正木入左俣から成木尾根に変わり再び都県界尾根に乗るり尾根末端へ.都県界尾根から安楽寺へ成木の里山ハイキンクコーズ

  正木入の右俣を下り.左俣から再び都県界尾根に乗り飯能市の下畑降りる。・・飯能パークカントリーCCと墓地.安楽寺に寄り上畑へ
    左俣の中間尾根の境界尾根を詰め.再び都県境尾根に乗る。尾根末端の区切りは街に入り直竹川・・上畑バス停から西武飯能駅

   間野.細田と大仁田山から成木尾根.水口峠
   成木尾根.水口峠から下山し正木入.二又へ
   正木入二俣から再び都県境尾根に乗ってからは尾根末端の上畑へ・・直竹川周辺の管理境界線へ.安楽寺

   正木入左俣の二俣.13:24
    奥の右俣にも踏み跡はあるらしい?

     二俣を見下ろす左俣の左岸沿いの林道に入り.左の立木に赤テープが付けられた地点から正面の正木入左俣の二俣の河原へ降りている。
   そして独標から続く右手の正木入中間尾根を横切ってきた境界線とは、この出合で合わさり.北側の支尾根を詰めている。
   所謂.この短い北尾根(左俣の中間尾根)に都県界尾根が付けられ登ることになった。

    左俣の二俣中間尾根
   再び小尾根の都県境界線を詰める.13:25
    中央の立札には「安楽寺.この都県境尾根を登る」と表示されていた。小尾根筋の左側が埼玉県飯能市.右側が東京都青梅市の境になる。

   古い昔からの石標は主尾根にも残されている.13:39
    色合いも分からなくなった赤帽黒杭を足元に見ると尾根の傾斜は緩み.真新しい新型の赤プラペラを見付けている。

   境界尾根にある丸いGPSの標杭.13:43

     尾根筋の左側には間伐された材木が2mほどの間隔に切られ積み重ねられていた。踏み跡だけでなく周りは手が入っている。
   古いGPSを見て尾根筋は赤帽黒杭から赤プラヘラに変わり.古い赤い四角い杭も見付けてもる。林班界線でもあり.標柱類は多い。

   西側の藪絡みの痩せた起伏ある尾根.13:45

     再び頂稜の都県境尾根300m圏に乗りっている。右・西側(東京都青梅市)は崖縁は切り落とされ閉ざされていた。
   登ってきた小尾根の境界線まで下る境界線を目で追っている。

   東側は緩やかな尾根道.13:45

     これから進む左(東)側には確りした踏み跡がここから付けられていた。
   主尾根に乗り東側へ「安楽寺へ向かう尾根筋に入る。左・北側が埼玉県飯能市になり.右側が東京都青梅市。

    三方の分岐
    

     300m圏三方分岐. 境界尾根を分け.右へ東京都青梅市側の事業区域境界線沿いは採石場の東側の三方分岐.340m圏コブに下りている。13:54.
   左に折れて登り返すと間野分岐の300m圏コブにでる。直進する踏み跡は間野へ下りている。
   更にコブを直角に右に折れると安楽寺へ延びる都県界尾根に入る。

   「都県境成木尾根ハイキングコース6」の看板.14:04
    緩やかな小コブの植林帯を2つ越えている。尾根伝いに久しく「ハイキングコース6」の看板を見る

   14:12

     歩き易くなった尾根伝いは名の如くハイキングコースに変わっている。左手は時折喬木が混ざるも低い灌木帯の自然林が広がり.
   植林との林相の境を進むとゴルフ場と隣接する境界線が現れた。低山とは言え深い山の懐からまだ抜けだしたばかりの所。
   それでもハイキングコースに変わり.大地の広がりはゴルフ場エリアに入っている。

   飯能パークカントリーCC.14:15

     左手にゴルフ場のグリーンが広がりだしてからはズ-とゴルフ場の脇を歩むようなる。ただ古く錆び崩れた有刺鉄線はハイキングコースの直ぐ脇.
   スレスレに設けられられ.詰らぬところで気を使っている。コースとしては親子連れは長く不向き。

     又落葉の多い山道を綴っている。すると右手の立木に「二本竹」とあり.311m圏の分岐道標を見て.右前方へ山道が下りていた。14:30
   途中にある下山コースで畑地にでてから集落に入り.里道から大多摩霊園の入口前を通れば,「安楽寺通り」から安楽寺の大杉にでられる。
   HP「晴ときどき山」氏に言わせると「ニホンダケ」と読むらしい。

   有刺鉄線で遮られた東屋,14:42
    過ぎ去った4人のパーティから有刺鉄線越に「何処から来たのか?」Tお尋ねられている。

   「ハイキングコース7」と続く尾根.14:42

     東屋からゴルフ場の有刺鉄線沿いの細道を進むと直ぐ「都県境成木尾根ハイキングコース7」の看板が立つ。
   過ぎると今度は右手に大多摩霊園の大きな敷地が樹林越に見下ろされた。ゴルフ場と挟まれるようコースが尾根筋に築かれている。

   一時の植林帯に入り.14:35

    合戦坂峠
   14:45
     ここが三田氏という戦国時代の武将が落ちのびる途中で戦った所らしい。諸説あるが場所的には余りにも狭すぎ戦場? になろう。

    青梅丘陵とノボリオイゾネ
   鉄塔基部から南面を望む.14:51

     尾根筋は明るい雑木に変わり.鞍部から登り返すと送電線青梅線の61号鉄塔基部にでる。
   鉄塔の脚桁からは青梅丘陵の中でも目立つ三角錐の三方山が眺められ.前衛には上旬に歩んだノボリオイゾネが望まれていた。

    
    不思議な道標.14:54                      最後に見た「ハイキングコース8」の看板.15:10

     又南面の足元には真近に迫る巨大な墓地.大多摩霊園が延々と続き見納めになる頃には傾斜は落ち.尾根の周りは里の明るさに戻されていた。
   墓地を過ぎ倒木を潜り.3時に273mコブを越えて.「ハイキングコース8」の最後の看板を見ると221m点にでている。
   最後まで歩むも9・10は見たらず.ここはコースの終わりを告げている。尾根筋の起伏は途切れ開放的な明るさで原っぱの感じを抱かさせていた。

   南側に明るさが増し里近しか?15:14

     成木尾根.都県境尾根・・最後になるのか? 尾根筋の左脇に「安楽寺」の道標が立てられていた。
   細田の集落を抜けると成木尾根の分岐から「安楽寺」の道標が点々と続き.それに導かれるよう都県境尾根を下端まで下りてきた。

     2度目を足して下り終えている。途中で複雑に綴る境界線を渡り抜けてきた。下端南側の集落に入ると安楽寺にでる。
   参拝し復路で再び尾根に戻り,尾根末端の街並に入るまで下りている。里に下りても,又都管理の複雑な境界線に振り回され.色々知ることになった。
   境界線に振り回せられ続けたような山行だった。最後は直竹川にでて.けじめとして終えている。それも面白く? 終えた。

   尾根下端の南側の集落を見下ろす.15:22

    安楽寺本堂
   尾根から安楽寺の屋根をを見て境内を散策,15:25

     安楽寺は真言宗系の単位寺院で山号は成木山.院号は愛染院。
   創建年代等については不詳であり.創建については行基によるとも足利尊氏によるとも伝えられている。
   安楽寺はもともとは軍荼利明王を祀る堂の別当寺として建てられたものと見られ.地元では成木の軍茶利様として親しまれている。

    境界尾根下端の境界線
   境界尾根に戻り.再び東進.15:35

     再び境界尾根に戻り.東の末端へと向かっていたが知らずして.少し反対側の飯能市立南高麗小学校寄りにズレ.
   尾根上に戻っている。左前方の畑は埼玉県側の飯能市になり.中央を挟む右の茂みは東京都青梅市側。

   飯能市側により過ぎ竹藪から南側に修正.15:40
    右上の里は成木一丁目付近で.写真で囲む山並は更に続く都県界尾根の阿須丘陵。

    地元の絵地図に「合戦坂」と呼ばれる大地
   傾斜は殆どなくなっている.15:41

    中央の立木が境界線
   尾根の切通しを横切る.15:42

    更に住宅地に突入
     15:43

     飯能市の駐車場と青梅市の家屋の屋根裏の間を抜け.向いは崖縁の車道側に向かう崖縁の境界線
   ・・降りた逆側から見返している。

     飯能市と青梅市との境上の尾根の名残として.最後に街並みの家屋の裏に残されていた小さな起伏。
   現実のものとして見て考えると凄い。右写真は都県界界線が車道に落ちる末端. 左側の空地に回り込み車道にでる。
   降りてから高みを見上げている。右側は駐車場. 壁と云うか.石垣固めとブロック壁をも境を示していた。

     撮影した背側はずれたT字路の角に当たり,車道に背を向けるトタン茸きの木祠があり祀られていた。
   境界線は又この壁沿いの車道中央にあり.右に直角に折れ直竹川へと続いている。道路中央が都県界の境界線で舗装面も異にしていた。

      向いの小祠とバス路線の角の立つ補修境界標柱
     15:47

     小祠が又境界線のL字外側角を示し.左手と手前が青梅市なり.右手奥側がL字に描かれた飯能市側になる。祠の背は見下ろした駐車場。
   右(北)に折れ.間野黒指行のバス路線道路を斜めにズレて横切ると左先角に都県界線の補修境界標柱が立てられていた。
   その奥が直竹川.標高124mに成木一号橋架かっている。渡った先も北側の本流までは都の管理地上流端の区域になっている。

    都県境線と都補修境線・・東京都の補修境界標柱
    

     補修境界道路の成木一号橋,右脇にあった都県界標柱と下図のアップ.15:48
   都県境線は直竹川木一号橋の中央から河川沿いに境をなしている。ただ右図の如く直竹川を隔て.
   大きな逆S字状の北側の大地が都の管理下で.南東方の直竹川の突き出しているのは反対に飯能市の管轄下になっていた。

     漠然と描かれていた境界線はここでは直竹川を渡り.山王峠からの河川と合わさった所が都県の
   複雑極める境補修境線になっている。直竹川を隔てすっきりした境界線ではなく.互いに突き出した形のクランク形の地形を示している。
   小橋を渡った先にも都下の地区が設けられていた。

    複雑な都県界線
   成木一号橋より都下の下流を望む,15:48
    河川の見える範囲の先までが都の管理地になる。その先は右岸沿いに少し飯能市の区域が入り込んでいる。

     都管理地の成木一号橋から下流を望む。直竹川の少し下流で.左手から河川が合わさっている。
   その河川沿いに都管理線が上流に延びている。成木一号橋を渡り突き当たった河川で.写真の下流.直竹川が右手にカーブしている。

     その途切れ付近で管理地は終えている。逆にその下流側からは埼玉県側が都側に食い込む形で.ほぼ同じ面積で
   埼玉県側が管理する土になり.複雑な地形を示していた。

     都管理地は便宜上では住宅地の三方が河川に囲まれ生活環境は都下mの方が便利に思われた。反面.右下に位置るる飯能市側は
   北側は直竹川を境に青梅市内の中にポツンと残された形を取っている。古来からこのような形で残されていたのだろうか?

    遠くなった都県界尾根
   成木川左岸の成木一丁目地区から振り返る.16:17

     今回の境界線を綴ってきた旅も一応,成木一号橋付近で終わりにした。ここ成木一丁目で直竹川から成木川沿いに境界線が引かれ.
   上畑から下流隣りの下畑では成木川を左に分かれ阿須丘陵へ登っている。

     成木一号橋から間野黒指へのバス路線に戻り.直竹川沿いに下り下畑川橋を渡ると角に八百屋と複合するファミーマートがある。
   ここ上畑からの路線バスは1時間待ち。少し歩こうと下畑軍畑線に入ったものの飲物を買い忘れ戻り.そのまま居座っている。

    上畑から下畑地区
   成木川の河原の日影林通りからの眺め.16:16
    直竹川の出合を過ぎ成木川の河原から県道193号線と下畑軍畑線沿いの街並み.

    阿須丘陵の南側
   阿須丘陵へと更に続く都県界尾根.16:15

     境界線は成木川沿いを綴り.下畑地区で成木川を左に分けると阿須丘陵に登っている。
   成木川左岸(左)に立つ私はまだ飯能市側. 右岸と阿須丘陵の南側は青梅市側になり.阿須丘陵の裏側はjr八高線の沿線になる。

   国際興業「上畑」バス停.16:25
   通りを合わせて手前が西武飯能駅行.向かいがjr東青梅行.

    上畑バス停
     上畑バス停には国際興業と都営の2系列のバス停がある。畑川橋から県道193号線を5分ほど歩き.1つ目の信号先に当たる。
   民家の玄関前に国際興業のバス停があった。脇に「埼玉県」の石柱が立ち.その10m先が都営のバス停,

     時刻表には飯能駅行は午後2便. 16時52分と18時18分。道路向かい側の都営のバス停は東青梅駅行が.14時57分と16時36分発がある。
   合わせて4便.午後は遅い時刻のみだった。今回は飯能駅回りで帰宅した。

     16:00下畑橋一16:25上畑bs16:52=17:09西武飯能.準急:18=17:42所沢.準急:53=18:34大江戸線新宿
     ・・日没17:24.入間市駅付近.

   2/19日・・気象庁は令和元年の19号台風を「令和元年東日本台風」と命名。1977年の「沖永良部台風」以来42年振り.
   2/22日・・春一番.

   今回の地形図
   地形図「原市場.武蔵御岳.飯能」.zzz198黒指周辺.都県尾根.20200220都県尾根.登山詳細図「奥多摩(東編)・・スカパ登山靴30625歩.20.2km
   茶500cc.テルモス400cc.妻のカツサンド.バナナ.ヌードル.チャンポン・ネーブル.大福・ストック.スアイゼン.アルミの寝袋

     間野.細田と大仁田山から成木尾根.水口峠
     成木尾根.水口峠から下山し正木入.二俣
     左俣から再び都県境尾根に乗ってからは尾根末端の上畑へ・・管理境界線へ.安楽寺と飯能市側の上畑バス停.対岸は青梅市側のバス停