豪雪を睨んでの大垂水峠を越えと高尾山稜の里山

 裏高尾.小仏峠から大垂水峠を越え.南高尾山稜の関東ふれあいの道「湖のみち」から武相国境尾根の下端へ
   赤馬の山道を合わせ大洞山東尾根.西山峠.三井水平歩道.草戸山と城山湖から境界尾根を下り青少年センター。大戸の町田街道でH=jr高尾

    未トレースの小仏峠から大垂水峠
    最後まで新雪を踏み.南高尾山稜から草戸山東尾根・・大地沢青少年センターと町田街道.ヒッチハイク

   大垂水峠391m下
   甲州街道.案内川側の大垂水峠橋.10:5
    先が南浅川方面.手前の峠越で相模湖に至る・・左は大平.高尾林道側.右側は南高尾山稜.
    又古道に相模川湖畔の赤馬へ. 湖畔沿いの県道515号線は廃道.

    南高尾山稜
     小仏から小仏峠に出ると出ると高尾山陣馬縦走路(武甲境界尾根)にでる。左に折れ小仏城山でると尾根は2つに分かれ.尾根を直進すると高尾山へ。
   境界尾根は城山南尾根から左前方下の大垂水峠を越えている。高尾山から見ると南側に連なるので通称.南高尾山稜と呼ばれていた。

     又北側の支稜は「北高尾山稜」と分けて云うようなったのは戦後暫く経ってからのことらしい。
   本来は北高尾山稜をひっくるめて.「高尾山系」と呼ぶには大仰だと「中央線の山を歩く」藤井経雄著は述べている。

     「南高尾山稜」として歩かれる範囲は「武相国境の大垂水峠から大洞山.中沢山.善光寺山.三沢峠などを経て.津久井湖を見下ろす峰の薬師あたりまで。
   三沢峠付近から分かれて城山ダム西岸を構築する枝尾根も.これに加えてよかろう。」とある。

     この言葉に寄ると結果的に南高尾山稜を末端まで歩んだことになる。がまだ陣馬高尾縦走路しか知らぬ私だった。
   そして再び学生さんの志でヒッチハイクしjr高尾駅に戻っている。

    南高尾山稜から上大戸
     10:50大垂水峠一11:00戻る, 一11:55大洞山,大12:20一12:50コンピラ山一13:45jr52号鉄塔一14:15三井水源の森分岐
     一15:33草戸峠一15:40松見平休憩所:50一16:15草戸山一東コブ⇔16:44はなさき休憩所. 一17:00(292m圏コブ)
     一17:14町田市大地沢青少年センター一17:20上大戸一17:44国道R47.町田街道.H=jr高尾.

    国道20号
     甲州街道を横切る。大垂水峠にでて.歩道橋を渡り南高尾山稜に取付く。その歩道橋まで行くのにも気を使わせられた。
   写真の峠を塞ぐデブリは国道を除雪した時の雪塊りの山。雪壁端の歩き易い場所.平坦な部分を足元に探し探し見付けながら渡っている。

     道路縁の積みかためられた雪質は軟硬が激しく.カンジキを付けても腿上まで潜る所もある。車道は狭すぎそれこそ通れず。
   ギリギリの脇縁は車の往来があり危険だった。雪塊を綴るも歩き難いだけでなく怖かった。

     又真中部の雪塊りの凸凹激しい雪面を歩くも.やはり固まりは固定されていず雪潜る厳しさがある。
   見た目の雪面は硬雪で何んともないように見られがちだが.落とし穴が幾つもあった。雪積もる歩道橋もカンジキを付け渡っている。

     22日に初めて歩道橋を渡ったyamahero氏は山積みの積雪に足は取られ.潜り.短い距離だが悪戦苦闘し渡っている。
   それに比べれば優雅な私だった。それでも4.5回.狭い橋上で腿まで潜っていた。
   又反対.北側の「学習歩道コースの山道は積雪に埋もれ.何処が入口かも.分からなかった。

    南高尾山陵
   枝尾根に乗る.11:27

     大垂水峠から案下川沿いに国道を少し下れば右手に大垂水林道の起点を合わせ.中沢川左岸尾根から三井水源林歩道を経て西沢峠に出られる。
   今回は初めてのこと.素直に尾根通しの南高尾山稜を綴ることにした。

    取付きトラバース
     歩道橋を渡ると暫くは南浅川方面の山腹をトラバースした。その距離が積雪で以外と長く感じられ.左下には常に国道が見下ろされた。
   歩む左側は雪塊りの壁.下るは登山道は埋まり.見落とさぬよう気を付け進む。

     国道からの高度は変わらず.可笑しいと一旦戻ることにした。
   それにしても雪深い傾斜面を横切るのは斜めに傾き.急で馬力がいた。時たま壺穴にはまっている。

     考えてみると途中に.登山口のトレースがなかったことは確かだった。再び戻った地点まで戻り.我慢して歩んでいる。
   するとその先でやや高度を取り.右手の谷間に薄いトレースが残されていた。谷間に入って間もなく道標を見付け.ホッとした私。
   峠と全く同じ印が道標に示され.「梅ノ木平」まで何キロ?と表示されている。

    山稜末端の北北西尾根
   枝尾根を詰める.11:28

     南高尾山稜510m圏からの尾根末端は西北西と西南西に2つに分け支尾根が落ち.主尾根は大垂水峠へと北北西に尾根を延びていた。
   向かい側では防火帯を切り開き大垂水峠へ下りてきた。それもあり.小沢沿いの雑木帯は春雪が覆い.足元を埋るトレースの浅さにホッとさせている。
   踏み込めば更に深く潜る残雪は少なくなくなっている。都県境尾根の末端.南高尾山稜.首都圏自然歩道の尾根に乗り振り返る。

    南高尾山稜末端
   左が大洞山の北尾根.11:38

     この辺まで高度を落とすと枝々に積っていた雪粒も.陽気に左右され.すっかり落とされていた。
   写真には雪面が望めぬが足元は深い積雪が白く覆われている。裸土は積雪の下に埋まり全く分らず。その上初めて入る山域で探り探りの登りが続いた。

     主尾根末端から北北西に延びる枝尾根の沢沿いから左岸の山腹へ回り込むと尾根筋の傾斜が落ち.足元も平坦になる。
   径幅が広がりワッパでも左右にゆとりができ歩き易くなる。緩やかな登りに変わっている。

    南高尾山陵の末端の松枝峰
   赤馬(あこうま)分岐.11:54

     峠に至る南高尾山陵の末端のツメまでは短く.喘ぐ間もなく.主尾根に飛び出した。南高尾山陵末端の肩と云うか松枝峰510m.
   大洞山手前で「大平山」ともあるが分からずにいる。この尾根の末端に乗った地点のこと何のだろうか?

     登り詰めたのは赤馬の分岐. 3つのベンチが設けられている筈だが雪に埋もれ.丸太階段と同様分からず。
   周りは常緑林の低木に覆われ.眺望はあるようでない。

    武蔵越ルート
     「峠と路」馬場喜信著によると「千良の東方の赤馬集落から尾根に乗り.尾根先端のコブと大洞山との間の鞍部に達して.
   主尾根を越え谷沿いに下り.案内谷の最奥の集落,太平の上部辺りで甲州街道にでる」とある。今は新多摩線60号鉄塔を越えている。
   バス停は三ケ木行.神奈中の「赤馬」。

     前の道標の100mほど先に「←大垂水峠0.7km」の道標分岐があるとか。
   今は雪多く南側の踏み跡を探ることはできないが.確りしたトラバースの踏み跡があるとのこと。

     又大洞山から東へ200m.山道が直角に曲がる箇所に「神奈川県水資源の森契約地」の看板があった。
   その取付きを下ると新多摩線58号鉄塔基部までは明白な踏み跡・巡視路か? がある。基部右奥から杉林の不明瞭な直登の急坂を下ると
   整備され赤馬にでられるとのこと。こちらの取付きの鉄塔尾根からの巡視路標柱も見当たらず。

    大洞山536m
   テーブルが新雪に埋まる.11:55〜12:20

    大洞山
     大洞山536mの頂は常に風が舞っているのか.雪面は平坦ではなく.溜り場の如く細かく波打ちし歪み積もられていた。
   南高尾山稜の最高峰をなし.別名は「大羽山」.

     脇に残雪が1/4ほど除かれているベンチと野外卓を見付け.風は閉ざされてをり昼食を摂ることにした。
   テルモスから紅茶を作り.花梨の香りを加え妻作のカツサンドをほうばる。中華風の紅茶.口当たりがよくさっぱりした味.更にポテトサンドも口にした。

     これだけの積雪だとコンロは不向き。まず一人では自分の居場所を作り.床を固め,炊事の為の土台作りをと考えるだけでも億劫になる。
   東京近辺の今年の異常までの積雪量は安易に備え付けのテーブルやベンチを計算して.活用することはできなかった。
   それに引き変え.テルモスによるサンドイッチは分けても食べられ.時間を気にする必要もなく.気楽に動くことができていた。

     例年2月にOB親睦会が上信.鹿沢温泉で行われていた。ただ高速道に鉄道が数日間マヒし.3月の山行もこの豪雪で難渋.止になっている。
   今年は春山の泊り掛けの遠征は機会を失っている。それに変わり高尾山での雪山. 比べるのも不思議だが今は信州に劣らぬ雪山に入っている。
   豊富に雪被る山々は違った風景にも思え.単独の雪山を考えてカンジキを持参.雪と相談し仲良く山を楽しんでいた。

   jr分岐線用の古いH鋼の間々の巡視路標柱

    送電線高尾分岐線
     軽食を摂り.ワッパを付けた間々.尾根筋を東方へ.更に向かい南高尾山稜を歩みだす。
   直ぐ道標「←城山・大垂水峠1.5km.梅の木平6.5km→」が現れた。その脇にゴッツイ送電線巡視路標柱が立てられていた。

     真赤に錆び付いた小さなH鋼が鉄塔標柱として立ち.そこに「自然を守ろう!」の標語板が張られいる。
   手書きで頭には黒マジックでやや薄れ「3→」とあった。

     この標柱は南高尾山稜と並行して走るjr高尾分岐線の3号鉄塔への巡視路を指している。
   jr八一上線51号鉄塔から分岐し.朝方裏高尾から入山した小仏バス停広場の脇に建つjr高尾変電所と結ばれた分岐線の終番になる。

   小コブを幾つも越えるトレース.12:46
    鞍部先のコブ.尾上峰510mは雪被る小コブか.気が付かずに通り過ぎている。天空は蒼さを増し.雪片の煌きは更に強くなる。

    コンピラ山514.7m
   ザック吊りは埋まり.テーブルとベンチがある.12:51

     後日.無雪期の時の写真を拝見させて頂いたところ.長テーブルがあり.それを囲むようベンチが設けられ.その数の多さに驚かされた。
   狭い山頂のほとんどを占めている。それがこの写真で想像できるだろうか? ベンチの背を囲むようリュック掛けは背丈以上に高くある。

   中沢峠手前で.13:00
    南の巻き道を敬遠して.そのまま頂稜に乗り峠にでる

     道標「←城山・大垂水峠.作業道↑.梅の木平→」が立ち.腕木に「作業道(行き止まり)」とある。これも鉄塔巡視路と思われる。
   中沢峠の東尾根.500m圏コブに乗る高尾分岐線2号鉄塔? 本線51号鉄塔からの分支線で.主尾根とほぼ並行して送電線が連ねられていた。
   この先でjr本線は主尾根の国境尾根を跨ぐよう52号鉄塔が建ち.鉄塔基部は縦走路を塞いでいる。

     ここで漸く雪質が安定し,尾根上の積雪も似た状況になったので.カンジキを外すことにした。
   城山から下る途中からカンジキを履き.峠越えをして.時間は予想より遥かにオーバーし下り返してきた。

     天気が回復は強い日差しに変わり.却って雪質を悪くし.湿雪が浪費を増やしている。それでも久し振りの雪の感触は心地よい。
   この為に高尾山へ遊びにきた。後は雪質が落ち着けばよいのだが。硬雪から軟雪へ.更に夕方はなれば再び溶雪は凍りのだろう。

    高尾山
   案内川を隔て見上げる.13:23
    横切るのjr八王寺-大月線の51号鉄塔から小仏のjr高尾変電所に送電される高尾分岐線.

    中澤山494mと名手山
   手前の小コブより.13:25

     中沢峠からやや藪気味になり.右(南)側に回り込むと.2つ目のコブが名手山(なでやま)で.直ぐ観音石像が安置されている中澤山に立つ。
   観音像の背には「武相国境東縦走路開通一周年記念.昭和10年5月8日建立」と記念棒が立つ。

    石老山の稜
   津久井湖の広い河岸段丘.増原地区.13:27

   振り返る小さな浅沢峠分岐.13:34
    案内川中沢川コースの道標と・赤い「鳥獣保護区」の看板

     ひと下りで中沢峠にでる。正面が下ってきた尾根筋.左が巻き道にだった。
   右下の道標には案内川の支流中沢川沿いに甲州街道.山下に下るルートを示していた。

     「三井水源林」の案内板から左に下る。3コースにに分かれるが.どのコースを取っても名手橋にでられるらしい。
   当然今日はトレースはない。昼下がりの木洩れ日が照り付ける峠路。風を通さず.腐る残雪に綴るトレース。汗をぬぐい1本取った。

    jr八王子一上野原線線52号鉄塔
    
    鉄塔の背は494m点コブ               鉄塔の頭と巨大なガイシ.13:45

    中沢川右岸流域と東高尾山稜・・八方台と草戸山
   52号鉄塔基部より.13:46
    大きく左回りに巻き込む南高尾山稜
    案内川右岸沿いに48号.49号.50号と連なり.左へ分岐線を延ばす51号鉄塔が手前に見下ろされた。

     jr八一上線と分線
     jr八一上線は66KV2回線の送電線で.この辺は殆ど廃線の旧谷村線沿いに山道は綴られている。
   jr八王子変電所からの送電線は北側へ延びる北高尾山稜の342m圏コブの北側を乗り越え.中沢川の右岸沿いを遡っている。
   そして再びここ南高尾山稜の52号鉄塔の基部を越え.相模川を渡り相模湖々畔からjr上野原変電所と結ばれていた。

     手前の51号鉄塔は又分岐し.高尾山の主尾根を越し.城山北東尾根(10号と11号)からスズカ沢を下り.小仏沢沿いの裏高尾に降りている。
   朝方入山した小仏バス停隣りのjr高尾変電所と結ばれている。

    大洞山と金毘羅山(大洞山)
   右景・・52号鉄塔を振り返り

   左景・・大洞沢.13:52
    中央は新多摩線57号鉄塔

    新多摩線
     大洞山少し南側から南方に延びる尾根上.382mの中腹に建つ新多摩線57号の巨大鉄塔。
   相模川北面を綴り.新秦野変電所と新多摩変電所を結ぶ送電線。500KV×2.鉄塔91基.

     数年前は丹沢最東部に位置する鍋嵐周辺を歩んでいた。そこは常に新多摩線を望み.繰り返し登り詰めた山々がある。
   手前で先程のjr送電線と交差している。又手前に53号鉄塔の巡視路標柱があり.

   西山峠・・赤い「鳥獣保護区」と縦走路の左手を臨む.13:56
    振り返り右手は梅ノ木平へ下る下山路.左手は名手(なで)側に下る。展望はない。

     植林に覆われた西山峠は仄かに薄暗い峠だが.今は木漏れ日をサンサンと受けている。見上げると雪斜面に煌めき.雪白さが眩しい。
   西山峠の峠路は津久井川側の三井集落と案内川側の入沢川沿いに下った山下の集落と北側の中沢沿いに下った梅ノ木平を結んでいる。
   昔から高尾山の参詣の道として.又甲州街道の近道として.交易路としても栄えていた。

    送電線鉄塔
     峠の左端に立つのはL鋼のjr巡視路標柱「緑を大切に.火の用心」の標語の上に本来の目的の手書きの標柱に「←53.52→」とある。
   南側の相模川沿いに下るjr八一上線53号鉄塔への取付き地点で.送電線巡視路が左の相模側に綴られていた。

    旧谷村線鉄塔
     縦走路はここから南側にあるコブの手前で.左に巻いている。直進すると旧谷村線359号鉄塔が小コブに建てられている。
   当然トレースはない。それどころか深い積雪に覆われていた。距離にしては殆どないが。

     それが壺足になり膝まで潜る。コブ陰の吹き溜まりで.気を抜くと腰下まで埋まり込む。動けなくなり足が抜けなくなった。
   大垂水峠の下りでカンジキを付てていた時も,何度が同じことを起こしていた。手で掘りで起こすしかなかった。
   また落ちたと笑いだす.もう一人の自分がいた。融雪し裸土になれば如何いうこともない場所かもしれない。それでも現実に潜っている。

     JRの送電線は旧谷村線の送電線沿いになぞるよう鉄塔が建られ.旧線の鉄塔は撤去されず残されていた。
   それ故.旧谷村線の原型鉄塔がこの辺には多く残存している。廃鉄塔と並ぶ時もあれば縦走路にもある。

     昨年9月.この旧谷村線の延長線上の桂川右岸沿いの尾根.九鬼山手前の千匹休場で.やはり藪絡みの中で旧谷村線鉄塔と出会っている。
   小さな鉄塔で骨組みも細かった。それに類する鉄塔が見られる筈だった。一見の価値がある廃鉄塔にも思われるが今回は綴るのを諦めている。

    左下の名手.津久井湖に至る斜面台地は三井水源の森
   突然切り開かれた見晴台を振り返る.14:22〜:34

    浅川峠?
     稜線を巻いて東へ緩やかに下ると三井水源林の下山口に当たる鞍部にでる。西山峠の直ぐ手前.460m圏峰と510m圏峰の鞍部.
   「三井の森」の標識があり.浅川峠との関連は? 古くから由来ある峠だがこの付近と云われるだけで.本来の「浅川峠」は何処にあるのか?
   又この北側の踏み跡は何処からか分からないでいる。

     三井から浅川へ行く古道は大沢入沿いに北西に進み.440m圏峰(446.2m)に達した後.北に延びる丁奈尾尾根を通っていたと思われる。
   又「三井の山」は三井の背後の山だという。三井の背後の山々の総称らしく.特定ピークを指す呼び名では無いようだ。

     山と高原や国土地理院の地図には「三井の森」の遊歩道が記されていないが.名手集落の案内板があり,管理されていた。
   浅川峠? を過ぎると低い雑木に覆われ.南面は積る雪も浅くなっている。

    見晴台
     名手への分岐を分け.山稜の510m圏コブ手前の南側巻道には幾つもの丸太が並ぶ見晴台がある。津久井湖が足元に迫り.大きな広がりを見せている。
   眺望は霞む河岸段丘を雪明りで.更に広く見せ付けていた。その先には道志の里山が望まれる。

     山中でここ1ケ所だけが雪解けの裸土を見せ.展望よく誰もが留まる所だろう。
   簡易的なベンチが長く作られ.日当たりもよい。少し除雪したのか.天然かは分からぬが.この短い距離だけは融雪していた。霞みは強い.

    津久井の街並みから丹沢山塊を遠望
 

     眼下に津久井湖と道志橋. 前面に三角錐の石老山.後方には大山から丹沢山塊のパノラマとなり広がる。展望台より.
   大室山の背後には富嶽も望めるという。湖畔と津久井の街並.

   野尻地区アップ・・晩秋の湖畔風景

   改修が始まる古い木段.15:16

     「首都圏自然歩道」の看板のある鞍部から再び南高尾山稜に乗る。少し分かりずらいが次の小広い入沢山490mは縦走路が南側肩を横切る。
   分岐から少し左奥にはいれば頂に立つ。奥の483m点峰を擁する北東尾根は私有地で入山は禁止されている。

     続いて登山道は南側に少し突き出す高山473mの尾根筋を綴っている。南側を巻いてきた三井水源の森からの合流地点.西山峠にでる。
   今回は右の山腹を回り込み.三井水源の森を横切って.津久井湖の湖畔を見下ろす雪景色を味わっていた。
   背稜には幾つもの小さなアップダンを繰り返し.小さなピークでも巻道が付けられている所があったようだ。今回はトレースのあった所だけを選び歩んでいる。

    三沢峠.追分.金毘羅台
   雪原の広場340m.15:33

    ベンチのある泰光寺山を乗り越え.細かく立つ幾つもの道標を追って.三沢峠にでる。
    左に下る道標には「←城山・大垂水峠5.3km.梅の木平3.1km→」とある。甲州街道にでるがバス便は少ない。
   又城山湖の南岸へ下れば城山発電所にでて.谷ケ原バス停へ。私は「大戸の青少年センター」を目指す腕木を初めて見付けている。

     「山路の改修工事」が行われている標示を見て.山道を下ると南側の巻道と合流した所に修理用に加工した木材が山積まみされていた。
   新しい木段の取り替え作業が始まる用意がなされていた。

     又右後方から確りした幅広い作業道が合わさると左手には.神奈川県「水源の森づくり」による買い取りの看板があり.更に右にも看板を見る。
   そこは登山道ではなく.水源林巡視路が示されていた。そして道幅は次第に広がり.幅広い防火帯から草戸峠にでている。

    榎窪山裏に立つ道標と三沢峠下分岐
   広場の中央に立つ道標類・・三沢峠下分岐

    三沢峠
     三沢峠は広く切り開かれた平坦地で雪原化され.5つのコースが交り合っている。2つの稜上の道は右手が峰ノ薬師参道。左手が縦走路.
   道標に「←高尾←草戸山」.「関東ふれあいの道・梅の木平へのみち・津久井湖」.「城山湖」.「同じ文字」.「峰ノ薬師・津久井湖」とあり.
   それに南からの巻道がある。「新ハイキング」松浦本によると三沢峠の東.峰ノ薬師からの道と尾根道の合流した地点が「新三沢峠」と示していた。

     道標は多い。その上幾つも行き先を連ねているため.先を探すには以外と少し分かりずらい場所だった。幅広い防火帯に先を求めている。
   先程来.まだ大地を覆う積雪は以外に多いが広い防火帯に入りと.雪が積もるも分かるようなった。それだけ整備されていることになる。
   ほんの少しの登りで榎窪山430mに立つ。雪に覆われ肩のようなコブならぬコブ。尾根筋は顕著に左へ方向を変えているのが分かる程度。

     この峠路は軽ハイキングコースとして戦前からよく歩かれているとのこと。扇状地形の特徴ある梅の木平を起点に峠越えして.峰ノ薬師北山道口に至る。
   三沢峠は道標に「梅の木分岐」とあるが「追分」.「金平比羅台」とも呼ばれていた。
   又梅の木平からjr線40号.41号鉄塔に至る巡視路のある尾根は途中に私有地があり.入らぬ方が無難かも。主尾根330m圏コブから北に延びる尾根.

     ここからは「野鳥観察休憩所の看板が立つ右下の林道に入れば城山湖南岸の城山発電所にでて.舗装から谷ケ原バス停へ至る。
   又南側に下れば津久井湖に下る峰ノ薬師参道を分けていた。私は遊歩道のような防火帯に入り主尾根を北上した。
   台地にはまだまだ浅く積もるも残雪が面をなし.まだ.裸土は見られなかった。大らかに延びる尾根に.これまた緩やかな雪の起伏を乗せで下っている。

     漸く歩き易くなった。ただやはり本筋から外れると仕返しがかえってくる。それも残雪で腿あたりまで潜るり.まだ掘り起こすのに少々手間が掛った。
   半ば潜った木段は以外とストップがバランスを取るのに重宝し歩き易かった。傾斜が付けば足裏への反復がなく.滑る感じが足を早めてもいた。

     「関東ふれあいの道」を左に分けるこの南高尾山稜は一般的なハイキングコース. 恐らく大垂水峠から坂道は常に木段がその都度綴られていたと思われる。
   ただ積雪が深く.雪底の地形は全く分からなかった。殆どがカンジキを履き越えていた。

     草戸峠の防火帯にでてから時折雪解けの雪穴に.それらしき丸太を見るようなる。
   はっきり見定めるようなったのは草戸山を越えてから。それも下山が近くなると再び雪埋もれる台地になり臨めなくなっている。
   この辺に首都圏中央連絡自動車道(八王子Jet〜津久井湖北面間)が潜っている筈だ。一時.高尾山の自然保護で大いに揉めた場所になる。

    草戸山と大戸緑地・・境界尾根を下端まで綴り.大地沢の谷戸へ下る
   「松見平休憩所」.城山湖西岸からの八王子方面の展望.15:40〜55
    東屋の右脇に見る古い鳥籠類

    松見平休憩所の東屋
     遊歩道は以外と長く.黄昏も迫りだしていた。その折,右手が開けた台地にでる。屋根付きの東屋があり.今日初めて乾いたベンチに座っている。
   足元には城山湖が望まれ.ダムの青水を垣間見れば.遠方には八王子の市街地が夕日に照り付けら.明るい広がりを見せていた。
   地平線を思わす仄かに明るい関東平野が更なる広がりを見せ幾らか赤味を帯びて.淡く朧に霞む姿。そこに比べ私の足元は黄昏が迫り薄暗い。

     薄暗さが迫りつつある中.何もせず1人ジッと見詰めているのも可笑しく思われた。
   最後のサンドイッチを口に入れ.ザックの端に膨らんでいたビールを見付け一気に呑む。ジュワァと泡が立ち.喉を潤す。
   冷たく飲み切れぬかと思う間もなくなく空になった。日没は17時半.もう直ぐ帳が落ちる時間帯を迎える。早々に呑み干し席を立つ。

    特長あるアンテナが建つ峯ノ薬師近くにある2つの電波塔群
  黄昏の山頂.松見平展望台より洛陽した台地.16:15
   草戸山と大戸緑地・・境界尾根を下端まで綴り.大地沢の谷戸へ下る。
   松見平展望台の北側二俣に立派な鳥居を持つ「山の神」があり.左は境川源流口.右が都県境尾根口に至る。

    高尾山
   同.草戸山365mは別山名は一年山

    草戸山
     草戸山は町田市の最西端に位置し.又最高峰364mの草戸山. 片瀬江ノ島海岸.西浜の縁を河口として注ぐ大地沢(源流の境川)は草戸山を源としている。
   大地沢の上流域は谷戸が広がり.谷戸とは丘陵が浸食された谷状の地形で.かって開田が進み日本的な耕地の景観を作りだしていた。

     この低山に囲まれた地域には「大戸緑地」・大地沢青年センターを拠点とした散策路の整備が進んでいる。
   その青年センターに最後の残雪を踏みしめ下った。草戸山越えしてからは急に雪原化した台地に.道標類が整い.心強く助けられている。

     南高尾山稜は草戸山から北へ進むみ.草戸峠から北東に延びる市界尾根(八王子市と町田市)で.権現平を経て権現谷に没している。
   更に左前.高尾方面に歩むと案下川側はjr八一上線39号鉄塔を過ぎ.廃鉄塔を潜り.初沢川西側尾根を下って四辻(高尾峠)にでる。
   右前は八方台342.9mを経ての踏み跡を綴る東側尾根とのこと。

     四辻で尾根と離れ左に折れれば甲州街道から京王線高尾山口駅に下りられ.更に四辻を北上し.住宅地から下山するか,
   再び尾根に乗り初沢山263.1mから「みころみ霊堂」にでれば,jr高尾駅南口に至る。又は山ノ神脇の階段から城山湖方面に下ると直ぐ境川源流口にでて
   大地青少年センターにでられるが積雪から考えると初めてのコースとしては無理だろう。。

     私は草戸山から左に折れ.境界(町田市・相模原市)の東尾根へ入り.その間々町田市側の城山湖周遊歩道へ回り込むことにした。
   見続けてきた「梅の木平」の道標は「大戸・青少年センター」に変わり.方に延びる緩やかな小コブの雪原を点々と綴ることになる。
   伐採地跡のような広い尾根筋. 見晴らしはよいが既に薄暗い重い雲に覆われていた。又標識は多くなり.町田市の熱の入れようが伺えた。

    城山湖北岸の武甲国境尾根
     尾根の下端へと回り込む
    草戸山364m             340m圏コブ.17:00

     最初の小コブ
      三沢峠から3ケ所ほどの階段状の急坂尾根を下り返すと340m圏の草戸山肩にでる。肩で尾根はY字に二分されていた。
   左手は草津峠から北上して東高尾山稜へ。初沢からJR・京王高尾駅にでる。右は城山湖の北岸を綴る都県境尾根。
   「大戸」の道標は城山湖北岸尾根沿いを指している。又肩下の分岐は右下(南)側の城山湖々畔へ下りている。ただ何んの標識も見当たらなかった。

    城山湖
     分岐から百階段を下ると城山湖の北面湖畔に向かうと寒ざらしく「はなさき休憩所」だけが.取り残されているようあった。
   黄昏だした湖面はどんより雪原化していた。人の気配どころか踏み跡すら見付からず。
   大地沢周遊歩道は湖畔(人造湖)から南岸の尾根を登り.三沢峠から草戸山へ回り込んでいる。

     「はなさき休憩所」からの下山路として.東面の本沢ダム(ロックフィル式の揚水発電所)を経て.大戸bsから雨降へ雨降林道で北上している。
   又大地沢林道との合流点がある青少年センター入口bsから少し下ると左手に大戸緑地がり.上大戸バス停地区へでられるらしい。

     もう既に16時を回っていた。周りは明るさを失い黄昏だしている。登り「20分」の距離を城山湖分岐まで戻り返し.青少年センターに降りた方が無難と思われた。
   城山湖分岐から右手の境界尾根筋に入り.一面雪原化した里山の丘陵を綴る。歩き易く.ずり落ちそうな尾根をやや滑り気味に駆け下りた。
   そして2つ.3つと雪被る小丘を越えている。

     都県境尾根の最初の340m圏コブはロープのある急登で登り.今日初めて雪面から顔を出す石抗を見ている。神奈川県企業局三級基準点.
   草戸山に説明のあった坑の語りは.ここでは当てはまらなかったようだ。要領が得ず終えている。
   漸くここだけが雪面から石柱が顔を出し.石柱は黄色ではなく.塗られぬ裸の石柱が姿を現わしていた。

    初武相国境尾根の末端・・沢川東側尾根
   一時夕焼けも薄れ黄昏日を浴びる最後の320m圏コブ.

     都県界尾根下端の小さな320m圏コブにづ。石柱は積雪の下.埋もれ見当たらなかった境界尾根を其の儘下れば大地沢と雨降沢の出合で.
   大地林道と雨降林道とが合わさるり.更に下ると上大戸から県道48号線(鍛冶谷相模原線にでて.県道47号線(町田街道)にでる。

    里道へ
     草戸山からは幾つもコブを越えて来た。尾根筋を綴っていた周遊歩道の下り口が.292m圏点の小コブになる。.
   幾つもの雪坊主の丸いコブを越え.雪坊主の頭に「←大戸.草戸山↓」の道標だけが中央にポッンと立つ。里に下りるルートにでていた。

     主尾根の延びる北側もこの先で終えている。武相国境尾根からの末端を左に折れ.一気に下る気持ちで枝尾根を駆け下りた。
   尾根伝いからのルートは歩き易く.無事終えると思われたが.最後にそうはさせぬと積もる雪塊りの.吹き溜まりにでて..再び壺足になった。

     トレースを踏むも片足ずつ潜り.進むことを最後は拒んでいた。それでも気だけは小走りになっている。
   そして見下ろす先に巨大な青少年センターの屋根が姿を現した。

    大地沢青少年センター
   下り終えた青少年センター前.221mの登山口.17:14

    大戸登山口
     幾度となく見続けてきた道標「青少年センター→」が巨大な大きい町田市大地沢青少年センター目の前に見下ろされていた。本館前が登山口.
   大地沢の各周遊コースを示した道標が幾つも重なるよう立てられている。大地沢周回の各コースの起点.終点がここになる。

     朝方の小仏峠の取付き地点以来. 初めて踏む除雪された登山口。除雪された舗装の大地.大地沢林道に下り立つ。
   左奥が草戸山からの境川源流で.流れ落ちる河口は江ノ島電鉄前の西浜と東浜との境に流れている。

     センター玄関前で洗顔させて頂き.喉を潤す。裏高尾から入山したと答えると驚いていた。距離ではなく.大雪の為だろう。
   上大戸バス停へ下りる。重い足が急に軽くなった為か.安心感か.攣りそうになる足.気を使いロングスパッツは付けた間々里道を歩む。

    真近に見られる「小仏層」の実物
   大地沢林道脇にて.17:17

    小仏層と高尾山
     大地沢沿いに大地沢林道下る途中で.林道の右側壁に「小仏層」と説明される大きな実物の層壁を見る。
   1億3千500万年から7000万年前の中世代白亜紀の頃は海底にあったと推定され.少しづつ地層が堆積したのち大規模な地殻変動で隆起した。
   町田市内で一番古い地層のようだ。頭だけ読み時間が欲しく.通り過ぎている。

     帰宅後.高尾山周辺のこの「小仏層」を改めて調べてみると1億年前の「中世代白亜紀」まさに当時は恐竜時代。
   陸側プレートの下には太平洋プレートとフィリピンプレートの2つのプレートが刻み込まれていた。

     この地殻の復循環運動によるプレートの境が横ズレを起こし.「互層」の砂岩と粘板岩が定間隔で交互に堆積した堅い地層で.
   傾斜角70〜80度とほぼ垂直に立ち.縦溝は又周りの現在の水の豊かさのを示している。

     高尾山は植生が豊かで1600を超え,スミレだけでも80種類の植物か確認されている。その数はイギリス全土で自生する植物に匹敵している。
   カシなどの照葉植林とブナなどの落葉植林.モミ.ツガなど中間層がその境にあり.3つの大きな林層と豊かな水に恵まれた地形に位置していた。
   又昔から政略的にも恵まれていた。北条氏から薬師院に譲渡され.周りは杉.檜の植林帯に囲まれる中.現在でも自然の自生が守られている。

     それは又動植物の繁殖する豊かさをも持っている。高尾山ではリフト山頂駅から薬師院までの尾根径の左右の崖によく見られる。
   「小仏層」の名は小仏峠から取り.類以する地層としては四国の「四万十層」がある。

    大地川源流の境川左岸尾根と家並み
   上大戸のS字道路口より日没を迎える
    この奥に草戸峠から綴る八王子市と町田市の市界尾根が横たわる。

    里道
     大戸緑地を直進すると大戸晩鐘から町田街道の先は法政大学のバス停。左側に抜け.相原町上大戸.Y字の交差点にでる。
   右上から下りてきた道路が城山湖々畔からの雨降林道の起点があり.又付近には春になると「城山カタクリの里」として賑やかさを増すと云う。

     大戸行バスには神奈川中央交通と市民バスがある。jr横浜線相原駅で大戸行バスに乗り換え.「青少年センター入口」に下車するとのこと。
   或いはjr相原駅下車.5分程歩いて町田街道沿いの相原バス停から乗車して20分.上大戸バス停で降りていた。
   逆は地元の人にバス停を尋ねると三ケ木経由で京王相模原線.橋本にでて八王子か小田急に乗り換える。或いは徒歩40分ほどで高尾駅にでると。

     説明を聞くも初めての地区で.山を下りたばかり。今いる場所さえはっきりせぬ方向音痴なっていた。
   その上バス路線処か.鉄道路線もよく分からぬ私。初めての場所に降りていた。山中と違い.説明されても如何したらよいのか.判断さえできぬ,愚かさ。
   決断し命令してくれればよいが時間だけが過ぎてゆく。ただ分ったことは高尾駅まで歩くこと。

     説明を聞く間にバスが通り過ぎた。解決にはならぬが歩くのが一番早いと考える。
   S字状に北上し.中央共同組合.学園本館.立志舎2.3号館を抜けた。突き当たりが町田街道.都道47号線で.名なしのT字交差点にでる。
   この北側は拓殖大の広大な敷地が広がっている。出た所で再び.近くの駅を尋ねると.左折し真っ直ぐ進めば京王高尾山駅にでると聞く。

    ヒッチハイク
     2人の若者に誘われ便乗させて頂いた。街道は丁度ラッシュに掛かり渋滞気味. 青年は進まぬ先にスタート毎にアクセクを深く踏み.ターボを唸らし続けている。
   彼等は若い.学生風でもある。上野から来たと知り.私を京王線駅の東浅川交差点から更に1つ先のガード近くの信号「jr高尾駅」まで送り.乗せて頂いた。

     更に1つ先の交差点.ガードを潜ると甲州街道の十字路にでる。町田街道の入口になる。
   とっぷり日が暮れ.jr高尾駅南口から改札する。入山はjr高尾駅北口からだった。運よくホームに始発の特快が入線し.私を待ち構えていた。

    17:44町田街道.ヒッチハイク=18:01jr高尾.特快18:04=19:00お茶ノ水.

     大雪に見舞われてから10日経ち.まだ取付きから下山口まで裸土を踏まずにいたのも珍しい。最後まで雪と戯れ下りたことになる。
   それが高尾山。東京近郊の低山は信州の裏山を歩んでいるような気さえ起こさせていた。東京とは思えぬ雪の白さ煌きは嬉しかった。

     高尾山へのハイカーはまだまだ積雪多く少ないだろう。雪解けは進むも.今でもカンジキ付きでの壺足状態が続いている。
   却って今日の馬鹿陽気はトレースが潰れ.馬力のいる壺足が積雪の深さを物語っていた。
   雪山のフルコースを味わってきた。スノーシュがあれば更に面白かっただろう。

   地図山と高原「高尾・陣馬」.南高尾山稜zzz30.jr高尾駅までzzz31.城山北東尾根zzz28. 革登山靴ハングワ・・30.807歩
   輪カンジキ.6本アイゼン. テルモス.茶500cc.サンドイッチ

     今回の概念図 高尾鳥獣保護区 陣馬相模湖ウオーキングマップ
     未トレースの小仏峠から大垂水峠
     最後まで新雪を踏み.南高尾山稜から草戸山東尾根・・大地沢青少年センターと町田街道.ヒッチハイク