| 都心から1時間.積雪1mの世界は高尾山 「平成26年豪雪」.積雪100cmとカンジキの世界. 小仏峠から草戸山東尾根 ・・高尾山周辺Top 奥多摩〜高尾山概念図.山行表 2月の下旬に豪雪を齎した奥多摩地方はその後3月一杯は高尾山の豪雪から戸倉の春雪.更に朝方氷結した鷹ノ巣山と残雪期を楽しませる山旅が続く。 路線バスの開通と共に入山し.裏高尾の雪深い小仏峠から大垂水峠越え南高尾山稜の武相国境尾根を綴る。 城山から大垂水峠を越え南高尾山稜―西山峠.三井水平歩道.草戸山から境界尾根末端の大地青少年センターへ 2014年02月25日.松村 末トレースの小仏峠から小仏城山と大垂水峠・・カンジキは腿まで潜るラッセル.脱げば膝又 最後まで新雪を踏み.南高尾山稜から草戸山東尾根 大雪で荒れた10日間 先週.再び太平洋沿岸には南岸低気圧が発達しながら通過し. 関東甲信地方は大雪に襲われ.各地に甚大な被害をもたらした。 14日深夜から15日朝にかけ.甲府市で最大積雪量は14日未明2cmだった積雪が111cmに。.27cmの前橋では73cmと新記録を樹立する。 又東京都心でも20年振りの大雪.27cmを記録した 東海.甲信地方の新幹線.在来線の運休が相次ぎ.高速道.国道は車が各所で立ち往来し.動けなくなり陸の孤島が続出した。 大雪後の遺症は酷く各市町村に豪雪災害本部が設立され.中央東線は数日間.新宿から塩尻まで全面不通になる。 一週間かけ徐々に回復し.最後に残った奥多摩線(青梅=奥多摩間)・身延線は21日に開通。22日には小仏線の路線バスも再開された。 16日(火)21時現在の高尾駅・・小仏城山をピストンしたHP「晴れのち山…時々妄想」氏の一コマ。高尾〜小淵沢間が終日運休. ホームの屋根が雪の重みで崩壊し.東京方面の電車が入れず遅れて入線。改札口の脇に「上野原駅で立ち往生する電車の写真」が 運行状態を聞かなくとも分るよう貼られている。北口のバス乗り場も雪の重みで倒壊した。 22日(土)に入ったyamahero氏のHPによると高尾山では積雪は概ね30〜80p.吹き溜りは100p位. 城山から大洞山の間が大分深く難渋したと云う。 月曜の通院を終えた翌24日.久し振りに雪を求め不通後.初めて始発路線バスで北高尾に入る。 小仏から旧甲州街道に入り.小仏峠から城山を経て.南高尾山稜をトレースすることにした。 下山は大垂水峠から武相国境尾根伝いに南高尾の里山.草戸山から城山湖に寄り.大地沢青少年センターに降りている。 1030hpa×2の移動性高気圧に覆われ.全国的に晴れ渡り.日中は穏やかな陽気に恵まれた。 予想通り.アプローチから擦れ違うハイカーは数えるほど。信州に出掛けたと考えれば真近で大雪に出合うことができた。雪塊に奮闘し.1人戯れる。 jr高尾駅北口広場.京王バス停前.7:112月25日(火).快晴 jr御徒町5:30=5:34神田:35=6:52jr高尾7:12=7:33小仏bs 朝方の気温が零度を超し.今までの寒さが嘘のよう。jr御徒町駅ホームに立つと暖かい。1ケ月振りの山行は春らしき気分をもたらしていた。 御徒町駅ホームでは大々的に行われていた留置線のレールの交換工事を終え.工事用の囲い等も撤去され.すっきりした景色になっていた。 上野東京ライン 山手線.京浜東北線の外側.3本のレール交換及び工事は数年振りに終え.東北・上越・常磐線が東京駅まで乗り入れる準備が整えつつある。 上野駅発.前橋行の回送電車が目の前を通過すも.路線全てが新しく改修され何か清々しい。 上野駅を起点とする東北本線系列(高崎線.宇都宮線.常磐線)の列車は留置線を利用し.起点駅は上野駅から東京駅に変わる。 「上野東京ライン」の愛称で東海道線と相互直通運転が実地され.常磐線は品川駅止まりに変わり.山手線・京浜東北線の通勤.通学の緩和策にもなる。 又御徒町駅と同様に神田駅の改修工事も大分進んでいきた。知らぬ間に中央線ホームのエレベーターとエスカレーターが完成.私にとっては今日が初乗りになる。 景信山 小仏沢左岸沿いの旧甲州街道より.7:27背稜は600m圏に茶屋があり.小仏峠548mと671m点コブ。左手が城山北東尾根末端. 旧甲州街道は県道516号・浅川相模湖線で街道の右前方にバス停「小仏」とjr高尾変電所がある。 アプローチ 今日は路線バスの関係で30分ほど出掛けるのが遅い。高円寺あたりで白みだし.武蔵境付近に至ると北側に纏まっている残り雪を見るようなる。 jr高尾駅北口発の京王バス.小仏行きは7時12分発. 中央線は7時10分着で.2分の間に改札を抜け.バスに乗らなければならなかった。 初めての乗り場で不安もあり.南大沢営業所にお問い合わせると「直ぐ先に病院もあり.ピッタリ時間通りにでます!」と返事が戻ってきた。 もっともなこと。私の方が可笑しいのでは。「ただ10名以上の団体さんは電話が欲しい。」と云っていた。 増便はできるが乗り切れないことが暫しあるらしい。前の電車に乗れば18分の余裕があり52分に着く。 暖房の利いたホームの待合室でオーバーズボンにロングスパッツを付け.用を足せば時間になった。 旧甲州街道 駅北口広場から発車した路線バスは左折して甲州街道.国道R20線に入り.西浅川の交差点で旧甲州街道の分岐にでている。 そしtr左折し甲州街道を分ければ.小仏沢左岸沿いの旧道を走り.駒木戸で中央道の八王子Jctを潜っている。 左側が南浅川沿いになり.街道の右手に軒を連ねる家並は以外と長い。 右手から支流の小下沢(小下沢林道).左手から日影沢(日影沢林道)が合わさると本流の谷間は狭まり.旧街道に積る残雪が増してきた。 初めは日影沢出合から小仏城山の北東尾根を登る積りでいた。ただ桁違いの積雪で時間の目安ができず諦めている。 旧街道の民家から外れると右手にjr高尾分岐線が入るjr高尾変電所を過ぎている。ここはjr小仏トンネル口手前に位置し.その先隣りが小仏バス停だった。 昔道は駒木野宿からは小仏峠越えれば相模湖の湖畔.底沢へと綴り.相模の小原宿に通じている。 jr高尾変電所 終点286m小仏バス停横.7:30白い柵は高速中央道下り線.その桁脇下手前の開閉所の奥側にjr中央東線の小仏トンネルがある。背は景信山の東尾根. jr八王子大月線高尾分岐 近くから臨める鉄塔本体は高尾変電所構内に建つ.送電線66KVの高尾分岐線の終番.14号鉄塔。 この送電線はjr八―上線鉄塔からの高尾分岐線で.これから私が向かう奥高尾の主尾根を越えた南高尾山稜に乗る51鉄塔からの分岐線。 この支線鉄塔には城山北東尾根に10号鉄塔が建ち.奥高尾山稜の526m圏点西を抜け.南高尾山稜の枝尾根に建つ51号鉄塔から分岐線。 本線は新多摩線と交差し.津久井湖と相模湖を渡り.左岸のjr上野原変電所と結ばれている。 小仏峠登山口369m.右がヤゴ沢作業道の起点.7:48小仏峠から大垂水峠 7:33小仏bs一7:48小仏峠取付き一8:20小仏峠一9:00小仏城山9:10一9:18高尾山分岐一10:50大垂水峠. 旧街道 旧甲州街道の小仏の集落は日本橋から12里の地点になり.駒木野宿があった処で.路線バスは抜けてきた。 乗合バスには私を含め中高年男女3人のハイカーが乗車している。私にとって久し振りの同乗者。各々が単独行者だった。 着いて2人とも身支度を整えている。私は先に出発させて頂いた。 小仏峠への雪径を歩き始めると左手の不動ノ立木に入る手前に浅川神社あり.その先には宝珠寺が建立されている。 「八王子辞典」によると天明4年(1784年)に小仏峠山上に奉斉した浅間社と麓に鎮座した子神社を明治45年に合祀し.浅川神社と改称。 その後.中央高速道建設のため現地に奉遷された。境内には湧水が流れ.浅川の地名の起源であることから浅間神社と名称が付けていた。 浅川神社の100m先には広い境内を持つ宝珠寺があり.参道の左脇に都指定天然記念物の「小仏のカゴノキ」が聳える。 今朝は入山早々で.大雪にどれだけ時間を費やすか分からず.立ち寄らず直接山へ入っている。 JRの小仏隧道は先程,左脇に潜るのを見送っている。中央高速道は右手に見上げている。間の旧道は大きくS字状に描かれ傾斜が増してきた。 除雪された坂道は谷間の左岸沿いに進むが山陰に当たり.路面はコチコチに凍っている。 澄んだ氷面は透けて路面を映し.よく見ないと氷がないような錯覚を起こさせ.ツルツルだった。足を乗せるだけで初鼻から転びそうになる。 コンクリートには小さな1p弱の青石が混ぜられ滑り止めとして舗装されているものの.人の重さでは引っ掛かりにもならなかった。 氷表に残る雪面を繋ぎつなぎ乗せてば進んでいる。 3人のハイカーが上から降りてきた。早い下りで尋ねるとこの上に駐車場があり.南東尾根から景信山に登ると云う。 互いに「気を付けて!」と挨拶を交わし.小仏峠の登山口より山径に入る。ここを境に足元だけでなく.周りは雪積もる山懐に変っている。 小仏峠への真新しいトレース.8:11入山 小仏峠越えのコースは綺麗にトレースされていた。ただ積雪は多く腿までの深さ。それが純白の大地に深い溝を築き.積雪の多さを示している。 薄暗い谷間も雪表の反射で明るさを増し.針葉樹の緑色も合わさって素敵な雪被る杉林の裾を登っている。 何かわくわくさせ気を押さえることができなかった。高尾山で.これほどまでに多い雪に恵まれるとは今まで考えたこともなかった。 東京近郊の雪山に入っている。それを考えるだけでも感動もの。程なく小仏峠にでる。 小仏峠 ![]() 左手が底沢.陣馬山方面. 右手が裏高尾.小仏に至る・・8:20 小仏峠548m 峠名は僧行基が峠に宝珠寺を建て.小さな大日如来仏を安置したからとも云われ.大善寺を創建された真言宗の古刹。 又昔.富士講の行者がこの峠に登って富士を遥拝したことから富士峠とも呼ばれていた。 城山に「富士見の関」という関所が設けられていたが江戸時代になると小仏峠に移り.その後現在の駒木野へと移されている。 武田信玄が関東地方の遠征の際.1569年(永禄12年)甲斐の国.大月の岩殿城主.小山田氏の隊が八王子に向い。 対する滝子城主の北条氏照は当時一般的だった奥多摩方面からの侵入を予想して.戸倉城に兵を派遣している。 結果的には小仏峠越えで攻められ.滝川城は籠城することになる。 その後小仏峠は甲斐国と武蔵国の物流を含めた要路になっている。江戸時代には甲州街道のルートとして定められていた。 1888年(明治21年)には当時の国道16号線(現在の20号線)の大垂水峠を経由する緩やかなルートに変更されてた。 現在は更に中央高速道とjr中央東線が小仏峠の北側の山間を潜り.小仏トンネルによって貫ぬき繋がれている。 小仏峠にでて 景信山へのルートはトレースが薄い。峠に辿り着くと雪原化し.道標だけが雪面に顔だけを出している。 道標前に立ち気圧計を見ると大分落ち.反面.高度計の数字は立ちどころに上っていた。高度計を548mに合わせている。 道標には「←関東ふれあいの道・陣馬山6.9km,景信山1.2km. ↑小仏,小仏城山0.9km. 高尾山3.2km→」とあり. 又「旧甲州街道・・相模湖→」とある。斜め向かいには防火用水に標識があった。 峠越えは底沢の南部にでて小原宿に通じている。勿論近づければ腿以上に潜る。 トレースは峠の茶屋まで丁寧に綴られていた。今朝訪れた小屋番の踏み跡. 先の城山へは薄くトレースがあるものの.足を乗せれば膝まで潜る。 左に折れて武相国境尾根に入る。予定では境界尾根の末端近く.城山湖の北西にある292m圏コブまで歩む積りでいる。 富嶽の展望 峠の茶屋で親父さんが店前の軒下を除雪していた。お茶を勧められたがこれからが本番。丁寧に断り,立ち話をする。 「暖かくなるも.この積雪の状態では景信小屋は開業できないだろう!」.「朝の霞みが強過ぎ.富士山は見えないかも?」と独り言のよう語る。 「見に行こう!」と一方的な話は,後に付くことになった。80歩ほど歩いた樹間のほんの狭い隙間から.おぼろな富嶽を垣間見られた。 「最近見えるのは10時頃まで.今日はもっと早いと!」。よく見定め聞かねば今でも分からないほど薄い。それでも見えたことで.何かホッとした。 この後.暫くは通っていなかったが.気が付いた時は山小屋を閉め廃業していた。 景信山西面の水平経路 小仏峠の北面には白沢峠まで山腹を回り込む水平歩道がある。 水平歩道は671m点の南西支尾根.「水源森林」157番から下れば新多摩線67号鉄塔を経て.底沢川.美女谷温泉に降りられる経路。 157番から主尾根の西面の縁下を綴る水平歩道で.各支尾根を横切り.69号.70号鉄塔尾根の15番から支尾根を登れば陣馬山への縦走路にでる。 終点は白沢峠で.「登山道ではありません」の表示があると云う。ここは後日.何度となくよく歩む経路にもなっていた。. 朧な大室山(大群山)と加入道山 相模湖々畔と右端がjr相模湖駅.8:34石老山から大明神へ下る北西尾根の末端.ポッチ山378mと鉢岡山460m. 右奥が霞む阿夫利山729m。 大室山から重なるのは道志川左岸尾根・・厳道峠.ムギチロ.平野峠.綱子峠と連なる尾根. 斜め下の送電線は66号〜67号鉄塔間の超高圧ネットワーク500KV新多摩線で新多摩変電所から新秦野変電所間を鉄塔91基で結ばれている。 自らの真新しいトレースを振り返る.8:46奥高尾山稜へ 小仏峠までは通い続けた茶屋の親父さんのお蔭で贅沢過ぎるほど踏み固められ.確りしたトレースが造られていた。 それに比べ主尾根にでて.時折踏み跡を外すと膝まで潜るようなった。それでも輪カンジキは使用せず.距離を稼いでいる。 更に白さを増した純白の尾根筋には雪の大地にトレースが薄っすら築かれている。後から登るずうずうしさ。のんびり雪と戯れ足を運んでいる。 この3日間,土.日.月には多くのハイカーが入山したと考えていたが主尾根にでてもトレースを見る限り.多寡が入山者は知れているほど少ない。 勿論最初は大変な労力を費やしただろう。今日は朝方の雪質の硬さから気温が上昇すれば雪面は緩み.違った面でペースは更に落ちるだろう。 小仏城山北東尾根と日影乗越620.9m峰 小仏城山三角点670.4mより.9:00右奥は高尾山. 日影より取付くNTT道.日影林道・・右手に刻まれた窪溝の裏手にjr高尾分岐線11号.10号鉄塔が建つ。 小仏城山 城山茶屋は店開きしたがハイカーは0.・9:00小仏城山 左側が大きく開かれ.マイクロ回線のアンテナ脇を通り.日影から登る北東尾根を見下ろすと小仏城山にでる。 裏から見る高尾山は既に霞んでいる。南面の茶屋前の大きなベンチの雪を落とし.腰を降ろし1本取った。 再び山を登り始めた2006年2月には妻と高尾山に茶会で出向いている。その後笹尾根を歩んでから.四方の山々を歩むようなった。 雪白き富士を真面目に暫く見詰めたのも何十年振りだろう。雪富士に憧れ冬だけでなく.春の残雪期にも誘われるまま何度も遊び入っている。 顧みる雪山にこの歳になっても心が何処か惹かれ揺れ動く.「高尾山に雪が積もる。誰も居ないだろう!」とワクワクし.今朝に至っている。 明るい陽射しが差し込む城山の茶屋はこの大雪の中でも.早くも店を出していた。 山小屋なり茶屋がある以上.開店していることは望ましいこと。ただそれに合っただけのハイカーが来るのだろうか? 手前の峠の茶屋でも諦め.朝から茶に誘われている。 5.6年前にも同じ時期に高尾山から笹尾根を何度かに分け縦走し三頭山と繋いだことがある。 その折は高尾山の売店も,ここ城山の茶屋も,陣馬山でも店は閉ざされていた。最近の高尾山ブームの影響だろうか? それにしてもこの雪の中.御苦労さんとしか言いようがない。 丹沢・道志山塊 右景・・西尾根.東海自然歩道の分岐より檜洞丸から犬越路越えをし大室山・加入道山に至る丹沢山塊。離れて手前は道志山地に至る。赤鞍ケ岳.御正体山.右端が秋山二十六夜山。 加入道山と赤鞍ケ岳の間に霞み望めるのが富士山. 又二十六夜山の真下に連ねるのが表道志の高柄山と矢平山。 手前の左から右下に落ちる尾根は石老山からの大明神山を経て相模湖に没している。 茶屋前の広場は雲の巣状に踏み跡が乱れ合っていたがここでも踏み跡を外せば膝下まで潜る。 況して少し踏ん張るだけで既に潜り始めていた。一度トレースを外し片足が潜ると抜くのが大変だった。 踏み跡を外さないよう西面に寄り.相模の雪国を見下ろしている。 この右手から東海自然歩道に入るコースで弁天橋から相模湖にでる。25.6年前に末っ子が8歳になった時.妻と3人で高尾山を越えるコース。 城山西尾根から65号鉄塔を潜り.甲州街道の千木良.県道515号線の合流点にでている。相模ダムを渡り.jr相模湖駅へ。 左景.9:11今回は未知のコース・・大垂水峠から首都圏自然歩道を下り.南高尾山稜に乗り変え.「関東ふれあい道」から武相国境尾根の末端へ出向く。 城山南西の巻き尾根を選び.城山南尾根から大垂水峠へ下る 50丁峠.首都圏自然歩道の分岐.9:18大垂水峠へ 高尾山には幼い頃から何度となく通い続けているが今回は初めてのルート。現在の国道1号線. 城山の肩から大垂水峠への道標を見付け.広く雪原化した防火帯の尾根に入る。 緩く波打つ雪面にはトレースと云うより壺足状の踏み跡が綴られていた。 大垂水峠への己のトレース.9:25単独のトレース 尾根を下るにつれ今までとは異なる怪しいトレースになりだしている。 トレースと云っても壺足のカンジキのトレース.その上に以外と多く落ち込んだ雪穴跡が残されていた。 足のバランスが悪く.力を入れ過ぎると雪面を切り沈む。一度落ち込むと起き上がるのが大変だった。力が入り過ぎ又逆の足が落ち込む。 又1/3ほど下りた所で壺足状態のトレースが薄れ消え掛かっていた。一丁平へ回ったのか? 林道終点へ向かっているよう思える。 先,何人かの下った形跡は薄くなっていた。 この2日間天気はよかった。残るトレースはyamahero氏のトレースした跡だろう? つべこべ言わず感謝しなければ。 壺足状態に落ち込むだけでなく.傾斜のある所では気を抜くと.踏み抜き更に深く股まで潜り込む。 そうなると如何にもがいても足の力だけでは起き上がることができなくなった。頭を雪面に寄せ天を仰ぎ,万歳の姿勢になっている。 転び仰ぐ空は深く蒼い。頭上から眩い陽光がサンサンと溢れ落ちてくる。 指先で雪面を掻き.一掴みを口に放り込むと雪粒が舐めるよう溶け.一瞬口の中に冷たさ広がる。それを気に一気に起き上がる。 スキーで吹き溜りに突っ込み.泡を吹く状態と似ていた。その時こそ.手で足元を掘らねば.足だけでは抜き上げることはできなかった。 北丹沢の山並と石老山 尾根筋が南東折れる付近の樹間越え.9:29手前の尾根は高塚山675.4mと石老山694.3m.共に三角点峰。背に並行する石砂山東尾根は石老山の山陰で望めず。 袖平山から稜線は次第に高度を下げ.犬越路で一度高度を落とし再び向かいの高みの稜へと続いている。 大室山,加入道山の右方に秀麗たる富士山がどっしり構えているものの.今は空自体が霞み.全く見えなくなっていた。 その右方には道志の山(今倉山など)がおぼろに並ぶのが望められた。 大垂水峠へラッセル.9:30大平林道への分岐 尾根が右に大きく回り込む地点の埋まる道標.9:40カンジキ 丁度道標があり.尾根が左へ回り込む所で.余りにも潜り再び輪カンジキを付けている。 この道標545mから左に回り込めば雪がなければ細道のトラバースを過ぎ.大平林道の終点にでて.学習歩道コースの四分岐点にでられる。 私の進む大垂水峠コースと共にトレースはなかった。 ここでこそスノーシュがあれば素晴らしかっただろう。気持よいラッセルワークを愉しむことができる。 出発間際にスノーシュを購入するかどうか悩んでいた。種類が多く良いものを買えと云われていた。面倒臭さが先にでている。 カンジキを付けても同じよう力の入れ具合で? バランス感覚を崩せば雪面を割り切り潰す。そしてズズーとやな間を空け潜り込む。 同じ状況は更に進み.暖かくなり.上層雪面が緩みだしている。崩れればカンジキを履いても潜り.壺足状態と同じになってきた。 ただ今までと異なり.動けなくなるまで深く潜ることはなくなった。やはりカンジキだ! と思うも緩む雪質に馬力がいた。 大らかに延びるほぼ平坦な起伏の雷岩山560mと春日山540m 浅くなる私の築いたトレースを振り返る.10:00左は「関東ふれあいの道」.「首都圏自然歩道」に整然と立ち並ぶ檜の木々 植林帯と雑木林の境. 防火帯に湿った雪原が帯のよう延びている。振り返ると立派なトレースが築かれて行く。 時折立ち停まり休めば重くなる足元も.気にするほどではなかった。静かさを割り.カンジキからザクザクと音色が聞こえてきた。 立ち停まると又元の静けさに戻される。陽光が踊り.動けば気持ちよく汗を掻く。 小さな起伏を持つ木漏れ日のバランスは難しい。全く立木がなければ暑過ぎる。更に樹間が狭まり過ぎれば届く日差しはなく肌寒く.停まれば震えがくる。 人とは贅沢な生き物だ。手返しのよう変わる気分。やはり暑いと云いながら雪片を齧られるのが一番よい。 大垂水峠肩の道標 直ぐ下が甲州街道.R20の案内川上流端から大垂水峠.10:45大垂水峠へと谷縁を下る 小コブの春日山540mを軽く越え.カンジキを付けた間々.谷間に入り込む。ずり落ちる斜面は余り丁寧に下ると却って疲れ馬力がいた。 崩れていてもトレースを大切に.がむしゃらに下れる積雪の量でもない。手を抜くと股まで潜り.体を起こすのに馬力ばかりを必要とした。 足元から崩れ落ちる残雪の量は桁違いに大きかった。ブルドーザの如く進むと雪塊りは雪底まで現わし.膝上のラッセルは劇斜面に入り裸土まで抉り落していた。 沢沿いをトラバース気味に下るのも大変だった。大垂水峠を見つつ.強引に進むのみ。 若い時は雪が積もるとワッパを持ち.よく山へ出掛けていた。ワッパ訓練にと北八ケ岳を縦走し.後立.爺ケ岳直下では胸までのラッセルをも経験している。 泡雪で岩場やガリーに気を付けさえすれば何処でも歩き回っていた。餓鬼ケ岳では泡雪に埋もり舞う中.ワッパを付けながら尻セードで下りてもいた。 泡雪の斜面では何処でも登りの苦労をも忘れ.リレイよくアッと云う間に降りている。 反面湿雪の谷川岳では腿までのラッセルに喘ぎ.毎年寒冷の西黒尾根の下りでは表層雪崩や夕方迫り.深いラッセルを経験したこともある。 最近ではスノーシュに変わり.昨年の今頃は上信国境の烏帽子岳にいた。その時は胸までのラッセルを経験をしようとワザワザ雪溜りの斜面を下りていた。 今年もOB親睦ハイクに出掛ける予定でいたが上信高速道は今だ豪雪で通行止が続き.中止に追い込まれていた。 1つの区切りとして丁度ラッセルを終え甲州街道.大垂水峠にでる。高尾と底沢の美女谷鉱泉.相模湖とを結ぶ武相国境の峠道。 徒歩で峠を横断するのは初めてで.過って25年ほど前に丹沢山塊を縦走し甲相尾根を降りたことがある。 その折室久保川林道野外活動センターまで先輩の迎え車を得て.峠越をし高尾駅まで送ってもらったことがある。 信じられぬハイカー ここで入山する2パーティ8人と出会っている。共に路線バスで此処まで来たようだ。状況を聞かれ.雑だが壺足ラッセルでルートを開いてきた。 トレースを築き.ルートを失うことはないが上手く.その上を登るに限る。トレースを外せば大変な労力と時間を必要とすると説く。 況して女性が3名。又驚くことに皆.シューノシュどころか輪カンジキも持参していなかった。 今までの残雪ある高尾山とは異にしている。jr中央線は一週間近く不通だった。驚き呆れるばかり.ダンプのように掻き掘り下りてきたが 「気を付けて下さい!」と言葉を残し別れている。 未トレースの仏峠から小仏城山と大垂水峠・・カンジキは腿まで潜るラッセル.脱げば膝又 最後まで新雪を踏み.南高尾山稜から草戸山東尾根 |