| 道志.大旅沢流域を取り囲む尾根を綴る。ヒカゲ沢左岸尾根から奥道志山稜.唐沢尾根を抜け長スラ尾根へ・道志山地Top 主稜の北支尾根群を横切る広域基幹林道と新たな延伸工事の現場・・林道盛里線.菅野盛里線 林道終点のヒカゲ沢左岸尾根を詰め日陰舟を経て.大旅沢源流の奥道志主稜―御座入山をピストンし大旅沢.長スラ尾根を下る 2016年11月04日.松村 ヒカゲ沢左岸尾根から日陰舟.岩戸ノ峰.道志口峠へと続く・・水質検査員.熊騒動 奥道志山稜から菜畑山.御座入山をピストン 長スラ尾根を下降,盛里線から大旅沢.市ノ沢と下り曽雌の里にでる 大旅沢流域は猿焼山西尾根末端の禾生付近から入渓し.桂川に流れる朝日川右俣の上流流域に当たる。 朝日馬場の二俣で左俣の大平川を分け.右俣の大旅川(おおだみさわ)に入ると曽雌付近で左岸から大旅沢が流れ込む。 大旅沢とその上流の枝沢は日陰舟.岩戸ノ峰.ブドウ岩ノ頭.菜畑山に御座入山北尾根のバラジマノ頭.猿焼山を綴る峰々を擁する稜線に囲まれ. 奥道志主稜線の支尾根の中腹には林道・菅野盛里線が横切り.開削工事が昭和62年度以降.今だ延伸工事が綴られている。 盛里線と菅野盛里線 菅野盛里林道の絡みで5.6年前には「月待ちの湯」を起点に.1410m峰北尾根から今倉山北尾根を下り猿焼山まで周回していた。 1410m峰北尾根には真新しく盛里林道が横切り.「大旅工区」では東側山腹の開削工事が周りに騒音を巻き散らかしている。 広域基幹林道菅野盛里線は全長20.4km. 林道が1410m峰北尾根を横切っているのは自分の目で確認しているが 「菅野工区」と「大旅工区」の両起点から工事が行われ.その途切れている区間は谷間でどの辺まで進んでいるか分らないている。 予定ルートとしてはその東側から今倉山北尾根の東側に当たる市ノ沢の右岸間がまだ未完成になっている。 「大旅工区」の開設工事は徐々に進むも.まだ入札に至らぬ所もあり.全線開通にはまだ大分.先になると思われる。 今年発刊された「新バリエーションハイキング」松浦本を参考に開通する前の大旅沢流域に入る。 その後の状況と北尾根から遠望した空白の大旅沢流域を結び付け.盛里林道終点から入山を試みることにした。 ヒカゲ舟沢左岸尾根から日陰舟に登り奥道志主稜を西進し.今倉山東峰をピストン。長スラ尾根を下降して大旅沢を綴り.曽雌に戻るルートを選ぶ。 九鬼山と鹿留山.杓子山 富士急行大月駅ホーム南端より.6:52九鬼山南面の雄姿. 右に延びるのが瀬之上尾根で田野倉へ。肩に乗るのは都留二十六夜山。 左に延びる市界尾根(大月市と都留市)は組屋休場を経て札金峠へ。手前は札金林道から田野倉へ。大月市側は小沢川.漆原に至る。 11月04日快晴後曇 jr御徒町4:36=4:39神田:41=豊田5:52=6:37大月.富士急行:53=7:02禾生.富士急タクシー¥3970=7:25菅野盛里林道終点. jr御徒町駅から始発の電車を乗り継ぎ.更に豊田駅で大月行電車に乗り換える頃,東の空は白みだし.次第に天空に蒼空が目立つようなる。 薄くオレンジ色に変わり始めた色合いも失われ始めている。ただまだ地上は闇の世界だった。 電車の扉が開く都度.冷たいつむじ風が車内に入り込む季節に今年もなってきた。6時06分日の出を迎える。 周りは見る見る明るさを増し.電車は小仏トンネルを潜り.前道志山の流域に入る。禾生駅に下車してからはタクシーで盛里林道口に至る。 禾生駅 富士急行の列車は通学にはまだ早く.通勤者や観光客が多い。その割にハイカーは少なかった。 素晴らしい晴天に恵まれ.列車がミニチヤのような街並を綴り.山梨リニア実験線を潜ると禾生駅ホームに入線した。 禾生駅に下車したのは私一人。狭い通りの改札口前広場には予約したタクシーに迎えられ.リニア車両基地前の雛鶴神社前までお願いした。 富士みち.R139号線.「禾生駅前」の交差点を横断し.陽の洋々と昇る明るい朝方の四日市場上野原線.県道35号線を朝日川沿いを走る。 左手.右岸沿いの尾根は九鬼山東尾根.左岸沿いは猿焼山西尾根と長い尾根に挟まれ街道を進み.下山予定の曽雌.大旅沢出合を過ぎる。 雛鶴神社 朝日馬場は城ケ丸北尾根の取付きで.メーンの通りには石船神社が建立されている。 1335年(建武二年).後醍醐天皇の皇子.盛良親王は鎌倉宮に幽閉され.28歳で殺害された。護良親王の首級がこの神社に祀られていた。 又直ぐ雛鶴トンネルを潜った道志側の穴路沢出合付近にも同名の雛鶴神社があり.棚ノ入山北尾根に入った折には境内に雛鶴姫の立像がある。 鎌倉を逃れ無生野に辿りついた愛妃雛鶴姫は護良親王の王子を産むが不運にも一諸に命を落とし.村人は墓碑塚を築き弔っている。 20年後戦乱のさなか綴連王.王子はこの地に亡命し73歳の天寿を全うした。村人は護良親王.雛鶴姫.綴連王を祭り雛鶴神社を創建したという。 タクシーはで朝日馬場から本流を直進し大旅川に入り.雛鶴神社に寄り参拝する積りだった。 それが熊出没の話に夢中になり.神社を通り過ぎて新雛鶴トンネル口前の大旅川沿いの林道終点にでた。 昨日は曽雌に熊が出現し.逃したが大騒ぎになったらしい。 完成されている菅野盛里林道の終点 四日市場上野原線と林道の起点分岐630m.7:28車の停車している裏に作業道の分岐あり 菅野盛里林道に入り50mほどの右先.車が一台停車している。その右奥に大旅川右岸沿いに入り込む作業道がある。 正面左に回り込むと200mほど先に林道本線のゲートがあり.登り詰めると右上.頭上高くに望めるコブを回り込んでいた。 菅野盛里林道 慌てて停車した所が菅野盛里林道の終点。直進してきた県道35号が右に大きくカーブする右角で大旅川が南側に回り込み. 主稜の源流に突き上げる地点が林道の終点になっていた。又県道を直進すれば先に新雛鶴トンネルを潜り.市境を越えて秋山街道.無生野にでられる。 その先は桂川沿いの上野原へ繋がる秋山街道の起点で中道志に入っている。直接タクシーで来るにはリニア実験線車両基地までが判り易い。 峠上は大旅川右岸側の尾根筋に当たり.雛鶴峠から日向舟927mへ南に延びる尾根。 私は大旅川本流を左岸に渡り.日陰舟山北東尾根(ヒカゲ舟左岸尾根)を詰め日陰舟に立つ。 林道の終点には幾つもの林道に関する案内板が立てられていた。過って今倉山の赤岩から,この林道の菅野側の起点を見下ろしていた。 二十六夜山鞍部から綴られた菅野盛里林道は奥道志主稜の北面にある幾つもの支尾根を横切っている。 終点方面から遡ると林道は入山予定の日陰舟の南面の尾根を横切り.更に下山予定の長スラ尾根でも横切っている。 そして林道の延伸工事は今倉山北尾根の東側を流れる市ノ沢の沢底を越えた付近で今開削工事中らしい。 一服し山仕度を整えると先程のタクシーが再び現れた。神社まで送ると云う。もう過ぎたこと.山が早く来いと待っている。礼を述べ山に入る。 手前の軽バンの裏側が大旅川右岸沿いに入るダートの作業道。車の持主は水質検査の為.仲間と待ち合わせしているようだ。 ここでも運転手から「熊が出たぞ!」と再び注意を受けている。 道志山稜 奈良沢の支流用沢.大菩薩連稜.宮地山の里.用沢の集落手前の高台からの遠望.・・2012.01.13/14:30 奥道志南・・南西に掛けてこれから綴る山々 ![]() 矢平山北西尾根から倉岳山北東尾根倉を繋いだ折.細野山手前の伐採地から秋山川側上流を覗いた景観・・2012.03.14/12:40 中央がヒカゲ舟1040m・・岩戸ノ峰(高丸)1288mから北へ延びる尾根 手前秋山川雛鶴沢. 背稜越えは朝日川大旅沢源流になる・・先は岩殿沢. 手前が立野峠から秋山浜沢に下る尾根 林道の起点に立っている。ここからヒカゲ沢右岸尾根を詰め日陰舟から大旅沢源流の奥道志主稜へ。 御座入山から戻り.長スラ尾根を下り盛里線林道から大旅沢出合の街道・曽雌に戻る形を取ることにした。 林道終点にある保安林区域図昭和58年度設置.山梨県大月林務事務所・・保安林指定.昭和32年8月15日 森林基幹道開設事業(国補).地区名,菅野盛里線 昭和62年.当初の計画では森林基幹道は計画延長20.400m.幅員5m. 総事業費7.000百万円で工期は昭和62年〜平成20年。 そして期間は改正され昭和62年〜平成27年に変更継続されている。 その後の方針はコスト縮減のため状況に応じた規格.構造の見直しを行った上.継続する事業として実地されている。(平成15再評価時) 本路線は都留市大野と都留市旭曽雌を結ぶ連絡林道であり.路網密度の低い採畑山北面の大旅川.戸沢川.菅野川流域の広大な森林を 管理する森林基幹道。又県道都留道志道と県道四日市場上野原線を連絡することにより広域的な交通の向上.地域振興. 活性化に寄与する事業としている。 起点の「現在菅野工区」を終え.「道志口沢工区」.「大旅工区」.終点「盛里工区」 「道志口沢工区」には2011年07月・17年06月に横切り.今回は「盛里工区」に入り探索した。 林道菅野盛里林道.終点・・林道管理者.山梨県林道終点〜道志口峠 7:25菅野盛里林道終点一7:52ヒカゲ舟沢の堰堤一8:07左岸尾根末端上一8:58日陰舟一9:04鞍部.林道一9:30岩ぽい所:40 一10:42戻る.ロス一10:10岩戸ノ峰一11:00道志口峠. 日陰舟北西尾根の842m峰と日陰舟 裏側の大旅川側からの遠望.16:00日陰舟を越えて右鞍部を横切る林道に一度降りている 朝方登り詰めた日陰舟の裏側の長スラ尾根の林道菅野盛里線下り口より撮った写真。 842m峰と日陰舟の2つのコブの鞍部がヒカゲ沢の源となり.ヒカゲ沢左岸尾根を詰め日陰舟に立っている。 今日最初の頂だった。ヴァテイケィーに縦走し谷間へ降りる前に西日を浴びた今朝最初の頂を振り返る。 入山・・大旅川右岸作業道 朝方の右岸作業道に入る薄暗い杉林.7:39朝方の薄暗い密る杉の植林帯を綴る。大旅川右岸沿いの山道は河原状と思っていたが渓流をなし.以外と狭まった流心で勢いがある。 古い赤テープを見付け.沢底へと導いていると思われるが,直ぐ右前方に小さな橋が見渡せ.そこまで辿ってから先を考えることにした。 対岸は既にヒカゲ舟沢左岸尾根の末端になっている。 橋手前に小さな空地があり.再び彼等に出会い駐車した。定期的に検査に来ているようだ。直ぐ近くで検査すると云う。 そう云えば対岸沿いに黒く太い水道ケーブルが延びていた。 ヒカゲ舟沢出合直ぐ上の最初の堰堤.7:51ヒカゲ舟沢 大旅川を左岸に渡ると右手から流れ込むのがヒカゲ舟沢。出合で対岸に渡る簡易な小さい板切れを見付け.左岸尾根に取付く積りでいた。 日陰舟の北西尾根1020m圏から北東に派生させる支尾根に当たり.ボーメキ沢とシャクシ沢(ヒカゲ舟沢)を隔て.ここ大旅川に没している。 先導する彼はヒカゲ舟沢との川名は知らなかったようだが.上流側に堰堤があり.そこまで踏み跡が付いていた。 そこから取付いた方がベターだと誘われる。末端の急斜面を攀じるよ.,脇の緩斜面を詰めた方が楽なのは,見た目でも明らかだった。 左岸に渡った作業道をその間々道伝いに進むと1km只ずで九十九折を越え.路面が崩壊し行き止まっていた。 ヒカゲ舟沢左岸尾根末端の檜の植林帯 堰堤から末端を攀じ登る.8:02彼等の後に従い堰堤にでる。思いの外細い流心で.早速検査の準備を始めていた。 私は取付けそうなポイントを見付け.礼を述べ攀じ登る。緩斜面とはいえ.四っんばいになり.尾根上まで倒木混じりの斜面を奮闘することになる。 ヒカゲ舟沢出合の堰堤から左岸尾根末端南斜面を詰める。沢沿いから暫くは杉の幹に鹿害用にヒモの輪が幹に結ばれていた。730m その間を縫い.足場を求め攀じり.末端の尾根にでる。 前道志高畑山 尾根乗り末端を振り返る.8:07高畑山の右コブが大ダビ山. 高岩からサイマル山の稜 尾根末端に乗ると東北方面の展望が樹間透しに開かれていた。 朝方の明るい陽差しが表道志の南面の山肌を照り付けている。登ってきた谷間が見下ろすと四日市場上野原線にリニア車両基地があった。 基地の白さが又山中の聡明さを現わしている。街道を挟んだ手前は見えぬが朝日側の雛鶴神社が祀られている。 ヒカゲ舟沢左岸尾根 ほぼ全体は枝木の積もる荒れた踏み跡になる.8:32末端の尾根上にでると尾根筋には確りした踏み跡が残されていた。 風はなく暖かい日差しを浴び植林帯を抜けと低い灌木混ざりの雑木に覆われ.チョッキ姿で上着を脱ぎ.程よい汗で爽快な登りになった。 登るに従い踏み跡は枝藪絡みで薄れ.周りに張り出す下枝が絡み尾根筋は余り歩かれていない藪の踏み跡になった。 それでも時には藪が途切れるようなり小さな空地にでる。すると水気を吸った熊の糞が尾根中央に残されていた。 朝方から今回は2度.昨日の熊騒動を聞いているだけにゾッとさせられた。そして再び藪径に入り.薮が切れれば熊の糞を再び見る。 今回は糞を見る度,熊笛を大きく吸い2度ほど吹いている。手の内に納まらぬ太い幹.触ると灌木はボリボリ折れた。 藪尾根で左斜面には日当たりのよい尾根筋が望めたられたる。そこは灌木茂みの中から現れた日陰舟北西尾根の一端になる。 前道志大桑山 樹間の隙間から右前方を遠望.8:44北面 左手に樹間透しに覗き込むような小さな隙間から時として北側の西寄りの展望が見定められる。 手前が表道志の大桑山の山麓に広がるブリティッシュガーデンクラブ。更なる桂川を隔てた遠方は円錐形の宮地山。その左隣りが大岱山になる。 そこを乗っ越す更なり霞む山々は楢ノ木尾根。右手に延びているのが権現山稜のようだ。 日陰舟左岸尾根から望めた眺望はここを含め末端と2ケ所のみだった。 煩過ぎる倒木と枝藪・・枝木のジャングル.8:44ヒカゲ舟北西尾根 ヒカゲ舟沢の左岸尾根を詰め終える.8:491020m圏地点.北西尾根に乗ると踏み跡らしくなり.下枝の絡みも失われ,歩き易くなった。 左に回り込むと北西尾根を南下し.間を空けず小さな盛り上がりを持つ平坦な地形の日陰舟に立つ。 日陰舟・日陰カイト 立派な山名標.8:58このあたりが「日陰カイト」と呼ばれているのだろう。北西尾根を登ってきたら気に付かず過ぎてしまうような小さなコブ。 ススタケ処か下草の茂みもなく.すっきりした感じの頂だが,灌木に囲まれ展望はここでも得られ名かった。 手製の山名票があり「ヒカゲ舟.1041M.ヤヤレ?」と最後は読めず。別名は「日陰カイト」とも呼ばれてをり.その名かも? ここまで尾根伝いでは標識類にテープのマーキングは殆ど見られず.喜ばしいルートが続く。 山頂1041mからの展望はない.8:59ヒカゲ舟の入山には他に北側から登ってくる2つのルートがある。 「やすら園」方面からで原開戸橋を渡り農道を道になりに進み.石積の上の赤い社脇から水路を跨ぎ尾根末端に。 又道志口林道を進み左右の擁壁の間から取付く730m. 高みを目指し東向きの尾根に乗る。 菅野盛里林道最後の鞍部越え ![]() 林道の高い北側の擁壁より 北擁壁は西側のコンクリートの境を下った 日陰舟から南東に延びる尾根を下ると岩戸ノ峰との鞍部.1010m圏の切り通しにでる。林道菅野盛里線が両擁壁を築き横断していた。 大旅川と大旅沢の分水嶺の鞍部。左のスナッフ写真゚は北側の擁壁上から見下ろし気味に眺めている。9:04 大旅沢源流に聳えるブドウ岩ノ頭。 前道志の山並 林道の切り通しからの展望.9:14表道志・・鈴ケ尾山.大桑山.高畑山.倉岳山 雛鶴峠を越える3つ白い棒状はサイマル山を抜けてきた都留線の送電線鉄塔。峠上が109号鉄塔で.郡内に広く送電されている。 右下の大旅川右岸の高みに刻まれているのが林道菅野盛里線。手前の谷間が支流のヒカゲ舟沢. 左の尾根が詰めて来たヒカゲ舟沢左岸尾根。 林道の東側肩から予期もせぬ展望が開かれていた。 林道の擁壁から登れるか東側に覗き込んだ途端. 開かれた眺望は表道志から更に権現山稜.笹尾根から奥多摩町の境界尾根。 高畑山と倉岳山の間に扇山が広がりを見せ.右肩上が権現山山稜。その左上が三頭山笹尾根になる。 遥か隔てた右肩には大らかな山並が延び.更に大きな起伏の御前山や大岳山が聳え.連なる境界尾根が重なり延びている。 左手の高畑山の先は麻生三山。大桑山の先は大岱山.宮地山になり.幹の陰になるところが楢ノ木尾根の大峰になろう。 高畑山三方から南方.檜山峠を越え.大ダビ山901mを経て雛鶴峠へと山稜が延びている。 以前.雛鶴連嶺とも云われ.雛鶴峠は送電線都留線鉄塔を越えた中央の伐採地の左脇端になる。 麓を横切っているのが四日市場上野原線.新雛鶴トンネルを潜れば秋山街道にでる。又山稜の先は日向舟927mへ続く。 1つの谷.大旅川を隔てた対岸に赤松の中木林に眺望の閉ざされた日向舟がある。又それほど遠からぬところに対峙するのが日陰舟。 この頂はブナ.落葉松の中木林に封じられていた。両者の間には状況や近さから何らかの脈絡が通じているものがあるのだろうか? 林道工事 峠上に戻ると工事用の1台のバンと擦れ違う。咄嗟に停め.工事の進行状況を尋ねてみた。 現場監督と思われる運転手は林道の先は市ノ沢の沢底に下り.今倉山北尾根の東山腹で開削工事が進んでいると教えて頂いた。 入山時,林道の入口で工事の出勤時間と重なり.何台ものトラックが通り過ぎるのを見ている。 最終入札まではまだまだ先の話。昭和の後半から始まった林道造りはまだ長い時間を要するようだった。 岩戸ノ峰へ北西尾根に入る.9:42林道の南側に塞がる擁壁は東寄りの擁壁の境を登っている。草付きから根の確りしたものを支えに四っんばいで這い上がっていた。 途中に山椒の小枝があり.触れた模様。登り詰めると手の内はよき香りを漂わしていた。 過って大菩薩連嶺の真木川の枝沢.山椒沢を詰めた時は名の如く強い香りを受け.暫く香っていたことを想いだしている。 林道を越え更に岩戸ノ峰への北尾根に戻ると踏み跡は更に確りしてきた。踏む足元の小枝を潰す音だけがザクザク聞こえる台地。 岩戸ノ峰までの間に少し古くなった熊の糞と幾つもの猪の堀穴があり.主稜にでるまでは気を遣っている。 道標はないが恩賜石標の赤いコンクリート抗が点々とあり.高度を上げるにつれ.緑深かった樹林は次第に紅葉に染められた。 岩戸ノ峰 霞む岩戸ノ峰へ踏み跡を綴る.9:59色とりどりの樹葉が尾根を覆い.山と云うよりまるで雑木に包まれた郊外の丘陵を歩んでいるようだった。 華麗とか,怒涛に押し寄せる黄葉とは異にするが里の裏山を歩いているような色鮮やかな色彩に満ちている。 踏み跡も歩き易く,踏む小枝の折れる音だけが耳に付く。 擦れ違うハイカーはいず.小鳥の囀りもなくなっていた。一人.コツコツ高度を上げて行く。そしてその色合いは更に増してきた。 1260m圏北東尾根の肩付近.10:05灌木で遮られた前方はぶどう岩ノ頭北西尾根越しのエビス沢ノ頭だろう。 岩戸ノ峰 方向により小柄に見える山頂.10:10雲が切れ,陽が昇れば逆光の登り。北面の山肌は大分樹葉を落としている。 その隙間を透す陽光が明るさの明暗を創りだしていた。 岩戸ノ峰.ブドウ岩ノ峰.菜畑山 大菩薩.宮地山の下り.林沢戸の下りで・・2012.01.12/14:35用沢川.奈良川.葛野川.桂川を隔てての奥道志の山並. 岩戸ノ峰 頂の南面側にはススタケが密生している.10:14左手の踏み跡から登り詰めると縦走路に突き当たり.奥道志主稜の一角,岩戸ノ峰(がんどのみね)1288mに立つ。以前は「高丸山」と呼ばれていた。 ここも主稜を通る者には単なる一通過点と映っているだろう岩戸ノ峰は北尾根を延々と辿ってきた私に取ってはそれなりに違った感慨がある。 自分自身.今まで遠方の頂から望んでいた主稜は連なる峰々の中で貧弱な1つのコブ山として眺めていたのも事実だった。 スズタケ 今回は日陰舟北東尾根から岩戸ノ峰北尾根を詰めて来た。初めて岩戸ノ峰の頂を前に.落葉松林の下にススタケの茂る風景を見る。 道中は全くスズタケが見られなかったばかりか.裸土の小枝絡みの踏み跡が続いていた。 歩むには楽だっつたが古い紀行を読むと大分手前からススタケの藪に覆われていた。年々衰退しているようにも思えた。 奥道志主稜にでて.やや風がでてきた。頭上を一時音を立てて抜けている。南風でも肌寒さを感じ軽量の雨具を被る。 又上空は航路が近いのか忘れる頃.遠く爆音の響きを聞いていた。 正面は岩殿山1280m(大峰). 赤鞍ケ岳(朝日山・ブナダツマ)1299m方面に至る縦走路。私は手前をブドウ岩ノ頭へと向きを変え登山道に入る。 奥道志主稜に入る 30分弱のロス.戻りピストンする.10:14岩戸ノ峰から見るぶどう岩ノ頭に至る主稜線は日当たりがよく.登山道は色鮮やかな色彩で覆われていた。 これこそ「明」を示す紅に黄色の雑木のジャングル。スズタケの緑が重なり合い.共鳴するが如く賑やかさを増させている。 1210m圏小コブ 樹間を透す空が丘陵をも思わす台地.10:48道志口峠 小さな平坦地1140m圏.11:001210m圏の小コブの下りより・・本坂峠・大杉峠・大ドウミと呼び名も多い 左手はやぐら沢(ヤツグラ沢)沿いを下り.道志和出村にでる。右手は大旅沢(入山谷)道志口沢で盛里林道を経て大旅沢出合に至る。 今回は長スラ尾根から下り.盛里林道にでるコースを取っている。 道志口峠 道志口沢の大杉沢方面を覗く.11:01道志口峠 小広い平坦地で展望どころか.藪絡みの小さな空地の感があり。 古くは朝日曽雌の道志口と道志村戸渡を結ぶ峠路であり.大正13年に道志隧道が開通するまでは重要な峠路で.里人の往来で賑やかだった。 道志川の和出村からの峠越えは戸渡から奥やぐら沢キャンプ場を経て林道終点にでる。 木橋で櫓沢(ヤツグラ沢)に右岸から左からの支沢を渡って左岸に戻り.830mで沢と離れジグザグを刻み左に回り込んでいる。 急登を経て東に折り返し1100m.左斜面から峠にでている。地形図「大室山」の破線路は現在廃道で途中で尾根に。登1時間40分 峠北面の取付きは左の藪絡みではなく.右手に確りした踏み跡を見る。尾根筋にでると踏み跡は消え.再び現れ西に進路を変える。990m 菅野盛里林道の草付きの擁壁を慎重に下り.横断し右に回り込んで.大杉下の杉ノ沢と道志口沢の二俣にでる。 道志口沢の右岸から2度程左岸渡り返せば道志口林道660mに至り.「やすら園」前で盛里林道と合わさっている。下1時20分. 道志口峠には今倉山北尾根と同じ赤と白の道標「登山道」が掲げられていた。「←菜畑山.赤鞍ケ岳→」が記入されている。 又根元には参加メンバーの「記名表」が打ち付けられていた。 地元中学生の集団登山だと思っていたがよく見るとL.sLに2年6名.1年8名とある。何の為にあるのだろうか? 自己満足だけか。 前日までの山行予定では民宿「やすら園」に宿ることで.大旅沢流域と道志口沢.それに林道の探索にコースを取っていた。 一日目のコースはゆっくり出掛け.日陰舟から入山。岩戸ノ頭を経て道志口峠から杉ノ沢沿いに入り.菅野盛里線を横断し道志口林道にでる。 2日目は大旅沢を遡り盛里線から茅野橋にでてからはバジラノ頭北東尾根か.長スラ尾根を詰める。 更に主稜の今倉山を越えて.二十六夜山の西尾根を選び.引野田を経て富士急行.赤坂駅に戻る予定でいた。 ただ電話連絡が取れず.P.検索は保留する所もあり.前々日諦め急遽.日帰りに変更している。 ヒカゲ沢左岸尾根から日陰舟.岩戸ノ峰.道志口峠へと続く・・水質検査員と熊騒動 奥道志山稜から菜畑山.御座入山ピストン 長スラ尾根を下降.盛里線と大旅沢.市ノ沢と下り曾雄の里にでる |