| 14日. 全員で奥裾花自然公園.と大町山岳博物館を回り.大町温泉郷「ときしらずの宿の」の「織花」に宿る。 15日. 朝解散.jr小糸線安曇沓掛駅からは独り旅. 安曇野の里道を散策し.高瀬川左岸道の歩道を下りjr安曇追分駅・・高瀬川流域Top 新津邸・・奥裾花自然園 大町山岳博物館と高瀬川左岸道・・大町温泉郷 13:00奥裾花温泉「鬼無里の湯」昼食=R406.奥裾花街道.白沢峠=白馬.アルプスパノラマロード =14:45大町山岳博物館15:45=アルペンルート=16:15大町温泉郷「織花」.h2 白沢峠 鬼無里から小川村を横切り.白馬村との村界尾根を横断し. 蕎麦粒山と東山の鞍部.白沢隧道を潜ると隧道口から後立山の頂稜が突然開かれた。 招待された手紙のパンフレットに描かれた景色だった。再び飛び出した後立山の雪多き山稜を見届けている。 新津さんによると4月は異常に多く降雨に見舞われ.岩壁の残雪は例年以上に落ちているとのこと。 それでも圧巻する姿を大きく現している。残念ながら峠に車を停めるだけの余地はなかった。白馬への峠越えは.深い樹林に閉ざされるが. 新葉の樹海を潜ることになる。R148号から青木湖.木崎湖の南岸を南下し.大町山岳博物館へ出向く。 博物館前からの展望 大町から仰ぐ山並・・キレットから唐松岳 玄関前乗鞍岳.北尾根ノ頭.G5とG4.五龍岳.白岳.唐松岳 八峰キレットの手前谷間が天狗尾根に挟まれた「カクネ里」・・鹿島川の支流大川沢.その源流部に当たる。 高台に建つ大町山岳博物館には北アルプスの地層の生い立ちと自然の姿. 登山の歴史を踏まえた山道具等が展示されている。 又後立山の展望に優れている。今日何度も眺めているのの全員で残雪被る山並を見詰め.互いに鋸状に刻まれた峰々を見詰めては 過っての自分を想い.浸り綴っているのだろう。博物館の裏山に鷹狩山1164m.(町営展望台無料)があるそうだ。 頂へはハイキングコース.1時間半と林道.車15分が綴られていた。大町の街並が広く見下ろされ,更なる展望が開かれている。 又共にライブカメラ設置され.1時間置きの画像と30日前までの映像がみられるとか。6:00〜20:00 カクネ里氷河 館内の玄関脇にシンボジウム「日本アルプスと氷河」と題するチラシがあった。大川の源流部天狗尾根の北側に.カール地形のU字形をなす 「カクネ里」がある。標高1800〜2150m付近.長さ700m.幅250m,厚み40mの氷体。 昨年は雪渓が崩壊する恐れがあり.危険で調査を中断していた。今夏の再開を予定してのシンボ。 氷体の流動を確認できれば立山.剣岳とならい.4つ目の県内初めての氷河になる。明後日.16日にプラザ大町で催される。 篭川流域の山並 中央.篭川流域・・蓮華岳.赤沢岳.鳴沢岳.岩小屋沢岳.爺ケ岳三峰 後立山・蓮華岳以南の山並 右景.右端が蓮華岳天下り裏銀に続く南沢岳.不動岳. 七倉岳と北葛岳 高瀬川以南の山並 左景.餓鬼ケ岳手前は乳川流域燕岳に続く東沢岳. 餓鬼ケ岳南尾根と正面が東尾根. 餓鬼ノコブ.唐沢岳 黒四ロイヤルホテル 2日目の宿は大町温泉郷.「ときしらずの宿,織花」に全員で宿る。アルペンルートは何度か通っているが常に通り過ぎている。 「織花」前のアルペンルートを扇沢方面へ.大きく右にカーブすると2km先に黒四ロイヤルホテルがある。 昔卒業して1年目の正月.爺ケ岳南尾根から下山の折.山を下りて地吹雪になり.大変お世話になっていた。 何度ものこ道を通ると.その都度想いだす場所。私にとって大切な記憶になっている。 5月15日.晴・・解散後一人.高瀬川左岸道.歩道を歩む 「織花」=9:40小糸線安曇沓掛駅一高瀬川左岸道.歩道=11:45jr安曇追分駅 大町温泉郷「ときしらずの宿.織花」.玄関前夕食後.富山さんがスライドを持参した。即映写会が催される。私も現役前後のスライドはかなり持っている。 段取りが悪く申し訳ないと思う。昨夜の呑み疲れか.早々に皆眠り付く。私も習い寝床に入るとアッと云う間に眠り込んだ。¥12.000 青木さん,池田さんは朝方早めに宿を発ち.東京組は予想に反し.私一人時間をもて遊ぶことになる。 結果的には新津さん夫婦に千国街道.R147号線沿いの安曇沓掛駅まで送って頂いた。ここは昔.富山先輩と現役を混じえ餓鬼岳に登っていた。 急遽.高瀬川左岸歩道から餓鬼の山並の展望を楽しみながら里道を歩む。 安曇沓掛駅からの入山と高瀬川探索 1969年12月30日. 中央東線鈍行の旅・・国鉄新宿=安曇沓掛駅 12月30〜04日. 安曇沓掛駅から餓鬼岳南尾根 2015年05月15日. 高瀬川左岸道.歩道・・安曇沓掛駅から安曇追分駅 jr小糸線安曇沓掛駅 爺ケ岳と鹿島槍ケ岳.五龍岳.9:40爺ケ岳南尾根と白沢天狗尾根.東尾根 昔はホームには駅名の掲示板以外.囲いも何もないホームだけがあった。ただホーム幅はもう少し広く想っていた。 千国街道,沓掛の十字路を左折し.安曇沓掛駅の南側の踏切で送って頂き.新津夫婦と別れている。 右折すれば直ぐ.県道山麓線に交差.乳川を挟んで.西山神社と国営アルプスあずみの公園口がある。昭和40年代当時は舗装されていたものの. 信号もなく.西側は乳川林道.東側は狭い里道で.右岸角から奥に掛け壮厳とした西山神社の鎮守の森だけが開かれていた。 餓鬼岳南尾根 安曇沓掛駅中央が餓鬼ケ岳の東尾根.大凪山2079mから続く1673mコブ 安曇沓掛駅 手前の尾根に大洞山.城山870.4mが乗り.尾根末端の北側に西山神社がある。ここから1971年正月に富山先輩を含め現役と餓鬼ケ岳南尾根を目指した。 その折は現地集合を安曇沓掛駅とし.黄昏が迫った夕方.現地に集合している。里道は斜陽した日差しを受け赤く照らされていた。 正月を迎え.ホームを越えた里道では.垣根越えに臼を叩く音色が心地よい響きで渡っていた覚えがある。.子供に教わり西山神社に出向いている。 東京.焼津から出向き最初もの幕営は小粒の雪舞う.その森の境内だった。 昨年7月には昔の縦走路を歩こうと八方尾根から入り.爺ケ岳から大町に下りている。その時の復路は駅前から高速バスを利用している。 高速バスは偶然にも有明大町線.県道306号(山麓線)を走り.信号待ちをして.見たことのある場所に遭遇している。そこが西山神社の前角だった。 そして今.新津夫婦に見送られ.安曇沓掛駅南側の踏切に立っている。 昔の安曇沓掛駅は土台の高台状に小さな裸のホームがあっただけだった。駅を一回りするとホームから下りる石階段だけは覚えていた。 ホーム幅はもう少し広く思っていたが.今は小さな待合場に囲いもでき.綺麗に整備され.ホームの土台壁だけが古さを示していた。 上流側に乳川を隔て餓鬼の南尾根が見上げられた。 遡った乳川の北岸麓にはその後.「国営アルプスあずみの公園」大町.松川が開園された。 有明山.2283m峰と清水岳2245m 有明山有明山の左肩が大天井岳 燕岳.東沢乗越.東沢岳.餓鬼ケ岳 高瀬川宮本橋.右手が上流.県道51号への道手前の里山が大洞山1097m. 道標の右奥が安曇沓掛駅 高瀬川左岸道 当日は何の予定も組んでいなかった。宿で「安曇野アートライン」のパンフレットを頂き.高瀬川左岸道を歩む。 後立山連峰が望め.又車の往来が少ない道を選んでいる。出発点は富山さんに出会い.ふと昔の餓鬼岳を想い.当時の集合場所.安曇沓掛駅に立つ。 ルートは大町駅でもらった地図によると踏切から真直ぐ大平大峰沓掛線を進み.宮本橋を渡った所で高瀬川沿いの側道に入っている。 県道51号,大町明科線の青島.閏田(うるう)の中間地点が起点になり.高瀬川と並行して流れる農具川左岸沿いに入る舗装黒線。 宮本橋からは地形図では黒線から車道に変わり.道幅は次第に広がり,高瀬川の出合まで下り.犀川沿いにそのまま綴られている。 河原に降りられる左岸歩道は宮本橋から次の高瀬川大橋まで結ばれ.左手の池田町の中心街を過ぎると.周りは何もかも失われ.左岸道だけになった。 高瀬川左岸歩道 高瀬川は対岸上流側を左面に回り込み源流へ.10:15左岸道,歩道 宮本橋を渡り松川村から池田町へ。橋東に東屋があり,ここから道は土手上の車道と河原歩道に分かれている。 歩道はわだちを残し雑草に敷き占められ.雑木が以外に後立山の眺望を閉ざしていた。それ故2度ばかり.土手上と往復する。 土手上の車道sで強い向かい風を受けた。照り返しの強い南風だがサングラスで目を保護さえすれば如何にか歩める。 ただ穂高までは無理だろう。暑い陽射しを受け.午前中にピリオドを取ることにした。車の往来は殆どなく案ずることはなかった。 後立山南部 高瀬川左岸の稜七倉岳.北葛岳.針ノ木岳.蓮華岳天下り もう5年前になる。針ノ木大雪渓から入り.起伏激しい船窪岳への稜から南沢岳にでて.烏帽子岳ブナ立ち尾根を下っている。 昔を忍び高瀬川に下りたかったルート。以前は北鎌に入る小径が綴られていた。その後軌道は外され.ダム工事が始まり.河原を歩かせられた。 又冬越えの為の猿軍団にも遇っている。その高瀬ダムが完成し.綴ったルートが残雪被る山並として.ここから望まれていている。 鍬ノ峰1623m 安曇沓掛駅から「国営アルプスあづみの公園」への道路をそのまま乳川沿いに奥に行き.餓鬼岳登山口から更に行くと鍬ノ峰登山口.P10台. 鉄塔巡視路.ロープ.崖あり.1時間50分。後立山.裏銀座.安曇野の展望に優れ.特に餓鬼ケ岳が向かいに望めよいらしい。 和合付近の田植え風景高瀬川大橋 左手に大きな採土砂処理場を過ぎると中島への分岐が合わさり.道幅がやや広くなり車の交差が楽になる。 直ぐ高瀬川大橋にでて.高瀬橋まで丁度半分の距離. 渡れば信濃松川駅にでる。その上には乳川流域の源流の山々が描き出されていた。 前衛の里山に囲まれ.それぞれの窪みから雪白く頭をもたげた山々が顔をだしている。 手前の東餓鬼岳が大き過ぎ.その奥にちょこんと燕岳が望まれた。橋前後の河川敷には町営マレットゴルフ場があり.左手は町街地になっている。 池田町役場に総合施設があり.池田小学校.高瀬中学校等と各施設が建つ。左岸道は更に広がり.雪捨場を過ぎると車の擦れ違いも少なく. 建物は疎らになり.全く見られなくなると道筋に田園が再び広がり始めていた。 2/3ほどが田植えを終え.今真っ最中の田植え風景が点々と開かれていた。関東では今の季節.田植えを終えた頃。 潮来に出向き畦でよく鮒釣りをしていた覚えがある。又冬にはタナゴ釣りに通っていた。15年間釣りの競技に参加. タナゴから大陸棚沖釣りを習い.今は中断している。山登りを始めてから後何年続けられることができようか? 蓮華岳と爺ケ岳 上流北北西方面を望む常念山脈の山並 西北西方面を望む燕岳から東沢岳.餓鬼ケ岳 対岸はアルプスパノラマロード沿いの家並. 大きな窪みは東沢乗越 土手に立つとまだまだ息の途切れぬ強い南風が吹き付けていた。岳の連なりは餓鬼岳から燕岳周辺に移り.有明山が大きさを増してきた。 ただ霞は更に強くなる。高瀬川は流心の蛇行に合わせ.河原が膨らみだすと左岸道正面にはゴルフ練習場が建ち.高瀬橋が架かっている。 川會神社 河川と水田の境を緩やかに土手がカーブする所で.左の道路脇に木碑がポツンと1つ立てられていた。 高瀬川大橋から50分ほどの距離。「川會神社旧跡.(嶋ノ宮)地編.喜式内各神小社」.「内山真弓の歌碑.この処より南東へ三百七十米」. 「泉小太郎と犀竜.三百七十米」と記されている。 (川會)の社号は高瀬川と木崎湖を源とする農具川の合流点に祀られていたことによる。嶋の大明神として川の中州にあったのだろうか? 創祀は不詳だが.往古はこの木碑地に鎮座され.鳳凰2年(673年)に社殿の建て替えが行われて天保元年(1110年)高瀬川の氾濫。 流出している。永久3年に再度流出し.天明3年(1783年)現在の地点に遷座されていた。 木碑に記された田圃を抜けた370m地点。会染十日市場に鎮座している。 jr小糸線安曇追分駅.11:45最後まで強い向かい風を受けながら右折して.高瀬川高瀬橋を渡ると池田町から離れ.再び松川村に戻っている。 左折すれば500mほど先で.左手に川會神社の長い参道が北に延びていた。西山神社と同様.森に囲まれた境内の正面に神楽殿が構えている。 高瀬橋を渡った橋西でアルプスパノラマロードを横断. 突き当たりが千国街道.R147号の島新田T字路にでる。 左折し国道沿いに少し入り.右にカーブする所で横断歩道を渡った。右折すれば小路の突き当たりがjr小糸線の安曇追分駅だった。 高瀬川左岸沿いに下る道.爺ケ岳から餓鬼岳を望み.燕岳.大天井.常念と山々は重なり合い見え隠れしていた。 前衛の谷間から望む岳は何処も白銀を纏い.雲の隙間に輝いている。1つの岳を見ると必ず昔の.その時のエピソードが頭に浮かび出していた。 次の岳へと期待も膨らみ.焦ることなくのんびり安曇の里道を歩んできた。 11:45jr安曇追分12:00=12:36松本.スーパーあずさ18号.¥4.430+¥2.380. 13:17=15:58新宿. 安曇追分駅 無人駅と思っていたが.私より大分年配の駅員が改札をしていた。松本発から連絡する列車を尋ねるも.少々時間を要した。 昼下がりの強い陽射しを受け.日陰を恋する暑さになっている。暑さに負け.ここ安曇追分で先を断念する。 季節外れの台風6号が5月4日に発生.出掛ける前は前日までその影響を受け.予報は降雨を告げていた。 それが出発前日21時頃には四国沖で温低に変わり.猛スピードで抜け.蒼空が広がる台風一過に恵まれた。 長野へ向かう行きの道中では車内で誰が雨男か話題になった。私とゴンさんとの初めての山行は雨の雪上訓練だった。 田中さんは私との山行では雨が多いと言う。今回ばかりは天にも祝福され.参加者全員が晴男になっている。 懐かしさに哀愁溢れる中.アルプス南部の展望を楽しむ一人旅も終えた。 有明山・・背は常念山脈 安曇追分駅ホームより右端遠方が餓鬼ケ岳. 左側は穂高川.直ぐ上流で有明山を分けるよう乳川と中房川が遡っている。乳川の源流の山々は左岸道から 見続けてきた常念の山々になる。穂高川下流は穂高で犀川に流入し.千曲川.信濃川から日本海にでている。 12時駅発.松本行上り列車駅ホームに立ち.待つ間もなく松本行.2両のワンマン列車が入線した。車窓からは陽射しに照らされた穂高の田園風景が気持ちよく流れ. 豊科駅ホームに列車が入線すると大勢の学生男女が乗り込む。その笑い語り合う会話は昨日.今日の私達と似たようような心地よい響きを持っていた。 遠いい昔を想い出し.軽やかな気持を起こしている。 新津さん夫婦には言葉で表せぬほどの懐かしさと嬉しさを与えて下さった。又先頭に立ち.私達の気持ちを組み. 招いて頂いた富山さんには感謝に堪えない。愉しかった仲間達.私は良き先輩を何人も持っている。 初めて経験するような旅だった。会えば「お〜!」「お久し振り!」.その言葉だけで昔に戻っていた。 大分離れていた先輩達との会話.その仲間意識を心の中に新たに顧みていた。・・写真提供T.I氏 その後新津さん夫婦から庭から撮った鹿島槍.五龍の葉書を頂いている。 「・・移住して丸五年.皆様の来訪はとても楽しく嬉しかったです。年中無休で山(が見える)小屋は開いていますので,何時でもいらして下さい。 週末よりいよいよ田植えです。」とある。こちらこそ.大勢で押し掛け.丁寧な言葉に感謝しています。05.28. ・・写真T.I.M オリンピック街道.大町街道 2002年10月. 妻の先祖を辿る砺波.福光の旅・・安房道路.北陸道.R8号線.千国街道.大町街道.関越道 2013年07月. 北方稜線の帰路・・R8号線.千国街道.大町街道.関越道.姫街道もみじライン 2015年05月. 新津邸.大町街道=新津邸=鬼無里街道.小糸街道.安曇野アートライン.千国街道 新津邸・・奥裾花自然園 大町山岳博物館と高瀬川左岸道・・大町温泉郷 |