| 第3弾.宮ケ瀬湖から世附川流域・・丹沢の山々Top 再び奥多摩から東京近郊の山々を登り始めたのが2005年頃になる。それ以前は丹沢表尾根周辺しか入山していなかった。 2008年に先輩の送別山行として丹沢山域の全体像を知りたいと.丹沢山脈から甲相尾根を横断したことから丹沢山域に目覚めざす。 最初は東丹沢東端にある鍋嵐・三峰の山々から歩みだしていた。 そして次第に東丹沢の山々を歩み.這うなスピードで西丹沢に至っている。それも世附川流域の境に入ったのは昨年の夏頃だった。 西丹沢の西端.大又川流域に当たる屏風岩山西面の谷や尾根を綴る山域に漸く入り始める。そして今年の春は水ノ木川流域にも届くようなった。 アプローチとして登山道の殆どない世附川流域。旧道を歩むも日帰りとしては東京上野からは遠く厳しい山域になっている。 そしてついに18年10月.山中湖の湖畔から甲相尾根を逆に乗り越え.「西丹沢西」の奥地に入山する。 世附川流域 2008年12月. 山中湖.平野から鉄砲ノ木ノ頭―三国峠から三国山稜.籠坂峠・・旭日平bs.高速バス. 大又川流域・・地蔵平 2017年08月. 清水沢右岸尾根から大又沢.地蔵平―日陰歩道から屏風岩山南東尾根を下る・・丹沢ホテル時之栖入口bs 2017年10月. 大杉歩道から地蔵平―セキノ沢.権現歩道から屏風岩山・・東尾根を諦め.二本杉峠から周回 2018年01月. 芦沢の間伐林道から不老山線終点.径路を経て不老ノ活路―下半.谷ケ山を経て11号鉄塔を南下・・山神経路〜生土地区 悪沢流域と水ノ木(馬印) 2018年03月. 浅瀬から熊ノ沢ノ頭南尾根を経て椿丸―織戸峠から富士見林道.富士見峠―上法行沢左岸尾根下半から法行沢・大又沢林道 2018年04月. 浅瀬から山神沢を経て世附山神峠越え―馬印周辺と水ノ木林道の軌道跡を探索・・北岸から丹沢湖bs 2018年04月. 浅瀬から悪沢熊沢を経て椿丸南尾根―熊沢ノ頭南尾根から小熊沢ノ頭南東尾根・・世附林道から三保ダム.丹沢湖bs 西丹沢の西・・山中湖東岸周辺 2018年10月. 山伏峠から大棚沢ノ頭.要所小屋ノ頭を経て西丸・東丸を擁する尾根を下り.東海自然歩道から丸尾山に回り込む・・平野.林班界図 2018年11月. 明神峠bsから水ノ木林道・大棚沢林道・バラジマ林道を経て鉄塔管理道分岐―高指山東尾根・西尾根から別荘地を経て平野bs 河内川右岸.中川川右岸尾根Top 第一歩は西丹沢の西. 世附川の右俣大又沢流域から屏風岩山と地蔵平を目指す。 まずは二本杉峠を越え大又沢の地蔵平を目指す・・地蔵平から屏風岩山西面の古道から笹子川左岸尾根 細川から二本杉峠を越え清水沢右岸尾根から大又沢幹線林道を地蔵平へ―日影歩道から屏風岩山南東尾根.中川川 2017年08月04日.松村 二本杉峠から清水沢右岸尾根を経て地蔵平・・西丹沢(丹沢湖)の西へ一歩 日影歩道から屏風岩山南東尾根 私の云う西丹沢の西 今回は念願の屏風岩山西面にあたる地蔵平に至ることを第一目的として.二本杉峠を越えている。 清水沢右岸尾根から世附川右俣の大又沢に下り地蔵平に至る。帰路は日陰歩道から屏風岩山を横切り.南東尾根を下りている。 この尾根の末端のコブが岳山。2週間前に馬草山から中川温泉に下山した折.対岸から最後に望んだ.小さな小さな小コブ.そこを回り込んでいる。 この小山から連想が更に1つ山越をした大又沢にある地蔵平に結びつき出向く。前回の下山地点に戻る形で.尾根を下る山行にもなっていた。 先月初めは久し振りに西丹沢に向い.小川谷に入渓している。その後.西側に連なる大杉山山稜を押出沢から詰め南下した。 今回は更に河内川の右岸の屏風岩山西側裏の地蔵平に回り込み.古道の日影歩道から屏風岩山に立つことにした。 屏風岩山の西面から登り詰め.東方の河内川に下るのは1つの願望だった。それが一歩叶えられる。 私の云う「西丹沢西」は河内川右岸尾根の裏側の山域で.丹沢湖の西側流域になる。大又川の広い流域からすれば本の一部分だが齧り始めている。 改めて西丹沢の奥深さを知らされ.その後は暫くはこの流域を尋ねることにした。 梅雨明けしてオホーツク海高気圧が北日本から東日本に張り出だす一方.本州南岸には気圧の谷が入り,湿った大気で概ね曇がち。 丹沢西部は降雨の恐れあり.3日前には丹沢東部の海老名に大雨洪水警報が発令され.1時間に120oの猛烈な雨を記録し.各所で浸水している。 昨日.注意報も解除されたものの.週末には再び超大型台風5号が九州方面に上陸する恐れあり。 関東地方に影響がでる前に前回のもう1つ西側の尾根を目指し.地蔵平に涼を求め.大又沢沿いに直接踏み跡を残している。 嵐発電所 バスの車中から御殿場線谷峨駅前の県道より.7:55東名高速道.新酒匂川橋・・上部に建つ嵐線1号鉄塔と橋桁下を潜る1本の高圧水管 嵐発電所 嵐発電所は大正9年8月.富士瓦斯紡績により建設される。当初は田ノ入調整地からの水力で発電されていたが三保ダム工事で水没された為. その後は田ノ入発電所から導水管で入水され.水圧鉄管は途中で2本に分かれて.2基のダービンを動かしている。 又送電線嵐線の鉄塔4基で500m西側にある峰発電所と結ばれ.落合線と共に昇圧されていた。 路線バスが谷峨駅前を過ぎ.酒匂川の対岸に望めるのが嵐発電所。場所は東名高速道.酒匂川橋を跨ぐような地形の下にある。 頭上には左手前に1号鉄塔と2号鉄塔が建ち.嵐線で峰発電所へ送電されている。路線バスは更に県道を綴り上流へ. 清水橋で右折して山北藤野線に入ると河内川右岸に建つ峰発電所の正面前を通り.丹沢湖へと北上する。 8月04日(金).曇時折小雨 jr御徒町.山手内5:07=5:37小田急新宿.急行:46=7:03新松田.富士急湘南バス.¥980. :15=8:12細川橋bs. 自宅を出ると小雨が舞っている。出だしからの雨は久し振り.小田急線.恵比寿を過ぎると雨雲は切れ.路面は乾いていた。 ただスッキリしない厚い雲. 列車内のレジタル板には「小田原は午後.雨」と表示されていた。腰の座った雨雲は何時降っても可笑しくない条件を揃っていた。 それでもハイカー10名ばかりが路線バスに乗り込む。今日ばかりはバスの車窓から秀麗たる富嶽は望めず.真近の低山・丸山さえ,分からなかった。 ここまで来た以上.第一目的の地蔵平までは入りたい。土砂降りになれば遠回りになるが山越えせず.大又沢幹線林道から丹沢湖々畔へ. 遠回りで戻ることにした。小雨なら日影歩道で尾根伝いに詰め.その先は頂稜にでてから考える。 上ノ原の世附権現山登山口より.8:22細川沢から二本杉峠.清水沢右岸尾根から大又沢林道を経て地蔵平 8:12細川橋bs一8:25大室生神社一9:23二本松峠一9:34旧峠.道志歩道一9:42清水沢右岸尾根取付一10:39大又沢幹線林道.千鳥橋 一11:08地蔵尊祠.地蔵平昼食. 細川沢沿いの林道 以前は畦ケ丸から上ノ原へ下った折り.二本杉峠から尾根伝いに鹿柵が続く作業道を下っている。 当時は路線バスの通過時刻が迫り.追うよう友と駆け下りて.バス停ではなく.ここ上ノ原の路上で間一髪,間に合いバスを拾っていた。 今回は大室生神社の左脇から直接登る登山道に入らず.更に左手に回り込み細川沢沿いの林道から入山する。 上ノ原集落上の大室生神社.8:25細川沢左岸の林道 神社左手.2つ目の沢沿いの林道に入る.8:31神社の脇に「権現山3.3キロ」とあり.林道入口には「←権現山.上ノ原登山口→」と道標があった。 権現山を指す腕木にはもう随分前に黒マジックで書かれたのだろう。脇に霞み「二本杉峠」と読める。 二本杉峠までの道中で.道標に峠名が記されていたのはこのマジック名だけだった。 今にも降り出しそうな空模様だがそれでも朝方の明るみが河原状の台地から差し込み.左岸沿いの林道は長閑な風景を映し出している。 水源協定林の標識を見るとその足元には集落を結ぶホースが長く横たわり.登山道は右前方に分ける手摺のある坂に入っていた。 林道をそのまま河原の縁を進み.最後は右斜面を巻く.尾根筋の登山道と合わさっている。この付近に目印はない。 その先も沢沿いは雑木林を挟んで平坦な林道が綴られていた。林道の右脇には鹿柵が並ぶようなると林道の左前方に大堰堤群が現れる。 細川沢左岸の鹿柵 尾根筋とは異なる大らかな林道.8:37この先,登山口から20分ほどで右岸に大網沢が入り込んだ広い河原に合わさり.突然現れた堰堤群は大げさに思えるほど巨大だった。 数えると巨大な堰堤群は8.9基.重なり合い広がりを見せ谷間を閉ざしている。権現山の急斜面下に並ぶ堰堤は真近に迫る裾野の集落を守っている。 林道の右手から小径に変わり.急登から始まる植林帯.山腹を大きくをジグザグに切り登りだす。 この作業道は先程の手摺の登山道と途中で合わさっているようだった。踏み込む足元から夏蝉がひと声上げ飛び去った。 それでいて周りに蝉の鳴く声は合唱どころか全く聞こえず.静かさが保たれている。春蝉なのだろうか? 前回の大杉山山稜と感じが似ていた。蝉は何処に隠れているのだろうか? 雌蝉だけと云うわけでもあるまい。 尾根北面の崩壊地.フチを通過.9:08547m圏で急登を終えると二本杉峠からの尾根に乗り.尾根筋のやや広い登山道と合わさる。 尾根伝いに進むと鹿柵が続けさまに現れ.左端・中・右端と尾根道と交わり.後の2本の鹿柵は細川側に作業道を分けている。 尾根筋の右手.笹子沢側の山腹に回り込むと急斜面の大きなガラ場を迎える。横切れば水平道に変わり.二本松峠にでた。 二本杉峠 標高740m(716m).9:23二本杉峠 高木の杉.植林に囲まれた峠には2つのテーブルを挟んで.道標「←権現山,上ノ原登山口↓.屏風岩山→」が立ち.初めて大又沢へ峠越えになる。 5年半ほど前に幼馴染と訪れた時にあったと思われる「千鳥橋」の表示はなくなっていた。 「屏風岩山」を指す腕木の左脇には小御嶽山大権現の石柱が祀られ.旧峠からは道志歩道に通じる踏み跡が残されている。 二本杉峠から地蔵平まで,直線的に山腹を横切る「道志歩道」は途中に起伏も少なく.高度差を極力抑え作られ.昔は歩き易い古道だった。 武田信玄が北条攻めのときに越えた峠路とも云われ.「三ケ瀬古道」(さかせ)とも呼ばれている。 この古道は地蔵平に集落があったその昔.子供達が中川の小学校に通っていた生活道でもある。 ただ今の道志歩道は震災後.崩落箇所が多く危険を伴ない.今でも自然崩壊が続き通う人は殆どいなく.一部の志向かだけで廃道化が進んでいる。 又この峠路は大又沢に直接下る「大杉歩道」がやはり西側へ向う取付きがある。踏み跡はあるが道標は取り外されたようだ。 それ故.大杉歩道から大又沢.千鳥橋に下る方が無難だが.「イガイガの丹沢放浪記」氏のブログによると「地味で面白みが少ない」と述べている。 清水沢右岸の尾根が歩き易いことを知り.それではと今にも降り出しそうな雨雲の中.大杉歩道の別ルートを下ってみることにした。 旧二本杉峠 古道に入り分岐753mを振り返る.9:38二本杉峠越えの大杉歩道と分かれた右岸尾根への取付きは一度旧峠からの道志歩道に入っている。 北側の小コブをひとつ左に巻き終えた小さな窪みが旧二本杉峠。その間々直進し頂稜を登れば屏風岩山へ至る。 窪みの旧峠を左に折れ.手前の荒れた作業道に入れば地蔵平に至る道志歩道に入る。 旧峠脇の立木には以前.木片れが掛かってをり.手書きで「直進・屏風岩山.左前方・サガセ古道.ジゾウ」と書かれていたが今はなくなっている。 この歩道は登山詳細図には崩落通行不能と表示されていた。今回は峠から直接下る大杉歩道を変更し.並行して走る清水沢右岸尾根を下る。 その取付きは道志歩道の途中から分岐していた。 清水沢右岸尾根 道志歩道にある取付き.9:47道志歩道の水平道に入ると清水沢の源流.涸れた枝沢を迎え.僅かに上部をたどり.1つ目の細尾根を横切っている。 2つ目は南西に延びる確りした支尾根の肩にでると大きく右(北)に回り込む所にでた。ここが右岸尾根の取り付き地点になる。 道志歩道を分け.左手に折れて右岸尾根に取付く。堂々とした尾根幅を持ち.二本杉峠からの間では一番立派な尾根だった。 右脇の小さな立木に黄色いテープが巻かれている。 清水沢右岸尾根 道志歩道かになる。らの取り付き地点.10:03なだらかな植林帯の尾根を下ると一度南西に向きを変え.扇状にやや広がる尾根幅の右側から西方へ向かっている。 自然林との林層の境を下って行く。痩せ尾根から植林帯に再び入り.まろやかな尾根の肩にでた。 ここには黄色い細長いプラ柱と石塔「128.黄色い十字」が設けられ.作業道であることが示されている。コブは植林帯の中にあった。 霧雨が舞い始めたようだ。樹林に被われ.まだ感じぬものの.霧モヤが時折流れ込んでくる。樹間の切れ目に入ると頭上から流れるよう舞い降りた。 抉れた林層の境の痩せ尾根.10:05 植林帯から短い雑木帯を抜け急下降.10:17尾根最後は植林帯の急斜面が続いていた。尾根筋を忠実に下り過ぎたようだ。 河原からはまだそれなりの高度を保っているが.520m付近で水平に横切る大杉歩道を見過ごし横切っている。 幾つのも踏み跡が疎らに下りている。尾根末端近くで広い大又沢の河原が見下ろせるようなると.流心は手前のヘチを流れ.河原には降りられず。 右手に巻き気味に幾つもある浅い踏み跡の確りしたものを探っては綴って行く。大杉歩道を見失い時間を少しロスした。 そして清水沢の河原を通し千鳥橋を見上げ.本流の右岸に上がれば赤松林前にでた。 大杉歩道が横切り.「赤松林採種遠.平塚営林署」の標柱がある。左手に折れ歩道に入ると直ぐ大又沢幹線林道にでられた。 幾つもの標識が立ち.ここは又千鳥橋の右岸詰になっていた。 大又沢左岸の川畔に至る.10:22大又沢千鳥橋 下流側の河原より.10:36大杉歩道から再び.河原に下り.右手の暗い窪地ヘチを登れば.右手に赤松の植林帯を見て.大又沢幹線林道.千鳥橋北詰にでる。 大又沢林道前の庭園風の緑地.10:38世附川右俣.大又沢流域 林道不老山線の大屋沢付近より悪沢峠から林道不老山線・不老ノ活路・谷ケ山から駿河小山へ下りた折.林道から撮る・・2018.01.16/11:03 背稜は甲相尾根・・ブナ沢ノ頭.中ノ丸,城ケ尾山.大界木山.モロクボ沢ノ頭と畔ケ丸。その手前に横切るのが屏風岩山。 中央左のコブは椿丸902mから東に延びる尾根の末端にある838m点峰.左奥に大栂.更に奥が菰釣山へと連ねる。 又838m点峰の山陰になる上流側の830m点峰の右裾下には千鳥橋が大又沢に架かっている。対岸は清水沢右岸尾根. 大又沢は右岸にイデン沢を分け.上流で地蔵沢と関ノ沢とに分け.甲相尾根の菰釣山とモロクボ沢ノ頭との間を源とし. 関ノ沢は更に地蔵沢は赤沢とバケモン沢とに分け.甲相尾根のモロクボ沢ノ頭と畔ケ丸の吊尾根に突き上げている。 大又沢幹線林道口 千鳥橋北詰で.10:39千鳥橋 大又沢幹線林道.千鳥橋にでる。現在.車は世附大橋までしか入れず.浅瀬側からの地蔵平への入山は歩くと時間が掛かり過ぎていた。 浅瀬入口から地蔵平まで徒歩3時間半。それ故.二本杉峠越えの小径が主道に変わっている。本降りになれば下るコース。 林道の路面に残る落石類は綺麗に取り除かれ.道幅広い軌道跡の幹線林道。大又沢左岸沿いを全く平坦になる大地に綴られていた。 手入れの行き届いた林道を30分ほど遡ると地蔵平へ至る。途中の展望は河原が広い割に樹林に被われ薄い。 明るさが増すも林道に出たせいか.樹冠から灰色に染まる雨雲が仰げ.傘を差すまではないが小雨に.雨粒をはっきり感じられるようなる。 世附森林鉄道(軌道) 昭和9年(1966年)〜41年に掛けて世附川沿いに造られた森林鉄道は大又線と水ノ木線の2路線があった。 いずれも丹沢湖々畔の浅瀬集落を基点とし.大又線は世附川支流の大又沢沿いに地蔵平まで延びている。 終着点であった地蔵平周辺は大正初期から昭和中期に掛け.山林に従事する人々の集落が形成されていた。 昭和17年から軌道での馬力による台車の引き上げからガソリン機関車に換えられ,官行斫伐事業の最盛期を迎えていた。 その後.34年になると軌道での運材は全面的に廃止され,自動車道への改良工事が進み,森林鉄道の時代を終えている。 2路線とも,41年までに構造物が撤去され.現在は路線跡は林道に変貌している。私はこの旧路線を地蔵平へと歩む。 大又沢幹線林道 地蔵平への林道.10:41富士見峠南東尾根に乗る820m圏峰 林道の開けら場所にでる.10:57地蔵尊祠 地蔵平手前の右脇に祀られたお地蔵さま.11:08お地蔵さま 「ハッピー」氏のブログを読むとyamanoko さんが2006年3月25日に歩かれた記事に. 「お地蔵様が今の位置に移る前は.セギノ沢とオバケ沢が合流する場所のセギノ沢寄りの「マルサン平」といわれている場所にあったそうです。 当時の子供はお客から地蔵平のいわれであるお地蔵様の案内を頼まれると.泣く泣く遠いマルサン平まで案内したそうです。 そんな訳もあって現在の位置に移されました。」とある。 地図で確認するとこれはセギノ沢とバケモン沢(地蔵沢)の出合のことのようだ。 「西丹沢頂稜河川土地名称図」に「マルサン平」が記載されているが確かに地蔵平より奥(北)で.子どもにとっては大変だったのだろう。 その後林業が下火になった昭和35年に大又沢分校は廃校され.地蔵平の大又沢集落は廃村になっている。 現在は浅瀬より上流の地域に人家は一軒もなく.地名の由来である地蔵尊が残されていた。 ここで昼食を摂ることにした。何か座る台座の変わりになる小石なり.倒木まで綺麗に取り払われ.中々見付けられなかった。 地蔵堂寄りの南側端に据えて腰を降ろしている。今日初めて座った。又舞う霧雨は治まっている。 天候には運がよかったのか.カッパを着ずにこの地蔵平の風景を脳裏に納めることができている。 今回は妻の提案で弁当を用意してきた。シャケにウィンナー.梅漬けに卵料理とお数は賑やかに詰められていた。 若干詰め過ぎた感があるも.後の楽しみに.1/3ほど残してる。 ついに訪れた真夏の地蔵平 地蔵平の台地.11:11地蔵平 初めて地蔵平に訪れて違和感を感じている。正に真夏の綺麗に刈払われ.整地された大地が広がりを見せている。 林道関係者か.嗜好的ハイカー以外.通わぬ大又沢地区。昔の由緒ある場所になるが初めて目にする者には昔の想像から信じられぬ風景に思えた。 真夏のこの時期.広い平地は整地され,生い茂る雑草もなく.綺麗に刈払われている。 大又沢集落 神奈川県足柄郡山北の地蔵平は明治30年代に入植が始り.集落が形成され.大正12年には三保小学校の分校が開校されている。 一時は200戸以上の戸数を数えるまでになり.林業が活発に活動した時期で賑わいを見せていた。 その後林業が下火になった昭和35年には大又沢分校は廃校され.地蔵平の大又沢集落は廃村になっている。 現在は浅瀬より上流の地域には軌道だけでなく.人家も一軒もなくなっている。地名の由来である地蔵尊だけが残されていた。 何もなかったような姿に変貌し.自然の姿に戻りつつある風景は不思議な感情をもたらしていた。その名残として林道がある。 地蔵平から東面を望む遠く小さく霞むのは甲相尾根に聳える大界木山 地蔵平と4本の古道 屏風岩西面には地蔵平を中心に幾つもの古道が延びている。 道志川の支流.三ケ瀬川が流れだすのが城ケ尾峠.山梨県側ではサガセ(三ケ瀬)峠と呼ばれている。武田信玄が小田原の北条氏攻撃のための 軍道は道志村から城ケ尾峠を越えて地蔵平に入り.二本杉峠を経て中川温泉に延びていた。 この道は「さかせ古道」とも呼ばれ.その一部である地蔵平から二本杉峠の中腹道が「道志歩道」になる。 又二本杉峠から大又沢幹線林道の間は「大杉歩道」.今朝は尾根伝いに下りている。 道志歩道から毛出シ峠は「日影歩道」と云い昼食後. 屏風岩山を越えるために登ることになる。地蔵平から大滝峠までは「権現歩道」と称されていた。 ・・「バリエーションハイキング」松浦本より. 毛出ッ峠.816m点尾根のからの西北西支尾根 地蔵平から東面を望む洗顔がてら富士見橋の橋元.大又川の河原に降りている。 夏の生い茂る樹葉が谷間を被い.沢底は見えぬほど枝々の残骸が重なっている。その沢底に降り冷水を浴びている。 降り続いていた霧雨も如何にか治まりつつあるようだ。蒸す暑さ.天気のご機嫌を伺えながら進むべき先を考える。 再び地蔵平に戻る所で紫のシソが生い茂り.正面には毛出シ峠.960m圏コブから派生する816m点尾根が横たわり望まれている。 816m点コブは北西と南西に2つの支尾根を分けている。この裏側が南西尾根になる。そこから中川川に抜ける日影歩道が綴られていた。 清水沢右岸尾根から地蔵平・・西丹沢の西へ一歩 日影歩道から屏風岩山南東尾根 |