大ツイジの860m圏小コブに乗り笹尾根を西進する。昨年はこの付近で栗坂峠から大ツイジを横切り.笛吹から小棡峠北東尾根を詰めている。
       今回はその小棡峠から逆側の小棡峠南尾根を下り.西原古道から鶴川の県道.上野原丹波山線にでる為.大ツイジから更に笹尾根を縦走した。

    熊倉沢右俣右沢.陸軍滝とトヤド沢を諦め.左沢から千ケ尾沢右岸尾根
    大ツイジ860m圏小コブを西進し.浅間峠.日原峠から小棡峠・・栗坂ノ丸.土俵山
    小棡峠南・南西尾根から日武連山.西原古道を経て沢渡
    沢渡bs―寺尾を過ぎ=八米―新井bs

    大ツイジの860m圏小コブ
   「浅間峠まで1.1km」の道標が立つ.10:37
    右岸尾根を乗り越え.ここは1本のポールと石杭に「印」付く小コブ。

    笹尾根
   浅間峠方面へ西方へ.10:44

    栗坂峠
   栗坂の丸879m小コブを越えての栗坂峠にでる.10:52

     「浅間峠0.5km」の道標あり.峠からは芦沢山尾根を下り.小伏からレイク相模CCに突き当り.県道.上野原棡原線に降りられる。
   又栗坂尾根の710m点の肩.尾根二又からは三二山川沿いに県道33号線を下れば新山王橋にでる。

   笹尾根は1881m点コブからの北側山腹道に入る.10:56
    熊倉山南西尾根からトヤド浅間に寄った時は春雪に一面被われて旋風が舞い.粉雪が舞う雪世界だった。

    881m点コブ・・千ケ尾沢左岸尾根
   「浅間峠0.3km」の道標あり.10:58

     本来は熊倉沢右俣左沢(千ケ尾沢左岸尾根)に取付けば.登り詰めた西側の頂点がこの道標になる。道標の裏側はゆるやかな二重山稜の
   地形が広がっている。又少し下った850m圏のコブ地形の北側には840m圏の細長い平尾根ご北側に延び台地がある。
   そこも私の秘密の場所として寄ってくる積りでいた。今思えば.もい少し丁寧に探す価値は十分あった筈。

    浅間峠東屋(栗坂峠)
   ガランとした広い東屋.11:02

     東京都多摩群檜原村と山梨県上野原市との境にある笹尾根上にある標高840mの小広い峠で真ん中に東屋がある。
   上川乗方面の下り口から東屋の向かい先には椿木があり.神戸方面の峠路が横切っている。

    峠の浅間明神の石祠
   2本の巨樹.杉の御神木の間に祀られた小祠

     峠路に明神祠が祀られていると云うことは古の時より栗坂峠と呼ばれていたようだ。直ぐ南東側の栗坂峠と合わせて共に栗坂峠と呼ばれていた。
   今は便宜上に浅間峠と栗坂峠を分けている。

    浅間峠の石しるべ
    

     浅間峠から北側の檜原街道.上川乗へ向かう登山道口には「馬頭観世.嘉永六年」と掘られた石碑を見る。これは上川乗の浜中伊左衛門が繭が
   買い帰る途中で.馬が谷へ落ちて死んだのを弔ったものと云う。と云うことは峠路は馬が通う駄馬道だったのだろう。

   浅間峠の南側.棡原への峠路.

     甲武トンネルの東側の峠路が浅間峠. 南側の起点.椿.桐坪.神戸(こうど)から新山王橋にでる。北側は檜原街道の上川乗へ.
   又初めて浅間峠を訪れた時は熊倉山南西尾根を登り.上川乗へ.下る途中で.トヤド浅間亨より京岳バス停にでていた。

   大ツイジから笹尾根へ(甲武国境尾根)を更に綴る.11:27

   尾根筋の林相の境.11:3211:32

   先の山道は灌木帯を綴る.11:39

   11:42

   二重山稜的な尾根筋になる.11:43

   11:50

   11:53

   12:05

   12:08

    まだ遥か先の土俵山
   12:10

   12:12

    関取岳877m点
   840m圏から鞍部越えの関取岳877m点峰を振り返る.12:17
   ここ谷間の鞍部には県道33号線の武甲トンネルが潜り.鶴川側の上野原丹波山線.棡原と南秋川川の檜原街道.上川乗とが結ばれている。

   917m点コブの北側をまけば日原峠.12:24

    日原峠(ひばらとうげ)
   峠の石仏12:32

     日原峠は登山道の真中に地蔵が祀られている四か所に分かれる分岐。
   難読の道標「人里(へんぼり).笛吹(うすしき)」が立つ。

     北西に延びる北側の登山道は途中で土俵山北東尾根に乗り.南秋川の下和田バス停に降りている。
   又高度850m付近では破線路が北尾根の広大な伐採地とも繋がれていた。ただ拡大する伐採事業とは別の旧道はズタズタに切れた間々で.
   新たな林道が造られつつある。尾根末端に架かる橋は崩落していた。渡渉は膝程度で流れはある。

     峠越えの南側は917m点峰の南尾根を綴り.730m圏の南尾根二又で右(西側)の支尾根を下れば日原から猪丸にでられた。
   県道.上野原あきる野線と上野原丹波山線が交わる所には新山王橋バス停がある。ここは甲武トンネル.の起点.或いは土俵山の登山道口にもなっていた。

   石しるべと水場まで5分の表示あり
    石しるべには「右 山道 左 人里」とある。

     『山崎新三さんのお話では.時代が経ち中央線が通じると.西原峠よりも人里へ出て日原峠を越えるものが多くなった.という。
   西原峠を西原へ下るかわりに.日原峠を日原に出れば.上野原の駅までの道程が半分に短縮された。』
   瓜生卓造「檜原村紀聞」の中で.檜原村の古老がそう語っているている

     中央線が上野原駅まで延伸されたのは明治34年。この馬頭観世音が建てられた大正時代のころは.まだまだ多くの人が.
   馬荷が.毎日毎日.ここを行き交っていた。 ここに立つと.そんな光景を想像しないでいられないだろう。
   峠路は昭和7年発行の陸地測量部「五日市」地図に記載されてる。

     ところで.石仏のある場所に少し疑問がわいている。陸地測量部の地図では峠と思われる位置は.
   ここから生藤山の方へ小さなコブを越えたところ。明治40年測図のものだが.この食い違いはなんなんだろうか。

     少し手前にあった馬頭観世音の道しるべは.「左 人里」。
   これも陸地測量部の地図に従えば、コブを右から巻いていくことになるから.人里は右でなければならない。

     この謎は時代を昭和.大正.明治.そして江戸へと.さかのぼることができればわかることなのだろう。
   ・・エキサイトヘルプセンター.HP「なのだの登山日誌」氏の「笹尾根の日原峠でいにしえを想う」を記載させて頂きました。

   12:40

     ここから10mほどの先の間に白井植物が群生している。銀竜草(ぎんりょうそう)が群生し腐生植物とか?
   葉緑帯はなく.光合成して栄養を取るわけでもなく.地面から栄養と取っているわけでもない。菌との繋がりから栄養を取っているらしい。

    大岳山南尾根と長く延びる馬頭刈尾根
   土俵山から北側の展望.12:49
   間の手前を横切るのが浅間尾根の浅間嶺辺りだろう。

    三頭山町村界尾根の小コブの惣岳山と御前山湯久保尾根
   冬季はすっきりした展望だが.
    右奥は一段低い鋸山

    土俵山々頂
   12:52

     山頂の少し手前に土俵山北尾根の下降取付き地点がある。展望はなく茂みの中を抜けて.尾根らしくなる。
   又前途したように途中からは日原峠の北側の旧道.登山道とは破線路で繋がれている。

   懐かしい防火用水のドカンが並ぶ.12:56

     初めて笹尾根に入った2008年2月に土俵山の頂にドラム缶の並ぶ姿は.今でもはっきり覚えていた。
   今にも降り出しそうな雨雲に被われた夕暮れ時.黄昏に移った周りは.更に薄暗く重い雨雲に変わっていた。早く里の下ねばと気は焦っている。

     擦れ違うハイカーと会うどころか? 霧雨が舞い始めていた。早足で三国山を目指していた。三国山に出れば笹尾根は完走されたことになる。
   ただ三国山から南西尾根に折れた途端.雨粒は大きさを増し.落ちてきた。万事休す。

   林相の境が広がる背稜.13:01

     土俵山を過ぎてからは尾根筋は二重山稜的な広がりを見せ.傾斜も落ち.枯葉に山道も埋められていた。
   立木に直接描かれた.オレンジ色の斜めの線が道しるべになり.点々と印されている。

   13:09

   大立峠
   現在の地図では「小棡峠」.13:27
   先ずは下り口の小棡峠にでる.

     正確には直ぐ先は入沢山1050m圏と1046m点コブの脇に立った私。間の鞍部には小棡峠北東尾根の破線路が笛吹(うずしき)から
   繋がるがものの道標類はない。やや南に下った1046m点コブ脇が.この道標に当たる地点になる。
   沢渡へ下る分岐を少し下ると1046m点コブからの南尾根にぶつかる。この尾根が小棡峠南尾根。

   小棡峠から南尾根へ下り.取付きには横棒があり?

    熊倉沢右俣右沢.陸軍滝とトヤド沢を諦め.左沢から千ケ尾沢右岸尾根
    大ツイジ860m圏小コブを西進し.浅間峠.日原峠から小棡峠・・笹尾根.甲武国境尾根
    小棡峠南・南西尾根から日武連山.西原古道を経て沢渡
    沢渡bs―寺尾を過ぎ=八米―新井bs