西丹沢.小菅沢源流と支流の伊勢沢を取り囲む尾根. 第一発電所から玄倉ノ野にでて玄倉山神峠 ・・丹沢山の旧鉱山 丹沢山塊Top

  猛暑に涼を求め玄倉林道.白井平から玄倉ノ野を越え.玄倉山ノ神峠から裏側の伊勢沢の源流を綴り.玄倉へ周回する。
     白井平を経て玄倉ノ野.大垣.山神峠―鉄塔管理道を使い小菅沢の源流を横切り.伊勢沢に回り込み落合林道. 2015年07月19日.松村

    玄倉bsから玄倉ノ野と玄倉山ノ神峠・・巨樹の崩落に伴る土砂崩れと肉離れ
    峠から鉄塔管理道を綴り伊勢沢を経て落合林道.玄倉

     先週は丹波川源流に当たる伝通院から倉掛山南東尾根を下る予定でいた。ただ梅雨前線の影響を強く受け.不通区間が多く諦めている。
   東北鳴子温泉の町会旅行を仕替え.台風と局地的豪雨が続き.梅雨の隙間も狙えず.猛暑日だけが連日続いていた。

     今年の気圧配置は東シナ海まで張り出した強い太平洋高気圧にチベット高気圧が重なり.W高気圧に覆われ.関東地方は連日.35℃を超える猛暑。
   天気予報を知れば山への意欲を失いう時期にもなっていた。短過ぎる山行でも出掛けないことには何か苛立ちだけが過ぎている。

     まずはハイカーとも擦れ違わぬと思われる西丹沢の玄倉ノ野に入り.距離は短いが体慣らしに出掛けてみる。昨年師走に日影山北尾根を登りつつ
   望んだ北面の山並に入る。玄倉には玄倉・落合林道の起点があり.玄倉林道の白井平からその間に挟まれた玄倉ノ野を詰め山神峠へ.
   伊勢沢の源流からは旧落合林道の経路から戻る形を取っている。

     今年正月には寄沢の杉ノ沢径路から峠越をし.玄倉ノ野の南側に綴られた落合管理道を綴り.玄倉に下りている。
   今回は玄倉ノ野から大垣にでて久し振りに山神峠に寄り.峠の鉄塔管理道から落合林道と繋げ玄倉に戻ることにした。

   小田急新松田駅北口前広場.6:59
    中央の正面がjr御殿場線松田駅. 角が「マニラ食堂」で隣りが初めて気が付いた「小田急ショップ」.

     7月19日(日).曇
       jr御徒町5:00=神田=5:25小田急新宿:31=6:51新松田7:20=8:04玄倉bs350m.

     新松田駅始発,西丹沢教室行の路線バスに合わせ.駅前広場では係員が昨日に続き.大雨予報を受け.登山規制する見込みだと伝えている。
   又途中で乗車するハイカーにも車掌が同じことを繰り返し伝えていた。台風後の前線による不安定な気象状況が続き.
   再びゲリラ豪雨になる恐れがあるようだ。ただ一度治まった朝方の強い陽射しが大地を照り付けていた。

     河内川も,上流側の玄倉川も.この処の晴天に係らず..大雨後の放流が続けられ流れは強い。
   三連休の中日にあたり.沿線のキャンプ場は何処も賑やかさに満ち.路線バスもほぼ座席に埋め尽くされていた。

     玄倉バス停には3パーティが下車.共に玄倉林道へ。私は林道から白井平の経路に入り.藪を漕ぎ玄倉ノ野の尾根を詰め.
   山神峠から伊勢沢ノ頭南西尾根を下って寄にでる短いルートを選んでいた。

     前回.山神峠へと小菅川右岸沿いの落合林道と玄倉経路を綴っていた。今回はその右岸尾根の玄倉ノ野の尾根に入る。
   大橅に立ち.41号鉄塔から山神峠にでて.伊勢沢ノ頭に回り込む積りでいる。ただ次第にガスは濃さを増し.山越えの意欲を失わさせていた。

     山神峠では他の単独行者と出会い.あうんの仕草から鉄塔管理道を経て伊勢沢まで共に綴っていた。
   玄倉径路からは別れて玄倉に戻っている。こうゆう形で山に入るの初めてだった。

    世附権現山
   東岸の玄倉川橋より丹沢湖.8:14
    左端の細い棒状が旧落合線の鉄塔を利用した15号鉄塔. 正面は高圧の新落合線.

       玄倉ノ野の尾根
    8:04玄倉bs一8:20玄倉第一発電所一8:24白井平.径路一10:16旧径路水平歩道一11:09玄倉ノ野:20
    一12:30大ブナ一12:40(41号鉄塔.大).

     丹沢湖の対岸丘稜に建つのは東電落合線の巨大鉄塔群。見えずらいが湖畔沿いには旧落合線の小さな鉄塔が並び.
   落合発電所と結ばれている。丹沢湖の切れる写真右端が玄倉川の上流側に当たり.玄倉川の出合になる。
   入江には既に2人の釣人がブラックバスを狙いルアーに興じていた。

    玄倉の集落
   玄倉川橋より集落を望む

     小菅沢出合付近より玄倉沢.左上が玄倉ノ野の尾根に向かい裏側の玄倉川沿いから詰めている。
   右上が伊勢沢ノ頭になり.左肩に伊勢沢が流れている。左上端が小さな送電線の落合線21号鉄塔。

     又中央右上に小さく見上げられる2本の棒状の鉄塔が落合線24号.25号鉄塔。
   ・・第二発電所からの送電線.集落の左上の台地に建つのが実相寺. 下山の折に.集落に入り上方から寺脇に下りビジタセンターに戻っている。

    玄倉林道の起点
   林道の起点.十字路.8:16

     登山届を出し.右手に秦野峠林道を分け.玄倉橋を渡ると実相寺前を通る。
   その先は十字路になり.右に入れば玄倉の高台集落へ。上の写真手前右手が落合林道からの復路で.午後下山す。
   左折すれは玄倉川橋を渡り.丹沢湖北岸の湖畔林道が続き.大杉山南山陵の取付き地点がある。

     やや狭まる真向かいが玄倉林道の起点で.各種の看板に.掲示板の知らせが賑やかに掲げられていた。
   左側の標識群は林道玄倉線の起点と通行禁止標識。右脇は西丹沢県民の森.林道仲ノ沢線の通行止を知らせる標識等が立つ。

    玄倉第一発電所
   玄倉沢出合直ぐ左岸にある発電所.8:20

    玄倉第一発電所
     玄倉川出合左岸に入ると間を空けず神奈川県企画庁の玄倉第一発電所が狭い敷地に設けられていた。流入水は第二発電所の玄倉湖.
   第一発電所は昭和33年04月に運用を開始し.出力は4200KW。敷地内には6.6KV.1回線の玄倉線(玄倉第一送電線)1号鉄塔が建つ。

     送電線玄倉線は玄倉集落内に建つ落合線20号鉄塔に接続し.丹沢湖南岸を回り込み.永歳橋東側付近の新落合発電所と結ばれていた。
   落合線(玄倉第二送電線)は53年(1978年)三俣ダムの完成により.埋没した丹沢湖の旧落合発電所の鉄塔を再利用しているため.
   その鉄塔番号は逆番になっていた。その第一発電所に挟まれるよう玄倉林道が通り抜けていた。

   1本の水圧鉄管.上部に前尊仏の大岩あり

    鉄管と前尊仏様
     第一発電所の導水取口は上流3kmほどの玄倉第二発電所から放流された玄倉ダム。堰高14.5m重力式コンクリートからの取水を
   利用した水路式発電所。水圧鉄管1本を持ち.有効落差258.2mで最大限に利用できるようギリギリに建てられている。

     ここでの放流は玄倉川.三俣ダム(酒匂川二級水系)に落ちている。日本の河川は大小に係らず.
   ダムが造られれば堰の数を増し.水利権の応用が利かぬほどパズルの如く組み込まれいることになる。

     鉄管上部左側に立つ前尊仏様の大岩は460m付近にあると云う。鉄管の足元から頭上を見上げるも大岩は分からなかった。
   又塔ケ岳の北斜面の一角にあった立岩.約18mは形が仏の座像に似ていたことから「狗留孫仏」として崇まられている。

     麓では「尊仏岩」.「お塔」と呼ばれ.関東大震災で崩壊するまでは「雨乞い」の対象として知られていた。
   崩壊してしまった尊仏と共に信仰(雨乞い)の由来ある仏岩のようだった。

     丹沢は奈良時代になると山岳仏教徒が開山し.丹沢山塊は修行の地となり.仏教用語が付いた山名が多い。
   江戸時代になり丹沢の山々の殆どが領地に定められ.入山は禁止されたがその中.塔ケ岳と大山だけは信仰の山として開放されている。
   大山講は関東一円に広まり.「雨乞い」の信仰をも持っている。玄倉ノ野の末端を回り込むと林道分岐にでる。その手前で作業道に取付く。

    862m点峰と玄倉ノ野・・北面山腹
   中ノ沢林道終点Pより・・2017.07.03/9:21

     玄倉ノ野862m点を頭とする尾根で.南北四方方から見上げても同じような山容を築き.小沢の末端は小菅沢出合になる。
   丹沢湖ビジターセンター脇に没している。手前の尾根は芋ノ沢ノ頭からの敷地山ノ頭。右上奥が大野山か?
   小川谷は右下の谷間で玄倉川に流れ込み.林道は西丹沢県民の森への分岐がある。その少し下流側に玄倉ノ野への取付きがあった。

    玄倉ノ野と862m点峰・・南面山腹
   日影山北西尾根の登りで・・2014.12.26/9:25
    小菅川を隔て右岸の玄倉ノ野. 背に頭を出すのが檜洞丸石棚山稜と同角山稜

      日影山北西尾根から林道秦野峠にでて.高松山北尾根から南西尾根を取り.田代幹線356号鉄塔の旧巡視路を辿り滝川林道へ。
    北風の寒い一日だった。それでも昼食は林道秦野峠の風が避けられる日溜まりで取っている。
    早い日没に追われた山行で.闇に包まれた山北駅に下りていた。今日は左下が玄倉集落で.裏側の玄倉川から取り付いている。

   玄倉林道白井平.右手が径路の取付き.8:42
    小川谷出合は右に回り込んだ直ぐ上流側.

    旧径路取付き
     第一発電所の間を抜け.300mも進むと右手に玄倉ノ野の銅山跡(信玄の時代)に続く.鉱山用旧径路の取付き地点がある。
   玄倉ノ野の尾根北側の各鉱山と山神峠を越えた北側の谷間にある幾つもの鉱山と結ばれている。

     永保元年(1673年)07月に玄倉銅が産出されていた。
   「山北町史料編.近世より」.この水平歩道は白井平から登り詰める藪径と上部で交差している。

    白井平
     玄倉川対岸に大野山沢が流れ込み.河原が開かれると林道は右に大きくカーブを描き.左岸の支流は幾重もの堰堤を構えている。
    流心が飛沫するトウバチ沢を迎えている。見るからに涼しさを感じさせる出合だった。その先は穏やかな起伏の流れのない白井平ノ沢がある。

     玄倉川の左岸沿いは膨らむ河原場が続き.大きな砂利採石場があり.「小林建材」とあった。点々と河原には砂利山が積られていた。
   砂利採取は昭和43年に本格化し.46年には列島改造ブームに乗り.著しく増産されている。当時から自然環境を守る運動も行われていたらしい。

     その先の右前方に擁壁が途切れる所に玄倉ノ野へ登る作業道の取付きが登る径路になる。
   写真で見る林道を右に回り込むと直ぐ小川谷出にでて.玄倉林道と仲ノ沢林道との分岐にでる。先は西丹沢県民の森へ。
   更に奥へと林道を進む他2パーティ.3人とここで別れ.右の坂道から経路に回り込む。

    杉の植林帯
   544m圏コブ手前のコブ.9:03

    544m圏コブ
   このツメで径路は終わり.右に直角に折れる.9:08

     取付から土道の確りした作業道. 杉の植林帯に覆われ,小径になり落葉に小石混ざるスッキリした踏み跡が枝尾根伝いに856m圏コブまで続く。
   そしてこのコブで左右に延びる小尾根に乗る。ただ左に折れる末端への尾根はナフリッジの鋭い岩稜になり落ちていた。ヤトノカヅ沢左岸尾根。
   その取付きには玄倉林道のゲートがあり.Pがあった。HP「イガイガの丹沢」氏は小さいながら予想を越える障壁で苦労させられたと述べている。

   南側鞍部先の9:25

     コブの頭から右に折れ南下すると細い踏み跡に変わり.鞍部の先は大きなヤマヌタの崩れた突起を持つ。
   ただその先は再び穏やかな自然林に覆われていた。それでも局地的豪雨の土壌は・・?

     HPから部分的に抹消してしまった所は写真のみ記載

   雑木林帯.9:35

   ブナの森に入る.9:44

   急登を終え植林帯に突入.10:11

    旧径路の水平歩道
     10:16・10:17

    境界線
     南南東に詰める尾根は緩やかな自然林に変わり.急登と共に大ブナが現れ.痩せた尾根からブナの森が続く。以外に早く現れたブナ林。
   酔いしれる間もなく急斜面を登り.緩めば杉の植林帯が一線を引き現れる。この地点で重なるよう現れたのが発電所近くから登ってきた
   先程の鉱山用旧径路。水平歩道は東西に延びる主尾根の北側山腹を綴っている。

     旧径路の右手を見ると20mほど先に.「神奈川県県行造林」.「境界見出標」.丸い看板の「たき火.たばこ注意」がポールの如く並び
   立て掛けられていた。このスタイルの標柱類は戻り.森林帯を詰めた先の鹿棚と玄倉ノ野でも見ることになる。

   10:39

    再び植林帯
     水平歩道を進まず.再び植林帯を直登し.頂稜の尾根筋を進むことにした。曇天でも植林帯は汗ばみ.垂れ落ち滴も.
   猛暑の暑さとは異にしていた。ただ関東甲信地方では連日の豪雨と真夏日を迎え.猛暑の都心では今日も34℃を超したらしい。

     前日.大気の不安定から丹沢山塊は曇天に見舞われると知り.奥多摩からこの地に変えている。
   それも前線による局地的豪雨は土壌を

   10:50

   11:09

   大垣
   左景.11:09

   右景.11:08
    右上は伊勢沢で.右下は山神峠

   11:38

    820m圏コブ
   11:46

     11:50

   大垣の南側肩.12:20

   12:23

   12:24

    大垣
   12:29

    玄倉bsから玄倉ノ野と玄倉山ノ神峠・・巨樹の崩落に伴る土砂崩れと肉離れ
    峠から鉄塔管理道を綴り伊勢沢を経て落合林道.玄倉