| 昔懐かしい奥秩父.大弛峠に立ち.石楠花新道から北奥千丈岳.奥千丈岳.ゴトメキからトサカ ・・笛吹川流域Top 学生時代に何度も通った大弛峠と峠路の林道が開通し.直ぐ新津先輩と山岳ドライブに向かったが.その時はまだクリスタルラインに回り込み.清里にでていた。 それから家族全員で金峰山を目指し.寝袋も揃え出掛けたものの.豪雨後の修理ができず..其の儘信州.霧ヶ峰へ変更させられていた。 今回はデマンドタクシーで直接大弛峠でてい。北奥千丈岳からゴトメキを経て石楠花新道から大ダワを経て東奥山窪から徳和へでる。 2017年06月04日.松村 大弛峠から北奥千丈岳.奥千丈岳.白檜平・・甲斐側の大展望 白檜平からゴトメキ・トサカ・大ダオ 東奥山窪を下り徳和林道から徳和 北奥千丈岳石楠花新道 国師岳山頂から南面を望む北奥千丈岳から延びる2つの山並を国師岳山頂より望む・・2018.06.04/5:47 大弛小屋で一泊.鳥ノ尾根を下る折.国師岳から望んだ山稜・・北奥千丈ケ岳からゴトメキで.右に鳥ノ尾根を分け.左手の石楠花新道へ。 東奥山窪に下らず.尾根を直進すればトカサから大ダワ・乾徳山へと続く。 今回綴ったルートの一枚の写真 乾徳山から北西面を望む乾徳山から黒金山.牛首ノタルへ出向いた折.乾徳山々頂からの展望・・2012.09.16/12:53 大弛峠から国師嶽.北奥千丈岳からゴトブキ.トサカ.大ダワと繋ぎ.東奥山窪を下り.徳和へ乾徳山登山口に繋がる分岐にでている。 その今日一日の行程がこの写真に全て映されている。又北奥千丈岳の頂からの大展望も素晴らしかった。 北奥千丈岳へ 北奥千丈岳から石楠花新道を経て鳥ノ尾根を下る積りで.栄和交通の「募集型企画旅行契約」に関するデマンドタクシーの予約を取っている。 その折予定より大分早く明日.明後日の席がガラガラと知る。この数日好天にも恵まれていた。 それではと2週間振りのトレーイングを兼ね.急遽東奥山窪へ下る石楠花新道のルートを選び実行する。日帰りの高度差は1771m. この山域は笛吹川の本流西沢と笛吹川の支流琴川に挟まれた流域から荒川を遡る。「甲斐国志」のいうところでは西沢御林山と奥千丈にあたる。 関東から東海.九州に掛け細長く.高気圧帯が延び.気圧の谷や上空の寒気の影響で.山梨県中北地域は強風と乾燥注意報がでていた。 25%前後と湿度は低く.カラッとした爽やかな朝を迎えている。日陰に吹く風が心地よく感じられ.ゴトメキや大ダオでの1本ではやや肌寒く上着を羽織っていた。 昔の面影を全く失った大弛峠 8:44開通する以前は車も通れぬ峠路だった。今は懐かしさも何処やら全く分からぬほど開かれていた。 右の写真は峠越えをする甲斐側.塩平からの川上牧丘林道の終点 6月04日(日).快晴後晴 jr御徒町.¥1944. 4:44=4:49東京:58=6:13高尾:14=7:22塩山駅北口.栄和交通.¥1800 7:30=柳平=8:50大弛峠b. 4時24分.日の出と共に元浅草の自宅をでる。頭上を見上げるとビルの谷間は厚い層雲に覆われ.西方の端空だけが途切れていた。 やや西風があるも暖かい。八王子辺りで明るい白雲に変わり.高尾にでた頃には雲1つない蒼空に恵まれている。 今回は始発から4時間強.帰路は3時間と山中だけでなく.日帰りにしては長い乗物の旅にもなっていた。 土.日.祭日だけの予約乗合バス(予約は前日の午前中まで).デマンドタクシーに初めて乗車した。本来は柳平まではバスに乗り. 林道規制で中型車に乗り換える処.乗客は9名と少ない。7時半に塩山を発ち柳平で休まず.その間々大弛峠にでる。 柳平へ 塩山盆地.塩ノ山の南側を回り込み.塩山勝沼線,県道38号線で窪平から牧丘トンネルを潜り.出て左折すると右角に「クリスタルライン入口」の杭を見る。 直進する西沢渓谷への雁坂みちを分け.琴川沿いの杣口塩山線.県道219号線に入り.一直線に延びる2車線の道が葡萄畑の中を抜けていた。 柳平まではクリスタルライン(同・・杣口林道・杣口塩山線・柳平塩山線)に入り.鳥ノ尾根の南沿いを綴り.乙女湖北岸の柳平へ。 乙女高原沿いに入るクリスタルラインと分かれ.塩平から登ってきた林道川上牧丘線を合わせ大弛峠へ。 クリスタルライン クリスタルラインの経路は東方の山梨市牧丘町窪平(R140号・秩父往還・雁坂みち)から西は北杣市高根町清里(R141号.佐久甲州街道.清里ライン)まで. 標高1000m以上の森林地帯を抜け.総延長は68.1kmで県道.林道.農道.市道等の舗装20路線から構成されている。80%は林道. 柳平から先のクリスタルラインは林道川上牧丘線(焼山林道)に乗り換え.乙女湖の南側を戻りよう回り込み. 焼山峠にでて荒川林道に乗り変えている。乙女高原を経て甲府市黒平に至る荒川林道。更に林道を繋ぎ続けると清里へ抜けられる。 この林道を綴る北部山岳地帯一帯は水晶の産地としても知られ.クリスタルラインの愛称で呼ばれていた。 金桜神社と鳥 琴川の小さな流れを渡った所で.杣口林道が右手から入り繋がれている。次回は北奥千丈岳山からここまで下山できればと思う。 更に1.5車線と狭ばり.変形の十字路がある林道塩平徳和線を横切る。右折すれば1.5キロ先で行き止まり.先は鳥ノ尾根末端の大久保峠にでている。 鳥ノ尾根を仰ぐ琴川の小倉原には金桜神社の里宮と金峰山には奥社が祀られ.ともに祭神は蔵王権現で.9筋の一つの参拝道として 御嶽道が綴られていた。日本宗教事典」によるとカラスは蔵王権現の使いとして神聖な場所への道筋を案内する鳥とされている。 北奥千丈岳から大鳥山・小鳥山を擁する尾根は鳥ノ尾根と呼ばれ.大鳥山のヒナ岩はカラスのヒナのことで.この辺には「鳥」関わりある地名が多く残されていた。 旧金桜神社奥社跡は「この地を高天が原と称し山岳信仰と密教との修験道場の聖地としてた頃は金峯山東登山道の里宮として栄えた」ともある。 杣口の集落へ抜ける道筋に祀られているのが.金峰山を奥社に持つ里宮だが里としてはかなり遠いい。また近くにある古い崩れ欠けている道標は 「←柳平.塩山→」「←大弛峠・夢の庭園」「←鳥居峠荘・山彦荘」と塩山からの道しるべが付けられていた。 県道は更に小鳥山の南西尾根をジグザグに大きく回り込み.高度を上げ傾斜が落れば乙女湖の東縁より北側に回り込み.高原台地の柳平にでる。 ここは大丸戸尾根の南麓に位置し.昭和20年代に切り開かれた新しい土地。その後.平成19年には日本最高所の多目的琴川ダムとして完成された。 この琴川左岸沿いの長い鳥ノ尾根は北奥千丈ケ岳から南下し.今回はゴトメキから徳和へと回り込むが次回は末端の大久保峠まで下る積りでいる。 柳平は又杣口林道の終点三叉路で.真っ直ぐ北上すれば大弛峠へ。左に曲ると焼山峠を経て荒川林道.或いは下って川上牧丘林道の起点.塩平へ抜けていた。 今回は柳平でトイレタイムを取らず.その間々北上している。六本楢峠を越え川上牧丘林道を綴る。冬期閉鎖用ゲートの先で右手に 白檜平から本流西沢に抜ける鶏冠山林道(西線)を分けた。午後には石楠花新道を下って白檜平でこの林道を横切っていた。 本線は直ぐその先で林道鶏冠山線・黒金山徳和線をやはり右方に分け.この林道は大丸戸尾根を横切り,鳥ノ尾根の1940mを越えている。 その少し先,徳和川側で途切れるが将来は西奥山窪沿いの徳和林道と結ばれ.先は更に乾徳山林道と結ばれる予定線のようだった。 川上牧丘林道 恰幅のよい高齢運転手の助手席に座り.時折昔の想いを語り合っている。数年前に大弛峠から金峰山まで1時間半で登ったと 自慢する彼は.林道ゲートしか覚えていない私に.開通当時からここにあったと教えて頂いた。 川上牧丘林道は1969年(s44)に大弛峠の峠路として開通した車道。73年(s48)6月には新津先輩と山岳ドライブをして. 金峰山を真近から見上げている。そして翌年8月には林道を利用しマイカーで.家族全員で大弛峠に天張り金峰山をピストン。 その足で峰越林道から信濃川上にでて.増富温泉へ向う筈だった。 梅雨期の土砂崩れで改修工事が延びに延びに.柳平までは焼山林道しかなかった。PCもない時代で.連絡方法も分からず.知らずして現地を訪れていた。 林道のゲートまで入り.閉鎖されていた。中央高速道に戻っている。そして高校時代以来の霧ヶ峰.車山のキャンプに変更している。 大弛峠に至るには川上牧丘林道の起点.「標高1080m」の杭のある塩平から焼山林道を越え.右方に杣口(そまぐち)林道を分け. ほぼ一直進に林道を遡っている。大弛峠へはそれ以来.初めての入山になった。地図によっては塩平から焼山峠までを焼山林道としているものもあった。 塩平のゲートの記憶から以前は焼山林道から通っていた可能性の方が高いかも。 川上牧丘林道は開通と共に奥秩父連峰の土手っぱらを横切る林道としてマイカーブームに乗っていた。 更に1998年(h13年)10月には皇太子さまの国師ケ岳登頂に合わせ.甲斐側の大改修.拡張工事が行われ全面舗装された。 山梨市側は殆ど眺望は利かぬものの.広くゆったりした林道に改修され.昔の凸凹の道幅狭い連想はなくなっている。 そして人気ナンバー1として切り開かれた大弛峠2365mは峠全体の広場が駐車場化し舗装され.昔の峠としての面影は丸っきり失われていた。 交通の手段としての無機的な峠になっている。峠には「川上牧丘林道終点,延長23.658m.幅員3.6〜5.0m」を示す標柱があった。 又反対側の舗装の境が信州側の旧川上村.秋山へ下る林道口なる。幅狭い川上牧丘林道に変わる峰越林道の終点は梓川になっていた。 閑散とした朝方の大弛小屋.8:46大弛小屋 大弛峠は運転手の言葉通り.全く想像もつかぬ異なる風景に変わっていた。広い駐車場が目に付き.溢れるばかりのマイカーが車道とは云わず. 駐車禁止の場所さえ.お構えなしに列をなし駐車していた。トイレが完備され,至り尽くされれた終点は舗装で埋め尽くされ.裸土は囲い外に追い払われている。 それでも以外とその脇陰の樹林帯に入ると.直ぐ脇に小陣まりとした懐かしい.昔の間々の大弛小屋を見付けていた。 初めて大弛峠を訪れたのが50年ほど前の1965年5月. RHCに入部し新人養成合宿で梓川から岩屋林道を登り.残雪が多く. 小屋まで着けずに途中で張った。初めての雪上幕営は残雪で水を作ることから炊事が始っている。そして金峰山を越え.富士見平で. 各パーティが集合.木賊峠を経て金桜神社まで降りている。当時はまだ「川上牧丘林道」の言葉も世の中に伝わっていない時代だった。 翌年同月には梓久保林道の延伸工事が始まり.大弛小屋のテント場に天張って.同じルートを金峰山から下りている。更に62年7月には女子企画山行を催し. ここに幕営している。後輩達が熱射病でダウン.甲武信ケ岳から現在の千曲川源流遊歩道を梓山へ下りた覚えがある。 ここ10年ほど前までは営業小屋に宿ったことはなかった私。それでも懐かしく.想いだす山小屋になっていた。 当時購入した1/5万地形図「金峰山」.昭和24年現地調査.34年8月の行政区画を使用。文体は右からの墨刷り. 定価は¥35から¥40に訂正されていた。10日前に購入したのが1/2.5万地形図「金峰山」.平成26年3月調製4月発行 3色刷りは¥278から多色で¥339に。又梓川沿いに国師ケ岳に直接詰めていた岩屋林道の登山道は廃道化され.今は道形が失われているらしい。 残雪と以前はなかった立派な木段が続く.8:47石楠花新道から白檜平 8:50大弛峠bs一夢の庭園一9:23前国師一9:35北奥千丈岳山一10:20奥千丈岳山一10:40スパッツ一11:19白檜平. 始発にでて塩山から初めて直接大弛峠に入り.冶の木段から登りだすと直ぐ目の前の西方三方に金峰山連山の大展望が開かれる。 大弛小屋前からコメツガ.シラビソ.オオシラビソなど針葉樹帯を潜りながら登山道を綴っている。 立派な木段が続き.日陰には薄すら残り雪が臨まれる。私は秩父山塊の主稜とは随分遠ざかっていた。 最近.奥多摩周辺を歩き回っている私にとって.この大きな包容力に満ちた樹海の中に.突然飛び込んでいた。 小屋から10分ほどで「夢の庭園」入口分岐にでる。山上の風変わりな地名は昔からあった気がするが. 寄った記憶は想い出せなかった。右手の木段に入り込むと直ぐ.眼前前方の西方三方に金峰連山の大展望が開かれる。 夢の庭園からの展望・・金峰山と五丈岩・鉄山.朝日岳 右下が大弛峠.8:57地元の運転手は金峰山を(きんぽうさん)と呼んでいた。更に峠の右下の茂みに大弛小屋がある。 大弛峠周辺の山々 奥秩父連峰の主稜の最も高い山域は金峰山から連ねる鉄山.朝日岳.大ナギ.そして国師ケ岳が聳えている。 幾つもある山頂は2600mから2500mの標高を示していた。私にとって奥秩父といえば殆どこの山域に限られていた。 春の新人養成合宿に始まり.残雪の山から夏山へと。2年女子の山慣れには甲武信岳を選び.冬期はビバーク等技術山行に出向いている。 どのコースも入山のアプローチは長い。信濃川上から秋山・梓山へ。列車がホームからはみ出す小さな駅舎に.デトロ調のオンボロ小型バスが活躍していた時代だった。 韮崎からは増冨へ。昇仙峡からは金桜神社から入・下山を繰り返している。林道は何処もが一般車は通行止めで.長い林道を歩かされていた。 第2次登山ブームの終り頃だった思われる。その頃.日本山岳会がエベレストに登頂している。当然一般庶民はまだ羽毛着があることを知らぬ時代だった。 卒業してからその羽毛のジャケットを借り受けたことがある。 私の知る限り日本橋.三越に一着見本が展示されていた。当時は寒けば濡れると縮む純毛のセイターが主力だった。 2度目に金峰山に登った66年の初春は大日岩で雪中のビバーク習得山行に出向き.前日作った水が氷付き,鍋は零す散々な想いをしていた。 それも今から思うと羽毛のなかった時代。スコップを持ち.仲間達と元気に岳を歩き回っていた。 写真右下が大弛峠. 以前と云っても数十年前.そういう時代に幾度も見下ろしていた鞍部は樹林帯の中にあったが 今は大大駐車場に造り変えられている。峠路には道標だけがポツンと立てられていたと思ふ。 人工的なものは踏み跡と縦走路を挟む標識のみだった。休むも眺望もなく.大弛小屋で1本取っている。 現在は大きな駐車場化した広場の峠ができ上がっていた。その枠外に外れ下った所に小さな昔の儘な大弛小屋があった。 甲斐山梨市側・・荒川源流 遠方は甲府盆地秩父多摩国立公園の名に甲斐が加わる 北奥千丈岳の西麓を回り込む川上牧丘林道.谷間は笛吹川の支流琴川と離れると上流は荒川の源流流域になる。 背は帯那山.水ケ森.離れて中津森. 中央右が太刀岡山.抉り上がり黒富士.升形山.曲り岳. 右端が茅ケ岳と金ケ山。山梨県の中北地域を創っている。 信州川上村側・・小川山と千曲川源流 右上は三国山から綴られる県境尾根中段は小川山から右に下る尾根で.中央のクビレが馬越峠。小川山の右奥が男山と天狗山。背は北アルプス後立山方面。 右に寄って中央が御陵山.右に上がって御座山と更に右脇が大門峠と前衛峰。その直ぐ上が浅間山外輪山の黒斑山。 金峰山川東股沢沿いの谷間を下る川上牧丘林道は千曲川源流の秋山にでられる。ここから見下ろすと金峰川下流の 川端下(かわはけ)付近には開拓地が白く目立ち広がりを見せ.開拓された驚くべき姿が点々と広がっていた。帰宅して調べると信州の川上郷. 小さな集落があっただけの何もない流域に金峰山荘.廻り目平キャンプ場.ふれあいの森等の施設が造られていた。 北奥千丈岳 山名標の裏側が富嶽.9:23展望 夢の庭園口に戻り.庭園上部の原生林に入る。山肌の左を横切り.旧尾根道の分岐を尾根筋に沿い.直角に折れると樹林の背丈は低くなる。 傾斜が緩み前国師岳にでる。ここでは蒼空を仰ぎ.東南面に隣り合わせの眺望が開かれていた。 道標と並ぶ北奥千丈岳2601m. その右肩には低く抑えられた前衛の山々を従えた富嶽が天空に悠然と描かれ.大空に突き上げていた。 雲の切れた北側の右半分には広大な裾野を持つ富嶽の大斜面が姿を現わし.広大な裾野が描きだだしている。 反対に北奥千丈岳の左肩には随分低くなった小コブ群がまとわり付くよう覗かれた。遠見山と下遠見.その遥か先は小楢山と大沢ノ頭になろう。 本来下る予定でいる鳥ノ尾根に繋がる山々。そこを乗り越えるには塩山盆地まで高度差2000mと長い距離があり.下るにも時間的余裕が必要だった。 如何に工夫するかに掛かっている。この低山の裏側の麓を縫い.デマンドタクシーで登ってきたのが川上牧丘林道。 国師ケ岳 前国師岳より左手は東梓.富士見.水師と甲武信ケ岳と木賊山 前国師岳の東隣りの国師岳に繋がる頂稜は深い黒木の樹林帯に覆われ.真近に迫り仰ぐよう望まれる。 国師岳は今こそ簡単に登れるようなったが.以前はアプローチを考えると最低でも一泊は必要とする誇らしげに聳えていた頂だった。 山名の「国師」は当て字で.甲武信ケ岳方面から望むと背稜を綴られた富士見.東梓は共に「コクシ」の小丘の意で当たり. 又「東股山」は信州側の名称。「甲斐の山山」によると国師岳と北奥千丈岳の大きく盛り上がった2つの山体を合わせた. 複合の国師ケ岳ではないかと考えられていた。説多し. 三繋平 左上が国師ケ岳天狗尾根.9:26三繋平 涸れた立木が乱立する小広い窪地.三繋平にでる。三差路の分岐で背稜の南側脇には北奥千丈ケ岳が聳え. 更に南方に長大な支尾根を派生させている。この支尾根には石楠花新道が綴られ.ゴトメキで更に2つの枝尾根を派生させていた。 東方へ黒金山と結ばれている枝尾根が今回選んだルート。 南西に延びる鳥ノ尾根の末端は塩山盆地に吸収され没している。笛吹川対岸には恵林寺山がある。次回の目標とする尾根であり. 入山時にデマンドタクシーで.大弛峠まで綴ってきた東側山腹の尾根になる。 三繋平から直進すれば国師ケ岳,右手の甲斐側に折れるとやや藪絡みに思えるが確りした山道が北奥千丈岳へと綴られていた。 「甲斐国志」でいう三国山とは現・国師ケ岳や甲武信ケ岳でなく.三州交界を三国と称しここは三繋平。 三州とは三国ではなく.甲斐の三富.牧丘.黒平の各村のことだと考えられていた。又別説では国師ケ岳と西沢を指すものと思われた。 シャクナゲが被い.北奥千丈岳北面を覆う残雪.9:31三繋平で「奥千丈岳・シャクナゲ新道」の道標に導かれ.右手に折れている。北奥千丈岳の北面斜面に入るとシロバシャクナゲに ハイマツが密生し.残雪を見て踏むようなった。それも斑な雪残りでなく.驚くことに雪道として綴られていた。 朝方から気温が高いのか.雪道の凸凹の尖ッ突きに足を踏み付けると硬く滑るどころか.脆く崩れてゆく。雪面を踏みしめ右回りに巻き込む。 雪道を抜ければ巨岩群が立つ頂にでる。奥秩父山塊の最高峰となり.足元は巨石の岩場に。望むべき周囲の山々は足元から抉るよう大地が開け. 厚みある立体感が伺え.今回で2度目に立った頂になった。懐かしい山並が遥か先まで聡明に見渡された。 金峰山から南に延びる八幡尾根と荒川源流 北奥千丈岳山頂より.9:35南アルプス・・白峰三山. 手前に茅ケ岳と金ケ岳の間に跨る白銀煌く北岳。千丈ケ岳.駒ケ岳.鋸岳へと延びている。 琴川荒川を隔てた金峰山から谷間を見下ろせば八幡尾根八幡山に.左奥が金ケ岳と茅ケ岳. 黒富士に続く。 登山道 昔の御嶽道とは金峰山を頂点とした山岳信仰の道。金峰山は平安時代に信仰の山として開山し.山頂直下に聳える五丈岩 (約15m)の根元には蔵王権現が祀られ.体験者達が入峰修行したと伝えられている。 江戸時代には参拝のための登山道(御嶽道)が九口造られ.それぞれに里宮が設けられた。それが又登山ブームになると登山道とし. 我々クラブのて.新人養成等のコースになっている。又このコースの幾つかは現在.登山道として残されている。 鉄山から南方に派生するのが平岩尾根。金峰山表登山道といわれた御嶽新道の奥にあり.往古から磁鉄鉱を採掘したことからの名称にもなっている。 古くは甲州,川端下と共に信州昇仙峡を結ぶ古道があった。大弛峠とは別に.大弛峠の西方コル(川端下峠.朝日峠)で甲州と信州とを結んでいた。 現在は廃道化し直接の登路はない。 その奥側に五丈岩の裏側から南方に派生する尾根は御室小屋跡を通り,水晶峠を経て,黒戸奈神社に降りている。 又その直ぐ奥に重なる八幡尾根は八幡山を越え.木賊峠.黒富士峠を経て.甲斐市の昇仙峡まで延びていた。 北奥千丈岳? 北奥千丈岳は山梨県山梨市にある標高2601mの岳で.55年振りに訪れる。藪絡みから飛びだした花崗岩の巨岩が累々とした尾根状の峰。 奥秩父山塊(関東山地)の最高峰であるにも関わらず.以前の国土地理院の地形図には標高や山名が記されていなかった。 北奥千丈岳は昭和50年編集の1/5万地形図以来の表示. 平成3年までは標高は2600mとされていたが.今は1m上がって2601mに修正されている。 4kmほど離れた奥千丈岳2409mの方が三角点標石もあり.地図には古くから表示されていた。その北側に位置することから.安易に名付けられた。 頂の東面・国師ケ岳 北奥千丈岳からの東面・・左景.9:35奥の背稜は国師岳の右肩が甲武信ケ岳と木賊山2468.6m。右端鞍部の先が破風山と雁坂嶺。右端の途切れた頂が和名倉山(白石山)。 頂の巨岩に立ち.ジッと展望を楽しんでいると以外と多いのがコバエ。動かないでいるとまつわり付き煩い。風はなかった。急かせるよう岩場を後にする。 国師ケ岳東側の2570m圏コブと天狗尾根 東面右景・・遠くはっきり雲取山が見渡されている2570m圏コブの右手が水晶山.古礼山.笠取山。笠取山の左中間奥が唐松尾山. その奥背稜は左から和田倉山.東仙波.竜喰山.大常木山.飛龍山(大洞) 石楠花新道へ .シラベの植林帯を辿る,9:49 三繋平から石楠花新道に入り北奥千丈岳山を越えると頂稜の硬く慣らされた縦走路とも別れ.幾らか柔らかい感触を持つ土壌が 足元から伝わってきた。枝木の生い茂げがやや煩くなった石楠花新道は道幅も狭まりだだしている。ただまだ確りした踏み跡で. 道標も整備されていた。シャクナゲの開花まではまだ時季早々だが.シラベ林に覆われた大地は途切れることなく.尾根伝いに続いている。 朝の陽射しがシラベの樹間を抜け.明るい大地を創っていた。これだけ広大に植林されたシラベも珍しく. 又素敵な散歩的な気分をもたらしてもいた。シラベの小木林に中木林.そこを綴る新道は再び小木林の大地へと導いてゆく。 シラベの森は気侭な気持ちで綴る道。勇み足で歩むでもなく.山岳ともは別もののような大地に心地よさを浸える森が続いていた。 尾根伝いのシラベ道.10:17 10:17 シラベの森へ,10:18 この辺は何処も「シラベ」の名が付く大地が続いている.10:19沢山(奥千丈岳) 直ぐ手前の道標.10:20奥千丈岳 本来「甲斐國志」でいう奥千丈山とは.西側は荒川を限り.東側は国師ケ岳から大久保山に至る鳥ノ尾根に限る広大な山域で. その中の一峰。現在の北奥千丈岳に.初めて名を付けたのが「山の億い出」の著者.木暮理太郎氏になる。 この奥千丈岳が更に北奥千丈岳に変化したのは昭和4年修正測図の5万図で.三角点峰(2409.4標石点名桜)に 「奥千丈嶽」が与えられた為.その北方の峰という意味で.安易に「北奥千丈岳」として使われるようなった。 立木に「奥千丈岳」と山名が張ってあるだけの質素過ぎる所. 古くは「沢山」と呼び.気にせねば通り過ぎてしまう 尖ッ突きと云うか.地形的には肩。奥千丈岳は一つの山としての印象はなく.稜線のひとつのコブ状でもない。 尾根の傍らで三角点標がなければ分からぬほど名からは醜い地形だった。 山名の由来は標高からではないのは確かで.展望もないが三角点標があり.麓から見上げて. 「奥千丈岳」と付けられていた。後に最高峰があるのに気付き.高い方に「北」を乗せたものと思われる。 この頂を越えるには三角点標石のある草地を手前から右後方の山腹へ下り.要注意。 伐採跡地の倒木帯.10:26緩やかな下りで.尾根幅が広がり.倒木帯に前方が塞がれるようなった。 赤テープが点々と先へと導いている。先の先を見定めて.跨いでは潜り.巻くことを繰り返し前進した。 一度苔むしる山間を抜ける.10:29シラベの植林地 それぞれ個性のある古い道標.10:54鳥ノ尾根北側の山腹 植生がシラビソからダケカンバに変わる.10:59小木林から見開かれた地点を3ケ所を通る.2200m圏コブを越えると1つ先のコブ2230mにでて.尾根筋は2つに分かれている。 その右尾根が右前方に梢越えで望まれた。左手から3つ目のピークが3等三角点峰の遠見山2234.0m。その右は下遠見だろうか? 平坦になりシラベの幼木が密生する苔満る大地にでれば白檜平へ.11:15白檜平(窪平) 鶏冠山林道(西線)より.11:19白檜平(シラベ平)にでる。 右手前(南西)方面へ下る林道は山麓に位置する荒川沿いに走る川上牧丘林道の六本楢峠の上にあるゲートから登ってきた林道鶏冠山西線。 朝方デマンドタクシーで登ってきた林道で柳平を過ぎ超カーブした右方に分かれた林道。途中の短い笹薮を漕ぎ桜沢広場に下れば川上牧丘林道上部にでられる。 林道をそのまま上流に進めばアコウ平にでる。ここは又デマンドタクシーの乗降場があり.金峰山大室小屋(水晶峠)コースの登山口にもなっていた。 石楠花新道へ 林道を横切る前方右方にゴトメキへの分岐がある。約15m進んだ所に「ゴトメキを経て大ダオに至る」の道標が立てられていた。 旧牧丘町と旧三富村の境界の切り開きの東側にあり.草ヤブから入るが直ぐはっきりした山道が現れた。 手前道標から矢印の背尾根を下ってきた。峠越えした林道の先は林道黒金山線と結ばれている。 西沢の源流に至る三方囲まれた流域は広い範囲で森林伐採が行われ.今は軌道・林道の殆どが廃線になっている。 登山道も荒廃し閉ざされているが.ただ奥千丈岳の東裾を回り込めば.黒金山林道から国師岳の天狗尾根に取付くことができる。 白檜平から石楠花新道沿いの尾根.北側山腹には造林作業道が大ダオの手前まで回り込んでいた。ここが唯一辿れる造林作業道で. 西沢本谷沿いには古道があり.幾つもの軌道・支線があるが廃道化は更に進んでいる。 大弛峠から北奥千丈岳.奥千丈岳.白檜平・・甲斐側の大展望 白檜平からゴトメキ・トサカ・大ダオ 東奥山窪を下り徳和林道から徳和 |