| 奥信越.秋山郷から再び苗場山を目指す 我儘な仲間達と入山し.又もや滝嶋先輩の頂を踏む願望は失われる ・・奥信越.苗場山Top 今回のアプローチは信州側の小赤沢から入山. 「鈴木牧之の歩んだ道」を辿り.道中を含め変わったアプローチから望む山行になっていた。 途中.朝方の何でもない残雪のトラバースに難渋し.苗場山への登頂を断念する。 2015年06月04〜06日. L松村.m見城.滝島.鈴木.黒岩 苗場山は奥信越国境に跨る周囲10kmに及ぶオオシラビソの原生林に囲まれた広大な高層湿原を頂に持つ。 大小無数の地塘が点在する特別保護地にあり.8年ほど前に一度.滝島先輩の音頭で越後側の三国街道.祓川から苗場山に登っている。 この数年.山を共にし続けられた仲間達との切っ掛けをを作って頂いたのが滝島先輩。その彼だけが当時現地で不調を訴え.頂を断念している。 それ為にも今回は如何にしても苗場山の頂に立ってもらう必要があり.その為のリベンジ山行を企画した。 頂へのアプローチとして.今回は「鈴木牧之の歩んだ道」を選び.前回とは逆側の奥信越の中津川支流.小赤沢から再び目指した。 それは全員が確認している筈だった。ただ入山直前にテントキーとして参加させたいと願う先輩。キパーとしてだけの約束が再び不運をもたたすことになる。 上州中部の山並 関越道渋川付近手前で.9:21風強く右上に巻雲が現れている・・赤城山武尊山.吾妻耶山.谷川連峰 入山アプローチ jr御徒町6:36=東上線池袋¥520. 6:59=7:58若葉(若葉交差点32m). 見城.滝島.鈴木.松村が集合8:00=8:30東松山IC =赤城PAで黒岩嬢と合流=関越トンネルを越え風速0. 10:00=10:09湯沢IC.¥3.300. コメリ買出し10:46=R353号=十二峠トンネル =清津川小出⇔11:18清津峡.昼食:45. =清津峡トンネル=R117号山崎=清津大橋=12:00R405号(清津公園線)津南=逆巻温泉 =秋山郷.前倉橋=大赤沢=小赤沢=上野原=13:00栃川高原bc1. 東上線若葉駅に集合.上越道を走り続け.越後塩沢ICから十二峠を越え.信濃側にでて中津川に入る信州側のルートを選び. 栃川キャンプ場に幕営し信州苗場山に挑む。午後には降雨に見舞われると予報が出ていた。それでも残雪を踏みしめ大田代にでれば楽な行程に思えた。 それが無残な結末に終わっている。プローチとして街道を綴る愉しみも加えるどころか萎んでしまっていた。帰路は同期鈴木のお世話で.今回も六日町泊り。 魚沼丘陵と越後十二峠 R353号上野鉱泉を過ぎ.10:54境界尾根(十日町市と南魚沼市) 左手に大らかな790m圏コブ.その下の国道に十二峠トンネルが潜り.砥沢川沿いに清津川に下りている。 右手は地形図を読むと起伏激しく望める790m圏コブ。右側の谷間を詰めれば十二峠にでる。 十二峠には国道17号線.三国街道.塩沢から左折して小黒沢沿いに入り.上越新幹線の鉄橋を抜けると境界尾根の右山腹を潜る十二峠トンネルに入る。 峠越えをしてからは清津川へ下っている。倉下からは砥沢川左岸沿いに下り.清津渓谷を左岸に渡って.上流に向かえば清津峡へ。 湯沢のスーパーで仕入れた弁当を持ち込み.河原で.昼食を摂りながら渓谷美も味い.「鈴木牧之の歩んだ道」を歩む。 私が十二峠にスキーツァーで訪れたのは45年前の3月だった。石打の民宿に宿り.花岡スキー場を横切って上野鉱泉手前から峠路に降りている。 当時は豪雪で里道の両側は雪壁に挟まれていた。早朝だったためキジが驚き.脇下の茂みから飛び立っている。 まだ国道の十二峠トンネルもない時代だった。峠道は雪に埋まり失われ.周りの段々畑は雪下に埋まる雪原下で.細いトレースを踏み締め登っていた。 民家が疎らになると峠へのルートは左岸の支流に入り.国道376m点から北西への枝沢を詰めている。地形図には現在も破線で表示され.峠越えしている。 この魚沼丘陵の十二峠越が冬期の唯一のルートだった。踏み跡もなくなり.スキー板に付けたシールを頼りに一歩一歩登り詰めていた。 途中で倉下からの2人の男衆に擦れ違っている。彼等はワッパの跡を残し.湯沢に買い物に出掛けてきたと云っていた。 十二峠には小さな祠と炭俵小屋があった。帰路は直滑降で恐ろしいダイビング滑降を味わっている。又鉱泉近くに駄菓子屋のような雑貨屋があり. 行きには閉まっていたので分からなかった。倉下の衆も休んでから街に出向いたと云う。帰路ここでラムネを飲んだ。十二峠スキーツァー. それが今は進む先にビルが建ち並び.全てか新しい建物に思えた。農家以外何もなかった所に.それも疎らな大地に立派な2車線の道路が綴られている。 過っては狭かった細い道は立派過ぎ.何もかにもに不思議な気持を持ち.アッと云う間に通り過ぎている。 清津峡 清津川上流小出温泉奥.11:33 川縁を綴る古道の石積み.11:34清津峡 信濃川右岸支流の清津峡は黒部渓谷・大杉谷と共に日本三大峡谷の1つと知られ.昭和24年09月に上信越高原国立公園に指定されている。 両岸に切り立つU字形の大岩壁は500万年前のマグマが柱状節理を創り.隆起と浸食を繰り返し.急流をも伴ないダイナミックな景観をもたらしていた。 核心は「小出奥の景」と呼ばれ.「この峡谷はU字型に形成され.我が国の峡谷の多くがV字型なのに対し雄大豪壮」の渓谷と云われていた。 国の名勝及び天然記念物にも指定され.平成8年には観光用「清津峡渓谷トンネル」が完成された。その手前の河原で昼食を摂っている。 以前は遊歩道(登山道)から観賞できたが.落石死亡事故から歩道が造られ.登山道は通行は禁止にされている。 又過っての伐採用の林道は下流にその小さな隧道跡が見られ.中津川は全長12.5km. 2002年に清津川ダムの計画は自然保護の立場から 中止されている。核心部は通行止.通行できるのは上流側の八木沢から鹿飛橋までの間で.右岸には平坦な遊歩道が綴られている。 ここは渓谷美もさることながらブナの宝庫. 右岸の尾根沿いは.十二峠から南方に延び.湯沢高原になり.栄太郎峠が峠路になっている。国道は芝原峠. 小赤沢赤石沢と日陰沢との中間尾根を 中津川渓谷左岸道より.右上が鳥甲山.12:38清津峡トンネルを潜り.清津川右岸沿いを北上.信濃川の出合付近でR117号(長野市=小千谷市)に入り左折した。 清津大橋を渡り.信濃川に並行するよう中津川橋手前の大割野(津南)の街並にでて左折.中津川右岸の段丘をR405号線で南下し秋山郷に入っている。 中津川ルート・・鈴木牧之の世界 中津川と信濃川の合流点から河川段丘が広大に発達し.中津川右岸沿いに.その高みが長く見上げられている。 中流には対岸.遠方だが穴藤ダム.中津川第一発電所の高圧鉄管が眺められ.逆巻温泉付近で道中の半ばを迎えている。右下に見下ろす水田は石垣田らしい。 そのまま右岸を綴ると東秋山林道を分け.左岸沿いの国道405号線に入る。柱状節理が見事な布岩で聳え.絵になる中津川渓谷を遡っている。 右岸に渡る前倉橋は「新潟の橋50選」に選ばれている目立つ赤いアーチ橋。直ぐ東秋山林道が合わさり.支流の硫黄川境橋を渡っている。 国道は信越境界線上になり.硫黄川沿いからは苗場山へルートが延びていた。又大赤沢新道の登山口が出合の直ぐ上にあった。 頭上には送電線切明線が延び.左岸の大分高い山腹には秋山林道が刻まれ.これ又高みに見上げられていた。 続く小赤沢橋を渡れば小赤沢3合目に至る北側の登山ルートが沢沿いに延びていた。3合目登山口からは明日の下山で帰路として. このルートを綴り降りている。南側は上野原バス停前のT字路から登るルート。明日は朝方.栃川高原キャンプ場からここまで戻り.苗場山へ取付いている。 右岸の高みに上がるとその先で.中津川本流を隔て.段丘に群がる屋敷の集落が見下ろされた。 川畔には以前鳥甲山で宿った懐かしい「秀清館」が見下ろされた。国道は更に杉の樹林帯の右岸沿いを綴っている。 「のよさの里」がある上野原(上ノ原)を抜け.少し進めば栃川高原の道標を左手に見て.栃川キャンプ場にでた。 漸く今日の憩いの場にたどり着く。温泉宿もキャンプ場にもハイカー見られず.我々の天幕2張だけがこの広大なキャンプ場の片隅に張られていた。 国道を直進すれば観光道路として.河原を掘れば温泉が湧く切明温泉に至る。魚野川と雑魚川の出合から雑魚川沿いに秋山林道を辿れば奥志賀へ。 本流を点線国道で詰めれば渋沢ダムを経て.源流の野反湖まで綴られていた。懐かしい地名を示す山域に入っている。 過って切明から奥志賀を抜け.草津にでている。又「点線国道」の頂点からは.このメンバーで.白砂山の頂点にただり着いてもいた。旧草津街道経由. 栃川高原キャンプ場.13℃ 背は小赤沢登山口から苗場山に向かう尾根.14:43秋山郷 秋山郷は新潟県中魚郡津南町と長野県下水内郡栄町に跨る中津川流域の名称。新潟県側には8つ.長野県側には5つの集落がある。 東側を苗場山.西側を鳥甲山に挟まれた山間地域で.県境は境橋。上野原地区の南方にある栃川キャンプ場に宿る。 鈴木牧之 江戸時代の文人.鈴木牧之は1828年秋に秋山郷を訪れ.「北越雪譜」と「秋山記行」とを著し当時のベストセラーになっている。 旅の発端は「秋山郷は平家の落人の村かどうか」を確かめることだったとか? 又秋田マタギの定着説あり.以前鳥甲山から下った折.大ブナの幹にに刻まれた多数の熊の印を見ている。 対峙する鳥甲岳も多かった。鈴木牧之は渓谷美や秘境の風俗.習慣に感動し.詳細な挿絵を交えた紀行文を多く残していた。 約190年前の9月,塩沢生まれの鈴木牧之は桶屋団蔵に案内を頼み,殆ど今回の我々のルートと同じ行程で湯本(切明)まで6泊7日の旅にでている。 十二峠越えをし野士(太田新田).小赤沢.湯本に逗留.上結束.小出と宿り.再び十二峠越えをして塩沢に戻っていた。 秋山郷に出向くこと自体が.当時としては脅威を感じ.越後から秋山郷に向かうのは今も昔も変わらぬ旧道を綴っている。 今回の我々は栃川留まりだが.前回は切明まで足を延ばし.雑魚川から裏志賀に抜けていた。 広い草付きのキャンプ場.18:50オートキャンプ場の上野原温泉.牧之の宿「のよさの里」を敬遠し.直接栃川高原の原っぱのキャンプ場に出向く。 使用料は車@¥2.500+@¥500.共に栄村営だが栃川高原は栃川温泉「ひだまり」に委託されていた。 車@¥1.000+@¥500. 風呂¥500. ここまで公共機関を利用した場合はjr飯山線津南駅から徒歩20分. 津南バス停.南越後観光バス.和山温泉行60分で小赤沢バス停.三合目までは徒歩80分。 上段が駐車場とトイレ.15:53広いキャンプ場には既に程よい感じで野草が茂り始め.車は我々の2台のみ。中途半端な季節.残雪を敬遠してか. 一般ハイカーの入山はまだ少ないようだ。宿はまだ釣人ばかりだが.今日は何人も宿っていなかった。その為か? 焚火は許されている。 左側の谷間が栃川.遡る裏側の平太郎尾根(平太郎沢右岸尾根)を詰めれば坪平にでて.小赤沢川コースと合流し苗場山に導きられる。 日没と焚火.19:15倒木は幾らでもあった。その上.宿の主人からケース一杯の樹皮の差し入れがあり.生木を燃やす手間を省いていた。 重い雲層がキャンプ場を覆い.時折蒼空が風に流され顔を覗かせるも.広がることはなかった。 舞っていた風が納まるだけで吉とする。気温は10℃を割っていた。予報では明日は午後50%の確率で降雨がある模様。 森のキャンプ場からヒュッテ「ひだまり」.15:08落葉松と白樺に囲まれた宿脇のキャンプ場に水場あり.直火は一般的には不可. 宿の女将さんからは「曲竹.チクワ.コンニャク.ウドの佃煮」の差し入れあり.何とも言えぬ美味さ。ただウドを一緒に煮込んだため. 歯触りがもう1つ。柔らか過ぎたのが残念だった。お礼に伺うと.又もや「あいこ山採」の差し入れあり。 小赤沢登山口から苗場山・・6月05日(金).曇後雨 栃川キャンプ場6:40⇔7:06上野原から小赤沢登山口:20一7:55四合目8:05一8:40五合目上:50 一10:00残置ロープ上:30・・戻る. 一11:39五合目一12:50三合目登山口.小赤沢を経て=栃川キャンプ場. 鳥甲山 2009年06月登頂・・5日6:22幕営地から見ると北側は上野原地区の西側の谷間下で和山地区になる。 その対岸には大鷹が翼を広げ鳥甲山の全容を羽ばたくよう聳えている。懐かしい風景が広がっていた。 6年前の6月.このメンバーで.ムジナ平から山越えをし秋山屋敷温泉に宿っている。 左手の裾から右周りに縦走した峰々が鋸の歯の如く望まれ.正面の数mのトラバースが肝を冷やした所だった。 下りは雨にたたかれ泥んこになってしまった。うっかり飲料水を忘れ昼食抜きの珍道中。如何でもなるこのメンバーだったからこそ登れた山でもある。 苗場山に登るため小赤沢登山口に入る。栃川高原を降りて国道にでた所で.鳥甲山の壮大な姿が望まれた。 中津川の谷間に幾つもの谷溝を刻み.鋭い屏風の岩溝を連ねていた。ただ山肌に朝焼けが薄く.どんよりした唯ずまいを現している。 やや明るくなった高曇。朝の明るさは乏しい.雨の降る前に登らなければ。 鳥甲山の岩壁・・万仏岩.白ーノ頭1944m.カミソリ岩.鳥甲山2037.6m 左景アップ.R405号線より.6:22左下がムジナ平登山口・・奥志賀.切明に至る カミソリ岩.鳥甲山.赤ーノ頭1830m.右に切れた先が赤ーノ肩1671m 右景アップ赤ーノ肩の先1460m地点で屋敷の集落登山口.1290mにでる。河川は左から万年雪の白沢.枝沢に分かれる赤ー沢.右手が滝沢になる。 苗場山 佐武流山〜白砂山の稜渋沢流域・・手前は左側は八十三山(やそみやま). 中央遠くに窪みに雪田を付ける苗場山が望まれる。 苗場山 この脊稜からは左手(北方)に目を向けるならば白砂山から佐武流山,苗場山へと綴られる尾根が北上し延びている。 写真は佐武流山に至るまでの尾根. その中央の佐武流山と赤土居山を繋ぐ起伏の真中の小さな鞍部に苗場山の頭がちょこんと望まれた。 肉眼ではっきり見える3つの大きな雪田が頂に添うように張り付いている。白砂山の南側肩より撮影 ・・2012.06.29/10:40 5年前広島に住む竹永氏が百名山を目指し.越後側から苗場山に登っている。 丁度今頃だったと思われる。梅雨期の山行.大らかに広がる湿原からの展望には恵まれなかったが.ガスが掛かる幻想的な頂だった。 小赤沢登山口から苗場山・・ キャンプキーパーだった黒岩嬢が急遽山に登ることになったらしい。下調べで6月になると登山道ルートでは軽アイゼンは必要としていなかった。 ただ残雪は白根山と同じように多いと思う。「苗場山に三度雪が降ると里にも雪が降る」という俚言通り.大きな山. 残雪が多いのも確かだった。 ふと不安を持つが見城氏から9月に一緒に登っていると聞き.やや安心して共にに入っている。今回は滝島氏の為.何が遇っても頂に立たねばと。 まずブナの森に入り込む.7:30登山口 小赤沢登山口は小赤沢を遡り.二俣赤石沢と日陰沢との中間尾根を登り.檜ノ塔尾根の肩まで詰めればテーブルマンテンの台地にでる。 里道は右折して国道405号線に入りると小赤沢の集落手前に上野原バス停前のT字路がある。そこを右折し.登山口に向かっている。 右手に「のよさの里」の道標を見て.高台には鳥甲山の展望台があり.何も印もなかったが.その先には小赤沢集落からの分岐があった。 三合目登山口に残雪は殆ど見られなかった。片隅の雪溶ける残雪縁にはフキノトウが幾つも頭をもたげていた。 直ぐ尾根に取付き痩せ尾根のブナ林に入る。足元には多年草でやや湿った所に生えるショウジョウバカマが2.3株ずつ纏まっている。 点々と淡紅色の花を咲かせていた。右手対岸が開かれると栃川から平太郎尾根の北側の各枝沢は一面の残雪に埋め尽くされ. 雪解けの水が威いよい滝となり流れ込んでいた。 お花畑.8:17春の陽光に透けるようなヤマツツジ 急登の尾根伝いに入る。振り返ると背に鳥甲山が遠望でき.抜けると四合目1470mにでて.早いが1本取る。 道標から右へ降りた所に水場あり.湧水のせいか余り冷たくなかった。味は薄く洗顔して.先へと歩んでいる。 この先は径脇に鐘形のコイイワカガミの群生が見られるようなった。それと共に尾根幅は広がりだし.足元の道伝いに チラホラ残雪が見られるようなる。巨木の喬木林に覆われる尾根。朝方の薄日が薄ら陰を落としていた。 尾根を外れ急に大地は残雪に覆われる.8:28尾根筋が緩みだし.五合目1580mを過ぎると大地の半ばは残雪が占め.トラバース気味に斜上し山腹を回り込む。 そしてブナ林が遠ざかると足元は更に広く残雪に覆われた。浅く埋まる雪面は既にトレースの跡は見られない。 フクロウの森 コメツガ林.9:03コメツガ.ダケカンハ.大シラビソの交わる樹林帯に入る。裸土は失われ.幹に塗られた赤いペンキと赤いテープのマーキングを目印に進むようなった。 小鳥の囀りはまだ全く耳にせず.先程からフクロウが低い音色を響かさていた。そう云えばムジナ平から鳥甲の登りでもフクロウの啼く声を聞いている。 あの時は時期も違うがウグイスとの合唱が続いていた。 滝さんが動物の踏み跡を見付ける。熊にしては小さい。3本ツメはカモシカだろう。ただ他の動物の足跡は乏しい斜面。 雪表は湿雪だが下層は固まっている。ペースを上げるには丁度よい.残雪の広がりを見せていた。 残雪と藪に覆われた大地.9:24ダケカンバの眩い若葉 展望が開かれた場所にでる9:25残雪の白さに映えるダケカンバの初々しい若葉の煌めきを見ている。周りが雪白く見渡せる為か.その瑞々しさに心を奪われた。 先の展望は中津川の谷間か? 対岸は鳥甲山から延びる尾根になる。その先は信濃川に川名を変えた千曲川.すると奥の山並は関田山脈。 スノーシュを付けたOB親睦会で2月に鬼ブナを探しに出掛けた山並だろう。ただ確信は持てなかった。 猿面峰1832m 奥の峰は大赤沢コース.10:06難渋のトラバース この開かれた景色の上部の斜面は雪渓のトラバースになり.対岸に張った残置ロープが雪に中半埋もれながら見付けられた。 短いがその上まで行くには急斜面が横たわり.下流は広く扇状に切り開かれた雪面で覆われている。 下部の藪まではかなり下.落ちれぬ距離にある。まだ雪表を蹴ると跳ね返る硬さをもっていた。 何ともない所だが下方を見て恐怖心が芽生えれば滑り落ちる。ピッケルもアイゼンもなく.底の藪まで滑落するだろう。 彼女一人で歩むには無理に思われた。如何に彼女を通過させるかに掛かっていた。 雪斜面の上部は2つに分かれている。手前は緩斜面で横切れるが.その奥側の斜面は傾斜が強過ぎ無理。 藪竹と残雪の境を詰め高巻くことにした。鈴木がトップ.次いで見城さん.彼女の後に私が付き.ラストは滝さんに任す。 細いが藪竹を2.3本掴めば体を支えるに十分だった。 ただ足場を蹴り.除かれた雪の跡は根竹に足を乗せるだけでも滑る。腕力さえあれば如何でもない所。彼女には頑張ってもらわなえれば。 力が抜けつつある彼女。声を掛け.足場を少しでも確保しようと手を添える。そしてツメにでる。今度は藪絡みの藪漕ぎになった。 先を行く見城さんは彼女の後に付かず.離れてしまっていた。彼女一人で藪を漕ぐ。 後からストック2本を束ね,彼女の先を幾らかだけでも開けるよう.分け押し開き.徐々に前進し藪とも解放された。 ここは六合目1750m直下.ロープ帯を左から漸く高巻いたことになる。 疲れがでで大休止を取る。そして先と下山を考える。見城さんは「彼女と2人で下山する。」と云う。ただ2人だけで降りるには更に 危険過ぎると思われたもう少し時間が経てば雪質も緩み.如何でもなる所だが足に力が入らず.急斜面にステップを切り下ることになった。 気を抜けば落ちる。短い距離だが足場を作り.気を引き締めて下るしかなかった。 彼女を降ろしてから戻る時間は限られていた。昼頃から雨が降る。頂を諦め.共に下山することにした。 今回は登れる筈の頂を諦めざる得なかった。アイゼン.ピッケルがあればと云うも後の祭り。 それ以上に本来なら男のみ.実績から見て道具のいらぬ場所だった。真夏のアルプス早朝より.楽なトラバースになっている。 先を諦め戻る この先に急斜面のトラバースがある.10:57下山 今来たルートは5人で足元の残雪を崩し.戻れず。本来のルートを下降する。ただ最後のロープは雪中に埋まり.自力でトラバースさせるしかなかった。 私はステップを深く切り.滝さんの後に彼女を付け.ゆっくり確実に滝さんの足元を見詰め下ることを促す。 途中で軽くスリップした時はハッとし「焦らず!」と大声をだす。見ている自分が怖かった。20mもない距離だが無事降りている。 元気の下る姿.11:02 残雪の溶けだした長閑な風景.11:15 11:192人の笑う会話にホッとする。ただ危険がなくなった下りではパーティに付くのではなく.少し離れ自分達だけで下り. 少しガッカリさせられた。常にラストを歩んでいた私。2人を残し先を歩む。もう少し山に対する慎重さが欲しかった。 如何にかなると惰性だけで登られたら困ることもある。 11:53カッコウとフクロウ 戻る森でカッコウの鳴き声を聞く.行きはフクロウと。共に山の主.同類でないので縄張りも関係ないようだ。 カッコウは日本では夏鳥として飛来。本州では中部以北.北海道が行動範囲。明るい森や草原を好み.緑地率が50%以内とになると飛来せず. 谷間では1つの番しかいないと云われている。「カッコウ」と鳴くのはオスで.メスは「ピピピピーッツ」と響く。 又カッコウは体温が低く.自分で卵を温められず.托卵した卵から孵ったそのヒナはウグイスやオナガの卵を巣から落し .自分だけが仮親に育てられる。数合わせをし.小鳥類の卵は16日程度で孵化するがカッコウは12日と短く.卵は硬い穀で被われている。 朝方のフクロウは透き通ったよく通る声で残雪覆う森に響き渡っていた。低音で魅力があり.メスは低くかすれ余り響かないようだ。 フクロウは渡りはせず夜行性で.視野が狭く.首は約270度回すことができる。左右の耳は大小.両側はずれた位置にあり。 それで遠近位置を測定している。異常に発達した聴覚は.音により獲物の位置を特定し.雪下のネズミや地上近いトンネルを移動する モグラやヒミズを仕留めている。樹洞に巣を作り平均寿命8年. 鳥甲山 戻り.最初で最後の展望らしき風景.12:20頂への距離は短く.裾は変化に富んだ起伏に残雪を乗せ.優雅なアプローチを創っている。 夏径と異なりルートを探るのも楽しい。雪が付けば最短ルートでも面白そうな山だった。 最後の1本.12:25 杉の巨樹林.12:26 ブナ林裸土の登山道になり.ツガから巨樹の杉の原生林を見ながら.ブナの尾根を下る。根っこのトンネルを潜ると朝方の登山口にでた。 登山口に戻り.霧雨が舞い始める。天幕を撤収しなければと山菜を採る2人呼び下山した。 兎も角.頂に立てた山行だっただけに.今回は残念な山行になる。下山路は「上野原.小赤沢.登山口」の道標分岐からは 小赤沢ルートを取る。右手に見た目より立派な「大瀬ノ滝」15mを見て.R405号にでている。 下山アプローチ 栃川キャンプ13:45=R405号.大平「大平」蕎麦15:00=R117号.山崎⇔R353号=清津川トンネル=清津川葎沢(むぐら) 15:25通行止で戻る。R117号山崎=伊達=入間川.野中付近で右折し当間川沿いをR117号へ戻ったか? 伊達=R253号.山本=川冶川=八個トンネル.平手川=魚沼スカイライン口=R17号=16:30パレス六日町.h2・・20:30鮨「北海道」帰宅. 鳥甲山と屋敷地区 R405号より.13:57国道から左に分ける林道(冬季間閉鎖)を下ると旧大秋山村になる。中津川対岸右端下が前回泊った「秀清館」. 帰路アプローチ 霧雨が降り始め.慌てて天幕を撤収し.昼食のカレーうどんは諦める。帰路はR405号にでて. 見納めの旧大秋山村を見下ろし.往路を戻っている。昼食は中津渓谷を抜け下流の大平.蕎麦処「大平」で摂り.R117号から清津峡へ。 秋山郷 野反ダムを源となす中津川.約200kmの標高213m付近の左岸段丘面にあるのが屋敷地区。1.3〜1.4万年前以降. 堆積土中の縄文時代草創期から弥生時代に至る遺跡が見つている。大秋山村.この沢を秋山と総称するようになった源の集落。 1783年(天明3年)の天明の飢饉で8軒の家が滅んでいる。又現在は冬期道路は閉鎖され.豪雪の地域として全国に知られている。 下山してからは車の迷路・・再び清津峡に戻る 昨日昼に通った清津峡葎沢(むぐら).小出の集落.15:29R117号線から R353号線は今年の4月.葎沢地区内の土砂災害で5月11日まで通行止めになっていたが.往路は知らずして運よく時間指定で通れていた。 復路は清津峡トンネルまで入り.R117号から往復する羽目になる。片側交互通行(7:00〜8:00.11:00〜14:00.18:00〜20:00)。 チラシには「迂回ルートは伊達.県道76号=大沢トンネル=県道76号=R17.砂押.右折=湯沢」とある。 このチラシに従い.戻り右折してR117号に入り.伊達の交差点で「石打」の道標を見て.右折した筈だが。 右手に河川が流れ.緩やかに規則正しく登る丘陵の水田の浅い棚田地帯を登っていた。 地図を読むと当間川右岸沿いにも思え.すると伊達の交差点が可笑しくなる。右奥のゲレンデが「なかさと清津スキー場」だとすると 入間川から当間川を下ったのか? どちらかだが不明過ぎ.R117号に戻っている。 再び伊達の交差点からR117号.本山交差点を右折しR235号に入り.川冶川沿いに遡り.八箇トンネルを潜り.平手川沿いに直接六日町にでた。 途中で魚沼スカイライン口を見て.北越急行ほくほく線を横断し.R17号三国街道を右折し.jr六日町駅を確認.パレス六日町に16時半到着した。 昼食を含め3時間弱の行程になった。 上越国境魚野川右岸の山並 パレス六日町9Fベランダより.18:08展望 9Fのベランダからは六日町.塩沢の街並の先に巻機山から万太郎山に掛けての山々が遠望された。左の尾根は3年前に登った金城山. 以外と渋とい山だった。その時もこの宿にお世話になっている。荒天で続く巻機山を中止し.赤城山に変更している。 その肩上に突き出すのが巻機山.昨年の秋.巻機山麓キャンプ場から同メンバーで頂に立っている。巻機連山から朝日岳へ連なる越後山脈。 正面は登川左岸尾根と飯士山. 右奥が谷川岳から連なる万太郎山。共に昔夜行日帰りの山域だった。 抜戸山 霧雨舞う魚野川左岸河原Pより.10:376月06日(土).雨後曇 パレス六日町11:00=12:00R17号三国トンネル=13:10渋川IC=13:50東松山IC =15:00若葉駅.解散:08急行=15:52jr池袋. 昨日夕方から降り始めた雨は朝になっても治まらなかった。5/20日沖縄で梅雨入りし.6/2日には九州地方. 8日には関東甲信越地方が梅雨入り。今朝は本降りになり.気温は11℃と肌寒い。朝食にカレーうどんを食べ.三国街道から 上越国境を抜け.渋川ICから直接.東松山ICに抜けている。 途中の三国トンネルは前回の巻機山々行と同様.先導車による片側通行なる。利根川沿いにでて雨は止むも. 愚図つく天気は続いていた。渋川で見城氏.黒岩嬢と別れ.若葉に戻り.バーミヤンで遅い昼食を摂り解散した。 入山一週間前.夜明けに自宅で右ふくらぎの肉離れ.筋断裂のため炎症が起きている。そして.6/2日に再び同じ場所で起きていた。 年に何度あるかないかの肉離れだが今回は違っていた。念の為入山からストックを使用。何も起きずホッとしている。 炎症どころかふくらはぎや腿の痛みもなく.ストックの威力を痛感する。左足首だけがやや嫌な感じを抱かさせていた。 09「志賀高原.草津白根山.四阿山」.長野県側苗場山登山道パンフレット・・スカパ布製登山靴.スパッツ.携帯電話不携帯 |