秩父から西上州3へ. 寒中の荒れたカラッ風の天丸山と翌日は快晴が対比となったシラケ山と烏帽子岳 ・・忘年会山行V 西上州周辺Top

   秩父から出向き肌寒い北風の大山北尾根に難渋した天丸山―翌日は快晴無風のシラケ山.烏帽子岳と山上満歩を楽しむ
                                    2011年12月16〜17日 L松村m見城.滝島.鈴木
    大山北尾根を断念した曇天の肌寒い天丸山
    紺碧の空と天狗岩.烏帽子岳

     今年の忘年山行は昨年に続き西上州の山域に入る。
   日航事故のあった鷹ノ巣山に登りたいと願う先輩に林道は冬期通行止になり.上野ダムまでしか入れず.更に林道歩きが長く諦めてもらうしかなかった。
   山を決める前に塩乃沢温泉に宿を取っている。故西上州南部.神流川流域から入山して天丸山とシラケ山,烏帽子岳を山域に選んでいる。

     選定は両神山塊に連なる天丸山を詰め.烏帽子岳から西上州国境稜線の全貌を仰げられ.又昨年訪れた鹿岳.四ッ岳の逆方面から眺望も愉しめる。
   今回のアプローチは南側の秩父からとし.志賀坂峠を越えをし上州.神流川流域に入ることを考える。

     天丸山は奥秩父連峰の北側,三国山と両神山とのほぼ真ん中に位置し.上武国境尾根沿いに連なり北秩父山域に当り.
   神流川沿いの上野村に入り.上流側の1つ目の長い裾尾根の末端を回り込めば.右岸に天丸山から流れ込む野栗沢と合わさる。
   この出合が武州街道(十石峠街道)の八幡地区にあたり.上流の奥名郷沢川を詰めると頂は上武国境にある天丸山にでられた。

   赤平川上流にある新秩父開閉所の正面を通過.8:30

    12月16日(fur)曇一時陽を浴びる
      西武池袋.特急「ちちぶ号」¥750+¥620. 6:30=7:50西武秩父.集合=9:40天丸橋.
    アプローチ
     見城先輩と私は新宿駅から始発の特急で西武秩父駅にでて.滝島先輩と同期鈴木と合流。今回も鈴木の運転で小鹿野町を抜けている。
   赤平川沿いを遡り.奥多野花街道.国道299号線沿いを北上し.県界尾根を越えて西上州.神流町に入る。
   途中.北側に送電線黒部幹線.安雲幹線1号線が走り.南側には安雲幹線2号線が街道を挟み.並行して走るのが望まれた。

     街道の1ケ所で直ぐ右脇に1号線鉄塔が建ち.その脇を抜けている。
   盆地から街道を詰め赤平川の谷間に入り込むと周りの送電線は次第に間隔を狭め.その先の東電.新秩父開閉所で各々の送電線が集められている。
   車は志賀坂峠へ向かい.その変電所の正門前を通り抜けている。

    奥多野花街道
   下は赤平川を渡る送電線安雲幹線1号線.8:50

     変電所を経由する3つの送電線は信州から上信国境を越え上野村.神流町の山々を抜けてきた首都圏に送られる送電線。
   我々はその架線下を抜けるよう綴り県境.志賀坂峠越え西上州に入る。

     峠へと登るにつれ高みに立つと赤平川の右岸に両神山塊が遠望された。又右頭上には強大なトップハットのような二子山が見上げられる。
   山自体が岩峰の二子山の山肌は朝陽をサンサンと浴び黄金色に照り付ける眩い陽光を放し.初冬の紺碧な青空に頭を突き上げていた。

    河原沢川からの両神山塊
   嵯峨坂峠の登りで.8:51

    左から大キギ.東岳.竜頭神社奥社ピーク.風穴.西岳.行蔵坊ノ頭.八丁峠.赤岩岩稜
    中央左は送電線安雲幹線2号線鉄塔

     ジグザグに山肌に刻まれた街道を詰めて志賀坂峠にでる。既に隧道口左脇にある林道金山志賀坂線のゲートは閉ざされていた。終点地点
   4年前の04月.このメンバーで落合橋から両神山八丁尾根を周回した折.この林道は土砂崩れで通行できずに起点の大滝に戻された林道である。
   起点は金山の鉱山地帯になる。又昭和40年代の鉱山の隆盛期にはこの森林管理道は鉱山道路とも呼ばれていた。

     国道としては上州最南端の隧道を潜り.上州神流川流域に入っている。ここまでの間に送電線群は幾度も街道の上空で交差していた。
   単純な形の鉄塔を持つ黒部幹線に対し.過酷な山岳地帯を通過するため耐氷雪設計された「えぼし型鉄塔」の安雲幹線の鉄塔が建てられていた。

    県境越え上州へ
   左肩は送電線黒部幹線鉄塔.8:51
    右中程の尾根が西岳新道のある尾根
    右上が前東岳からの天理岳中ノ沢左岸尾根

    上野村
     県境の隧道から西上州に入り山陰になると間物沢川沿いに街道を下り.神流川古鉄橋を渡れば武州街道にぶち当たる。
   そして左折し大平戸山の北麓を回り込むと直ぐ村境を越えて.待望の上野村に入村した。
   両神山に登って数年経ち.西上州の山々に憧れ.昨年は北側の下仁田から入山した。そして上野村から入れることを切望してもいた。

     神流川右岸沿いを上流に向かい,初めての河川が支流野栗沢。出合の八幡からは沢沿いに意外と長い家屋が軒が並ぶ一大集落地を過ぎる。
   その上流側奥に野栗沢温泉「するばち荘」が少し離れて1軒あり.その間には先程の送電線安雲幹線2本が上空を渡っていた。

   小鹿野町の二子山
  
   二子山1165.6m.別名「奥多摩のジャンダルム」.「クリジーマンテン」. 西武秩父線沿いには芦ケ久保の二子山882.7mがある。

    県営林道上野大滝線
     家屋の途切れた先が奥名郷沢川と赤岩沢の二俣.野栗沢の集落になる。深い谷間の沢底に一軒の民家が見下ろされたのには驚かされた。
   林道名栗線はここから急激に高度を上げ登っ行くと最上の集落に当たる奥名郷は山上の南斜面にへばり付くようあった。
   周りの山肌は疎らに溶ける残雪で白く覆われ.生活道路で舗装されているものの.ここに住む知恵の凄さには驚かされられている。

    反対側の神流川の小倉沢金山沢を隔てての赤岩尾根
   三国山からの上武国境稜線・・2008.04.29/11:39

     右肩が龍頭山,風穴を下り返し西岳と行蔵坊ノ頭. 先の八丁峠を抜ければ赤岩尾根に至る。顕著なキレットを登り返すと1583m峰.後ろに隠れるは大ナゲシ.
   赤岩岳から宗四郎山へ巻き込むよう下ると赤岩岳に隠れた大山,天丸山がある。

     当時は岩混じりの樹林帯と非対称の頂稜.東岳まで金山沢を遡り大休止した。都合よく頂にベンチがあった。
   陽射しはあるも霞みは強く.狩倉尾根も赤岩尾根もおぼろに立つ姿を眺めるのみ。ただ頭上を見上げれば蒼空が広がっていた。

  

     林道が大きくカーブした地点から大山が初めて望まれた。登るとは思えぬ岩峰が天に突き上げている。その先が天丸橋.天丸山登山口になる。
   県営林道上野大滝線はこの先で焼岩を巻き込むよう遡り.県境山吹峠(山の神.六助)で天丸隧道を潜れば武州に戻っている。

     林道は埼玉県秩父大滝を起点に群馬県多野郡上野村野栗川と結ばれていた。広河原沢左岸沿いに下り.同じ川名の中津川の支流.
   神流川沿いの大滝にでる。又旧中津川林道や金山志賀林道とも接続されていた。2008年04月に神流川金山沢を遡り.落合からこのメンバーで
   両神山八丁尾根に登っている。ただ上州側の支線乙父林道東沢線はまだ工事中で未開通だった。

    大山北尾根を断念.天丸山へ
      天丸橋P9:50一10:00取付き一10:15枝尾根上一10:50迷い戻る一11:10二股手前天丸沢河原一11:25結飯:30
      一12:15天丸沢下降点一12:20倉門山:30一12:45天.山分岐13:30⇔13:00天丸山.

    
    天丸橋P脇の林道開設碑.9:48           右岸の作業道.10:06

     登山口で猟にでる3台の車と擦れ違う。
   天丸沢に入り.直ぐ取付く筈の大山北尾根への末端ルートの印を見過ごしたのか.取付き付近は雪に被われ判らなかった。

     右岸に直ぐ植林帯を臨み.ここからだと思うも谷間は残雪に埋まり.小さな道標があるも分からずにいる。
   杉林の幹に鹿避けに透明な幅白いテープが幾つも巻かれていた。ここだと思うも分からなかった。変な予備知識で道標ばかりを探していた。

    北尾根ルート
     少し沢沿いに登ってしまったのが又悪かったか? 登るべきルートが余計分からなくなる。
   右岸の緩やかに凹む窪溝を過ぎ.歩き始めて10分ほどで作業道を見付け取付いてみた。そこも先は悪かった。
   大山へ直接登る北尾根に入ってしまったようだ。大山山頂の直ぐ南側に並ぶ.1530mコブから北北西に延びる尾根。

     地形図を見ても岩記号が激しく絡む尾根。1200m付近で北東に折れ.直ぐ北北東に曲がり.天丸橋上の二俣に落ちている。
   本来のルートはやはり天丸橋の二俣にある筈だった。小平らな河原を100mほど遡ってしまったことが仇となっている。

     本ルート尾根とは別に浅い谷間が奥に延びる右尾根に入ってしまっていた。現地では雪被る樹林に囲まれ分からないでいた。
   地勢図をよく見ていれば判った筈である。可笑しい.可笑しいと最後は偵察したが挫折している。

      大山北尾根(仮東稜)
    仮大山北尾根西稜より.10:18
     向かいは焼岩展望台からの北尾根

    右尾根
     取付きから15分程.作業道から離れ尾根上にでる。1100m付近,殆ど尾根末端に近かった。
   尾根の向かいには仰ぐよう大きな主尾根が姿を現していた。本来のルートだろう。

    尾根を塞ぐ岸壁基部
   巨岩の壁は沢川を高巻く.10:20

     緩やかな登りになり.100mほど進むと尾根は直ぐ岩壁で隔された。
   ここは大きな岩壁を仰ぎ.藪の基部から天丸沢側を巻き込み上に立つ。そして藪の絡みも多くなる。

   傾斜の増した小尾根でストップ.10:26

     小さく遮る岩コブが続く。灌木を頼りに腕力で掴み登れば,高度はどんどん稼げた。
   T氏が山らしくなったと喜び.K氏は落葉の中から古い空き缶を見付けるも人の通った匂いは薄い。
   痩せ尾根は次第に側壁を築き高度を増している。ここ踏み跡としてのルートは解説書のルートと違っている。

   コルを越えると段違いの足場から大岩混ざりの稜へ.12:42

     偵察として1人試登する。ホールドとなる枝木は豊富だが足場が高く.高度を上げルートを探し探しの登りが続いく。
   更に傾斜が増したので空身でルートを取る。見下ろすと高度は見る見る上がりも.尾根自体の視野は藪に閉ざされていた。

  

     左足元に見下ろされたのは登ってきた谷間の尾根.林道が眼下を綴っている。
   又右頭上には蒼空が広がり.2つの支稜の尖峰が臨められた。「よしや!」.「もう少し頑張ろう!」と自然に声がでた。

     先に続く小さな岩コブは限りなく続くようにも思えた。攀じれば登れるルートだが安定した頂稜は最後まで見定められぬようだった。
   この地点から見る限り.1つでも岩コブに閉ざされば,先は進めぬ危険が待っている。
   又今回は大山が最終目的地点ではなかった。このまま登り詰めた方が面白いかも。ただ名なる山は頂稜から続く天丸山.諦めざる得なくなる。

    仮大山北尾根西稜
   2つの支稜の尖峰.10:47

    撤退と沢沿いルート
     遅い出発はやはりきつい。9時には登山口に着かねば.暮れの早い日没に苦労する。時間がなさ過ぎた。
   天丸山だけは登らなければと大山ルートを諦める。そして途中で見付けた作業道まで戻り.天丸沢二股少し手前で沢底に戻っている。

   天丸沢の沢底に戻る.10:57

     下ると谷間は雪原化していた。ここを詰めるしかあるまい。沢沿いの登山道を上武国境尾根へ。朝方の晴れ間も失われている。
   その谷間は汗を掻き.急に肌寒くなった。重くなった足にムチを打ち頂稜にでる。

    天丸沢中流
    
                           抜けると雪原状の源流になる.11:18

     分岐点.12:27
                           大山は諦め沢沿いにツメまで登ってきた
    県境の天丸沢下降点
   右の倉門山を臨む.12:06

    三角点票のある倉門山
   空腹で小休止.13:30
    背は天丸山と北尾根. 遠方は諏訪山(カミヤツウチグラ)

     秋山の服装でやや肌寒い。稜にでても陽は雲に隠れ閉ざされている。袖を捲くこともなくなった。
   上武国境尾根に立ち.倉門山で結飯とソウセイージを半分ずつ摂っている。

    天丸山北尾根と大山.北尾根西側
  
    足元は天丸沢.13:05

     右手背後は大山が荒々しい岩肌を天丸沢へ落としている。天丸山の北尾根も真近に臨められた。幾つもの変化に富んだ奇峰のコブ.
   先日K氏が役場に平成07年12月の山火事の現状を聞いたところ.社壇の切り通しから尾根P1に取付くルートはまだ火事の後遺症が残されていた。
   遠慮した方がよいとのこと。そのコブ群は天丸山の頂へ延びている。

     その姿は何処もが何故か.閑散とした風景に思えた。写真の如く大地は雲に被われ始め.細かく陽差しが届く.不思議な山上風景を創っている。
   何か寂しいのは擦れ違う人が居ないだけではなさそうだ。間違ったルートに入ってしまったことが後まで尾を引いていた。

       天丸山々頂
       13:15
      綱引きのような太いロープから頂へ.13:06

    上武国境の帳付山
   乙父沢西沢.東沢を隔て.13:02
    諏訪山の頭が望める. 遠方は上信国境の御座山

    帳付山の左方1609m峰と三国山への上武国境尾根
   右下が馬道コル(広河原越).13:09
    遠方は甲武信ケ岳.

     枯葉を蹴り残り雪を踏みしめ.最後にロープが設置された垂直の壁を攀じれば天丸山に立つ。
   手前の帳張山を中心に西側の眺望が開かれる。右肩の先には諏訪山(カミヤツウチグラ).その奥に霞むのが上信国境の御座山。
   左肩からは三国山の頂稜が延び.その先は遥か彼方の奥秩父の連山まで望まれている。どこも重い雲の下にある。

    下路
      13:00天丸山:15 一13:55天丸沢下降点一14:15枝尾根からの下降地点一14:30北尾根下降地点
      一14:50天丸橋P=15:40塩乃沢温泉.
    天丸山北尾根
  
    天丸山とP3.13:30




  P2とP1.13:48 
    大山と赤岩岩稜と両神山塊
   上武国境尾根から.13:56

    昼食
     時間の進み具合が昼食を遅らせていた。陽が陰り休めば肌寒い。風は気にならぬも炊事には探す場所が必要だった。
   大山北尾根に入り挫折したことで時間のロスをだしている。T氏から天丸山をピストンし.下界で温かいうどんを食べようと提案がでる。美味い店があると。

     S氏も同調。K氏はそれでもよいと思うも黙っている。1時間多めに歩けば馬道から別ルートで天丸橋まで周回できる。
   ただ山中で昼食を摂らねばならず.来たルートを戻るしか方法はなかった。コンロを使わぬとK氏を促しピストンした。

    大山北尾根西稜の尖峰
   天丸沢中流より.14:08

    天丸橋に戻る
   県営林道上野大滝線.14:52
    14:50天丸橋P=16:40国民宿舎「やまびこ荘」

     下山しあると云ううどん店を探し.摺ったもんだする間に武州街道は神流川上流へ。道を左手に分ける地点まで出てしまっていた。
   閑散とした街道にうどん店があると云うも.結局探すも分からず.塩乃沢温泉の手前まで来てしまっていた。

     分岐を左折すれば上野ダム.御巣鷹の尾根への道。直進すると十石峠への分岐.砥根平にでる。
   国道分岐は塩ノ川出合脇の狭い谷間で家屋1軒もない寂しい所だった。

     県道45号下仁田上野線の道路標識があり.右折してふるさと林道湯ノ沢線を遡れば直ぐ湯ノ沢隧道を迎える。
   林道終点.檜原で右折し旧道(旧県道45号下仁田上野線)? に入った所が塩乃沢温泉.国民宿舎「やまびこ荘」だった。

    塩乃沢温泉
   「やまびこ荘」にて.16:16
   T氏とコンロ

     宿に着くとまず風呂に浸かってからという考えはなくなっていた。入室するなりビールを呑み.腹が減ったとコンロを点ける。
   昼食が延々と延び.山を下りて街道で済ます筈が探している間に宿に着く。なすこと全てが中途半端になる。
   北尾根中退から強引に後の計画を遂行する訳にはいかなかった。

     今時計の針は丁度4時を指していた。夕飯までまだ2時間はある。魚肉ソーセイジを齧り,カップラーメンを半分ずつ食べることにした。
   具はないが用意されたネギだけは多い。それが良かったのか.悪かったのか? 空腹感はなくなり腹は落ち着いてくる。
   そして半分の分量だけの食事が満足感を呼び.食欲は失われだしていた。

     食堂での酒のビン買いに悠著する。T氏は酒のフルコース.ワインにウィスキー.日本酒を段ボールに詰め持参した。
   部屋に既に敷かれている布団を巻き上げ.テーブルを囲めば忘年会山行らしくなる。一通り呑んだ後.私は日本酒を頂いた。

    「やまびこ荘」
     西上州の南方. 深い山の懐にある塩乃沢温泉は一軒宿. 平成13年07月にニューアルオープンした宿で意外に大きな館だった。客員90名
   館内内装.家具類は木をふんだんに使用し雰囲気は申し分なかった。ただ個室はやや狭い。又狭い玄関のオートロックには閉口する。
   どの部屋も考えることは同じ.スリッパが戸との間に挟まれてる姿は笑いがでる。

     大浴場は内風呂,洞窟風呂(源泉).露天風呂があり.ナトリウム一塩化物冷鉱泉(中性低張冷鉱泉)で神経痛,筋肉.関節痛に利くという。
   私は金属アレルギーを考え朝風呂は諦めた。透明なゆったりした湯,浸る心地は快い.翌日も烏帽子岳ピストン後.再び入浴ことになった。
   一泊2食¥9.075(¥40.800).日帰り入浴¥600. 明け方の最低気温は−6℃.

   上野村の送電線
     国土交通省から5年間連続して関東一綺麗な川と証明された神流川の源流, 十石峠付近からは送電線黒部幹線と安雲幹線1号線が
   武道峠付近からは安雲幹線2号線が神流川沿いに上野村を横切り小鹿野町へ抜けている。→利根川.

     黒部幹線は1927年(s02年)に竣工され信州愛本変電所〜南京変電所間を結ぶ送電線。343km.鉄塔300基
   黒部幹線は横田基地や入間基地に隣接していたことから支障移転が繰り替えされていた。
   現在は黒部幹線は新町開閉所から奥秩父変電所間. 黒部幹線に含まれていた北幹線は2001年(h13年)に廃止され送電設備も除却されている。

     安雲幹線1号線は信州梓川の安曇及び水殿揚水式発電所の竣工に合わせ.首都圏の275KV外輪系統に連系するため造られた送電線。
   まず北側のルートを取り.1969年(s44年)に竣工された。水殿発電所〜新信濃変電所(275KV設計.18km45基.)〜新所沢開閉所間
   (500KV設計.150km.えぼし型鉄塔348基)を繋いでいる。


     又1977年には起点を新信濃変電所とし.終点の新所沢開閉所は新所沢変電所となる。
   更に1982年には素通りしていた1号線は新秩父開閉所に2号線と共に終点となり.同時に500KVに昇圧された。


     1967年(s43年)07月.梅雨末期の涸沢に同期和田とベースを設け北穂高北尾根や滝谷を登っていた。4日目の待望の快晴が下山日になっている。
   遅い下山が上高地で最終バスに乗り遅れ.運よく小川スポーツ店の車を見付け便乗させて頂いた。

     島々への道.帳が落ち.梓川のダム工事現場の中をを通させられる。ダムは河原を一杯に塞ぎ.コンクリートの巨大な塊が桁違いの要塞をなしていた。
   目の前に聳え立つダムを正面から仰ぐ。それはサーチライトに光々と照らされ夜空に君臨していた。

     その梓川の川底中央には凸凹に荒れたダンプ道が造られている。ハンドルが切れぬ荒々しさ.車の屋根に何度も頭をぶつけ悲鳴を上げていた。
   停まることも暫しある。荒海に投げ出された小舟のようだ。居候で小さくなっていた我が身も.我慢できず彼等に混ざり怒鳴り憤慨をもしていた。

     国道458号の左岸道に入りほっとする。ただ右下の谷間も昼間のよう光々と帯をなし,奈川渡のダム工事も突貫作業が行われていた。
   その時同時に造られた2つの送電線である。・・梓川ダム工事と三ダム

     終点側の新秩父開閉所〜新所沢変電所の約37km区間については現在は遊休設備になっている。
   秩父名栗湖の西面の山を越える送電線の1本がこれに当たる。

     安雲幹線2号線は新高瀬川揚水式発電所の竣工に合わせ1981年(s56年)に当初から500KVで建設された南ルートの送電線。
   新信濃変電所〜新秩父開閉所間で約113km.えぼし型鉄塔基数258基

     高瀬川は1968年(s43年)07月に北鎌尾根に入るため入山している。その時はまだ軌道があり.渓流は手付かずの状態だった。
   七倉から森林軌道を歩き.第五発電所を抜け湯俣にでている。

     1970年10月には見城先輩.鈴木.後輩の中沢君と共に横尾本谷から千丈沢を下っていた。その折は丁度高瀬川のダム工事に出偶わしている。
   ヘルメットを被され.荒野のような川底を何kも歩かされた。ダンプが土埃を巻き上げ.幾度となく私の脇を抜けている。
   七倉からはトラックの荷台に乗せられ国鉄信濃大町にでている。

     それから何十年経ったのだろう。昨年の夏.針ノ木峠から烏帽子岳にでて.ブナ立ち尾根を高瀬川へ下りた。
   完成後初めて入った高瀬川の河原には幾つもの巨大な新ダムが築かれ.軌道は広い舗装道路に変わっていた。高瀬川ダム工事と三ダム

     西上州上信国境沿いには南北に西群馬幹線が縦断し.これらの高圧送電線群と交差している。
   翌17日に烏帽子岳の稜や頂から武道峠.十石峠付近を横断してきた長い送電線群を懐かしい想いで眺めていた。

     又神流川揚水式発電所からは平成17年07月に1号機が運転を開始. 先はリニヤモーターカーの動力にと繋がれる
   今は昇圧され500KV神流川線19基で.途中は安雲幹線2号線の上を交差し.新山梨変電所で西群馬幹線104号鉄塔と結ばれている。

     大山北尾根を断念した曇天の肌寒い天丸山
     紺碧の空と天狗岩.烏帽子岳