| ・・ 都県界尾根とその周辺 奥多摩.奥秩父東部概念図 三ッドッケ横篶尾根 2012年05月. 東日原bsから天目山横篶尾根から七蹴山―秩父大平山の大クビレから峠ノ尾根・・浦山.川俣bs 2015年09月. 倉沢谷右岸歩道から横篶尾根を周回―ハンギョウ尾根中腹道を経て小川谷左岸水平歩道 2018年12月. 小川谷林道.滝上谷大サデ窪を横切り.上段歩道を経て板形尾根―天目山山腹道から横篶尾根を下り見通尾根から倉沢bs 続.仙元峠に続き長沢脊稜を越え秩父へ. 豪雨後の東日原から長沢脊稜を縦断し.途中でバナド岩に寄り.七蹴山から秩父.天目山へ 横篶尾根を詰めて脊稜の七蹴山まで縦断。林道の大クビレにでて秩父大平山から秩父の山並みへと縦断する。 大ドッケ峠ノ尾根を下り.末端の地蔵峠から再び天目山林道にでて浦山川.川俣へ 2012年05月05日.松村 東日原から横篶尾根を詰め長沢脊稜を西進.七蹴山 天目山林道から秩父へ。七蹴山から秩父大平山と大クビレ・峠ノ尾根.川俣 約30年前に子供達と御岳山.高水三山に登り.丹波渓谷でキャンプしている。それから奥多摩に再び登り始め.数年の月日が経っていた。 そろそろ奥多摩の奥.核心へと考えていた折.昨年3月に東日本大地震が起こり.小川谷は今でも全面閉鎖が続いている。 土砂崩れが多数地点で発生し.林道は丹沢玄倉林道と同様.人さえ入れぬ状況が続いていた。 その後何度が地図を追っている内に大平山から秩父に抜ける山々に惹かれ.そのチャンスを模索している。 一昨年は年越えの2度の山行で鳥屋戸尾根から仙元尾根を下り.山大日堂へ下り.更にその奥を見詰めるようなり.又林道の便利さを知るようなる。 三ッドッケ(天目山)横篶尾根 八丁山のツメより・・2015.08.22/10:15鷹巣尾根の八丁山より.中央の背は蕎麦粒山鳥屋戸尾根と日向沢ノ峰.棒ノ折山(棒ノ嶺) 中央に横たわるカロー川谷を隔て横篶尾根の下半が望め.横篶山に滝入ノ峰.裏側には見通尾根を派生させている。 左下がタワ尾根末端の燕岩になり.右奥は川苔山。 秩父浦山からの入山は路線バスの廃線で,秩父側から越えるには時間的に難しい。市営スクール兼用バスを利用しても入山は10時過ぎになる。 奥多摩側から一番近い日原からの小川谷は入渓できず.横焉尾根から長沢脊稜に迂回するルートだけが頼りになっていた。 アプローチとしては長い。大平山の隣り境界脊稜が七蹴山。そこまで回り込んで秩父へ入る。 同じルートを往復するのも気が引けた。途中下山としてはバラモ尾根は崩壊激しく.更に危険とのこと。コカゲ山を下るか? 初めての山域で下るルート.時間を大切に峠ノ尾根を選ぶ。焦らず川俣に下るのみ。最悪の場合は大ドネ尾根を下ることにした。 東日原.東側横篶尾根登山口.8:015月05日(土)曇後快晴 jr御徒町\1210 4:20=神田4:24=立川6:04=6:34青梅:35=7:15奥多摩西東京バス\450 :25=7:50東日原bs. まだ道路やホームに水溜りが残る青梅線線沢井駅を過ぎると送電線新所沢線が頭上高くを横切り,又新秩父線もjr御岳駅前で架かり渡っていた。 今回の山行の秩父側の下山口にはこの送電線61号鉄塔の基部を抜け.その尾根を分けると秩父川俣に下りている。 送電線図としては27号鉄塔から61号鉄塔に架かる山域で秩父に入ると登山ルートが少なく.藪山に悩まされる尾根と聞いていた。 増して初めての山域.そして下り径.この地区のガラ場は以外と厳しいともある。安易に尾根を外すことはできない。丁寧に下るしかあるまい。 最近地図と睨めっこする山行とも遠ざかっていた。藪山への期待と少々の不安を持ち.探る山であることを求め.秩父へと国境の山に入る。 連休 連休子供の日.やはりハイカーは多い。奥多摩駅前の広場には路線バスを待つ多くのハイカーで埋め尽くされていた。 その賑わいに.ひときは勘高い声を上げているのが西東京バスの係員。 日原行バスを待つ列に並ぶと.川乗谷の橋が昨日の豪雨で崩れ.川乗橋から川苔山登山はできないと何度も伝えていた。ただ何処の橋だかは不明. それでも日原へ向かうハイカーは多い。私も久し振りの立席に。路線バスの増発便もでている。 殆どの登山者は鷹ノ巣山へ向かうが横焉尾根に入るハイカーも多い。私の前後には5パーティが固まりになり.その中に私もいた。 入山早々.カメラのケースを紛失.探すのにパーティの列を前後する。 ネズミサス尾根と稲村岩尾根 尾横篶根より東日原の集落を見下ろす.8:03横篶尾根 7:50東日原bs:55一9:15カメラケース紛失,一9:25巻道終え一9:58一杯水避難小屋一10:25天目山:38 一11:04ハナド岩一11:30頂稜一11:50七蹴山. 入山 バスの車窓から確認した横焉尾根登山口は東日原バス停から少し戻っている。舗装された細い坂道は高台にある集落の軒下を抜けていた。 貯水槽の脇から対岸に先月登ったネズミサス尾根が望まれた。カラ沢尾根にタル沢尾根が扇状に広がり.真向かいの日原川に没している。 樹林に隠され右端の稲村岩は望めなかった。 ネズミサス尾根を直登した時は枝越に何度か振り返り,この横焉尾根末端を見下ろしていた。 その点々と広がる集落は.ここ足元からは東日原の一部分の集落しか望めなかった。ネズミサス尾根から・・尾根末端から望む横篶尾根写真 雲が切れた南面の谷間は朝陽が明るく照り付けている 尾根末端の杉の植林帯は朝のひんやりした冷気を漂わせ.そのひっそりした清々しさが又心地よい。 今日の予報では奥多摩地区は最高気温が23℃になると云う。汗吸収用タオルに替え.首に巻き汗を拭く。 末端の幅広い横焉尾根.8:38背は石尾根 大きく幅広い横焉尾根末端の急斜面をジグザグに登る。杉の大木が陽差しを閉ざし.汗が滴るのを助けている。 幾つか道標を見て尾根上にでた。30分強で西コースの分岐道標から山道は尾根筋の右端を巻き.地図では滝入ノ峰の東山腹を巻くようなった。 滝入ノ峰は三方が滝に囲まれていることから「滝の奥に入る峰」の山名になったと云われている。 三方の滝とは西の小川谷に懸かる大滝,北東の塩地谷に懸かる地蔵滝.北西のカロー谷に懸かる大滝。 先が遠いいことから右手の巻道を選び.一歩一歩歩む。 蕎麦粒山鳥屋戸尾根 9:23松岩ノ頭,塩地ノ頭.(川苔山).笙ノ岩山.飛んで本仁田山 左側から倉沢谷に落ちているのが棒杭尾根. 滝入ノ峰を巻き径より・・所々ミツバツツジが漸く咲き始める。 樹間越しに朝の明るい陽差しを浴びた倉沢谷の対岸が望められる。並行する鳥屋戸尾根に乗るのは川苔山。重なる笙ノ岩山が望まれた。 右中央には本仁田山平石尾根が延び.その遥か右奥に顕著な形を示した大岳山が独立峰の如く.朝霞みの強い中.聳えている。 過って鳥屋戸尾根から望んだヨコスズ尾根はやはり立木越しに.登る都度.点々と左横を振り向いては登っていた。 比べると尾根幅の広がりの違いか.尾根のどっしり感が異なり.尾根幅が広く.切り開きを見付けては鳥屋戸尾根を見詰めるようなる。 見通し尾根 滝入ノ峰の南, 南西に派生させた尾根に登山道が乗る所で.右脇に2本の赤テープ.マーキングを見付ける。 この倉沢見通し尾根は今は藪尾根だが古道が通っていた。廃村となった倉沢の集落に繋がり.その分岐点の少し下に大ブナがある。 「両替え地の大ブナ」と呼ばれていた。 棒杭尾根と同様.倉沢鍾乳洞の倉沢大権現や日原鍾乳洞の一石大権現に.秩父方面から信仰篤き参詣者がこの尾根を往来していた。 見通し尾根はその時の両替えの便を図っていた尾根でもある。 今でも尾根伝いに踏み跡として残されている。その尾根末端には東京都の天然記念物として「倉沢の大ヒノキ」が指定されている。 自生としては都内で最大のヒノキで幹周6.1m.樹高33m.樹齢1000年と地元に伝承されている。 再び尾根筋に立ち痩せ尾根に.9:26横篶尾根 横篶尾根は東京都西多摩郡奥多摩町と埼玉県秩父市を分ける長沢脊稜(都県界尾根)のほぼ中央に位置し.天目山から南へ尾根を派生させている。 又東西に倉沢谷とカロー谷とを分け.扇状に広がる裾野には日原の集落が開かれている。尾根末端は日原川に没していた。 この尾根道の歴史は古く.古道が横篶尾根から仙元峠を越え.秩父とは仙元尾根で結ばれている。 多摩日原から秩父浦山を結ぶ交易路として開かれた「浅間みち」にあたっている。 又この仙元峠の「峠」は「山」を意味し.富士講として長年通っていた。「峠」から秀麗たる富士も眺められ.権現の石塔が残されている。 浅間尾根道・・檜原の峠道 「道信道」 秩父の人々の「富士講」として.横篶尾根は「道信道」とも呼ばれ,江戸時代には黄金期を迎えていた。 秩父側の浦山川俣にある浦山大日堂を詣でた後は一行は仙元尾根を登り詰め.初めで富士山の全貌を遥拝し三ケドッチから横篶尾根を下り. 鷹ノ巣尾根を越えて雲取山からの三峰講と合流してからは石尾根の浅間尾根を下っていた。 道中は長く湯場でゆっくり疲れを癒して大菩薩嶺から塩山へ。或いは松姫峠から大月へと富士吉田を目指していた。 そして明治になるとともに富士講の路は衰退し.奥多摩の山々には今でも浅間の名が多く残され.浅間神社の名も至るところに祀られている。 板形尾根とカロウ谷 痩せ尾根の枝越しに長沢脊稜を望む.9:26 周りは伐採された明るい一杯水避難小屋.9:58一杯水避難小屋 一杯水避難小屋は天目山の南肩に位置し.下の方から見上げると,広い台地は尾根とは思えぬ丘の上に建てられていた。 周りは伐採され明るくお伽の国の小さな小屋のようだ。そのような雰囲気が伺える場所に建てられている。 避難小屋は東西に長方形に建ち木造平屋で入口は東側になる。 右がトイレ.左側が玄関口で入って土間が広がり.トイレの壁の右側隣りの土間には懐かしいダルマストーブがあった。 板の間は土間から20cmほど高く.年季の入った板床は黒光していた。右側(北側)は正方形に広い板の間があり寝床になっている。 左の壁寄りは同じ高さで.坐れる長い板床が延びていた。窓は多く四方にあり.よく陽が差し込んでいる。 天井の梁も確りしていた。トイレは建物内だが入口は外.臭気はない。 2010年10月に改修され外壁は白く塗られ.清潔感があり整頓されていた。布団に鉈があった。 水場は小屋から2.3分. 一杯水の名の如くチョロチョロで我慢して汲むようになる。涸れている場合の表示があった。 「ガレ沢の下り10分.往復30分強.サブザック持参のこと.道悪し経験者のみ」と注意書きがあり。 又小屋の外の横壁には大きな奥多摩自然情報地図が張り付けてあり.細かく各枝沢名等が表示されている。 天目山1576m 天目山北尾根の右手遠方は武甲山と小持山.10:30長沢脊稜に聳える天目山の派手な山名標の数々・・別名三ッドッケ 長沢脊稜は雲取山の北.芋ノ木ドッケから東に派生し.東京と埼玉の境をなしている。稜線は蕎麦粒山を経て棒ノ折山まで達し. 成木尾根から青梅の里.安楽寺に下り.尾根末端は飯能市側の境.上畑まで達している。 ただ一般に登山ルートとしては三ッドッケ 避難小屋の玄関側から天目山を直登する。初めての山域に入り.まず天目山からの展望を楽しむ積りでいた。 先月ネズミサス尾根,その前は山の神尾根から石尾根を横断している。その山容が頂から望められればと思っている。 又長沢脊稜はできるだけ尾根筋を通り.巻き道を敬遠して七蹴山に立っている。 秩父浦山に16時に着かねば最終バスに乗り遅れることになる。その時はタクシーを呼ぶことになろう。 横篶尾根の末端は杉林に覆われているものの.尾根径は殆ど雑木の中を綴っている。 一昨日から続いた豪雨も治まり.今は乾いた大地の落葉松林から続く灌木帯を登っていた。天目山1つ手前のピークで脊稜にでる。 右に折れれば仙元峠から蕎麦粒山.左に折れればもう少しで天目山1576.0mの頂に立つ。先は長い時間を大切に.又余力をもつ必要もあった。 奥武蔵・・秩父.秩父市.飯能市界尾根 左景天目山第二峰(三角点峰)からの展望. 左上のコブは本峰シャクナイ尾根第二峰. 右中央を横切る長い尾根は秩父浦山に至る仙元峠仙元尾根。 背は武甲山.有間山.仁田山と連なる市界尾根.更にる奥は奥武蔵の山並。 天目山(三ッドッケ) 三ッドッケのドッケは「突起」のある朝鮮語。近くの脊稜に芋ノ木ドッケ,黒ドッケがあり.三ッ峠山も「三ッドッケ」の読みがある。 三ッドッケの由来は幾つもの「突起」がある名称からか? 或いは中国の禅宗の名刹のある山からともある。 江戸時代の頃は「天目山」と呼ばれていた。又酉谷山も天目山と呼ばれ.酉谷山を起点に東に延びる尾根を天目尾根と呼ぶこともある。 呼び名は秩父側では天目山。三ッドッケは日原側で酉谷山を天目山と呼ばれていた。 統一すべきとの言葉は以外と多い。地域で又権力で改ざんされた山名。それは山名だけでなく峠名は同名を含めて尚更多い。 殆どがその時の情勢.権力者によりパズルのよう変られたと云う。地名に峠名.山名が時代と共に地元の人に関係なく移り流されていた。 昔の天目山は樹林に覆われ.見晴らしを良くするため国有林は無断で伐採され.裁判沙汰になった頂。南面が大きく切り開かれている。 都県界尾根・・奥多摩秩父境界尾根・・ 右景・・長沢脊稜東方を望む頂から東方を望む正面が棒杭ノ頭1449m。右にカーブして仙元峠(コブ)の先が蕎麦粒山.霞む中央が川苔山の稜になる。 少し離れて大仁田山. 蕎麦粒山の裏.川苔山北側の日向ノ沢峰から延びる左方が秩父.有間山の稜になる。 その手前の尾根が蕎麦粒山との間の小コブが仙元峠(山の突起)になり.左手のに延びて細久保谷に没するのが仙元尾根。 仙元峠の隣りの前浅間は倉沢谷右俣の源となり.迎える中央が棒杭ノ頭。裏側の倉沢谷に棒杭尾根を落としている。 川苔山・・ウスバ尾根と鋸尾根 右上アップ景・・右奥が大岳山中段を横断するのが蕎麦粒山鳥屋戸尾根。塩地ノ頭当たり。 手前を斜めに横切るのが長沢脊稜。途中から右に延びる尾根は倉沢谷中間尾根の棒杭尾根。 奥多摩町.檜原村の境界尾根にある大ダワ 南東南方面を望む・・手前は三ッドッケ東峰中央の稜は大岳山と御前山間を繋ぎ.左よりのコブは鋸山1109m.手前が鋸尾根になる。 手前が第一峰. その裏側正面下の鋸尾根末端がjr奥多摩駅。 直ぐ右手の鞍部が大ダワになる。多摩川南氷川から鋸林道が大ダワを越え北秋川の神戸に至っている。 その右の競り上がりが鞘口山九竜山江戸小屋尾根,末端の取付きは多摩川.多摩川病院裏になる。 右肩がクロノ尾山へ. 町村境界尾根から最も奥(南側)の山並はおぼろに遠方から大きく波を描く三頭山笹尾根の熊倉山と浅間峠。 中段は浅間尾根の松生山当り.手前が御前山から折れ曲り派生する湯久保尾根。 ハナド岩から奥多摩最奥の山々の北面を望む 狩倉山と六ッ石山の左肩 左奥が御前山で.その右奥が笹尾根の丸山.10:28背におぼろに描かれているのが裏丹沢山塊. 三頭山町界尾根. 左は三頭山町界尾根に聳える御前山.惣岳山も成らんでいる。 又狩倉山には山ノ神尾根と日陰指尾根と2つの北支尾根を派生させ共に日原川へ没している。 手前が横篶尾根の横焉山1289mから倉沢谷に延びる幕岩尾根だろう? 北側から望む雲取山石尾根 ![]() 左奥肩に欠けるのが大岳山.その右奥が御前山. 霞んでも秀麗さを失わぬ富大嶽を迎え.更に鷹ノ巣山と日影名栗峰の間は大菩薩の稜。 石尾根・・左からの狩倉山から登り六ッ石山,(富士山).鷹ノ巣山.日陰名栗山.高丸山.七ッ石山.ヨモギノ頭.雲取山.芋ノ木ドッケ 手前左が横焉尾根.挟む谷間が小川谷出合の急峡でタワ尾根とを分けている。 更に横篶尾根とをカロー谷で隔て重なり見えるのがいるのが真近の板形尾根。正面の滝上谷を隔て右側に延びるのが大栗尾根になる。 天目山東峰横焉山(第一峰1388m峰)と横焉尾根の滝入ノ峰 ・・カロー谷を隔て第一峰の奥背は遥かに霞む奥多摩三山・・大岳山と御前山が挟み霞んで望まれる。飛んで頭を見せる三頭山 中段の抉れる形で横切る石尾根は中央の突き上げたところが狩倉山.その少し先は六ッ石山. 右端が水根山になる。 日原に落ち込む南面の尾根と谷 石尾根左景と中央に霞む富士石尾根(六ッ石山〜日影名栗山) 日原南面の尾根・・タル沢尾根.カラ沢尾根.ナズミサス尾根.稲村岩尾根.鷹ノ巣山尾根+巳ノ戸尾根 正面が鷹ノ巣沢.右に巳ノ戸沢.巳ノ戸谷. ヨコスズ尾根.板形尾根.タワ尾根 鷹ノ巣山と日陰名栗山 右景アップ・・手前を横切るのがタワ尾根左下に落ちる尾根はか鷹ノ巣山稲村岩尾根.尾根末端に稲村岩が聳える。 右下に延びるのは鷹ノ巣尾根に続く巳ノ戸尾根。 手前が大栗尾根と重なる七蹴尾根 右景.10:36雲取山.天祖山.ウトウの頭山方面. 手前から3番目のタワー尾根越の左端に石灰採掘で痛々しい天祖山。その奥が雲取山. 遠方左が雲取山.右が芋ノ木ドッケ. 雲取山の重なる手前が天祖山。 中央の中央の長い尾根がタワ尾根ノ頭タワ尾根.左側の鶏冠みたいな所がウトウノ頭. 右が酉谷山 飽きることのない眺望とも別れ.頂を離れて長沢脊稜を西へ歩む。板形ノ峰との鞍部で左後方から一杯水小屋の分岐道に合わさった。 石尾根と比べると脊稜は複雑な山形を造っている。ただ縦走路は確りし.又道幅にも余裕があり歩き易い。 板形峠から板形尾根の取付き地点のマーキングを左に見て.小コブを巻くつづら道を過ぎるとバナド岩にでる。 道標の左.細径が樹林の壁を切り.覗き込むとそこから小川谷の眺望が見下ろされた。ここも絶好のパノラマ展望台だが霞みは更に強くなる。 雪白き富士山の雪線は判るものの.その姿が奥多摩の山々を越え遥か先に朧に望まれた。我晴天なれど霞み強し. 長沢脊稜を西方に歩む・・七蹴山と大平山 細久保谷源流付近.11:05武州大平山 大平山は脊稜から秩父側に少し外れている.10:42細久保谷の源流を巻.藪絡みの枝越しに大平山が現れる。樹間を透しすっきりした頭だけが望まれた。 平凡に見える山形.それが又藪山であることを誘っている。 長沢脊稜の縦走路 道標に導かれ.確りした尾根径が綴られている.10:54芋ケノドッケ・白岩山と長沢脊稜(板小屋ノ頭.水松山.滝谷ノ峰〜酉谷山) バナド岩から小川谷.11:06水松山(あららぎ)中尾根. タワ尾根ノ頭(滝谷ノ峰)タワ尾根 右手手前は七蹴尾根.大栗尾根 巻き道分岐 11:22大栗ノ頭(滝上谷ノ頭)北側鞍部から再び尾根伝いを歩む。 脊稜の巻き道は左側を通り.ここも登山道は左肩になり.尾根筋の左縁に沿いに綴られていた。 南東に延びる大栗尾根には尾根筋に踏み跡が綴られ.1049m点.四差路から犬麦谷左岸沿いの小川林道にでられる。 長沢脊稜を歩む 以外と荒れている頂稜.曲根と露岩をゆく.11:32 岩稜混ざりの小さな起伏.同脊稜を丁寧に綴るも眺望は殆どない。踏み跡は薄く荒れてきた。細かな起伏も以外と多い。 荒れていると云っても三点確保は必要とせず.手を添える程度の踏み跡が頂稜を綴っている。 振り返った折.偶然天目山の山容が小ブナとススタケ枯れの隙間から望まれた。 振り返る天目山 左肩から蕎麦粒山.11:42 東日原から横篶尾根を詰め長沢脊稜を西進.七蹴山 天目山林道から秩父へ。七蹴山から秩父大平山と大クビレ・峠ノ尾根.川俣 |