| 大菩薩連嶺.扇山. 浅川と右俣地獄谷を取り囲む吊尾根とその支尾根 ・・扇山と百蔵山周辺Top 葛野川支流浅川流域Top 地獄谷出合から雪積もる曽倉山西尾根を詰め.地獄谷の北側の枝支尾根を下り周回する。 曽倉山西尾根から扇山に立ち.残雪を崩しながら逢坂峠の旧峠路を下り.浅川瀬戸線から葛野川左岸古道の葛野. 2013年01月26日.松村 地獄谷左岸を取り囲む尾根に回り込む・・見た目より深い残雪の谷間を探索 出合からは浅川瀬戸線から葛野川左岸の古道.葛野 浅川.地獄谷の流域を釣囲む主尾根と支尾根 葛野川支流.浅川流域麻生山からの権現山南尾根と扇山北尾根の吊尾根. 見えぬ右後方に聳えるの百蔵山。地獄谷(長尾沢)浅川上流の支流であり. 浅川の駒宮付近で葛野川に流れ込む。浅川川流域は権現山.扇山.百蔵山(北都留三山)に取り囲まれている。 ・・宮地山へ向かう大垈山東方の分岐からの展望.2012.01.13/12:10 権現山は桂川北側の雄で.よく人目に触れる山である。大室山とも云われ.扇山は中央東線から望見すると扇を倒したような綺麗な野山で人目を惹く姿。 百蔵山については東側に雑木林があるものの非常に展望の利く山で.ツツジの多い山である。 大垈山への分岐の植生地から見上げた風景。左端のコブはナラ立.鉄塔は送電線深城線の18号鉄塔。 権現山と扇山との吊尾根の中央の窪みは浅川峠.その直ぐ右の立木の陰の小さいコブは曽倉山.手前に西尾根を延ばし浅川川二俣に没している。 吊尾根の右が扇山。源流は地獄谷になり.地獄谷を取り囲む曽倉山西尾根を綴ると南方の境は桂川.宮古地区になり.峠路には古道が横切っている。 HP「川辺と山径」を見返していると昨年.「セイメイバンから大岱山を周回」した山行で目に留めた風景で改めて北側の地獄谷の枝尾根から 雪中を泳ぐよう下り.浅川から葛野川左岸の古道へと葛野川に戻る山行を思い立つ。この山行は丁度昨年の今頃登っていた。 山行を振り返ると大垈山の分岐. 伐採地跡の苗木の畑から葛野川の支流浅川川流域を撮った上の写真に目が奪われる。 大きく権現山南尾根から扇山に掛け弧を描く吊尾根がアップで撮られていた。初めて入る浅川流域. 過っては権現山へ北尾根から登っている。 南側に位置する浅川の上流右俣.地獄谷(長尾谷)を源に持ち.浅川出合の駒宮付近で葛野川に流れ込んでいる。 浅川流域は権現山稜に扇山.その西側に聳える百蔵山に取り囲まれ山域で.山梨県の郡内三山(北都留三山)と呼ばれていた。 今回は権現山と扇山との鞍部.浅川峠に間近い曽倉山西尾根から入山し.扇山に立ち.旧逢坂峠からコタラ山西尾根か? 北尾根から浅川に戻る。 又は葛野川左岸古道も綴ることも考えていた。先のルートは決めず.気侭に歩む積りでいる。それが又よかった。・・初めての扇山 扇山 扇山は大月市と上野原市の境界にある1138mの山で.交通の便がよく近い割に.私には遠いい山だった。 「逢坂峠」の言葉を聞くまでは.この山域は気にもせず通り抜けていた山並だった。 大菩薩嶺.石丸峠から延びる牛ノ寝通りは松姫峠を経て権現山稜に至り.そこを主尾根として南面に扇山・百蔵山を連ね相模川水系桂川に没している。 又南側には秩父山地と丹沢山地を分ける扇山断層崖が走り.藤野木一愛川構造線が綴られている。 山の由来は単純に中央東線の南側の車窓から見た時.扇を広げたように幅広い裾野が望められ.正直見向きもしない山だった。 この山域は葛野川との浅川流域で.幾つもの峠路を持ち.青梅街道(裏甲州街道)と甲州街道を結ぶ古道が幾つも残されている。 1月29日(木)快晴 jr御徒町¥1450. 4:46=4:39神田:41=5:42豊田.大月行.:48=6:34猿橋:53=7:25浅川公民館bs先 jr猿橋駅で下車.降りてから夜明けを迎えている。南口駅前広場からは滝子山へ斜上する天空に.満月の幾らか黄色気味掛かった月が見上げられた。 気持ち右上の部分がぼやけて見えるのは満月から2日経っている為だろう。 カメラに収めようとレンズを覗き込むとバッテリーは0を示している。 充電してからはまだ撮影していないが.出掛ける都度.都合ができ.億劫になり今回は5週間振りの山行になる。 駅舎の周りはまだ疎らに残り雪の塊りが見られ.北面は何処も一面に雪白き姿に変えている。 2週間前の大雪は太平洋沿岸で急速に発達した南岸低気圧948hpaが東進し更に発達し.東京では積雪64.0oを記録。 その後も大寒波が続き.27日には東京でも更に雪白く覆われ,融雪している。 ただその以前からの春雪を合わせ.車窓からは沿線の山蔭になる南面は雪面に被われ.寒々させてていた。初めてその浅川流域に入る。 まだ朝焼け残る雄大な大菩薩連稜・・宮地山.雁ケ腹摺山.大樺ノ頭.唐松立 曽倉山西尾根末端の山道に入る手前の墓地より.7:26浅川川の二俣から見下ろしての展望・・山陰手前左手が長尾沢(地獄谷).左手が浅川の本谷。 アプローチ 駅前で浅川行バスを待つこと19分. 私の他3人の女学生が乗車する。猿橋バス停で3人とも下車した。 前回もここで下車しているとことを見ると近くに学校があるようだ。バスを間違えた釣人は助言して奈良子行に乗り換えている。 私だけになった路線バス. 浅川公民館先で降ろしてもらうよう頼む。快い返事に,この先400mほどのY字路でバスは停まった。 丁度地形図「大月」図幅の右上端.浅川右岸に黒線の「林道」が北側から入線している場所だった。 「ありがとうございました!」と礼を述べ.バスの進行方向と同じ道を歩みだす。 先を行くバスが再び停まった。麻生山に登ると運転手は思ったらしい。「乗って下さい!」を断ると,短くとも誘われる。 ではと左に折れる所までお願いした。ここは浅川本谷と分かれた右俣の地獄谷(長尾沢)出合の橋上に当たっている。 地獄谷沿いの宮谷林道を右手に分け.左に曲り.「私道宮ノ腰667番地」の立札の所で再び降りている。 400mも走っただろうか? 礼を述べ.バスは終点浅川の最奥の集落へと登ってゆく。 奈良子川を取り囲む大きな山並 手前は浅川川宮地山から楢ノ木尾根上半を綴り.瀬戸境から尾越山・・宮地山.雁ケ腹摺山.大樺ノ頭.唐松立.泣坂ノ頭.尾越山 奥から雁ケ腹摺山登り尾根. 唐松立から南にナラ立1205mに延びる用グラツリ尾根. 尾越山の裏側にある大峰から尾越山を経ての瀬戸境.そして並行する手前は小俣川奈良子川出合に没する麻生山長尾根。 曽倉山西尾根から扇山―800m圏コブ北尾根 地蔵谷出合7:25一7:50小さな木片10一8:40(838m地点)一9:07曽倉山一10:00扇山:20一10:35大久保山 一11:00カンバノ頭一11:45コタラ山⇔道標出戻る12:05. 12:15(810mコブ北尾根に取付き)一13:30七久保.浅川地獄谷出合 今日は逢坂峠.旧コタラ峠.又はコタラ西尾根を下るか.現地で先を考えることにした。 峠越えの場合は地獄谷(長尾沢)出合から地獄谷を囲む山々周回することになる。 吊尾根・・扇山と百蔵山 三ッ森北峰より・・2011.01.18/曽倉山西尾根が顕著に望まれている。 奥が表道志に重なる道志主稜と左奥が丹沢山塊. 右奥が山中湖を囲む山々が帯のような地平線を描き広がっている。 左肩は三ッ森山鋸尾根.権現山南尾根・扇山北尾根と葛野川左岸出合に並行して聳える百蔵山。権現山北尾根から尾名手川を取り囲む尾根にて. 曽倉山西尾根 路線バスを降りた道路の向かい側に墓地がありその私道を下る。舗装された幅3mほどの坂を越えると土道が延びていた。 ここを辿ると直ぐ前が広場のよう開け.真新しい手水舎が右脇に建てられ.左手奥が日当たりのよい墓地になる。墓地の中を右上に抜けている。 振り返ると.この台地状の丘からは紺碧の天空が開かれ.蒼一色に染まる見事までの大菩薩連稜が視野一杯に広がった。 緩やかな傾斜を持つ大地に大菩薩連山の波立つ山々がこれ又大らかに望まれた。 手前は浅川のV字の谷間だけしか望めぬ展望だが宮地山を前衛に.雁ケ腹摺山から楢ノ木尾根の全容が望まれた。 又,宮地山から尾越山に掛けての奈良子川流域の山々も.左前衛として望まれる。 尾根筋は尾越山で大きく南側に曲がり.大きく孤を描く瀬戸境の先には宮地山が飛び抜けて大きく聳えていた。 扇山.大久保山・・地獄谷源流 権現山陵.北峰より南東を望む・・2013.05.17/11:27浅川から雨上がりの大入沢と麻生沢と南面の2つの谷間の中間尾根を登り下りし.途中の北峰から南側を撮影。背の朧過ぎる天空は前道志の薄い山並. 鞍部の少し南側尾根を登ると曽倉山.その西尾根を今回は末端から詰める。 吊尾根から扇山の西面 下和田に下る百蔵山東肩.分岐よりほぼ真東を望む・・2013.01.06/13:01百蔵山と扇山を結ぶ縦走路. 僅かに雑木を縫い左へ折れれば扇山へ。右に入ると尾根とはいえ.山頂直下のすこぶる急斜面の下降になる。 這根が足元に浮き上がる斜面で.フィックスロープが続いて設けられていた。今回は師走を贅沢に大菩薩峠牛寝通りから松姫峠にでて.朝方松姫鉱泉から 百蔵山を越えてきた。「いこいの森キャンプ場跡」の施設端にでれば下和田に至る。後はjr猿橋に至るのみ。 曽倉山西尾根 尾根末端の平坦な坦々とした竹林から登りが始まる.7:54権現山と扇山を繋ぐ権現山南尾根にある浅川峠の直ぐ南側に.樹林に囲まれた曽倉山940mが小コブを創り聳えている。 その曽倉山の西側には浅川上流の地獄谷とスガ沢を隔て派生させている尾根が曽倉山西尾根になる。 末端は地獄谷出合に没している。一歩踏み込んだ尾根末端は穏やかな丘のような広い平坦斜面から始まっていた。 838m地点 薄暗い山陰に妙に光り見える雪面.8:24道伝いに左に折れると山径になり.辿ると荒廃した社殿があった。ガランとしたコの字の小屋の前には賽銭箱がポッンとある。 その裏方から山径を追う。緩やかに登る勾配の広い尾根伝い。まだ日陰のせいか残雪がはびこみ.踏む残雪に停まれば肌寒い。 小さな竹林の中を進む。踏み跡径に残雪が被り.踏み跡は全く分からなくなる。傾斜は緩いが高みを求め.歩き易い所を選ぶ。 時折枝が張り出し目線に当たった。雪埋まる足元は不安定にさせるが余り神経を使わない方がよい。 登りと云うより歩む道のりを辿る。 雑木と檜の林相を分けると間に巨樹の赤松林がある.8:15左側は幼木の檜林.右側は雑木林. 尾根幅が広いがだし尾根らしくなると藪も切れ歩き易くなる。 又恩賜石の赤い境界林標石を見付けているとその先は点々と尾根伝いに境界林標石が設けられていた。 樹間越えの左手に権現山稜が望まれた。仰ぐよう高い尾根筋は強い朝陽を浴び.山肌は陽光を反射させ眩しく輝かしている。 私の足元はまだ山陰に沈む陰の場所だが.対岸にビッシリ茂る冬木の山肌は朝日を一面に浴び.赤らめ眩しい。 尾根筋は赤松の大木に塞がれる。これだけ密度の濃い場所も少ないだろう。残雪との調和が又赤松の大きさを見せつけていた。 立派な檜の植林帯.8:51朝の柔らかい斜陽した日差し 吊尾根の登山道にでて.9:05やや道幅の広い作業道がゆったりした尾根に絡み.右前方に道を分けている。 この作業道は曽倉山の北側の山腹を巻き.曽倉山と扇山との鞍部で結ばれている。 作業道を右手に分けると傾斜は増し山登りらしくなった。境界林標石のある838m地点を過ぎる。 雪面を切る獣の踏み跡が暫し見られ,点々と綴られている。尾根筋が多く.それを切る踏み跡も多い。 熊の通う尾根らしいが大きな足跡はまだ見られなかった。ツメが2つあるのは鹿の足痕で以外と多く.その上を踏み潰す。 その脇に時折跳ねるようある踏み跡は野兎だろう。後は分からぬが多くの獣の踏み跡が残されていた。 人の歩き易い所は獣達にとっても同じ思いなのだろう。 曽倉山 細長い頂.別名「マルガ頭」950m.9:08権現山南尾根 朝日の斜陽が木影を伸ばし.正面に樹間を透し蒼い空間が覗まれだすと権現山の南尾根にでる。 吊尾根にでて明るい暖かみある陽光を体一杯に浴びる登山道にでている。それと共に雪上での踏み跡は薄く変わっている。 峠路 南尾根にでて左手に折れ.尾根伝いに進めば直ぐ権現山と曽倉山を結ぶタワミの浅川峠(市坂峠)にでられる。 浅川からの峠路を右(東側)へ折れれば.仲間川沿いに下り野田尻.上野原の甲州街道にでられる。 上野原に立つ市に通う峠路であったので「市坂峠」(いちさか).東に流れる沢を市坂沢と呼ばれていた。アサミ(アセミ)峠と記した文献もある。 反対に浅川峠の西側を下れば先程入山した浅川の集落に戻る。浅川からは南には猿橋,鳥沢へでる逢坂峠越えの古道があった。 更に浅川を西(今朝登ってきた道路)へ出合に下り.葛野川本流にでれば.川沿いに登り下る青梅街道或いは甲州街道への分岐点にでる。 遠望した権現山の吊尾根 扇山へ曽倉山西尾根から回り込む鈴ケ尾山北西尾根の登り.幡野山手前の急登より.大桑山北西尾根越えの遠望・・2013.03.05/8:34 大きな山容を誇る扇山と大久保山 扇山の北尾根より仰ぐ権現山の吊り尾根と大窪沢ノ頭南尾根 扇山の北尾根より右後方に玄房乗越(和見分岐)を望む.9:28正面のアセミ沢沿いが大月市と上野原市との境界線の権現山陵の東方 境界 権現山は三村の境に位置するとして「三境」との別称があるがただ実際に引かれた境界線と異なっている。 権現山.浅川峠.扇山の吊尾根の「分水嶺」でなく.東に大きく張り出した沢筋になっている。過って国境.村界などの境界線の決定に際して, 双方から夜明けとともに馬や牛を走らせ.めぐり合ったところをその境界線とする習慣があり.それは行逢栽面の名残とのこと。 雨降山から繋がる高指山と不老山(桑久保山) 扇山への急登より足元には仲間川扇山沢が落ち.不老三山の背は笹尾根の生籐山・・右上端の裾野は上野原の台地になる 曽倉山南側鞍部では右後方から先程登りで分れた作業道が合わさる筈だが浅い積雪でも分からなくなっていた。 急稜になり.高度はみるみる高まり.967m峰を踏み.周りの山々と競い勝ち始めると.雑木の切れ目から左後方の展望が眺められるようなる。 高指山や不老山を前衛に権現山に並行する笹尾根の山並が開かれた。今まで見上げていた山々が同等となり.見下ろすようなった。 扇山1138mのツメ.9:59蒼空 扇山への最後の登りで頭上高くを見渡すと開かれた蒼色の大きなキャンパスに描き出されていた。 頂へ続く最後のツメ.頂に絡む樹間を透し.その先は蒼い空が迫り抜き出していた。 登るにつれ.左手に不老下から登ってきた入尾根が近ずき合わさると広い空地のような樹林に囲まれた灌木林の中にでる。 一歩登る毎.樹間の隙間は徐々に広げられ.樹間から漏れる蒼空が開けだし.その灌木林を抜けると閉ざすものがなくなった。 頂に立ち再び頭上を仰ぐ. 南尾根から望んだ天空は更に開かれた同色に染められ.紺碧一色の空の下にでた。 扇山の山頂 大らかに切り開かれた以外に広い平頂.10:00〜:20,南側の中央線沿線からは鉢を逆さまにしたような円やかな頂が見渡らされる広い台地を築き,その上に立つ。 切り開かれ日当たりがよい頂はまだ残り雪の方が多いが斑にぬかるみ始めている。 幾つもの丸太のベンチが頂を取り囲むよう設けられていた。誰もいない頂に立ち.好天の素晴らしい眺望に恵まれる。 大菩薩嶺・奥秩父方面の山並が連なり.目に焼き付けられていた。ただ残念ながらカメラは電源が切れ失われ.携帯電話で撮っている。 南面・・道志山地と富嶽 右景・・扇山々頂より御正体山と鹿留山・・大月市秀麗富嶽一二景の六番山頂 今倉山稜と御正体山の支稜群 右景の右アップ・・と御正体山御正体山からハゲケ山大沢右岸尾根.今倉山稜と九鬼山東尾根 一昨年の7月に登った感激からか.赤岩北尾根に続く今倉山北尾根・猿焼山西尾根がまず目に入る。 昨年の師走にはハガケ山から文台山.尾崎山へと歩んだ山波も.その右手に眺められている。何処も懐かしい山並が続いていた。 奥道志山稜 左景・・手前は表道志北東面・・笹尾根の浅間峠〜茅丸 笹尾根左景・・大ツイジ.10:06左奥のトヤド浅間と万六ノ頭 笹尾根・・三国山〜陣馬山 笹尾根右景・・鶏冠尾根から奥高尾三国山.連行山.高岩山.陣馬山・・手前は鶴川沿いの右岸の台地で上野原から延びる広大な河川丘陵。中間の左端が権現山稜の東端. 笹尾根の南山麓を横切る家並みを抜けているのが県道522号.棡原藤野線。県境の境川沿いに遡りる路線バスの終点は井戸バス停。 手前のV字境に遡る鶴川には県道33号.上野原あきる野線で初戸.西原と抜け鶴峠を越えている。 眺望 どの方角を見ても,この5,6年で登った山々と出会うことができた。それ以前は同じ場所で見詰めていたとしても全く分からぬ山々だった。 東京近郊で子供達と歩んだ山々はたが知れている。八ケ岳赤岳の清掃ハイクに誘われ.登山靴を購入し再び山を登り始めている。 何十年振りかのキャンプ生活では雷雨に打たれた八ケ岳の境界尾根を下り.清里清泉寮で.幼い子供達に頂のゴミの山を見せ帰京していた。 帰宅して若き日に登った八ケ岳の尾根や谷を想い出し.その後友と帝釈山・尾瀬・白馬岳と訪れたのが1人で出向く切っ掛けになっている。 初めて川苔山へ単独で出向き.三頭山笹尾根が又,昔の越後の藪漕ぎを想いださせ.低山の少し外れた山道を歩むようなった。 今ではまだ半人前だが磁石と地図を持ち.東京近郊の山々を歩みだしている。 それ故気が付くと新たな山域へと虫食いのような.統制のない齧りぱなしの山登りを続けている。 気侭に記録より雰囲気を大事に歩む山行を続け.少しずつだが地形図に赤線が加えられてきた。 それだけでも楽しく.登山道と分れた踏み跡を綴る裏側の山行を続けてきた。これからも続けられるだろう。 大久保山,百蔵山へ続くトレース 防火帯にトレースされた雪面を歩む.10:19綺麗にトレースされた縦走路, 無雪期の防火帯とも趣を異にしている。木陰が雪面に映り.自然の造形を形取っている。 山を1人占めしているようで嬉しかった。 大久保ノコル 尾根筋が雪線の浅川乗越.10:30扇山を下ると直ぐ道標のある大久保山とのタワミ.大久保のコルにでる。このコルからは南へ梨ノ木平経由で鳥沢に下りられる。 最近このルートの東側に扇山南尾根へ途中から入る登山道が整備されたと聞く。 トラバース道はロープが設置され.扇山管理会の道標が立てられていた。 南尾根は扇山から防火帯を100mほど下った所から派生してをり.途中に防火帯があり.春先にはヤマサクラ.ヤマツツジが咲く。 この登山道も梨ノ木平口にでてjr鳥沢駅に至る。 コルから呆気なく大久保山1109mの頂に立つと南西に延び.宮谷川に落ちる尾根がここにも延びていた。 この尾根は美しい落葉径を下ると970m付近から急傾斜になり.600m付近で作業道と交差している。 そして尾根末端の踏み跡をトラバース気味に北西へ回り込むと宮谷川林道でている。 右岸に橋を渡れば直ぐ宮谷の集落に。全体的には踏み跡とみてよいらしい。登り1時間10分. 百蔵山 樹間から初めて望めた百蔵山.10:50枝尾根 大久保山からカンバノ頭(長尾山.818m点)へのほぼ真ん中先に.900m付近で西側に下る小さな小尾根があり,下るルートは以外と多くある。 ここは植林帯の急下降で.アッと云う間に沢沿いの明瞭な二俣に下り.沢の中の踏み跡を辿ると610m付近で左岸を行き.歩き易い経路にでる。 暫くすると南へトラバース気味に変わり.作業道を離れ若い植林帯の踏跡を沢と平行して下ればよい。 若木の植林帯を抜けた所で堰堤がある地点にでた。後は僅かに下れば宮谷川林道にでる。下り45分, 又宮谷川林道からは北側に3つの峠を結ぶ扇状に延びる峠路が造られている。 旧コタラ山? とカンバノ頭西側の無名の小コブ・・コタラ山は東尾根に隠れる 百蔵山〜扇山間の南面の吊尾根・・背は権現山陵鈴ケ尾山北西尾根の幡野山への登りからの遠望・・2013.03.05/8:35 背は権現山稜の麻生山〜オクノ沢ノ嶺間. 左側は百蔵山の東尾根. 宮谷分岐と右脇が逢坂峠? 小コブが連なり古くから地名は幾度か.変え改められている。 この裏側から浅川に幾つもの北支尾根が地獄谷に延び没していた。その1つを下る。 カンバノ頭 (長尾峰818m.長尾峰).11:50大久保山を登り返すとコタラ山(平沢ノ頭)まで幾つもの小さなコブを越すようになった。 「←百蔵山 扇山→」の道標の立つところを直登し.樹林に囲まれたカンバノ頭のコブにでる。展望はない。 切り開きを下る.11:20ストック 左手に折れると雪被る防火帯を下るようなった。登山道はトレースとなり下っている。 ここで今日初めてのハイカーと擦れ違っている。百蔵山を越えてきたと云っていた。 ストックを利用しようとザックから引き抜くが長い間使用していなかったせいか.堅く締まり使用すことはできなかった。 単独の場合は万一のことを考え常に持参している。前回使用したのは何年前だろうか? 直ぐに想い浮かぬほどストックを使うことなく持参していた。手入れせねば持ち腐されに既になっている。 カンバノ頭西側の小コブ 780m圏コブ.11:15コタラ山(小太良山.平沢ノ頭)はコタラとの説もあり.カンバノ頭(長尾山)との間には「←コタラ コタラ山→」の古い手書きの道標があった。 それによるとコタラ山はコタラに.又その間の無名のコブの1つがコタラ山になる。コタラ山はコタラ山でないのだろうか? ・・「日本山岳案内.鉄道省編」の説, ここを下ると宮谷への分岐になり.幻の逢坂峠(おうさか)? にでる。 810m圏峰(長尾峰,長尾山?).11:24小コブを越え下ると巻き道に.尾根通しの道を進むと長尾峰,長尾山と呼ばれている東西に延びる長いコブにでる。 逢坂峠? 逢坂峠かと云われても峠はタワミでなく台地上で古い巨樹の赤松があり.その根元に馬頭観音が祀られていた。 この北に延びる尾根沿いには地形図にない古道があり.浅川に下りられる。先の分岐まで進み.後に戻ってここから地獄谷へ下りてみた。 扇山と百蔵山を結ぶ尾根上には南の山麓.宮谷の集落から峠路が綴られ.途中で2つに分かれ2つの峠と結ばれていた。 地形図の「大月」図幅と「上野原」図幅の合わせ目に当たる東側の分岐が幻の逢坂峠? このルート付近には下和田観音堂.春日宮.春日諏訪神社.宮谷白山遺跡などが点在している。 宮谷川林道に入り.地形図の分岐点までは宮谷分岐ルートと同じルートだが林道を左に分け.右後方に入ると土道になる。 Uターンしやがて窪み状の山道は650mで馬頭観音の石碑を見る。少し藪ぽい箇所もあるが間もなく頂稜にでる。分岐から50分, 浅川からは左に登って行く道が浅川峠道で野田尻から甲州街道.上野原に結ばれている。 右に真直ぐ民家の上を行く道はオオサカ峠(宮谷峠).逢坂峠? は宮谷への峠路.甲州街道猿橋.鳥沢にでる古道になる。 「バリエーションハイキング」松浦隆康著によると「第六代公安天皇の皇女は人目を避けて甲斐に向かったが小菅村長作あたりで 難産の末逝去された。後にこの話を聞いた聖徳太子は自ら観音像を刻み.皇女霊を供養したという。 大道二年(807年)に長作に御堂を建立し.下和田観音はこの霊験にあやかりたいと下和田の有志によって長作から勧請された。」と 峠越えした後のことが述べられていた。 長作観音堂は奈良倉山東尾根の取付き地点として.又三頭山牛飼尾根の下山口として訪れている。 山行を重なることにより.峠路の繋がりや山麓を結ぶ古道を歩み.改めで知らされる由来に深く趣される思いだった。 宮谷分岐790m.12:05宮谷分岐 細長い810m圏峰から西側に下ると5分ほどで登山道にでた。出た所に空缶が立ち棒に被されている。 810m圏峰の西鞍部は杣人の聞き取りでは登尾峠とある。登尾峠=逢坂峠でしょうか? その先は綺麗に踏み固められた防火帯。細長い雪原にトレースが築かれている。 登山道に入り10分ほどで2つ目の宮谷分岐にでる。地形図では宮谷へ下る2つ目の西側分岐. 猿橋駅から歩み宮谷林道に入り.地形図の分岐で右後方の土道を分け.簡易舗装の林道を北に進み.沢を渡ると林道は終わる。 ドラム缶があり山道から急登をジグザグに切り.登ると雑木になり左に巻いてこの分岐にでられる。 点線はあるものの踏み跡は薄いらしい。ここから先を見るとコラタ山(小太ら良山)らしき山が樹林越に望まれた。 静かだ。手前の分岐付近で2人の単独行者と擦れ違っている。共に中高年.私と同じだった。その後は遇わずにいる。 「←百蔵山 宮谷↓ 扇山→」と大月市の道標を見て.コタラ山西尾根は次回に回し引き返した。 800m圏峰(コタラ山?).11:55この先に「←コタラ コタラ山→」の古い道標があり.「日本山岳案内」の供述に同化する内容になっている。 現実の他の道標とは異にしていた。 右上のコブがコタラ山. 登山道はコタラ山(平沢ノ頭)の南面左側にを巻き込み百蔵山へ。 地獄谷の北支尾根に入る 北尾根取付き地点.12:15振り返る自分の踏み跡 12時15分コタラ山(平沢ノ頭)とカンバノ頭との間の810m小コブ(コタラ山)の北尾根に入る。 南尾根の暖かい日差しを浴びた乾いた尾根とは異にしていた。 北面の斜面は一面残雪に覆われ.根雪になっていた。一層深くなった藪木絡みの雪面に下るルートは分からなかった。 藪は取付き付近が密.足元と共に絡み合う枝々が先を塞いでいる。 12:46久し振りの藪山に心は踊っている。況して浅い残雪が荒れた林床に乗り,歩きずらいことこの上もない。 灌木のジャングルに足元は倒木混ざる凸凹の斜面.そこに見えぬ積雪が大地を隠し.歩きずらくしている。 もう少し残雪が多ければと思うものの.踏み込まなければ分からぬ大地。小さな範囲でも平らな雪面を縫い歩むよう気を掛けている。 枝木の絡みが強く.自分の周り以外はよく臨めなかった。ペースは同じでも下る距離は捗らず。 北尾根末端の荒れる作業道.13:04ルートを探り探り下るうち.作業道らしき道を見付けている。倒木や枝張りは多いが足元は確りしてきた。 緩やかにジグザグに下っている。ルートは北よりやや東側を下っていた。作業道伝いに下ることにする。 藪が少なくなるにつれ.確りした作業道は藪絡みも少なくなりペースはよくなった。 楢ノ木尾根から瀬戸境 宮谷沢林道より浅川.葛野川を隔て.13:17泣坂ノ頭,大峰に挟まれた手前の西沢ノ頭と尾越山(おごしやま).オゴシ山。 尾越山1098m.樹木で展望はない。大峰方面から縦走してきて下瀬方面に下る場合は.右方向へ下ること。注意. 右手前から落ちる尾根は麻生山南尾根1020m圏から東側に折れ浅川大入に没している。 作業道を経て河原にでること1時間. 北尾根から宮谷沢林道本線に入る所に支沢の永久橋があった。 渡った所はロープで閉鎖されていた。右手上流側に折れれば大阪橋を渡り林道終点へと続く。 作業道をジグザグに登れば右後方から下ってきた県道に合わさり.下流に目を向けると葛野川対岸に瀬戸境の山々が見上げられた。 曽倉山西尾根末端付近の南面 地獄谷に下りた対岸の明るく照り付ける西尾根.13:23 裸林と針葉樹の重なり合い.雑木は真昼の陽射しに白く輝いている背は権現山の南尾根 地獄谷(長尾沢)上流側の宮谷沢林道.13:30宮谷沢林道分岐で左手の県道は浅川へ・・朝方路線バスに再び乗車した県道浅川瀬戸線と宮谷沢林道の分岐点へ地蔵谷から戻っている。 足元が曽倉山西尾根末端になり.右下側の下ってきた谷間の林道を振り返る。 林道本道に入り.地獄谷宮川橋で右岸に渡ると「火の用心」の標識があり.直ぐ県道に合わさった。 作業道終点から7.8分の距離.朝方の往路にでる。写真の左側が曽倉山西尾根末端で.左に回り込み登り終えた場所が尾根の取付き地点。 峠路に関してはHP「峠のむこうへ」氏の資料を参考にさせて頂きました。 今回のルート・・三森北峰からの扇山南面の眺望写真 地獄谷左岸を取り囲む尾根を回り込む・・見た目より深い残雪の谷間を探索 出合からは浅川瀬戸線から葛野川左岸の古道.葛野 |