| 北浅川.醍醐川流域の伐採地の大展望と古道.石仏 ・・戸倉.醍醐地域の山々Top 醍醐川の散策と北岸に並走する峰見通り(栗ノ木尾根)の2つのコブ.730m圏コブと弾左衛門ノ頭を盆堀川側に一度降り回り込み周回する。 醍醐路から冥加沢右岸尾根(峰見通り730m圏南東尾根)を詰め720m圏コブと北支尾根を一度.盆掘林道に降りて.盆掘沢左岸のオリゾクナイ沢出合まで遡る。 オリゾクナイ沢右岸尾根からは再び峰見通りの弾左衛門ノ峰に立ち.南支尾根を下り盆堀林道の起点にでて.醍醐に戻る。 2016年12月25日.松村 関場から醍醐路の散策と冥加沢右岸尾根・・真峯嶺(まみね)の峠越えと醍醐の猪狩 市道沢左岸尾根から千ケ沢を下り.金堀沢オリゾクナイ沢出合で昼食 オリゾクナイ沢出合から右岸尾根を詰め.弾左衛門ノ峰の肩から南尾根下る・・周回 醍醐川流域は要倉山の尾根(中谷山尾根).吊尾根.峰見通りによって囲まれ.尾根筋筋は東京都花粉対事業による伐採が進み. このため東京.横浜方面の大展望が広がる。 盆堀林道から戻り師走に入り.倉沢谷右俣のシオジ窪右岸尾根から神庭尾根を下り.北軽の冬季用の薪作りも終え.師走最後に再び盆堀川流域に入る。 先月は北秋川水系の盆堀川流域を歩み.高萱尾根をピストンし盆堀川の源流を詰め.入山峠から入山尾根の途中まで入っていた。 今回はその南面に当たる醍醐川流域に目を付け.2年前の大雪の折.ウルシガヤノ頭から対岸正面に見下ろしたニニク沢と730m圏コブが忘れられず. 醍醐路をニニク沢出合の林道の.「道しるべ」まで散策して戻り.冥加沢右岸尾根に取付き.市道沢左岸尾根の北支尾根から峰見通りを横断し盆掘林道へ。 前回の盆堀林道を綴り.金堀沢オリゾクナイ沢出合で昼食を摂っていた。その為右岸尾根を詰め弾左衛門ノ峰南尾根を下り.醍醐に戻る形を取り. 後半は鉄塔尾根続きの送電線新多摩線を綴る旅にもなっていた。これで今年の締めとする。 jr高尾駅北口バス停.6:5812月25日(日).快晴後曇 jr御徒町5:21=5:25神田:32=6:52高尾.西東京バス.陣馬高原下行.6:55関場bs. 12月も半ばを過ぎ.発達した低気圧が日本海を通過.南風が強くなると共に寒気団が大陸へ押し上げられ.関東地方は暖かい冬至を迎えている。 7.8年前には見城先輩と雪被る大菩薩に登り.翌日の冬至に牛ノ寝通りを越えて.肌着で百蔵山に登っていた。それ以来の暖かさ。 22日は20℃を超え.糸魚川市ではフェーン現象を起こさせ.大規模な火災が起きている。週末は冬型になり.11℃.醍醐では一桁に落ちる。 急激な気温の変化に体が順応するか不安が募る。ただこの機会を逃すと次は新年を迎えてしまいそうなので.その前に出向くことにした。 関場へ jr高尾駅北口に降りるのは2年前の豪雪に飛びついた高尾山以来になる。又雪解けを待たず.初めて戸倉山地に入る切っ掛けにもなっていた。 路線バスで関場バス停までは正味30分ほど。中央自動車道を潜り.通称美山街道を北上し.北浅川の河原橋を渡っている。 関場で左折すると陣馬街道.(案下街道.恩方街道.佐野川往還.国道521号線)に入る。 陣馬街道は八王子市追分町で甲州街道と分かれ.川原宿・恩方町を経て和田峠を越え.藤野町を通り.上野原で再び甲州街道に合わさる街道。 過っては恩方街道・佐野川往還・案下道と色々呼ばれていたが.昭和38年に陣馬街道と改称され.甲州街道は参勤交代など公的に 利用されているのに対し.陣馬街道は沿線の住民の生活道。 北浅川の左岸沿いを走る街道は関場まで概ね家屋の途切れることはなかった。 恩方.夕焼け小焼けで小さく右岸に渡り返すと次のバス停が関場になる。バス便は1時間に1本ほど。・・日の出6:49 右俣に入り醍醐路を探索・・中谷山尾根(要倉尾根)の末端 朝方の関場バス停は浅川二俣.7:24左俣は案下川.右俣は醍醐川. 共に陣馬山北側の和田峠が源頭になる。 醍醐路.林道と冥加沢右岸尾根 7:24関場bs一7:40西げいと沢橋一7:53真峯峠一8:19龍蔵神社一8:35冥加沢出合.二十三夜塔9:05⇔8:45ニニク沢林道分岐 一9:08竹藪一9:35植林帯一9:45再び自然林一10:19(700m圏)一10:23(730m圏コブ). 関場バス停の10m先が北浅川の二俣になる。案下川沿いに左折して醍醐川落合橋を渡り.その間々陣馬街道を上流に進めば和田峠にでる。 峠越えして相模に抜ければ相模,和田へと抜けている。路線バスの終点は昔と変わらず陣馬高原下にあった。 30年ほど前の路線バスは京王線八王子駅発.昔子供達と何度か陣馬高原を越え.山の湯を求め通っていたことを想いだす。 醍醐川は八王子市の最高峰の醍醐丸867mを源とし.醍醐川上流には醍醐.振宿.森久保と集落が点々と続く古の里が今でも残されていた。 醍関場付近で案下川と合わせて浅川になる。浅川沿いには陣馬街道(案下街道.佐野川往還)が通じている。 醍醐川沿いは断層谷になっており.そこには醍醐林道.醍醐道が延び.上流に向けて森久保.振宿.醍醐の集落が続く。 関場バス停の10m先が北浅川の二俣になる。案下川沿いに左折して醍醐川落合橋を渡り.その間々陣馬街道を上流に進めば和田峠にでる。 峠越えして相模に抜ければ相模,和田へと抜けている。路線バスの終点は昔と変わらず陣馬高原下にあった。 ただ30年ほど前の路線バスは京王線八王子駅発.昔子供達と何度か陣馬高原を越え.山の湯を求め通っていたことを想いだす。 過って北条氏は案下に番所を設けていたがその後街道が分岐する手前の高留に移されている。関場とは口留番所があったことによる。 これから直進する醍醐川流域は中谷山尾根と吊尾根.峰見通りによって取り囲まれた流域で断層谷をなしている。 この尾根筋の流域は東京都花粉対策事業による伐採事業が前倒しに進められていた。 醍醐川は八王子市の最高峰の醍醐丸867mを源とし.醍醐川上流には醍醐.振宿.森久保と集落が点々と続く古の里が今でも残されていた。 まずは一昨年の大雪後.吊尾根からウルシガヤノ頭にでて.ニニク沢流域の伐採された斜面や連なる峰見通りの山々を暫く眺めては見下ろしていた。 そこを醍醐林道側から眺めたく..関場からニニク沢出合までたどり.それから冥加沢右岸尾根を詰めることにした。 途中で真峯峠道を散策しから醍醐路.醍醐林道へと歩む楽しい入山になった。 暖房の利き過ぎた電車とバスで体は火照っている。朝方の谷間は寒さが度を超し.0度に届くか.届かぬ処。 関場バス停で私ともう1人のハイカーが降りている。ほぼ満席に埋まった路線バスが街道を登って行くのを見送ってから右俣の醍醐道に入る。 弾左衛門ノ峰南尾根 森久保の集落と鉄塔尾根.7:32森久保の集落 右手の高みに恩方第二小学校を見て.正面に競り下りる弾左衛門ノ峰南尾根が横たわり..尾根筋には新多摩線の鉄塔2基が見上げられた。 この鉄塔尾根は冥加沢右岸尾根から峰見通りを登り返し.盆掘林道から回り込み.今日最後に下山する予定の鉄塔尾根。 直ぐ先の盆堀林道の起点の西げいと沢橋に下りている。バス停から共にした彼とはここで別れていた。 森久保の集落に入り森久保橋で右岸に渡ると直ぐ.右手脇に月見橋が架かっている。 道路脇には「瑞雲山龍泉禅寺」と刻まれた石柱が立ち.龍泉寺には珍しい鉄製の仏像が祭られていると云う。「聖観音菩薩立像」像高37cm. 鉄像は中世に関東地方などで盛んにつくられ.時代的地域的特徴をそなえた仏像とのこと。・・八王子教育委員会. 月見橋の直ぐ先の山側に林道が入っている。熊野神社・参詣古道が登り.堂所から中谷山尾根(猪通り尾根)に乗り.要倉山から本郷山を越え. 熊野三社大権現の祭られた本宮跡のある本宮山に至る。更に中谷山尾根を綴れば和田峠を下り相州佐野川に通じている。 又直ぐ傍の左手に新多摩線の巡視路標柱「79号に至る」がある。家屋の間の細道が取付きのようだったった。 盆堀林道の起点 西げいと沢橋より入山峠に至る.7:40林道起点 T字路の右手に西げいと沢橋があり..渡ると盆堀林道のゲートに突き当たる.閉ざされた林道の起点があった。 色々な標識,看板が立ち.中央に塞ぐ「車両通行止」の馬には「警視庁」と示されていた。今まで県営なり.営林署の表示はあるものの「警視庁」とは。 この林道に入ると先は西げいと沢沿いに詰めて刈寄山に登り.入山峠越えをして盆堀川沿いに下り.繋がる盆堀道は戸倉からあきる野市に抜けている。 このルートについては「楢本書」で「五日市古道」という重要な旧道であり.「元禄頃の五日市古道」は西げいとから大ざわに登り.ほうじょう. おりきりばの尾根を北進.刈寄沢を下り五日市の戸倉村にでる」とあり.「大ざす」.「ほうじょう」.「とりきりば」の位置が図示されている。 彼はここから林道をトックリ場へ向かい.その周辺を回り戻ると云い別れている。私は醍醐路を散索.まず真峯峠道に入ることにした。 朝方の明るさが醍醐路にも降りてきた。それでも谷間が狭まりカーブに入ると.その都度山陰に忍び込む陰りが残され周りを薄暗くしていた。 醍醐川西げいと沢橋.左脇の道標 渡った左脇に小さな鉄橋が架かる西げいと沢橋を渡る手前に少し古めの道標が立てられていた。先は「←和田峠.陣馬山へ.醍醐林道」とある。 左奥に架かる小さな鉄橋は弾左衛門ノ頭南尾根80号鉄塔への巡視路の取付き。ゲート看板に重なるよう黄色いL字鋼の巡視路標柱が立てられていた。 「←80号.79号↓に至る」とある。冥加沢右岸尾根から周回して渡った帰路の鉄橋。 真峯峠道 醍醐路から真峯嶺峠の入口に入る.7:47醍醐道直ぐ先は「恩方の湧き水」. 真峯峠道 真峯峠道は西げいと沢橋の200m先になる。醍醐道が山陰を回り込む所に細い横木の階段が左手の斜面を登っている。 目立つのは「マムシ注意」の白い看板.その左下に小さく「住吉神社」と木片にマジックで書かれ立てられていた。 登り口の直ぐ先に美味い水場があると聞き.まず寄ってみる。まだ体が硬く.竹樋から流れ落ちる水を如何に飲むか考え.手しゃくで飲んでいる。 体は固まり余りにも冷たく.口の感触も分からず.美味いと云う味は分からなかった。 戻り脇の窪状の細道から谷間に入れば更に薄暗さを増すのは常のこと。ただ参道とは思えぬほど地味な窪状の径が続いている。 谷間は以外と閑散とし何の変哲のない広めの山径。少しジグザグに小径を綴れば真峯峠にでる。 住吉神社(真峰明神) 真峯嶺(まみね)峠340mにて.7:53龍蔵神社と合社・・旧.元の頭の字は必要なのだろうか? 住吉神社 ウラジロの大葉に敷き占められた山道を踏み締めると尾根筋にでて真峯峠にでる。急に窪地から開け周りは明るくなった。 谷側には峠に向かい住吉神社が祀られ.地元では真峯明神とも呼ばれている。 「新編武蔵風土記稿」には「住吉.龍蔵の二社を似て此の辺の鎮守とす」とあり.東の住吉神社.西の龍蔵神社と至近の距離に二社が祭られていたが 明治5年に合祀された。閑散とした社殿の裏側からは醍醐川が見下ろされてる。 真峯嶺峠に乗る尾根が里に下りる山径の左側に小尾根付く小径を分け登っている。その高み口に小さな木祠の「山神宮」が.東側を向き祀られていた。 この490m圏台からの北尾根を進めば伐採帯の縁をたどると藪絡みで道を失う。左へ消えた踏み跡から東隣りの尾根へ。短いが廃道. 赤帽黒杭で月見橋からの木材搬出場跡からの「熊野神社参詣古道」に乗り.南側の展望が開かれ.中谷山尾根の堂所付近にでる。ヌタ場跡か? 又79号鉄塔の尾根径からは南の支尾根を乗れば真峯嶺峠の支尾根と合わさり.中谷山尾根の木材搬出場跡にでる。 古道を右に折れれば490mコブとのこと。 真峯嶺峠から六地蔵沢へ下りる西側の参道.8:02昔は真峯峠道は人馬ともに難儀したことから.道中に馬頭観音が祭られていたが今は醍醐路の振宿に移設され祭られていた。 途中の左に入る踏み跡から六地蔵沢右岸尾根に乗ると初めは道形なし.490mコブの西側にでて.中谷山尾根を0分ほどでヌタ場跡から堂所にでられる。 六地蔵 真峯嶺峠道を下り六地蔵沢の六地蔵を渡った所300m.8:05六地蔵と庚申塔が並び祭られている 降宿に祭られた龍蔵神社 龍蔵橋を渡り醍醐川の右岸沿いの境内.8:19正しくは石船山.龍蔵神社住吉神社合社. 龍蔵神社の由来 石船山龍蔵神社(通称龍蔵神社)の由緒によると、昔、神龍がこの石船山に降臨したところに社殿を造営したとの伝承があるそう。 寛永元年(1661年)に再建され、明治5年(1872年)10月に住吉神社を合祀しました。明治5年は西暦1872年ですから700年さかのぼると1172年より前. 平安後期の承安年間に創建とされています。平清盛や親鸞がまだ生きていた時代です。 さらに江戸時代初期の寛文元年(1661年)に山室次郎左衛門が龍蔵神社を再建した棟札も残っています。寛文元年(1661年)からさらに700年. 1000年以上も前です。平安時代初期の応和年間(961?964年)にまで歴史をたどれる大変由緒のある神社であることがわかります。 醍醐とはまるで京都のような地名ですが.王子最高峰の醍醐丸(標高867m)の麓にあたるところから名づけられたのだろう。 まさに深山幽谷といった感じ。この地には古くから龍神伝説が伝わります。中心となっているのは龍蔵神社と龍神渕(別名:雨乞い淵)。 真峰峠で述べているよう同地区の降宿の東側端に祭られている住吉神社と明治5年(1872年)10月に合祀しました。 龍蔵神社は同.降宿の西側に位置している。先ほど訪れた真峰峠には今なお.住吉神社(真峰明神)として祭られていいる。 醍醐川真峯嶺橋を左岸に渡り醍醐路に戻る。更に100m先で.右岸に架かる龍蔵橋を渡り.短い参道を高台に登ると龍蔵神社が鎮守していた。 境内口には大杉の幹にしめ縄の掛かる御神木があり.正面の一段高くに本殿がある。 その昔.神竜が背後にある石船山に降臨したことから.御神体は舟の帆柱に竜を巻いた木の像で.雨乞いと安産の神として知られている。 両脇にはやや胴長の紅絹を羽織った狛犬が向かい合い.境内の右手には舞殿があった。 要倉山北尾根 龍蔵神社の裏から山径をたどると「新宿どんぐりの森づくり」の看板を見て..斜面を僅かに進んだのち.小刻みのジグザグで北尾根にでる。 小鞍部440mを経て要倉山562mにでている。「要許可」の看板の左方は途中まで道形なし。スギナクボ左岸尾根・・登り40分 境内の登り口で整理体操しているトレイラーに出会う。既に高尾から回ってきたと云う。コースの詳細は分からぬが清々しい言葉を吐く青年と出会っている。 真峰峠路口にでて醍醐路直ぐ脇にある醍醐川の渡り籠ここは醍醐の集落の東側端.直ぐ脇に対岸に架かる確りしたつるべ式のロープが張られている。 少し古く錆びが目立つが支点の構えはガッチリした丸太で組み合わせ作られていた。鉄製の大き目な籠が吊るされ.人も乗れる大きさ。 醍醐路から醍醐の集落上流側に醍醐の集落が望められる。その一段と大きく構える家屋が醍醐エコロジー村。 更に150mほど先で.右岸に架かる木橋を渡り.やや高みに進めば御姫渕(おひめぶち)に木橋が架かり醍醐エコロジー村に導かれる。 案下炭(備長炭と同じ白炭の一種)の復興を目指していた。 二十三夜塔・馬頭観音 冥加沢出合の右角にある仏石.8:35醍醐路に戻り.醍醐の集落に入り醍醐大橋をを見て.右に六影沢.左にエンモ沢が合わさると左岸の手前.ロッカゲ沢と 向かいの冥加沢(ミョウガ平窪)挟まれた冥加沢右岸尾根(峰見通り730m圏南東尾根が下りてきて取付きになる。 小沢の手前.右角に二十三夜塔と馬頭観音が祀られていた。この馬頭観音(文化年間1804年〜1818年)は真峯嶺峠道が 人馬ともに難儀したことから峠道に祀られていたが.その後この場所に移されている。 ここが今回の醍醐から峰見通り730m圏へ詰める冥加沢右岸尾根の取付き。 醍醐道はこれから先は醍醐林道に入り.林道ににく沢線の分岐まで歩み.「道しるべ」を見聞してから戻り.尾根に乗ることにした。 猪狩り この先.龍蔵神社から15分ほど先の右後方の坂道が合わさった作業道の取付きの膨らみにはハンターの車が3台駐車していた。 この処.100kは超す猪が集落に出没し.右岸の山腹に居座っているらしく.作戦を練っている所に出会う。 先程下流の龍蔵神社付近には既に1人の猟師が待機していた。この林道沿いが現場になるらしい。 関場バス停からの往路を振り返ってみると.醍醐路では集落の狭い庭先に.どの畑でも低い柵で囲み.猪の防御策が取られていた。 醍醐林道の分岐から戻って来たら「ニニク林道から登った方が楽だと教えて頂いている。猟師達は猟に移ったのだろう既にいなくなっていた。 車は1台が残され.長老一人がケースから銃を取りだしているところだった。河原に下りて待ち伏せするらしい。人の往来はないのだろうか? 醍醐林道のゲート地 道幅の拡張・補強工事で車は通行止.8:43右奥にゲートは外されているが「起点 東京都」の林道標柱が立つ. 醍醐林道とニニク沢林道の分岐 分岐右手がニニク沢林道・・これから改修工事が行われる.8:44ににく沢林道 醍醐路から林道の起点醍醐線に入いる。車幅は1.8mに制限され.東京都森林事務所浅川林務出張所とある。 前方の分岐は左手が醍醐林道の本線で醍醐峠の北側を回り込み和田峠に至る。 右手の裸土が林道ににく沢線。緑の標柱に起点に東京都とあり.ニニク沢(ニタコロガシ沢)を遡れば漆ケ谷ノ頭と市歩地との鞍部.旧醍醐峠にでる。 林道450m地点で右後方の踏み跡に入れば.冥加沢右岸尾根の700m圏で合流している。この後戻り尾根末端から登り.冥加沢右岸尾根に乗る。 又旧醍醐峠へはニニク沢左岸の踏み跡は所々で怪しくなるため.更に林道を500m行った所(山火事注意の看板)で. 左前方の山径に入った方が分かり易い。ニニク沢林道は520mで終点になり踏み跡も消滅している。 左岸に踏み跡を合わせ.「吊尾根は川を渡り左の沢沿いの道」に従い.次第に道形は怪しくなるが峠にでられる。 古道の道しるべ 林道の境.分岐点中央にある「道しるべ石」.8:45林道醍醐線とニニク沢線との境にぽつんと天保11年(1840年)の道しるべ石が林道の分岐中央に置かれている。 「(右)臼木山ひのはら.(左)さの川.天保十一年.野島氏建立」と刻字されている。 ここから旧醍醐峠越えをして.嫁取坂を経て檜原にでている。又和田峠から佐野川へ.古道の山道が印されていた。 峰見通り・・730m圏コブ冥加沢右岸尾根 ![]() 「通り尾根」. 市道沢左岸尾根は「奥多摩」宮内敏雄著によると「通り尾根」と呼称され.「雑叢に覆われた古道」と解説されている。 ウルシガヤノ頭南東尾根のツメ610m点コブから醍醐川左岸の支流.ニニク沢(ニタコロガシ沢)を隔て.開かれた峰見通りの展望・・2014.03.12/12:50 峰見通り730m圏コブから先.東側の南尾根は栗ノ木沢ノ頭南尾根.峰見通り710m圏南東尾根(ナロー沢右岸尾根).弾右衛門ノ峰南尾根(ニシゲイト沢右岸尾根)。 下山はこの尾根を降る。又弾右衛門ノ峰は入山峠からの猪畑尾根の南側端にあたり.直ぐ脇にトッキリ場がある。 隔てる峰見通り730m圏コブから南東(右奥を下る尾根)に延びるのが冥加沢右岸尾根。 そしてこの後は730mコブ手前の720m圏コブから左下に流れる千ケ沢に向かい市道沢左岸尾根を下る。 コブ裏は金場沢源流に当たり.入山峠から盆堀林道を下れば730m圏コブ右手の醍醐川下流流域に入る。 730m圏コブの左肩からの展望は左の枠外に欠けるのが市道山。奥に重なるのが石津窪山高萱尾根。 足元には右下にニニク沢が落ちている。左脇の旧醍醐峠から沢沿いに醍醐に下る古道が綴られている。 足元の右脇のコブからはウルシガヤノ頭からは南東尾根(ニニク沢右岸尾根)が延び.醍醐川とニニク沢出合との合流点に没している。 冥加沢右岸尾根末端 末端の河原.竹藪から取付く.9:08ニニク沢林道分岐から醍醐路を冥加沢出合に戻り.二十三夜塔の脇を流れる冥加沢に入る。 この小沢の右岸を70mほど進んで左後方の踏み跡が取付きになっていた。尾根末端からは足だけで稼げる緩斜面。 竹藪の上部を巻く踏み跡が幾つも広がってをり.適当に踏み易い斜面を登る。 尾根の雑木帯へ.9:14末端の谷間からの登りとしては明るいルート。自然林が大らかに自由奔放に茂り. 傾斜もあることながら密なるジャングルを創っている。距離の割り.倒木を跨いでは潜り.忙しい。 尾根に乗る.9:17もう一方の取付き地点は醍醐道上流側の畑を抜けて尾根に乗ると右後方からはっきりした踏み跡が登ってくるとある。 ただ私のルートは反対に左後方の尾根筋から確りした踏み跡が綴られていた。 共に距離としては短く問題にすることもないが.間に確りした取付きがあるようだ。 檜の植林帯に入る.9:39尾根上に熊の糞を見て.430mコブを右に巻き.上半に掛けて続く檜の植林帯に入る。再び急斜面になると 尾根筋に間伐材が2本.3本と纏わり.適当な長さに切られ.土砂の流失を防いでいた。跨ぐよう障害物の如く放置されている。 450m点を過ぎ平坦ちになると程なく植林帯は高木の林層が続き.地床は落葉から抜けだした大地になっていた。 小さな灌木.下枝の絡みもなく.ここからは歩き易く捗る尾根になる。 530m圏で再び自然林へ.9:45中谷山尾根 醍醐川を隔てる背の要倉山の山並.9:50 空が明るく開かれた上部の自然林.10:01弾左衛門ノ峰南尾根 後方は入山峠からトッキリ場に至る尾根.10:06右手の弾左衛門ノ峰の肩に紅白の82号鉄塔が建つ.醍醐川に没する新多摩線の鉄塔尾根。 この先一度盆堀沢に下り返し再び峰見通りへ登っている。そして最後はこの鉄塔尾根を下り.周回して今回の山行を終えている。 ただこの紅白鉄塔の色彩を下山時に忘れてしまっていた。覚えていればオリゾクナイ沢右岸尾根のツメ。違った展開になったかも知れない。 漆ケ谷ノ頭に市道山と727m点コブ 右岸尾根700m圏手前.10:19吊尾根と峰見通りの稜線がニニク沢源流を囲んでいる。漆ケ谷ノ頭と市道山の間が旧醍醐峠になる。 昔の峠路で.旧道は醍醐から市道山嫁取坂を経て檜原.笹平と結ばれていた。 峰見通り・730m圏小コブ 峰見通りのツメが望まれる.10:20700m圏で左後方から登る尾根筋はニニク沢から北東に延びる支尾根でニニク沢林道から踏み跡が尾根伝い続き.合わせて730m圏コブにでている。 冥加沢右岸尾根は取付きから高みを進めば迷わぬ尾根で.峰見通りのツメに入ると疎らだが一面に30cmほど茂る笹原が広がっていた。 地表の索漠とした風景から一変して.冬期ではのこの辺の大地は生い茂る豊かさを示していた。 コブの稜の東面.10:23峰見通り.730m圏コブに立つ。頂稜の右手.東面は植林帯に覆われている。 コブには木の屋号が白いペンキの帯に加え「ヤ・・」や「に」と円に白く書き込まれ目立ち臨まれている。 ここに木の屋号が幾つも現れると云うことは.ここから北面の流域は森林帯になり.この流域斜面は公益地なのだろうか? コブの稜・・西面.10:25730m圏コブ.ここから南面.西側の頂稜は醍醐流域から続く自然林との林層の境を示していた。 醍醐路の散策と冥加沢右岸尾根・・真峯嶺(まみね)の峠越えと醍醐の猪狩 市道沢左岸尾根から千ケ沢を下り.金堀沢オリゾクナイ沢出合で昼食 オリゾクナイ沢右岸尾根を詰め.弾左衛門ノ峰の肩から南尾根を下り・・周回 |