| 権現山からは鶴川の支流.尾名手川を取り囲む尾根を綴る・・眺望と冬木被う日溜りの権現山陵 落葉松の冬木被う境界尾根を綴り.小笹茂る尾名手尾根を下り.阿寺沢から阿寺沢入口bs・・県道側壁新設工事現場T 腰掛から権現山北尾根 権現山陵西方から大寺山尾名手尾根・・阿寺沢の県道工事現場1 頂西方の自然林に覆われた明るい権現尾根権現山陵 12:20権現山.大:40一13:30麻生山中峰一13:35麻生山北峰一13:45尾名手峠一14:05三ノ森北峰:15一14:45大持山. 初戸から鶴川右岸尾根を綴り.腰掛の集落からは鶴川の支流.尾名手川右岸尾根を詰め.誰もいない日溜まりの権現山に立つ。 ここから扇状に広がる尾名手の源流へと西方の頂稜を歩む。権現山稜には登山道が綴られ.扇山分岐を過ぎるとすっきりした枯葉に敷き占められていた。 歩みだし最初は比較的平坦な稜線で.起伏の穏やかな落葉松林の山稜が広がり.冬木の木洩れ日に溢れる尾根径になった。 冬木被さる頭上は何処までも蒼く深い。 権現山北尾根 尾名手沢を隔て権現尾根から振り返る権現尾根1240m圏の2つのコブ 権現山から下って10分程で浅川峠(イチ坂峠)への分岐を過ぎ少し速足で歩む。 直ぐ左手に沢山のテープやマーキングに飾られた場所にでた。多分浅川大入から登る大入沢左岸尾根の取り付きだろう。 マーキングから見る限り確りした尾根径があるようだ。又権現山の頂に立つには反対側の浅川側に最短距離の尾根派生していた。。 アプローチは中央東線になる。浅川川大入沢670m圏二俣中間尾根から麻生山・・2013.05 幾つかコブを越すと仏岩のような形の岩塊が尾根を塞いでいる。天は蒼く何処までも明るい日溜りの径が開かれ. 意気揚々と枯葉を蹴るよう歩む。オクノ沢ノ嶺1252mのコブは鉄道省山岳編にもある「オクノ沢ノ嶺」と云われている所。 この南尾根は壁となる急稜もなく.自然林の静かな山旅が味わえそうだ。又権現尾根上の山名と分け.現地表示では 「相模川水系沖之沢」になっている。そのことからこの権現尾根南面に落ちる尾根は沖之沢右俣左岸尾根として. 登降路として利用することもできる。その沖之沢左俣には沖之左俣右岸尾根と中沢左岸尾根がある。 三つの麻生山 冬木の明るい樹間を透し1252mコブ(四三標石)麻生山 麻生山は小林経雄著「甲斐の山山」によると3つのコブから成り立っている。 1252mコブに続き1267.5m三角点峰. 麻生山の山名板のある北峰と西原からは大寺山からの山波を含めて麻生山と呼ばれていた。 ミズナラなどの雑木林が主体の気持ちのよい冬木林の尾根から露岩帯になり.ツガなどに変わる非対称的な尾根。 麻生山の位置については標高1267.5mの三等三角点峰とするのが今では一般的になっていた。 戦前の代表的な分権には三角点峰の北西寄りの突起を麻生山としている。展望は更に良い。 麻生山南尾根から佐野.坪山への径. 境界尾根を北上することも今回考えていたが.距離の割にアプローチがやや長過ぎた。 猿橋から葛野川を回り込まねばならず.入山は浅川を更に遡ってからになる。 麻生山南尾根は1020m圏から2つの尾根を派生させ.共に浅川の春日神社.大入両端から取付き麻生山に突き上げていた。 取付けば2時間ほどで三ツ森にでられる最短登路。南尾根は詰めると恩石43のコブにでて.左へ折れれば麻生山三角点峰にでる。 この時期.権現山稜の南面の尾根を選べば常に日当たりがよい斜面に恵まれ.手直に登れば尾根の数も多く自分なりのルートが選べるだろう。 麻生山三角点峰 別名.栗干場1267.5m峰.背稜は三頭山から高尾山へ延びる笹尾根権現山から幾つもの緩やかな起伏を越え.明るい裸林の尾根径を散策してきた。 麻生山を前にやや蛇行した短い間隔でのコブ越えが始まっている。大月市の道標と.山頂から少し先の所を指す昔の道標。 麻生山西峰 麻生山としか読めぬごっつい山名板浅川川の南尾根から詰める恩石43のコブに長尾根を派生させる三角点標石のある1267.5m峰. そして先程の山頂から西へ少しの所に残る大きな昔の山頂表示のある麻生山。3つの山頂は僅か歩いて4分ほどの間隔で並んでいた。 麻生山北峰からの眺望はこの上もないスケールで望まれた。手前足元には扇山と百蔵山が逆光に霞み見下ろされる。 お椀を逆さにしたよう形で.その間からは見上げれば富士が何時もながらの秀麗さを誇り.飛び抜けた大きさで大空に君臨していた。 正面から望む桂川の流れは大月.都留市と街並みをうねり.富士の裾野.吉田の街並へと遡っている。 尾名手峠 北峰から僅かに下り尾名手峠に着いたのが2時5分。予定より25分の差がでていた。今回は余り余裕のないスケジュールになっている。 始発のバスから最終バスを逆算して歩むが如何してもズレが生じる。時間に追われるようなった。それでいて焦る気持ちはなかった。 時計の針を見るものの如何にかなるとのんびり周りの雰囲気を味わっている。1人ゆえ尚更焦る気が起こらなかった。 時間がなければ後は下り.走るか休まなければよい。 三ッ森北峰を下り降りた所が尾名手峠. 峠には十字路に踏み跡がある。尾根上を直進すれば三ッ森から遠く牛寝通りへと続く。 大月市が立てた長尾根への巻き道の道標に従えば長尾尾根から駒宮経由で下り葛野川.富岡にでられる。 三森北峰からは鋸尾根(楢尾尾根)を下れば小姓を経て街道へ。先〃月シッチハイクした葛野川草木の街道にでている。 左後方へ分け三森の最初の小コブからは麻生沢二俣の1200m圏中間尾根を下りれば沢沿いから駒宮にもでられる。・・2013.05 長尾根の登山口と合わさり.里に下りてもいた。 右前方の腰掛に下る踏み跡は尾名手尾根の東側を巻きながら.深い尾名手川の左岸山腹沿いに下っているのは尾名手峠道。 平野田か.朝方通った腰掛の集落へ沢沿いに降りている。ただ山道自体は荒廃が激しく廃道化されていた。 尾名手川の古道 この山腹道は地元では「日方道」(ひがたみち)と呼ばれ日方の斜面にあり.日当たりよく冬でも暖かい日溜りの道だった。 明治以後.6所帯が入植し.炭焼きを生業として暮らしを営んでいた。1/2万5千地形図.猪丸には尾名手に幾つかの住居マークが示されている。 ただ今は全てが廃屋として廃道になっているようだ。 この鶴川へ落ちる尾名手峠道は尾名手川左岸沿いに最後まで下り.以外と厳しいルート。2時間半. 尾名手尾根を挟んだ1つ上流側の阿寺沢右岸道は更にその上をゆき.峠越えするにも更に時間を費やす古道になる。 尾名手川左岸道から尾名手尾根1098mコブ南尾根―阿寺沢・・2014.06 扇山と百蔵山・・三ッ森北峰から南面の展望 まず眺められたのは中央東線の山々奥が表道志に重なる道志主稜と左奥が丹沢山塊. 右奥が山中湖を囲む山々が帯のような地平線を描き広がっている。 左肩は三ッ森山鋸尾根.権現山南尾根・扇山北尾根と葛野川左岸出合に並行して聳える百蔵山。 又扇山北尾根からは曽倉山西尾根が延び.その頭上には扇山の頂から何本もの北尾根を地獄谷へ落としている。 三ッ森 三ッ森も麻生山と同様3つのコブがある。共に三峰.三山と呼ばれているが顕著なコブが並んでいる訳でもなく,コブ間の距離も短い。 1つの集合体と考えてよいと思われる。この分け方は現在より昔の方が活用が多く.細かく決められていたようだった。 三ッ森北峰 頂の壊れた鏡より・・2025.05.04/14:39に撮影鶴峠から奈良倉山.佐野峠.坪山分岐.西原峠から林道を分け.小寺山.大寺山から三ッ森北峰鋸尾根を下り.カワツバタ窪ノ頭から小姓へ.H=jr猿橋 三ッ森北峰は時代と共に多くの山名を持っている。三ッ森ノ頭.三ッ森北峰.群内鋸岳.ミツモリ.虎挟山.最近では西峰と。 三ッ森も麻生山も北峰は共に眺望の恵まれた場所だった。共に北峰の下りは岩混じりで痩せており傾斜は強い。 北峰から僅かに下ると左へ分ける鋸尾根(楢原尾根)は葛野川沿いの杉平入口に下りている。 麻生沢二俣中間尾根から奈良子入口・・2013.05 三ッ森の「モリ」とは当て字と思われる。「高く盛り上がった所」で更なる語源として古韓国語で「山」を意味し 木々が多いと云う意味ではない。先月に登った笹子沢川北面のトクモリや滝子山の別名で.ミツモリも同じ言葉を意味している。 甲斐郡内地方の南面の山々 ![]() 扇山下の右に傾くのが曽倉山西尾根.扇山右の810m圏コブ北尾根を浅川地獄谷から周回し.葛野川左岸古道を歩む・・2013.01 三ッ森北峰からの眺望 三ッ森北峰は南から西への展望を楽しむには素晴らしい頂にでる。 苦労を忘れる展望台だった。富士山は澄み過ぎた紺碧の冬空に天高く突き上げる。その白銀の眩さは裾野まで強調されていろようだ。 丹沢方面では大室山.加入道山が顕著な判り易い姿を現し.浮かぶ大きな積雲も陽光の反射を受け白く煌めいている。 午後になりやや雲が顔を出だしているものの天候は冬型の典型的な表日本の気圧配置を現わしていた。 その前衛には道志.中央東線南部の山々が連なっている。甲斐の国東部の山々が隅から隅まで望むまれる。 つい最近まではここからの眺望はジッと見詰めていても判らぬ山々が多かった。この2.3年で山の概念を掴めるようなる。 手前扇山と百蔵山の先の谷筋は桂川が流れ.右方の御坂山塊の奥が笹子峠。 道志川側から見る丹沢山塊 上の写真左景三峰.蛭ケ岳.大室山. 大室山のズーと手前が扇山.間の右端が道志主稜の朝日山 葛野川と桂川本流の下流流域 上の写真の右景は御坂山地A奥が桂川本流. 支流笹子沢川は右に横切る。手前は支流葛野川.桂川.3つの河川分岐.出合が判る. 大菩薩連嶺東面 西北面・・右景B北峰より楢尾尾根(俗名は鋸尾根)を前に大きく弧を描く葛野川を隔て.楢ノ木尾根.瀬戸境越えに連なる大菩薩の山並群。 左下が林地区.右下が上和田地区 西側に目を向けるならば南大菩薩連峰.滝子山からの峰々.更なる笹子川出合から桂川の流域に高川山.九鬼山が 短い午後の逆光を浴びていた。見下ろす逆光の陽は瞼を暗ましている。小金沢連嶺から派生する牛ノ寝通り.長峰は 手前に迫るよう尾根を延ばし.下端はその領分を大きく誇張しているようにも思えるていた。 正面奥の黒岳からは大きなうねりと共に楢ノ木尾根が手前に迫り.大峰.水無山,尾越山(おごし.麓山)へと凄い迫力で迫っていた。 支尾根のセイメイバンも同じような孤をその内側に描き.そこに山があることを強調していた。 楢ノ木尾根・・大峰と水無山 水無山から尾越山で楢ノ木尾根は南下する水無山は先の西沢ノ頭に対し東沢ノ頭とも呼ばれている 牛ノ寝通りと長峰 小金沢山から写真右景C遠方は奥秩.唐松尾山から飛龍山.三ッ山 牛ノ寝通りの緩やかな括れが松姫峠.その奥が今倉山(サカリ山)と小杉山(中指山) 2008年12月に大菩薩峠を横断し牛ノ寝通りを歩む。そしてその時の雪線だった米代で1本取ったのが長峰への取付きだった。 昨年11月には長峰から矢坪まで下る。この2年.登り続けた大菩薩の各尾根が縮図のよう眺められる。 葛野川左岸尾根の各々の北支尾根と遠く霞む富岳に係三ノ森北峰と大寺山 笹尾根.槇寄山の頂より重く霞む相模川水系の鶴川方面を望む.郷原上部からの南方の展望.15:21.2008.03.28/12:05 牛ノ寝通りに繋がる権現尾根 東面は檜林. 左肩の背稜が大寺山大垈山の分岐から東方尾根上に建つのは深城線18号鉄塔の頭・・2021.01/11:00. 山の向こうは鶴川になる。北峰鋸尾根と麻生山長尾根が宮地山に繋がるよう見えるが.間の渓谷は葛野川の支流小俣川。 写真の左肩の背稜は瘤は大寺山. 逆の裏側の流域になる尾名手川を取り囲む大寺山尾名手尾根を下る。 14:45市界尾根.大持山一14:57(1207mコブ)一15:30(957m地点)一立木下石塔一15:45(850m分岐) 一16:00林道一16:10県道.阿寺沢入口バス停. 大寺山 小笹が被い始めた大寺山と境界尾根の小寺山1226m松姫鉱泉の道標とカマボコ板の山名標や青字の山名標があり.別名は尾名手山。 西原峠から西原山.小寺山と綴り大寺山へ ![]() ・・2025.05.04./13:57に登頂し.三森北峰から鋸ギル尾根を小姓へ下る。 真面目に歩んで来た積りだが大寺山で15分のオーバー。今のペースで歩めばバス停阿寺沢入口で最終バスに乗る余裕は±0になった。 私の場合.下りで短縮できるが余りにも時間通り。それも最悪のタイムを予想しての時刻。 バスに乗り遅れるのではと心配するものの.それでいて気が焦る気が起きないのが又可笑しかった。 三ッ森北峰の北側のコルで羽毛のチョキを脱ぐ。今まで程良い暑さで周りを眺めながら行動していたが時間を使い過ぎたようだ。 シャツにウインドブレカーで寒けば真面目に登ればよい。汗が垂れ息が上がりだすとやや足は軽くなる。 大寺山まで短い距離だが2つコブを越し.頂に立っている。少し時間を詰めた。豆に時計を見ていさえるれば如何にかなろう。 チョウナ沢ノ頭 頂から雑木林を抜け右上の最初の小コブ.1207m峰大寺山 数時間前.遠く権現山から望んだ尾名手尾根は一定の穏やかな勾配を保ち.悠然と腰を据え構えていた。 如何にも歩き易い穏やかな地形で尾根は谷間へと1本尾根で延びている。小広い大寺山の頂にでる。背丈の低い笹原に被われている。 麻生山にでて漸く疎らながら笹茂げる緑を見る。冬木の落葉径から突然現れた熊笹の緑も.時には好奇を感じさせられた。 これまでは殆ど踏み跡径も登山道でも地表は枯葉のみで緑溢れる茂みは見られなかった。土色の土壌だけが麓から続いている。 ここ大寺山にでて被い茂るスズタケの姿を見る。多くない小笹だが大地に茂る笹の緑が目立ち臨まれた。 そして尾名手の尾根を覆う笹尾根径は程良いクッションと緩やかな傾斜が足に優しさを与える山道になる。 落葉径とも違い裸土のクッションはやや硬い感じもするが歩むペースは早くなる。 斜陽を受け始めた尾根径尾名手尾根に入り込むと枝木を透し.綴ってきた権現の北尾根や権現尾根の峰々が小コブのよう連なり眺められた。 手前には麻生.三ッ森の山々が迫り構えている。坪山の尾根へと左手はやや枝の絡みが多い。 小笹の径.手振りを大きくすれば速足になり.止めれば情緒的.感傷的な歩みに戻っている。和む傾斜の尾根径が続く。 ヌカホヤノ頭 最後になった長く斜陽する影幾つか小さなコブを越え.1207m峰は北東に尾根を派生させている。ここからは右の南側笹原に尾根径が綴られていた。 そして気持ち左に尾根筋が回り込むとヌカホヤノ頭1098mに立つ。 ![]() 尖っ付きにある尾名手山神 早くも陽が落ちた平野田休暇村の分岐. 左が阿寺沢.足元が朝方通った腰掛の集落へ 1098m峰は南側に尾根が盛り上がり.その尖っ付きの標高957mには石祠「尾名手山ノ神」石祠が祀られ. 祠は「大日大聖不動王」を意味するようだ。少し戻ると北側の肩から東へ緩やかに尾根が延びている。 その先は緩やか過ぎる散策的な尾根径になる。 途中で右後方から作業道が入り込み.957m地点で再び作業道が右後方から合わさっている。 真新しい境界見出標に古い水源林道造成事業の黄色い看板が倒され放棄されていた。 檜の樹林帯に入る。幹径は手のひらサイズから35cmほど。皆根元から50cm間隔で4ケ所. 160cm程の高さまで幅広いナイロン紐で巻かれていた。結び目の端が40cmほど垂らされている。鹿害防止のようだ。 効き目は判らぬが丁寧に1本ずつ結ばれていた。 3年前には三頭山笹尾根で杉林の幹にビニール紐が何重にも巻かれた姿を幾度か見ていた。 又一昨年の奈良倉東尾根では檜にも巻かれてもいる。957mコブを越えると雑木の森が広がり.下る道中に時折巨樹も混ざる。 今日は日没ではなく.バスが気になり始めていた。 平野田の集落 阿寺山尾名手尾根末端の集落 集落前の伐採地と林道腰掛線阿寺沢の集落 850m地点.朝方見かけた腰掛集落へ下りる分岐にでる。立木に古い白いビニール紐と黄色いテープが巻かれていた。 時間は縮むも.まだバス発車ジャストの時間だった。真面目に速足になる。左の阿寺沢へ共同アンテナにでて同軸ケーブル沿いに尾根を下りる。 平野田の集落が見下ろされ.踏み跡が薄れた所で畑になった。真下に林道を臨み.足元の歩き易い場所を選び下る。 潜る柔らかい畑の土.畔のような坂縁を下った。朝方の林道.腰掛線の阿寺沢終点の真近な曲がり角に下り立っ。 尾名手尾根と坪山東尾根 2023.10.250/11:00山上集落.中群から鶴川を隔てての尾根末端を隔てての展望. 鶴川に落ちる左側が尾名手川.右側が阿寺沢で.左奥の市界尾根に乗るのが三峰北峰. 尾名手尾根を末端まで下れば入山時の腰掛の取付きにでられる。途中から北側の枝尾根を選び.阿寺沢に下るルートを今回は取っている。 腰掛との間には平野田の集落があり林道で結ばれ.阿寺沢川を渡れば街道の阿寺沢入口バス停にでる。右上は市界尾根(上野原市・大月市). 猟犬 林道沿いに阿寺沢の集落に入り.阿寺沢川に架かる阿寺沢大橋を渡り右折する。丁度居わせた地元の人に念の為バス停を聞き県道へでる。 川沿いのヘチに猟犬用の大きく細長い犬小屋があった。吠えること.吠えること脇を通るので犬小屋にいるとはいえビビる。 数頭いる立派な小屋は大きさから見て.共同で飼育しているようだった。 番犬と違い猟犬が何故人に吠えるのか.不思議である。猟を躾.他人には吠える。冬場は山でハンターとは暫し出偶わし猟犬の追う声も聞く。 考えてみると傍に私が居る時は猟師は犬を抑えているようだった。洋犬は人に向かい絶対吠えないと聞くが躾か.和犬と違いなのか? この辺の集落は何処も小さな畑に工夫をこしらえ.低い猪棚を造り畑を守っていた。 鶴川を渡り少し登れば左手に坪山への登山口を見送り.鶴川の左岸に渡ればバス停.阿寺沢入口に着く。 上野原丹波山線とのT字路.林道起点のバス停前では道路の雍壁改修工事が行われていた。 バスが来るまで10分の余裕ができていた。ホッとする私.作業員に「何処の山を登ってきたか?」と尋ねられた。 街道 鶴川沿いに走る林道腰掛線は背に急斜面の裾をもつ中群山を抱いている。 それに対し中群山の北側に流れる初戸川左岸沿いは幾つかの緩やかな丘陵が開け.尾根南面の裾は日当たりには申し分ない所だった。 それが街道.県道18号が通る要素にもなっている。中群山は和から田和峠に突き上げる田和尾根末端で間の丘陵が田和の集落になる。 街道はここから朝方下車した初戸までの鶴川と離れ.支流の初戸川沿いを回り下っていた。路線バスも然り。 林道と街道.その上流側の鶴川合流地点がバス停阿寺沢入口になる。 2つの尾根 権現山北尾根と尾名手尾根は共通して自然林の多い尾根だった。 思いの外マーキングは少なかったが北尾根はやや薄いだけで踏み跡は確りしている。遅い始発に早い最終バス. やはりこのコースは春を迎えてから入山し.若葉やツツジなどが目を楽しませる時期に.気持ゆったりと歩むのがよい。 雑木林の割に落葉は少なく.陽は出るも肌寒かった。今回もjr駅上野原に戻るまで1人旅.冬木覆う寂峰に包まれた尾根径を味わってきた。 3つの西原 3年前.三頭山笹尾根を縦走中.西原峠に立ち.地図から佐野の西原峠と東西に2つの西原峠があることを知る。 その後は大菩薩嶺牛ノ寝通りから松姫峠経由で松姫鉱泉に宿っている。その折主人の話によると新たな混乱をもたらしていた。 元上野原市長の峠改名を憤慨していた。鶴川を隔てて2つの同名の峠名が名付けられている。 私も昨年.奈良倉山東尾根から佐野の古道を歩み.もう1つの西原峠に立つ。同地で読み言葉も同じ.昔からある峠だった。 今回鶴川の支流.尾名手尾根を下り.阿寺沢から広い地域で云う西原に下りている。 路線バスでは通過したことのある集落だった。西原の端.阿寺沢入口バス停から乗車した。 西原峠と西原峠を結び.谷間の西原の集落にも点で結ばれた。次回は線で結べるよう2つの峠越えを試みたいと思っている。 武甲国境越えで.肌で感じる何かが得られるかも知れない。 バス停阿寺沢入口 T字路の街道の山側が擁壁の工事現場16:10阿寺沢入口bs16:36.¥850一15:15jr上野原:26=17:45高尾:45=18:59お茶の水 擁壁工事現場T バス停「阿寺沢入口」のT字路を中心に山側の側壁新設工事が行われていた。県道のこの一区画だけが裸土の山肌を現わしている。 その護岸のコンクリート吹き付け工事。完成後の防水吹き付けもあり.往来する車両に塗料が付かぬよう.その前に防禦壁を造る工事がまず行われていた。 防御壁を立てるべき.長い溝を路面に掘り起こしていた。そして2週間後.再び訪れることになる。・・続々 付近は交互交通でガードマンに指導されバス乗降口まで案内された。車内には郷原の西原小学校の生徒7人が集団下校で乗車していた。 下るバスの各々の停留所で1人.2人と男の子.女の子が降りてゆく。最後に残ったのが1番年下の女の子。降りてからてから手を振るお姉ちゃん。 皆元気に降りると残ったのは私1人になった。往路と同じようになる。 街に入ってから乗客が増えると思われ.今回は一番後ろの座席に座り込んでいた。 市街地に入り洛陽を迎える。御坂山地から大菩薩嶺に連なる遠方の山並は斜陽した陽光を受け.空との境をオレンジ色に染められていた。 夕日が傾くにつれ強い夕焼けの色彩は薄れ.白みも薄暗さを増し帳を落としている。アッと云う間に闇の夜空が現れた。 路線バスが終点.jr上野原駅に着く。日没を迎え寒さが戻る中.駅舎前広場からは冴えた渡る満月が月光をきらめかさせていた。 ・・地形図「猪丸」.「七保」.山と高原08「高尾.陣馬」 腰掛から権現山北尾根 権現山陵西方から大寺山尾名手尾根・・阿寺沢の県道工事現場1 |