苗場山 ・・新潟中越地域Top
       2007年07月. 三国街道.祓い川の和田小屋から苗場山
       2015年06月. 奥信濃.小赤沢から苗場山. 途中下山・・鈴木牧之の道

    T先輩が広島から百名山を狙い上京・・梅雨末期の越後苗場山テーブルマンテン
      越後側.和田小屋から苗場山をピストン・・赤城山「みやま山荘」泊まり. 2007年07月21〜22日.L松村m見城.滝島.竹永.鈴木

     7月21日.和田小屋より越後苗場山ピストン
     7月22日.赤城山の湖畔を散策

   同期鈴木と滝島先輩に先月.北秩父両神山に誘われている。それを機会に再び翌月には猿ヶ京温泉に誘われた。目的は奥上州白毛門.
     卒業後.何度となく山行を共にした見城先輩も参加を希望。広島から急遽竹永先輩が加わり.百名山を目指す彼に合わせ.未登の苗場山に変更した。
     私は百名山に全く関心を持っていなかった。数えたこともない。誰が数えてきたのか.私は残り30座と聞き又もや驚かされている。

   梅雨期末期を迎えた前線が苗場山の頭上に居るわっている。明日は西日本は梅雨明けで上信越地方も週末には大方明ける見込み。
     朝方の都心は傘を差すか.差さぬかの程度の霧雨が舞っていた。

   今回はTさんの通い慣れた猿ヶ京に泊ることが決まっているので.無理せず祓川からピストンすることにした。
     苗場山・白砂山周辺は最近山道が復活されつつあるも.廃道化された藪径がまだまだ多い。

   清津川と中津川水系に挟まれた長く連なる苗場山の山稜の末端は千曲川に注いでいる。裏側の中津川側には秋山郷があり.
     隔て苗場山とその先で対峙するのが夢に見る鳥甲山が聳えている。未だ見ぬその山容は苗場山に立ちさえすれば雄大に望まれる筈だった。

      苗場山
   苗場山は長野県下水内(しもみのち)郡栄村と新潟県南魚沼郡湯沢町と中魚沼郡津南町にまたがる成層火山。標高は2145m.
     上信越高原国立公園の北端に占め谷川岳と並び越後の最奥部に位置し.北信濃最奥の境の山並の中にある。

   谷川連峰の西端.三国峠から先の西側に連なる県境背稜は白砂山を経て.野反湖から志賀・草津白根へと綴り三国山稜が延びている。
     白砂山は越後の最南端の山でもあり.3県に跨る県境の背稜に位置し.北側へ連ねる稜は佐武流山から苗場山へ至っていた。

   越後の文人,鈴木牧之の文書によると「苗場山は越後第一の高山なり。絶頂に天然の苗田があり.よって昔より山名として呼ばれるようなった。
     峻岳の巓に苗田あることこれ奇なり」と1835年発行した書にこう記されていた。
     浸食カルデラの頂は4km四方に及ぶ高層湿原を展開させ.無数の池塘が点在し.高山植物の宝庫であり.大地の縁には木道が綴られている。

     7月21日霧雨後小雨. 上野.上越新幹線「谷川401号」¥6490. 6:68=8:04越後湯沢.R17=祓川駐車場9:00.

      アプローチ
   上野駅ホームに滑る込む東京発.新幹線の車内には見城.竹永両先輩が席に大の字を占領し.何十年振りの笑い顔を浮かべ迎えて下さった。
     越後湯沢駅で前回山を共にした滝島先輩と同期鈴木と合流した。現地越後湯沢では一日中.小雨の予報がでている。
     運がよいのか道路は次第に乾きだすも.重い雨雲に覆われていた。

   越後湯沢駅から国道沿いに芝原峠を越え.三俣からガスに包まれた苗場山の裾野へと入り込む。
     這い上がるガスで頂稜は望めぬものの.周りの樹林は梅雨期だけに瑞々しさは満ちている。

   和田小屋を過ぎ.10:56

       祓川(和田小屋下20分)9:00⇔10:30下芝一11:30かぐらリフト終点一小松原分岐一神楽ヶ峰一12:30雷清水一13:20苗場山.
      入山
   祓川とカッサ川に挟まれた広い尾根沿いに車を走らせると和田小屋手前に登山口のPにでる。
     旧登山道はブナの原生林を縫い.名ばかりの町営駐車場にでて短パンに着替え.山支度を整える。

   ブナの伐採された幅広い尾根.かぐらスキー場を登り始めている。2つの山道は共に合流する和田小屋まではどちらも大して変わりはない。1km位である。
     背の魚野川沿いは黒く垂れ込む雨雲が覆う中.天空を突き出す形で飯士山の山陰が濃い墨絵に描かれ望まれた。

   この景色は40年近く前に魚沼丘陵の中越十二峠へ山スキーに出掛けた折.少し北側から同じような飯士山を遠望していた。
     当時は3月頃だったが昼間は猛暑となり.腐る残雪に煌き光る遠望の飯士山を十二峠から振り返りつつ見詰めた山になる。

   谷川岳から魚野川に落ちる顕著な山稜の末端は飯士山まで続き.墨絵の如く望まれた。それも再び振り返ると見る間もなく重い雨雲に包まれている。
     この景色が今回の山行で.最初で最後の眺望になった。崩れ気味で薄暗さが増す大地.見納めになろうとは思いもよらなかった。
     もう視界を閉ざされ流れる雲の切れ目も失われだしていた。まして向かう苗場山は雨雲に深く隠されている。

   ワタスゲ.11:35

      まだ見ぬ苗場山
   深田久弥氏によると 「塩沢町のある魚野川の谷からは苗場山は見えない。湯沢の大峯からも頂は神楽ケ峰が邪魔をして.
     苗場山は見られなかった。大峯から高津倉山の方向へ進むと初めて.あの広大な背を持った苗場山が姿を現れてきた。
     山並みらしい山の多く重なっている間に.その広大な図体を横たえていた。」とある。

   これらの苗場山を探した峰々は1970年の正月明けにスキーツァーで抜けたことがある。しかもバッケンが壊れ悲壮な山行になっていた。
     当時.尾根上に雪雲との接線が被り.魚野川方面を望むと麓は陽射しを浴び長閑に見えている。
     一方清津川方面は暗い灰色の世界に覆われていた。今回も時期こそ違うが同じような重い雲に閉ざされていた。

   下芝で1本.13:12

      入山
   ブナの原生林を楽しみにしていたものだが下芝までの登山道は期待を膨らましていたものの.大いに喜ばすほどのものではなかった。
     もっと裾近い所に大きな森があるかも知れない。聞くところよると遡ってきた林道も.昔ブナの伐採用に造られたとか。

   広い尾根状の小道は降雨に見舞われば沢状となり.根瘤や岩肌の露出が激しく歩き難し。両神山ほど急ではないが同じようなジメジメとした山径が続く。
     下芝付近より樹相はブナから針葉樹に変わり.オオシラビソやコメツガが混じるようになる。又モミの木の方が見ごたえがある。
     更に白樺の巨幹に凄みを感じさせられ.岳樺も目立つようなる。そこを抜けると視界が広がりだす筈だった。

   2時間半で中尾根との境をなす白樺沢沿いの最終スキーリスト終点にでている。リストを見ると馬鹿らしくなるがペースは初めから落ちている。
     Tさんは途中で体の不調を起こし原因が分からないでいた。彼は入山のタイミングを失い.一人下山することになる。

   彼の背負ってきた畑からのトマトとキューリは新鮮の上.間食には野菜や果物が最高だった。それを譲り受けている。気を使い感謝して食べている。
     それ以外に私はミカンを持参した。

   両神山々行では初めて私は初めてメガネを使用。汗がメガネを曇らせ.手間ばかり掛かりわずわらしい。
     メガネを掛けるのを止める。すると裸眼は向かいくるガスが額に当たり心地よさを感じさせていた。常に霧が舞い.目でもその外気の冷たさを感じている。

   天候に関係なく展望の利かぬ登りが続く。樹林を抜けると幾らか明るい中芝に飛びだしている。
     振り返れば平標山から仙ノ倉山と上越国境の山々と魚沼の山々が連呼の如く見える筈だが.向かいの尾根さえ望めぬガスに遮られていた。

   上芝から神楽ヶ峰を越えると山道は一旦下りになる。視界は相変わらず全く望めず.雄大にどっしり構えている筈の頂も望められずにいた。
     雷清水(カンナリ)の冷水で喉を潤し.最後の急登に掛かる。ダケカンバとお花畑が道脇を被い.一瞬の視界を期待するもガスは切れなかった。

   登り続けて3時間半が過ぎている。宿での宴会が18時.逆算しても.下山してギリギリの線に近づいていた。焦ることはないが登らなくてば。
     木道となり歩む先を一瞬ガスが流れ.挙げき詰めた先に突然.広大な湿原の大地が開かれた。

    苗場の大湿原
   池塘に生えるイワショウブ.13:16

   山小屋「遊仙閣」裏が苗場山頂.13:19

      苗場山の頂
   1寸先のガスの割れ目から幻の如く木道が綴られ.足元に池塘が点在し.洗い流す如く広漠たる湿原の一部が姿を現した。
     風に流された切れ口から一里四方もある広大な湿原が南西へわずかに傾斜を保ち扇状に開かれだした。
     「神々の田圃」とはよく名付けた上手い言葉の園にでる。そして山小屋の裏に頂があり三角点があった。

   晴れれば北は佐渡から能登の岬まで望めると云う。1週間前に富山立山から望んだ風景とは.また違った感覚で見届けていただろう。
     妙高.白馬から上信.上越の連山.尾瀬燧ケ岳.至仏山から魚沼山.浅草岳.守門山と長く輪を描くよう望められる筈だった。
     それが手近な隣りの鳥甲山さえ.雄大に見える筈が閉ざされ望められずにいる。ここでしか認められぬ北信奥信濃の山々は霞の中だった。

   突然湿原に飛び出し.予想以上の感激に気をよくするも.ガスの湧く頂は気持を食い散らかされている。
     山小屋「遊仙閣」はこの広大な「神の田園」にありながら.頂とあまりにも近ずき過ぎる位置にあった。まして便所は頂から何十歩の距離.
     微かに臭う頂に情けない頂に立つ。頂を確め早々に退散する破目になった。

   山頂にある山小屋「遊仙閣」は1930年に建てられ.67年には改修されて50名の収容を持つ。
     2002年に過去最高の利用となるが登山者の減少などにより.所有するプリンスホテルは撤退を決め09年から休業している。
     少し離れて隣接する苗場山自然体験交流センター(山頂ヒュッテ)は100名を収容

      13:20苗場山一13:25小:35一14:25大:45一16:45祓川駐車場=17:50猿ヶ京.「万葉亭別館」.

    下山道で見付けた高山植物
   キヌガサソウ.13:25

   クルマユリ.13:56

   イブキセリモドキ.13:59

   ナエバキスミレ.13:59

   終わりに近ずいたコバイケソウ.14:02

   コオニユリ.14:03

   ニッコウキスゲ.14:04

   イワカガミ.14:15

   ヒメシャクナゲ.14:23

   購入したばかりでカメラで接写が分からず緑をポイントに.14:24

      山の花
   2週間前の両神山と同様.展望はすこぶる悪い。視界は閉ざされる。ただ競い咲く高山植物は多い。
     今いるこのメンバーは無知と云うか.相変わらず花への関心を持つ者はいず。山で常に見る花でも花の名の分からぬものが多い。
     仕舞いには教えなかった先輩が悪いと愚痴をこぼし.同調するのみで誰もが多く語らなかった。しゃべり上手の先輩も口を閉していた。

      下山
   下る道は又もや泥道になる。道溝は雨水が流れ.根這いにはび込む浮石と泥土が混ざり歩き難し。飛ぶとはいかぬが走り下っている。
     頂直下で結飯1個をほう張り.分岐でビールを呑んだだけで往路を下り続けた。

   ハイカーは時期がらか以外と少なかった。交通の便が悪いこともあろう。積雪期のリフト利用してのスキー登山の方が却って愉しいかも。
     下りで20人程のツァーグループと出会っている。ここでも中年女子のパワーには驚かされた。山の中でも小母さん連中は健在だった。

      赤い線
   昭和37年07月30日.国土地理院発行の5万分の1の地図「苗場山」がダンボールから出てきた。
     入山する積りで購入したらしがまだ未使用である。そこに赤い線が短いながら綴られた。山行には1/2万5千地図をコピーした。
     40年程経ち使われた地図。この書き加えられた地図も.初めて日の目を見て.生き通ったように思えた。

      山岳情報
   梅雨による大雨及び新潟県中越沖地震の影響はなし。山頂に若干の残雪が見止められた。2007.7.18
     共有林組合のゲートは登山目的であれば通行可.山菜取りは不可。

   苗場山から佐武流山.白砂山へ.そして野反湖へ連なる峰々の登山道は白砂山から野反湖への径は確りしているものの
     佐武流山への径は廃道に。Kさん.Tさんが40年前ここから逆縦走した登山道だった。

   復活を願い長野県北信地方.栄村秋山郷の山好き集団「前進倶楽部」が主体となり1998年より再開拓が徐々に実施されている。
     山道修復作業にはボランティアを募集。2000年09月に秋山郷から山郷から郷切明.佐武流山間の径が開かれる。
     更に2年掛けて佐武流山から苗場山間の径が復活させている。

     東面河川.白樺沢→祓川→カッサ川→清津川→千曲川. 西面河川.中津川→千曲川.

      苗場スキー場
   1975年にスキーを止めて37年になる。又現役時代からゲレンデスキーに余り関心を持っていなかった。
     それ故私は苗場山と苗場スキー場の位置関係が分かっていなかった。初めて苗場山と全く違った山麓であると知る。

   苗場山麓のスキー場としては田代.かぐら・みつまたがあり.(苗場スキー場は苗場山の山麓には位置しない)。旧コクドの経営をプリンスホテルが引き継ぐ。
     2002年に近隣のかぐらスキー場(旧かぐら・みつまた・田代スキー場)との間に苗場・田代ゴンドラが設置された。

   これによりかぐら・みつまた・田代の各スキー場にアクセツすることが可能になり.全てのスキー場を総称して「Mt.Naeba」とも呼ばれている。
     そして近年は夏期にスキー場一帯を利用した野外フェスティバル.フジロックフェスティバルが毎年7月下旬頃開催されている。

   アプローチも月夜野からのR17は立派な街道に変わっている。堤氏の鶴の一言か? その国道を下山して猿ケ京温泉へ抜けている。
     三国街道.祓川駐車場=清津川←二宮川←浅貝川←三国峠→西川→赤谷湖(猿ケ京)→赤谷川.

      旧苗場山山行
   田中先輩が苗場にマンションを持っている。今年5月下旬に一度.苗場登山に誘われたが.時期的にスキー利用による登山を薦め断った場所だった。
     先輩とは何の因縁か.誘われた両神山にも共に登れず.今回も別の行動となった。次回は共にしなければと思っている。

    7月22日.高曇・・「猿ヶ京.別館」から赤城山外輪山の散策と「みやま山荘」
        猿ヶ京.別館@¥5400.三国街道=月夜野=沼田.赤城道路=11:30赤城山13:30=関越自.前橋I=鶴ヶ島IC
        =東武東上線若葉.¥500.15:34=池袋
                              赤城山
                                2007年07月.赤城山の湖畔を散策
                                2011年06月.赤城黒檜山と湖畔を散策
      酒宴
   宿は「猿ヶ京,別館」.Tさんの世話になる。山は兎も角,都会と同じ感覚の凄いメンバーが集まった。
     切りのない酒宴が延々となされていた。ビールに酒.ワインにウイスキーと。無くなると何処からか酒ビンを仕入れてくる。
     酒だけは惰性でも呑む元気が残されていた。交わす言葉が昔に戻り.尚更元気付くから面白い。否呆れた仲間達.その中に私もいる。

   一夜明け.三国峠から三国山へのニッコウキスゲ鑑賞登山を中止。もう誰もが登る勇気を失っていた。
     歩くより呑もうと.昨夜から決まっていたらしい。榛名山に回り込み.伊香保で露天風呂に浸かる話はまたまた変わり.呑む話は赤城山へと。
     沼田=赤城川←赤城山→赤城白川=前橋

    ガス舞う赤城山外輪山
   今回のフルメンバー.赤城山小沼にて.2007.21/11:25
    日光白根山から皇海山を越え更に南下した末端が赤城山

   覚満川.11:36

   霧落ちる覚満淵.11:41
    赤城山小沼=覚満淵=赤城神社.野イチゴ=「みやま山荘」

      「しずさん」
   K先輩の幼馴染.「しずさん」が経営する宿.「みやま山荘」に出向く。皆で挨拶せねばと。
     昨夜.育ちのよい可愛い子だと延々と聞かされた。歳はとうに還暦を越えている。その彼女に会おうと。うどんとビールを呑みに出向く。

   彼女がK君と呼ぶ響きがよい。お客さんがタイミングよく釣ってきたばかりの岩魚をご馳走して頂き.天婦羅にチソ結飯が食前に並ぶ。
     やはり日本酒「赤城」も呑むことになる。大沼でのワカサギ釣り.団体さんが釣れずに昼食を伸ばしている。この時期は今一のようだった。
     帰路も変更する。鶴ヶ島より池袋西武線に。

      K氏
   一番年上の先輩で一番元気なKさん。相変わらずガキ大将の風格を持っている。
     その彼と何十年振りの山行で.山では今だ私を信頼して下さるのには頭がさがる。一言でうなずく先輩と.酒を一番に先導する先輩でもある。

      Ty氏
   広島から参加したTさんは昔は調子のよい先輩でありながら,誰もが憎めない先輩でもあった。
     その彼が税理士として実業では地元では絶大なる力を持っていた。

   話せば昔に戻る仲間の1人に私も入っている。百名山を狙い.今回で残り29座。更に再来週は奥さんを宿に残し北海道の山に挑む。
     タイミングよく赤城の山,黒檜山も薦めたが.今回は迎い酒に酔っている。私はRHC50周年行事の一環にしたいと思っていた。
     最後の百山目を赤城山を残し.このメンバーで祝いたいものである。Sがその時.花火でも揚げよと言い出した。

   Tさんによると広島の山岳ツァーはブームが少し衰えたとは言え凄いスケジュールだと。
     百名山を狙い.広島からバスで10時間程掛け.1回のツァーで両神山,雲取山,大菩薩嶺を登る。参加費用は¥8万〜10万
     凄いと思うやら.呆れるやら.私にはできぬ芸当だ。「頑張って!」と云うのみ。

      Ts氏
   両神山トレーニングに宿を含め全ての段取りを付けてくれたTさん。今回は何故か元気がなかった。
     メーンの頂にはあぶれたが.信頼でき感服できる先輩である。又の山行にも誘われ嬉しく思っている。

      S氏
   先月の両神山では運動靴を履いていたS。新しい登山靴を新調,彼の体は見るからに軽やかだった。
     彼は同期の中で堅実で一番冷静でいられる人物だった。泥酔する仲間を避け2人で湯殿に逃げ込んでいる。

   8月下旬.北ア涸沢山行が企画されているメンバーは田中.池田.見城と竹永先輩達?
     断るとK氏から別行動で参加しないかと誘われる。穂高岳集中登山,同期SにOが参加すれば面白い山行となろう。

     高層天気図7月21日9時.22日9時・・1/5万地形図「苗場山」