| 以前は狐穴小屋前で幕営 前日と同様.雨雲に包まれ冷雨に叩かれながら.朝日背稜の核心を南下する・・大朝日小屋へ 21日.泡滝ダムから大鳥池タキタロウ山荘T 22日.大鳥池から狐穴小屋U 23日.狐穴小屋から寒江山を経て大朝日小屋V・・黒サンショウオと蛇 24日.大朝日小屋から古寺鉱泉 23日(tue).小雨・・狐穴小屋〜大朝日小屋 狐穴小屋4時起床.6:00一6:20北寒江山一7:45竜門避難小屋8:00一9:05小:20一9:30西朝日岳一10:20遭難碑:30 一11:20大朝日岳避難小屋hc3.:40⇔11:30大朝日岳. 西朝日岳と袖朝日岳 左景・・寒江山からのパノラマ.7:00今朝も生乾きの衣類に着替え.完全装備で小屋の外にでる。 小屋から綴られた三方に分かれる登山道は最初は何処も石畳に敷き占められ.目指す穏やかな丘陵を越えて行く。 一気に三方境に立つ。地形上ではここが天狗角力取山と分ける分岐になっていた。 その直ぐ先の小コブが北寒江山. 逆側の南西に相模山を擁する尾根を延ばして途中で三面川に下り.沢沿いにあさひ湖にでている。 朝日へは分岐の先が寒江山.狐穴小屋から40分ほどで頂に立ち.遠望してから大きな起伏の山をを越えている。 南南東方面を望む・・竜門山から西朝日岳 ![]() 右景・・寒江山より 奥が古寺山から小朝日岳.飛んで霞む小さな頭が大朝日岳。 背稜沿い先が竜門山.左に派生する尾根は清太山を越え下ればユーフン山から日暮沢小屋にでている。 竜門山から右に登り中央が西朝日岳. その右が袖朝日岳.先が桧岩屋山. 間の鞍部遥か奥が霞む祝瓶山。 寒江山に立つと南方に西朝日岳を核とした展望が朧ながら開かれる。 日暮沢出合へ落ちる竜門山を越え.背稜は西朝日岳の核心に迫り.山陰から綴れれる大朝日岳への稜を分けると袖朝日岳へと 扇状に広がりを見せている。奥左端は明日下るハチタキ峰への尾根になり.古寺山と小朝日岳を見え隠れさせていた。 背稜・・竜門山から西朝日岳の尾根 右側は源流が大きく開かれた岩井又沢の中俣沢と東俣沢ガスの薄れた南寒江山からは竜門小屋が小さく山懐に望まれる。距離はガスの漂っているせいか以外に近くに思われた。 それを見て一気に休まず進もうと気力だけがまだ若い3人は意気込前進した。空を仰いではカッパを着けては脱ぐ. その繰り返して縦走してきた。ここに来て気勢を上げていた? それは飽きることなく降り続ける雨に.ゆっくり小屋で休みたかったかも。 寒江三山を背に ![]() 背の北面からは霞むガスの中.寒江山三山が望まれ.姿を現した。 中先峰と西朝日岳 その先に竜門小屋痩せ尾根から2つほど大きなコブを越えると竜門小屋がその山懐に現れた。 左側は根子川の源流・・の小朝日岳から小寺山への尾根竜門山と西朝日岳 左端中央に竜門小屋の屋根が望める竜門小屋 小屋の手前の縦走路脇の水場には水がホースからにバケツに落ちている。朝日岳にしては竜門小屋は小さい。収容50名. 縦走として中途半端な位置がそうさせているかも。土間を抜けカッパを脱ぎ一休み。レモンにビス.飴をしゃぶる。 ここも立派な小屋だがSが小屋の欠陥を直ぐ見付けだしていた。建てた時の計算違いか? 左壁沿いに2階に上り階段は頭をぶつける 位置にある。直せるのにそのままになっていた。痛くないようクッションが巻かれているが如何見ても頭をぶつける場所だった。 気を抜き不注意に登り下りすれば必ず頭をぶつける目立つ場所。外は相変わらずの雨模様.現実に戻され再びカッパを被る。 相模山と寒江山三山(北寒江山.寒江山.南寒江山) 南寒江山鞍部より.8:05朝日岳と中岳.西朝日岳 漸く望めた朝日岳.8:30再び雨カッパを身に付け竜門山を越える。 相模山を中心に北西方面を振り返る ![]() 竜門山と西朝日岳鞍部より辿ってきた山並みを振り返る 右端が竜門山. 辿ってきた寒江三山の遥か先に以東岳が望められる。 北寒江山から派生する尾根が左に相模山.大上戸山へと延びている。その奥が笹原山 左が袖朝日岳から派生する尾根で岩井又沢に落ちている. 左中央のガス掛かる谷間が以東岳南西面に遡る三面川。 西朝日岳山頂 綴ってきた山々.9:30垂れ込める重い空に明るさが生まれ.振り返ると寒江山に重なる以東岳が望まれた。 南方大朝日岳を望む ![]() 西朝日岳より.9:30 中岳と大朝日岳. 右に派生し延びる平岩山と以上に大きく望められた祝瓶山。 大朝日岳からは左に明日下山する小朝日岳と古寺鉱泉が下る古寺山が同視線に入り見下ろされていた。 小朝日岳の裏からは東方へ鳥原山へと延びる登山道は古寺温泉からで.学生時代に入山した白滝コースと朝日鉱泉へ下るコースに分れる。 西朝日岳を越えると大朝日岳が望まれ,周りと違った雰囲気をかもちだしていた。 ここから見る主峰は灰色の濃いガスに鋭い三角錐峰の頭を天に突き上げ.黒光させている。迫力ある突き上げで.朝日連峰の頂点を示していた。 途中の小さな湿原で大朝日岳と肩の朝日小屋 中央鞍部が金玉水金玉水 草原の先に狐穴小屋と同様.朝日岳の東肩にも山小屋が姿を現し鞍部の金玉水にでる。 東面の山腹に広がる残雪はこの時期全く見られなくなっていた。大地に沁み込んだ水気だけがあっちこっちに溜り流れ込んでいる。 昔の面影は薄く判りずらい。ただ当時はピッケルを握りしめ.雪渓の大斜面にステップを切っていたのは確かだった。 朝日小屋の小屋番がここ金玉水で.高山植物をカメラに収めていた。小屋番と名乗り.泊ると云うと「ありがとうございます!」と 丁寧な言葉が返ってきた。今日の宿は小屋番と我々3人になる。 サンショウオ 水場に下ると足場は何処もぬかるんでいる。小さな石コロ混ざりの水溜りが多く.一日晴れれば干し上ってしまいそうなほど浅く薄い。 残雪の雪解けの跡地.そこに今年生まれたばかりのサンショウオがいた。よく見るといわは.いるは。 小屋番に言わせると大鳥池のサンショウオとは別物だと云う。そう云えば大鳥池のサンショウオは赤い線があった。 全長3cm程の小さなサンショウオは真黒一色だった。一見するとオタマジャクシの子供と間違えるほど。 道姿の水溜りのような水深5.6cmの所. 今にも踏み潰されてしまうような所を見詰めれば.見るほどサンショウオがいた。 親は大きく10cmもある。臆病で暗くなると何処からか現れるらしい。 炊事用に各ポリ500ccと紙パック1.8リッター3本に水を詰め始めると再び山からガスが降りてきた。 寒江山を越え3本目遭難碑前でひと休みした時は.カッパのズボンは脱いでいる。そこからそれ程時間は経っていなかった。 厚い雨雲が垂れさがるにも拘らず.歩む尾根筋の先は明るく切れ.行く先く々はもう終わりだと示すような明確な尾根道になる。 それから朝日小屋を望み.後15分程の所にでて雲が降りてきた。濃いガスで視界は数m先しか見えなくなる。小屋番と共に登り切る。 大朝日岳に立つ 大朝日岳をピストン先の天候は判らない。濃いガスの中.眺望のない間々.空身で大朝日岳をピストンする。 頂で望むべき山々が望めなければ又明日登ればよい。ただ天気は相変わらず不安定だった。トップのK先輩が足元に蛇がいると叫ぶ。 その直後に右手の天空が割れ.流れるガスは薄れだしてきた。遠く荒川で隔てられた南西の遥か彼方に.以外と確り飯豊の山々が姿を現した。 一瞬の流れで閉ざされよく判らなかったが大きな突っ付きは飯豊山と北股岳だろう。すると間の小さな起伏は烏帽子岳になる。 念を押す間もなく又閉ざされた。頂にでても周りは灰色の世界。これが頂に立ったご褒美か? 昨年3人で荒川の濁流を横に見て 登った飯豊山が一瞬だが顔を出す。休む間もなく山を下りた。 ・・ご来光を仰ごうと入山前に調べた時刻は23日の日の出.5時2分.日没18時24分。 金玉水の径から大朝日岳避難小屋 2F中央にて大きい小屋だがシーズンには更に大勢の登山者が宿る ステンレスの板をひく.窓は北側 朝日小屋 小屋に入る時.小屋番が鐘を3つ打ち。そして笑い顔で小屋番に迎える姿は何時もの1つの行事のようにも思えた。 昨年北ア.船窪小屋を訪れた時も.小屋に入る前に待たされ.鐘を打ち.迎えられた憶えがある。 ガス濃い中.打つ鐘は安心感をもたらすが霧粒混りの流れを頬に受けての受ける音色は寂しく哀愁じみた響きを感じさせられた。 玄関の扉を開けると正面と左側に引き戸があり.土間の左側はトイレだった。足ブッシュ式の人力による簡易水洗システム。 塵紙は別に収めるが綺麗で広い空間を持っている。 前2つの小屋は完全水洗で何処も綺麗なトイレだった。まだ有料小屋でもトイレに関してはここまで改善されている所は少ない。 人気ある山々はよい施設が整いつつある。山々でも環境庁の名が少しずつ目立っようなってきた。環境庁の協力が秘境ほど改善されだしている。 小屋は1階,.階に中2階.その上に屋根裏がある。2階には左中央にп状に登る階段があり.階段下の右が管理人室になっている。 後の北側の空間が1階の寝床。登った2階は広い寝床で一面に古いゴザが敷かれていた。長方形の家形の西と東端には中2階の板の間がある。 何故か私の小屋に入ると隅々まで探検する性分のようだ。小学校から中高と隠れた校舎の裏側の空間を地下や天井裏とよく探検していた。 我々が陣取った東側は左端が冬期2階から入る間切りの空間があり.その脇には3階と云うより屋根裏への白い梯子が吊るされていた。 2階の中央,広い所に我々は昨日と同じくステンレス製の炊事用板を2枚並べ.挟むよう炊事場にした。 小屋番からは今日は3人のみ.2階を自由に使ってよいと云われている。 宿泊数は100名と云うが小屋全部を詰めても寝られるだろうか? 畳半畳ほどに細かく番号がふられていた。 満員のシーズンには2階に上がる階段も炊事場になると云う。それでも満杯の場合は玄関前の広場が天幕場になるらしい。 朝日岳は原則的に幕営禁止.沢の遡行も許可がなければ入渓が厳しく禁止されている。それでも百名山.小屋に入れねば小屋所有のテントを貸すと云う。 12時半過ぎ昼食のお茶漬けを摂る。この所単独では気に入っている食事である。今回は全てアルフャー米ではなく無洗米を使用した。 お茶漬けの素に干ダラを購入.皆で学生時代の山での昼食を味わってみる積りだった。 ただ干ダラは解されたもので.その上塩味も薄く.焼いても口に合わず調理方法の違いか我慢している。それでもお茶漬けは上々だった。 管理人 何時もの山行では残る筈のアルコールが少なくなる。後400tしかない。その折小屋番との会話が弾みウィスキーの差し入れを受ける。 又炊事中に丁度切れたコンロのカートリッジも分けて頂いた。 朝日岳は百名山,遠方からの登山者は交通機関として飛行機を利用する人が以外に多いそうだ。 カートリッジは下山後処分せねばならず.小屋に残す人が多いと聞く。 朝日小屋は大江山岳会が県から管理委託を任され.又古寺鉱泉との関係も深く周辺の登山道整備も任されていた。 ここは飯豊連峰を含め電波の受電がよく中継地点の意味もあり.大場氏は雪が降るまで小屋に留まり続けると云う。 定期連絡の後.中継を幾つか通し山麓に残る奥さんとの会話。 明日の天気を聞いているようだが方言で判らず掴みどころのない言葉。チグハグな話になっている。下の管理人室から聞こえてきた。 午後.午後.雨との会話が途切れ途切れ聞こえてきた。彼はよく理解できなかったのか? その後現れた彼は天気に関し濁る言葉になっている。 団欒 大場氏は私の2つ下.小屋を任されてから2年.停年前はトンネルのハッパ作業に従事している。 その後釣りに自然雑学と重宝がられ.彼の兄が山好きだった事もあり小屋番になった。 私は昭和40年前半に国鉄山形駅から宮宿にでて白滝から入山している。その時のアプローチを改めて尋ねる。 そして分校や鉱山小屋跡地の事実を知らされた。当時はまだ乗合バスもなく立木から白滝を経て入山していた。 その集落は廃村化し.懐かしい想い出での世話になった分校は廃校に変わり.今では記念碑だけが残されていた。 また当時の山日記の「鉱泉小屋跡は近くに金鉱がある」とある。鉱山小屋跡だったようだ。書き違いと思われる。 又ここ朝日山域には当時.日本鹿の生存は全く知られていなかったらしい。最近裾野に鹿が現れだしている。 彼は動物の糞研究家でもあるところから,冬の鹿糞の採取,調査を山形大から委託されていた。 ウィスキーの差し入れを頂き.我々からも.私の釣果城ケ島産の干カタクチイワシやキューリを差しだしている。 又お茶葉が少ないと言えば口直しには茸「アシグロ」を御馳走になる。茸の心が細く真っ黒で煎じて香りを愉しみ.実は食べられない。 何処かで飲んだことがある味だった。実はスルメに勝る硬さで歯に通さず.醤油を少し垂らすとすこぶる珍味になる。 筍狩でマエタケが採れない時期はアシグロを採ると云う。 ・・最後の夕飯は中華丼. 今回の食事は皆すこぶる満足して頂き.献立を立てた手前.食べる都度嬉しく感謝した。 今日は広い山小屋でも層の厚い中3階の建物. その上小屋番が常駐していた。人が居ると居ないとでは大分室内の温度も違っている。 それに念を入れ今晩はザックに足を突っ込んだ。明日は下るのみ.天候にはもう気にならなくなったが外は再び雨に風が加わりだしていた。 明日も雨か? 諦めている。朝は4時半の起床とした。・・消燈19:00 21日.泡滝ダムから大鳥池タキタロウ山荘T 22日.大鳥池から狐穴小屋U 23日.狐穴小屋から寒江山を経て大朝日小屋V・・黒サンショウオと蛇 24日.大朝日小屋から古寺鉱泉 |