秩父浦山川流域・・浦山川上流地形図 都県界尾根とその周辺Top

     2010年01月. 登り尾,蕎麦粒山鳥屋戸尾根から長沢脊稜を縦断し.由緒ある仙元峠から仙元尾根を下る・・浦山大日堂
     2021年11月. 倉沢谷右俣長尾谷左又窪・浅間前窪の中間尾根(浅間前ノ窪右岸尾根)を詰め仙元峠を越え.仙元尾根を下る・・山行概念図
     2012年05月. 天目山ヨコスズ尾根から七蹴山―秩父大平山の大クビレから峠ノ尾根・・川俣
     2016年04月. 細久保橋から仙元谷,グミの滝を経て三ッドッケ.シャクナン尾根―板形尾根.中段歩道からカロー大滝を経て小川左岸道・・東日原
     2020年11月. 有間山稜.鳥首峠から滝入ノ頭・橋小屋ノ頭を経て蕨山―金毘羅尾根を下り.藤棚山・大ヨケの頭・左岸尾根からさわらびの湯

   前山行の真名井北稜に続く仙元尾根・・新秩父線の鉄塔尾根を追う。
      蕎麦粒山から長沢背稜を綴り.仙元峠北側の仙元尾根を下り.60号鉄塔基部から秩父浦山・大日堂へ。

    登り尾.蕎麦粒山鳥屋戸尾根から長沢脊稜.仙元峠
    仙元尾根に乗る新秩父線から秩父.浦山・・大日堂・市営路線バス

    仙元尾根・・西側
   峠ノ尾根の伐採地より
    横篶尾根を詰め七蹴山から秩父大平山の大クビレ峠ノ尾根を下った折.峠ノ尾根の伐採地より・・2012.05.05/14:32

     奥が仁田山から滝入ノ峰へ連なる尾根. 仁田山とタタラノ頭の間には広河原逆川林道が横切り越えている。
   間の上部が蕎麦粒山北尾 遠く見えるが54.53号鉄塔がある)。手前は浦山大日堂へ下る仙元尾根(末端60〜57号鉄塔)と大ネド尾根。

    仙元尾根・・東側
   有間山稜.滝入ノ頭の北側より・・2020.11.26/10:28
    奥武蔵・鳥首峠から蕨山金毘羅尾根を縦走し名栗湖へ下山した折撮影

     新秩父線55〜60号鉄塔・・57〜60号鉄塔までが仙元峠仙元尾根に乗る送電線。
   丁度10年前に真名井沢北稜から続く鉄塔尾根から一度下り.更に鳥屋戸尾根を経て.60号鉄塔から秩父浦山の大日堂へ下りている。

    長沢脊稜の仙元峠
   仙元峠の裏側から仙元尾根を下る.12:50

    仙元峠・・小高い台地の1444m圏コブ
     長沢脊稜の分岐.鼓ケタワから水源歩道と分かれ尾根筋へ。巻き道と分れ仙元峠への登りに入ると急に狭い岩混ざりの踏み跡に変わる。
   短い登りだが山の上に峠があった。この小高台地には石祠が祀られ.小さな古い地名板や真新しい道標等が多く立てられていた。

     「仙元峠」は「浅間峠」が正しく.山上遥か彼方の富嶽を望む故.浅間大菩薩が勘請したことによる。
   山上の峠と呼ぶことについては「奥多摩町史」に「峠とは手を向け神に祀られている所」との意味があり.古地図は七ッ石山の七ッ石とうげ
   酉谷山(黒ドック)を黒とうげがあり.三頭山笹尾根の生藤山西側に三国山がある。ここも三国とうげと記されていた。

    

    富士浅間信仰の路
     峠の経緯が示された案内板には秩父の人々がこの峠で初めて富士山を拝み.権現から仙元と言われた故が述べられている。
   江戸時代信仰行のため奥多摩からは三峰講.秩父からは浦山川俣回りの富士講.上州からは富士講の信者が通い.峠の水の源を「仙元」と呼び.
   祠には富士山のご神体が祀られている。今日は層雲が低く多い.道中富士の展望は得られなかった。

     日原と浦山.奥多摩と秩父を繋ぎ.山里の深い集落を結んでいる。
   仙元峠からは三ケドッチから横篶尾根を下り.鷹ノ巣尾根を越えて雲取山からの道(三峰講)と合流して浅間尾根から小河内に下りている。

     道中は長く湯場でゆっくり疲れを癒して.大菩薩嶺から塩山へ。或いは松姫峠から大月へと富士吉田を目指していた。
   そして明治になるとともに富士講の路は衰退した。奥多摩の山々には今も浅間の名が多く残され.浅間神社も至るところに祀られていた。

     仙元尾根を下降
       11:45蕎麦粒山.大12:40一12:55仙元峠一13:35大楢一14:10(1000m峰手前鞍部):20一14:35巻き道合流一14:40(57号鉄塔)
       一15:00(842m地点三角点.59号鉄塔への分岐)⇔15:10一15:39浦山川.ほうぜん橋一15:35浦山大日堂bs16:00.

    仙元尾根1.107m峰
   仙元尾根の頭より,立木に境界見出標が付けられている.13:05

    長沢脊稜
     長尾谷と川乗谷とを分水嶺を成す鳥戸屋尾根を登路に選び.再び続.山行として蕎麦粒山に立つ。
   秩父側の下山は峠である仙元尾根の小高い台地.1444m圏コブから分け.秩父へと北上し尾根を綴ることにした。
   1/2万5千地形図「秩父」では1444m圏コブの1つ西側の1400m圏コブを仙元峠として記されていがここでは前記で述べている。

     仙元尾根は細久保谷と広河原谷を分け.北方へ3kほど突き出しやや西よりに折れて浦山川の谷へ没する尾根。
   尾根末端は浦山川に挟まれ細久保谷との出合に当たり.今回も前回の真名井北稜に続く仙元尾根の送電線巡視路を追っている。

     「浅間尾根を経て河又に至る」の道標により.北北東へ下り始める。道は確り付いている。
   平頂の小さな小コブの峠から緩やかな幅広い尾根が急坂の斜面に変わると疎らな残り雪(1週間前浦山で積雪10cm)を見るようなった。
   殆どは地肌を現われているが霜柱はコチコチに氷り付いている。大楢までの下りがツルツルの硬い地表だった。足を乗せれば滑ること滑る。

    県界尾根.有間山(タワラノ頭)と蕎麦粒山北東尾根
   右景・・崩壊地からの右景・・新秩父線54号鉄塔.13:24
    広河原谷を跨ぐ送電線と並行するのが有間峠に突き上げる広川原逆川林道

     蕎麦粒山北尾根
     蕎麦粒山北尾根は二工場谷と一工場谷の間に挟まれた尾根で.1140m地点から挫に派出した末端が取り付きになる。
   出合までは浦山から徒歩1時間程で右尾根は約700mほどで遡る。取り付まで遠いいアプローチがあり.タクシー以外あるまい。
   53号.54号鉄塔が各枝尾根に建ち.頂までダイレクトに延びていた。先への目的がなねればこのルートは便が悪く踏み込むこともなかろう。

     有間山バラ尾根を登り広河原に下れる尾根を見付けさえできれば早く蕎麦粒山北尾根に取り付くことができる。
   ただ路線バスの関係で3月中旬以降になる。

     下り始めるとの右手に大きく崩壊した地点があり.右後方の蕎麦粒山北尾根側は陰り気味で.沢筋は雪白く埋まり.北側の山陰は尾根を暗くし
   寒々しくさせていた。又広い台地の有間山の斜面には林道が深く山肌を刻み.露わに剥き出しにされた斜面が望められている。
   前回も真名井北稜から望み痛々しく眺められた赤杭尾根と同様.林道でが山腹をジグザグに切る景観が余りにも酷く望まれる。

     山を自然を傷付けている。開拓の限度を探るのは難しいことだが眺めてよいものではない。
   右下の鉄塔は前回の真名井北稜から続く新秩父線の54号鉄塔。今回は続として.仙元尾根に付けられた鉄塔巡視路を綴り浦山大日堂にでることにした。

    県界尾根・・小持山・大持山と鳥首峠
   左景・・仙元尾根1200mあたりの崩落地より.13:15

    手前は仙元尾根1.167m峰と1080m圏コブ.浦山川を隔て小持山.大持山と鳥首峠.有間山(タワラノ頭)への稜.
    右下が1080m圏コブの枝尾根に乗る新秩父線55号鉄塔.

     林道広河源逆川線
     広域では埼玉県73号秩父名栗線に含まれる。中間に秩父さくら湖や名栗湖があり.秩父市と飯能市名栗地区に至る広域林道
   秩父市浦山川俣の森林管理道広河源逆川線は浦山から有間峠を越え.下名栗に至る総延長22kmに及ぶ林道。
   有間峠とは2006年に飯能市と秩父市が命名した新地名。旧名は「大名栗のタル」と呼ばれていた。

     全線舗装だが分岐から上名栗白岩までが悪路で.ガードレールがない所や落石.肩崩れも多い林道でもある。
   有間山の南側の林道は広河源谷本流の三工場谷出合で左岸に渡り.少し上流で再び右岸に戻る形で山腹を巻き込むよう登っていた。

    1.167m峰
   1.167m峰と手前の鞍部・大樽.13:27
    大樽「明治神宮」の看板と「川俣に至る」道標があり.尾根を外れ右下にトラバースする登山道を分けている。

   前方は灌木と植林の林相の境が続く.13:29

    鞍部.大楢からの踏み跡
     大きな楢の木がある鞍部.大楢1167mにでると明治神宮林を示す「所有板」の看板が大きく掲げられていた。
   この森林内を通行する人に対する要望書のようだ。経緯は判らぬが領内であるかを示す内容だった。

     鞍部にでて大楢から右手に大きく山腹を巻き込む山道諦める。氷った斜めの足場に落葉が乗り.又崩れた所もあり.神経を使う巻き道を嫌っている。
   又尾根の反対側,細久保谷側は北北西に踏み跡径が下りていた。蛇行しながら薄い踏み跡が細久保林道の支線仙元林道と結ばれている。
   仙元林道の中央から西側は絡み合うよう幾つもの踏み跡径が網の目のよう認められた。交通の便も悪く.通うハイカーは少ないようだ。

     巻き道を右手に分け.尾根筋を忠実に歩むことにした。1167m圏コブを越えると赤テープのマーキングはあるも.それも殆ど見られなくなっいる。
   ただ尾根巾も広く落葉の歩き易いルートが続いている。

     尾根上のこの部分に藪絡みはない。夏は被い茂る樹葉に包まれ.先が閉ざされることはあろうが迷う危険はなかった。
   傾斜も緩く長閑な尾根だった。藪山というより.傍に巻き道があるので以外と荒らされぬ静かな尾根になり.マーキングが少ないのが嬉しい。

   再び「明治神宮」の看板を見る.13:32

   巻道の分岐.13:34

    秩父側からの三ッドッケと大栗山.七蹴山
   下り左手を顧みた秩父細久保谷源流を挟み.13:40

     中央は三ッドッケ(天目山)から北東に延びる尾根。
   七蹴山の右肩は大平山へ延びる尾根.下った所が大クビレになる。何時.入れる流域になるのだろうか。

    岩屑混ざりの尾根筋
    
    1.004m峰裏側(北)は暫く起伏の少ない平坦尾根.13:52

    1.004m峰
   鞍部より藪尾根へ.巻道は1.004m峰の右下を巻いている.14:04

     奥多摩から見て.裏山にあたる秩父の山間に入ると曇天の薄暗さがあるものの.周りは今までと違った雰囲気をかもちだしている。
   樹間から望む背稜の山谷は色合い深い陰りを造り.頭上を覆う層雲は重く垂れ込み.斜陽した日差しは既に高峰へと遠ざかっていた。

     今回も一人旅.蕎麦粒の頂で登山者に会っただけだが今までとは異なり.何か押し閉ざされているような重い静寂さに満ちている。
   風も流れず留まっていた。北側の日陰が.黄昏の兆しが山を深まらせ.都境の高峰が更に尾根筋の雰囲気をも奥多摩側とは異にさせてた。
   息揚々とさせるでもなく,焦りを起こさせるものでもない。又哀愁を呼び起こすような情緒ある雰囲気でもなかった。

     静けさだけが何ににも代えがたい雰囲気を創り。踏みつける枯葉の音だけを聞く。そこに小枝の折れる音が妙に響いていた。
   低くとも里山深い県境尾根に囲まれている。周りに合わせ乱暴な歩みも控え.息を潜めそっと周りを探るよう歩みたい。

     樹間を透し新秩父線54号鉄塔が三工場谷を渡り.55号鉄塔へと次第に鉄塔が近ずき.大きさを増すのが下り続けると判りだす。
   左の尾根に入り二重山稜の1167m点コブを1つ越すと細久保谷側から確りした踏み跡が登り詰めている。細久保水源林道の一環で古くからの林道。

     大楢尾根か? を絡むよう仙元林道と思われる山道が大楢へと結ばれている。
   尾根筋が左に曲り下るにつれ.右山腹は膨らみを持ち.なだらかな場所から更に下ると1004m点コブ手前の鞍部にでる。

   山腹を回り込む巻道

     巻き道の道標が鞍部の右下に見下ろされた。確認にたどって見るとやはり巻き道の方が暗く嫌らしく思えた。
   やや平坦で中央に小径が横切っている所だが枯葉が被い.落葉で埋まる踏み跡を探すのに苦労させられそうだった。
   又崩れるトラバースの長い踏み跡を嫌い.戻りその間々尾根伝いに1004m峰を越えることにした。

   更に荒れ起伏もでる.14:16

    藪の踏み跡
     ここからが本格的な藪多き尾根になる。時折岩塊をも見た。上着を脱ぎ軍手を付け藪への行動が始まった。
   時折枯れ枝が折れ.心地よい響きの藪絡みが続く。今日始めて綴る藪尾根かも知れない。時間は掛かるがマイナー的気分に浸りだしていた。

     短いながらこういう場所を歩んでいるだけで満足感は持っていた。手袋を使わなければ藪山ではないと,私はそう思っている。
   歩き易い所を探し先を見て.迷えば尾根にでて踏み跡を探す。なければ強引に進めばよい。漸くは地図と磁石を持ち先へ歩む。

     

     右(東)に56号鉄塔への尾根が延びている。ここは北面の斜面を進み.57号鉄塔に至る標柱を見る。
   右の写真は1004m峰の右枝尾根に立つ56号鉄塔.14:22

    尾根西側に立つ3基の鉄塔群と大持山
   鉄塔巡視路にでる手前の59号.58号.57号鉄塔.14:28

     仙元尾根の東枝尾根に建つ56号鉄塔基部から58号鉄塔が目の前に現われだすと自然と右後方からの巻き道と合わさった。
   赤テープが再び目立ち始め.あっという間に57号鉄塔の大きな基部にでる。都県界尾根を越えて初めて仙元尾根上に乗る鉄塔基部に立つ。

    現れた巡視路と標柱
   右山腹肩からの巻道と合わさる広河原の分岐.14:45
    右後方の枝尾根にある56号鉄塔に至る標柱

    鉄塔巡視路
     細かく現われた東電の新秩父線「56号へ至る」の標柱を見て.巻道と合わさると確りした巡視路と合わさる。
   巡視路から広河原谷へ出るには仙元尾根からの道標に従い歩き易い尾根道。ただ56号鉄塔からの下山口は初めて下る人には分かり難い。

     57号鉄塔の基部へは尾根を下らず.右折して55号鉄塔巡視路方面に行くと下山口の分岐が有ります。黄ポールの指す方向は間違っている。
   右上と左下に踏跡が有り,左下に下るのが下山口方面になり.大楢ノ滝の遊歩道に合流し.広河原逆川林道にでられる。
   ゲートまで50分・・HP「takaone」氏より

     私は主尾根を緩やかに左手へ折れだした。ロスを縮める小径でもある。巡視路にでて安心感がでたのか路線バスの発車時間が気に掛かりだしていた。
   諦め切れぬ中途半端な時刻が一番厄介になっている。

    広川原谷対岸の山並
  
   58号鉄塔基部より.
     左側は仙元尾根843.5m峰. 背は小持山から1160m点を過ぎ日向の集落へ落ちる西尾根.小持山から大持山へ綴る稜.14:38

   右上アップ.14:38
    大持山西尾根と南に派生させる793m点に至る尾根.右下は鳥首峠に下る

     時間ロス
     59号鉄塔へ下る(一ノ休ン場)にでる。山道の真ん中に三等三角点標石843.5m.基準点名は「広河原」で.尾根筋の右側の谷名になっている。
   ここで一時迷う。巡視路とは反対側に赤テープが杉の木に散乱するよう付けられ.その下には作業道が造られている。
   直進するルートと思え.作業道と思えたが伐採ルートを直下し.却って時間をロスしていた。

     戻るには息が乱れた。ジグザグに下った作業道をの道伝いに係わりなく直登して戻り.所構わず斜め上へ.上へと四つん這いで這い上がった。
   喘くもよく続いたと自分に関心してもいた。時間のないロスが体を動かしていた。

     巡視路が一番よいルートと判っている。だが.ふと気になる動作がよいチャンスを生むこともあり,調子に乗ってしまった。
   尾根台地から急に下りだした分岐.巡視路の巻き道に直接下れると思い試してみた。先を見詰めず下ったのが悪かった。

     この行動が大変なことになる。戻って3時10分,バスは大日堂を40分にでる。まだ59号鉄塔の建つ台地は先にある。
   走るしかなかった。左に曲がって檜林をを下ると直ぐ59号鉄塔を迎え.喘ぎながらスズキが茂る60号鉄塔を迎える。どれもが大きな巨大鉄塔だった。

   細久保谷を隔てる60号鉄塔基部.15:12
    60号鉄塔基部の崖縁から対岸の峠ノ尾根に乗る61号・62号鉄塔

     足元には細久保谷沿いに天目山林道が横切り.その真向かいが峠ノ尾根になる。尾根末端に建つのは60号鉄塔。奥がバラモ沢右岸尾根。
   老番鉄塔が見届けられる。右奥の峰が秩父さくら湖.西岸に聳える円錐形の大友山853mか?
   そうだとすると手前に小さく見える鉄塔は栗山に下る64号鉄塔になる。

    送電線群
     ここ浦山は又送電線の多く集まる場所でもある。湖上に3つの送電線を見る。
   鳥首峠付近を横切ってきた安雲幹線(新信濃変電所〜新所沢変電所)と所沢線(秩父開閉所〜新所沢変電所,休止)

     その奥に今下った仙元尾根からの新秩父線(新秩父変電所〜新多摩変電所)が綴られている。
   又県営の浦山発電所.東京発電は浦山線として秩父線(奥秩父変電所〜小川変電所)に入電され.荒川沿いに重なるよう延びていた。

   新秩父開閉所の送電線と接続先
     安雲幹線1号.275kV.A.240基 新秩父開閉所(八王子市上川町)〜新信濃変電所.(1号.2号が合さるり開閉所へ.275kV)
     安雲幹線2号.275kV.A.260基 新秩父開閉所〜新信濃変電所
     新所沢線              新秩父開閉所〜新所沢変電所(安雲幹線休止中)
     新榛名幹線.500kV.163基    新秩父開閉所〜新榛名変電所
     新岡幹線.500kV74基      新秩父開閉所〜新岡変電所
     新秩父線.500KV        新多摩開閉所〜新秩父開閉所(埼玉県小鹿野)

   秩父変電所
     黒部幹線.154kV.約300基.現在は新町変電所〜秩父変電所.秩父変電所からは経路の変更等で奥秩父線に改称され.黒部北幹線は廃止。

     特に石神峠西脇の草地の鉄塔基部は平坦な台地が広かった。細久保谷の対岸には一段高く君臨する61号鉄塔が望まれる。
   展望は素晴らしい所だが観賞する時間はなくなっている。

    仙元尾根の下端・・尾根から里へ
     浦川の谷間に向かう基部手前から直角に右手に折れ.高度差100mの急斜面をジグザグに下る。勾配の強い草付きは時に真っ直ぐ下りもした。
   東電の幾つもの黄色い標柱が道標代わりになり.枯葉で隠された踏み跡の先は標柱が目安になっている。

     漸く浦山川の民家や道路が見下ろしされると後一歩という所で山径を修理している地元の人と出会う。
   横棒を支えに木屑で足場を埋め丁寧に階段を造っている。目が会って最初の言葉が「歩き心地はよいでしょう!」。

     私は無視し「バスは40分ですか?」。返事は「そうだが間に合うか判らない!」と。
   「時間がないので失礼します!」と単語の会話で飛び越えるよう下った。その下にも何ヶ所も同じ人が造った真新しい階段があった。

    川俣浦山
   「渓流荘」.ほうぜん橋南詰の県道より.15:35

    浦山の集落
     浦山の集落にでて浦山川ほうぜん橋を渡れば県道にでる。
   舗装された里道にでた所で偶然.大日堂の脇で再び里人と出会い.咄嗟に「浦山川を渡る橋?」を尋ねる。

     指で指図して下さった方向は橋の袂だった。3時30分県道にでる。その時.ここ大日堂入口バス停から下る筈の市営のカラフルな小型バスが登ってきた。
   私の前で停まり,何故か4時発と知る。よかったのか如何かは判らぬがともかく待って乗ることができた。

     バス停を尋ねると「4時に迎えに来るから大日堂バス停まで来ないでよい!」とここに留まるよう言い残しバスは立ち去った。
   周りの風景を見ながら一服し身支度を整える。まだ25分ある。沢沿いの終点.渓流荘前まで遡ろうと歩む。処が距離として50mもなかった。
   山陰に隠れ見えなかった駐車場にマイクロバスが1台ポッンと停車していた。呆気に取られ笑う言葉も失っている。

     直ぐ先に立つ「奥秩父16号.安雲幹線324号出入口」のポールから巡視路を辿れば.大持山から南西に延びる大持山西尾根の取付き。
   登り口には「古屋敷のヒイラギ」が立つ.秩父市指定天然記念物

   終点の浦山大日堂バス停より.5:35

   15:35浦山大日堂bs16:00=16:30西武秩父,快速急行¥750 :42=18:27西武池袋

     運転手によると先程山道で階段を整備していた人は橋手前の住民だそうだ。木製の鹿や獅子を制作し地元では有名らしい。
   自宅前や先のバス停に木彫りの組み合わせた作品が陳列されていた。

     橋脇には大きな木造家屋「渓流荘」が一軒.昔を忍ぶよう堂々と構えていた。宿場で1階が食堂らしい。
   ビールがあればとガラス戸を覗くと休業中の張り紙が貼ってあった。主人が最近亡くなったとのこと。
   屋根中央の大きな煙突から緩やかに煙が昇る。その淡く広がる煙の方向に仙元尾根末端と対等する61号.62号鉄塔が大きく見上げられた。

    風呂
     停留所から直ぐ近くの元小学校跡地に市営の湯があると言う。調べても判らなかった湯。
   今日,入浴できるが運転手に尋ねると判らぬと言葉が返ってきた。明日は日曜日.入れると思うとあやふやな返事
   ここは観光目的の風呂ではなさそうだた。

     高齢者の多い浦山の集落では毎日入浴の準備をすることさえ大変で.市営の銭湯を造ったらしい。
   その管理も遠方ゆえ地元の人に任せ.時間等はその都度聞かねば判らぬという。市の行政を得々と説く運転手
   ただ,病になるより元気が一番という考え方は秩父市の素晴らしい行政のあり方を悟らされる言葉だった。

     バスが旧浦山川俣小学校前を通る。大日堂から歩いても1分程の高台にある。
   今は老人福祉センター「渓流荘」に改築されていた。日帰り入浴¥500で可能だが詳細は不明。小学校は廃校し.先の影森小学校と合併した。

     定刻に出た路線バスの乗客は私1人だった。小型マイクロバスの乗降口脇には小さな40cm程の透明なプラのショーケースが置いてある。
   蓋の中央に硬貨が入るように貯金箱のような穴が開けられていた。その中に300円を入れ乗車する。
   西武秩父駅入口からの秩父鉄道観光バスは2008年03月31日に.赤字路線のため浦山乗合線は廃止されていた。

     現在は秩父市営バス「ぬくもり号」が影森小.中学校へのスクールバスと生活路線とを統合し.スクールバス混乗型市営バスとして運営されている。
   1日3本,派手なピンク色のバスが走行中は宣伝カーの如く.童謡のメロデーを流しゆっくり走る。
   料金はゾーン制を採用し秩父駅より国道沿いは¥200.以遠は¥300。タクシーは¥4.400

     市営バスが秩父さくら湖右岸の秩父上名栗線を下る。貯水量は50%を超えると伝えられているが見るからに少ない。
   冬期で水位は更に低くなっていると運転手は答え.浦山ダムまで行くと水位の低さと高い堤高に.更に驚かされると語っていた。

    浦山ダム
     荒川と浦山川との合流点の上流.2.3kmに位置する荒川水系の重力式コンクリートダム。
   着工1942年.竣工1996年.堤高156.0m.堤頂長372m.当初はロックフィルダムとして計画されたが事業費節減と地質調査の結果
   重力式コンクリートダムに変更可能となり.堤高156.0mのダムとして竣工された。ベルトコンベアヤによるRCP工法を採用.月日を短縮し竣工された。

     重力式コンクリートダムとしては奥只見ダム(阿賀野川水系只見川)に続き全国で2番目の高さを誇っている。
   関東では奈良俣ダム(利根川水系楢俣川)の158.0mに次ぐ規模の堤高を持つ多目的ダム。

     又ダムの高低が大きい為.減勢させるために副ダムがある。
   車窓から堤上を仰ぐと狭い谷間に鋭く落ち込んでいた。目が眩む高度差を持ち.覗く下には秩父の街並が広がっている。

     それ故,以前は大雨での濁流はそのまま放流されていたが.ダム下流に綺麗な水を放水する為に清水バイパスが上流に建設された。
   着工1941年(s16年)11月.竣工は1944年05月

    アーチ堰堤
     もう1つこのダムの底には日本最初のコンクリート.アーチ堰堤が.そのまま埋められている。堤高13.40m.堤頂長20.564m
   1920年(T09年).荒川上流部.大滝発電所の工事用電力源に設けられた。

     結果的には大滝の工事が先行したため使用することなく.一般向けに発電されている。
   東京発電..又当時はコンクリートの強度を始め技術的なものは米国に依存し竣工されていた。
   秩父さくら湖左岸は冬期12/18より通行止. 浦山ダムは高低差132mのエレベーターや坑体内の見学可能.1/24日現在容水量51.90%

    西武秩父線
     運転手の助言によると浦山口まで徒歩で下る場合.交通の便が非常に悪い。
   jr秩父線は本数が少なく.西武秩父までお花畑から5分程歩かされる。そこで又時間待ちをする。
   余ほどタイミングがよくなければ.下山してからの時間を充分取る必要があるそうだ。

     4時半.西武秩父駅に着くも.特急は出たばかりだった。巡り会えた快速急行に乗る。土曜日の夕方.上りの列車は座席率は半分以下。
   山で最後に駆け下りたのが足にきた。ボックスシートに足を伸ばし.だらしない格好で.終点池袋まで座席を1人占めした。

     列車は武甲山の裾野を回り込む頃,日没を迎えている。
   その先の遥かなる鞍部の一角からは奥武蔵.蕨山.有間山の山々が重なり合い山波を造り望まれた。
   もう何度が通った都境の山々を改めて逆方向から望み.ちらっと望んだだけだが,又身近に思える山になった。

     一昨年には二度.この秩父線を利用し雲取山.両神山へと利用している。気にもしていなかった奥武蔵の山々も同様だった。
   「吾野駅」を過ぎ.その名の響きに想い出す。初めて企画した山行は高校の初め.同級生と伊豆ケ岳に登っている。
   山に大分魅了されたのだろう。面白く翌月には隣りの山並の武甲山へ出向いていた。

     jr池袋駅構内で信号トラブルが発生. 山手線は外回り.内回り共に運行できなくなっていた。
   改札口には代換え切符を求める列が長く連なっている。初めての経験で中央線も使えない。地下鉄を乗り換えるべきか。
   凄い人の波に思案している内.動きだした電車。無事帰宅する。東京は一日中快晴だったようだ。

     地形図「武蔵日原」.山と高原07「奥多摩」・・天目背稜仙元尾根ルート図

     前回綴ってきた鉄塔尾根・・真名井沢北稜
     ・・倉沢谷右俣.長尾谷の浅間前窪の中間尾根(浅間前ノ窪右岸尾根)を詰め仙元峠を越えてる。2021.11.06

    登り尾.蕎麦粒山鳥屋戸尾根から長沢脊稜.仙元峠
    仙元尾根に乗る新秩父線から秩父.浦山・・大日堂・市営路線バス