| 二子山雌山から鞍部の側壁を越え雄岳にでて武甲山の展望を楽しむ。焼山へと武川岳の縦走路を綴るにつれ. 真近に迫る武甲山を眺め.採石が続く頂の肩の崩落の激しさに.今更ながら驚かされていた。 武川岳縦走路を焼山の手前で左に分け.790m圏コブ焼石沢右俣左岸尾根に乗り.焼石沢二俣で焼山林道の起点にでて.更に県道へ登り返す。 芦ノ久保駅から兵ノ沢右岸尾根を経て二子山雌岳 雄岳から焼山手前.790m圏コブ焼山沢右俣の左岸尾根を下り焼山林道ゲート・・地図に記された「ドウシン屋敷」と右俣左岸尾根の変化に富む小尾根 林道起点にでて旧名栗街道に入る手前で迷い.清水沢から川越山北東尾根の600m圏の壁下にでる 川越山に立ち.正丸山.正丸峠=国道の正丸トンネル東詰から西武正丸駅 二子山雌岳東側の側壁を下る 二子山雌岳から雄岳への鞍部へ。岩の段差と掴む根元が多く.気を抜かねば楽に登降することができる。 ここで今日.最初で最後のハイカーと出会う。私より若いが単独女性. 清々しい声の持ち主で.二子山を越え芦ケ久保へ降りるとると語っていた。 二子山雄岳 丁度日差しの境が道標に当たり.頂は周りの穏やかやかさに比べ狭い平頂.別名は物見平。 三等三角点.二子山雄岳 二つの二子山があり.三角点峰は雌岳より10m」ほど高い。小鹿野町の二子山とは芦ノ久保の二子山」と呼ばれ分けている。 ここも三叉で少し分かりずらいが山頂から南に少し降りると山道は東尾根に派生させている。分岐からは焼山林道の起点近くに降りられる。 「学習コース」の伝言板 伝言板には「山々を地図と磁石で確認しよう」とあり.武甲山とプラムの花(日向山)の写真が添えてある。 日向山の南面には「あしかくぼ果樹公園村」があり.頂の展望台からは武甲山と二子山の絶景が眺められる。芦ケ久保駅から徒歩2時間. 又登山道を分けて武甲山を岩場から絶好の眺めがある。道標先の眺め.手前を右み折れ.武川岳の背稜を激坂で下るので注意。 二子山は東尾根は意識せず.南側の登山道を進むと東に回り込み東尾根に乗る。道標はないので注意. 武甲山の展望 ここから樹間を透し雄大に眺められるのが武甲山.頂の西面は広く石灰石の採取場は既に大きく抉り.痛々しい姿に変えられていた。 初めて訪れたのが1963年の春.山登りで初めて伊豆ケ岳に登り.翌月には嬬恋峠で見惚れた武甲山へと単独で訪れている。 当時はまだ北西側の丘陵が採石の途中でまだ高みが残されていた。気持ちだけの尾根筋だが下山路として.坂町から国鉄秩父駅に降りていた。 先週の下山峠.妻坂峠より・・1963.05.秩父線お花畑.バスは松枝行=根古屋から武甲山表参道―裏参道から宇根を経てお花畑・・初めての単独行 先週の伊豆ケ岳山行では妻坂峠を対峙し見定められた武甲山に強い印象を抱き.一人でも立ちたいと云う決心が心を揺さぶっている。 当時は登山ブームに乗り.登山バッチにペナントを山小屋で買い求めていた。そして翌月も意を決し.秩父鉄道.御花畑駅から周回する形で 武甲山表参道から入山した。西武池袋線に乗車してからは全てが冒険の世界だった。中学3年頃. 8年前の武甲山は午前中.登山道を跳ねていた雹 横瀬町の寺坂棚田より.17:15滝島先輩の「手紙」から日々山肌をが削られる秩父の名山.武甲山に再び2017年04月22日に登る。 懐かしい御嶽神社一ノ鳥居の参道から54年振りの石灰の山.武甲山へ。 武甲山を周回. 表参道を経て小持山・大持山へ繋ぎ.妻坂峠から一ノ鳥居に下山。 L滝島.m鈴木.松村 横瀬の上流側.手前の工場.街並に横瀬川が流れ.秩父石灰線が架かり.国道に西武秩父線が横断し秩父へでている。 右手は三菱マテリアルのセメント工場. 幾つもの大手会社が山肌に埋まる石灰岩を崩し.即加工され出荷されている。 両神山から小鹿野二子山 秩父市街地 右端は赤久縄山と御荷鉾山. 武甲山には2度訪れ.最初に訪れた時は公園のでき始めだったと思う。2度目は山頂から遠望していた覚えがある。 少し南側を回り込むと東方延び甲仁田山に自然と入るので注意。私も経験してしまった。 東尾根の847m峰にはNTTの鉄塔が建ち.南西に下る旧秩電道路を下れば.焼山林道の松枝に降りられる。 雄岳東尾根 この脇に立つのが「道標22+9横瀬町」にでて武川岳への縦走路 頂から南西に30m離れたにあ所にある道標は「←武川岳」とある。この周辺は武甲山の眺望に優れた休憩敵地。 ここで1本取り軽くサンドイッチを摂る。武川岳へは道標に従い左の谷間へ南西に下る尾根道を選び焼山へ。 直進(私の背)すると東尾根.甲仁田山方面になるので注意。私も間違えている。 武甲山から小持山へ続く稜線 武甲山から隔てる谷間の生川の一ノ鳥からは武甲山表参道が綴られている。 手前の幅広い背稜は武川岳に至る山稜. 左の三角錐の焼山から平坦な手前に延び.角から少しZ字に降りる所が「道標22-8横瀬町」の分岐。 左手に焼山沢右俣左岸尾根が延び.この尾根を降りて林道に出ている。尾根の末端が焼山沢の二俣で.林道の終点ゲートに出られた。 尾根の大分手前で少し分かりずらいが.登り気味の鞍部のある辺りが小鳥峠765m. 武甲山の展望岩場までは40分ほどで登れる。 背稜は大持山と小持山 手前の枝尾根の多い稜線は二子山から武川岳へ続く縦走路の蔓岩山東尾根。尾根の右側(北)は焼山沢になり. 東尾根の左側は生喰沢(ウシヤミノ入)左岸尾根。合わさる末端は県道53号線の松枝バス停辺り。 又.生喰沢の右岸は武川岳の郡界尾根になる。 この道標を見逃すと雄岳東尾根に乗る恐れがあり注意.右に折れ武川岳の縦走路へ。 武川岳への縦走路.焼山手前の分岐までのアプローチ 二子山雄岳東尾根の甲仁田山と電波塔 三角点峰.甲仁田山847m・・カロニア山.久松平. 右奥の山並は長久保.737m峰.親不知・・正丸峠から大野峠への縦走路が繋がれている。右下は尾根続きの八角分岐周辺. 二子山雄岳東尾根と雄岳から雌岳を経て岩菅山の東尾根.萩ノ沢ノ頭此処花沢左岸尾根に取り囲まれているのが此処花沢。 芦ケ久保川に注ぎ込む。丁度この甲仁田山の裏側に流れ込む渓谷になり.沢沿いにはドウシン屋敷付近で旧道と合わさるNTTの管理道が綴られている。 道幅広くガードレールが付けられたダードのピストン道。出合いは県道53号線の初花にでる。初花.芦ケ久保方面からは過って. 旧正丸峠を越え.江戸と秩父を結ぶ秩父往還が結ばれていた。今回は帰路.旧名栗街道から追分にでて秩父往還から西武正丸駅にでる積りでいた。 電波塔の脇から南東に下る尾根は昭和40年代に旧武電登山道が開かれ.八角を経て直接県道のバックミラーにでるか.或いは焼山林道の松枝320mでる。 初めは二子山から甲仁田山にでて.旧武電登山道から秩父住環と繋ぎ.旧峠から下ると積りでいたが.「熊」がでると聞き. 今年は熊騒動が毎日のようニュースの話題になり.聞いた所は敬遠し避けることのしている。それでも前々回か.熊に出くわしてもいた。 地形図の二子山雄岳のドウシン屋敷を読み調べるも。 昭和初期の古い地図に載っている焼山沢〜和尚小屋〜処花沢〜676m点西鞍部〜大畑を結ぶ古道とある。その昔.ドウシンという和尚がこの辺りに 暮らしていたらしく、ドウシン屋敷や和尚小屋の地名が残っているが.それらしい平坦地は見つからないので.この尾根ではないようだ。 小沢を渡って.古道を進むと565mでNTT管理道路に古道が吸い込まれて消えていた。火の用心の錆びた看板が良い目印。 近くの大木には、年代が新しそうな石祠(山ノ神)と大黒様が安置されており.古くからの道があった証拠だろう。 此処沢沿いの古道を発見!甲仁田山東.北尾根と岩菅山」・・1019.12.08.今回もナナメさんと行く奥武蔵のVRな山旅とあるが. 著者の先を調べるとレッドカードカードに繋がり.先に進めず。礼を述べることはできなかった。改めてありがとうがざいます。 更に南下 「道標22-8横瀬町」・・焼山の縦走路手前.790m圏コブ 焼山林道から県道53号線.「青梅秩父線」のT字分岐点. 武川岳への縦走路と分かれ焼山林道へ一直線にをる。 790m圏コブ東尾根(焼山沢右俣左岸尾根) 尾根を下る750m圏.取り付きから尾根幅広く.尾根末端まで下ると林道のゲートへ。 焼山の頂から繋岩山方面に270m下ると林道と接触し.右俣沿いに迂回してから焼山林道ゲートで再び合わさっている。 尾根末端の林道焼山線ゲート 左俣沿いの黒線と右俣左岸尾根の破線路(登山詳細図.奥武蔵では廃道)が合わさる地点で.ゲートとチェーンで鎖で閉鎖されていた。 芦ノ久保駅から兵ノ沢右岸尾根を経て二子山雌岳 雄岳から焼山手前.790m圏コブ焼山沢右俣の左岸尾根を下り焼山林道ゲート・・地図に記された「ドウシン屋敷」と右俣左岸尾根の変化に富む小尾根 林道起点にでて旧名栗街道に入る手前で迷い.清水沢から川越山北東尾根の600m圏の壁下にでる 川越山に立ち.正丸山.正丸峠=国道の正丸トンネル東詰から西武正丸駅 |