相模湖北岸に延びる甲州古道と並行する北側の背稜を歩む・・吉野矢ノ音周辺Top 裏高尾.陣馬山周辺
      jr相模湖から奥高尾へ北上し.孫山.矢の音.イタドリ沢ノ頭に立ち.竹ノ沢右岸尾根から大日野原を横切り.小渕丘陵の小渕山.岩戸山に回り込む。

   小原宿から大久保沢左岸尾根を経て矢ノ音2.イタドリ沢ノ頭2. この山域は新たなハイキングコースとしての手が入れられイタドリ沢ノ頭周辺は間伐された伐採地に。
     竹ノ沢右岸尾根から沢井川中里に降り.大日野原の広大な高台と集落遺跡。小渕丘陵からは第六天.小淵山.岩戸山と越え.jr藤野駅へ直下。
                                                          2020年10月14日.松村
    小原から孫山東尾根・・林道として大改修された登山道と大鹿
    イタドリ沢ノ頭竹ノ沢右岸のヤラシ西尾根
    中里.大日野原から小渕丘陵

     今回はコロナ感染症や熱中症が治まらず.2ケ月半振りの足慣らし山行になる。以前諦めた大日野原を横切る低山の里山歩きを選ぶ。
   昨年の11月に矢ノ音の山域に入る。その折.小仏峠から景信山古道を通り.底沢左岸流域を大きく回り込んで.明王峠から矢ノ音へと南下し奥高尾にでていた。

     今回は底沢右岸沿いの孫山東尾根から直接.矢ノ音に1年10ケ月振りに立つと奈良本尾根の作業道周辺は驚くほどの速さで改良されていた。
   歩き易い登山道に目は奪われるほど変わっている。そこを見聞きしながらイタドリ沢ノ頭から竹ノ沢右岸尾根を経て.沢井川の中里に降りている。

     大日野原に出て河段丘陵の「藤野の北海道」とも云われていた壮大な台地に立ち.今歩んできた山並を寛いでいた。
   又「大日野原遺跡」が展開する台地でもあり.縄文時代中・後期の土器・石器が数多く発掘されていた。ここからは第六天で小渕丘陵に乗っている。
   裏側は桂川が流れ.足の様子を見計いながらコツコツ歩み.直接jr藤野駅に降りている。ここで駅を前にして.最後に大切なストック紛失。

    子孫山ノ頭南・東尾根
   朝方の薄暗いjr相模湖駅広場より.6:57

     40数年前に妻と末っ子の3年生と高尾山を越え小仏城山から相模湖へ東海自然歩道を歩んでいた。
   それ以来.初めてての真新しくなった幾何科学的な構造ですっきりしたr相模湖駅に降りる。
   当時は5月の連休で帰りはラッシュ並の電車で鮨詰状態になり.小さな末っ子を庇いつつ新宿に戻った覚えがある。

    10月14日.本曇
      jr御徒町5:20=5:24神田:32=6:30八王子.松本行:35=6:51相模湖・・日の出.中野付近.

     中央線中野付近で日の出を迎えている。重い層雲に覆われ.外の薄暗さは黄昏たようで.照明が光々と照らされるていた
   車内と対比的だった。八王子駅発の松本行に乗るのも久し振り。ボックスを1つ占領している。
   頭上に垂れさがる「バストラルビュウ桂台」の分譲広告を見るのもこれまた懐かしい。

     相模湖駅のホームに降り北側を振り返ると子孫山ノ頭542.8mから2つの尾根が駅舎を取り囲むよう見上げられた。
   その奥に孫山548mが聳え.矢ノ音に源を発する貝沢川が相模湖に注がれている。写真の山並の左裏側を流れている。
   右奥の谷間が大久保沢.そこから入山した。

     又矢ノ音の北側には栃谷坂沢が底沢に注ぎ.栃谷坂沢の下流と大久保沢とを隔てているのが孫山東尾根(大久保沢左岸尾根)。
   今回は東尾根から取付いている。相模湖駅から小原宿まで甲州街道を歩み.尾根下端から取り付く。

     重い雲天の暗い空,.相模湖にでても朝方の明るさは薄れ.今にも雨雫が落ちてきそうだった。甲州街道にでて.高尾方面に左折する。
   歩道があり助かるがメーン国道の割に以外と往来は少なかった。北相中学校を右手に見て.過ぎた所の水準点で高度計を208mと合わせている。

   甲州街道沿いの小原宿本陣を過ぎ.7:15
    中央自動車道に跨る子孫山ノ頭東尾根と孫山東尾根の下端

     「国道20 東京64K」の標柱を見て.相模湖東ICの出入口を過ぎるとJRの線路に接するよう街道は面し.た小原宿本陣が左手に構える。
   このコースも46年ほど前に幼い子供達と陣馬山を越え.「美女谷温泉」で予約した昼食を摂ってから下山したことがあるが全く忘れていた。
   ただ底沢沿いに下ったことだけの記憶しか残されていなかった。

    「小原宿本陣」は神奈川県下26軒あった本陣の中で現存する唯一の建物。
   江戸時代には7軒の旅籠があり.参勤交代の際には信州の高島・飯田・高遠三藩の大名や公家が宿泊。
   ・・小原宿本陣跡.開館9:30〜16:00.毎年11月3日には「小原宿本陣祭」が催され.大名行列が行われている。

    子孫山ノ頭.孫山の東尾根と右奥は大明神山
   城山西尾根の66号鉄塔尾根下端にて・・2023.06.03/14:15

     陸橋の工事用に建てられた現場の姿は.後に降りてからの看板で中央高速道小仏.渋滞解消工事と知る。
   大きな工事台が2組.ビルのよう高く組み立てられている。底沢と中央自動車道の西方で.高架を潜って.大久保沢沿いから孫山東尾根の南側を
   手前に大きく巻き込んで.尾根の下部近くから.孫山へと取り付いている。植林に邪魔されているが.その対岸からの朝の風景。

   黒線の孫山小原ルート
   本陣前の街道を左折.望めた中央自動車道の小原高架橋とjr大久保沢ガード.7:20

     本陣の直ぐ先の街道T字路角には「小原の郷」があり.本陣に関せる資料や相模湖の歴史文化を辿る資料館がある。そして頭上から本当に高くを渡る
   その手前の角.T字路を左折し大久保沢沿いに入り.左折して薄暗い中央東線の大久保ガード95」を潜る。

     並ぶ中央自動車道は本当に高い高架橋を持ち潜っている。橋桁の左脇下には子孫山ノ頭東尾根に入る登山口があるが.
   2つの登山道があり.200mほど先の林道のゲート手前から左後方に入る方がよいようだ。

   大久保澤流域
   大久保林道のゲート239m.7:26

    大久保林道
     直進し大久保林道に入る。大久保沢沿いに綴られたゲートから50mほど先に赤黒プラと「石標29」が立つ。
   車道の右前方下に踏み跡が降りている。ここが孫山東尾根の取付きで.大久保沢本流を左岸に渡るが道標類はない。

     登山道は林道を更に進めば二俣の先は大木が茂り.「大日影」と呼ばれ所を抜け.更に進めば馬が通れるほどの「馬道」があったとのこと。
   林道終点から右俣左岸から短い中間尾根を詰めれば孫山の巻道.相林界46にでられる。ゲートから1時間ほど.

    大久保沢
   本流と左岸小沢との出合・・孫山東尾根の取付.7:29

     左側が大久保沢本流で左岸に小沢が合わさる地点で対岸に渡っている。
   飛び石伝いに渡る時.古い木橋の浅い土台を流心にあるのを見付けている。過っては木橋が架かったのだろう。

   小沢を左岸に渡った所から出合側を見下ろしている.7:52

     小沢を渡って明瞭な山道になるとジグザグの登りでになり.尾根末端の354m点の南東山腹を回り込んでいる。
   点々と古い黄色いプラ杭があり.340m圏で尾根に乗る。14と57.

   孫山東尾根の340m圏.枝尾根に乗る.8:07
    354m点の赤黒プラ杭を過ぎると平坦なすっきりした尾根に変わっている。

   孫山東尾根
   401m圏.穏やかな尾根筋で鹿一頭と遭遇.8:27

     354m点を過ぎるとすっきりした尾根筋になり.境界の赤黒杭がメーンで尾根筋に綴られている。
   この杭は東尾根を登り.矢ノ音を乗り越えた。更にイタドリ沢ノ頭から竹ノ沢右岸尾根に入っても点々と尾根筋に綴られていた。
   ただ途中の奈良本尾根の巻道からは赤帽白柱が主となり.赤黒杭と兼ねている。

     鹿が1頭.左手から右に目を合わせることなく.ゆっくりと尾根を横切る。雌の立派な大鹿だった。380m圏では右前方からの
   踏み跡を合わせている。この踏み跡は中央自動車道の橋脚下に下る作業道で.ゲート前で右にU字に分かれた車道と続いている。

   木の屋号「上」が書かれた派手な大木.8:33

   北側の作業道分岐の416m圏.8:33

   2本並ぶモミの巨樹.8:37
    右(北東)から太い支尾根を合わさると2本のモミの木が立つ。

    裏高尾の山稜
   416m圏.東尾根の右・植林帯より底沢上流部.8:43

     高尾山から陣馬山への尾根・・左枠外に堂所山が聳え.右手へ続く白沢峠越えの右中央が696m点峰。
   更に右枠外に景信山が聳えている。前回は小仏峠から景信山西面の水平古道を抜け.明王峠を経て奥高尾の矢ノ音に立つ。

     その折.新多摩川線の77号・76号・75号の3基の鉄塔を確認しつつ.白沢峠にでていた。
   その3つの鉄塔がここから樹間を透し眺められていた。

   453m圏.南東に延びる支尾根を分け右尾根へ.8:38
   標高点448mを過ぎ.453m圏へ。

   486m圏.「赤帽白柱9」と幾つもの標杭あり.9:14

     直ぐ手前471m圏には石杭はないが5つの違った標杭が立ち.脇の立木には赤ペンキと白・緑紐が巻かれていた。
   この分岐手前には「林相界」と「石標95」がある。

    孫山手前の分岐
   505m圏の石柱.孫山の山腹を横切る巻道分岐.9:18

     孫山東面(大明神山)の巻道に突き当たり.2つの石標を見る。右の北東方面の尾根を下れば栃谷板沢林道に下る踏み跡がある。
   そのまま確りした巻道を横切り.ツメまで直登した。主尾根に出てからは頂稜の踏み跡を南下し孫山にでている。

     大明神山の頂には木片に「孫山」と記され.地元の人にも.聞きなれた山名になっているようだ。巻道を右に折れ戻るよう下れば
   小コブの谷側を抜け大平小屋跡に至る。左は548m点で大久保林道終点からの大久保川奥の二俣尾根の踏み跡と合わさっていた。

    貝沢川左岸尾根
   直登して藪絡む左岸の尾根筋を南下.9:24
   尾根筋に突き当たり踏み跡はない。左(南」に折れると孫山の頂に立つ。

    孫山(大明神山)548m
   最近では「大明神山」とも呼ばれてもいる.9:28
    左奥に菱形の「保安林」が立ち.植林に覆われ展望はない

     このまま更に南尾根を下れば子孫山ノ頭.542mの三角点峰にでて.相模湖.与野神社に下りられる登山道があり.古道。
   古道は逆側に登れば大平小屋跡を通り明王峠に出て.更に和田峠.陣馬街道へと抜けている。

   3本の山道へ.9:33

     背稜のツメに着いた地点まで孫山からピストン. 更に尾根筋を北上し林道と接さる地点にでる。
   左側の確り踏み固められた登山道は吉野宿からの古道で.北上し登ってきた道。この右隣りには地図にない幅広い林道は.
   道形が崩れ掛けてをり大分古そうだった。何処に抜けているのだろうか?

     ・・2024年01月に与瀬神社から孫山南尾根を詰め.栃谷板沢林道から更に底沢川右俣を遡り.砥石沢から小仏峠に繋がる
   2つの鉄塔を結んでいる。その間では全く知らなかったが大型車が通う大規模な林道が造成され始めていた。
   起伏の低い尾根伝いには林道が幾つも描かれつつあった。

     その最初の林道の終点がここに映し出されていた写真。.脇には小さな木片に「林道終点」と打たれている。
   ここから北面に広がる林道網は凄い。孫山東尾根の地形も林道のうねりに任されつつあった。

     登山道の左下にはこれ又古い細い作業道が真近に並行するかのよう綴られていた。
   登山道から見ても灌木の陰に幾つもの色違いのプラ抗や標杭が付けられていた。

     更に平坦になった檜の植林帯を北西側に回り込む登山道は途中で「19号台風で被害を受けた」看板が立ち.
   小さなガレ場にロープが付けられていた。如何いうこともないが示されていれば改めて.19号は何処まで広がっているのか?
   被害の大きさに驚かされている。ここから2つの530m圏のコブ・大明神山の南側を左に回り込むと大平小屋跡にでた。

    大平小屋跡
   骨組みだけを現している小屋跡で一本.9:49

     大平小屋跡の付近に昭和の初期の頃.鉄湧水鉱泉の大平温泉」があったとの記録がある。・・相模湖町史.
   又為後の集落で伺った話として過って二軒あり.一軒は野田原へ転出し.もう一軒は為後へ転出し.現在は無住になっている。

     炭焼きのほか.畑で芋や麦を栽培し暮らしていたという。離村後も暫くは畑作りを通っていた。現在の屋敷跡は1ケ所。
   近くには墓地や農地跡があると。又今は骨組みだけの姿に改修れた東屋はハイカーに利用されている。

     小屋脇から裏側に貝沢沿いに直接下れる破線路が山腹を綴り.「分収造成林」の看板から沢沿いに下り.貝沢林道にでている。
   又貝沢右岸の山腹を巻くコースは途中に大濫池コース・貝沢林道コースに分かれ下るれるコースがある。左岸(南)尾根は矢ノ音の頂から繋がれてもいた。

     更に続く登山道(甲州古道)は栃谷坂沢林道を横切り武相国境の山王峠に至っている。
   小屋跡から100mほど先で矢ノ音へ山道を分けていた。雨量観測用のケーブル線沿いに小尾根を喘ぎながら直登すれば矢ノ音にでられた。

    吉野矢ノ音633m点
   頂の北側は雑木.南は植林帯.10:16
    大正12年頃の頂は今と違って背丈を没する一面の萱原で.身体が埋まるほどの藪山だったらしい。

     矢ノ音の南東尾根の分岐からは踏み跡にケーブルが走り大平小屋跡へ降りている。頂からの道標はない。
   右前方の登山道は東肩への踏み跡を下り.右に折れれば大平小屋跡から甲州古道の与野神社へ。肩の分岐から左に折れれば背陵の明王峠へ登る。
   頂の左(西)方は奈良尾根沿いの登山道と綴りイタドリ沢ノ頭へに立つ。

     矢ノ音に着きました。コロナで自粛.筋力トレーイングも止め.体は重く鈍り.体重だけが増えだし.ペースが掴めず不安な山行だった。
   ただ黙々と焦らず登れば如何にかなろうと出向いてきた。気持は焦るが自然に入るに従い.周りとの落ち付きを取り戻している。
   惰性にならぬよう.前回諦めた竹ノ沢右岸尾根と大日野原の丘陵を最終の目的地に置き.小渕丘陵を越えるコースを選んでいる。

     頂に立てれば占めたもの。この先焦らず進めば日没までに完歩できるだろう。山に入りわくわくする気が体を推し進めている。
   「まだ登れるぞ」と古希を過ぎた老齢にムチを打ち? 足が前にでるよう庇いながら.前回と同じイタドリ沢ノ頭へと奈良木尾根を歩む。

   西方の尾根へ.イタドリ沢ノ頭を目指す.10:19

   ススタケ原の台地を縫う.10:21
   形から降りて.矢ノ音北側の山腹を巻く鞍部に降りている。

     昨年は1月に訪れ周りは全てが裸土に被われた台地。そこが一面に被い茂るススタケの原に変わっていた。
   肩に降り右後方から矢ノ音北面の巻道と合わさる分岐にでて.今度は主尾根筋の左脇の巻道を綴っている。

   防火用3つのドラム缶から道幅2mほどの巻道に入る。10:27
    主尾根筋の左巻道にでると作業道は赤帽白柱がメーンになる。

   背稜を綴る尾根道の取付にある「通行止」の横枝.10:35

     前回は右手へ尾根伝いの踏み跡を追っていた.今回は立派な左の登山道.巻道を選んでいる。
   何処もが余りにもすっきり整頓された登山道に切り替えられていた。境界標.杭に道標までが整然とされている。

    宝沢ノ頭562m点コブ
   先.巻道と尾根筋の接線の広場.10:40

     つくづく思うに昨年とほぼ同じルートを歩むも.正月の冬木林と異なり.10月とは言え落葉前の時期.
   眺望は全く得られなかった。冬木越に眺められていた熊倉山省武連指尾根方面は樹葉に閉ざされ眺められず。
   ここ広場からは樹葉を透し.栃谷川を隔てた陣馬山の栃谷尾根だけが立派な山容で眺められている。

     遠く権現山稜は山形の姿を朧にしか眺められず。今は広場と云うより.小広い空地に変わっている。
   10月とは言えまだ中半.低山ではまだ秋走りの部類に入り.茂る樹葉もまだまだ青い。

    ヤノーネ・520m圏へ
   林道終点への巻道を左に分け.奈良本尾根を歩む.10:45
    左手の水平な巻道は奈良木林道の終点へと繋がっている。

   550m圏.ヤノーネから西方を見る.10:48
    現在は「矢ノ音」と呼ばれる以前は.この小山がが「ヤノーネ」の山名だったらしい。コブには大赤黒プラ杭625が立つ。

    520m圏コブ
   大らかな整頓された山頂.10:55

     510m圏コブから下ると主尾根筋のここだけに.円形に描かれた立木に.黄色いテープが群がるよう付けられていた。
   何かを催すのだろか?前回訪れた時に比べると尾根を取り囲む山々は全体的に言えることだが.尾根伝いの作業内容が見違えるほど変貌。

     .大掛かりな開拓の為の作業が行われていた。尾根筋は何処も整然と手が入り.
   踏み跡は作業道から登山道としても見違えるほど点々と手が入れられ.まだまだこれからのようだ。

   先に道標が立ち.ここには置かれた道標板あり.10:57
    ここも藪が刈払われた台地.鞍部に道標があり.左前方に入れば三本木の分岐にでて.奈良本林道にでられる。

    530m圏コブ
   ここも藪から大らかな台地の頂.11:01

   奈良本峠
   510m圏コブ下の分岐から振り返る.11:08

     ここでもコブから左後方へ下ると三本木分岐と合わさり.奈良本林道にでられ.
   .少なくとも何かの形で手が入れられていた。例えば先程話した看板なり.道標を替えるなり.標杭類と。

    奈良本峠510m圏
   奈良本と栃谷を結ぶ峠路.11:12

     峠路の南側.左の奈良本へは前回.大沢ノ頭東尾根から奈良本林道にでて.相模湖西岸の吉野宿と結ばれ下っている。
   右手の栃谷川沿いから栃谷へ下れば陣谷温泉に至る。過って子供たちがまだ幼い頃.小学生3人と末っ子を連れ.ファミリーで陣馬高原を越え寄っていた。
   「陣渓園」で岩風呂に浸かり.鹿刺しを皆で食べた想いがある。

     高低差をおぼえぬまま.本尾根筋のこの先.仄かな510m圏の小コブは.南方に大沢に落ちる中間尾根を落としている。
   その末端が大沢ノ頭東尾根で林道に取付きがあり.更に小コブの奈良本峠を越えればイタドリ沢ノ頭にでる。

     小原から孫山東尾根・・林道として大改修された作業道と大鹿
     イタドリ沢ノ頭竹ノ沢右岸のヤラシ西尾根
     中里.大日野原から小渕丘陵