわに訪れた長作を想い.街道を辿る楽しみも含んでいる。 旧青梅街道へ.奥多摩湖左岸の峰谷橋を渡る路線バス.7:592月02日(wed).快晴後曇 jr御徒町4:44=神田5:00=5:56立川:58=6:30青梅:50=7:28奥多摩.西東京バス.小菅行¥680. :33 =8:10新玉川橋bs. 路線バス 小菅行路線バスはjr奥多摩駅7時48分始発と大分遅い。それに合わせ東京を発つがも明け方の冷え込みはまだ衰えず。 ホームに列車が停まる都度.扉から忍び込む冷気に体を震わせていた。大寒波で裏日本では毎日のように積雪を増している。 気圧配置は2月に入り.天気図に示されぬ弱い前線が現れ,.動し始めている。その緩みが関東地方に雲を湧きださせていた。 その切れ目を利用し奥多摩に入る。小菅川から入山は初めのこと。奥多摩湖を遡るのは1年振り。 奥多摩駅で待つ間もなくでた路線バスは多摩川の谷間を縫い.直ぐ「奥多摩病院前」と車内にアナウンスが流れている。 ここは昨年の夏,猛暑トレーニングにと九竜山・江戸小屋尾根から日の出山に抜けた取付きのバス停.病院の裏側から入山している。 湖畔の街道 今回も小河内ダムで大勢のハイカーを降ろすと乗客は私1人になった。北岸沿いに青梅街道を走り.赤く塗られ峰谷橋にさしかかる。 数年前に池田氏の雲取山下見山行に同行し赤杭尾根を下りていた。下山してからのバス待ちが長く.峰谷から湖畔の峰谷橋まで歩かれていた。 今でもよく目立つ赤い橋. 前席に坐り直し峰谷橋を渡る。視界の開けたフロントガラスから前方に朝日で一段と煌めく純白の塔が大寺山の高い所に見上げられた。 車の揺れに合わせ.キラキラ煌めいている。運転手に尋ねるも.ぶっきら棒に「何処かの宗教だろう!」と言葉数は少なかった。 向かいの大寺山.小寺山の名は武田信玄の昔.この辺りに寺院が建立され賑わったとのこと。 今は日本山妙法寺の仏舎利塔が大寺山々頂に建立されている。 工事用の道路や遠方でも目立ち過ぎる塔.自然との調和は私だけでなく運転手にも強い違和感を感じさせられているようだった。 路線バスは丹波への街道を右手に分け.奥多摩湖に架かる深山橋を渡る。景色は小菅川左岸沿いの雪残る路面に変わった。 この先は小菅川沿いの旧青梅街道に入り.昔は大菩薩峠から甲斐の国へ抜ける甲州街道の裏街道。 初めて入る旧街道は鹿倉山から丹波大寺山に続く.主尾根の南面裾を回り込んでいた。 「圧の指」を抜け都県線を越える。金風呂先の新玉川橋前で降ろして頂いた。恰幅のよい運転手は「何処の山に登るのですか?」と尋ねられた。 「三頭山!」と答えるとここから山に登る人は今までいなかった。私が初めてだと云う。 路線バスのフロントガラスからは丁度登るべき尾根の末端が見上られていた。指を指し,「あそこから登り三頭山にでる。」と。 周りは藪でも尾根上にでれば踏み跡がある。キョトンとする運転手.「気お付けて!」と手を振りバスは発車した。 南西尾根末端のキャンプ場 ![]() キャンプ場裏の石階段が尾根の取付き.8:15 尾根末端コブに祀られた石塔から末端を臨む 三頭山入小沢ノ峰北西尾根・・シンナシ尾根 8:10新玉川橋bs一8:45(798m圏峰)一9:25伐採地跡上:35一10:40入小沢ノ峰一10:50鶴峠分岐:55 一11:25三頭山西峰.大12:10 尾根末端取付き 見下ろす河原は一面の雪景色で川面も氷付いている。本来都県界尾根の末端に取り付くには「圧の指」バス停を過ぎ渡渉している。 2006年3月の紀行文を読まして頂くと湖岸の両岸は崖縁になってをり.県境の工事現場でキャタピラの跡を下り渡渉していた。 川幅5mで足首ほど潜り.10分ほどで対岸にたどり着くが動けなくなるほど冷たかったとある。 又尾根(三頭沢右岸尾根)末端の取付きは下流の砂防ダムのある沢を少しだけ登り.木の根を掴み10mほどで水平の整備された山道に乗る。 この尾根は890m圏で境ノ尾根と合流している。私は新玉川橋を渡り.この尾根を末端から登る。 旧街道と分かれ新玉川橋を渡ると林道に変わり,玉川のキャンプ場がある。右下の玉川の河原にもキャンプ場があり.林道玉川線との分岐 看板が立ち.左後方の台地にあるバンガロ裏が尾根のに取付いた。 小さなゴムタイヤを足場にした階段を登ると境ノ尾根の北西支尾根に乗り.尖端までは5分程の距離でピストンする。 小さな鳥居があり.突端には石塔が祀られ.揺れ動く風がき寒さを注っている。 玉川右岸沿いの玉川林道を綴れば入小沢ノ峰(檜尾ノ峰)の南肩を回り込み.作業道から玉川分岐の尾根と合わせ登山道にでている。 都県境界尾根合流付近 ヌカザス山から派生する手前がムロクボ尾根.左奥がヌカザス尾根.8:53確りした踏み跡に緩やかな尾根が延びている。東京都水道局の石標が点々と続き.そして直ぐ地図にない小さなコブを越える。 右先方からははっきりした作業道が入り.谷へと下りていた。小石混ざりの尾根は明るい雑木の凸凹多き踏み跡になる。 大菩薩連嶺 アシ沢尾根の向山と牛通し尾根振り返る鹿倉山タナグチ山・・大寺山南尾根 伐採跡地上部から高くなった背山.9:27左下が余沢の集落 タナグチ山南山腹 林道棚沢大成線と右下が余沢の集落伐採跡地 798m点を越えると前方が開け.越す2つの小コブの間から右下へ再び小径を分けている。 尾根幅が広がり.石柱「122」のある小広い所880m圏で左後方から都県境界尾根が合わさると右手は伐採跡地.広い空間と展望が開かれた。 孤を描きながら玉川源流を巻き込んだ対岸のアシ沢尾根は広い沢沿いを隔ててアオキ平まで見渡せられた。 足元には裸坊主の切り株が山肌を裸にしていた。仰ぐ尾根の右半分は何時のことだが伐採した間々の荒地.みすぼらしい姿になっている。 木材運搬用のロープ基点の残骸が幾つも見られ.伐採地は荒れたままに任されていた。 その上部に大型の鹿が1頭,谷間から目前に姿を現し横切る。尾の部分が綿花のようファ〜と白く房を舞う純毛に被われていた。 カモシカとふと思うも大き過ぎる鹿。立派な雄鹿が顎をもたげていた。 綴ってきた谷間を見下ろすと高くなった鹿倉山の山波が背を並べるよう望まれた。 伐採跡地で1本取る。背正面からは・・1257m圏峰と中央が1288.2mの鹿倉山. 右が1176m圏コブで南手前に延びる尾根。 990m圏コブ コブで新石柱と抜かれた間々転がる石標.9:40左手東面は裸林を透してヌカザス山,入小沢ノ峰が大きな山容で望まれ.前方には三頭山,神楽入ノ峰.小焼山(笹畑ノ峰)が, 蒼空にスカイラインを築き.頂稜は明るい陽溜りを見せつけている。ここはまだ山の起伏が朝日を遠ざけ.時折差す陽光も見え隠れさせている。 よく見ると三頭山西尾根の右隣の小さな尖起は1430m圏のコブのようだ。この裏側が鶴川へ下る牛飼尾根の取付き地点になる。 雑木を抜ける風はまだ肌寒い。弱い陽差しは春の兆しを呼ぶにはまだまだ早いようだ。 午後になれば南面の鶴川に下りる。気温も上がり暖かくなるだろう。 真向かいに入小沢ノ峰(檜尾ノ峰)を望む.峰左肩からがオツネノ泣坂になる 左に折れ.右が植林帯その境をゆく.9:43獣跡 落葉散る斜面に柔らかい土壌, 残り雪がちらほら日陰に見え隠れした所で鹿の足跡を見る。 少し右手のガレ場の尾根縁に足跡が続いていた。ツメの部分をやや深く潜らさせ登っている足跡に大きな雄鹿を見る。 体格のよい立派な角を立てた雄鹿。目を合わせる前に.逃げるよう走り去る。 又この先霜柱が硬く固まり小石が散らばる所では熊の糞を見ている。大分古いものと思われた。黒ずみ硬く又水気は飛ばされていた。 何か分からない獣の足跡に先導されながら歩む。片側は薄暗い植林帯だが反対側は明るい雑木で入小沢ノ峰の尾根が近づいていた。 玉川沿いからジグザグに登ってきた作業道の尾根の接点が右後下から合わさる。1160m地点で「林班界標10/9小菅分区」のブレードと 新しい赤帽白柱を見ている。その先でツネ泣峠を越えてきたヌカザス尾根と合わさり.作業道のある玉川分岐にでていた。 尾根沿いは傾斜が増し灌木も太さを増すと作業道が幾度となく交差した。 この旧道は都県境の境ノ尾根(シンナシ尾根)の玉川側を下ると近年整備されたらしく.作業道が交差して. 玉川の池ノ平に下る古い登山道を分けていた。この作業道は50年ほど前のガイドブックに記載されていた。分岐のみ新しい道標が立つ。 三頭山西尾根・・神楽入峰と小焼山北面 作業道を下れば玉川林道へ.10:30左肩の三頭山,西峰からの下り. 茂みのコブが1430m圏のコブで裏側が牛飼尾根 ヌカザス尾根 ブナの巨樹が混ざり合い.落葉と枯枝の散らばる斜面を一気に登れば入小沢ノ峰1302mに立つ。頂の道標には来た方面は「金風呂」と指していた。 ヌカザス山からの登山道に作業道が並行して延びている。林班界標「10/9小菅区分」の標柱が立つ。 ヌカザス尾根は奥多摩周遊道路から取付き.ドラム缶橋で対岸に渡れば小河内バス停から隧道で峰谷橋に下りられる。 2008年9月に雲取山から峰谷橋に下りた時は橋を渡った小河内神社の高台にある鶴ノ湯温泉を見上げていた。 その手前が赤く塗られた峰谷橋で裏側は浮橋のドラム缶橋になる。 尾根伝いの道形は薄いが足元の右下にはっきりした巻き道が横切り.ここからは入小沢ノ峰で直角に右に折れてヌカザス尾根に乗る。 この巻き道は朝方の玉川林道からの作業道。入小沢ノ峰南肩の玉川分岐で尾根に乗っている。 陽差しが冬木の枝々を抜け常に陽を浴びるようになった。更に明るさに暖かみが増し.足場も確りした登山道に変わる。 ヌカザス尾根との分岐.10:34ヌカザス尾根のツネの悲恋物語 ツネ泣峠(オツネノ泣き峠).昔小河内川野村の淨光院に京から若い美男の僧香蘭が転籍し.村で評判の美女.おつねと愛し合うようなった。 和尚は色恋は修行に差支えると甲州西原の寺に移している。諦め切れぬおつねは彼のもとに走り.夜明けの別れで泣く泣く三頭の急坂を越えていた。 三頭山に立ち笹尾根の西原峠にでて.左へ下れば武州数馬へ下り.右に下れば甲州の郷原にでる。 少し甲州側に下ると槇寄山を巻いてきた道と合わさり.樹林帯の尾根道をひたすら下ると原の分岐を過ぎると郷原の集落にでる。 途中に「つね泣き峠の由来」を書いた掲示板が共に立てられていた。 鶴峠分岐.10:49痩せ尾根になり程なく.鶴峠への分岐にでる。 玉川の源流を綺麗にトラバースする分岐で.「ツネ泣峠1.1km.イヨ山2.6km」. 「ヌカザス尾根御堂峠1.0km.三頭山1.1km」と道標が立ち.三頭山北側山腹を巻く「山梨県鶴峠」とも結ばれている。 又「−110」の林班界標柱が立つ作業道は旧道の水源林巡視路を兼ね玉川ナメリ沢源流を巻いている。 小焼山(笹畑ノ峰)と神楽入ノ峰との鞍部から鶴峠にでている。過っては丹波山(西原)街道と呼ばれ郡内の重要な交易の道だった。 分岐は陽当たりのよい陽溜りの場所.ゆっくりしたいが三頭山の頂は直ぐ上だった。 三頭山肩.大堂峠への径.11:01左手から中尾根が迫りだすと北面の谷筋は白く残雪に覆われだす。 その雪片を踏みしめ登れば三頭山中央峰1531mとの鞍部.御堂峠にでて.右に回り込めば三頭山西峰に立つ。 入小沢ノ峰北西尾根(境ノ尾根.糖指尾根)は枝尾根が少なくすっきりした尾根。初めからポイントを見定めておけば迷う心配はない。 又踏み跡も確りしてをり.登山道に入れば尚更強く感じられた。ツメのその東側にあるヨシスキ沢の中間尾根(中尾根)の存在が.気に掛かる。中尾根か? 三頭山西峰 ![]() 淡い薄陽と誰も居ぬ頂.11:22〜12:10 登山道を登り詰めた三頭山西峰は東西にやや細長く.三角点標石に小さな道標が幾つもある静かな平頂だった。 広葉樹の裸林に被われた広場のような小広い平頂。奥多摩の名峰と云われ.登るハイカーが多いためか土肌は硬く固められていた。 雨でも降れば泥土になる。今日は誰もハイカーは居なかった。木蔭には仄かな春雪を残している。 索漠とした頂に立つ。霞む眺望と見えぬ富士.丁度腰を降ろそうする所には斑な雪粒が残されていた。 明るい陽差しの所は風通しよく.コンロを点けるには不向き.小広い頂を一周り.二周りして.三度目で風下にある立木の陰に腰を降ろしている。 心地よかったのはコンロの響き。もうタンクの量が少ないと予備を用意してきた。それでも快調な響きをコンロは伝えていた。 久し振りにチキンラーメンのフルコース.妻の献立した美味く熱いラーメンを食べる。 雲取山石尾根と長沢脊稜 西峰より.2008.03三頭山入小沢ノ峰北西尾根の写真・・鷹ノ巣山より2012.04 玉川から入小沢ノ峰北西尾根(シンナシ尾根).三頭山糖指尾根・・雄鹿 三頭山牛飼尾根から阿寺沢入口bs |