| 赤谷川流域概念図,山行表 上越,魚野川上流流域Top 上越赤谷川流域 .
春の荒れた谷と雪崩の崩壊 磁石を忘れた藪山 騙された下山ルート 小障子ノ頭付近から .無雪期赤谷川源流の斜面 . |
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| 谷川最長の雪渓とそのピソード・・残雪期谷川岳南面.赤谷川本谷下降. s45年(1970年)05月16〜17日.単独 土樽駅から吾作新道を詰め.赤谷川源流より小出俣山周辺をさ迷う―川古温泉 赤谷川 赤谷川本谷はオジカ沢ノ頭を源頭とし上州側南面に広がる流域で.源流は大きく草原が開かれ深い渓谷を築いている。 南下した本谷は川古温泉付近で小出俣川を左岸に入れ込み.末端は後閑地区から利根川に流れ込んでいる。 谷川の頂稜から本谷を望むと逆くL字を見事に描き.源流ののどかさを絶する程の幽谷険悪たるゴルジュを構成している。 残雪はかなり遅くまで臨まれた。 私がこの谷間に興味を惹かれるようになったのはちょうど4年前.6月上旬に平標山から谷川岳へ国境稜線を縦走した時だった。 越後側は鋭く落ちる谷間の先に魚野平地が望められ.それと対称的な上州側は幾重にも連なる峰々を深く縫い複雑極めた渓谷を形成していた。 そして特に赤谷川を埋める残雪の豊さだった。 冬の間,山々を埋め尽くしていた豪雪は今は化石化し汚い雪の塊となっている。山稜を離れ赤谷川本谷の谷底へ。 今でも延々と残雪の絨毯で敷き占められている。この雪渓は更にゴルジュ帯へと導かれている。 残雪豊かな岳を下る |
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![]() マナイタグラより阿弥陀川源流を望む |
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頂稜より下る残雪・・万太郎山と大障子ノ頭を越えて5月16日. 上野20:14= 17日雨. 土樽3:20一4:10分岐一5:20舟底一7:50大障子小屋 吾策新道 赤谷川入渓の最短距離として.あえて万太郎尾根を選び.土樽駅から五策新道を綴っている。 夜明け前.闇山に浮き出だされたランタンの灯りがが足元を照らしている。 雨が降り終えた後の風のざわめきと渓谷の瀬々さぎが.土樽駅での騒がしさをも弾かれ,ひっそりした闇の夜を造っている。 お化けは信じないものの.立木や大岩から発する得体の知れない陰が僕を狙い覆い被さってくる。 1人でいると気が小さいのか? 得体の知れぬ陰が動くとゾ〜とした。 そう云えば単独行は数年振りになる。一昨年の北鎌山行では下山で合流する形を取っていた。 学生2年の時.谷川岳をヴァテーケーに縦走して以来の山行になるのだろうか。 足拍子岳 吾策新道を登り詰めるにつれ.明け方の聡明さが背後に迫り.足拍子の岩峰が姿を微たりと現わし始めていた。 残雪を崩し落とした沢底は残雪がヘバリ付き.樹林を赤茶に染める山肌は.その頭に奇鋭な岩峰を俊立させていた。 残雪期の登頂ルートとして正面を占める沢は雪崩の巣になるのだろう。 南面から見る限り左,荒沢岳に突き上げる沢か.蓬沢を遡りコマノカミノ頭へ右俣に入り込むのが良さそうだ。 ただ後者はツメでよく雪質を見極める必要がある。 万太郎山の主尾根へは残雪のブナ林を真直ぐ登ると舟底と呼ばれる小平地にでる。 そして尾根上を着実に大ベタテノ頭.井戸小屋沢ノ頭とコブを2つ.3つ越せば.次第に樹林の背丈は低くなり灌木に覆われた。 森林限界を過ぎると潅木帯は岩塊群に絡む這松から石楠花の群生地を潜っている。そしてガスの湧く万太郎山に飛びだした。 舞う霧粒は量を増し雨雫の落ちる稜になる。雨が降り出し大障子鞍部へ駆け下りた。 オジカ沢ノ頭と霞む谷川岳念願の赤谷川源流 仙ノ倉山と赤谷川の下流を望む降り立った源流地 ![]() 本谷1460m付近.出始めたクレパス 崩れた谷と藪 |
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| 赤谷川源流 大障子小屋8:50一10:00左岩壁:10一(右へ大きく谷カーブ)一(一回り折れ.左ゴルジュ帯)⇔11:10(戻り上部.100m雪渓上) 源流 雨を忍んで大障子小屋で小休止. 薄暗い小屋はジメジメしていた。煙草を1本吸い.大望の赤谷川本谷へと入り込む。 這松帯の雨滴を露払いし.150mも下ればガスの湧く大雪原にでる。今その源流に立っている。 眼の前を被う源流の駄々広い雪原では雨滴を体中に浴び肌寒い。ただ気持は広大な河原の雪原にでて新たな血をみなぎりだしていた。 源流の雪原に立つことで.この大望の素晴らしい景観に酔い.源流の素晴らしさを一人占めしている。 エアーマットを広げ.日向ぼっこをしようとサブザックには缶ビールさえ詰め込んできた。 それが曇天どころか雨に叩かれ.ガスが舞い上がっている。ガスの包容する雪原に傘を差し立っていた。残念この上もない。 時折.霧影の切れ目から頂稜のコブが浮び上がり.僕は幻想の世界へと吸い込まれだしていた。 源流より望む赤谷山稜
最初のクレパス 雪渓は五万分の一地勢図の(1500)記号の地点で最初のクレパスに出遭っている。 ここは又,万太郎山がどっしり根を降ろし.雪多き南面をも見せ付けていた。左に折れ雪渓を南下する。 次第にクレパスは数を増し一層大きな口を開け.滝口を覗かしていた。僕はクレパスを避け右へ左ヘと選び回り込む。 半ば腐った残雪に靴底の浅い踏み跡を残し.切ったステップから雪屑が大きな口へ落ちて行く。 そこはもうゴーゴーと雪融けに満ちた春の飛翔する谷間の一角を示していた。 ちょっと足を止め覗いては進んで行く。スピッツを搾し雪面に刻みを付けるのもよい。 又.腰を降ろし傘を差しながら.のんびり遠方を眺めのも素敵な景色だった。何しても心の安まる所 残雪多き春の赤谷川本谷が源流にいる僕の周りを包んでいる。 仙ノ倉岳 大きく望める岳戻り上部100m雪渓上一11:30尾根一12:00稜線一14:00鞍部一14:25(コル下降)一14:45(高巻)一15:10本谷出合. ヒナタコマタグラ 枝沢の出合はデブリで埋まり本谷が右へ大きく屈折すると所で.今までにない大きなクレパスが谷底に口を開けていた。 僕は左岸沿いに雪渓を頼りに回り込む。 すると今度は急激に左ヘ折れ.谷巾が狭ばまったと思うと様相を絶するゴルジュ帯に出偶わした。 険悪そのもののゴルジュが雪面を割り.深い谷底を覗かしている。 桁違いの側壁が陰惨な絶壁を双立させ急勾配で落ち込み.谷間は暗峡な廊下を築き始めている。 雪渓はズタズタに切れ.深いクレパスは厚い雪層の底に滝のゴーゴーたる響きを轟かしていた。 本谷核心部. 毛渡の廃道まで行ければと思うが巻くに巻けぬ廊下が僕の足元に投げ掛けられていた。 本谷核心 |
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ドウドウノセンよりエビス大黒 |
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| 大廊下への一歩 偵察を兼ねてと云うよりゴルジュ帯へ一歩たりとも踏み込んでやろうと最初のクレパスを飛び越える。 それも左岸のスラブが迂回として登れる可能性が強いと分かったからだ。 一段低い所に雪棚があり.ザック.ピッケルを縄に掛け足元の大きな雪塊に投げ落とす。その下がドウドウノセンのクレパスだった。 ザックは初めは僕の飛び降りる所へ落ちた。先に落とさねば僕が飛び降りられぬ。 一度.二度と振り子を利用し.三度目にかなり遠方へ落とすことができた。 段違いの雪割れは幅2m.高さ4mもある灘場。そこに達せねば左岸に渡れなかった。 最初にクレパスの縁まで切って置いたスノーカットを利用し.一気に飛び降りる。 下流を覗くに希望は絶望的だった。ただ圧倒する轟音の凄みだけが耳に伝わっくる。1人.ザイル1本では如何することも出来ない場所だった。 雪に磨かれた両岩壁にフランクフルトは切れズタズタのクレパス。深い沢底は雪被り見定められず.深いゴルジュ帯は埋め尽きされている。 絶壁の向こう側を見上げるとエビス大黒の頂稜が高々と山の偉容な姿を誇り聳えている。 核心.高巻き図 ![]() |
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| ヒナタコマタグラ , イクラボ沢下降時の大高巻き図メモ . , |
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| 大高巻き.そのT 左岸草付きのスラブは思いのほか悪い。 戻ろうと巻くに逆層の上.つるつるのスラブでホールドは得られなかった。 その上,雨は一時も休もうとはしなかった。雪渓から離れ最初は左の岩盤に足場を取る。 それでも上がハング気味なので両足を揃えることができず,左側の何処かに支えを頼らなければならない。 持ち堪えられず.支えていた手が震えだしている。 一度雪渓まで戻り.一気に全身のプッシュを利用して10m左上の藪に身を託した。 身を振う決心には度胸がいた。気を休め一気に攀じ登る。 藪漕ぎで左岸の側壁を高巻き.ゴルジュの入口から1628m峰の枝尾根に入り込む。 ここから大ゴルジュ帯を避け.南へ小出俣山から南南東に落ち込む尾根を経て.小出俣川に入り込もうという, 積雪期の藪山ではの大胆不敵な考えが頭に閃いていた。 ゴルジュの入口.本谷曲流部左岸枝沢の雪渓を最後まで詰めて藪絡みへと飛び込む。 ゴルジュで一時間費やし.迂回し始めたのが11時. 猛烈なブッシュに枝木はムチとなり鎖となって.僕の突進に構えている。 数分が十数分にも思え.体力も落ち気味. 枝尾根に立ち,ただひたすらに藪を上へ上へと漕ぎ喘ぐ。 一服 残雪の塊を2つ横切って稜線へ通じる雪面にでる。 稜線まで幾らか疎らな潅木. そして1628m峰とその南峰の鞍部にでる。 ガスに視野を閉ざされ.冷雨が体を冷やし始めていた。 傘を差し一服した。もう藪露と雨に叩かれ.体中がびっしょ濡れている。 僕はここを1720mと小出俣山(オイズマタ.赤谷岳)との鞍部と勘違いし.漸くゆっくり腰を降ろしたところだった。 小出俣山東面 ・・s48年秋,内海君と小出俣沢右俣遡行の折.頂稜から望む小出俣山よりマトイタダラ右奥.谷川岳 |
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| 藪漕ぎU ありったけのビスを上着のポケットに詰め.チョコをニッカの右ポケットに入れ.最後のファイトとばかり立ち上がる。 明け方からの登りで足がつるのを騙し々ここまで来たが.自分ながらこのファイトには感心する力量だった。 吊り始めそうになると宥めるよう撫ぜ足を庇い行動した。 一番困るのは藪の中で吊り始めることだった。余計な負担が足を吊るよう注る。 それでも一人旅の故.ゆっくりながら大きな障害を起こさぬ良さがまだ残されていた。 現地点を見失う 南峰の藪を避け左へ雪上を巻き込む内,視野が全く失われた。灰色のガスは昼間だと云うのに周りをすっぽり暗く埋め尽くしていた。 見詰めるべき目標を失い.僕は南峰の東に延びる小さな枝尾根を.小出俣山の東へ延びる尾根と.まるっきり思い込んでいる。 枝尾根をちょっと下ってガスの薄らぐのを待つ。南の谷を覗むと顕著な尾根がない。 ただ沢は左に大きくカーブを描きながら落ち込んでいた。 小出俣山より万太郎岳と小障子忘れた磁石 それは本谷に通じる沢としか僕には思えない。現地点を失った。 それに加え磁石を忘れてきた。気侭山行は常と云う程,忘れものがある。今回は磁石を忘れてきた。 方向も分からず地形さえ呑み込めないでいた。 時刻は13時を回ろうとしている。雪の吹き溜まりと雪庇から東南だあることは間違いない。 対面には幻のような山容が霧中に浮び上がってきた。 藪と濃霧の交差が頭を錯乱させ地形を見失った。本谷と思われるこの沢を鞍部へ遡り1710m峰に向かう。 疎らな潅木で少しばかり捗ったと思うと再び潅木の藪になる。強引にブッシュを引き裂き.上へ上へと登り詰める。 この1710m峰は頂上に近ずくにつれ藪の背丈は低くなり.這松や石楠花に周りは被われ包まれていた。 嬉しいことに頂で古いハイライトの空箱を見付ける。人が登っていた証拠だった。 それでは切り込みぐらいあるかと探し回る。獣道らしいが南南西へと頂稜を縫っていたが途中で見失しなった。 迷い 視界が幾らか切れ掛かってきた。左手台形のような頂を持つ山(阿能川岳?)は東側の山に間違いはない。 僕はここで右手.小出俣沢に出ると思い枝尾根を探す。 しかし枝尾根は僕の思考を絶する程の鋸状の鎌尾根を築き谷へ落ち込んでいた。 再び現地点不明の不安が募りだしている。14時.沢の下降を決意する。 エビス大黒ノ頭 藪の中.ガスの切れた国境山稜決意.イラクボ沢下降 今となっては高度を幾らかだけでも落とすこと. そして障害にぶち立ったら.その地点から迂回を考えることが大事だと思われた。 頂稜を堂々巡りしているより.南西に向かって沢が降りていることだけでも分かった今,下ることが大切だった。 最悪の場合ビバークすればよい。明日.登り返そう。上手く行けば今日中.否や夜行で職場に戻れよう。 残雪と人触れぬ谷 一歩一歩ピッケルで確保し雪壁の雪渓上部から上二俣にでる。 春の汚い残雪をカカトで蹴り.腐り掛けた雪質をフルに利用しボンボン下る。この雪の下には険悪たるゴルジュがある。 イラクボ沢の中半は岩峰.岩壁.残雪と短いながら岩と雪だけの峻険壮大な様相をこらしている。 春の陰惨な谷に霧が低徊し.山に凄みを造っている。春にしか分からぬ,知らざる谷があった。 この時期.大滝右岸を高巻いた以外は殆ど出合まで雪渓を頼りに降りることができた。 大滝は左岸の浅い逆層でホールドが得られそうもない。右岸の枝草を頼りスラブを巻き込むよう岩コブを登りながら巻き込む。 出合に出たのが15時.正味1時間でこの沢を下ってしまったことになる。 資料 HP「すうじい」氏より本谷出合(小出俣沢左俣)一15:25林道,小屋一17:15川古温泉18:35.タ=相股19:00バス=19:45後閑21:14 =21:54新前橋22:00=大宮=上野. 最後まで騙される 本谷との出合.僕はまだ小出俣沢右俣だと思っている。 右岸に渡渉し径を求めるが大きな沢(金山沢笹穴沢)が入り込んでいる不可解な場所だった。 小径を探している内に対岸に白い道標を見出した。 川古温泉? この赤谷沢左岸沿いに延々と続く林道(赤谷川林道)を下るも枝沢.窪地.起伏と地形が呑むみ込めず。 可笑しい可笑しいと思いながら.はっきり馬鹿されたと知ったのは「川古温泉」の古い小さな道標のような看板を見てからである。 僕の予定した林道には川古温泉は無いはずだっだ。もう歩む林道は真暗闇になっている。 川古の宿でタクシーをお願いし.赤谷湖東岸のバス停.相股へでる。 |
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