| 多摩川支流左岸の小中沢・・小中沢流域概念図 奥多摩.奥秩父東部概念図.山行表 2011年08月. 狩倉山.山ノ神尾根から六ッ石山(小中沢ノ峰)―トオノクボから榛ノ木尾根と小中沢右岸尾根と三ノ木戸むかし道・・境集落北端 2016年03月. 城山・三ノ木戸から小中沢下段径路を経て榛ノ木尾根・境からは奥多摩むかし道・雌鹿の大群団 2018年05月. 新緑の東日原から涸沢ノ頭涸沢尾根―六ッ石山に立ち.榛ノ木尾根の防火帯を目指す・・イソツネ山南尾根から梅久保へ 2020年03月. 滝ノリ沢bsからアシダキ沢右岸尾根と榛ノ木尾山東尾根―下段・中段経路を経て榛ノ木尾根.中腹道の伐採帯を抜けカヤトの森・・境地区 2020年09月. 桃ケ沢bsから井戸小屋尾根と滝ノリ沢の奇岩―榛ノ木尾根から小中沢上流々域周辺の経路を歩む・・三木戸林道・城山旧道・jr奥多摩 榛ノ木尾根の防火帯に入り小中沢中流の右岸尾根. 山葵田から三ノ木戸むかし道を経て谷間に踏み跡を見付け境集落に直下する。 霧雨舞う六ッ石山から土砂降りのトオノクボを経て榛ノ木尾根―小中沢で鹿棚のジヤングルに奮闘.小中沢右岸山腹道から575m点を経て境集落へ直下 山上集落から山ノ神尾根 六ッ石山から榛ノ木尾根.小中沢右岸道・・本降りと親鹿の番・鹿柵のジャングル 六ッ石山と榛ノ木尾根 右奥が六ッ石山と狩倉山.:52本仁田山権指尾根の左側の樹林の切り開きからの展望・・2016.03.18/9:50 背の扇状に広がる展望は六ッ石山の榛ノ木尾根で全貌が姿を現し.手前に覆い被さるのが三ノ木戸山。 この2週間前には三ノ木戸から小中沢左岸道を経て.榛ノ木尾根を尾根に入っている。左の伐採された大斜面の跡地がカヤトの原と杉の森。 雲取山石尾根 六ッ石山.水根山への分岐.12:34右手の谷間は楢沢.正面の先は大堀の鞍部を経て将門馬場に至る 六ッ石山分岐 確り踏み固められた登山道にでる。分岐の道標には「←鷹ノ巣山.七ッ石山. 石尾根縦走路.奥多摩駅→」.「↓六ッ石山頂をへて水根」とある。 ここで今日.最初で最後の男女ペァーパーティと出会い.ハンノ木尾根から登ってきたと云う。奥多摩駅から入山し.雨具の完全装備でペースはよさそうだった。 私の下るルートを登ってきた若者達は鷹ノ巣山にでて.稲村岩尾根を下ると言い残していた。 別れぎは「鷹ノ巣山で一時でも見晴らしがあれば!」と彼は言う。私は逆方向に下る方だが考え願うことは同じだった。防火帯を綴る登山道. 周りは瑞々しいまでの清楚さに満ちている。この時期だけの重なり合う緑の色合いが雨粒に洗われ.目を癒し体に触れる霧雨が快い。 石尾根六ッ石山 ガス下の向かいは奥多摩湖.12:39石尾根から少し南側に外れると六ッ石山1478.9mが聳え.3等三角点標石がある・・小中山.小中沢ノ頭.タル沢ノ峰 基準点名は「境」で.榛ノ木尾根の下端の多摩川中流の境橋左岸側にあり.下山した集落の地名になっている。 狩野山―榛ノ木尾根 12:20石尾根狩野山北部:30一12:34六ッ石山分岐一12:39六ッ石山一12:55大13:15一13:30トオノクボ.榛ノ木尾根 一13:53反射板一13:56南への分岐⇔14:30. 一14:02(1/158地点)一14:14巡視路白柱一最初の分岐一15:00枝痩せ尾根上 一15:30小中沢河原一18:25荒れた小屋一18:45境bs19:01. 六ッ石山 分岐から左前方に折れ石尾根と分かれる。小中沢と水根沢との分水嶺を進み.落葉松の疎林に囲まれた小広い草付きの六ッ石山に立つ。 防火帯に山道が切り開かれ.ガスが湧き上がる丸びを帯びた広い石コロの台地にでる。 山名標に道標が立ち.目立ち.数多く積まれた石コロのケルンがが見受けられた。 辺りに散乱しているゴロ石は昔.荷上げのボッカ訓練のために運ばれた多摩川の河原石だったと云われている。 又過っては六ッ石山を源とする小中沢があることから境集落では「小中沢ノ峰」と呼び.一方樽沢が源の日原村では「樽沢ノ嶺」と呼ばれていた。 そして時代の流れに合わせ.奥多摩湖側の水根から最短の登山コースとして.賑やかな山頂だったのだろう。今日は私独りが立つのみ。 水根に延びる防火帯の尾根を南下 榛ノ木尾山(扇ッ平)1364m付近.12:55昼食 南面のトオノクボへと霧雨舞う防火帯を南下し.保基合ノ頭(ほきあいのかしら)1450mから右脇に牛首のコブ1410mにでて更に南下し. 長尾ノ頭1380mへと幾つもの小コブを越えている。トオノクボで昼食と思うが距離感が掴めず.小広いコブの榛ノ木尾山1364m. (扇ッ平)辺りの大木下で遅い昼食を摂っている。 弁当箱には白米に大きなシャケの切り身が豪華に乗っていた。妻の創作弁当. それにお茶漬けの素をふり掛け. ポリ500ccの1/3程のお茶を足せばできあがる。丁度よい塩っぱさが食欲をそそり.シャケの脂身と皮も美味かった。 頭上から樹冠を抜け.一時はドシャ降りの雨に見舞われた。ストレートに大きな雨粒が塊となり落ちてきた。前も見定めぬスコールになる。 傘はあっても無意味な状態になった。雨足が早ければ.落ちてくる雨音も激しい。バケツに貯めた水が逆さまにひっくり返ったようだ。 激し過ぎ音に音が消されているような激しさ。その後は霧雨が降るともなく.細雫に変わり舞い落ちている。 そして枝木に留まっていた雨雫が時折.私を狙うよう.大粒の雫をも落としていた。 トオノクボ 榛ノ木尾根と水根への登山道の分岐標識.13:31榛ノ木尾根 昼食を摂って直ぐ.トオノクボに至る。登山道の道標には「↓六ッ石山. 水根(バス停)→」と直角に折れるL字の腕木を指している。 右手は奥多摩湖の湖畔.水根へ下る登山道。途中で産土神社(うぶすな)を通り.分れて小河内ダムの洪水吐に下ればバス停「滝のり沢」にでられる。 手前の腕木先は六ッ石山から下ってきた登山道になる。向う正面の榛ノ木尾根方面には道標が示されていなかった。踏み跡ルートの分岐. 道標のない正面(南東)裏側からは防火帯が続く榛ノ木尾根。この分岐から境の集落まで長く東方へ派生する尾根の取付になる。 トオノクボから境橋までは「サカイノワタリ」と呼ばれていた旧青梅街道の一部で.イソツネ山から梅久保への道も含め「奥多摩むかし道」と結ばれている。 榛ノ木尾根は奥多摩湖下流の多摩川と小中沢との分水嶺を成し.イソツネ山から下端の多摩川の境・梅久保付近に扇状に広がり没する尾根。 雑木に覆われた防火帯を尾根伝いに進むと下草が生い茂り.時には薄い踏み跡が綴られている。確りし踏み固められた登山道を歩んできたせいか. ここからは靴底からの感触がふくよかで.より自然に溶け込む気配を感じ取っていた。 榛ノ木尾根 取付きの防火帯を綴る.13:34雨雲に覆われ少々薄暗く重みを持った防火帯にモヤが湧き始めている。ここは何とも云えぬ深みある落ち付いた風情を創りだしていた。 そこに一歩踏み込むと又贅沢な自然の美が映し出されていた。足元の歩をゆるめ.周りの自然に触れ合い時を気にせず歩んでいる。 防火帯の金山沢側.13:39経路.小中沢左俣.金山沢側の防火帯は芸術的に折れ曲がる樹林。この榛ノ木尾根の北側には金山沢との間に源流経路が綴られていた。 経路は上流で金山沢を横切り.榛ノ木尾山東尾根を横切り.大きく六ッ石山の南山腹を回り込んで狩倉山の西側山腹まで続き 三木戸林道へでている。何時か歩んでみたい経路の1つ。 小中沢には水源林巡視路が縦横に何段も走り.桟道は整備され路肩も石積みが施されている。この下部にも幾つもの経路がある。 又榛ノ木尾根の南面を巻く中腹道は沖ノ指手前尾根から.或いはトオノクホから水根へ下る登山道の道標へとも結ばれている。 先程の分岐は管理番号「30-020」とぶつかり.林相のよい支尾根から防火帯1320mにも繋がれていた。 防火帯の終わり反射板でて.13:53下る逆方面から臨む 本来ならマイクロウェー反射板の切り開きから右側.南南西方面に奥多摩湖の湖畔.ダムサイドが見通せると云う。今回はガスの舞い続ける世界。 後の調べによるとこのマイクロウェーブへ繋がる巡視路は.この後に出合う巡視路標柱と共に.三ノ木戸から繋がる巡視路があるしい。 中小沢左岸沿いから大きく西側を回り込み防火帯を登り.マイクロウェーブに達していた。下る途中2ケ所に巡視路標柱がある。 尾根通しの防火帯は右手が植林.左が雑木林になり.尾根筋は右手に曲り込みながらやや細まり.左手はなだらかな二重構造になっている。 その正面から防火帯を抜け.大きな斜面を下ると中小沢沿いに入り込む。又対岸は三ノ木戸に至る。 南へ下りる三ノ木戸との分岐点 赤帽白柱「用地境界目標556」.13:56迷い再び.この黄色いテープ2本の分岐まで戻る 南手へ直角に折れ.急に下りだす斜面を綴ると今日のメーンの尾根筋に入っている。後に分かったことだが 素直に確りした踏み跡を辿れば榛ノ木尾根の隣の小尾根に乗り.かなりショ-トカットして杉の森のあるススキの原にでた模様。 その先からは直接境橋集落へ降りられた。 ここから迷い続け.一度戻った地点。迷い判ったことはハンノ木尾根北側から左手に三ノ木戸へ小中沢を横切る径路がここで交わっている。 左手に下れば小中沢沿いの山腹道を右岸沿いに下り.三ノ木戸むかし道と合わさっている。ここからは榛ノ木尾根北側斜面を歩む。 少し北寄りに東方へ下ると林班界標「1/158」とある。距離は短いがそこからこの角地点までが薄かった。本来の山道は南側を下っている。 小中沢横断経路分岐 林班界標「-/59」.14:02イソツネ山への南側を巻くノ木尾根上の山道を分け.東手へ間伐帯の脇道を抜けて踏み跡を辿っている。 すると直ぐ「奥多摩区分-/59」の林班界標柱を見出した。確り踏み固められた作業道が南方へここから始まっている。 ここが新たな作業道の起点になっているようだ。 ワンデリング 右下は深く抉れた沖ノ指窪.14:14「?号鉄塔に至る」は都水道局のマイクロウェー反射板巡視路標柱だとは知らなかった。 各集落を結ぶ古い送電線巡視路か? と思いきや.小中沢右岸経路.中腹道か? の分岐に立ち.読み取れぬ標柱にでている。 標柱から始まる確りした作業道は左下に下ると間もなく巡視路にでて.二又の右俣に都交通局の白標柱が立っられていた。 二又を左折して谷間を下り返せば小中沢対岸の三ノ木戸山の南山腹を巻くことになる。三ノ木戸山林道へ抜ける下段経路に入るらしい。 反射板への巡視路を兼ねていると思われた。様子を見に少し下ったが枝沢の沖ノ指窪の左岸を長く巻き下っていた。 戻ると白い巡視路標柱に黒マジックで矢印が書かれている。それに従い登り坂を左方に取る。 最初から来たルートを辿れば右手になる。今回この巡視路標柱を見付けたことが最大の迷う要素になった。尾根道を忘れてもいる。 巡視路と分かれた小径は緩い登りから山腹を巻き.再び間伐帯に入っていた。 薄くなった踏み跡を辿ると再び元の南手に下る作業道にでる。北側に下るルートの踏み跡を拾いワンデリングしていた。 ここで地形図を確り見詰め確認する必要があった。それを疎かにしたツケがその後の不幸を呼ぶことになる。 2年後に購入した「バリエーションハイキング」松浦隆康著によると「1100mで右手に折れるが幾つものテープが目印がある。 左後方から作業道が合わさればこの作業道は中腹を巻き.まもなく道形はなくなった。」とある。 この作業道から延々と山道を探り.古い踏み跡を見付けては.さすらうよう探り歩むことになった。 迷いルートの始まり 一直線に小中沢に落ちている小尾根.15:02分岐から東北東に延びる枝尾根は沖ノ窪右岸尾根か? 小中沢の流れ 枝尾根より.15:30右下,尾根末端は緩やかな河原になり山葵田がある 東の小尾根 南側へ下る登山道を無視し.より高く東側にルートを求めた。浅く踏み跡らしき踏み跡が東方へ延びる尾根に導かれている。 そして赤い石標の境界抗が続き.点々と見られたことが運を更に悪くした。 小中沢本流と沖ノ指窪に挟まれた真東に進む尾根は痩せ.傾斜を途中から急激に落とし始めていた。 踏み跡はなくなり北側の枝尾根に入り込み.その上露岩混ざりの硬い地層の尾根は半ば滑落するような勾配で落ちている。 両手は露岩混ざりの灌木を掴み掴み下っている。足元の土砂を崩しながら.バランスよく移動を繰り返していた。 その途中でザックの中から見城先輩からの電話の呼び出し音が鳴り響く。 でる余裕もなくそのまま沢底へ。そして谷間を覗き込み.その間々小中沢の谷底に下りている。 この辺の河原は穏やかで小さく区切られた山葵田が幾つも広がり.ここは又境集落を起点とするモノレール軌道の終点だった。 小中沢の沢底に立ち.尾根径から沢底へと下り.沢へ選び呆れると同時にホッとする気持を起こさせている。 後日の調べによると2009年05月.同じルートを下ったハイカーは同じように山葵田を見てホッとしてていた。沢沿いに境橋まで下っている。 漸く下り終えた時.手のひらは擦り傷だらけで全身泥だらけになったそうだ。私は沢底を下ってはいないが今その仲間入りをしていた。 北側の小中沢右岸山腹道を巻く 山葵田用モノレール軌道脇の右岸作業道.15:30モノレールに沿った荒れた小径を歩む。やや登ると軌道から離れ.山腹に並行する踏み跡を辿っている。 薄い踏み跡はススキやアザミが多く.細く又傾斜の強いトラバースを強いられていた。薄く途切れると何処がルートか判らず.探る時間がやけに長くなる。 もう集落は近いと思うも谷間は深く山腹を綴る浅い踏み跡は延々と続き.先のルートが判らなくなっていた。 再び小中沢の谷底へ 地図の小中沢の小の字出合付近の枝沢だと思う。意外と長い深い沢の切れ込みに.地図より長いトラバースの踏み跡を歩んでいる気がした。 そして先が見定められなくなり.腕力を利用して再び谷底へ駆け下りている。そこは正確さは判らぬが昔の三ノ木戸からの旧道になると思う。 谷底の緩いヘチを利用して小さく区切れされた山葵田が幾つもあった。 ここは「旧むかし道」になる。確認できなかったが後日の調べで.対岸は三ノ木戸からのモノレールで結ばれている。 手製の導水パイプに口を付け水を呑む。以外に温かい水.味は薄い。下る谷間を望むも出合は望めぬほど遠いい。 傾斜は緩いが谷間は狭まり.細かくジグザグに蛇行し.右岸は岩崩れの岩壁が幾つとなく構えていた。それ故登り返した方がよさそうだ。 ただ時計の針は既に16時を指している。まだ焦る気は起きぬが日没が迫る小雨の中.谷間は黄昏が押し寄せてきた。 鹿棚のジャングル図 小中沢右岸の厳しい斜面に築かれた鹿棚のジャングルメモ鹿棚のジャングルに閉じ込まれる・・沢へ下る赤線の端付近がモノレールの終点 鹿棚群 4つの小さな山葵田を下り右岸のヘチを再び登り詰める。15分ほど藪を漕ぎ直登すると高度が上がり植生の保護棚が現れた。 当然気をよくした。そのまま鹿棚沿いに登れば棚扉があり.作業道にでる筈だった。 しかし更に詰めた所で右側から2本目の鹿棚が寄り添うように現れ繋がれている。 ここを越えねば先に進めない。ただハング気味の柵。直ぐ登りを諦め,2本目の鹿棚末端まで谷底へ戻り下っている。 そして又鹿棚沿いに再び登り返している。まだ山径は分からぬものの鹿棚さえ越せば山を下る自信は持っていた。 先程より更に高度を稼ぎ登って行く。ただ第3の鹿棚が山腹に平行して.現れ谷川からの乗り越えは不可能。ガッカり気を喪失させている。 川底に下る途中で第3の鹿棚を潜れる所があった。山葵田の持ち主が掘った入口だろうか。上流側の山葵田に三度下ったことになる。 そして山葵田の持ち主が通るルートを見付け棚の網を持ち上げ潜り抜ける。私は同じ場所の一角を手のひらの中でもがき回っているようだった。 憤りを起こすも如何しようもない。傾斜が強く上手く潜る抜けられぬ鹿柵。次第に日没との競争が頭に浮かび巻き始めていた。 再び鹿棚 山を下りなければと意を決して踏ん張るのみ。先の踏み跡は判らなくなった。 それ故一直線にススキにアザミ.サンショウの草束に.灌木を掴み掴み小中沢から這い上がる。急斜面で2.3歩草束を掴みよじり,休んでは登る始末。 喘ぎ登る頭上に杉の大木が立つ間伐帯が望まれた。後少しで河原からの急斜面の面から抜けられる。 意気陽々と詰めるも.もう1つの鹿棚が目の前に横たわっていた。4本目の鹿棚. 鹿棚の蟻地獄に入り込んでいる。 動物園の檻の中にいるようだ。網の升目の目の先に自由な世界が見えている。 もう谷間へ下る馬力は薄れていた。この1本取り.如何乗り越えるかを考える全てだった。 今まで随分鹿棚尾根を歩んでいる。ただここまで密集した地点の鹿棚に入り込んだのは初めてだった。傾斜がきつ過ぎた。 棚沿いに上方へ移動,棚網の少しでも緩んでいる所を探し求め.意を決し飛び越える。否や攀じ登る。 まずザックが確実に越えられる足場を求め投げ込んだ。そして巧くゆく。次は登山靴を脱ぎ.紐が絡まぬよう1つずつ丁寧に投げる。 棚の向こうに上手く落ちた。後は自分自身である。確り網を掴み.体の反動を利用し攀じ登る。背側に落ちることなく.絡み降りられた。 ここの後の調べで榛ノ木尾根上の沖ノ指山東方の930m圏付近から緩やかに.又大らかに起きた尾根に乗っている。 更に東側に延びる尾根で北側は抉れ落ち.踏み跡は山腹道に変わっていた。 電話 ホッとすると同時.下山にはギリギリの時間だった。ザックから携帯電話を出し妻に連絡した。 何時もは山を下り街道で連絡している時間だった。簡素に連絡する。初めに「ゆっくり.よく聞いてほしい!」と。 「今ハンノ木尾根の半ばの下りに居る!」.「道に迷い.鹿棚で動けなくなった!」.「4本目の鹿棚を越した!」. 「もう1本あったら野宿して明日下山する!」.「電源の量が判らないので後は切る!」と。「着替えのシャツと雨具があるから大丈夫!」.17:15 確りした山道にでて左脇に壊れた小屋を見る.18:25今から思えば先への余裕がなかったのだと思う。日没前にはっきりした決断をして宿を決める積りでいた。もう1つの鹿棚を越した。 再び棚に遇ったら当惑する自分自身が分かっていた。冷静なうちに現状を伝え.最悪の場合は野宿るればよいと覚悟を決めていた。 ただ小雨が降る中.土壌は何処も2日間の雨で濡れている。大木の根元なり.茂み多い場所で.濡れた体にカッパを着て傘を差す以外なかった。 乾いた場所はあり得ない。自分自身に覚悟させる為に連絡が必要だった。妻からの返事は「必ず下山して下さい!」だった。 今はきつい言葉だ。夜通し下り帰るか? 電話で気が変ったのも正しかだが。 黄昏の下山路 日没まで2時間はない。ポリの飲水が不足するが1杯グッと呑み.靴を履き身支度を整える。幸運にもこの上に鹿棚はなかった。 モノレールの軌道を横切る。軌道沿いに荒れた径を下れば間違いなく下山できる。だがエレキ頼りでどの位時間を費やすかか判らない。 間伐帯を探ると尾根中央に作業道を見出した。後は焦らず下るのみ。 暫し黒木の茂みで小径は薄れ.又浅い踏み跡になった。それでも目だけは前方.左右を凝らし探し続けている。 ここは途中の道筋で古く荒廃した小屋脇を通り.三ノ木戸むかし道だと確信する。そして又暗く薄い作業道を駆け下りる。 小中沢の沢底の山葵畑から延々と続いた経路は次第に浅く.薄くなり.沢沿いからも離れだす.右岸絡みの山腹水平歩道へ。 確りした山道だと思えば薄らぎ.踏み跡は更に薄くなる。時雨の厚い雨雲に覆われ.薄l暗さは周りをドンドン闇の世界へと導いていた。 沖ノ指山とイソツネ山・・右下の縦の溝窪が下降した谷間 檜村の高台から多摩川対岸のイソツネ山を望む・・2016.03.04/8:00城山南尾根の古道からの展望 城.三ノ木戸を経て小中沢を囲む経路と沖ノ指山・イソツネ山を周回し折.城山の古道から見下ろした境と橋詰地区。 この時は又南尾根で30頭近い雌鹿の大群団と出会ってもいた。境地区を覆うよう小中沢を取り囲む山並があり,源に右奥の六ッ石山。 右端の堰堤の続く谷間の頭は575m点辺りで.三ノ木の古道と分かれ.黄昏時に日に追われるよう.むかし道と分かれ境に向い直下した。 境集落と小中沢との間の575m点からほぼ直下し.綴られる堰堤の窪溝を縫い赤線を下降する.18:25 「ザイルと焚火と焼酎と」氏のブログから記載させて頂いた。タイトルは「境集落から小中沢中流へ至る山道を探索1/2―途中で山道は消え伏せ」・・2015年6月24日より 2年前に小中沢を遡行.中流から「三木戸むかし道」から三木戸へ下りている。その未遡行の為の山行は? 1/2万5千図には「むかし道」は記されているがWeb上では抹消されている。そして探索が始まったようです。 尾根にでるも山は黄昏から帳を迎えていた。細い東北東に延びる小尾根の山腹を綴り下っている。 575m点手前の右手に折れる辺りで.先へ踏み跡が続くも.土砂崩れ防止の大きな網張る面にでている。 そこは下部の窪斜面にも幾つも設けられていた。確りした踏み跡が崩れ掛けている。 今までの山道は.ここで右に折れて山腹を更に真っ直ぐ延びていた。もう少しで地図の破線路に出られるだろう。 暗さは,もうエレキなしで地形図を読めなくなっていた。目の慣れだけで通してきたが.もう先へ進むにはエレキを必要とする。 ここで綴ってきた踏み跡を分け.幾らかだけでも明るいV字の谷筋にルートを変更した。 575m点下の幾らか歪んだ窪状の斜面. 谷間の切れる樹林はまだ明るさを幾らか残されている。 取付きは急傾斜だが土砂崩れ防止の網張る面をフルに活用した。又人工的な大きな造形物の脇には必ず踏み跡があるだろう。 そう確信すると意を決し窪地を直下した。木陰の窪地を抜けると更に闇へと導かれた。 網面を掴みバランスよく.又下の網面も越える。すると防砂堤に変わり.次第に谷間は狭まり.薄い藪に阻まれるが踏み跡らしくなってきた。 里が真近に迫り暗い樹林を抜けるも不安はなかった。漸く遥か下の裾野に家屋が見下ろされた。捩り下る姿に足はよく動き.3つ目の防砂堤を越えている。 尾根から窪溝へ谷間らしくなり谷底を望むとまだ2基.3基とある。そこを左右に縫い下る。 そして最後の堰堤で山径らしくなり.境の集落北端の犬小屋前にでた。 境橋集落.北端に位置する浅い窪溝の急斜面を下りてきた。そこからは里道が綴られ舗装された路面が始まっている。 6年後.城山南尾根から小中沢下段径路を経て榛ノ木尾根を回り込み.境集落から奥多摩むかし道を歩んでいる。 その折橋詰地区からのイソネツ山を撮った中に.今回下った堰堤群の沢筋がはっきり映し出されていた。 地形図「奥多摩湖」上部の「小中沢」の「小」の上流側針葉樹と広葉樹の境辺りが山葵畑。 流域のV字に流れる南岸の出合付近は大高巻きをしている。又その東側を横断する三ノ木戸からの「むかし道」を拾い歩んでもいた。 水平歩道は薄く埋もれている所も暫しあるが如何にか歩み続けられた。 黄昏の境集落 後数歩で境集落に降りる.18:26中央左奥に集落を通し眺められたのが多摩川境橋 沢窪から下り立ったのは峰集落の最東部の上部端. 向かい山側に白い屋根の犬小屋があり.その手前は行き止りで細道を降りている。 もう奥多摩駅まで「奥多摩むかし道」を辿る気も失われている。丁度集落の北側端に降り.道を尋ね南側の端まで横切り境橋のバス停にでている。 途中で家屋が軒を並べる集落の上段の車道にでると今は廃線となった奥多摩水沢貨物線の橋脚が 集落が屋根越しに見上げられた。本来はこの橋脚下を潜る登山道から下山する筈だった。 廃線の橋脚を見て.下段の奥多摩むかし道に降り.「境の清泉」で洗顔して帰宅の身仕度を整える。脇に「←白髭. 境. 小中沢橋→」の道標があった。 地元の人の言葉に従い.多摩川沿いに南側に降りて白髭隧道への手前を左折すると境橋に降りられた。その橋中央に境橋バス停がある。 集落を横切る.18:44屋根の先に架かる鉄橋は旧奥多摩水沢貨物線(奥多摩湖=氷川) 集落を北から南に横切り境橋へ。頭上は小河内ダム建設当時の水根線の橋桁.今でもレールはほぼ全線残されている廃線。 傷だらけの勲章 最初の小中沢の河原では沢底まで入らずモノレール軌道沿いに歩いている。2度目の河原では意識的に流水に浸かり.山葵田を幾つも越えた。 その後鹿棚に囲まれた先を閉ざす急斜面を何度となく上り下りしている。その際ぬかるみにも踏み込み.草木を掴み支えた両足は傷だらけにさせられた。 細き幾つもの縦筋の傷が交差しては飛び.傷は誰にも見せられぬ程悲惨な擦り傷跡を残していた。 両腕も横や斜めに数え切れぬ程の擦り傷が付く。素肌の見える両足.両手はミミズ脹れで赤く.その後2日間はかぶれと痒みで苦し皮膚科へ。 3日目に処方して頂いた軟膏「マザークリム」が効果を示し急速に回復した。 その後原因不明の痒いみを全身に受け.同愛病院でアレリギーの診療を受けている。 金属アレルギー・食物アレルギー・動物.植物に関するアレルギーはなし。今だ原因は不明.胃カメラの結果でピロリ菌はでて抹消した。2016.03. 九竜山(奥)と680m点 黄昏煤ぬ境の集落より.18:40左正面が山ビコ尾根 手前は多摩川を隔て鞘口山に至る九竜山江戸小屋尾根。右手のコブは九竜山からの西側枝尾根680m点。 この尾根の東側の末端尾根にある奥多摩病院裏から2010年08月に取付いている。画像中央の電柱から左下の境橋に降りバス停にでた。 ・・九竜山尾根末端台地から三ノ木戸山と小中沢,境の集落全景 むかし道 今回小中沢の河原に2度目に下り.境の集落へ辿ったルートは旧/1/2.5万地図に示された「むかし道」らしい。 三の木戸(さぬきど)の集落から南西へ小中沢へ下り.対岸のハンノ木尾根北面の山腹を巻いて.境の集落に至るルートとほぼ同じと思われる。 又今山行は常に尾根上を歩きガスに包まれていた。黄昏だした頃.初めてハンノ木尾根末端の575m地点付近で大岳山が遠望され, 九竜山,江戸小屋尾根と鋸尾根に挟まれた遠方に大岳山の雄姿が望まれた。下山して境集落から望んだのと同じ構図だった。 旧青梅街道はむかし道(奥多摩駅〜奥多摩湖間)として.又集落を結ぶ生活道として整備されている。 その境集落にでる。多摩川の河原からは大分高所にへばり付いている。 境という地名は峡険な御前山と六ッ石山の尾根が左右から多摩川に落ち込み.山が境を成していることからによるらしい。 むかし道から南方へ境橋へ降りている。ここは栃寄沢からの御前山北面の登山口にもなっていた。 背は帳の落ちた九竜山尾根と境バス停.18:57白髭トンネルと橋詰トンネルに挟まれた多摩川に架かる境橋上のバス停。 境橋東口で直ぐ右折して栃寄林道に入り.沢沿いを遡れば避難小屋へ。栃寄を経れば御前山と惣岳山との鞍部にでる。 18:45境bs19:01=jr奥多摩¥230. 19:34=青梅.快速20:07=21:30神田. 妻に今日帰宅できると電話。妻は息子と見城先輩に電話をしたらしい。今度は路線バスが来る前に先輩に電話する。 笑い会う会話が心をポットさせていた。日没を迎えトンネルの灯に周りが照らされた頃,奥多摩駅行の路線バスが隧道を潜り現れた。 人寂しい奥多摩駅にでる。青梅線の列車には一車両に2.3人しか乗客はいなかった。 一日中降り続いた霧雨は快い登行の筈だったが.行動中はカッパを被らなかった体に体力の消耗は甚だしかった。 半袖シャツと半ズボン.全てが湿り泥だらけな姿になっている。境の集落で靴を洗い.奥多摩駅でシャツだけは着替えている。 後は車内で初めてカッパを被り.腕の傷を隠すと共に体温で衣類を乾かしながら帰宅した。 今回初めて山岳団体自然環境連絡会の「山の野生鳥獣目撃レポート」に参加した。小中沢で親ニホン鹿2頭をレポートする。 鹿棚で6月に購入したばかりの水を吸収するタオルを紛失。@1800. →再購入@2800 地形図「奥多摩湖」.山と高原07「奥多摩」. スカパ布製登山靴・・27.723歩 六ッ石山ハンノ木尾根ルート図 小菅の山上集落から山ノ神尾根 六ッ石山から榛ノ木尾根.小中沢右岸道・・本降りと親鹿の番・鹿柵のジャングル |