臼杵山の山頂から過って展望した日陰本田山に至る東尾根をピストンし.再び篠八窪尾根からの刈寄山北尾根を詰める
     支尾根の分岐から石立ノ頭・日陰本田山をピストン―石立ノ頭南尾根から石仁田沢の枝沢を下り.左岸を横切り採石場跡に登り詰める

    抜戸橋から篠八窪尾根を綴り日陰本田山への分岐
    ピストンし石立ノ頭南尾根から採石場跡・・回収したストック・臼杵山からの展望を回想する
    刈寄山から豆佐嵐山を経て舟子尾根
    古愛宕山北東尾根から今熊神社裏参道

    日陰本田山628mと刈寄山
   臼杵山東肩の伐採雪原より・・2014.03.12/15:04

     日陰本田山と石立ノ頭との間先は古愛岩山509m. 石仁田沢を隔てた対岸の右手前が石津窪山高萱尾根.
   奥が峰見通り・・鞍部の白い部分が採石場跡.今回は手前の石仁田沢の枝沢から採石場跡回り込み刈寄山に立つ。残雪は「平成26年豪雪」

    展望
     南秋川の支流.盆堀川が左側から回り込み.中央には支流の石仁田沢を遡らせて刈寄山が源をなしている。
   ツメの採石所上部の山並は入山峠を隔て.左側が横に延びる舟子尾根.右側が縦に連なる峰見通りが横切っている。
   右手に聳える石津窪山高萱尾根の手前の谷間は臼杵山を源とする伝名沢。

     遠く刈寄山の裏側に送電線新多摩川線が横切り.霞んで見ずらいが87号.86号が建ち.85号〜83号は刈寄山に隠れ.
   一度入山峠に下りている。そして峰見通りの南端乗る弾佐衛門ノ峰の西肩にある南尾根に82号鉄塔が乗っていた。

     盆前川と広く抉り取られた山腹は砂利採石場。当時はグミ尾根に入り直ぐの肩下の伐採地跡からは.まだ私の踏み込んだことのない
   山域が続く。グミ尾根から荷田子峠.戸倉城山に掛けての尾根とを盆堀川が隔てて.盆堀川対岸の日陰本田山と向かい合っていた。

    分岐から日陰本田山へ
   日陰本田山へと支尾根をピストン.9:33

     本尾根と分かれ分岐から日陰本田山の支尾根に入ると地図に破線路が記されていた。石立ノ頭手前の620m圏小コブを越えた所にも.
   北側に延びる尾根筋を綴る破線路が記されていた。盆掘地区の東側の枝沢から林道盆掘線に降りている踏み跡の取付きを探すも分らず。

    石立ノ頭620m圏
   二ッ沢ノ頭・大ロバラ山.9:35

     緩やかに小コブを乗り越えれば同じ620m圏になる小広いコブに立つ。細い立木に直ぐ黄色いテープに縦に並び山名が書かれていた。
   ここは日当たりのよいコブとも云えぬ頂。立木には白帯が点々と付き.日陰本田山の頂まで綴られている。
   又ここでも真新しい黄色いプラ杭が時に見られた。

    日陰本田山
   日影本多山.9:51

     穏やかな起伏のアップダンを持つ雑木の尾根を登り返し.小藪を抜けると日陰本田山にでる。
   その細長い頂の取っ付きに小さな山名標と離れて赤帽黒杭が立ち.東面は植林に被われ.西面は樹間を透しての展望が得られている。

    高萱山
   西面の展望.9:50

     過って「新宿区民の森」から登った石津窪山大萱尾根は全体的に植林で覆われていた。
   ピストンし下った左の雑木の支尾根から盆掘林道に戻っている。この時は入山尾根からやはり広大な採石場に降り.美山経由で高尾にでている。
   巨大な採石場を歩んでいた。今回は如何なる印象を持つのだろか?

     頂の正面右の足元から延びる日陰本田山北東尾根はサタキ指窪とメチョウ沢の間を隔てる尾根に乗り.赤テープが点々とあり.かなり歩かれている。
   その盆掘川の上流側にある「新宿区民の森」は2010年に戸倉盆掘,千ケ沢の植林協定をし.植裁後10年間の森林整備費を負担していた。
   最初の計画から10年経ち2021年10月には「自然と触れ合う環境学習・地元の方との地域交流」のツァーが行われている。

     市道山と高萱山
   2つの古道

     市道山の手前を隔てる盆掘川の左岸.千ヶ沢の出合からは八王子から繋がる2つの古道が市道山へ延び.頂から分けている。
   市道山から奥へ.西側の嫁取坂を下れば檜原村と結ばれている。左の吊尾根の鞍部.旧醍醐峠を下ればニニク林道を下り.
   醍醐と結ばれていた。この山域は「平成26年豪雪」の後.ぽつりぽつり登り始めている。

    峰見通りと市道山
   市道山から続く峰見通り。裏側が醍醐道.9:46
    このポールは南西尾根の下降地点ザレた雑木の尾根。無地のパイプは朱色に塗られ点々とある。最後は擁壁の切れ目2m弱.

     峰見通りは過って冥加沢右岸尾根・オリゾクナイ沢右岸尾根・鉄塔尾根と周回していた。まだ枯葉が落ち続けている最中で.展望は今一だった。
   盆掘川を隔てる先は峰見通り.その奥は中谷山尾根.更に北高尾山稜と続き.笹尾根末端の山並が広がりを見せていた。

    南西尾根
     無風状態でチラホラ舞う枯葉の頂中央にはL字鉄棒は「事業区域界線」村尾組の看板が立てられていた。鉄棒のみが残されている。
   この鉄棒は頂.日陰本田山南西尾根を点々と綴り.藪を漕げば石仁田林道に降りられる。45分. 五日市に下りられるルート.欠点は傾斜がきつ過ぎる。
   突き上げた頂には「五日市へ」への道標の破片か? の細かい切れ端が幾つも見受けられている。

    北東尾根
     沢戸橋.新久保河原橋.宮前橋を渡り小宮神社を過ぎ.盆堀川を覗き込む正面が日陰本田山北東尾根。55分.下端に向かい下流から取付く。
   300m圏で藪から解放され.330m圏で左から登ってきた尾根と合流。北東尾根は下半で2つに分かれている。以後は作業道. 謎の支柱あり赤帽黒杭だと。1:30.
   又.東尾根(西沢左岸尾根).宮前橋の手前から左の破線路に入れば西沢の右岸道から中間尾根を詰め石立ノ頭に至る作業道が付けられている。

    刈寄山
   正面の尾根を下り採石場を越える.9:57

    石立ノ頭南尾根
   610m圏から支尾根を分けている.10:09

     支尾根先端の日陰本田山から石立ノ頭に戻り.分岐から来た支尾根とも分かれ.右に折れ南尾根に乗る。
   尾根筋を下り.途中から石仁田沢の枝沢へ降り.沢を少し下ってから左へ横切る形で採石場跡の台地を詰めることにした。

   580m圏.緩やかな尾根筋から劇斜面に入る.10:22

   565m圏.枝沢右岸から枝沢の本流へトラバースしながら下降.10:23

   580m圏.左下の枝沢の沢底へと回り込む.10:33

    石仁田沢の枝沢
   580m圏.涸れた枝沢の本流へ斜下した.10:41

   550m圏.涸れた沢底に降り立ち.上流側を見上げる.10:43

   下流を見下ろす

   三度.沢底中央に固定ロープの崩壊された残骸をを見る.10:46

    沢沿いは以外と傾斜は弱く.ロープを必要とする所はなかった。恐らく採石台地からの迂回路として付けられた固定ロープだろう。
   左の劇斜面に耐えきれず.土砂と共に崩落し.沢底に埋まってしまったようだ。

   505m圏.左岸縁にあった炭窯跡.10:51

   炭窯跡付近から下流を見下ろす。

     炭窯跡から下流側には確りした踏み跡が右岸沿いに綴られていた。ブログ「奥多摩.尾根歩き」氏によると
   途中に崖縁があり途切れ落ちている。踏み跡を確認しただけ。炭窯跡から左岸の薮斜面を採石場跡へと登り詰める。


   採石場に向かい急勾配を這い上がる.11:00

     最初は足場が取れたので炭窯跡上部の露岩混ざりの斜面から取付いた。
劇斜面の左岸山腹は藪絡む雑木林に被われ.
   腕首ほどの太さの立木を支えに握るとボリボリ折れている。枯木が多く.選び強引に攀じるよう這い上がっている。
   距離は短いが荒れた急勾配.藪のジャングルで先も足元も閉ざされ.見た目の高度感はなかった。

   仰ぎ台地の接線を見る.11:00
    荒れたザラ土の斜面を両手で枝木に支えを求めている。仰ぐと一線を引き天空が開かれた。あと一歩で採石場跡縁の台地にでる。

   520m圏.台地西端の細い稜に立つ.11:02

     採石場西側縁の稜.高度520m圏にでる。想像していたよりはやや高みにでられ.下の台地までまだ1/5程が残されていた。
   線を引くような狭い稜を境に右下は登ってきた劇斜面の山腹. 左下は足元から既に抉り落ちるガラ場で.草木1本も見られぬ裸の土壁だった。

     その先.天空との境をなす釜底型の巨大な台地が開かれると.採石場跡の全貌は一見では見渡されぬほどの大さを示していた。
   その急斜面の境は下る稜. 見下ろすとびっしり藪絡みの枝が左手に覆い被さるよう伸び.谷間となる台地まで続き.坑道が見下ろされた。

   まだ平坦な台地までは高みにいる
    尾根というか採石場の縁というか.左側に広がる採石場跡の右側縁でて終える稜.

    大事なストック
     この稜から台地の降りるにも一苦労している。足元を境に左手はザレた急斜面が抉り落ちる地形が.下の台地まで続いている。
   踏み込めばザラザラ崩れ落ちた。そこに右手の灌木の枝々が覆い被さるよう伸び.それを支えに体をフルに使い摺り下りること暫し。

     時には体が宙に浮くこともあり恐ろしい。肝を冷やし降りえず.右手の枝藪のジャングルに飛び込みもした。
   障害となる背負うザックやストックの絡みも多く.時には強引に引っ張ってはだますよう抜けている。

     それが台地に降りてホッとすると同時.ストックを紛失したことに気が付かずがっかりした。念の為ストックは外れぬよう硬く結び背負った積りだが?
   3度ほど絡んだ覚えがあるがその都度確認した積りだった。戻るしかあるまい。稜にでた地点まで探り戻ることにした。それでも見付からず。

     再び台地に戻る途中で巻道を見付けると同時.大事なストックも運よく見つけ出している。
   
大きく時間をロスするも.一時の安らぎを感じていた。先はまだ長い。

    台地の稜からの展望・・刈寄山と北尾根(篠八窪尾根)のツメ
   採石場左端の中段から鞍部台地に降りる

     採石場の南側の坑道が足元に見下ろされている。V字の採石場の底台地からは登り切り.坑道から細い作業道に変わると
   刈寄山の頂点に立つ。刈寄山は中央奥の頂. 右手は北西尾根に乗る1680m圏コブ.谷間は石仁田沢のツメになる。

   410m圏.採石場北側の段丘を見上げる

    北面の段丘
   南側の中段坑道からの眺め
    採石場の左上の山並は日陰本田山・610m圏コブ・石立ノ頭。更なる左奥は大岳山馬頭刈尾根?

    高萱山の山並
   西方・・平坦な台地から

     左端が刈寄山北西尾根の山陰になる。入山峠からは刈寄山の南面を回り込む林道が北西尾根の下部.支尾根の二又まで延びている。
   地形図を読むと支尾根の途中まで破線路が記されている。今は林道盆掘線まで繋がっているのでは?
   又山陰の奥に望めるのは市道山だろうか?

    臼杵山グミ尾根
   右奥が大岳山方面

    610m圏コブと舟子尾根
   東方・・505m点峰と610m圏峰.共に近くに鉄塔が建つ

     舟子尾根の裏側の流域は610m圏コブの北側に当たり.広大な伐採地が開かれている。そして今でも重機が活躍する伐採が行われていた。
   右上は紅白の新多摩変電所89号鉄塔で.左脇に築かれた窪溝は伐採した木材をロープ運搬し里へと運ぶ降し場ロープがある。

     その直ぐ左脇にはモノレール軌道が新設されていた。この後.刈寄山に立ち.寄川を取り囲むよう舟子尾根を綴る。
   その折分かった裏側は伐採地。又中央辺りにある鉄塔は尾根筋から少し外れる90号鉄塔。尾根を末端まで下れば朝方の醍醐道との分岐に戻る。

   540m圏.南側の坑道より北尾根台地の全体像
    採石場跡の右端中央の坑道を通れば刈寄林道.刈寄川へ降りている

     過ってはこの広大な採石場はなかった時代があったのだろう。自然林に覆われた尾根が刈寄山から末端まで続いていた筈である。
   人工的に抉り掘られた巨大に窪んだ台地が篠八窪尾根を途切れらせ見下ろされた。

     それに控え秩父武甲山は地質の関係から頂から南側半分は自然のまま残されている。余りにも大きな山は現在も採石作業が行われている。
   もう60年ほど前の高校時代に同級生と武甲山に登り.北側の採石場にあった尾根筋を下りたことがある。それが数年前に再び訪れた時は
   山全体が山底を見せ.以前下った尾根は既に抹消され失われていた。人の力もたいしたもの.凄いと驚くばかり。


    抜戸橋から篠八窪尾根を綴り日陰本田山への分岐
    をピストンし石立ノ頭南尾根から石田沢の枝沢から採石場跡・・回収したストック・臼杵山からの展望を回想する
    刈寄山から豆佐嵐山を経て舟子尾根
    古愛宕山北東尾根から今熊神社裏参道