| 小中沢の縦横に走る水源林巡視路 ・・多摩川支流左岸.小中沢周辺Top 城山の古道.から三ノ木戸林道終点にでて.小中沢の下段経路を取り囲む尾根とその山腹道. 沖ノ指山.イソツネ山 橋詰から城山の古道と繋ぎ三ノ木林道から多摩川左岸の小中沢・中流を取り囲む尾根を周回し多摩川本流に戻り.朝方の取付き地点に戻る。 城山南尾根から小中沢右岸道を綴り.榛ノ木尾根に乗り.沖ノ指山.杉ノ森.イソツネ山と越えて.境集落からは奥多摩むかし道を周回して.氷川へ 2016年03月04日.松村 小中沢左岸尾根・城・三ノ木戸から小中沢下段径路・・統制の取れた雌大鹿の大群団 小中沢右岸尾根・榛ノ木尾根.沖ノ指山とイソツネ山 境から奥多摩むかし道.jr奥多摩駅 再び小中沢へ 5年前に山ノ神尾根から六ッ石山のトオノクボへ下り.榛ノ木尾根に乗り.小中沢右岸の下段の経路にでている。 ここで山葵畑で鹿柵のジャングルに取り絡まれてしまっている。脱け出すに沢沿いに入ってしまった為.幾重に重なる鹿柵に取り囲まれ .時間的に大きなロスを生んでいる。それを踏まえての入山。 浅い踏み跡の小中沢右岸山腹道を探り出し.「三ノ木戸からの右岸むかし道」と合わせ.最後は日没と競争しながら境集落に下り着いた。 日没が迫り.万事休す.途中の575m点から直接.集落に下り.大きな窪溝を利用してカカトを蹴る劇斜面から境集落の北側端に変更して降りている。 1/2万5千地形図「奥多摩湖」を読み.鹿柵のジャングルで小雨の降る中.一時でも野宿しなければと考えた山行だった。 今回は「奥多摩むかし道」.境集落の少し下流側の橋詰から「城」集落への古道を選び.綴りながらその時の経緯を改めて見直そうと思っている。 青梅街道.橋詰から城(じょう)集落への古道. 684m点コブから南南東に派生する尾根を詰め.城集落から林道三ノ木戸線を経て三ノ木戸へ。 今回は小中沢左岸径路から榛ノ木尾根に乗る。前回の右岸の巡視路から榛ノ木尾根に移り.新たに沖ノ指山を目指した。 イソツネ山からは尾根筋を綴り境集落に下りている。午後のアプローチとしては奥多摩むかし道(旧青梅街道)を通りjr奥多摩駅へ散策した。 檜村・城への取付き階段 正面は多摩川で右手前に回り込み檜村橋が架かる.7:49階段は小中沢左岸尾根の取付きでもあり.城を経由している 足元は奥多摩湖から続く「奥多摩むかし道」. 私の背を進めば.小中沢出合から境地区への多摩川左岸道に入る。 午後にはイソツネ山から境地区に下り.多摩川の左岸沿いの「奥多摩むかし道」に入り.この橋詰の階段を登っている。 正面のT字路は多摩川と並行する青梅街道に突き当り.橋詰のバス停があり.ここで朝方下車した。 左脇の階段を登った台地が檜原地区. 「奥多摩むかし道」の通過点で.先は氷川まで綴られ.又ここが「城」集落への 南尾根末端の取付にもなっていた。中沢.榛ノ木尾根へと径路を繋ぎ.周回し.午後にはこの階段に戻っている。 14時に改めて階段を登り檜村地区からの「奥多摩むかし道」を散策しながら.jr奥多摩駅にでた。 3月04日(金).快晴 jr御徒町4:44=4:48神田:50=5:55立川6:10=7:28奥多摩.西東京バス.小菅行:38=:43橋詰bs. 日の出は大分早くなる。立川駅.青梅線ホームに列車が入線する頃,白みだし.電車が動き出す間もまく日の出を迎えていた。 今朝は車扉が開く毎に忍び込む冷え込みも緩み.3月の声を聞き冷たさで身を振るわすこともなくなった。 日本海北部に発達中の低気圧が東進し.29日には南風強く東京でも最高気温が14.8℃を記録した。 低気圧は24時間で976hpaと急激に強まり寒冷前線の通過に伴い.今年3度目になる最後の大寒波が襲来した。 その後.移動性高気圧に覆われ沖縄から東日本太平洋側は概ね晴れ.気温は平年を更に上回る。 予報では快晴の雲1つない蒼空になり.気温は10数度と高く.暖気が流れ込み.これから向かう奥多摩の山々を包むとのこと。 終着駅の奥多摩駅広場から正面に見上げると江戸小屋山に続く九竜山の山々は既に雪白き装いを落としていた。 昨日に続く暖気団は見る見る残り雪を溶かしている。その暖かさをよそに梅の開花は少々遅れ気味. 青梅.宮ノ平沿線では白梅が満開に咲き競っていた。まだまだ紅花は乏しいが更に御嶽付近の庭先でも梅の満開が見られるようなる。 榛ノ木尾根・・イソツネ山と沖ノ指山と 城山南尾根の古道より.7:54手前の多摩川右岸の台地が多摩川の橋詰で.既に九竜山の尾根末端に当たる上流側の山ビコ尾根に乗っている。 見下ろす橋詰 橋詰の台地をUの字に流れ込む多摩川沿いの左岸に.頭上高くに.今回最後に立つイソツネ山が登り始めて最初に望まれる。 境地区を覆うよう小中沢を囲む山並があり.背には六ッ石山が聳えている。 この写真は橋詰地区を城山南尾根の檜村の高台から西側の多摩川対岸の境集落を高みを見下ろした風景になる。 6.7年前には九竜山.江戸小屋尾根を登り.多摩川線10号鉄塔基部から北西方面に広がる橋詰を逆に見下ろしていた。 路線バスはバス停直ぐ先の檜村橋を渡ると多摩川に突き出した橋詰の脇から.橋詰トンネルを潜り境橋を渡っている。 その対岸上部が境の集落。写真の左側対岸にある境集落がチョコッとだが映されている。 又前回と云っても5年も前になるが梅雨期の夕暮れ時に.小中沢から三ノ木戸古道の684m点を通り.直接境橋地区に下りている。 丁度林層の境.左側の上部から窪溝沿いに.境橋地区の一番北(右)側端の民家前にズリ下りていた。 右脇に落ちる窪溝の小沢を下っている。ただ谷間を改めて見直すと壁のような谷筋に驚かされた。 薄く暗さが増し.集落に降りた時は真暗闇で目の慣れだけになっていた。写真左上部の民家の所に下りている。踏み跡が堰堤工事用で薄い。 アプローチ 従来は羽黒三田神社の上部から城集落(じょう)の旧道まで徒歩か.タクシーで城の集落への旧道口(三木戸林道)に入るのが普通の考えだった。 裸土の旧道を歩み.城山から林道にでて.三ノ木戸の小中沢左岸経路の取付きに至るアプローチもあるが前日急遽..路線バスに乗り. 橋詰バス停からの入山を思い付く。684mコブからの南尾根を頼りに古道を通り城集落にでることにした。 バスの車窓から差し込む朝の陽射しは眩い。奥多摩病院を過ぎると登るべき尾根がバスのフロントガラスから一面に見上げられた。 近ずきつつある尾根末端を左側に回り込み.青梅街道の橋詰バス停に降りている。 見上げる檜村の集落は頭上の一段高い多摩川の丘陵に位置し.城山の南面が取付く尾根の末端だった。 檜村の「ひむら」とは「ひむ」は「東」.「ら」は「平ら」であり.「東を向いた平地」を意味している。 城山南尾根・・684mコブから南南東方へ檜村へ延びる尾根 城集落への旧道.7:57城集落.南南東尾根から三ノ木戸林道を経て小中沢下段経路 7:43橋詰bs一7:50(684mコブ)南南東尾根取付き一8:45城集落一9:23三ノ木戸⇔9:37.一9:48小中沢下段経路一10:13小中沢木橋. 橋詰バス停は境キャンプ場に向かう青梅街道のT字路交差点.右角脇に入り.「むかし道」の道標に従い戻る形で洗濯板状の石段を登っている。 街道に突き当たる左岸沿いの「奥多摩むかし道」から檜村の高台へ。車道にでると右に檜村浄水所を見ながら.山道に入り詰めている。 左手に木祠を見れば尾根に乗り.ここは城集落への尾根末端の取付きになっていた。 城集落とを綴る急登の尾根は橋詰.檜村とを結ぶ古道。前半は小石混ざりの植林帯を綴って行く。 痩せ尾根からやや尾根幅が膨らむと枯葉に覆われた尾根筋をジグザグに進み.左手から脇道が3本入るが高みを目指せばよかった。 勾配が増すと直登を避けて550m圏から左寄りに斜上し.左手(南南西)に延びる支尾根の620m圏に乗り1本取った。 尾根伝いにL字に折れ.更に尾根幅を広がりだすと.周りは密度濃い檜の樹林に覆われ更に薄暗くなる。 隣りの支尾根との合流地点 625m1本取り.L字に右折正面へ.8:56左下の赤い円柱プラが尾根伝いに綴られている 雌鹿の大群団 静かな城山南尾根歩き。最初の1本を取ると.直ぐ尾根上部で,何にかがざわめくのを感じている。 小尾根に乗り.登る上部を見上げると右上前方の高みの茂みに数頭の鹿が姿を現し.尾根を横切る仕草が伺えた。 見惚れていると1頭.2頭とゆっくり近づき.列が7.8頭になったところで.私に気が付いたのか? 急に私が詰める支尾根を横切るのを諦める。 そして先頭から5.6頭目がトップと入れ替わり.逆に右手斜め前方の窪溝に進むべき方向を変えている。 私の右やや離れた窪地沿いの急斜面の植林を縫い駆け落ちて来た。後の鹿がそれに従い.加速する。 裏側にいた見えぬ鹿は更に20頭を超えている。全てが雌の成鹿のようだ。数え切れず.25頭位で数するのは諦めた。 群をなし驚異の数になる。最後の残された先頭の3頭の鹿は.同じ下降地点まで忠実に戻り.燻ぶるよう後を追い駆け.滑るよう下りちる。 機敏に列を崩さず.統制が取れ駆け下りる姿。それはフと昔の西部劇映画の騎兵隊の統制されたシーンに似た姿を想い出させていた。 終わってみれば何もなかったような静けさに戻っていた。今までの経験では多くても5.6頭の鹿の群れを見て.驚ろかせられるのが常だった。 数が多過ぎる。況して30頭を超える野生の鹿の群を一度に初めて見ている。見るのも.移動する姿も.統制のある動きだった。 奥多摩観光協会の鹿に関して良く知るガイドによると子鹿が混ざることはあるものの.雄鹿は1頭も含まない筈。 平均10頭前後の纏まりで移動することが多く.25頭以上とは珍しい。写真があれば欲しいとのこと。 数えるのも間々ならず.写真を撮る間も忘れ見詰めていた。 3年前から鹿の猟期中でも捕獲すれば奨励金がでるようなった。昨年4月の調査で鹿は249万頭。 除外したエゾシカは6年前で59万頭と推定されている。猟師や捕食者が少なくなった環境では.鹿は1年で2割程度増えると云われている。 ニホンジカやイノシシを10年後に半減させる目標を環境省は立てているのだが。 2ケ月後.信越の高天ケ原から岩菅山に登った折.高天ケ原マンモスのゲレンデで同じような猿の群団を見かけていた。族.群としてのまとまりでなく. 統一された中猿の姿のみの群れ。数える頭は20頭余りに及んでいた。同じような生態系の何か.行動があるのだろうか? 684m点コブ 左手がマキ道.8:40陽が高くなるにつれ暑過ぎる日差しに上着を脱ぐようなる。 まず防寒具下のチョッキを脱ぎ.続いて肌着を2枚から1枚に替え.更に防寒具を脱ぐようなった。身も軽やかになり.体の動きも楽になる。 この先620圏で先程に尾根と合わさり傾斜が落ち.尾根幅が更に広がりだすと.私有地を示す個人所有の区分表示の用地境界標柱が掲げられたいた。 入山した取付き附近にも別の氏名を名乗る境界標柱が立てられていた。尾根全体が個人所有の土地なのかも知れない。 傾斜が落ち緩い斜面になると尾根は扇状に広がり.周りは樹林で薄暗さを増し.右手の立木の幹に赤テープが巻かれているのを見る。 そこにマジックで「↑マキ道. 684m→」とある。そして浅くなった踏み跡を進めば何処が頂だか分からぬ平頂のコブにでた。 被い茂る樹林は深く密ち.登る道中と共に展望は得られなかった。 最初の急斜面の登りを終え.ここからは林道.経路を綴り.小中沢の沢底まで長い水平道が造られている。 城の集落跡 最初に現れた家屋.8:45気持ち下り返した廃屋は馬が今でも居るような広い敷地に.幾つもの仕切られた柵が作られていた。今でも使えそうな柵。 城集落の南側縁にでたようだ。急に平坦な台地が開かれていた。この明るい所を過ぎると.その先が城の敷地内になる。 小字名が城(じょう)であり.築地上の平地に将門が城塞を築いたとされ.堀跡.馬場の跡が確認できるという。 榛ノ木尾根のイソツネ山 尾根中央部の薄の原と杉ノ小林.8:46今日の昼食場はカヤトの原が始まる右手にある杉の森の脇 小屋の裏側に回り込むと左手の樹林の切れ目から深く切れ落ちた花水沢を隔て.榛ノ木尾根が遠望まれた。 尾根左上はイソツネ山840.2m。北側の山腹に掛けての伐採地はカヤトの原。薄の原の上部に小さな杉林の森が望まれた。 私の好きな森で.広大な伐採地跡の原は朝の陽差しを浴びる長閑な斜面に思えた。 地形から見ると左手に緩やかな盛り上がりがイソツネ山。右手のコブが沖ノ指山だろう。 沖ノ指山下の小尾根を取り囲むよう小中沢の経路から繋がる作業道が綴られている。近道だが広大な倒木帯が広がりを見せている。 森の取付きから見上げていたこちらの山々は小中沢を隔て何度も遠望している。ただ目線では以前の逆側から見上げていたせいか. 葦の開かれた斜面も改めて一見して眺められ.懐かしくあり真近に思えた。今回は三ノ木戸林道を抜けて小中沢の左岸径路を辿り. 榛ノ木尾根に乗り.周遊してから森を尋ね.先の頂イソツネ山に立つ。 旧道の分岐脇にあった馬頭観音.8:50再び樹林帯に入ると南面の左縁は薄暗く急激にガレ落ちている。その脇に花水沢の谷間へ丸太をロープで降ろす基点の掘っ建て小屋があった。 そこから小径伝いに細かく右に折れると旧道三木ノ戸の分岐に合わさる。分岐手前脇には道租神が祀られていた。 仏石の裏側に回り込むのが三ノ木戸の旧道。地形図「奥多摩湖」には破線路で表示されている土道。アシ沢の源流を横切っている。 東方へは三ノ木戸林道と並行して.羽黒三田神社の上部の旧縫笠にでて.同じ三ノ木戸林道と合わさっている。 横T字路の正面を進めば三ノ木戸林道に突き当たった。更に直進し登り詰めれば石尾根の峰畑峠にでる。越えて峰畑沢からは日原街道. 寺地にでられる。左に折れれば舗装され林道で三ノ木戸へ。右に折れれば農指から羽黒三田神社を経て氷川の街並みに至る。 町村界尾根・・御岳山.大岳山 城の集落より.8:53左脇が縫笠集落への旧三ノ木戸道 平将門伝説 将門は本来.本拠は下総であるが関東で短期間の間に独立政権を打ち立てている。平将門の乱や神田明神で有名な平安中期の武将。 この奥多摩地域に足を踏み入れた事実はなと云われているが.「城」はかって将門が築き.その名が付いたと云われている。 ここ長い石尾根には点々と将門に関する地名・伝説があり.戦乱時に陣を置いた名残か? 又謎を呼んでいる。 城の集落には現在.山荘風別荘に住む学校の先生と.この後お会いする老人の住まい2軒のみになってしまっていた。 三ノ木戸林道 右奥は石尾根の峰畑峠へ.8:56三ノ木戸林道(小中沢林道) 青梅街道氷川交差点を200mほど直進した右手の民家脇が林道の起点で.洗濯板状になった滑り止めのコンクリート舗装の急坂から始まっている。 上方にある農指.最上部の城(じょう)への生活道路を兼ねる延長3.916mのピストン林道。農指集落を過ぎ. 東京農大の演習林方面に延びる不老線4kmを北側に分線させている。その先本道に石尾根末端の登山口がある。 峰畑峠と旧峰畑 「越路の杜」・峰畑峠は写真上の踏み跡を追う。三ノ木戸山の東.城集落と峰畑集落を結ぶ峠路で.意識しないと通り過ぎてしまいそうな心細い峠。 小さな「峰畑峠」の峠名と「火の用心」の看板に峰畑峠と書かれている。峰畑と城とを結ぶ旧峠路で城へは少し東側に南側に降りると合流点がある。 祠をかけた一体の石仏が貯んでる。「城」とは崩壊地と云う説もあり.峰畑沢側の古道は看板に不明瞭とあった。 後日.2019年9月21日の登山明細図世話人の日記によると峰畑峠へ城からの南面の山道は中〜上部の山崩れ対策で. 岩を固定する工事が行われ.山道は消失した。斜面には網鋼が広く覆っているのを確認している。 今年7月に三ノ木戸山から出来たばかりの北側の見通林道の支線から不老林道に入り.北側に位置する崩壊した将門神社を訪れている。 その参道下の峰畑沢(寺地川)の川畔には廃屋跡が残され.所々に石積みが多く設けられていた。峰畑峠越の旧峰畑の集落跡 少し荒れた場所.で左岸道を下れば日原川との出合は寺地にでる廃道がある。 三ノ木戸林道の絶好の展望台より 橋詰地区と多摩川の谷間を見下ろす 林道終点手前の南面.足元の風景.9:00左下は登り始めに見下ろした橋詰の台地. 対岸の山腹にへばり付くのが境の集落 三ノ木戸林道から南面の絶景が開かれる。右上.多摩川の上流側に架かるのが境橋・・両脇は橋詰隧道と白髭隧道. 右端,境橋下流側の多摩川左岸ヘチ沿いに境集落がへばり付いている。今回の下山はその境集落. 左下の多摩川に突き出した台地は橋詰地区。 この地区の左手(東側)に青梅街道が走り.橋詰隧道を潜り境橋を渡っている。手前の多摩川の左岸には旧道が刻まれ.今は「むかし道」。 境地区から「むかし道」を辿れば手前の高い山腹を巻き.下ればトップの写真.青梅街道.橋詰バス停に突き当たる。 御前山の登山口があり.今日下山のアプローチになっていた。 林道の終点手前で.南面が切り開かれた絶好の景勝ポイントにでている。 足先の谷間を覗き込むと急激に落ちる三ノ木戸沢が抉れ落ち.多摩川に突き出す台地は橋詰地区になる。 その上流には境橋が架かり.両岸が隧道で塞がれている為.橋上の中央に境バス停がある。 写真では途切れた更なる次の上流側右岸に栃寄沢が流れ.栃寄集落には都の施設「森の家」が設けられている。 境橋の右端の急斜面にへばり付くのが境集落。狭い土地に家屋が軒を並べ,奥多摩むかし道を見下ろし.上部には旧軌道が横切っている。 榛ノ木尾根から境に下りた後.jr奥多摩駅まで辿るコースになる。境橋の左岸上流側は白髭だった。 境の大火 1945年4月の「境の大火」の時は境橋の右手少し奥にある白髭神社の下の川原から出火して.信じられぬことですが. たった1時間余りの間に.今私のいるこの辺りまで火が来たと云う。この少し先の城集落付近や.更に遠い絹笠集落付近まで延焼したそうです。 三ノ木戸集落は全員で一生懸命に防火線を作って.かろうじて延焼をまぬがれたとのこと。 白髪神社の対岸を登ったところにある栃寄は集落の人々が火元付近の消火活動に来ている間に.頭越に飛び火して.全戸が焼失してしまっている。 丁度この写真の谷間一面が火の海に襲われたことになる。その場面を想像すると谷間は火が上昇気流を作り.そこに向かって 周囲から風が吹き込み.益々燃え盛り空高く吹き上げ.以外と遠くまへ飛び散ったらしい。さぞ恐ろしい光景だったのだろう。 焼失面積は150ヘクタールだったそうです。谷間の右手下流チョッと先の集落,檜村は何と助かったようですから何処らかと云えば低い所より. 高い所の方が燃え易かったのかも知れません。・・「奥多摩町誌」1985年より. 町村境界尾根・・奥多摩町側の山並 左景・・谷間には青梅街道が走る.9:21大室山.日の出山.御岳山.大岳山.天地山.鋸山と並行するよう山並が下りている。 谷間から上空を見上げると.連なる山並は多摩川右岸の山々。左端の緩やかな山波は三室山.大塚山の奥には見えぬ日の出山があり. 続く右側の尖っ突きが御岳山。手前の山並が鍋割山と大岳山. 更に天地山と鋸尾根.端は九重山の尾根が扇状に広がり下りている。 前衛の直下の川底の丘陵は小留浦か.檜村か? すると左下の丸みが684m点の南尾根で登ってきた入山ルートになる。 鞘口山に御前山と惣岳山 右景・・同じく三ノ木戸林道終点より.9:08御前山と惣岳山の間が九竜山江戸小屋尾根で.手前に延びるのが山ヒコ尾根。右上は惣岳山大ブナ尾根. 正面は大きく望むのが御前山。シダクラ沢右岸尾根が手前に落ち.右コブの惣岳山も大きく.大ブナ尾根を右方へ奥多摩湖の湖畔に没している。 2012年1月にシダクラ沢右岸尾根から湯久保尾根.尾根通へとラッセルした時は好天に恵まれ楽しく懐かしい山行だった。 城の住民 この展望台で城集落に住む小犬を連れた老人と出会う。車での日向ぼっこ. 椅子に坐り.背に岳を背負い.風もなく長閑な風景が絵になっている。 最初の言葉は挨拶か.正面に聳える御前山を教えて頂いた。人と会うのを待っているような語り方。城の住民と三ノ木戸の別荘の主人の話。 一人.語りたく山での団欒を淡々と語っている。小中沢下段径路に関して尋ねるも入ったことはないと云う。 前回鹿柵に囲まれ悩まされたことを話すと君なら大丈夫と.気紛れな返事が返ってきた。 林道終点・・三ノ木戸.9:23三ノ木戸 老人とほどほどで別れると直ぐ右手に話題になった別荘が現れる。灯籠の構える門扉に.立派な和風屋敷を垣間見ている。 三ノ木戸(旧三ノ木戸集落)にあるものと云えば現在は.この立派な別荘のみ。地元を地盤としている元国土庁長官の別荘とか。 過ぎると林道の終点を迎え.モノレール軌道が横切り全面塞がれた林道の終点に突き当たる。モノレールの基地があり.駐車場が造られていた。 昔の三ノ木戸集落.その歴史の遺産は私の知る限り.車庫裏の1軒の廃屋と3つの木祠と馬頭観音が祀られているだけだった。 三ノ木戸は平将門の城の門があったと云う伝説があり.「さぬきど」と読み.元々は「さんのきど」だったとも。 林道に綴られた電灯線は旧線を残し.近年新しく太い電線に替えられている。 太い電線はモノレールの作動用として説明だきるが.古い電灯線の時代には民家が多くあったと老人は語っていた。 今は住民0. 昔境の大火では村人の力で延焼をまぬがれていたようだ。 モノレール沿いに右手に進めば道標に「六ッ石山.雲取山→」と表示され.先で三ノ木戸山へ至る登山口と経路とに別れている。 先は一日では行けぬ距離で長いが石尾根の頂点.「雲取山」の道標が先を示していた。 又登山道沿いの右側に延びる軌道は.今は鹿を駆除するハンター用によく使われているとも。 道標の「奥多摩駅↓」は背の三ノ木戸林道を戻り.縫笠集落から羽黒三田神社の参道を下ることになる。正面のブルーシートは車両車庫. 4本の分線が入線していた。左側の軌道は山葵搬出用で小中沢の中流の川底に導かれるようだ。少し覗き込んでみた。 小中沢周辺保安林区域図小中沢を複雑に縦横に走る水源巡視路の経路名として分かり易いので.便宜上松浦隆康氏の経路名で呼ぶことにした。 ・・小中沢流域概念図 道標脇の保安林区域図には今回の進むべきルートと前回の小中沢右岸沿いの三ノ木戸古道.作業道がよく描かれている。 小中沢林道は三ノ木戸林道の別名ある・・三ノ木戸にて. 小中沢中流の流域の・ワサビ田を囲むようある点線が下段経路で周回している。下側の木橋から下流に綴る点線は右岸道。 旧峰畑集落には橋詰から尾根を詰め.城から林道を横断し更に石尾根で峰畑峠越えをしている。 小中沢右岸沿いの古い山腹道は前回575m点を越え古道を分けて.幾つもの堰堤ある窪溝を下り.境集落北側端の里道の詰に降りていた。 「三ノ木戸の将軍社」 モノレール線車庫裏側に祀られていた木祠と馬頭観音.9:26 その直ぐ西側の神木.9:28モノレール車庫の裏側の径路に入るとに3つの木祠と少し離れ石積みに馬頭観音が祀られていた。 その更に奥に老樹が踏み跡を塞いでいる。少し下ってみると南面の小中沢に降りているようだ。 このルートは林道終点に立掛けられていた「小中沢周辺保安林区域図」の「小中沢」の字上に表示されている破線路? 小中沢へ下る水平作業道.9:30モノレール軌道が踏み跡と交差するのを見て.急激に落ちる谷間を偵察。9時37分に戻っている。 又このモノレール軌道は下段経路の大岩の先で小中沢側に分岐している軌道だろう。 下段径路の取付き 小中沢左岸水平歩道と石尾根登山道と兼ねた作業道との分岐.9:46分岐右手の作業道は途中で小中沢を右岸に渡り.更に金山沢.小中沢と渡り返し大きく迂回してきた下段経路と合わさっている。 更にその先で石尾根に乗る登山道と分けて.幾つもの分岐がある。更に直進すると小中沢の上流長尾沢の小屋への中段径路と繋がっていた。 径路の分岐 モノレール基地に戻り.北側のモノレール軌道に沿った登山道に入り込むと170mほど先で.モノレールと並行する登山道と 小中沢下段経路との分岐にでる。立木の上の道標には「六ッ石山」とあり.右俣は径路と分かれ三ノ木戸山の西側鞍部にでる。 下のL字鋼には「〜号鉄塔に至る東京都水道局」と標柱が如何にか読めた。前回は何処かに鉄塔があると勘違いしていたが反射板への標柱。 小中沢横断経路の先.右岸の沖ノ指窪上にも,同じL字鋼を見付けている。ただ以前は鉄塔の経緯どころか.送電線の存在すら分からないでいた。 最近この標柱が榛ノ木尾根にあるマイクロウェーブ反射板と知り合点がいっている。 右の登山道を進むと次に「登山道ではありません」と表示されロープが張られ中段径路を分けている。 先程の分岐から大きく迂回してきた下段径路は左前方から合わさる。 登山道は右後方から更に左前方に折り返し,石尾根の狩倉山と大平山(三ノ木戸山の西側)の鞍部に至っている。 確りした登山道だが地形図「奥多摩湖」幅員には破線の表示はなかった。 越えた日原川側は十二天尾根上部(一部農大試験林)から不老林道に抜けられる。 小中沢下段径路 三ノ木戸から小中沢左岸沿いに木橋へと続く明瞭な踏み跡で.沢の音色を感じる水平歩道を綴る。 急峡の崖フチや桟橋があり.径巾は狭く落葉が埋まる滑り易い所も間々あり.半ば近くにある大岩が距離の目安になっていた。 又その先でモノレールが現れ.木橋手前まで沢沿いに並行して延びている。又モノレールには分岐点があり.支線は下流側の沢底へと降りていた。 このモノレールは登山道ルートから分岐して下ってきたと思われる。倒木帯はよく手入れがなされ.気に留めるほどもなかった。 水平歩道の歩き始めは沢音を足元から遠くに聞いていたものの.知らずして水際に沿い進むようなる。 地図の岩記号は沢底のヘチから深い高度を保っていたが.桟橋が続き大岩があり.モノレール軌道が現れると知らずして. 沢底は競り上がっていた。気をワクワクさせるも.納まる前に倒木帯を過ぎ小中沢の木橋にでている。 小中沢左岸の水平経路を歩む.9:49深く落ちる小中沢の谷間 幾つかある桟橋.9:51 露岩の側腹を横切る.9:52巨岩群 小中沢の沢底へのほぼ中半辺り.10:00 小中沢へ下る山葵畑用モノレール線分岐.10:06 谷底を埋める猛烈な倒木帯.10:08 小中沢の木橋上部の山葵畑.10:09この周辺は過って度重なる豪雨でモノレール軌道.桟橋の崩壊と倒木も加わり.2014年の豪雪では甚大な被害をもたらしていた。 それも綺麗に改修され.その都度経路も改善されているようだった。谷間は埋まる倒木のすざまし姿を見下ろしていた。 又アシ沢上流の旧三ノ木戸道の木橋も豪雪の折は.真っ2つに折れ崩壊したらしい。 手前が倒木帯.右縁の左岸沿いに並行して走るモノレール。それに添い最上部の山葵畑が段々畑を造っている。 見上げる上流に木橋が架っているのが望まれた。 右岸向いが沖ノ指窪 小中沢を木橋で右岸に渡る.10:13猪柵は城集落で見ているが.その鹿柵も私の通った今回前半のルートとしては確認できなかった。 この木橋の辺りまでが遡行対象らしい。上流を見上げると流心は細かく滝状に流れ落ちていた。 崩壊した径路 後日談として.「奥多摩.尾根歩き」氏のブログによると2020年2月に訪れた折.下段経路は過大な被害を受けていた。 「左岸に目をやるととんでもない崩落が起きているじゃないですか。2本のモノレールがだらりと中空に垂れ下がっている。谷の岩肌に削られたのか。 皮むきをしたような流木が何本も小中沢に突き刺さっている。肝心の道は確認できません。 あそこまで行って仮に崩落地を抜けられたとしても.その先の道が確りしているとは限らない。 それよりは尾根道のほうが信頼できる。」と述べ.境集落へ迂回していた。 19年11月に遡行した人の記録を読まして頂くと経路は崩壊が進んでいるがモノレールは健全だったらしい。 「令和元年東日本台風」19号の影響のようだ。 小中沢左岸尾根・城・三ノ木戸から小中沢下段径路・・統制の取れた雌鹿の大群団 小中沢右岸尾根・榛ノ木尾根.沖ノ指山とイソツネ山 境から奥多摩むかし道.jr奥多摩駅 |