槍ヶ岳・・北鎌尾根周辺地形図 
  s40年07月.初夏.東鎌が途切れた表銀座・・横尾からピストン
  s42年08月.立山〜裏銀.薬師岳経由大喰岳・・夏合宿V
  s43年70月.七倉から槍ヶ岳北鎌尾根・・明峯山岳会
  s45年10月.横尾本谷右俣から槍ケ岳水俣川千丈沢
   北アルプス南部地形図.山行表 飛騨山脈Top

高瀬川流域・・高瀬川と流域ダム図
  s43年70月.七倉から森林軌道を歩み槍ケ岳北鎌尾根
  s45年10月.千丈沢から猿の軍団とダム工事現場を七倉まで歩む
  h22年08月.針ノ木から烏帽子岳・・3ダム完成後の入渓 
  h27年05月.長野中条「新津邸」と安曇沓掛駅高瀬川左岸道.歩道

槍ヶ岳北鎌尾根


高瀬川七倉からの独り旅

死葉土

梅雨前線を縫っての山行
二俣で枯葉が墨となり死葉土を見付ける


                   燕岳.切通岩付近より北鎌尾根

北鎌沢より梅雨期の槍ケ岳北鎌尾根.s43年(1968年)07月03〜06日.単独(松本.関)と合流            .
         
                    北鎌への径
   晴後高曇
     3日18時の天気図を読むと梅雨前線が日本海に張り出し高気圧に押され気味,2日間の好天を祈り入山した。
       単独で高瀬川から挑む。又槍沢を詰める松本.関嬢とは一緒に新宿駅を発ち.松本駅で別れ.再び槍ヶ岳の肩で合流する約束をした。
7月03日.
4日.
新宿23:00=
5:46信濃大町6:00タ=6:25七倉:30一6:50山神一7:03第一鉄橋一7:20不動ノ滝:40
一8:15第五発電所一9:50湯俣.

高瀬川       ,
   上高地に入る松本嬢.関嬢と松本駅で別れ.独り大糸線信濃大町へ向かう。
     僕は今晩.千天出合でビバークし.明日は北鎌尾根を越え彼女達が天張っている横尾に宿を借りる積りでいる。

   上手く彼女達と槍の穂先で出会えるだろうか? 正午までに頂に立たなければ横尾へ下ればよい。
     山懐の中で.仲間との再会ほど素晴らしいことはない。まして一人旅.

   ガラガラの列車は常念の峰々を明け方の聡明な世界へと導き出している。その姿を小糸線車窓に映しださせていた。
     有明山を眼前に仰ぎ.清水岳.餓鬼岳と.それぞれの山々の麓を廻り込み.列車は北上し高瀬川沿いをカタコト走る。

      駅前
   列車は僕と黒四ダムに向かう観光団を.ここ信濃大町駅で吐き出した。朝早い駅前はまだ物静かに眠っている。
     そして駅前の広場は朝の活気をこの観光団によってもたらした。バス停は始発のバスを待つ団体が占領し始めている。

   僕は通りに面した向かいのバス停に向かい.登山届を出しタクシー会社に寄る。
     交渉は直ぐ成立。300円負けさせ.更に明峰山岳会とサブザックにネームが入った社会人登山者を見付け相乗りした。
     それ故.タクシー料金は半額以下になる。
      タクシー
   乗り込んだタクシーは緑の森を縫い高瀬の渓谷を溯る。
     強い陽差しが樹林を透し林道を照らしだしている。そして陽は熟すような蒸す暑さに変わってきた。

   隣に座っている彼は槍ヶ岳を越え北穂から明神池に回り込む予定だと言う。
     2人しか大町駅に降りなかった登山者。その2人がここに居る。

   鹿島槍.爺とバァテーケー連山.それから裏銀へと.大町から山へのルートは数多くある。
     その中.この日,たった2人の登山者が最も遠い槍への径を歩むとは奇遇か? 神様のお導きか?

   梅雨期に登る者の心境は同じだったかも知れない。彼から「何処へですか?」と尋ねられた時.
     僕も「同じです!」と答えたのは.僕自身が初めから北鎌を志していたとは云え.不思議な返事をしているようだった。

      湯俣への径
   葛温泉を左下の覗み索漠とした七倉の広場にでる。
     初夏とは云えシーズン前の七倉は人影もなく.活気立った盛夏の陽差しだけが照り付け.向かう先には陽炎が踊っている。

   林用軌道をトボトボ歩きだす。
     陽照りのよい左岸のせいか.深い谷間を明るく照らし僕の心を踊らせていた。

   梅雨が入山を延び々にさせ.嫌気のさしだした頃,昨日漸く西日本を移動性高気圧が覆うようなった。
     このチャンスを狙った僕。東進に伴い前線が南下し.北アルプスを今晴れ渡している。

   それでも念には念を入れ,キルデングからシュラフに.サブから2尺のキスに変えている。
     シュラフさえあれば豪雨でも.惨めな思いはしないで済む。

      食糧
   慌しく出発した為.弁当を2食買い忘れた。その上.背負ったザックの中身は自宅にあったものばかり.
     ラーメン2.餅1片.それに手ごろにあった玉葱1とメロンが2つ.あと菓子箱から持って来た駄菓子が少々あるに過ぎない。
     彼女達に分け貰った魚缶が有難い。朝食は歩きながらカリントウ袋を手に持って1つ々口へ運んでいる。

   菓子が底を尽きる頃.右に不動ノ滝が現れ濁の小屋を過ぎる。
     第2.第3と続く鉄橋は軌道歩きの単純な歩きを変え.長い北鎌への径へ導いてくれていた。
     所々.シーズンに備えてか補修工事の人夫にも出会う。

   もうここまで来ると高瀬川は広がり.明るい強い陽差しがカンカンと頭上からを照り付けた。
     風もなく蒸すような陽射しに汗を掻き続けと漸くして湯俣が現れる。

   湯俣で2年女子の差入れをだす。細長い小さな包みを何かと開けて看ると,ビス2枚に箸が添えてある。
     「何だ,これは?」2年生らしく怒る気にもならない。却ってオチャメに笑い出してしまった。
     添えてあった箸で缶詰を半分空け.タッシュに仕舞い込む。これで夕飯が豪華になるだろう。


      ダム工事
   その後.東沢出合から葛温泉に掛けての高瀬川中流地帯に架かる.ダム工事の為の基礎工事が始まる。
     2年後のs45年(1970年10月)にはそこの治水工事現場を歩み千丈沢から下山している。

   s46年11月に高瀬ダムが着工.s48年08月には七倉ダムが着工した。
     竣工した姿は2011年08月.ブナ立ち尾根を下りロックダムの堤上に立っている。

      水俣川の吊橋
     北鎌平
        湯俣10:10一11:20千丈出合12:20一13:40北鎌沢出合一13:55二股b1
      水俣川
   広い高瀬川の河原も湯俣川と水俣川とに分け合うと,渓相は北尾根末端の絡みを持つ深みを増し.川幅も狭まりだしてきた。

      死葉土
   一ヶ所と云うより.ほんの一部分だが腐葉土.否や死葉土の所を見付けてている。
     土に含む微生物で樹葉が枯れ土化させるのではなく.炭のように葉脈が化石化している。

   炭化した葉が重なり.そこだけを真黒な墨色に変えていた。葉表は乾いている。
     土表の一番上に被さる葉は炭化し崩れず綺麗な葉形をなしていた。葉脈とその支脈がよく伺える。

   不通.スプーン一分の土の中には1億個ものの生きた微生物をり.日本で1cmの土壌ができるのは100年.
     つまり1mで約1万年がかかるとのこと。土の生命のもとは粘土。純粋な枯葉(黒バック).スス病の関連も如何?

   狭いほんの一ヶ所だけに広がっていた。狭い場所だが好奇心さえあれば目に付く。
     何故だか分からぬが微生物の居ない所のようだ。一葉を取り握ると化石化した葉は手の内でポロポロ砕けた。

    カビや黴菌が分解する推肥(腐葉土)
    実験は東大.社会情報研究資料センター前辺り

    右下は説明板で裏が三四郎池.
    久し振り35℃を超す猛暑日での足慣らし.朝方はシオカラトンボを見て.午後は浅いミーミー蝉の鳴き声を本部脇で聴き.三四郎池へ。


    水俣川

      核心
   硫黄尾根末端の陰いゴルジュは湯俣川を主流として.奥に広がる山襞を急激に衡け.ガレを築き岩壁を構えていた。
     そして陽をサンサンと照り付ける山の園との関所を築いている。

   堰堤を越え左から入り込む水俣川に.一歩踏み込むと北鎌への径も,今までと変わり深谷険阻なゴルジュ帯になる。
      大天井に挟ませた渓谷は谷底へ巨大な側壁を落としていた。今まで陽々とした長閑さを押し崩し.陰惨きわまる谷を築いている。
     それでいて流芯は山気に澄み水々しいまでの清らかさを漂わしていた。



     千天出合〜北鎌沢bs  千天の出合

   

    天上沢出合付近

    天上沢

    北鎌沢出合付近

      天丈沢
   融雪期で増水も甚だしく所々径は激流に呑まれ.沢渕に漬かる左岸の巻き径が続く。
     予想より遼に早く吊り橋の向こうに千天の出合が現われた。
     古来の開拓者を忍ぶには余りにも哀れな掛け小屋が右岸にあった。使い放題で汚くゴミ化した小屋は.悪臭を漂わしていた。

   北鎌沢へは更に天丈沢を遡る。中端.半減した水量は沢巾を狭め踊るゴルジュを縫っている。
     100mばかり猛烈な樹海の藪を漕ぐ。ここは水嵩が高いせいか径跡は臨めなかった。

   左岸に倒された濡れた丸太を渡り.ゴルジュを巻くよう抜ける。
     胆を冷やす丸太渡し,ぬるぬるした苔皮の上は跨ぐ倒木に.荷が踊り心もとない。
     身を丸め丸太に抱き付くようヘバリ付き渡った。

   巻き径に河原径。そして林を縫う山径から再び河原伝いへと繰り返して行く。
     沢巾が広がるにつれ東鎌尾根の頂稜が望められた。

   水俣乗越に続く雪渓が眩く.壮大なスケールで雪と岩の御殿が開かれだしていた。
     ここは瀬々らぎの音もなく.静かな裏槍の園を築いている。スカイラインを綴る厳しい岩峰が望まれた。

    北鎌沢
    北鎌沢出合正面が二俣・・右がP7.一番左のぼやけた平らなピークがP8

    北鎌沢二俣より

   普通はよく踏まれている右俣を経てコルにでるが左俣は秋遅くまで残雪があり.雪上技術に優れているなら廊下状の急登を詰め.
     北鎌沢の鞍部に登り詰めると独標近くに登り詰めることができる。P7に向かう枝沢に入ると大変になる。飽くまでも本流を詰める。

   北鎌沢右俣.最上部bc


      北鎌沢
   最も眺望のよい土手淵から離れ.北鎌沢出合に戻る。
     ゴーロの積み重ねた出合.大きな丸味を帯びた石ゴロが二俣まで続いていた。

   右は北鎌のコルに続くのっぺらした斜面。
     そして左俣は独峰に続く最後のツメを覗かせていた。鋭い岩尾根をちょくら現している。
     早いが距離も捗った。右俣を遡りツメ窪地にツエルトを張ることにした。

   北鎌沢二俣.左岸ツエルトにて

      二俣上のビバーク
   枝を利用してツエルトを張り寝仕度を整えメタをだす。
     以外にブヨが多い。不精し頭を残し体全体をツエルトに引っ込める。

   その為,寝転び頭だけを出す無精な炊事。メタの吐き出す刺激で顔を向けられず瞼が痛む。
     泪が出るも我慢に我慢するが耐えられず起き上がり.今度はブヨと戦う事となった。
     北鎌平を考えるが彼がビバークしている筈だ。単独行で同居する必要もあるまい。

   大天井の谷間を挟んで表銀の頂稜が広がる。
     ここから望む表銀の裏側は岩肌は覗めず以外と灌木に被われていた。
     山襞を被う樹海と蒼空がスカイラインを築き.その上には真白い浮き雲を棚びかしている。

   素足をツエルトに突っ込んで不精な炊事が始まった。
     ラーメンだけでは作るのも早ければ.食事も呆気ない。睡魔に誘われ.ちょっと横になったら長い深い眠りが待っていた。


    竿後の小ピーク手前で北鎌のコルとP7を撮る
    北鎌のコルからP8までは小ピークを2つ越えている・・北鎌平より尾根末端と高瀬の谷間


     槍ヶ岳穂先へ7月05日.朝方一時晴後曇
        高気圧は順調に発達し朝方は晴れ間も見られるがも通過と共に層雲に被われる。

        北鎌沢二俣 4:55一6:15コル:35一7:15(P6)一7:55独標手前8:30一10:20北鎌平11:00一11:45槍ヶ岳
      熟睡
   昨日.うとうと昼寝の積もりが完全に寝てしまい.明け方4時まで実に12時間睡眠を取った事になる。
     東京でも最近,それ程眠った事はなかった。その為か過って味わっていた単独行の深みは失われていた。
     よく寝たと思うと同時,頭はすっきりしているが.何か? 損をしたようだ。風との対話も失っていた。

   陽が落ち帳に包まれ,昼との境を越すと.1人で居るそれだけで常に新しい発見があった。
     普段,忘れがちな自然の繊細な鼓動が自然の息ずかいとなり.実感となり五感に伝わってくる。
     耳を傾けると自然と素直な自分に触れられた。それも失なわれていた。

    天上沢北鎌沢出合を覗き込む

      北鎌に入る
   北釜沢右俣のツメは早朝の凍り付いた残雪が以外と硬くにステップを切るのはきつい。
     スピッツはいよいよ入らず氷面に引っ掛っているだけだった。もうかなり登り.縦溝には急斜面に残雪を落としている。


     独標
    P8より独標


独標のトラバース  ,
    天狗の腰掛.P9より独標のトラバースルート大槍・小槍を覗く

      惰性の山行
   北鎌のコルに出て晴空が開かれた。休んでいると冷たい程の山気だが.それでいて陽は暖かい。
     水を補給してコルに天張るのもよいだろう。昨日は彼が野宿したている。

   眺望もよいし.こんな良い所に居るにも係らず.頭の中は山を満喫する清々しさが決裂し,
     学生最後と云う言葉に溺れ,岳に居るという実感が乏し過ぎていた。。

   北鎌のコルに出ても.独標も,北鎌平も,ただの山にすぎず,自分の山が失われたようだ。この孤独は如何なるものか? 
     憧れ続けた岳に今いる。今.二つの反対立する分子が頭を掻き回し山行に連らなっいる。
     北鎌尾根.山を知り始めてからの憧れが強過ぎた為か。平凡な山にも思えた。コルにはダケカンバの立木が1本目立ちある。


      , 岩上が独標へ
      ぬるま雪
   千丈沢に落ち込むルンゼのトラバースは腐った雪が心もとない。落ち付きのない岩に残雪がはび込む。
     又独標直下を右へ巻き込む所はカブリ気味で身を浮かすが.雪が解け岩肌が出ていれば気を掛けることもない。
     あっさりした登行が続いていた。


     核心
    独標を越えP13へ向かう途中の岩峰

    北尾根上部全体と手前がP14と白くザレたP13は手掛かりが薄い

    P14への直登・・濃いガスでおぼろに望む

      濃霧
   青空を白雲が被い,何時の間にか空一面に被うようになる。
     霧が湧き始め頂からさ迷ってきたガスも僕の足元まで這い出だしてきた。もう視界も閉ざされ.ガスは更に濃さを増し,放徊し始めている。
     山陰に失われ立体感を失った岳.霧濃くなり谷間も望めなくなる。全てが一色の墨色に変りだしていた。

   浮石が多くそれを被る雪.灰色の世界が支配し始めている。ガスは更に深く闇へと変えだしていた。
     まだ朝方であるが空は明からめる気を留めている。元の闇へと戻しだしていた。
     独標を越すと厚き黒雲に包まれた。一時もう一寸先も分からなくなった。


   P15.千丈沢側稜より
      槍の穂先へ
   僕は霧の幻しに酔った。確りした踏み跡に導かれ千丈沢の側壁に出てしまった。
     何時.切れるか分からぬ霧の群.暫らく動けに間々岩角に腰を下ろし粒子の流れを見ていた。

   目の前を霧の粒が風に弾かれるよう流れて行く。何も見えぬガスに霧の種が覗まれる。
     焦る事なく見詰める粒. 色は識別出来ぬが粒の大きさと密度.流れが僕の前を横切った。
     飴をしゃぶり.じっと見詰めていた。

   流れる濃霧の隙間を縫って穂先が現れ,小槍が頭をだす。
     目の前にどっしり構えた山陰が.天まで届きそうな大きさで三角の穂先を現していた。
     今まで憧れていた槍の穂先が頭を上げると悠然と幻の如く現れた。

     P3付近.ガスの場合は迷い易い.天丈沢側の支稜へ入り易い踏み跡がある。空カンあり要注意.


    北鎌平より大槍.小槍

      山の連れ
   20分ロス北鎌平にでる。ここまで明峰山岳会の方と昨日から抜きつ.抜かれつの格好で登ってきた。
     七倉を出て湯俣で会い千丈出合まで共にし.昨夜.僕は二股上で彼はコルで夜を明かした。
   そして今日.北鎌を1本ごとに抜きつ.抜かれ.仕舞いにはどちらが休めば休みを共にするようなる。
     それ故北鎌平でも単独ならぬ単独になる。互いに持ち物を分け合い濃霧の中.天丈沢を絡むよう頂に立つ。

   後の2010年07月に彼の名前が明峯山岳会々員.堺沢行雄氏であると知る。私より2つ位年上のようだ。
     当時明峯山岳会は社会人山岳会として.名の知れた先鋭的な活動を行っていた。
     驚く事に46年の年月が経ち.知る事ができたのは山田洋浩昭氏が同会の会員であり.山の話を聞けたのが切っ掛けだった。

   その事を含め山田氏に連絡を取ると.話の最初の一言は彼の方から北鎌で堺沢氏と会っていないか?
     驚くことに山田氏も調べてくれていた。s43年度に北鎌へ単独したと伝えたことが.何処かで聞いた言葉として.私のHPを見ていたらしい。
     HPには「ザックに明峰山岳会と記してある」と一言述べているだけだった。

   巡り合った切っ掛けが私と結び付き.彼の記憶力と洞察力の素晴らしさを改めて知らされた。
     千天出合の吊り橋は現在改修されず.放置され無くなっている模様。 堺沢行雄氏の紀行文


    ニセ独標より大槍.小槍

    頂直下の上段チムニー
 
下段チムニーは残置スリングがあるが下のチムニーを避けるには右に回ると簡単にチムニー上にでる。

槍ヶ岳直下の上段のチムニーは左上に残置スリングがあり.チムニーの右側はフェンスになっている。
  チムニーを登ることにした。5m強のため左の残置に頼らず.チムニーの右側を登る。

驚くことにポイントにザイル.鎖が掛かっていた。
  登ると階段程度の歩きで直ぐ祠の裏から槍ケ岳山頂にでる。


    槍より横尾へ
     槍ヶ岳12:00一12:30(肩,合流)一14:00槍沢小屋:20一15:10一ノ俣:25一16:05横尾c2.

      槍の穂
   祠の横から抜け出した頂には同期松本嬢も関嬢も居ず展望すらなかった。一面に乳白色のガスに被われている。
     代わりに大勢のハイカーと出会う。



      , 大槍から槍ヶ岳
      槍ヶ岳山頂
   北鎌への憧れが余りにも強かったせいか.それとも山中で寝過ぎてしまったせいか.頂での感激は薄い。
     眺望があれば違った感動があったかも知れないが.それもなかった。ただ一つの行程が終わったような気持を抱いていた。

   持参した2つのカメラ,フイルムは巻くに巻けず.その間々残っされている。
     ガッカリした気を押し切って.槍の肩へ下た。

   槍沢の雪渓をグリで下ろうか一層足を伸ばし北穂まで行ってみようか.気は迷う。
     目の前に横たわる槍沢カールは壮大な残雪に被われ.今にも雨が降りだしそうだった。1970.10.27・・山頂からの北鎌と大展望

     槍ヶ岳北鎌尾根・・地形図.略図

    鷲羽岳周辺コース図   高瀬川濁周辺.ダム工事前後・・2図
     
   中岳〜横尾谷右俣略図  水俣乗越から横尾

   CA@コース.s45年10月.横尾谷右俣〜千丈沢
   ACBコース.s42年08月.立山〜裏銀.薬師岳経由大喰岳

   Dコース.,  s40年07月.初夏の表銀座


             , 頂から北鎌を見下ろす 
      槍沢と仲間達
   カールに疎らな人影が映っている。彼女達らしい人影が槍沢を下っていた。
     小柄な彼女とノッポの彼女.ここから見ると良く判る二人連れ.間違いあるまい。「ヤホー!」「立教〜!」と掛け声を掛ける。案の定.彼女達だった。
     停まって肩の方に頭を振り替えている。

      友との再会
   気のはしゃぐ僕,そして思わぬグリセードにキャアキャア奇声を上げる彼女達。僕の真似をし転んでは又奇声を上げている。
     ゆっつくりでも次第に長く滑るようなった。すると彼女達は得意そうな顔になってきた。
     雨が降りだしそうだと言っても雪渓の最後の最後まで尻セードを楽しむ彼女達。後は飛ぶように下る。

   横尾のテントと彼女達との会話が快い。ブヨも居ず広いテント。
     とうとう雨が降りだした。残雪はかなり多く槍沢では槍沢小屋まであった。天丈沢も二俣まであった。


              上高地への径
         槍沢.雪渓末端
     7月06日雨.一時天気雨.横尾
       横尾10:05一10:57徳沢11:15一11:55小12:10一12:50上高地13:55=新島々=14:00松本17:10=21:58新宿

   昨夜6時.大阪に低気圧が掛かり.それが東進と共に梅雨前線が上り雨型になる。
     昨日.蝶に登りたいと言う彼女達を強引に下山するよう勧め.食糧を綺麗に漁ってしまっている。
     実は僕の食糧不足と前線の上昇が大きな要因を占めていた。

   案の定.今日は昨日と打って変わり.時折激しく雨が降る。だが僕の強引さが,彼女達の計画を率いってしまったようだ。
     僕のザックに少しの食糧さえ有れば胸を張り強雨の中でも,登るかと優しく問ったと思う。
     結果を別として汚い自分の姿ををうやんでいる。それと何故か.共に下山の歓びを味わいたかった。そして新宿に着いても。

   フキを採り.お土産にして一緒に上高地へ降りる。
     梓川左岸の径.何時もながらブラブラ歩くには.この上もなくよい。まして仲間も居る。雨の中.詩的情緒にも触れられる。

   特に下りは荒々しい山から里へと.心をなごませ.癒される帰り径でもある。
     徳沢でにで強雨もは納まっている。小雨の降り注ぐ林径に心の寄り処を見いだした。飽きることのない道が続く。
     彼女達の顔も清々しい。上高地に近ずき尽つあった。


梓川左岸の径    .

   今回の山行は天気図と睨めっこの山行でもあった。2日漸く前線の南下の兆しがあり決行した。
     又,急に工藤が不参加になった為.一層天気が気が気でなかった。故.シュラフを持参しキスに変えたが.サブでもよかった。
     ツエルトは何処でも張れる。水は北鎌平でも10分も下れば得られるた。尾根上は疎らではあるが残雪多し。

   明峰山岳会の方と会わなかったら.もっと気持の違った山行になったかも知れない。これも山である。
     食糧の関しては反省の色強し。

   2食分の駅弁を買い損ねたこと.余りにも食糧が少なかったこと等。
     結果的には松本駅で別れた時,彼女達が差し入れしてくれた.サバの缶詰がありがたかった。
     今回の山行はたった1個の缶詰が私にとって.山を更に豊かなものにしてくれたいた。

     食糧.4日.昼食はサバの缶詰.キューリ半分.夕食は餅.コンソメスープ.玉葱.ハム.キューリの塩漬け
         5日.朝はラーメン.玉葱.ハム.行動食兼昼食.キューリ半分.メロン1ヶ.飴.ジュース
         6日.彼女らのフルコース
     出発下山は共に彼女達と同一行動を取る。



      北鎌尾根一人歩き・・・堺沢行雄氏

   7月04日晴
     七倉6:40一9:40湯俣10:20一11:20千天出合11:45一14:20北鎌沢出合:30一16:45北鎌沢コル.

     以前より歩きたいと思っていた北鎌尾根へ。一人で行けると言う,この上もない喜びを抱き,今七倉へタクシーで着いた。
   天気はよく周りは静まり一人ポッンとしている自分がおかしく思える。軌道歩きは大変なものと聞いていたが,漸く歩いているうちに慣れ
   高瀬川の流れと共にリズムに乗り不動滝の先の濁小屋に着く。ここで高瀬川は大きく左に曲がり濁沢に懸った橋を渡る。
   東沢を左に送ると第五発電所が現れ,大きな貯水池がある。軌道は地図上でも判る通り湯俣の近くまで延びているのだが,
   この貯水池の横で終わっていて何かから解放された感じで,やはり山道の方が歩きやすいのだなぁーと,馬鹿みたいな事を考える。
   平坦な道を行くと小沢がところどころにあり,休みたいような衝動に掻きたてられるが頑張る。

     湯俣にある晴嵐荘を対岸横に見て堰堤下の左手から入る沢の出合で最初の1本を立てる。
   後から追いついたR大の学生がこの沢に入り込んだので大声をだし呼び戻す。千天出合には水俣川に入るのだが?
   水俣川の出合はゴルジュ帯となっているのが地図を見てもすぐ解り,この沢との違いがはっきりする。
   そんなわけでこの学生と同行する事になり,堰堤のすぐ上から水俣川に入る。高度感あるバンドのヘツリ等あり楽しみながら行くが,
   丸太の橋の上に蛇が長々と寝ていて通るのに苦労する。何としても悪いと思った事は,雨押し出されたザレのトラバースである。
   一足出すたび流され,真横へのトラバースは大変でありザレと共に水俣川まで落ちそうな感じであった。
   楽しんだり苦労したりしている河原に下りると千天の出合であった。ここで学生さんにお礼を言われて天上沢に入る。

     期待していた第三吊橋は,対岸に一部残すだけで渡るには,ヌルヌルの丸太を木登りよろしく,木下りを冷汗をかいて渡る。
   山稜はガスがかかり残念である。そろそろ1時を回るので地図を広げ,注意しながら登るが何をどこでどう間違えたのか,
   大分上まで登ってしまい引き返す。北鎌沢はすぐ判った。出合にでてビックリ,登り1本を立てた場所が出合だったのだ。
   それも背中を向け地図を広げ何を考えていたのか今も判らない。早々北鎌沢に入り暫くで左俣を分ける。
   左俣は残雪が多そうだが右俣は少ない。雪渓が割れた間を水流に足場を求めたりして北鎌沢コルに出る。
   北鎌沢出合に泊まる予定であったが時間が早かったのでコルで泊まりとは調子の良い入山第1日であった。

   7月05日晴後曇
      北鎌沢コル7:10一8:20独標基部:40一10:20北鎌平11:00一11:45槍ヶ岳12:00一16:35北穂高岳.

     今日は大失敗をやらかす時計が2時間も遅れていたためである。夜中に全然眠れなくなるのも判る。
   その時に遅れていなければと後悔先に立たずである。再び寝て起きたのが5時少し前で,これは調子が良いとでかけたのが5時10分である。
   そして槍の頂上まで気がつかずノンビリムードで登ってしまい槍ヶ岳9時45分であった。

     前記のような事は知らずコルを後にハイマツに頼って2つほどピークを越すと岩稜帯になり独標が行手に聳え立っているが
   割と早く下に着く事ができ,トラバース地点が右上に望まれ,途中の雪渓をピッケルを出して一歩一歩登り着く。
   硫黄尾根が赤味を帯びた岩肌を見せている。遠景は雲の中である。独標のトラバースは細かいところを暫くで裏手ガリーを登って稜線に出るが,
   浮石多く緊張させられる。ここから暫くは岩稜歩きを楽しみながら行くとルートは千丈側を捲くようになる。
   ガスが湧きだして槍もたまにしか見る事ができなくなる。千丈沢側に大きな尾根があり踏み跡がはっきりしていて
   迷いそうであるが,左に稜線があるのだと思っていらばガスの中でも平気である。再び稜線に出て気分の良い稜線を越せば
   北鎌平の広場に出る。槍の頂まで1ピッチ,正面左にルートを選び登って行き,チムニーを登れば槍の頭である。

     肩から登ってきたハイカーさんのタイムを聞いていると実に妙である。ここで初めて時計の遅れに気がついた。早くつた喜びも束の間ガックリする。
   早々に肩へ下り北穂に向かうが精神的に参ると肉体まで影響してピッチが上がらない。今年は雪が多く槍沢等はビッシリとつまり中岳には
   1mほどの雪庇が出ていたのには驚かされた。・・・
   キレットを下り空は暗くなり悪化の兆しである。滝谷もそのせいか.やけに陰惨である。 ・・明峰山岳会々報より

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