| 大菩薩嶺南. 初冬の富士見新道から旧大菩薩峠.牛寝通り・・多摩川小菅川流域Top 上日川峠から富士見新道の岩場を経て旧大菩薩峠―荷渡し場から小菅川源流経路を綴り牛寝通りへ 下りはアカドチ沢右岸尾根を経て.林道雄滝線・小菅線で白糸ノ滝により小菅林道を橋立下へ降りる 2013年11月17日.松村 上日川峠から富士見新道.旧大菩薩峠・・jr事故で2日続き4時起床 小菅大菩薩道.荷渡し場から小菅川源流 牛ノ寝通りから小菅川上流右岸と左岸道 2週間前の山行では後半で大菩薩嶺北尾根からは大室川の支流.中沢の桟橋が豪雪により大崩壊し小菅川流域には入れなかった。 その為.改めてリベンジするべく.富士見新道を経て旧大菩薩峠にでて.小菅川源流の作業道から牛寝通りを経て.小菅川に入渓する。 小菅発一日4本のバスは午後2便.14時半と17時15分。平日は更に2本と間隔が長く.日没後の待ち時間を考えると土.日.休日の山行に限られていた。 秋の移動性高気圧に恵まれ.16日の早朝に出掛けたが三鷹駅で交換機の事故に遭遇し.中野駅で電車は動かなくなった。 諦め一度帰宅している。そして翌日に再びチャレンジした。小先を挫かれたような勇み足になるも.もう一度出向くしかなかった。 笹藪から冬木の岩稜を詰めている。私にとっては初雪を踏み.小菅道からは紅葉蘭欄たる渓谷美に触れ.その多彩な色合いを味わいながら下山した。 南アルプス 上日川峠より.8:27西側の樹間より・・白銀被る白峰三山と千丈ケ岳. 手前は笛吹川.重川流域 11月16日(土)快晴 jr御徒町5:11=神田5:20=中野.=御徒町・・三鷹で事故が起き.諦め帰宅した。・・2時間費やし運賃返却 11月17日(日).快晴 再びjr御徒町5:11=神田5:20=6:22八王子:30=7:35甲斐大和.臨時バス:45=8:25上日川峠bs 甲斐大和駅発の路線バス.大菩薩上日川線は昨日の中央線事故の影響で.40分遅れて発車したとのこと。 今日も登山日和に恵まれ.一列車でバス1台分のハイカーが集い.定刻時間前に臨時バスはでている。 5年前の師走.裂石から牛ノ寝通りを縦走し下山した折.甲斐大和駅発の上日川線が開通したことを知らされた。それから3度目の利用になる。 以前.上日川峠から重川左岸尾根を南下し.jrぶとう郷に下りている。又牛ノ寝通りと並行する長峰を下りた時は矢坪で車に拾われた。 それ以来の乗車で運が悪いのかよいのか.気儘な道中になろう。今回は北東部の小菅川に入渓し.奥深い渓流の紅葉美を味わう積りでいる。 バスの車窓から頂稜を見上げると一昨日の斑雪と霧氷が見られた。既に紅葉を終えた源流は樹葉を落とし.冬木の姿に覆われていた。 後半は逆に小菅川の源流を下るにつれ.次第に紅葉に満ち.蘭欄たる紅葉美に迎えられる筈である。それを期待し望む山になる。 勝緑荘の庭先より.8:56日川左岸の尾根に建つ紅白の西群馬幹線198号鉄塔 上日川峠bs78:25一8:51富士山荘一9:35右岸へ一9:45河原口一9:52雷岩の稜線を望む一10:15岩稜取付き 一10:41稜線一10:55大菩薩峠避難小屋.大11:30. 上日川峠から大菩薩峠への登山道の小径に入り.「福ちゃん荘」にでる。ここが雷岩にでる唐松尾根の取付き分岐. 更に林道で富士見平にでれば富士見新道の取付きにでる。旧富士見山荘の台地で名前の如く.遥か彼方に常に秀麗たる富士が望まれていた。 富士見新道 勝緑荘前の取付き.9:00その向かいの勝緑荘前には「お知らせ.クサリ腐食の為撤去しました危険です」.「富士見新道落石あり危険」.「←上日川峠.富士見平.大菩薩峠→」. 「富士見新道.富士見山荘分岐」と新道の取付きで.色々な注意を促す看板.道標が立てられていた。その間を抜け熊笹帯に入る。 隙間なく密なる熊笹帯を横切る取付きの熊笹の窓から入り込むと笹丈は低くなり.東面へ平坦な笹薮帯を綴ってゆく。 落葉松の地床はビッシり熊笹に埋められ.何か嬉しい気持ちをもたらしていた。そこを綴る踏み跡は確りしていた。 程よい茂みの笹原が足元の谷間に広がり.明るく開かれる大地が心地よい。 最初は涸れ沢を横切る.9:11 小尾根に乗る.9:34右下に沢が現れ.左岸沿いに回り込み.尾根をUターンする形で更に高みの右岸沿いへ回り込む。 1つ窪溝を横切り.涸れ沢を渡ると左岸の細い立木に「富士見新道」の古い小さな道標が立木に掛けられていた。 やや広い小尾根に乗りる。その沢を渡ると赤テープがあり.左岸沿いを歩むようなる。 確りした踏み跡に導かれた先では左岸に渡るようなった。右岸を見つつ進むが斜めに傾いた壊れた擬木の手摺りは. 何処にあるのか.分からなかった。樹林の密生で周りは幾らか薄暗い。周りを探すも道標を見付けることができないでいる。 沢筋から離れ南側の高みに回り込む.9:37 賽ノ河原分岐点より少し西側に寄った模様.9:46次第に疎林になり.左奥には明るい河原が望まれる所まできた。賽ノ河原への分岐はもう少し手前の右側にあった模様。 疎林を抜け草原状の明るい大地にでる。河原状の溝沿いを辿る。左上方に延びる唐松尾根寄りで1本取った。 左の河原沿いに出たようだ。下調べした道しるべのケルンもなければ「お知らせ・・」の道標も見当たらず。 唐松尾根 ヒンマワシ沢源流のカヤトより.9:52右上の茂みは唐松尾根のツメ.雷岩 唐松尾根は広島の竹永先輩が百名山の鳳凰山・大菩薩山を狙い上京.その為のOB会山行を催おしている。2010年6月. その折私は鳳凰山は共にしたが.続く大菩薩山は妻の私事と重なり参加せず。唐松尾根はその時のピストン尾根. この尾根は急登を終えると牧歌的な丘陵状台地が広がる頂稜間近なツメにでる。 日川左岸の裾野尾根群 絵ハガキのような全景.9:58富士下.中央の小さな山並がお坊山。そこから競り上がるのがハマイバ丸から繋がる小金沢連稜。 唐松尾根を登るハイカーの声が弾んで風に乗り聞こえてきた。斜上して右寄りの河原に入り込む。 頂稜を見上げるとカヤトの草原が広がり.唐松尾根の頭.雷岩を見付けている。空は原色一色の紺色に染められていた。 仰ぐ右手後方からの小金沢連嶺は西山腹に幾つもの支尾根を重なり合せ.日川沿いに没している。 その先の小さく見えるコブ群は笹子川北岸流域の山.お坊山だろう。その上に大きく囲むのが三ッ峠山。 悠然と煌く残雪被る山容の凛々しく聳える富嶽は常に秀麗さを失うことはなかった。 富嶽東面は富士の高さまで薄い層雲に一面覆われている。そこを除けば変わらぬ紺碧の広大な天空が開かれている。 河原の1本奥側を大周りしてしまっていた。地図を広げ唐松林の右斜面を合わせるとそれ程強く.ルートから外れていると思えなかった。 一昨日の新雪とカヤトの起伏状の小尾根.10:07雷岩から旧大菩薩峠への稜 中央の小さな岩稜が富士見新道.10:10右端上が賽ノ河原,分岐右手のルート.分岐より右折すると賽ノ河原(右端)にでる 河原から右の起伏の斜面を登る。カヤトに残雪が絡み.歩き難きことこの上もない。 丘状の台地にでて.新道の岩稜と賽ノ河原を見る。やはり小尾根を1つ.左に寄っていた。足元の河原状の窪溝が本来のルート。 河原を1つトラバースして雑木林に入り込み.岩稜の基部を目指した。 後日分かった男坂・女坂分岐図.直進し手前の旧男坂を取っている。 岩稜の基部.取付きのガラ場右の稜に富士見新道が綴られている 狭い雑木帯を抜けた先から見上げると直ぐガラ場が現れ.末端基部の取付きにでる。 見た目にも浮石の積み重なれたガラ場。一歩踏み込むと浮石がガレ音を立て落ちてくる。 残り雪が土壌に湿けを持たせ.以外と落ち付いている斜面は丁寧に乗れば浮石は崩れることも少なくなった。 見上げると巨岩が聳え.その間のガラ場を詰め.岩稜を攀じる。大きな巨岩が3つほどあった。 岩上へ攀じり振り返ると壮大な景色が姿を現している。 取付きからの展望・・小金沢連嶺と南大菩薩連嶺を望む 稜線にでて.10:11熊沢山.小金沢山と牛奥ノ雁ケ腹摺山.川胡桃沢ノ頭から南大菩薩連嶺に続く。 何時もは東面の葛野川側からの展望が多く.日川源流の西側からの展望は私にとっては珍しい風景になる。 見下ろす 唐松尾根 遠方は水ケ森の尾根越の南アルプス.10:24唐松尾根が目の前を横切り.甲府盆地の丘陵が遥か先に望められている。その左奥に南アルプス連山が見渡されていた。 唐松尾根の前に望める台地は伐採後のカヤトの牧歌的な原. このヒンマワシ沢の流域は落ち口の大菩薩湖まで.一面笹藪に覆われている。 草層も広くよく分け合っているものの繁殖の強い熊笹に.カヤトの大地は年々狭められているのだろう。 唐松尾根から延びる日川尾根の砥山 大菩薩湖に流れるヒンマワシ沢源流中央右上の白点が「福ちゃん荘」.その白点の直ぐ上が大菩薩湖 岩上に立つと大菩薩湖に流れるヒンマワシ沢源流が足元に広がり.今綴ってきたルートを絵地図の如く追うことができる。 本ルートからは外れたとはいえ.河原台地を目指せばと最初の標識を見失ってからは全く気にせず登ってきた。 ただ岩稜帯に入り.2つの岩稜があることを知らず.左方を登ってしまったことが残念だった。 神部岩 岩稜帯の最後のツメ.巨岩上より.10:40女坂を見下ろす。足元に「標高2000M」の標柱あり 雷岩の稜 頂稜の縦走路にでる.10:41以外とアッと云う間に大菩薩連嶺に登り詰める。昨日は雪原だったと云う頂稜にでた。カヤトの融雪は思いの外早い。 南側に並行するもう1つの岩稜を見る。1つと考えていた岩稜は2つあり.右の南側に新道が乗っている。 雷岩の見えぬ直ぐ奥が大菩薩嶺. 大菩薩嶺からコメツカの明るい草尾根を下ると唐松尾根を分けている。神部岩で.ここで富士見新道と合わさる。 70mほど歩むと「標高2000m」の標柱が立ち.脇には新道の取付き地点があった。「お知らせ・・」と同じ注意書きの看板をみている。 親不知ノ頭と賽ノ河原 旧大菩薩峠.10:45背の山並は天狗棚山・熊沢山と小金沢山(雨沢ノ頭)・白谷ケ丸.一段下りてハマイバ丸・大蔵高丸と1755m峰。 左斜面は妙見ノ頭。その南側のタルミは賽ノ河原と呼ばれ.昔の丹波山.旧大菩薩峠「上峠」があた所で.避難小屋があり小さく望められる。 又もや絶景が望まれる。旧大菩薩峠から僅かに登ったコブが親不知ノ頭。左上の大きな山容は(新)大菩薩峠越しの熊沢山。 左手に構えるのは牛ノ寝通りに乗る玉蝶山。賽ノ河原で昼食後.この山々を囲む左側の小菅川の源流を歩む。 玉蝶山の左奥を回り込み.小菅川源流をトラバースし牛ノ寝通りに抜けている。 妙見ノ頭と旧大菩薩峠 賽ノ河原に建つ避難小屋.10:55昼食 風も弱く陽当たりのよい賽ノ河原は一昨日の新雪を残し.雪解けした岩肌の周りでは昼食を摂るハイカーが目立つ。 入口を南に面した大菩薩峠避難小屋を覗み込んでみた。 中央に土間が延び,コの字に高床がある。左右はやや狭いベンチ型で.奥は全面が板床になっていた。宿泊は禁止されている。 3組のハイカーがそれぞれの隅で食事を摂っている。窓はないが入口から明るい日差しが射し込んでいた。 左の広い奥角が空いていたのでそこで大休止した。コンロにナベを乗せ.水400ccほどの水で.今回は「マルちゃんタン麺」を作る。 材料は殆ど前回と変わらず.手を空けず麺から野菜.ソーセージにスープを加え.卵を落とす。後はナベごと食べればよかった。 やや硬い麺だが歯応えよく.フーフーいいながらほうばった。時間にして35分.体も暖まり空腹感も治まる。 旧大菩薩峠・・青梅街道 賽ノ河原は旧大菩薩峠で昔の甲州裏街道. 昔萩原と小菅とを結ぶ峠越えの古道で.馬荷による交易が盛んに行われていた。 峠下の小菅側の荷渡し場では無人の交易場が設けられており.旧青梅街道とも呼ばれている。 江戸城の築城に合わせ.石垣用に青梅から江戸に運ぶ成木街道が造られ.当時の絵図には青梅街道も記されてもいた。 明治に入り.新宿と田無に乗合馬車が開通し.青梅街道は都心と結ぶ生活道路として定着する。 すると難路の旧大菩薩峠越えを迂回するルート.現在の柳沢峠が開削され.新たに青梅街道が開通された。 現在の新宿大カード西交差点からで.先日は常円寺に廻り.偶然道標を見付けていた。終点の甲州街道山崎交差点間を指している。 又本来の峠は丹波.小菅と甲州側との間には上峠と下峠があり.上峠は丹波から丹波大菩薩道を経て賽ノ河原にでる。 下峠は小菅からは牛ノ寝通りを経て石丸(石魔羅)峠にでている。明治になり現在の峠に一本化された。 荷渡し場は上峠では初めは峠の上にあったが後にフルコンパの方に移されていた。下峠は石丸峠の上にあったと云われている。 上峠は親不知といわれるように風が強く.冬季に凍死者がでたりして.明治8年に峠道を付け替え現在の峠が開かれた。 明治10年には小菅川沿いに新道が着手され.明治13年に開通。これがフルコンパで合わさる小菅道にあたる。 甲州裏街道としては2里近く短縮され.関所はない。但し塩山近くに小さな萩原口留番所が実存していた。 又前回下山した「大菩薩の湯」には萩原口留番所の門が再建されている。 上日川峠から富士見新道.旧大菩薩峠・・jr事故で2日続き4時起床 小菅大菩薩道から小菅川源流 牛ノ寝通りから小菅川上流右岸と左岸道 |