剣岳Top 剱岳の三角点 黒四ダムの波紋 立山黒部アルペンルート利用経緯                                .

裏剣岳早月尾根から長次郎谷

長次郎雪渓で2年生滑落

滑落とスローモションになる脳
一瞬が走馬灯のように流れ.最後の最後にピッケルが
闇夜の撤収.黒部川下廊下断念


     
 朝の陽をを浴びる伊折の集落より早月尾根                                         .
       静かな初夏の剣岳早月尾根. s44年(1969年)07月02〜06日
            L松村進(43卒)sL山田雅一(4)m見城寿雄(41卒)松本雅夫.中沢康.飯田哲夫(2)

      裏剣岳
   見城先輩の希望を含め剣岳へ。最初の計画では私と現役の山田君と3人で池ノ谷から北方稜線を越える積りでいた。
     先月20日過ぎに奥秩父小常木谷を遡行し.トレーニングを勧めていた。

   それが
学内闘争で部活動は全て中止され.RHCの秋合宿が中止. 現役の山への参加希望が多く.剣岳池ノ谷山行を諦め変更する。
     改めて入山は裏剣に望むべく馬場島から早月尾根を経て欅平まで下る下廊下の下降を企画する。

   ただ長次郎雪渓で滑落事故を起こし.それでも予定どうり2日目は熊岩に天張ったが.集中豪雨の予報をキャッチし
     シュラフを抜け出し夜半真砂沢出合に逃げている。それ故黒部川下廊下も断念.黒四ダムから直接下山する。

       馬場島―剣岳早月尾根―長次郎谷雪渓―真砂沢出合―内蔵助平―御前沢出合―黒四ダム

     7月02日.上野=
       3日.富山=上市=伊折=馬場島一早月尾根2400m地点c
       4日.c1一剣岳長次郎雪渓熊岩
          仮c2一剣沢真砂沢出合c
       5日.c2一内蔵助平一黒部川御前沢出合.棟上げ御前小屋c
       6日.c3一黒四ダム=信濃大町=新宿

      7月02日曇. 上野20:40=
        3日快晴. 5:09冨山.富山地方鉄道5:35=5:55上市.富山地方鉄道バス7:30=8:35伊折9:15バス
              =9:40馬場島9:55
      伊折部落
   始発の上市経由宇奈月行列車に乗ったにも関わらず.乗合バスは上市を8時半に出るとのこと。
     それ故最奥の部落.伊折まで足を伸ばし.馬場島行バスを待つことにした。

   降りた伊折のバス停前は朝方から強い陽射しを浴びていた。高みに神社がある。
     木陰を求め鳥居を潜った石階段でゴロゴロ横になり.馬場島行の乗り換えバスを待っている。

   でっかい図体の男どもが社殿への参道を塞ぎ.通う人が居ても奥へは入れなかっただろう。
     幸いか.それらしき人が通らなかったから良かったようなものである。

   伊折の停留所から望む裏剣岳は想像通り豪剣そのもの岳を現わしている。
     大窓.小窓.三ノ窓と遥か彼方の剣岳に異国の岳を連想させ.山稜は大きく鋸状を描き参道から眺められている。
     又.この眺望を煽るよう萱葺き屋根の家屋が谷合いに溶け込み.奥深い伊折の里を漂わしていた。

    至ブナグラ谷から大猫山.猫又山                       
   .     剣岳早月尾根概念図                                  
馬場島bc1は2013年08月.ブナグラ谷を諦め大猫山へ

  最近の馬場島ウォッ地図

  剣岳東面の尾根と谷概念.地形図


早月尾根2400m地点c1

剣岳長次郎雪渓熊岩,仮c2→剣沢真砂沢出合c2
  剣岳東面地形図 

内蔵助平より黒部川御前沢出合c3
  内蔵ノ助平周辺概念図.山行表



   黒部川流域概念図



    馬場島―2400m地点c1
      9:40馬場島9:55一10:50松尾平上11:05一12:00(1200m)一13:30(1800m):40一14:48早月避難小屋15:15
      一16:20(2400m)一16:35(早月尾根2400m地点)c1

2000m付近より赤谷山   ,
 
         2200m付近より剣本峰
      馬場島より
   ゾロメキ(白萩)発電所を右手に望むとその裏が馬場島になる。
     室堂乗越に発する立山川と剣岳北方稜線に発した白萩川がここ馬場島で合流し早月川と名を変え日本海に流れ込む。
     早月尾根はここを尻留めとし.顎の出るような2200mの高度差で長大な尾根を一気に剣本峰へと突き上げていた。

   尾根末端の第1歩は濛々とした樹海の蒸す暑さから始まり,風もなく真夏の陽射しが照り付けていた。
     径は迷うことない.確りした踏み跡が1本の尾根筋として約6kの早月尾根を綴り.一歩一歩に高度感がうかがえる。

   松尾平を越し一本目.立山川は右手を急なガレを落し.高度800m程で.もう谷間は残雪で埋め尽くされている。
     蒸す暑さの中.快いそよ風が時たま流れていた。


            東大谷と剣御前.大日岳

                                立山川源流2400m手前早月尾根から剣御前.右奥大日岳.鞍部室堂乗越         
       早月尾根
   早月尾根はここのみならず池ノ谷側の方が立山川側より穏やかな傾斜を持ち落ちていた。
     再び視界の利かぬブナの樹林帯を潜り歩む。
     そして尾根が松林に掛かる頃.左の白萩川側を絡む樹木の背丈も低くなり.眺望は樹間を透し望めるようになった。

   ペースは良い。高度を上げるにつれ.視界は開け赤岩山の雄大な両肩が映し出され.毛勝三山の眺望も得られるようなる。
     潅木が目立ち始めコマクサなどの高山植物も徐々に足元に現われだす。

   早月尾根は最近かなり整備されているが交通の不便と急勾配の登りが登山者を拒んでいる。
     落葉が被っていると思えば倒木もあり.又巨木の根が雨水の力や踏み崩しが自然の径として築かれている。

   尾根の径はまだまだ踏み跡と自然との競合芸術のようにも思えた。
     白樺林から岳樺の原生林へ高度を上げる尾根,それぞれの枝々は大空に一杯に絡むよう伸ばしてもいる。


    赤岩山と小窓尾根
   追分小屋.2100mより

   高度2100m.早月避難小屋付近からは芽の膨らみが夏草と共に芽生え煩さをも始めてもいる。
     蒼空と剣岳の荒々しい頂稜を境に残雪が悠然と雪白き台地に広がり.若葉は清々しい色彩と香りをもたらしている。

   夜行疲れがメンバーに出てきたようだ。
     傾斜は緩んだとは云え.ゆっくりしたペースで着実に100m.200mと高度を稼いでゆく。


      Cs2400m地点.
    

                                  c1より小窓尾根(赤谷山.毛勝.白萩山.赤禿.白禿)と剣尾根
   2400m地点.剣尾根を背に夕日のキャンプ

      泊り場
   2100m地点.今日の憩いの場にでる。馬場島から一挙に1650m詰めたことになる。
     立山川の突き上げた大日連峰には大きく残雪がへばり付き.左手には剛健な剣岳北面の峰々が胸壁を築き深く構えている。
     正面に当たる西陽の照り付ける峰々は岩壁の溝までも丁に些細な立体感を持たせ映し出されていた。

   ここから望む小窓尾根は眼下に見下ろせる所になり.その下に横たわる池ノ谷の汚れた残雪が上方に突き上げていた。
     登る筈だった池ノ谷や剣尾根末端から右俣側に掛けての全容がよく望められる。
     以外に登り易そうな池ノ谷.このメンバーでも楽に登れそうだ。石室も今の時期必要はなくなっている。

   小窓.大窓は望めぬがその奥に池ノ平山.白禿.赤禿から一旦稜線を落とし.森谷山の威容な藪.更に手勝の山々が眺められている。
     どの山肌も赤々く夕日に燃えている。洛陽が近ずき日が薄らぎ闇がはび込みだすと.黄昏も早く過ぎ帳を迎えるようなる。
     時の流れもなく真っ暗闇になる。そして満点の星空が訪れるのだろう。

     明日は高度2600mで森林限界を越え頂から熊岩に天張る予定。


    2400m地点c―長次郎ノコル
      7月04日曇後雨・・2400m地点c1. 5:40一7:00(2700m):15一8:25(2900m):45一9:50剣岳10:30一11:10長次郎ノコル

  2600m峰付近より剣岳西面.左は長次郎ノ窓
   松本.見城先輩.中沢.飯田.山田
2600m峰を過ぎ.左.池ノ谷雪渓      ,

剣岳東面を望む      ,

尾根の詰め三ノ窓.後景は鹿島槍ヶ岳     ,
      頂稜
   昨夜.万里の天の川を仰いだ為か.思ったより天気は持ちそうだった。
     早速.ウグイスの鳴き声に釣られるよう出発する。ここはもう残雪に覆われ.身近に何処手の届く範囲にある。

   漸く残雪の岳らしくなった。
     池ノ谷の最奥には大きな岩壁が塞ぐよう被い.その間を鋭い溝のような右俣が.長次郎ノ窓まで続いている。
     裏側から見る岩山の御殿. 岳々の前衛として連なる屏風の岩壁も.恐ろしいほど垂直な壁で構えている。

   今日2本目で高度2600mを越す。視野は東大谷まで広がった。左尾根.三本槍の顕著な岩峰が最後の砦として構えている。
     昨日の夜行疲れも取れ.足取りも軽く幾つも頂稜のコブを越し.仲間達は岳々の荘厳さを味わい始めていた。

     剣頂稜
   中央のカールが剣沢源流になる
     カニノハサミへ.剣山尾根を越え立山三山.浄土を望む.

   ラストの登り

  
剣の頂稜

   窪地の両岩壁を窓に赤い屋根が目に入る。平蔵の避難小屋.その下に岩峰群と残雪が長い起伏と共に臨まれた。
     僕等はその雪渓.長次郎谷の左俣に入り込む。

      立山の眺望
   目を右に向ければ別山尾根は立山三山へと繋がれ.眺望は更に立山を越えた五色原の彼方まで延びている。
     一昨年の夏合宿.立山温泉から入り立山三山を越え.内蔵ノ助平から後立に渡っている。
     その折一年生の耳に虫が入るアクシデントが起こり.耳痛を訴え三山を抜けるのに4日を費やしていた。

   浄土のコルで幕営していた。短い距離だが転落による食料紛失もあり.苦労させられた山越えだった。
     その岳々が豊かな残雪を抱き.眺めていても飽きのこない岳を横たわらしている。

         剣岳山頂
                       自動で撮る剣岳山頂.全員
                                立山と浄土岳.間が五色平
   最後のツメ.脆い岩稜を終わると剣岳山頂に飛びだした。
     汗で体が濡れ肌寒い.早速コンロを点ける。ツエルトに暖かみが篭もり湯は体を芯から温めている。

   今回の目的の1つである裏剣岳. その里に入り高度差と剣岳しか登れぬ裾野を越えてきた。
     頂に立ち曇天の頂でも私には安らぎと安堵に満ちている。これから下る雪渓も懐かしく.心は弾んでいた。
     後半は仙人池から欅平にでて.宇奈月にでる積りでいる。

      遥かなる眺望
   視界は曇天であるのも関わらず.恵まれた眺めは見渡す限り望められた。
     手前.立山連峰から南方に目を向けるなら.遥かなる遠く笠ケ岳への尾根が槍.穂高連峰へと続く。
     目を更に戻すと燕岳から後立山連峰が延び.昨年秋縦走した白馬岳から蓮華岳への峰々が黒部川を隔てて眺められている。

   霞む灰色の岳が墨絵のよう望め.鹿島岳.五龍岳と綴り.白馬岳から先に延びる朝日の峰々へと綴られていた。
     海岸線を通し能登らしき影が見定められていた。白味を薄く帯び富山湾に突き出した岬.能登半島も朧に見える。

      ホアイトプリンセス
   周りは少し薄暗くなる。南方を見るに延々と延びた梅雨前線が.ちょっとの間に随分北上した。
     もう悠著していられない。白く湧き出したガスも黒ずみ.見えていた槍の穂先はもう雲堤に呑み込まれて隠れていた。
     眼前まで雨雲の黒い堤が押し上げられてきた。

     今先輩達OBアカレンガのメンバーの富山.新津.中山各先輩がRHC創立10周年記念行事として.アラスカの処女峰ホアイトプリンセスに挑んでいる。
   先月東京を発ち.今は登攀のため荷揚げの真っ最中だろう。その後.ホアイトプリンセスにアタックする。

     目に見えぬアラスカの岳.ホアイトプリンセスの方角を望み.「ガンバレ節」をガナり頂を跡にした。
   アカレンガの会員は富山.新津.中山.田中と在京は田中.根岸先輩と同期田沼に私。


       長次郎ノコル―熊岩.仮c2
         11:10長次郎ノコル11:25一12:25小:40一14:00熊岩上部:20一14:32二股.仮c2

       乗越より長次郎谷を覗く
      五龍岳.鹿島槍ケ岳.爺ケ岳



              
  長次郎のコルと熊岩         .
              .
  長次郎雪渓全容        
      
長次郎雪渓左俣下降                                                       
  
     長次郎雪渓最上部.仰ぐ八ッ峰                     長次郎ノ窓からグリセード      .

      長次郎雪渓・・滑落事故
   長次郎ノコルより雪渓に入る。ここで私自身反省すべきことが起きた。
     長次郎雪渓には3年前に真砂沢ロッジにbcを設け.道中を含め10日間掛けて剣岳東面の尾根と谷を登っている。

   その中心に長次郎谷がある。何度も登り下りしクレパスやフランクフルトの場所なり.雪渓斜面の状況は把握していた筈だった。
     そして今回はザイルの使用を前提に計画を立てていた。

   ザイル確保による下降を念頭に入れていたが2年生のファイトで最とも急と思われるツメの斜面を20m程独自で降ろしてみた。
     それが上手くいき距離を短くして下らせた。過失は下降以前に雪に慣れぬ重荷にあった。


    八ッ峰と後立鹿島槍ヶ岳
   滑落,ストップ地点から右肩は布引山

      一瞬の転落
   雪径最上部から100mほど降りた地点で飯田君が転落する。
     私は彼を確保する為.20m程下で態勢を取り見守っていた。
     まず二年生中沢君が降り上手くいく。この分だと11時前に熊岩にテントが張れるぞと頭に閃く。

      折れたピッケル
   その直後飯田君が転倒. 確保した私のピッケルは真中からシャフトが折れ,私も飛ばされた。
     折れたと言うより転倒の反動で無意識のうち.彼に飛びついていた。

   彼は一瞬.停まりかけたと思われたが私が見た時.再び一緒に落ち始めている。
     キスを背負った間々彼に自然と飛び付き.早く停めねばと気は焦っていた。見る々スピードがでる。

   ピッケルが折れシャフトは弾けるよう飛び.反動で私も飛ばされたのは覚えている。
     ただ彼に飛び付いた瞬間は覚えていない。倒れ起き上がる前に,上から被さるよう飛び付いていた。
     見た目では一瞬.停まったような現象だが.体が反射的に飛び付いていた。

   重なった一瞬は斜め下に被さりスピードは落ちた気がする。ただスピードは直ぐ増しだした。
     私の頭が真っ直ぐ谷へ落ちて行く。頭の前には彼の足が雪面を叩き.舞い上がる雪粒で視界を閉ざしていた。
     スピードは二人の体重とザックの重みで物凄い勢いで加速した。

   私は「足を上げろ!」「足を上げろ!」と繰り返し2.3度言ったと思う。
     後から思えば彼は判らなかったと思う。判かっても焦り道理に行く筈はなかった。

   その間々,私の探る動作が彼の体を半回転させている。
     彼の頭が下を向き.私はがっちり彼の体を被い.手が雪面と摩擦するのを感じた。



  回収したシモンスーパーD    ,
      スローモションになる脳
   それを感ずるや.自分でも驚く程の冷静さを取り戻していた。
 
      焦り
   冷静さを取り戻すと同時に熊岩直下に目が向く。あそこまで落ちてしまえば終わりだ。
     クレパスがある。はっきり判かる。あの前で停めねばと。スピードが出れば2人とも駄目になる。何とかせねば。

   落ちながら気は焦っていたようだ。スピードは加速を付けている。何とかしろと。
     彼を抱くよう落ちた私の手は.その間々彼の下で雪面に挟まれ落ちていた。
     ただ自分の手が何処にあるか意識はまるきりなかった。

   見る見る熊岩に近ずくのが判かる。加速は増している。如何にかせねば。
     駄目だ駄目だ。早くと思うも.判からぬ時が過ぎる。焦りは沸騰するが如く増していた。ただ落ちて行く。

      指先
   判からぬ雪粒が舞い上がり顔を打つ.シャワーのように前が閉ざされていた。落ちた勢いが彼の足を踊られ雪面を叩いていた。
     2人ともバラバラになりクレパスに落ちると思う。終わりが近ずいている。

   その時.指の感触が彼の下.雪面との間にあるのが初めて判かった。止めねばと心が動く。
     左手からまず指を雪面に突き立てた。雪面に溝を築くように。

   落ちること.数10m? 彼の体の下に手があることが判かる。
     理屈や道理ではない。当たり前のことが一瞬故.判からないでいた。

   落ちる恐怖と彼を救らなねればと思うのみだった。指を立てる。深く雪面に。
     指先の雪面を掘る痛みの感覚は全く感じられなかった。ただ指先に掛かる強い引きのみ感じていた。
     意識は痛さより.先への不安が超越していたように思えた。

   すると摩擦の為か.加速が気持止まったようだった。まだ気持の問題であったが心は弾んだ。
     天が我々を救ったと思う。私の手が彼の下にあり,止められると指を更に立てた。
     刺した指に痛さが加わり溝を築いて行く。

   二人の体重が手に掛かり,手から指先への感触はもう痛さから麻痺を生んでいる。
     そして指が雪を削る感触が続く。確かに幾らかずつスピードは落ちている。
     だが止る気も.止めて止まらぬスピードに.焦り気は再び絡み出していた。


   再び落ちる中.如何にかしろと再び頭は動く。どうすることもできない。もう今以上に焦ることはなくなった。
     ただ諦めか.変に違った余裕が湧きだした。

   すると指先が溝を掘り続けながら.落ちながら視点が変わり.周りを素直に見る余裕が現れた。
     不思議なことに彼はピッケルを持っていた。

      ピッケル
   彼はピッケルを寝かした間々握っているではないか。右手が自然とブレードに伸びる。
     そして二人の体重が上手く効いてくる。

   キスを背負い被さった彼の体の下にピッケルが入いる。それを死にもの狂いで強引にブレードを立て.彼の上に被さった。
     まだ踏ん張る力は残っていた。歯を食い縛る腕力と二人の体重がピックを深く動かし.溝をさらに深くした。
     加速が落ちた。そして除々にスピードが落ち.漸く約400m滑落し熊岩への1/4程で停止した。

   彼が私の指図どうり転倒してもピッケルを手から離さなかったことが,無事停めることができた唯一の決め手だろう。
     離していればバンドで繋がれたピッケルは更に跳ね回り.危険この上なかったと思われる。

   彼は驚く程に無傷だった。私は両手に少々の傷がある。
     良く見ると左手には豆粒程の血豆が5.6ヶ所あった。

      脳
   転落して一瞬の間に.知らずして頭は回転していた。まるでスローモーションになり第三者として見ているように。
     細かく物事が見える。凄いスピードが何秒の一瞬を頭はゆっくり動かしていた。
     実際は6.7秒かも知れないが.頭は次元の違うスピードで走っていた。

   飯田君は無事だった。自分も救われた気持ちが穏やかな安らぎに浸されていた。
     止まった一瞬は無心に思えた。天を仰ぎ.仲間の声が聞こえ「大丈夫だ!}と手を振り答える。

      恐怖心
   ひと段落して残りの者をツルベ式にザイルを結び降し.全員揃ったところで小休止した。
     八ッ峰に浮かぶ鹿島槍が印象的だった。私自信.このアクシデントで一番心の落ち付いた一時だった。案とに変わっている。

   下の雪渓は今までと比べ緩やかで楽であるが恐怖心や疲労を考え.十二分に慎重な行動を取る。
     後輩達に気を落ち着かせ.私は山田とザイル40m一杯に何回も固定し.熊ノ岩に下ろさせた。
     ・・・
鹿島槍ケ岳南峰からの剣岳

熊岩,仮幕営地                        .
                八ッ峰上半と長次郎谷左俣
      熊岩,仮Cs
   小雨は今にも本降りになりそうだ。早速Csを熊岩上に設営し全員がテント内に落ち着く。
     ローソクに火も点り2年生は水を造る為に雪を溶かし.暇な者は天幕内を整理している。

   今日,一日のアクシデントも炊事に精を出し.コンロを囲んでいると皆に落ち着き元に戻ってきた。
     笑い顔が現れた。冗談に飯田君も答え出している。否や反論しているようだ。
     山行の峠も越し皆が笑っている。久し振りの雪上幕営で破邪いでもいる。16時



     熊岩
,仮c2―真砂沢出合c2
    .    ,
長次郎雪渓.熊ノ岩幕営地
 右.八ツ峰上半と左.右股           ,
     熊岩.食後のテント撤収
       14:32熊岩二股仮c2. 17:40―19:00剣沢真砂沢出合c2
      消灯
   テントで日記を付けながら明日の行動を考えていた。
     ペンを走らしている時.北陸放送17時.天気予報が耳に入る。

   低気圧の影響で九州から中国地方は雨.その前線が北上し北陸を被うとのこと,
     そして今日夜半.富山地方では平野部で20〜30mm.山間部100mm前後の豪雨に見舞われる。
     実際.剣岳で我々は前線の接近を見てきた。そして表日本は梅雨明けとなる。

   皆,かなりの疲労が目に見えているがより安全な所へシュラフを飛び出し撤収させた。
     ヘッドライトを頼りにグリで下る。雨の中.硬く凍ったスノーカップの雪渓を綴り真砂沢出合に向う。

   2年生には酷な行動となる。滑落の恐怖を越え.ほっとしたものの寝床を叩かれ,雨の撤収と。
     これから闇夜の設営も待っている。

     s41年08月.剣岳真砂沢出合Bc


    真砂沢出合―御前沢c3
    長次郎谷出合

         7月05日雨. 真砂沢出合c―内蔵ノ助平―黒部川御前沢出合c
      真砂沢Cs  
   明け方.集中豪雨はピークに達し連日の行動で体力の消耗が激しく.黒部下廊下を断念する。
     起床を8時と遅らせた。

   起床が8時だと出発は10時になる。これから仙人池に向うには少し遅過ぎる。
     内蔵ノ助平経由でダム下に幕営し.翌日ゆっくり下山することにした。
     雨降る中.全員がポンチョを被り.ハシゴ谷乗越を越える。


              乗越より最後の剣岳
八ッ峰マイナーピーク.1988.08                      .
     真砂沢出合c2. 10:10一11:20枝沢:40一12:35ハシゴ谷乗越13:00一14:00内蔵助平:25一15:15内蔵ノ助谷出合
     一15:50御前沢出合c3.

      ハシゴ谷乗越
   10時10分.真砂沢を出発,正規ルートに従いハシゴ乗越まで左岸沿いに行くが.対岸に渡るべくスノーブリッジが脆い。
     空身で漸く渡れる程度だった。ザイル使用も考えたが雪渓末端まで戻り右岸へ移動させている。

   初めはハシゴ谷出合まで行き剣沢を下る積りだったが.真砂から直接向かうコースを見付け枝沢へ入る。
     小雨に冴える若葉が美しい。若葉溢れる色彩が私の周りを被っている。この快感は疲労回復剤にもなっていた。
     7月に入ったと云うのに涼しく.盛夏のような汗を垂らし.むんむんする登行はなかった。

      剣の頂稜
   喉を潤し尾根にでる。階段状の歩き難い径だ。バックの右後方に剣岳が現れる。
     深いガスを抜いリッジが現れ八ッ峰らしくなる。手前の壁はマイナーピークだろう。偉く高く聳え立っている。
     その隣の源次郎尾根も,前剣東尾根も.雪渓に埋まるよう聳える構図だった。懐かしい風景を一瞬見ている。

   剣の頂を見留めるや否や.乳白色のガスに包まれた。灰色の世界に聳え立つ峰々をも消していた。
     もうガスだけで剣岳の存在すら分からなくなる。リッジや雪渓は壁のようでだった。鋭い岳だ。


    御前沢出合へ
   内蔵助雪渓末端

      内蔵助平
   乗越は十字に切っていた。その間々真直ぐ進めば黒部別山にでる。
     左.北側への径は今朝登り詰めようとしたハシゴ谷出合よりの古典コース。そして南は内蔵ノ助平にでる。その径を選ぶ。

   内蔵助平は時々陽が差し込み明るいカール。霧が又.そのを浮き出していた。
     駆け足気味に小径をドンドン下れば内蔵助の濁流に突き当たる。

       濁流
   丸木橋の渡りはトップが渡るまで.皆.内心転落を恐れていた。
     針金と丸太のがっしりした手製の橋であるが.濡れて滑り手掛かりのない裸丸太。

   1人りずつ丁寧に渡る。川幅は狭いが跨ぐ足元には凄い濁流が渦を巻き轟音と共に落ちる勢いで流れている。
     見るも恐ろしい。支える手は丸太を抱くよう時間を掛け.ゆっくりゆっくり渡った。

   対岸で一本取る。
     ほっとした安堵に.朝沸かしてきた紅茶を飲む。ホドホドに冷え美味かった。

      濁流
   内蔵助谷の激流を追うよう右岸の径を歩み.黒部川下廊下に入る。
     出合近く,沢幅もグンと広がり勢いは更に強く.鉄砲水の流れの如く大岩や倒木を巻き込み.桁違いの濁流となり押し寄せていた。

   轟音を響かせ唸る沢
     梅雨期.最後の集中豪雨.初めて見る土石流の圧巻が近ずけぬ凄まじさで渦を巻き襲ってくる。

   沢幅を冥一杯に塞ぐ濁流は両岸を削り.地響きを轟かしている。風圧が耳中まで入り込み,その勢いは壁でも崩してまいそうな勢いだ。
     驚異と恐怖を抱かせる自然の営みに.僕は鳥肌を立て唖然と見詰めていた。

   内蔵助谷出合.もうダムサイトも近い。
     黒部川下廊下.径端で野イチゴを見付けた。可愛い小さな実.見ている内に口へ運んでいた。
     甘酸っぱい香りが口の中に膨らみ後に少し渋みが残る。


       黒部川下廊下
      御前沢小屋
   雨宿に使った御前沢小屋.隣の新築中の小屋が今日の泊り場となる。
     まだ柱と屋根だけの棟上げが済んだばかりの薄くらい小屋にテントを張りローソクを灯す。
     雨雫の跳ね上がりを避け壁のない小屋中央の床に天張った。雨雫の音を聞きながら最適の幕営地になる。

   濡れた衣類や靴下が新築中の柱.脇板に展示店のよう並べられ掛けられた。
     あっちこっちに掛かるも寒い乾燥室のようだった。壁もなく気休めに干し物が飾られている。

      風呂
   諦めた下廊下と違い.もうここから30分も登ればダムサイド.トロリーバスが待っている。
     張り切っていた気が緩む思いで,関電の小屋番の甘えを受け体の汗をを流させて頂いた。
     気持良い一言に尽きた。湯殿のガラス窓に激しく雨が打ち.外は荒れている。僕等は外も気にせず.湯船に潜り込む。

   この小屋は関西電力が経営しているとここと。温泉ではないが電力源はふんだんにあるせいか溢れるよう湯がドンドンでる。
     アルプスの真中.黒部の懐で風呂の大きな湯殿に浸かる。今晩はコンロを囲い食糧を空にしよう。
     予備と下廊下を綴る分の食糧がそのまま残されていた。

   
2007年07月.立山黒部アルペンルートを妻と横断し黒四ダムを訪れている。
     その折.御前沢小屋は現在登山者に開放されていず.所員が事業用に使用していると聞く。

   又下廊下から直接ダムサイトへ上がれた抗内の道は閉鎖されていた。現在ダム下で右岸に渡り.下展望台を経てダムでる。
     1967年08月
.夏合宿でダム坑内に迷い込んでしまったが.もう迷う登山者は居ないだろう。

     御前沢c―黒四ダム
    , 黒四ダム
    7月06日小雨後晴. 御前沢cs―黒四ダム
       御前沢c3. 8:40一9:50黒四ダム11:03,関西電力
       =11:19扇沢11:30.松本電鉄(北アルプス交通)=12:05信濃大町14:07=14:58松本15:10=19:44新宿.

   夜半の雷雨も止み全コースを終え黒四ダムにでる。ダムサイドでの乞食姿は如何なるものか?
     何と云われても山を降りて来た者にとって.満足感と開放感に溢れ.変に小細工する方が反って可笑しかった。

   ダムサイトで善哉を食べた。山で最後に口へ入れたもので美味い。
     今日中に東京へ戻れるだろう。                  s42.08夏合宿で迷い込んだ黒四ダム坑内

      今回の山行
   最初の計画では剣岳池ノ谷左俣にあった。その為.残雪を考え梅雨期を選んだ。
     更に見城さん.山田と共に奥秩父小常木谷でザイル使用によるトレーニングを行っている。

   しかし出発間際.白萩川の石室が現在ないことを知る。そして天候不順が続いていた。
     又見城さんは会社の関係で日程を動かすことが出来ず.コース変更するしかなかった。

   入山.前々日の会合で二年飯田君の参加希望から早月尾根を選ぶ。
     コースは裏剣から頂を踏み.長次郎雪渓から下廊下を経て阿曽原で露天風呂に漬かる計画を立て直していた。

   また出発前日には更に二年生2名の参加希望があり.急の参加に現役を連れて行くのに悠著した。
     ただ学内紛争・合宿の延期と執行部の悩みを含め.急遽6名で実行することになる。

   山行中誰一人.擦れ違うクライマークライマーにも会わず.御前沢小屋の小屋番だけだった。
     ダムに立ち観光客の群のなかに入る。


      早月尾根より剣.長次郎谷(山日記)

   数日前から.九州地方は集中豪雨に見舞われ.天候の状態は梅雨明け間近の為か.あまり良くない。
     しかし.大陸の移動性高気圧に押されて.前線が南下の傾向を見せ.我々はこの一時期をの好天を予想して出発。

   7月5日. 早月尾根は最初から急登で.久し振りのキスは肩にくい込み.きつい。松尾平で一息ついて.再び急登の連続である。
           おかげで高度はグングン稼げ.右手の大日の山波がいつの間には肩を並べる。

         左手は池ノ谷が深く切れ込んでいる。避難小屋附近より残雪が姿を見せ.森林限界も間近だ。
           2300m周りから視界が開け.剣尾根の険しい姿が威容を誇っている。2400m地点の雪渓が残る天幕地に設営することにした。

         ここは景色の良い所で,深く切れる谷.岩の固まるような剣尾根.そのどれもが素晴らしく,
           又.夜空には七夕間近の天の川が印象的である。

   7月4日. 池ノ谷右股目指して吸い込まれるような.大きな雪渓を慎重に越し.ピーク直下の岩尾根えお経て頂上に立つ。
           眺望は良く,遠く白山も見る。しかし,槍の穂先にかかる前線が.みるみる近ずいてくるのが.はっきり分かる。

         岩稜を注意して下り.長次郎コルに到着。圧倒するようなスケールの谷である。
           雪渓は真っ直ぐ熊岩に突き刺さり.おもわず緊張する。

         そのスケールの呑み込まれ.重いキスリングのせいもあって.滑落という場面もあったが、無事であった。
           途中からアンザイセンして徐々に下る。熊岩上部に天幕設営。

         設営後.のんびりシュラフにもぐり込んだが.富山地方集中豪雨.東京梅雨明けの予報が入り,
           天候悪化を予報して再び撤収し雨の中.真砂沢ロッジへとグリセードで下った。夜半より雨はますます強くなった。

                                                      「峠」6号より.山田雅一
      晩秋の剣岳(山日記)

   剣は私にとって.これで2度目である。2年の6月.Obk氏,M氏に連れられ.馬場島より早月尾根を登り,長次郎谷を下った。
     その時の印象がそれから1年たった今でも1つの憧れとして.心に深く刻まれ.こうして今またこの山を前に立っている。

   目の前にそびえる剣はかっての.あの灰色の岩壁とブルーの空と,純白の雪渓をもつ美しさはなかった。
     秋おそく.紅葉のさかりも過ぎ.紅や黄の濁った色が灰色の岩肌にへばりつき.鉛色の空に向かってみにくい姿をさらけ出している。

   雪渓は黒い汚物をしみこませ.そのみにくさを恥じるかのように.谷間の奥深くに,新雪を待ちわびて.小さくへばりつきている。
     剣沢カールにはいくつかの真新しい赤や黄色のテントが散在していた。我々も剣沢に今日の幕営地を求めることにする。

   10月中旬にしては剣は暖かった。新雪を期待していた私にとって少し物足りない気がしないでもなかった。
     星のない夜は,全くの闇の世界である。剣山荘の灯りだけが.夜光虫のように小さな細い線を真っ直ぐ放っていた。


   翌日も朝から強い風雨にさらされ.カールの中を吹き抜けるか風にテントは今にも飛ばさせそうである。
     天幕の中は,外の荒々しい自然の行為をよそに.笑いと歌声の和やかな雰囲気で充満していた。
     夜になっても風雨は止まず.風邪を引く者もいるため,,小屋に逃げ込む。

   まぶたの裏が明るくなり,目が覚める。相変わらず天気は良くない。雨に混じってみぞれも降り出した。
     窓から見る剣は,乳白色のガスをまとい.今日もいっこうに我々を迎えてくれそうもない。
     天幕に戻り,風のない真砂沢出合まで下ることにする。

   剣小屋から大きく切れ落ちた剣沢は,右に大きく屈曲し,平蔵,長次郎谷と,狭く深い谷を合わせ,真砂沢小屋へと続いている。
     うすく汚れたデコボコの雪渓には,人の通った跡だけが白い線を残し続いている。

   真砂沢は雨が降ったせいか,水量を増し,途切れることなく白い転石をのんでいる。
     何時しか雨は止み鉛色の空が心持ち明るさをにじましてきた。沢の音だけが附近の谷間に響き渡り,果てることなく私の耳を楽しませる。
     連日の雨と風にやられ,期待していた剣への私の慕情も,少し崩れかけていた。

   沢の音が深い眠りの世界から私を引き出した。テントは赤く燃えたように明るく,外へ出ると光が強く,私の眠りをさます。
     露で濡れた木々が,光に照らされキラキラと輝いている。深い谷の中なので,光が一部分しか入らず,あたりはまだ闇から覚めていない。

   3日目にしてやっと太陽を見て、私の心もいつか、露に濡れた草木のように清々しさを取りも戻していた。
     今日は別山尾根より本峰へのピストンで,昨日下って来た剣沢を又登り返す。

   いつしか太陽は高くなり,我々の影が雪渓に写し出されてくる。洞窟のような平蔵谷出合を過ぎ,雪渓の終わる手前で,小さなガレ沢をつめる。
     這松を少しこぎ,小屋の裏に出る。前剣の明るい灰色が,明るく輝いているようである。

   前剣は剣の前衛峰であることから,あまり目立たないがそうでもなければ,どこへ出してもひけのたらない立派な山である。
     流れる汗をふきながら,前剣の急登をやっとのことで登り詰めるが,剣はまだその先である。

   新ためて剣の大きさが実感として迫ってくる。幾つかの小さなコブを越し,カニノヨコバイと呼ばれる岩場を過ぎると、ピークは目の前である。
     大きな石がゴロゴロした上を飛ぶようにしてピークに立つ。

   青く霞んだ後立山連峰の山々が.雲海の上に順序よく並んで据わっている。
     あたりには小さな鋭峰が林立し.東に長次郎谷,平蔵谷,三ノ窓谷,西に池ノ谷,東大谷と大きく深い谷を彫り込んでいる。

   明るく暖かい陽差しと天上の頂の気分は,眠りを誘うのに十分だった。流れる白い雲を眺めながら,私は昨年のことを思い出していた。
     相変わらず太陽は照り.うるさくハエが飛び回っている。しばらく附近を散策し,長次郎の頭まで行って戻ってくると,
     時間もソロソロ迫ってきたので引き返す。頂の味を払いにけるように一気に駆け下だる。
   Tsの真砂沢出合は.はるか剣沢の深く,暗い谷底である。昨日に続き今日も良い天気である。
     外に出ると朝の清らかな山の息が,私の眠気をさましてくれる。

   今日は三ノ窓を,五・六のコルまでアイゼン・ピッケルワークの練習を兼ねて登る予定でいる。
     最終日、ハシゴ谷乗越を通り,内蔵之助谷から黒部ダムに向かう予定であったが,風邪で調子の悪い者がいて,室堂まで戻ることにする。
     私は今回の山行に思い残すことはなかった。やはり来て良かった。そして,いつかまた剣を訪れることを心に誓った。

                                                            「峠」7号より.3年飯田哲夫
     s45年10月10〜15日. L飯田(3).sL小原(2).m中川(4).遠藤(3).立松(2).石戸.吉武.松原(1),
       室堂一剣沢Ts1.2.一真砂沢出合Bc3,4,5,⇔前剣一剣岳, 一八ッ峰5,6のコル, 一室堂,

      早月小屋(旧伝蔵小屋)
   s46年「伝蔵小屋」として,2224m付近に佐伯伝蔵氏により開設される。
     伝蔵亡き後も「早月小屋」として(株)坂井組様の篤志により運営され,登山者には親しまれてきた。
     そして2005年に伝蔵長男謙一氏が買い戻し,30余年に渡り勤めた富山県警山岳警備隊退官を機に,新築し受け継ぐ事になる。

   2100m付近の早月避難小屋は消滅し小屋跡はあるらしい。早月尾根の鎖は2005年に全てステンレス製に張り替えられる。

      剱岳の三角点
   映画「剱岳,点と記」原作新田次郎,監督撮影木村大作, 1907年(明治40年)参謀本部陸地測量科は日本地図作成のという使命を受け.
     空白地帯だった剱岳周辺27ヶ所に三角点を設置した記録映画である。2009年06月に上映された。

   その資料によると当時は角度を測る器具,経緯儀による水平角と鉛直角の観測で,角点の水平位置(経緯度)と標高を求める
     三角測量を行っていた。精度を上げるためには三角点を結んでできる三角形を小さくしている。

   日本中を40〜50km程度の大きな三角形に分けて測量するのを一等三角測量といい,8km程度に分けるのを二等三角測量,
     更に細かく4km程度にするのが三等三角測量である。「剱岳 点と記」は三等三角測点の物語である。

   既知点として一等三角点「立山」,二等三角点「鹿島槍ヶ岳」,「蓮華岳」,「大窓」,「大日山」などが利用された。
     剱岳は氷河に削り取られた氷食尖峰で,その峻険な山容は登頂の困難さから三等三角標石,観測機材を運搬する事ができず.
     長次郎雪渓を詰めた頂では周囲の三角点から観測目標となる側標だけで行われた。その時の標高は2998.02mである。

   標高は過去に4度変わっている。1907年に2998mだったが1930年には3003mに。しかし1968年には再び2998mに戻っている。
     度重なる標高変更で不遇の山といわれていた。

   2004年(平成16年)08月に国土地理院の北陸地方測量部は剱岳山頂の一角に標石(65kg,花崗岩)を埋設し.
     人工衛星を利用したGPS測量の結果,36年振りに標高は2999.07mと改定した。

   (三角点設置場所と最高地点とは違い,剱岳の場合1.5mの差がある)測量官が計算した値と10cm以内というものだった。
     この差は比高の測定精度と位置特定誤差によるものである。

   この切っ掛けになったのは1907年当時の測量官,紫崎芳太郎の剱岳登頂で,山頂からは錫杖頭や鉄剣も発見されている。
     それから百年目,2007年にこの記念事業の一環として行われた。

   2008年08月には剱岳の山頂の祠・剱獄社が新しく設置され.正遷座蔡(しせんざ)が執り行われた。
     芦峅雄山神社の宮司が斎主を務め,剣山荘に移してあった御神体二体を安置した。

   又剱岳という山の表記は「剱」「剣」などと以前からバラバラで,国土地理院は上市町からの申請を受け,
     立山町の同意を得て2004年発行の地図から「剱」と表記されている。

   長次郎雪渓は測量隊案内人,宇冶長次郎の功績を讃え名づけられた雪渓である。
     1966年08月,剣岳東面の稜を登り何度も上り下りした山頂直下の雪渓で,69年07月にも早月尾根から下りている。
     ピッケルを使いグリセードで下った雪渓でもある。又滑落や夜行下山という経験を受けた雪渓でもあった。

   2008年07月飯豊本山で国土地理院の測量隊に出会っている。本山小屋脇で,櫓と言うより長い三脚を立てGPSで測量していた。
     別隊は御西岳へ,2人1組で向かっていた。重荷のザックを背負う彼等のがっちりした姿は登山家でもあった。


      映画「剱岳,点と記」を見て
   脚本の良し悪しより監督,木村大作氏がカメラマン出身と云う事で自然の描写は素晴らしかった。
     荒れた山,地吹雪や暴風雨で飛ばされそうになった天幕。滑落した雪渓と仰ぐ岩壁。裾野の芦倉や伊折,馬場島からの裏剱岳。

   営林署の協力が得られず集荷を立山温泉で行い,今は廃道になったザラ峠を越えてた情景。
     剱御前から望んだ北ア全山の山波もよい。山を志した人なら素晴らしい眺望に出会えただろう。

   遠く槍ヶ岳の左肩に富士山も映し出されていた。私も昔早月尾根からの頂で見た槍ヶ岳である。
     剱岳東面の稜と谷を登った頃の体験も蘇る場面が暫し映し出されていた。
 
  又s42年の夏合宿には立山温泉からザラ峠を越え,立山からヴァティーケーに北ア全山縦走を試みている。
     それらの画面が今までの山行とダブリ.1つの物語としてより1つ1つのカットが新たな懐かしい回想になっていた。

   私には上映時間2時間19分は短く思われた。ただ映画としては記録映画的色彩が強く.ドラマとしての深み感情には乏しい。
     周りの風景に懲りすぎた感があり。誰が見ても感動するような分かり易い映画であってもよかった。
                                                      2009.06.銀座東映にて

      黒四ダムの波紋
   1963年(昭和38年)のダムの完成にともない資材運送用に建設された.いわゆる「大町ルート」は黒部観光ルートとして脚光を浴びることになる。
     長野県大町市を起点に御前沢まで5.4kのトンネルである。御前沢から先は約10k下流にある発電所を結ぶ黒部ルートが建設された。

   ダム完成にともない関西電力は当初7月01日に一般に開放すると発表した。ところがこの発表は以外に大きな波紋を地元に投げかけた。
     富山県と長野県の観光合戦である。県境の赤沢岳はトンネルをほぼ半々の地域にあり.黒四の領分は富山県玄関口は長野県大町市と。
     着工前は温泉で有名な宇奈月がただ1つの玄関口だった。

   宇奈月から21k上流の欅平まで関電軌道で渓谷美を探勝.登山者は関電登山道を登る。
     黒部は名実ともに富山のものだが.大町ルートができ開放によって客は殆ど長野県に取られてしまう。

   関電には黒部の水を全部,水力発電に提供している。こうした道義的問題だけでなく今春に亡くなった太田垣関電会長と富山県との間に,
     @立山(雄山)室堂から雄山の真下にトンネルを掘って黒部川の御前沢に抜け,ここから黒四ダムサイトまでケーブルとする。
     A宇奈月から欅平までの工事用軌道を開放し黒四に結ぶ。と云う事を交換条件に黒四開放を認めようという口約束がなっていた。

   挙止する関電にも将来もまた黒五,黒六発電所の電源開発計画あるとあって,怒らしてしまっては元も子もなくしてしまう。
     開放が遅れれば,それだけトロリーの減価償却も遅れる。長野県に対しても黒五,黒六建設の時は大町市が基地となる。
     その大町市から「約束どうり7月01日に開放しろ」と矢の催促だ。板バサミになった関電は自然慎重な態度となった。

   富山県も長野県も共に敵対行為は持っていなかった。問題は関電の誠意となり,富山対関電問題は.
     @室堂から一ノ越まで約2kのトンネル,一ノ越から黒部湖畔のダンボ沢まで約4kのケーブルを架ける。
     Aは欅平から仙人谷,更にダムまで径を大幅改修し登山者の安全をはかるという案で双方が歩み寄りをみせたといわれる。

   しかし問題は後を絶たなかった。まずトロリーバスの運賃問題だろう。
     わずかトンネル内5.4kが片道450円.大町ルートの有料道路になるバス.扇沢まで140円。合計600円になる。

   東京から大町まで列車運賃が790円の時代である。「高い」という不評は,長野県が扇沢から蓮華岳にケーブル(4k)を架け.
     富山県に呼びかけ針ノ木岳よりダムサイトまでケーブルにする。この運賃は片道2〜300円にすると計画を発表した。

   10億もの工事費に疑問もあるも関電に対する牽制ともいわれている。
     そして地元の受け入れ態勢不備の中.8月01日に漸く一般開放となりトロリーは開業した。
                                               中部日本新聞記者.平沢氏より

      黒部渓谷と立山黒部アルペンルート利用経緯

   1954年(s29年)08月.立山開発鉄道により千寿ヶ原=美女平間開.立山黒部貫光鋼索線.立山ケーブルカー
   1955年(s30年)07月.観光用に立山高原バス運行開始
   1964年(s39年)08月.扇沢=黒部ダム間が開業
         関電トンネルは黒四ダム建設資材運搬にため1958年貫通し.現在は黒部ルートとして観光用トロリーバス及び工事用資材輸送に使用
           トロリーバスは無軌道電車線として現在.関電トンネルと立山トンネルでしか運行されていない日本唯一実存している路線
   1966年(s41年)08月.冨山,富山地方鉄道=千寿ヶ原.立山ケーブル=美女平.立山開発鉄道=天狗平(剣岳東面集中登山)
         黒部軌道欅平=富山地方鉄道宇奈月=富山
   1967年(s42年)08月.冨山,富山地方鉄道=千寿ヶ原.立山ケーブル=美女平,立山開発鉄道=追分小屋
         立山,内蔵助平から烏帽子岳へ抜ける折.黒四ダム内に迷い込む。平の渡.(立山→穂高岳)
   1969年(s44年)04月.室堂=大観峰間バスがトロリーバスになり鉄道事業法に基づき鉄道となる。
   1969年(s44年)08月.黒部ダム=扇沢,松本電鉄(北アルプス交通)=信濃大町.(剣岳早月尾根→黒四ダム)
         関電大町ルートは下山の折,初めて利用。集中豪雨で夜行下山し黒部川下廊下を断念,棟上した関電の御前沢小屋に天張る。
   1970年(s45年)07月.立山ロープウェイ開業
   1971年(s46年)04月.立山トンネルバス運行開始
   1971年(s46年)正月.信濃大町⇔扇沢.トラックとタクシー.(爺ヶ岳南尾根)
         隧道を覗き込むと坑内は暗く路面はツルツルに氷り.ダムへ続いている。入口には通行止の枕を設けなければ柵もなかった。
   1972年(s47年)正月信濃大町⇔扇沢.タクシー(岩小屋沢岳新越尾根)
   1973年(s48年)正月
.信濃大町⇔扇沢.タクシー(鳴沢岳鳴沢尾根)
   1971年(s46年)06月01日.立山トンネルバス3.6k.立山ロープケーブル1.7k,全線地下式黒部ケーブルカー0.8kの完成をもって.全線が開通した。
         立山黒部アルペンルートは冨山=千寿ヶ原,立山ケーブル=美女平.立山高原バス=室堂,トロリーバス=立山ロープウェイ
           =黒部ケーブルカー=黒部湖一黒部ダム=関電トロリーバス=扇沢.路線バス=信濃大町
         毎年100万を超す観光客が訪れ.四季を通じて立山の大自然を楽しむ。
   1996年04月.立山トンネルをトロリーバス化し開業
   2002年10月.富山福光からの帰路,妻と宇奈月に寄る。黒部峡谷鉄道(豪雨があり出平止まり)は予約制で断念,白馬八方へ。
   2007年07月.黒部峡谷鉄道と立山黒部アルペンルートを横断. 扇沢周辺は全く変わり巨大な観光施設帯に変貌した。
         黒部峡谷鉄道宇奈月⇔鐘釣, 既に御前沢小屋は廃業し事業所として活用.黒部川左岸からダムに上がる道は失われていた。
   2008年10月.老朽化と観光化が落ち着き扇沢ロッジは廃業
   1972年07月黒四ダム建設での関西電力の寮として建てられ.その後は旧アルペンホテル扇沢に。現在は扇沢ロッジとして利用していた。
   2009年08月.黒部ダム=扇沢=信濃大町.(赤牛読売新道→平ノ渡し→黒四ダム)
         黒部湖左岸の水平歩道は「黒部くろよん」よりダムサイド間が遊歩道に。遊覧船が走り.カンパ谷から吊橋.トンネルでダムサイドへでる。
   2010年08月.新宿=扇沢.バス「さわやか信州号」.(針ノ木雪渓→烏帽子岳)・・完成されてから高瀬川のダム群を初めて.見定める。

    
黒部川第四ダム 黒部軌道とs31年黒部川電源開発計画

    旧hp,PhotoHighwayJapan,早月尾根
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