| 第4弾.西丹沢の河内川右岸上部流域の畦ケ丸. 下山は善六山から塩地窪ノ頭・・河内川右岸尾根Top 畦ケ丸を中心に大滝沢左岸の鬼石沢左岸尾根からモノクボ沢のツメに挟まれた山域 箒沢権現山の吊尾根を経て畦ケ丸―善六ノタワを経て善六山. 塩地窪ノ頭北尾根と綴り.モノクボ沢出合.白石林道へ 2017年10月27日.松村 大滝橋から鬼石沢左岸尾根を経て畦ケ丸・・一軒屋避難小屋 善六山と塩地窪ノ頭 塩地窪ノ頭北尾根から室窪沢 10月25日の朝.RHCOB会からメールが届く。28日行われる予定の奥武蔵.棒折嶺の親睦日帰りハイクは天候不順のため中止と。 天気図を読むと台風22号が近づきつつあるが大陸からの高気圧が張り出し.関東周辺は今日.明日の2日間は爽やかな秋晴れに恵まれる模様。 それではと急遽.前回下れなかった屏風岩山東面の大滝沢から入り.権現山吊尾根から畦ケ丸にでて.塩地窪ノ頭北尾根に絡む小尾根群を綴り. 白石沢とモロクボ沢の出合にでることにした。前山行では白馬岳の登山を間に入れ.7月に地蔵平から権現歩道を綴りセキノ沢. 権現沢と抜け大滝峠にでている。ただ諸事情で屏風岩山の東面に下り得ず.二本杉峠に戻っている。 中川川右岸尾根 大滝沢大滝橋バス停.8:29左手が旧道.右手が山北藤野線 10月27日(金).薄曇り後快晴 jr御徒町.山手線5:07=5:37小田急新宿:46=7:03新松田.富士急湘南バス:15=8:29大滝橋bs.440m 電車が本厚木を過ぎると私の座る目の前で.「陸上競技,短距離.強豪校の秘密練習法」の本を持つ女高生に出会う。 彼女は短距離選手だったが.その前の山行では高校駅伝のトレーキングに丹沢湖に出向く女高生達との愉しい会話を思い出していた。 都心では薄曇りに覆われていたものの.新松田駅が近づくにつれ.天空は澄み渡り.明るく煌めく車窓の風景に変わっている。 強い陽射しを受けた酒匂川の河段丘陵からは紺碧に覆われた大空の下.裾野を広げる秀麗たる富嶽の姿が今日も雪白く煌めき輝かさせていた。 冨士宮市側の頂.9合目付近から雪線が斜め右下に向かい奇麗な直線で描かれ.正面右斜面に積もった新雪が裾おも覆っている。 昨夜の富士吉田市からのテレビニュースによると五合目まで新雪に覆われたと報じていた。 路線バスが丹沢湖に回り込み北側に寄ると玄倉の湖畔からは富嶽の裾野は隠れられなかった。それでも上部は神々しいまでに煌く白さで. 冬富士の貫録を現わしていた。 又丹沢湖,永歳橋はアプローチとして通い慣れていた街道だが.周辺の送電線鉄塔群は何時の間にか自然に調和した優しい色合いに塗り替えられていた。 それは落合線だけでなく.巨大鉄塔も.落合発電所から南岸に至る全ての鉄塔群が.自然に溶け込め易い目立たぬ灰茶色に塗られていた。 大滝沢林道 右手の旧道は大滝キャンプ場へ.8:308:29大滝橋bs一8:48東海自然歩道分岐一9:06大滝一10:00一軒屋避難小屋一10:29鬼石沢左岸尾根900m圏 一10:54南ピーク一11:20吊尾根.1079m点コブ一12:05畔ケ丸. 路線バスにはjr谷峨駅からのハイカーを含み.9名が乗客。山北藤野線で中川温泉を過ぎると一旦車道は狭まり. 一車線の途切れ途切れの道路に変わり.大滝橋バス停にでている。今回も私一人が下車した。 仄かに戻る気持ちで旧道に入り.左手の大滝沢右岸沿いを綴る大滝沢林道に入る。右手の旧道に折れれば大滝キヤンプ場。 砂利道を300mも進むと林道に係る看板「車両通行止」.「大滝沢取水口入口」等が見られ. 道標「←大滝峠上4.5km.←畔ケ丸6.2km」とある。その先に開かれたゲートがあり小平地にでている。 この左側が屏風岩山東尾根の末端取付きで.緩やかな山腹斜面にはマーキングが続き見上げられた。 2週間ほど前にはこの尾根を下る予定でいたが.二本杉峠へと回り.日の早くなった黄昏時に下山している。 更に200mほど先には急峡で落ち込む枝沢があり.その手前に「入山自粛」の看板が付けられ.沢縁に踏み跡がジグザグに付けられていた。 ミツマタの群生地から降りてくる径路だろう。今回は本流沢沿いから大滝峠上に続く東海自然歩道に入っている。 その先.簡易舗装されていた林道は路面中央が縦に抉られ.深い溝を刻み.ジープ以外通れぬ荒れた裸土の道に変わっていた。 大滝沢沿いは砂礫地帯が多い。「昭和47年7月豪雨」では山北町北部.特に畦ケ丸を源とする大滝沢や西沢に集中して. 表層崩壊型の崩壊が多く発生し.沢沿いの植生が大きく変えられていた。 当時.11日夜から12日朝にかけ河内川流域では幾つもの洪水や土砂崩れが起きていた。玄倉で降水量518o.現在.沢沿いの砂礫地帯は チヤマハンノキやフサザクラなどの幼木が多く見られる。これは河原の植生が数十年前に一度.失われたことを物語っているとのこと。 峰山橋を渡り左岸へ.8:43大滝沢林道 大滝沢,コンクリートの峰山橋で左岸に渡ると路面も整い登山道.東海自然歩道との分岐にでる。 広い平坦地にでて更に大滝沢林道沿い入れば権現山唐沢右岸尾根の735.0m点コブ.峰山に至るコタン沢左岸尾根の取付きになる。 植林から一度自然林にでて735.0m点コブにでている。・・又大滝沢林道はこの先唐沢で行き止まるダートのピストン林道。 本右岸尾根の末端取付きは箒沢公園. 箒沢茶屋から直進し一旦箒沢林道にでて.右手から地図「中川」の旧破線路と合流していた。 林道と東海自然歩道の分岐.8:48林道分岐付近は小広い平坦地になり.この道標の裏手が権現山に至るマスキ嵐沢左岸尾根の取付きになる。 この尾根には「鹿島家」と刻まれた石標が埋められている。中川川対岸の大杉山西面と同様.広い範囲を財閥.鹿島家が所有していたのだろうか? 道標側の大滝沢本流沿いには堰があり.丹沢湖々畔に建つ落合発電所への取水口の施設がある。ここで1本取り山支度を整えている。 この辺は昔.一軒屋避難小屋付近と共に集落があったらしい。今はその面影もなくなっていた。 本流左岸にある東電の取水堰堤とその施設.8:47導水管 大滝沢の取水堰堤から導水管で.三保ダム湖(丹沢湖)永歳橋北詰の西脇に建つ落合水力発電所に送られ.常時出力は5300kWを発電。 取水はここ以外に中川川上流の右岸の支流大石沢出合付近→大滝沢と世附川本谷→大又(大又沢ダム)からになる。 発電方法は調整池式で.水圧鉄管は内径1450〜1000mm.板厚8〜15mm.延長380.14m×1.有効落差185.38m。 路線バスは発電所の正面前を通過していた。全景を外から見渡すと高圧水管等は見られぬ発電所になっている。 放水門があることで辛うじて水力発電所であることを示し.放水は世附川になる。1977年(大正6年)運用開始.関東配電→東京電力. 大滝沢大滝 水量豊かな滑滝から落ちている.9:06大滝 少し河原状のぬかるんだ道から高みを歩み.権現山からの788m点南尾根の尖ッ端を回り込むと山径らしくなる。 「頭上注意.足元注意」の道路看板を見て.上流側の滑滝から大滝沢の大滝が怒涛の如く落ち込む姿を.真近足元から覗き込む。 廊下状の登山道から眺める大スペクタル. 大滝上部の大堰堤から落ち込んむ飛竜が.その下の滑滝と連動しダイナミッツクな流れを創っていた。 最後は大滝から一気に落とす迫力は凄い。堰堤に挟まれた大滝は登山道フチから白波立たせ.抉るよう1つの滑滝となり落ちている。 大滝.落差10mの沢名が名付けられ.大滝の少し手前から河原に下れる散策路があり.滝上にも真新しい確りした手摺の遊歩道が造られていた。 大滝沢を右岸へ 丸太橋は外され渡渉を終えた右岸より.9:15本流を左岸に渡り返す 左岸に渡った鎖場から見下ろす.9:19大滝沢 大滝沢左岸から渡渉し右岸に戻り.再び丸太橋で戻った鎖場からは登山道を登っている。 最初の右岸に渡る木橋は一週間前に襲来した台風21号の被害を避けるため外され.又流水防止のため確りした太い鎖で繋がれていた。 更に季節外れの台風22号が今.沖縄を暴風圏内に入り北上中。その為落ち着くまでは暫くこの状態が続くのだろう。 上流側から渡渉しようと考えたが.飛び石伝いには深めの水深があり.下流側に浅い処を見付け右岸に移っている。 広がりを見せる河原は倒木絡みの残跡で荒れ気味.この上流側には丸太橋が架かり.ホッとしている。渡った先にはマスキ嵐沢沿いのコースになる。 マスキ嵐沢出合上にある堰堤 登山道が右に回り込む赤テープ地点より.9:25堰堤上を渡渉せれば大滝沢本流へ。木橋を渡ればマスキ嵐沢右岸の登山道へ 本流を左岸に渡って直ぐ先,樹林に囲まれ見届けぬ堰堤があり.その上部に大滝沢左岸に入り込むマスキ嵐沢の出合があった。 出合から大滝沢を遡り地獄棚へ行くには.木橋手前で沢に降り.マスキ嵐沢を渡っている。 そして大滝沢の沢底から堰堤を越え流心を渡り返すと地獄棚にでられる。次回はこのルートを綴り屏風岩山にでている。 登山道を進み堰堤先の2本の木橋でマスキ嵐沢右岸に移ると樹林帯が切れ.マスキ嵐沢は広い河原状に変わり明るい雰囲気をかもちだしていた。 大滝沢本流と離れた登山道は少しマスキ嵐沢の右岸の河原沿いから高み山腹を絡むよう歩むようなった。 右岸沿いの山腹を回り込む桟橋.9:36道標と脇の踏み跡 マスキ嵐沢右岸沿いを遡ると大きくジグザグを切り.高度を稼ぐようなる。何度か折り返し. 左手から右に大きく巻き返す地点に道標があった。ここ左手脇には山腹を巻く古い径路が続いている。 偵察にと少し踏み込むが路肩が狭く.土砂が足元から崩れ落ち先のルートが分からず戻っている。 再び登山道に戻ると先は鬼石沢左岸尾根の末端の広い山腹を巻き込むようなった。 そしてほぼ平坦な山腹道に変わっている。河原からの高度差もあり.沢音は遠のき.深い樹林に覆われる水平歩道。 鬼石沢左岸尾根を乗り越す枝沢を渡る.9:44L字にやぐらを組んだ木橋で枝沢を渡り.暫くすると鉄骨で改修された桟橋にでる。ここは何度も改修した跡が歴然と残されていた。 次に出てきたのがパイプの支柱で組まれた桟橋を渡る。そしていっ時の急登を越えると鬼石沢左岸尾根を乗り越えた。もう避難小屋は近い。 左岸尾根を乗り越える径路分岐.9:55東海自然歩道と踏み跡の交差 桟道を過ぎ登山道が右に曲がると鬼石沢左岸尾根の石杭900m圏から南西に延びる痩せた支尾根に乗る。 左右に岩があり.両岩の間を抜けると鬼石沢に突き当たり.左岸沿いに回り込めば直ぐ一軒屋避難小屋にでる。 更に岩裏に曲がった所の細尾根の取り付きは鬼石沢左岸尾根を綴る踏み跡だった。 この地点から左岸尾根伝いに詰め.畦ケ丸と権現山との吊尾根にでる本来の取付き地点だろう。ただ初めての自然歩道. 一軒屋避難小屋に寄ってから改めて左岸尾根に取り付くことにした。又この尾根筋を急下降して下れば地獄棚に降りる。 左前方には尾根を巻き込むようなだらかな尾根が延びている。石標.境界見出標があるが.薄い細尾根になり.急下降で末端に下れば地獄棚に至る。 急斜面の右前方の対岸には落差のある滝が細く流れ.2ケ所のロープを頼りに過ぎると沢底に降り立つ。向いは左俣の地獄棚沢出合. 一軒屋避難小屋 鬼石沢を渡れば避難小屋へ.10:00左岸尾根を越える登山道に入ると左手から高度差もない広い河原状の鬼石沢(大滝川)が突然現れた。 穏やかで瀬々らぎの静かな平坦地。歩も緩めれば前方の茂みに.一軒屋避難小屋を見付けだしていた。 一軒屋避難小屋 鬼石沢二俣の台地754m.10:05避難小屋 避難小屋は鬼石沢とステタロー沢との出合台地に建ち.大滝峠上へ繋がる東海自然歩道上にある。 しっかりした造りで四方形の清潔感ある小屋。玄関は南西を向き.室内は逆コの字の壁を背にベンチで繋がれ.中央にドンとテーブルがあった。 奥には2畳ほどの寝床が別に仕切られ.玄関の引き戸を閉じると換気や採光を取る窓は木のスライド式のため少々薄暗い感じがした。 ストーブ類はなく.トイレがないため備品として.玄関脇にスコップが置かれている。収容10名. 以前この辺に一軒屋があったので.この名が由来したと聞いたことがある。ただ数家族が住む棟があったと広く知られていた。 それならば路線バスに乗車して気になったことがあった。西丹沢行バスが県道の桶口橋を渡り.酒匂川の左岸に近づくと都夫良裸野の南側の河畔に. 一軒屋.四軒屋.瀬戸六軒屋のバス停がある。大分離れているが.これらの名とはありそうでない地名。同地名からの因はないだろうか? 現実的に昭和の初期から中期にかけ炭焼きに従事する人々が生活し.昭和18年には分教場が開校されている。 出合に建つ小屋周辺は雑木林の中とはいえ.明るい陽光が差し込み.如何にも昔小さな集落があったようにも思えた。 又事件としては昭和47年1月.京葉浜安保共闘がダイナマイト製造実験をしていたとみられるキャンプ場を見付け.当時大騒ぎになっていた。 その頃大菩薩でも「福ちゃん荘」事件が起きている。日本の新左翼党派の通称赤軍派が軍の訓練を行い逮捕されている。 登る鬼石沢左岸尾根が突き上げる裏側から見た吊尾根と畔ケ丸 善六山の西肩より.2017.11.10/13:26吊尾根の1079m点コブ.1030m圏コブ.1240m圏コブ.畔ケ丸1292.5m。吊尾根の越えた先は世附椿丸附近か? 鬼石沢二俣(鬼石沢左岸尾根の末端) 大滝沢左岸の小屋前の台地より振り返る本来は大滝沢右俣が本流の鬼石沢になり.左俣が支流のステタロー沢(捨太郎沢)になる。 大滝沢の二俣は地獄棚沢と鬼石沢に分かれ.鬼石沢上流に雨棚があり.更にその上流に一軒屋避難小屋がある。 これから鬼石沢左岸尾根に入る。西側に遡るステタロー沢側を覆う樹林は優しい朝日を浴びていた。 山肌全体が幾らか黄色みを帯びてきた。上流側の木橋を渡り.その谷間を綴るのが東海自然歩道になり.大滝峠上にでる。 小屋裏の本流堰堤上 鬼石沢左岸尾根の取付き地点.10:11鬼石沢左岸尾根取付き 東海自然歩道と分かれ.小屋の裏に入ると鬼石沢右岸沿いに驚くほど確りした旧径路が綴られていた。 作業道の入口には「この経路は林道用の管理道で登山道ではありません」とあった。対岸の尾根に直ぐ乗る積りだったが少し辿っている。 そして5分ほどで堰堤にでて.堰上で対岸に取付そうな所を見付けている。直進する確りした作業径路を分け.飛び石伝いに左岸に渡った。 右岸径路 右岸道をそのまま直進すると道はなくなり.先はゴルジュ帯になりF2に拒まれる。少し戻ると右岸の尾根に確りした道が合わさっている。 沢を離れたつづら折りの径はF2を大きく巻いているようだ。やがて鬼石沢に向って下り.木橋を渡れば権現山への林用径路にでる。 やや途切れるも先の踏み跡を探すのが薄く難点のルート。左岸尾根を横切れば権現山吊尾根にでられる。 枝尾根と鹿柵 鹿柵に沿いの枝尾根を詰める作業道.10:24見た目すっきりした踏み跡も束の間. 浅い踏み跡が杉の植林帯の中をジグザグに繋ぎ,踏み跡が曲がる都度.黄色いプラ抗が打たれていた。 その斜面には右側にタテの新しい鹿柵が設けられ.脇に「平成17年度植生保護柵工」とある。木の脚立見ると古い鹿柵だったのだろう。 改修されていた。この脚立を過ぎると踏み跡は確りし.そのまま綴れば主尾根のコブまで続いていた。 900m圏尾根肩 左岸尾根に乗る.10:29左側に鹿柵を見つつ.急斜面を高度差80mほどを詰めると10数分で左岸尾根900m圏の末端から突き上げている肩にでた。 緩やかに広がる尾根に乗ると柔らかい木洩れ日を受けている。尾根筋上部はここから自然林になり.林床の優しさが心地よい。 又この900m圏肩からは2つの尾根が派生されている。東側の尾根の末端はマスキ嵐沢出合に延び.西側は地獄棚沢へ下る踏み跡の分岐を越えていた。 檜岳山稜と大杉山々稜 尾根筋右手の切り開きより.10:33背は遠方は檜岳山稜・・茅ノ木棚沢ノ頭.雨山峠.雨山.檜岳.伊勢沢ノ頭 大杉山々稜・・穴ノ沢ノ頭.弥七沢ノ頭.ブナノ平.仲ノ俣乗越.小割沢ノ頭.大杉山。手前中央はブナノ平から延びる762m点峰.中川温泉に抜けられる。 右手の切り開きから大杉山々稜が長く延び望まれた。弥七沢ノ頭の左鞍部が箒沢乗越.左手の窪地)押出沢からの突き上げている。 今年7月に渇水していた河内川を渡渉し.押出沢右岸尾根から穴ノ沢ノ頭を詰め.箒沢乗越から大杉山西尾根を経て馬草山へ抜けていた。 JPS 丹沢は東京近辺の他の山々に比べると丹沢の1つの山だけでも多くの支尾根.枝尾根に管理道や巡視路.作業道が綴られている。 古くから鹿柵を綴る尾根道も多い。又低山の割には関東大震災により峡谷に変貌した処も多く.川屋の下山路としても踏み跡を多く残している。 この数年.JPSによる応用が広まり.今まで以上にハイカーによる登山道以外の支尾根.枝尾根へと行動範囲が広がってきた。 簡単な資料を集めで頼れるのがJPS。居場所に進めるべき先が簡単に判る時代になってきた。 道標のある登山道だけでなく径路にも中年女性が随分入るようなった。経験不足でもザイル1本あれば.殆どの尾根は登降できる。 今は稀な藪尾根でもその内.擦れ違うのが当たり前になるだろうか? ヤマヌタ跡のよう抉られた尾根.10:38南ピーク970m圏 畔ケ丸左側のコブ.10:54北ピークとの鞍部 南ピークを越え北ピーク1000mとの鞍部. 丁度馬ノ背のような小さな草付きの所で.作業径路が左右から横断していた。 右手は初め木積みの確りした水平道で.古い桟道.小さな草原.暗い枝沢を通るマスキー嵐沢の源流になっている。ただ桟橋や丸太の老朽化が 激しく危険。そして吊尾根1010m鞍部にでる。左に入ればこれから登る畔ケ丸へ。右に入れば直ぐ土管のある分岐から権現山へ。 左手は段々畑のよう作り替えられた伐採地. 広い斜面が切り開かれていた。鹿柵が横に延び.「h27年度植生保護柵工」と 示された真新しい鹿柵も。更にタテの鹿柵は尾根筋に並行して左手から北ピークへ北上し延びている。 鞍部から更に左奥の径路に入れば鬼石沢水系になる。涸沢と水流のある沢を鬼石沢右岸に渡り.右岸沿いに下り. F2を巻き込めば避難小屋にでる。2011年8月の新ハイキング掲示板には「1010m鞍部から南西の道は桟道老朽化のため通行不能」とある。 遠方は世附権現山(前権現)と屏風岩山 大滝沢を隔て南面を望む.10:07鬼石沢左岸尾根に乗る屏風岩山南西尾根と東尾根 吊尾根1079m点コブ 蒼い空と大朽木が目印.11:20吊尾根.権現山への分岐を右に分け.登り詰めると明るく開かれた1079m点コブにでる。道標類はない。 大朽木がある頂には又ブナの幹に「標高1079m ナベヘ?」と書かれていた。 頂中央の大木漸く望まれた畦ケ丸 1079m点コブより.11:23樹林に隠され重なる1240m圏コブ 吊尾根1220m圏肩に乗る 右の尾根筋に入り1240m圏コブへ.11:34畔ケ丸南東尾根 吊尾根に入り.やや乾いた熊の糞を尾根中央に見る。赤帽黒抗が綴られ.又時たま紫色のテープを見ている。 左岸尾根でも.このマークは見ていた。小さな1100m圏コブを過ぎ.南南東から枝尾根を合わせる1220m圏肩までが厳しく. 如何にか喘ぎ登り着いている。この急登は久し振りにきつかった。 もつれながら重くなった足を上げては登る。下りの場合は尾根幅が広がり.吊尾根に入るのに注意を要する。磁石と大樹木. 更に尾根筋へ右に折れ1240m圏コブを越せば後一歩で畔ケ丸の頂に立つ。 この急斜面は最後と分かりながらも辛かった。途中でストックを使い.一歩一歩踏ん張り高度を稼いでいる。 最後はスズタケ絡むジャングルに.藪漕ぎを強いられる筈だったが.申し訳ないほどの枯スズタケがあるのみだった。 それも黒く枯れ朽ちた茎の姿。枯れてから数年前のものだろう。今にもなくなりそうなスズタケの茎.残骸を見ている。 最近,首都近郊の山を登るにつれ.スズタケの衰退は目を見張るほど欠け.甚だしく感じさせられていた。最後までないと言うことは寂しい。 畔ケ丸南東面 振り返る吊尾根の取付き地点.12:05〜:35そして待望の畔ケ丸南東尾根を詰め頂に立つ。黄葉が幾らか始まり.緑の色合いはアセビが目立つ。 まだルートとしては半分終えたばかりだが食後は期待に満ちた善六山へ。塩地窪ノ頭の雑木が私を待つ山並に入る。 大滝橋から鬼石沢左岸尾根を経て畦ケ丸・・一軒屋避難小屋 善六山と塩地窪ノ頭 塩地窪ノ頭北尾根から室窪沢 |