| 芦川北側山稜. 府駒山から360度の展望を持つ黒駒釈迦ケ岳 富嶽はやや霞むが檜峰神社から神座山林道を経て御坂みちに戻る。旧鎌倉往還の十郎橋bsから檜峰神社バス停へ周回 金沢十郎橋から日尻山北尾根 府駒山からK駒釈迦ケ岳―檜峰神社・・御坂みち 日尻山」 三角点標石1460mコブ釈迦ケ岳越え 11:52日尻山12:00一12:16林道一12:32林道一12:54附駒山一13:23釈迦ケ岳:55一14:18上芦川分岐 一14:42檜峯神社分岐一15:15檜峰神社一15:30神座川林道ゲート一16:34檜峰神社前bs17:10. 風もなく長閑な日溜まりの日尻山. 周りは枯葉に埋まる美しい雑木の森を南下する。 幅広く雑木の立木がやや疎らに茂る冬木帯は落葉が敷き占められ.高低にして20mほどを下ると三角点票のコブ.1460mを乗り越えている。 ここで尾根筋は南東に折れるも.緩やかな下りが続いている。 二重山稜的な地形.12:00![]() 林道手前の痩せ尾根左側が神座山川.右側が唐沢川と共に北側の金川に流れ落ちている。その雑木帯の痩せ尾根を綴る。 神座山川側の谷間 両側は切れ落ちている再び狭ばみ出した尾根筋は林道蕪入沢上芦川線が近づくと左肩の斜面は急激に谷間へ落ち.荒れる痩せ尾根を現わしていた。 谷間の急斜面に積もる枯葉は尾根上の落葉を吹き飛ばし.山腹の窪んだ斜面に深いクッション創り被われていた。 尾根の両山腹はどちらに下っても枯葉で滑り易く.覗き込めぬ谷間は底まで落ちそうだった。 林道蕪入沢上芦川線 草付きの斜面を這い上がる.12:19林道唐沢線から繋がる林道蕪入沢上芦川線にでる。 林道への降り口から右側にあるカーブミラーを越すとその先左にカーブする所で再び草付きの踏み跡で林道を横断した。・・県営林道蕪入沢上芦川線 急な掴みどころのない斜面を登り切ると左手に大木山1462mのコブが見定められた。唐沢川支流のツメも高さを失い.私と同じ高さになり. 林道蕪入沢上芦川線にでた。ここは林道が丁度.南西から南東へカーブする地点で林道が大木山の頭手前を大きくUターンする形の上部に当たる。 茂みを少し掻き分けると舗装された林道に再び降りたった。林道の坂道をその間々綴れば日向坂峠(ゴンベイ峠)にでられる。 振り返る日尻山 突き当った林道から左に折れた所から林道を左に少し下った地点から歩んで来た日尻山が大きま丸みを持ち望まれた。 その右肩下には御坂黒岳北稜が顔をだし.尾根西面に並行して綴られている唐沢林道は痛々しい姿で刻まれていた。 林道蕪入沢上芦川線の対岸は擁壁に塞がれ登れず。100mほど右に寄れば草付になり.強引に15mほど攀じれば再び尾根に乗れている。 その間々林道を日向坂峠方面に向かい登ってもよい。短い距離の踏み跡は再びこの林道を横断することにもなった。 府駒山 再び蕪入沢上芦川線を見下ろす.12:32突き上げたのが左のコブ.左肩が府駒山への分岐になる。 林道の左側.小コブとの間の山腹をトラバースする踏み跡を綴っている。そして再び右手に先ほどの日向坂峠へ向かう上流側に降りたことになる。 この直ぐ真向かいの対岸は浅く尾根が起きていた。取付き易いが尾根上は藪が煩く.林道を50mほど左から右側の石垣の 側壁沿いに直登する方がすっきりしている。この辺は林道が細かく入れ乱れていた。 御坂黒岳 芦川北側山稜の登山道に入る.12:51府駒山分岐から振り返ると御坂黒岳が正面に望まれた。 黒岳への鞍部が日向坂峠(どんべい峠).そこ右手が芦川の源流ツメにあたっている。 大木山〜1550m峰の分岐間 先程2度ほど横断した林道は唐沢川側の源流を横切り.北上して大木山の頂直下でUターンし.再び芦川側に南下している。 この林道蕪入沢上芦川線は唐沢川側の林道に並行するかのよう登り.日向坂峠を越えていた。 Uターンした林道は大木山の南隣のコブ辺で.先ほどの林道に出て横断してた。又このコブは附駒山の東隣のコブ. 1.550m圏峰から北方に派生した日尻山へ延びている尾根上にあり.U字の林道を左右に分けている尾根だった。 日尻山から綴られた煩い灌木の枝木もなくなると強い日差しだしを浴びるようなる。木洩れ日は周りを明らめ私の体をも暖めだす。 後は刈払われたすっきりした踏み跡を登り切れば府駒山の肩にでる。 T字に芦川北側山稜にぶつかるコブが芦川北側山稜に聳える府駒山。左に折れれば「どんべい峠」に至る。 芦川北側山稜 御坂黒岳から西方に分かれる稜線は御坂町と芦川村との境界尾根。 甲府盆地と芦川をを分けて.身延線の芦川駅付近まで延々と延びている。西へ向きを変えた山稜は蕪入沢上芦川線が横切る。 「どんべい峠」と呼ばれる鞍部にでるとブナ.ミズナラの自然林はここで途切れ.南方からは灌木絡む尾根になり府駒山にでる。 幾つもの林道が狭い範囲に入り込み.そのを絡むよう登っている。 重なる附駒山の左奥はK駒釈迦ケ岳 府駒山分岐先より.12:52頂稜に出て雑木に覆われると優しい落葉道に変わっている。 芦川北側山稜・・府駒山 展望は薄いが黒岳が望まれる府駒山に突き当り.右からの尾根が西へ延びる芦川北側山稜 登山道にでて.ここで初めての道標「←日向坂峠 釈迦ケ岳→」と見ている。中央の柱には「府駒山」と記されていた。 又.「どんべい峠」からきた場合は細長い平坦過ぎる頂に立ち.道標と4等三角点がなければ通り過ぎてしまうかも知れない。それほどの平坦地. 頂の周りは樹林に囲まれ眺望は薄く.冬季では山の輪郭が分かる程度の視界が広がっている。 それでも南方は殆ど起伏の見らねぬ御坂山塊の主稜のスカイラインが樹間越に眺められていた。 北側は登ってきたルート.だが落葉松林に閉ざされ眺望はない。 釈迦ケ岳と枝絡みに重なる手前のコブ 緩やかな起伏のコブを3つ越えると釈迦ケ岳でる 釈迦ケ岳へ疎らな冬木林を辿る径芦川北側山稜 府駒山を右折し冬木絡む登山道を歩む。何時ものことだが踏み固められた硬い大地は藪絡みがあったせいか.足元に優しく楽にする。 深い落葉に柔らかいクッションの踏み跡に憧れ.藪にルートを求めてきた。その踏み終え登山道にでた気持ちは又別の嬉しさを湧かしていた。 通う人が少なければ少ないだけ径はその生々し藪絡みを覗かしていた。 釈迦ケ岳までの尾根筋は尾根幅も広がり.緩い起伏のコブを3つほど越えると岩混ざりの急な灌木帯に入り. 喘ぐ間もなく釈迦ケ岳の頂に立った。東西に細長い岩稜の南側は屏風状の断崖で.北側はコメツガ.ヒノキの樹林帯に覆われていた。 御坂山塊西側の御坂黒岳と釈迦ケ岳 笹子御殿の展望台からの遠望アップ・・2012.03.29/11:36遠く御坂主稜の山腹を刻む痛々しい姿は県営林道蕪入沢上芦川線。 ボッコノ頭.右に上がり大沢山 黒駒釈迦ケ岳 頂に祀られた二本地蔵.13:23頂から見る県界尾根の主稜の中藤山の直線上に秀麗たる富嶽が明るく聳えている。富嶽に従う右脇窪みの小さな高みが不逢山(あわず). その右のやはり小さな窪みが大石峠になろう。右に続く十二ケ岳の途切れた頂は節刀ケ岳だった。 そして中藤山から左へ下った端の鞍部が新道峠になる。 まず迎えられたのは石台に乗る2つの地蔵様. 背は御坂山塊の主稜を越え.蒼空に唯一秀麗な雪被る嶺が望まれた。 ここが印象的に望まれた頂を踏む一歩として迎えられている。 主稜は過って高校を卒業した1965年の春.国鉄の時代に夜行列車「河口号」で訪れていた。御坂峠から黒岳を越え.右端の窪み大石峠を経て 河口湖.湖畔に抜けている。今日と同じような天候の下.足元に広がる湖畔を従えた富嶽を仰ぎ.想像を超えた雄大な山容に圧倒されている。 大パノラマが開かれ.均等のとれた両裾野から見上げる富嶽は圧巻だった。開かれた河口湖の湖水も壮大で素晴らしく,今でも顧みることができた。 後半は雲行が可笑しくなり.芦川北側山稜の存在すら知らず.富士山だけを見詰め下った山行だった。その時の絶景をK先輩にも 経験してもらおうと.昨年黒岳を南北に横断しものの残念ながらガスが湧き.乱れた頂に立つも.この大展望は諦めざる得なかった。 御坂黒岳北稜と南稜 上の帯写真の右続き左肩奥が三ッ峠山. 左中央が本社ケ丸.清八山と八丁山に御坂山へ 中央左の丸い頂が府駒山 「甲斐の山山」小林経雄著によると釈迦ケ岳は北麓の檜峰神社(ひみね)の山宮を祭り.檜峰あるいは険しいのでサガ岳と称していた。 サガとシャガの音が近いので.シャカ岳→釈迦ケ岳と変化したと云う。釈迦ケ岳の北面の山域は神座山と呼ばれている。 檜峰神社の神領であるがその絶頂に当たる釈迦ケ岳も神座山と別称されている。 峠越え林道 中央鞍部に日向坂峠(芦川町と御坂町の境界)越えの林道がはっきり見定められている。裏側が林道蕪入沢上芦川線. この林道は峠越えして芦川線に分線し.水ケ沢線と繋ががれ破風山(はぶさん)の北斜面を横断している。 そして主稜の新道峠を経て.更に中沢線を南下させ.河口湖北岸の大石に抜ける。 金川沿いの県道36号は御坂道の新田の唐沢林道.起点から繋がれ.河口湖々畔.国道137号に至る長い林道になる。 昼食 頂に立つと夫婦連れと擦れ違い.私1人になった。風を避け今日2本目の1本.大休止を取る。 ザックの中には昼食用に妻の作ったカツサンドと卵サンドがあり.食後の蜜柑にチューブ入りワインが詰められている。 何時もはテルモスを開ける前にビールか焼酎を呑むのだが今回は新商品のチューブ入りワインを妻が買ってきた。 濃くはあるがやや苦みのある赤ワイン。缶とは異なり何かジュースを呑むような気を起こさせていた。チューブが又煙草に合わず。 昔は冬山でよく赤玉ポートワイン呑んだことを想いだす。八ケ岳に乗鞍岳.御嶽山で。 冬場は昼食用に特製ビスケットを用意し.登頂の祝いにと蜂蜜入りワインを呑んでいた。それでも一口で顔を真っ赤にし酔う後輩がいた。 アイゼン.ピッケルの完全装備で下れず.酔いを醒ますまでツエルトの中や氷化した火口で酔いを醒ました覚えがある。 大部隊の場合には冬山でよく呑んだ記憶がある。 先日も子供夫婦と丹沢に出掛け.頂で彼女がワインを持参した。ビールを呑む傍らでこのチューブ入りワインを呑んでいた。 日本酒の好きな彼女.摘みも西洋風のものが多かった。それでも山を下りてからの湯後は燗した酒になった。 達沢山からの尾根・・1016mコブ.旭山842m ![]() 遥か彼方は大菩薩連嶺. 右上の稜は笹子川南岸の尾根・・本社ケ丸に八丁山。 ボッコノ頭.大沢山から西に延び大洞山.達沢山を経れば甲府盆地に至る。手前の尾根は大木山1452mと附駒山1553m 360度,眺望は開かれる。冬の霞が何処となく遠方に広がり.遥か彼方の山々は見えるようで見えぬ眺望を示していた。 又その上には雲の帯が構えている。 附駒山から派生する尾根を末端から詰めてきた。頂に立ち.今もその麓にある旧御坂町の街並みを見下ろした。 左下がリニア実験線.その手前の集落から入山し.又そこに戻ることになる。 林道に削られた大木山 上中央アップ雲天に潜る大菩薩連嶺と南大菩薩連山。・・右端が滝子山 大洞山からボッコノ頭.切れ目の大沢山. 右中央は大木山西側に刻まれた撫入沢上芦川線。 芦川北側山稜の西方を望む ![]() 左方は節刀ケ岳と左肩が鬼ケ岳.南尾根に乗る1521.9m峰。霞む背は毛無山。芦川で隔てる右手は大栃。 中央が黒打ちノ頭(神座山)1474.4m.大栃山との間がトビス(鳶巣山)・・鳥坂峠の遠方は春日沢ノ頭.春日山.各所山. 黒打ちノ頭先の大きな鞍部が鳥坂峠. 昔の呼び名は神座山(じんざさん)と大栃山は反対の山名で呼ばれ.神座山は又黒打ちノ頭と呼ばれ.大栃山は神座山と呼ばれている。 又奈良原峠.別名鳶巣峠(とびす)はイッポチ峠. 道中手前の附駒山も過っては神座山(むざすやま)とも呼ばれていた。 十二ケ岳.節刀ケ岳.鬼ケ岳 左肩が十二ケ岳.2013.06・・釈迦ケ岳より御坂山稜の主稜に聳える節刀ケ岳1736.4m.・・2013年6月に毛無山から節刀ケ岳北尾根を横断している。 稜鞍左に切れ落ち見えぬ鞍部が大石峠。手前は金掘山1608m北尾根で沢妻沢と大石川を隔てる新井原に没していた。 芦川の谷間の右下流が上芦川の集落. 芦川を隔てた右端奥が王岳1.623m. 交通の便が悪く.始発の中央線に乗らない限り.どう考えても入山は10時になる。私には遠いい山々が連なっていた。 釈迦ケ岳西面の岩稜帯ガラ場状をトラバースせず.右上に登れば屏風岩の展望台あり 岩場を越え下ると再び長閑な自然林に包まれた山稜に変わっている。 薄日が差し.大らかな起伏に冬木の茂み.歩む一歩.一歩に歩む愉しみに滲みだしていた。 峠分岐からの大栃山 下った最初の鞍部.14:18神座山川檜峰二号橋(第3登山口)と上芦川への分岐 初めて入った山域で.峠にでて一度は芦川の谷間に入り込まなければならないと思いを持つ。道標によると「上芦川まで15分」とある。 上芦川bsから林道を遡り小1時間.左の土手上に小さな道標を見付けたら落葉松林に入り.涸沢右岸を辿る。 やがて沢を離れ急なジグザグで.釈迦ケ岳直下の鞍部にでられる。50分.ルートを外れても藪漕ぎに多少苦労するほど。最短のコース 路線バスは遅く夕方5時台があるが入山時のは工夫はできないものだろうか? 石和温泉駅始発では歩くまで10時半近くになる。県立博物館バス停7時21分始発に乗る方法を考える。 東京を夜明け前にタクシーが拾えれば中央本線の始発に乗れ.如何にかなるかも? 釈迦ケ岳 北側山稜から振り返る大栃山 冬木の北側山稜から 第2登山口檜峰神社への分岐.14:42最初は鳥坂峠まで芦川北側山稜を歩く積りでいた。鶯宿(おうしゃく)発,富士急平和バスの最終は17時10分。 石和温泉駅には直接56分に着く。(旧芦川村々営バス)。峠での日没後の防寒具も用意してきている。 ただ附駒山で予定を諦めトビス峠越えに変えている。そしてこの檜峰神社分岐に立ち.神座山林道沿いに下り.日没前に下るよう方向を変えている。 御坂道筋のバスの便は多いが遅い出発に.日没の林道歩きに情けなさを感じ始めていた。 釈迦岳だけに立つ第一目的は達成している。次の目標は芦川北側山稜にある。今度は仲間を誘い何時か来よう。 面白そうなコースが幾つかある。第2登山口へと檜峰神社へ下りる。 少し下り.雑木の北側山稜を仰ぐ下り始めて東側に望む日尻山への尾根 ![]() 神座山川上流から日尻山 同じく釈迦ケ岳. 陰尾根は1521.9m峰の西隣コブから派生 檜峰神社へ 熊笹茂るブナの小立ちの大きな北斜面をジグザグに下る。峠から離れると日溜りの尾根とは異なり.直ぐ日陰の世界に入る。 薄暗く.立ち停まれば体を震わせた。下るにつれ周りの尾根は高さを増し.既に右手の頭上高くに.歩んで来た山稜が見上げられた。 西日を一杯浴びる釈迦ケ岳. 左肩には小さく府駒山が小コブのよう見える。連なる日尻山への尾根が明るい斜光を浴びていた。 その上の空は蒼かった。雲1つない天空が開かれる。反面.手前の尾根はもう陰影が強まっている。 私が綴る足元の山道は既に土壌を硬く固まされていた。時計の針は丁度3時を示している。 檜峰神社・・拝殿.本殿.15:17檜峰神社 ブナから落葉松林に雑木帯を抜けると傾斜が緩み.大きくジグザグに回り込んだ山道は真っ直ぐ谷沿いに下りだしている。 そして谷底が広がるとキャンプ場の水場にでた。ここは既に檜峰神社の広い境内だった。誰も居ない檜峰神社にでる。 境内に掲げられた由緒板によりと雄略天皇御即位12年に国幣を賜り.天正17年(1588年)に建立されたと伝えられていた。 釈迦ケ岳の頂上には山宮があり.その麓の山中にもう山陰になった檜峰神社が祭られている。 広い台地の向かいに社務所があり.立派な南部鳥居に随神門.拝殿とその奥に本殿を構えている。 本殿の大屋根は最近張り替えたらしく.日の当たらぬ谷底でも銅板のきらめきが美しく壮厳さを現していた。 社殿に向かって左手奥の斜面上に県の天然記念物に指定された檜峰神社の大杉がある。 知識不足で知らず拝見できなかったがウススギの仲間で樹高31m.目通し幹囲7.1m.樹齢は約300年以上あるそうだ。 参道は杉の大木林.境内の森を創っている。境内から本堂への並木だけが大杉の樹皮を綺麗に何本も剥ぎ取られていた。 赤松の如き赤い樹幹を現している。ただ森の一角だけを杉の巨木がストレートに天へ伸びる並木は古来からの異様な風景をも感じ取っている。 又ここはコノハズクの生息地で昭和10年に「ブッポウソウ」と鳴く鳥が「コノハズク」であることが初めて確認された地でもある。 境内は森を創っている。風はなくとも肌寒い。本殿への登り口には木を刳り貫いた大きな桶があり.湧水がコンコンと流れ落ちていた。 薬王水呼ばれる名水のようだ。味はある。先ほど炊事場で汲んだ水を入れ替える。ただ私には冷たすぎる故か.一言では言えぬ湧水だった。 境内の案内板日尻山周辺の歩んだ山々の山名が載せられている 神座山林道 ![]() 神座山川左岸沿いに綴られている林道は参道でもあり.長く約4km強を下って猪除け用のゲートにでる。 獣の侵入を防ぐ為の金網ゲートは右の棚扉を潜る。車は通行可・・自ら開閉するスタイル。 神座山林道 檜峰神社からは神座山川の左岸沿いに築かれた神座山林道を下る。 完全舗装の林道は道幅も広く.200mほど下るとトイレと駐車場があり.右に回る込めば第三登山口.釈迦ケ岳へ直登する登山道にでる。 大きくカーブする林道は最初の4.5回は藪地を切り横切っている。金沢沿いのバス停までは1時間半ほどの距離。 神社からの幅広い裸道の近道が左から合わさり.木製の立派な古い鳥居を見ている。初めての入山でこの道は分からなかった。 林道ができる前の参道だったようだ。又2/3ほど下った所で小さな鳥居があり.左に細い参道を分けていた。 西日の当たる釈迦ケ岳と上弦の月11/19日・・日の出6:25.日の入16:37 斜陽した夕日を浴びる達沢山からの尾根 桃の木畑より旭山から甲府盆地端.金沢に落ちる尾根 左端が御坂線鉄塔 朝方尾根に取付いたルート 神座山川の丘陵帯.桃の木畑.16:15朝方通った日尻山北尾根と重なる北西尾根(右側) 手前左列は御坂線28号.27号.26号鉄塔. 右中央が天竜南線77号鉄塔で左脇に林道のゲートがある。直ぐ尾根の裏側は79号鉄塔。 林道は谷間を綴っていた。中央が934m地点. 神座山川右岸に連なる山並 ![]() ゲートまでが神社の並木道と称し.その先で神座山川出合の丘陵が右手に開かれている。 神座山川河口付近の広い桃の木畑には点々と朝方.尾根に取付いた送電線鉄塔群が望まれた。 それが又この位置からは何基もの鉄塔ナンバーをも知ることがでる。 朝方は北尾根に取付き28号鉄塔基部脇を抜けて.奥側の日尻山北尾根からK駒釈迦ケ岳に立ち.神座山川を回り込むよう周回した。 日尻山北尾根と北西尾根末端 旧道.「檜峰神社前」正字のバス停から檜峰神社前バス停 檜峰神社前バス停までは道標はない。林道から離れると,ただ下る道を選び歩むのみ。 そしてバイパスにでて難渋すると所々に遇った「←檜峰神社」の矢印を逆算して下ってきたがここでなくなっていた。 地図を読み,密なる住宅地を適当に抜け旧道に入る。途中の下り坂では道路工事が行われていた。バス停を聞くも分からず。 旧道への道を聞きだし.先のスーパーで改めて尋ねたら.その前がバス停.檜峰神社前だった。 「神社前」とは云え.檜峰神社からは1時間20分費やしたことになる。 又道路の向かいの富士山駅行バス停は表示に細かいことだが「檜」から「桧」へ.バス停は「桧峰神社」になっている。 比べて見たところ.大分前だが新たに書き換えられていた。その時の略字と思われる。 檜峰神社前バス停.16:3416:34檜峰神社前bs¥560.16:56=石和温泉入口バス停一jr石和温泉18:15=19:38高尾快速:42=20:46神田. 熊の慣習 30分バスを待つ間.左斜め前のスーパー「とみや」で缶ビールを購入。その間,女店主と会話を楽しむ。 熊に遇ったか尋ねられ.今年の8月北アルプス折立の下りで熊に追い掛けられたことを話す。 この地区では桃の季節になると必ず熊が出現する。それも同じ畑の同じ桃の木に食害すると云う。 毎年のことで.その木が駄目になると改めて別の木を選び.また同じことを繰り返す。同じ熊だろう。 このように熊が畑を荒らす習性は何処かで聞いたことがあるが唐覚えで忘れていた。 甲斐大和の古部の集落のやはり果樹園だったと思う。? バスで考えるも想いだすことはできなかった。 甲府盆地の夜景 16時56分発甲府行バスは10分遅れで到着する。その短い間に黄昏は帳を迎え.日没と共にアッと云う間に暗くなる。 山に囲まれているせいか一瞬の内に真っ暗闇に。ヘッドランプを点け現れた路線バス。車内には6人の乗客がバラバラに座り眠っている。 私は助手席とも云うべき運転手の脇に座り.フロントガラス越えの風景を眺めていた。 バスは旧道を抜け.御坂街道を北上し.緩い下り坂を一直線に甲府盆地に向っている。 目の前のフロントガラスにチラホラ街の明かりが点る。と程なく満点の灯りで盆地は埋め尽くされていた。 御坂から石和に掛けての夜景が広がり.その煌々と輝く大地に突っ込むよう路線バスは飛び込んで行く。 舞台は見渡す限りの輝く面から次第に幅を狭め.高度が落ち始めると次第に面となり.その灯りの中に溶け込むよう走る。 空気が澄んでいるせいか車窓に流れる街路灯も明るく煌めいていた。 車内の暖か過ぎる暖房は「石和温泉駅入口」バス停に戻ると急に外の寒気に襲われた。一度身震いを起こしている。 両手をズボンのポケットに突っ込み.駅前通りをJRの駅へ。 通勤列車 夕方の5時.6時台は甲府地区の通勤時間帯. 列車の本数が多くなり.上りは塩山止まりが多くなる。 7時57分発3両編成の塩山行を見送り.次の高尾行.6両編成を選んでいる。 そして駅に着く毎に乗客は減り.笹子トンネルを潜り.笹子川沿いに走ると車内はガラガラになった。 又2013年06月に河口湖から節刀ケ岳に出向いている。その折上芦川地区に入るにはもう1つのバスの便があることを知る。 若彦路隧道の開通によりは高速路線バスを利用すれば楽に入れ.又遅れる下山にも便利になろう。 地形図「石和」「河口湖西部」.山と高原08「富士山.御坂.愛鷹」.スカパ登山靴・・30.783歩 催眠剤「ロゼレス服用」 御坂みち 河口浅間神社(あさま)・・2014.09.27/14:36中央の巨樹から私の後に向かい.直ぐ傍に杉の巨樹群がある 旧鎌倉往還 2年後の9月に四丁目町会の旅行で「西湖いやしの里根場」に寄り.湖畔で昼食後河口大橋を渡って.御坂みちと旧道の分岐にでている。 直進する国道137号線「御坂みち」を右に分け.大石に繋がる県道21号線に入り.直ぐ右折して旧道の御坂みちにでた。 程なく河口浅間神社が右手に鎮座している。全国にある浅間神社の一社にあたり通称「河口浅間神社」。正式名は「浅間神社」. 富士山の北麓にある御坂山地を背に,河口湖々畔近くにあり.大鳥居前に巨大な石柱が建ち.境内は杉林の森に囲まれていた。 又本殿の右側に天然記念物の七本杉(根廻り最大30m.樹高47m)が立ち整然と構えていた。 参拝後は暫く旧道を進み.御坂みち(旧鎌倉往還,上黒駒石和線)に合流.大きく山腹をジグザグに切っている。 そして御坂峠下の新御坂トンネルを潜り北上した。富士河口湖町から笛吹市に抜ける「御坂みち」は金沢沿いに甲府盆地に下っている。 カムイみさかスキー場の北麓を回り込み.過って黒岳北稜に取付いた藤野木.新田を過ぎる。 御坂さくら公園からは北面の達沢山への登山口があった。懐しい小さな集落が車窓を繋ぎ.立沢を過ぎると再び旧道を右手に分けている。 富士急富士(旧富士吉田)からは旧鎌倉往還を抜け.jr甲府に至る路線バスが通っている。芦川山地に入るにはこの路線を利用していた。 日尻山北尾根の末端から釈迦ケ岳を周回していた。その時は旧道の十朗橋.檜峰神社前バス停から石和温泉駅入口バス停に戻っている。 「甲斐の山山」小林経雄著によると「御坂路は石和宿から黒駒・藤ノ木を経て御坂峠を越え.都留郡河口宿に下り. 更に山中村から籠坂峠を越えて.駿州須走村にでている。 この御坂路は古代においては東海道横走駅(御殿場市)から甲斐国の国衙(こくが)に至る甲州最古の官道だった。 中世には鎌倉と甲州を結ぶ.軍事.政治.文化の要路となり.鎌倉往還.鎌倉海道と呼ばれるようなる。 御坂峠には天正年間.武田氏滅亡後.甲斐を狙う北条氏の山城が築かれた。」とある。 観光バスはバイパスを抜け.リニア実験線を潜ると傾斜も落ち.石和への道を左に分けると前方に甲府盆地が開けだしていた。 上黒駒の交差点を右折しぶどう狩りをして.勝沼ICから中央高速道に入った。ただ渋滞で大月ICを降り. 甲州街道を綴り上野原ICで再び乗っている。今回は路線バスで甲府市内の壮大な夜景を見下ろし.再び石和温泉へ戻っていた。 金沢十郎橋から日尻山北尾根 府駒山からK駒釈迦ケ岳―檜峰神社・・御坂みち |