丹沢山北町と松田町との町界尾根を綴る
     玄倉山神峠から伊勢沢ノ頭.檜岳.雨川山と綴り雨山峠―茅ノ木棚山稜越しの古い峠路を幾つも横切り鍋割峠へ下りる

    玄倉から秦野峠林道.玄倉径路を繋ぎ玄倉山ノ神峠
    檜岳山稜から茅ノ木棚山稜を越え鍋割峠・・幾つもの古道の峠路と交差
    古い峠路.鍋割峠から鍋割山南山陵―後沢中間尾根からやどぎり森林遊歩道

     10:50山神峠一11:57伊勢沢ノ頭分岐一12:31檜岳:53一13:15雨山一13:50雨山峠一14:34茅ノ木棚沢ノ頭一14:56鍋割峠
    伊勢沢ノ頭北西尾根
   尾根筋の左側に延々と綴る鹿棚を選び登る.11:07

     山神峠で玄倉径路とも分かれ,南東に向かう急登の尾根は伊勢沢ノ頭へ。鹿柵の帯が若木の根元を囲み.鹿害から保護している。
   その姿は今まで見た中でも帯状の面が一段と長く延び.確り保護され.鹿柵は気負いの強さを伺わさせていた

     傾斜が増すと尾根らしくなり明るくなった陽射しに背稜も幅広くなり.尾根の左側は鹿棚が連なっている。そこに習い歩んでいる。
   棚脇は積もる落葉と棚支えの針金が邪魔となり.ジグザグに綴る経路の方が歩き易く.通う人が少ないせいか土壌も以外とソフトだった。

    檜洞丸
   左手に玄倉川を隔てた真北の核心を望む.11:11
    立木に隠れる畦ケ丸と加入道山.大室山に犬越路越えの檜洞丸
    檜洞丸石棚山稜と同角山稜・・右下は玄倉川

   捻じれた幹.11:34
    右側が鹿棚とモノレール軌道は1040mから1170m付近で終っている

    丹沢湖
   左景・・尾根筋の右手の草付きより.11:40
    大野山.世附権現山.戸沢ノ頭

   右景・・大杉山稜の戸沢ノ頭を囲む山並

     世附権現山に二本杉峠,右に隠れて屏風岩山. その手前に戸沢ノ頭から連なるのが大杉山南山陵. 手前は山神峠から続く962m峰.
   照り付ける陽光に尾根は明るさが増し.汗に暑さを感じ始めている。左手に西丹沢の山並が樹間越に望められた。
   すると綴る尾根にモノレール軌道が現れ.再び鹿棚に囲まれている。

     尾根筋の左側は雑木林が続き.大分登ったせいか? 西側に派生する尾根の肩からは丹沢湖々畔を取り囲む山々が
   肩を並べ再び姿を現している。霞みがでてきた。富嶽は白雲が被り.如何にか分かる程度の天候に変わり始めている。

   径路標柱.11:53

     伊勢沢ノ頭の手前.小ブナ林を縫う小径のトラバース気味の所で標柱を見る。「この径路は山林管理道です。
   立入禁止.県有林事務所」とある。「国土地理院地形図」の破線路は「山と高原地図」では赤破線で記載されていた。
   自粛管理道になっているようだ。

    檜岳山稜
     檜岳山稜は秦野峠から伊勢沢ノ頭.檜岳(ひにきだっか).雨山を経て雨山峠に至る山稜。先は茅ノ木棚山稜へ延びている。
   丹沢山地の南部に位置し.玄倉川と秦野峠を源流とする皆瀬川と寄沢に囲まれた山域で.神奈川県足柄上郡山北町と松田町の境にあたる。
   主峰は檜岳1.167mと低山だが尾根伝いは静かな山旅を味わえられる。鍋割山に立ち.南尾根から後沢を下る積りでいる。

    伊勢沢ノ頭1177m
   賑やかな印多き分岐より.11:57

     右側の分岐から右に折れた高みが1177mの伊瀬沢ノ頭。先程までは山神峠を目指し伊瀬沢右岸沿いの玄倉径路を綴りながら.
   この大きく見える山容を見上げてきた。頂は小さなコブのような檜岳山稜の肩だった。

     伊瀬沢ノ頭は河内川と中津川を分ける分水嶺になり.ここからは檜山山稜から茅ノ木棚山稜・鍋割山南山稜へと綴り,
   中津川の源流を回り込んでいる。少し南下し南西の尾根に乗れば秦野峠から林道秦野峠にでられ.伊瀬沢ノ南東尾根を下れば
   秦野峠林道にでる踏み跡がある。尾根末端は中ノ沢と杉ノ沢の出合に没し.直ぐ下流で中津川とも出合っていた。

   急に穏やかになった檜岳山稜に入る。ブナの森が続く.11:58

   草付きを踏みブナ林を綴る.12:00

   北東に向い雨山までほぼ平坦な山稜が続く

     伊勢沢ノ頭から檜岳の山稜が続く。
   大地を潤す若草色の野草が茂りだし.ブナの森の台地を埋め始めている。ブナの山稜は次第に大らかさを増させていた。
   尾根幅が広がると共に起伏も失せ.これから先の山稜は散策的な長閑過ぎる風景が広がりを見せていた。

     両手を振るい早足で歩むでもなく.人影もなく.ゆっくり寛ぐよう歩む。前半のアクシゼントが嘘のようだった。
   距離としてはまだ半ばにも達していないが心休まる尾根。一人贅沢に歩む。

    丹沢主稜
    12:07
    玄倉川を隔て檜洞山からの臼ケ岳.蛭ケ岳.棚沢ノ頭.不動ノ峰.丹沢山
    右端手前はチョコンと尾根筋に頭を出だす雨山と檜岳

    檜岳
   鞍部を越えての檜岳山稜

    檜岳の西面
   全容を眺める.
    縦走路から僅か離れた所に三等三角点があり.標高は1166.78m.基準点は「桧岳」

     大らかで殆ど尾根筋は殆ど自然林に覆われている。反面.ここから望む檜岳の山容の裏側は一面の檜林。12:10.
    チョッピリの緑に覆われている面が檜林の檜岳・・左上遠方は丹沢山塊.右上は鍋割山南尾根に乗る塔ケ岳と木ノ又大日方面になる。

    檜岳(ひにきだっか)
     神奈川県足柄上郡山北町と松田町の境にあり.丹沢大山国定公園に属する。
   ここから見る檜岳は本の少しの植林帯しか望めぬ雑木の山肌で埋め尽くされていた。一瞬.山名自体が可笑しいと思われる風景。
   裏側の東面山腹は寄沢沿いのやどぎり水源林で.昨年雨山峠から下った折.逆に深い檜林に覆われる暗い森のようにも思えた。

     檜岳は寄沢側に2つの尾根を派生させている。東側の尾根はモノレールが設けられ.寄沢「恵水の森」に降りている。
   又南東尾根は写真の右尾根で.扇状に広がる末端には秦野峠林道が横切り寄大橋付近にでている。

     南東尾根の取付きは頂から100mほど戻り.果樹園のような林の左(南)を注意深く見ながら進むと取付きの緑のテープを見付けていた。
   踏み跡を辿れば広い尾根も1つにまとわり.南東尾根に乗る。下りで中津川右俣の寄大橋まで1時間10分
   林道は左俣の杉ノ川左岸を綴り下りている。又この沢沿いは秦野峠越えの玄倉に抜ける古道がある。

    板小屋沢出合からの中川川左岸尾根(玄倉川小川谷ヤブ沢右岸尾根)
   湯ノ沢乗越の右に2つの弥七沢ノ頭あり.12:20
    板小屋沢出合からの中川川左岸尾根(玄倉川小川谷ヤブ沢右岸尾根)

     背はおぼろに映るのは甲相尾根,菰釣山.その手前の右は西丹沢に当たる屏風岩山だろう。
    中央が中川川左岸尾根・・大杉山861.1mと右に渡り小割沢ノ頭845m.820m圏コブ. 右端の窪みが湯ノ沢乗越.・・写真の地形図2011.11
    手前は玄倉川小川谷出合に聳える687m峰. 右のコブは840m芋ノ沢ノ頭

     山稜伝いに進むと左手はずっと鹿棚が設けられ.時折鹿柵の茂みの中から丹沢山塊の主稜が望まれた。
   右手(南面)の山腹は緩やかな斜面が広がりを見せ.明るい自然林の大地が築かれている。

     遠方は霞み強いも,玄倉川沿いに開かれた台地からは昨年.一昨年と入山した丹沢の山々を目で追うことができた。
   尾根伝いに今まで踏み跡を残してきた山並が幾つも重なり合い望まれれている。

     2つの権現山を結ぶ尾根に戸沢ノ頭.大杉山と綴る小川谷ヤブ沢右岸尾根.芋ノ沢ノ頭からの尾根は小川谷出合に落ちている。
   又新たな踏み込む背稜の台地の山々。ブナの森に覆われ周り全てが新鮮みを顧み望まれていた。

    檜岳山頂1166.8m
   三等三角点台地.12:31〜12:53

     大らかに広がる檜岳(ひのきだっけ)の頂は広さも.さるものの樹林に被われ眺望は薄く.日陰の森を成している。
   ここで数人のハイカーと出会う。譲り受けたテーブルベンチに寝転び1本取った。
   樹冠越えの蒼空が顔を出している。正午は過ぎていた。サンドイッツチにポタージュスープで遅い昼食を摂っている。

   ここは木段が綴いた.13:11
    整備された雨山への山径.その割にハイカーの姿は乏しい

    シダンゴ山758.1mとダルマ沢ノ頭
   右後方の中ノ沢の源頭より.13:17
    シダンゴ山は三頭三角点を持ち.標高758.1m.基準点は「ジタンゴ」.
    右手が伊勢沢ノ頭南東尾根. 右奥は山北法面だろう

     区分的にはシダンゴ山の左下に中津川が流れ対岸が東丹沢の流域になる。見渡せる山々の先と右方が西丹沢南部の尺里.山北地区。
   手前の谷間を横切るのが杉ノ沢.右手が上流で.ツメは林道秦野峠。手前沢沿いに横切るのは秦野峠林道で寄大橋でてている。
   又向かいは林道秦野峠から無視沢林道がシダンゴ山とダルマ沢ノ頭の間に抜けている。繋ぎは宮地林道で寄.宮地と結ばれている。

   春空に近づく台地.13:22

    雨山西面
   緩やかな起伏の連なる檜岳山稜.13:23

   13:30

     伊勢沢ノ頭から檜岳.雨山と幅広い山稜が続き.檜にブナ林の散策的な長閑な尾根歩きが続いていた。
   鹿棚も点々と綴られている。最後に痩せ尾根を落ちるよう下れば雨山峠にでる。

    続く茅ノ木山稜
   雨山を下降・・谷底は寄沢本流.13:39
    オツボ沢ノ頭1030m.茅ノ木棚沢ノ頭1040m.1108m峰.鍋割山
    左上は竜ケ馬場.日高.塔ケ岳
    左下の鞍部が雨山峠.鉄砲沢乗越とオガラ沢乗越.鍋割峠

    雨山峠                            東沢・同角沢源流の山々
    
    ユーシンと寄地区を結ぶ峠路.13:48               雨山沢から玄倉林道への道

    雨山峠
     丁度一年振りに山越えをして雨山峠に下りている。前回は玄倉林道から雨山沢を遡り峠越えをしてやどぎり水源へ下りている。
   今回は下り返しの峠道. 前回の踏み跡を雨山峠で十字に切り.鍋割山南山陵から後沢乗越(うしろさわ)に回り込み.
   後沢からやどぎり水源へ下る。鍋割山の頂から目的は今だ見ぬ伊豆半島の展望にある。霞む層雲が切れることを願っている。

     寄沢側の案内板には「寄. 道迷い事故多発.経験者向きの沢沿いコース」と警告板があった。前回遇っただろうか?
   ユーシンから寄へ雨山峠越え・・2013.04

    動物の屍骸
     雨山沢の下口には「←雨山橋1.2km.雨山峠.寄大橋4.1km.寄バス停6.6km」.「↑鍋割峠2.0km.檜岳2.0km↓」と道標がある。
   ここで玄倉林道から登ってきたハイカーに出遇わした。彼は寄に下ると云う。彼に言わせると同角山稜では鹿の屍骸を多く見る。
   又雨山沢は春の豪雪で桟橋が幾つも崩壊し.流されて今だまだ放置されている。

     今年の2月は二っ玉低気圧が武甲信地方を襲い.記録破りの豪雪に見舞われ.西関東地方周辺に甚大な被害をもたらした。
   驚くことに高尾山でも積雪が1mを越している。幹線交通機関は全てが通行止.不通になった。
   中央東線は高尾から塩尻まで列車を不通.中央高速道は車は動けず放置されていた。

     埼玉.奥多摩の西部.富士五湖周辺には自衛隊が救済に道路確保のため出動している。
   動物の被害も丹沢だけでなく.甲信地区でも積雪多く.餓鬼による屍骸が多く出たと後に聞いている。

     私は当時.雪多いことを好として交通の便が整うと.州まで行かぬとも1時間で高尾に入り.日帰りの雪山を味わっていた。
   カンジキを持ち.誰も入らぬ裏高尾・南高尾で.膝まで潜る雪山を歩き回っていた。

    茅ノ木棚山稜
     雨山から下った分.登り返す。雨山峠から樹林帯の中の窪溝を急登すると今度は茅ノ木棚山稜に乗る。
   先は狭い痩せ尾根に細かい起伏が多くなり.荒れた台地は地形を大分変えている。自然林の美しさが縄張りを占め絵になっていた。
   途中に鎖場が3ケ所あり.スリルを味わえる変化に富む主尾根。長い鎖の後は1108m峰で.ほぼ平坦で林相が広がり.又それがよかった。

     鍋割峠からは大らかな尾根径になり.頂までは小ブナ林に草地の茂る大地が続く変わりよう。
   又この山稜には4つの古道の峠路がある。この辺は関東大震災で大分崩壊したようだ。廃道化して自然化が進んでいる。

    雨山東面
   オツボ沢ノ頭の登りで振り返る.14:10
    手前の鞍部は雨山峠

    1030m圏コブを越え最初のコル
    

     1030m圏コブと茅ノ木棚沢ノ頭との鞍部.鉄砲沢乗越か? 峠のツメは目測でも十分通れそうだ。
   上の左の写真が玄倉川側. 右の写真が寄沢側になる

   鉄砲沢乗越? 14:22

    古道
     「分県登山ガイド神奈川県の山」山と渓谷社によると昭和22年に玄倉からの林道ができるまでは4本の峠道があった。
   ユーシン側の木材や炭を駄馬に付け.越えた大切な峠道だった。付近に雨山峠.鉄砲沢乗越.オガラ沢乗越.鍋割峠の4つの峠道になる。

   雨山峠北側の1030m圏コブと茅ノ木棚沢ノ頭との間の峠・・鉄砲沢乗越
   茅ノ木棚沢ノ頭と1108m圏コブとの間の峠・・オガラ沢乗越

     それぞれの入口には製板所や休泊所があった。
   丹沢山.蛭ケ岳.檜洞.周辺が帝室御料林であった時代.製材所で商品化された材木や焼かれた炭は最寄である寄集落に運ばれている。
   この間.茅ノ木棚山稜(雨山峠〜鍋割山)は大正時代の震災で山肌が大きく崩壊し.その為生活経路だった峠路は寸断された。
   今は雨山峠だけになり.尊仏参りの経路だったらしい鍋割峠も険しい踏み跡になっている。間の2つの峠道は激しく崩壊し.廃道化が進んでいる。

    丹沢主稜
   14:28
    臼ケ岳南尾根.蛭ケ岳.棚沢ノ頭弁当尾根.不動ノ峰.丹沢山

    擦れ違い
     雨山峠から長い窪溝状の登山道を登り.尾根筋が1030m圏コブから右に折れると鎖場が現れ.男女3人パーティと擦れ違う。
   トップは雨山峠が分からず.私が指をさし説明する。「叔父さん.ありがとう!」の言葉。ふと.山では初めて聞く言葉だった。
   可笑しくはない言葉だ。誰が見ても叔父さんだ。67歳になる。ただ私としては詰った言葉に考えさせられた。

     間を開け彼女は凄い鎖場が続くと手を交え.真面目に説明して下さった。これも又.「そう. ありがとう!」と笑いを押さえ.礼を述べている。
   ラストの彼は玄倉に車を停めているので戻ると私に伝えた。互い「気お付けて!」と言葉を結び別れていた。

    茅ノ木棚沢ノ頭
   アセビに囲まれた頂.14:36

     1040m峰の茅ノ木棚沢ノ頭(鉄砲沢ノ頭). 昔から茅ノ木棚山稜は山名に峠名が時により.点々と変えられていた。
   茅ノ木棚沢ノ頭も1つ昔は1108m峰だった。今は1本の立木のテープに「1108m」とあるのみ。

    1045mコブは三角点
     1040m圏コブは現在の頂で道標あり.「山と高原地図」の記載地点になっている。
   正確には茅ノ木棚沢ノ頭は1040m圏の標識はもう少し西側の頭とは言い難い所に設置されていた?
   1108m峰は国土地理院図が定め.統一はされていないようだ。

    雨山とオツボ沢ノ頭との鞍部
   雨山峠を振り返る.14:46

     コの字に茅ノ木棚山稜を登り.左奥下が鍋割峠になる。正面よりがオガラ沢乗越.右先の窪地が鉄砲沢乗越.中央右の大きな鞍部が雨山峠,
   鞍部の手前が寄沢.峠を越えは玄倉川雨山沢の右岸沿いを下り.玄倉林道にでる古道で繋がれている

     1108m圏コブの南尾根. 越場沢右岸尾根は通称「ツルハシ尾根」と呼ばれ.植林と植林の間の切り開ける尾根径。
   防火帯? 灌木が生える急登の作業道をジグザグに下ると.標高差50mほど下に稜と並行する鍋割峠と結ばれ.浅い踏み跡がある。

     沢沿いに下るとぶつかる登山道には危険の看板「ここから雨山峠まで沢沿いは登山道になり.荒天時の急な出水あり。」が
   立てられている。左に折れればコシバ沢.登りは1時間ほど。

    鍋割峠                                 馬頭観音
     石仏.14:56

     ピークから東方へ5.6分で鍋割峠にでる。峠には観音様の頭に馬の頭を乗せた馬頭観音が祀られている。
   馬頭観音の信仰は鎌倉時代に遡り.インドの神話に関係があり.昔は古道が通じ峠を抜けていた。馬の供養塔になっている。

     昭和30年発行の日本地理院の地形図にはこの峠越えの古道は破線で描かれていた。
   寄から寄越場沢を遡って.鍋割峠に上がる山道。北側からの経路はトラバースしながら鍋割北尾根のコルを乗越し.鍋割越場沢を下って
   尊仏ノ土平に至る。又この峠路は尊仏参りの経路でもあったらしい。

     越場沢を登る時に沢を巻く位置は大木の根元に赤ペンキの印があり.道標は落ちている。木の左を巻き尾根へ。
   登る場合は二俣で大杉が数本倒れ.沢を塞いでいる。上部は常に落石あり.下りのルートとして尾根より変化に富み便利。

    関東大震災
     「西丹沢拾い話」に関東大震災の被害の大きさについて書かれており.震災により丹沢は大きく変貌したようです。
   以下はその内容です。「対象2年9月10日正午ちかく.相模湾を震源とする巨大地震は南関東を襲って.丹沢全体を丸裸にした。
   あらゆる山肌がすべり落ち.崩れ落ちる岩石は深い谷をつぎつぎに埋めていた。

     富士山の右側に見えるあの山はあんなに低いのに何時も雪を被って真白だと子供の頃に話し合っていたよ」と
   千葉の老人は昔の思い出を語っていたが.雪のよう輝き.狭い山頂や稜線部分だけがわずかに樹木をのこしていた。
   関東大地震はそれほどすざましいものだった。

     翌13年15日,丹沢を震源とする余震.相模湾大地震が再び全山を揺るがした。ひび割れの入っていた岩は忽ち崩れ落ちて.
   全山の谷筋に無数の滝が出現した。後年丹沢が沢歩きのメッカとなる基礎がここにでき上がったわけである。

     2回の大地震は諸土平に壊滅的な被害を与えた。すべての建物は倒壊してしまい.製板所は再び立ち直ることはできなかったが.
   帝室御料林を管理する休泊所がその任務を中断することはなかった。」
   災害後.製板所は再開することができず.駄馬が歩いた道は荒れ果ててしまっていた。・・「Yamanoko」氏のHPより

    玄倉から秦野峠林道.玄倉径路を繋ぎ玄倉山ノ神峠
    檜岳山稜から茅ノ木棚山稜を越え鍋割峠・・幾つもの古道の峠路と交差
    古い峠路.鍋割峠から鍋割山南山陵―後沢中間尾根からやどぎり森林遊歩道